スパイディのことが大大大好きなマッドサイエンティスト幼女 作:恋はしめさば
そもそも私は、恋を理解していなかった。
もちろん、知識としては理解している。脳内で分泌される神経伝達物質、ホルモン、報酬系の活性化。特定の個体に対して強い興味や親和欲求を抱き、接近したい、触れたい、理解したいという欲求を生じさせる。生物としてはごくありふれた現象で、自身には必要ないと断じたもの。
人はそれを恋と呼ぶらしい。
さらにそこへ性的欲求や長期的な愛着が加われば、恋愛と呼ばれる。別段、難しい話ではない。私にとっては、少し複雑な生理現象という程度の認識だった。
少なくとも、あの男を見るまでは。
「……本当に、暇。」
そう呟きながら、研究室の椅子に深く身体を預ける。
広大な部屋には私以外の人間はいない。壁際には大型の演算装置が並び、天井から吊るされたモニターにはいくつものデータが映し出されている。机の上には分解途中の小型機械が転がり、奥の隔離ケースでは試作段階のナノマシンが淡い光を放っている。
我ながら、実に素晴らしい環境だと思う。
研究設備は十分、資金にも困っておらず、衣食住にも不自由していない。何か欲しいものがあれば作ればいい。既存品で満足できないのなら自身で作ればいい。
天才というのは、そういう生き物だ。
(技術とは、私のような人間のために存在している。)
正確には天才がより快適に、より自由に、より効率よく生きるために存在しているのだ。
勿論、私1人では社会を構築出来ない事は理解している。この身1つでは良質な食料の定期供給など不可能。故に他者の存在が必要不可欠なのだ。
この身が生み出した技術の恩恵を凡人にも分け与えてやるぐらい、してやらないとね?
(そしてその代わりに、彼らは彼らにしかできない仕事をすればいい。)
食事を作る、建物を維持する、娯楽を提供する、掃除をする。
そうやって“私の為に”社会が回っていく。
実に合理的と言えるだろう。
だから私は他人に感謝されたいとも思わないし、偉いと称賛されたいとも思わない。私が優秀であることは事実であり、それをわざわざ他人に認めてもらう必要などないのだ。
(……もっとも、世の中にはそれを快く思わない人間もいるがね?)
天才というのは、案外生きづらい。
何かを生み出せば『自分たちを見下している』と言われ、成果を上げれば『運が良かっただけ』と言われる。親切心で技術を公開すれば、今度は『利益を独占するつもりだったのだろう』と言われる。更に付け足せば“この幼い見た目”で『そもそもお前が生み出したのか?』と疑問に思われるのだ。全く、やってられないとはこのことだ。
(ならば、最初から関わらなければいい。)
だから私は、ある組織に所属している。
ヒドラ。
正確には、その系列にある研究組織の一つ。
もちろん、本気で組織の理念に共感しているわけではない。組織のために働いているわけでもない。私はいわばペーパー構成員だ。書類の上では所属していることになっているが、実際にはほとんど顔すら出していない。時たま『彼らにとって利』になり、私にとって『世界を壊し過ぎない』程度のもの。ちょうどいい技術を恵んでやる程度だ。
しかし……、便利ではある。
天才の成果を横から掠め取ろうとする人間や、私のことを妬んでくだらない嫌がらせをしてくる人間。そんな不要物を遠ざけるには、多少物騒な後ろ盾があったほうがいい。この身が孤児出身であると考えれば、なおさらだ。
それに何処にでも潜んでいる彼らであれば私が欲する情報をすぐ用意してくれるし、資材も同様。正規の手段で手に入らないモノでも、すぐに私の手元に。多少齎してやる技術に色を付けてやらねばならないのは事実だが、それを上回る利を齎してくれる。
