紅魔族の学校では、その日も朝からいつも通りの授業が行われていた。
「さぁ、今日は闇の魔獣たちと相対し、その血肉を糧とする授業だ!」
教師の言葉に、生徒たちは湧き立つ。そんな中でひとり、頭を抑えて肩を落とすのはゆんゆん。
「普通に………普通に、養殖って言えないのかなぁ」
「そんな単純なものより、カッコいいじゃありませんか」
隣のめぐみんの言葉に、ゆんゆんは更に肩を落とす。
言葉もそうだが、ゆんゆんはどうにもこの授業が苦手だ。養殖と呼ばれる、生徒たちのレベルを上げる授業。
その内容は大人たちが瀕死に追い込んだり、拘束したモンスターにトドメを刺すというもの。
無抵抗な相手に、それも命乞いでもするかのように眼を潤ませたりするモンスターもいるものだから、つい抵抗を覚えてしまうのだ。
「甘いですね、ゆんゆん。魔王様を召喚した勇姿は何処へいったのですか。まったく、これだからぼっちはいけません」
「今関係ないよね、それ⁉︎ それより、めぐみんは積極的だよね」
「当然です。一体仕留めるごとに、爆裂魔法習得に近づくのですから!」
杖の代わりに煌めくナイフを片手に、めぐみんは語る。紅魔族でさえネタと言わざるを得ない爆裂魔法。それを習得したいと宣言するめぐみんは狂人以外の何者でもないだろう。
本人は紅魔族随一の天才を自称しているが、それは誰しも認めること。だからこそライバルとして見ているし、追い越したいとも思う。
しかし、その爆裂魔法のみに向けられる情熱は全く理解できなかった。
「ねぇ、めぐみん。今からでも上級魔法を目標にしたら?」
「あり得ません。上級魔法なんかよりも、爆裂魔法の方がカッコいいじゃないですか」
何度目になるか分からない問答。ゆんゆん自身、習得しやすい中級魔法を差し置いて上級魔法を目指しているのだから人のことはとやかくは言えない。
しかし、ライバルがあまりにも爆裂バカすぎて、つい苦言を漏らしてしまうのだ。
最近では魔王の世話もあってめぐみんに勝負を挑む事は少なくなったが、天才を越える事を諦めたわけではない。
頼むから同じ土俵で戦ってほしいと、そう願うばかりである。
「それよりもゆんゆん、今日は両親がいないのでこめっこと晩御飯をいただきにいきます」
「急すぎない⁉︎」
「おや?まさか栄養が足りなくなった所で私に勝負を挑むおつもりですか?やれやれ、勝ちに貪欲な姿は認めますが、あまりにも卑怯ですね。見損ないましたよ、ゆんゆん」
「そんなことするわけないでしょ!見てなさい!正々堂々と、めぐみんを超えて見せるんだから!今日は鍋にするからね!」
「………チョロすぎません?」
「え?何か言った?」
「いえ、何も」
小声で呟いた言葉は届かず、ゆんゆんも魔王を召喚したからと言ってその性格が変わった訳ではない。つまり、今日も紅魔族の里は平和である。
ーーー少なくとも、その時までは。
◇◆◇◆
同じ頃。
「ふむ」
魔王は歩いていた。
本人曰く、散歩である。
何処へ行くわけでもなく、目的などもない。
ただ気の向くままに里を出て、森を抜け、山道を歩き、川を眺め、遥か遠くの海まで視線を向けて、気に入らなければ別の方向へ向かう。
歩いている距離だけを見れば散歩と呼ぶには些か壮大だったが、そもそも距離や空間といったものに大した意味を見出していない魔王にとっては、本当に近所を歩いている程度の感覚なのだろう。
「悪くない」
山間を流れる川を眺め、そう呟く。
水は澄み、風は柔らかい。
人里から離れているため、聞こえるのは鳥や虫の声くらいのものだった。
魔王は川辺へ腰を下ろすこともなく、扇子を片手に悠然と歩き続けていた、その時だった。
木々の向こうで何かが動いた。
一つ、二つ。いや、それどころではない。
複数の物音に、魔王が足を止める。
「なんじゃ?」
魔王の問いに応えるように茂みが揺れた。そこから姿を現したのは、筋骨隆々とした女性型の魔物たちだった。
豚を思わせる顔立ちに逞しい肉体、そして手には粗末な武器。
魔王とオークたちが暫し見つめ合う。何とも言えない静寂が数秒周囲を包んだ。
「男」