まぁ、それだけの話。
「さて……。」
モニターを閉じ、別の画面を開く。
表示されるのは研究データではなく……、動画サイト。
ニュースや掲示板に始まり、勿論SNSも。
(いわゆる、ネットサーフィン。)
私だって娯楽くらい楽しむ。
天才でも、1人の人間。1日中数式と睨み合っているわけではない。むしろそのような面倒な“作業”は機械に投げてしまい、適切な休養と糖分を摂取することでより生産的な作業を行うのが、天才だ。つまり適当にニュースを流し読みし、くだらない動画をいくつか眺め、最新の技術記事に目を通す。
そんな何でもない時間。
けれど……。
その日は、少しだけ気になるニュースが目に入った。
『またしてもスパイダーマンが現場に! 市民からは称賛の声も!』
そんな見出しと共に表示されたのは、ニューヨークの街中を縦横無尽に飛び回る一人の男。
赤と青を基調とした蜘蛛を思わせる奇妙なスーツに、顔を完全に覆い隠すマスク。
そして、手首から射出される白い糸。
「……蜘蛛。」
思わず、口に出していた。
以前から何度か目にしたことはある。ニュースにも出ているし、動画サイトにも大量の映像が転がっている。何やら街の至る所に出没しては犯罪者を捕まえたり、事故に巻き込まれた人間を助けたりしているらしい。正直なところ今までさほど興味はなかった。少なくとも彼が何者なのかを調べようと思うほどではない。
けれど、その日は違った。
画面の中で“スパイダーマン”がビルとビルの間を飛び、糸を放って落下していた人間を受け止める。そして次の瞬間には別の場所から聞こえた悲鳴へと向かって飛んでいった。
「……なるほど。」
『こちらの映像をご覧ください! またしても現れた正体不明の自警団員、スパイダーマンについてですがー』
そこで画面が切り替わる。
映し出されたのは、髭の特徴的な中年男性。彼は興奮した様子で机を叩きながら、画面の向こうへ向かってまくし立てている。
『またしてもあの蜘蛛野郎だ! あいつが現れるたびに街は大混乱! 正体も分からない、素性も分からない、何の権限も持っていない! そんな男を、なぜ英雄扱いする! スパイダーマンはニューヨーク市民を思うのなら、そのマスクの下の顔を晒すべきだ!』
「……ふむ。」
ジェイ・ジョナ・ジェイムソン。
デイリー・ビューグルの編集長、スパイダーマンを目の敵にしていることで有名な人物だ。
『奴は犯罪者だ! 警察でも軍人でもない! 勝手に街を飛び回り、勝手に犯罪者を殴り飛ばす! こんな危険人物を野放しにしていいのか!?』
「だが、映像では人を助けている。」
画面を見ながら、私は呟く。
彼も私に娯楽を提供してくれる一人だ。あちらがこちらを認識することは無くても、“乗ってやる”のが良い視聴者というものだろう。私でもそれぐらいはわきまえている。そんなことを考えていると、ちょうどジェイムソンの背後に流れている映像ではスパイダーマンの姿が。彼が燃え盛る建物から人間を抱えて脱出しているのが見て取れる。
『違う! 問題はそこではない! 奴が何を目的にしているのか分からないということだ! 今日、人を助けたからといって、明日もそうする保証がどこにある!?』
「……ふ、まぁ道理ではあるね。」
思わず、笑ってしまう。
確かに、彼の言っていることにも一理ある。
正体不明の人間が超人的な力を持ち、街を勝手に飛び回っている。普通に考えれば危険人物。決してニューヨークのカギを手渡されるような人間では無いだろう。……けれどそれを差し引いても、この男の言い分は妙に感情的だ。
(何より面白いのは、彼が何をしても悪く言おうとしているところ。……因縁でもあるのか?)