ふと、一匹が呟いた。その言葉が伝播するように、集団が魔王を認識すれば、その目の色を変えた。
「男ぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
「強そう!すっごく強そう!」
「最高じゃない!」
「我は雄ではない」
魔王が淡々と告げるが当然、聞いていない。
「村へ連れて帰るわよ!」
「逃がさない!」
「待っててねぇぇぇぇぇっ!」
数匹のオークが地面を蹴った。その勢いのまま魔王へ殺到しーーーその手は魔王へ届かない。
「………?」
あと一歩、腕を伸ばせば触れられそうな距離。にもかかわらず、その一歩だけが永遠に埋まらない。
「な、何これ!?」
「もうちょっとなのに!」
「押して!いける!絶対いけるわ!」
「…………」
魔王は目の前で必死に腕を伸ばすオークたちを眺めた。
別に避けてはいないし、後退してもいない。
ただ、魔王と彼女たちとの間にある空間が断たれていた。距離という形では認識できても、そこに至る道だけが存在しない。
だと言うのにオークたちが諦める様子はなく、魔王の眉間に僅かな皺が寄った。やがて騒ぎを聞きつけたのか、森の奥からさらにオークたちが現れる。
「いたわ!」
「私も!私も混ぜてぇぇぇぇ!」
「…………何故増える」
魔王は心底理解できないものを見るような目で、次々と集まってくるオークたちを眺めた。
空間を断っているため、誰一人として触れることはできない。
危険などない、脅威ですらない。そもそも、彼女たちは魔王に触れる事さえできない。だが、やかましい。鬱陶しい。何より、何度拒絶しても諦める様子がない。
「…………もうよい」
魔王が扇子を開いた。
「いらぬ」
一振り。
ただそれだけだった。目の前に群がっていたオークたちが消える。
森の中も、山の向こうも、遠く離れた大地も。
この世界の何処かで生きていた同種全てが、等しく、そこにいたと言う痕跡だけ残して消え去った。
「…………」
静寂が戻る。
魔王は暫し周囲を見渡し、満足したように扇子を閉じた。
「これでよい」
そして何事もなかったように散歩を再開。けれど、その足は数歩で止まる。
「ふむ………」
魔王がちらりと視線を向けた先、ネギを背中に乗せたカモのような生物が、ずらりと並んでいた。
◇◆◇◆
夕刻、授業を終えて帰宅したゆんゆん。帰宅して早々に取り掛かるのは勉学の予習復習ではなく、晩御飯の準備だ。
幸いな事に魔王の姿はどこにも見えず、料理中にお茶やお菓子の催促の声が飛ぶ事はない。そんな安堵を吹き飛ばすように、家の扉が力強く開けられた。
「お邪魔しますよ、ゆんゆん!さぁ、早く晩御飯を出してください!もうこちとらお腹ぺこぺこなんですよ!」
「ごはん、よこせー!」
宣言通り、妹のこめっこを連れためぐみんである。それぞれが考える、カッコいいポーズをしながらも言ってる事はかなり悲しい。何せ、めぐみんの家はかなりの貧乏。
栄養を欲する成長期真っ只中、食事を貰えるのならどんな恥辱にだって耐えられる。
まぁ、それはさておき。
めぐみんやこめっこの登場の仕方は今更なので特に驚く事なく、ゆんゆんは食材を切りながら指示を飛ばした。
「はいはい、まずは手を洗ってからだよ」
「はーい!」
「洗面所はあっちですよ、こめっこ。それよりゆんゆん、魔王様は?」
「さぁ?朝に散歩に行くって言ったきりだから」
そも、何故自分が魔王の近況を把握せねばならぬのだと、内心でつい思ってしまう。
大人たちはこぞって魔王をゆんゆんに押し付け、自分たちは『魔王様に相応しい城を作る‼︎』と豪語して、日夜くだらない会議を繰り広げているのだから、そう思ってしまうのも仕方がない。
余談であるが、魔王城は中々案がまとまらずひとまずは横に置き、現在は魔王を召喚したゆんゆんを讃える像の構想に入っている事を、本人は知らない。
「そろそろご飯だから帰ってくると思うけど………」
そう呟いた所で、玄関が開く。噂をすれば、と思いながら食材を切る手を止めて、玄関へと向かう。
「魔王様、遅かったです………へ?」
出迎えに顔を出したゆんゆんの顔が固まる。何せ、魔王の背後には一羽のネギを背負ったカモが付いてきていたのだから。
カモの正体はカモネギと呼ばれるモンスター。低級であるが、その逃げ足の速さだけでいえばトップクラス。その肉も、背負ったネギもかなりの美味であり、高級食材として有名である。
そんなモンスターがなぜ、と思考を巡らせていれば、リビングから顔を出しためぐみんの瞳が赤く光る。
「おお!カモネギではないですか!魔王様、まさか捕まえたのですか?」
「否、此奴は贄である」
「贄?」
言葉の意味がわからず、めぐみんとゆんゆんが揃って小首を傾げる。
「此奴は種の繁栄を願い、自らを差し出した。故に、我が加護を与えたまで」
「おお!カモネギさえ支配下に置くとは、さすが魔王様!つまり、食べていいと?」
「好きにせよ」
「待って待って待って!」
高級食材に目が眩んでか、今すぐにでも飛びかからんとするめぐみんを羽交締めにして止めるゆんゆん。
その小柄な身体のどこにそんな力があるのやら、引き摺られそうになりながらも魔王へと顔を向けた。
「あの、加護って、何をしたんですか?」
「羽毛が周囲に溶け込むように種ごと作り替えた」
「作り替えた⁉︎ それも種ごと⁉︎」
さらりと、とんでもないことを言った魔王であるが、本人からすれば特に大したことではないらしい。
呆気に取られるゆんゆん。その拘束が緩んだことでめぐみんがカモネギに飛びかかる。
「こめっこ、見てなさい!今すぐ美味しいカモネギを食べさせてあげますからね!」
「わぁ!ねーちゃんすごーい!」
食われる決意があったのか、それともめぐみんの手際がよかったのか、はたまたこめっこの声援のお陰か。絶命の悲鳴を上げることなく、締められたカモネギを尻目に、ゆんゆんは魔王を問い詰めた。
「ちょ、魔王様⁉︎ 作り替えたってなんですか⁉︎」
「言葉通りよ。それよりも小娘、その贄を丁重に調理せよ。雑に扱うことは許さぬぞ」
「いや、今それどころじゃーーー」
「やれ」
「………はぃ」
種族のために自身を差し出した事が魔王の琴線に触れたのだろう。いつもよりも強い圧に負け、さめざめと泣きながら調理を始めるゆんゆん。
それを他所に、玉座に座る魔王。虚空から生み出したお茶請けを摘み、その膝にいつの間にかこめっこが座っていた。
「こめっこ⁉︎ 何してるんですか⁉︎」
「まおーさまのひざ!」
「それは見ればわかります!なんでそこにいるんですか⁉︎」
「すわっていいって!」
「民の願いに耳を傾けるのも、王の器量よ」
「流石はこめっこ、というべきでしょうか………」
魔性の妹を名乗るだけはある、とは思いつつも、その豪胆さには流石のめぐみんも舌を巻くしかない。
降りるように言っても聞かないだろうと諦めためぐみんは空いている椅子へ座り、机の上に置かれていた菓子へ手を伸ばした……………届かない。
「…………」
もう少しーーー届かない。
身体を乗り出すーーーやはり届かない。
菓子までの見た目の距離は変わっていないのに、その間だけが永遠に埋まらない。
「魔王様、これは横暴です」
「我の菓子じゃ」
「ケチですね、一つくらいいいではありませんか」
「ほう?我を狭器と申すか」
「なんでもありません」
「まおーさま、私も!」
「はん、強欲よのう」
「ありがと!」
危険への察知能力は流石と言うべきか、驚きの速さで撤回を。魔王もそれ以上は何も言わず、膝の上のこめっこには何故か分け与えていた。
不公平、というよりは、魔王と言う存在に物怖じせずに菓子を強請るその強欲さが気に入られているのだろう。
流石はこめっこと褒めるべきか、それともその図太さに驚けばいいのか。めぐみんでさえ真剣に悩んでしまうくらいである。
「こめっこちゃん、もうご飯できるからお菓子はそれくらいにーーーうわ、なにこの状況」
「ごはん!おっきいお肉食べたい!」
「こめっこ、お願いですから魔王様の膝の上で暴れないでください!ほんと、お願いですから!」
そんな一幕がありつつも、一同は鍋をつつくことに。流石は高級食材というべきか、肉はもちろんネギまで美味しく、こめっこが独占を目論んだり、めぐみんがゆんゆんの分を奪おうとしたり、魔王が騒々しいと睨んだりと落ち着くことはなかったが、それはさておき。