人を助けても疑う。犯罪者を捕まえても疑う。危険な場所へ飛び込んでも疑う。
少し気になりざっと彼の経歴を調べてみれば、覆面の強盗に親族を殺された過去があることが解る。まぁそれを考えても少々過剰なような気もするが……。
「まぁ、それも“娯楽”の一つか。」
別に、どうでもいい。
人間など他人のことを“簡単に”好きになったり嫌いになったりする生き物だ。合理性など二の次であろう。
私のような天才は別だが、一般人と呼ばれるような者たちが理性を持ちえないことは重々承知している。それに彼はこうやって全世界に放映されることで、一種の“コメディ”を提供しているのだ。私の生活を彩る一つの存在として、彼は彼の仕事を熟している。そこに何か言うことは無いだろう。
(しかし……。)
自身が気になったのは、ジェイムソンではない。
その隣に映し出された存在、画面の中で黙って映像を流され続けている彼。
スパイダーマンだ。
「妙だ。」
改めて、映像を見る。
彼は一体、何を考え、何のためにそんなことをしているのだろうか。少々考えてみるが……、思い至る要素がない。
……自身はそれまで彼の能力にしか興味がなかった。
より正確に言うなれば、その手首。小型の射出機構だ。
(ウェブシューター。)
あの糸の粘着性、強度、伸縮性。
あれだけの性能を、あの小さな装置からどうやって実現しているのか。
おそらく高圧で圧縮された特殊な液体を空中に射出することで空気とふれあい、急速に固化して繊維状の糸としているのだろうが……。その“液体”、この配合が解らない。大まかな推定を立てることは出来るのだが、それでは少々強度が足りなくなってしまう。
少なくとも私が知らない技術、そしてヒドラでは手に入らない技術を持って構築されているのだろう。
「非常に、興味深い。」
故に自身は、その使っている糸について調べ始めた。
動画を集め、報道記事を集め、目撃情報を集める。映像を解析することで射出された糸の太さ、伸び、飛翔距離、対象への付着速度。映像ごとの違いを比較し、使用された環境から材質まで推測する。
当然、正確な情報はほとんど出てこない。
だがそれでもいい。分からないからこそ面白い。少なくとも本職の“息抜き”にはこれぐらいはちょうどよかった。
「……ふむ、これほどのものを個人で量産出来るとは。」
思わず、感心してしまう。
映像から推測する限り、あの糸は単なる粘着剤などではない。空中を飛翔する際にはある程度の形状を維持し、対象へ付着した後には十分な強度を発揮する。それでいて、使用者自身が高速で移動するための牽引力にも耐えている。
当然、ただ硬ければいいという話ではない。
硬すぎれば衝撃を吸収出来ない。柔らかすぎれば人間一人を支えることなど出来ない。伸縮性と強度、その二つを同時に成立させる必要がある。しかも映像を見る限り、彼はそれをほとんど無制限に近い感覚で使用している。適宜カートリッジのようなモノを交換しているようだが、その“内容量”は“使用量”に見合っていない。
時たま“糸切れ”を起こしていたが、ソレも数える程度。
何処の支援も受けず、纏うスーツも明らかにホームメイドなモノ。つまり彼は既に“ウェブ”の量産体制を個人で生み出しているに違いない。
「……大変、素晴らしい。」
研究者というものは、分からないものを見ると調べたくなる。ましてや、それが既存の理論では説明しきれないものなら尚更だ。
ならば、調べる。それだけの話だった。
少なくとも、この時点では。
私は過去の映像を片端から集め、スパイダーマンが糸を使用した場面だけを抽出していった。建物への移動、犯罪者の拘束、落下物の固定、人間の救助。そして単純な移動。用途は多岐に渡り、その使い方も同様。
そして1つ1つを見ていくうちに、あることに気づいた。
「……器用。」
彼は糸を単純な移動手段として使っているわけではない。
敵を拘束する際には、相手の動きを予測して射出する。人間を助ける際には、身体に過剰な負荷がかからないよう軌道を調整しているように見える。建物の間を飛ぶ時も、ただ適当な場所へ糸を引っ掛けているわけではない。
状況に応じて、使い方を変えている。
つまり。
あの装置を作った人物は、単純に高性能な道具に頼っているだけではない。それを使いこなしている。
「……ふふ。」
少しだけ楽しくなってきた。
これはなかなか良い研究対象と言えるだろう。私はさらに情報を集めるため、検索範囲を広げた。