鍋の中身がすっかり消え、それを洗った後のこと。食後のお茶を啜りながら、ふと思い出したようにゆんゆんが魔王に質問を投げかけた。
「そういえば、魔王様。カモネギと会話できるんですか?」
「なぜ会話ができぬと?」
「あー……そう、ですね……」
魔王からすれば種族や言語の差など大したことではないのだろう。魔王だからで納得してしまう自分に恐ろしさを感じてしまうゆんゆんである。
「………あれ?魔王様、そのカモネギたちにどんな加護を与えたんでしたっけ?」
「迷彩の加護。羽毛が周囲の景色に溶け込むだけの、ただの児戯よ」
満腹になったのであろう、魔王の膝の上で眠るこめっこを近場のソファーに転移させると、魔王はゆんゆんの淹れた茶を飲む。
魔王は簡単に言うが、一種族全体に加護を与えるだけでも規格外であるというのに、更にはただでさえ捕まりづらいカモネギ達の捕獲難易度が上がったのだ。
それだけカモネギの覚悟を認めた、と言うことかもしれないが、やはり疑問はそこにある。
「カモネギって、ネギ背負ってますよね?」
「そうさのう」
「………ネギって透明になります?」
「ネギに羽毛は生えておらぬ。それが答えよ」
「やっぱり!」
想像した通りと言うべきか、カモネギの象徴たるネギは丸見えという事態に。これでは迷彩の意味はない。
「流石は魔王様です。カモネギを格好良くするなんて」
「どこが⁉︎」
「ひとりでに疾走しているように見えるネギなんて、格好良くないですか?」
「わからない………!その感覚が全然わからない!」
しかし、めぐみんの琴線には触れたようで、ネギ丸見えのカモネギを評価していた。そんなゆんゆんの苦悩を嘲笑うように、魔王が鼻を鳴らす。
「はん。そも、彼奴らの願いは叶えてやった。絵面など知ったことではない」
「そういう問題かなぁ………?」
「しかし、魔王様。紅魔族にはご褒美みたいなのは何もないのですか?」
「我が目の前に存在しておる。十分な褒美であろう」
「確かに!」
もう突っ込むことにも疲れたと、ゆんゆんが机の上で項垂れる。魔王と紅魔族の相性が良すぎて、最近では疎外感が酷い。以前よりも魔王関連で話しかけられているというのに、だ。
「そも、貴様に願いはあるのか?」
「そうですね。世界征服、なんてのはどうですか?」
「強欲で悪くないが、貴様の手に余る」
「ならば、巨乳になりたいです!」
「肉の形に囚われるとは、哀れよのう」
「………全然叶えようとしてくれませんね」
「はん、叶えるかどうかは我の気分次第よ」
ぱん、と音を立てて扇子が開く。口元を隠した魔王の視線が、めぐみんを貫く。
「しかし、貴様が常日頃叫んでおる爆裂魔法とやらは良いのか?願えば叶えてやるかもしれんぞ?」
「それには及びません。爆裂魔法習得は自らの手で成し遂げてこそ!いくら魔王様といえど、譲れません!」
「ほう?」
机の上に片足を乗せ豪語するめぐみんに、魔王の目が細くなる。
「この世で最強最高の攻撃魔法!圧倒的な威力!破壊力!広範囲!そして何より格好良い!」
「最後だけおかしいよ!」
「重要です!」
思わずツッコんでしまうゆんゆんであるが、めぐみんの意見は変わらない。
「あの日、あの美しさを目撃した時から私は、爆裂魔法に憧れてきたのです!習得した暁には是非とも魔王様にも拝見してもらいますからね!」
「クハ、そうか」
扇子の奥で僅かに口角を上げると、魔王はめぐみんから視線を外す。
「愚か。しかし、欲しておきながら、他を惜しみ手を伸ばさぬ者よりはよい」
その言葉は、いつもの尊大さと何ら変わらない。けれど、その声色に嘲りはなかった。
「欲するならば手を伸ばせ。届かぬならば、届くまで伸ばせ。捨てねば取れぬなど、ただの諦めよ。欲するもの全てへ手を伸ばせ」
「魔王様………」
「ただし、己で選んだものを後から他者のせいにするな」
「……当然です。私は後悔などしません」
不敵に笑って見せるめぐみんに、魔王は満足そうに茶を啜る。そんな二人をゆんゆんは交互に眺め、ため息をひとつ。
出来れば何も起こさないで欲しいと、そう願うことしかできないのであった。