スパイダーマンが活動するニューヨーク。そこでの目撃情報や、救助された者たち、対処された犯罪者たち。そして、彼が現れた場所。何故か『スパイダートラッカー』なるアプリがあったので、それもインストールしてデータの1つにした。
……最初は単なる技術情報を求めていたはずだった。けれど調べれば調べるほど妙なことに気づく。
彼は、やたらと人を助けている。
「……ふぅん?」
交通事故に、火事、強盗事件。
そういった緊急性の高いものから、道案内や迷子のペット探しまで。まるでそこに“差がない”ように人助けする彼の姿が表示されていく。多少スキャンダルのようなモノも見て取れたが、どれも捏造記事。彼がいる場所には総じて困っている者がいて、彼はそのすべてを助けようとしている。
「ふふ、面白い。」
椅子へ深く腰掛け直す。
彼は何故、人助けをするのか。当然の疑問と言えるだろう。
金銭目的なら理解出来る。救助後にでも報酬を要求すればいいし、良い弁護士でも雇えばかなりの額を稼げるだろう。ビジネスにすればもっとだ。その過程で名声も手に入るだろうし、資金が集まれば政治的なアレコレ。そこに口出しできるようになっていくはず。もしミュータントの権利を拡大しようとしているのなら、そのようなルートを辿ったはずだ。
しかし彼は、特に何もしない。
助けて、去る。本当にそれだけ。
時には感謝されることすらなく、時には警察から追われ、時には市民から恐れられ、そしてメディアからは犯罪者呼ばわりされている。確かに最近は好意的なものが増えてきたようだが、活動を開始した時期のデータを探ってみれば批判一色だ。
それでも……、彼は続けている。
「“興味深い”」
その言葉が自然と口から出た。
純粋に気になったのだ。少なくとも、これまでの短い自身の一生において同様の存在はいなかった。他者評価を気にせずこれほどまでに長期間、そして無報酬で人助けする存在など完全な未知だ。そのような存在を既知へと変えるのは、自身のルーティンに近い。
だから、調べることにした。
今度は技術ではなく、スパイダーマン本人について。
どんな人物なのか、何歳なのか、どこに住んでいるのか、何をしているのか。
そして何故、スパイダーマンになったのか。
だが……。
(まぁ顔を隠して活動しているのだ。簡単に行き過ぎても“面白く”ない。)
正体不明、年齢不詳、経歴不明。
分かっているのは若い男性らしいという事と、ニューヨーク周辺を活動拠点にしていること。どうやら既に改竄されている各地の監視カメラデータを見るに、解ったのはそれだけ。
けれど私はそこで諦めるような性格ではない。むしろより興味を引かれた。
公開されている情報を集め、映像を比較し、その軽口を解析する。出現時間を記録し、移動経路を推測することで大まかな位置を割り出していく。
そんな過程の中で気になったのが……、彼のとある言葉。
「『親愛なる隣人』。」
軽く、その言葉を検索してみる。
どうやらスパイダーマン自身が使ったことがあるらしく、似たような投稿が幾つか見受けられた。どうやら歴史上の何かに影響されたような言葉ではなく、おそらく彼が生み出した造語に近しいもの。そしてその元になっているだろう言葉は、誰もが知るあの本に刻まれている。
「……隣人愛。」
このニューヨークという都市に住む存在全て。
困っているなら助け、支え合う。危険なら手を差し伸べ、引き上げる。そこに特別な理由はなく、聖書に刻まれた“言葉通り”の行動をしている。
「やはり、“興味深い”」
少し思考を回す。
いくら考えても自身には理解出来ない価値観。
私は他者を助けるために生きているわけではない。むしろ他者が私を助けるために生きていると考えており、それが“事実”だ。故に自身が持っている技術は、この身のためだけに活用されるべき。他人へ分け与えるのは、社会を維持するために必要だからこそ。彼らは私の為に快適な環境を維持するため、そのお零れに預かるのだ。
故に、自身は人助けを否定しているわけではない。
ただ彼のように。何の見返りもなく、自分の身を危険に晒してまで知らない人間を助けようとは思わないだけ。
「……底抜けの愚か者。」
口ではそう言うが……。
不思議と、嫌悪感はなかった。
むしろ少しだけ羨ましいと思う。
(自身には持ちえないモノ。)
私は、欲しいものなら何でも手に入れてきた。
金も、技術も、情報も。自身の頭脳を活用しそのすべてを手に入れて来た。今の立場もそうだし、今いるこのラボもそうだ。
天才たるこの頭脳だけで、大抵のことは解決する。
だから私は誰かのために自分を犠牲にする必要なんて感じたことがなかった。
なのに。
(彼は、助け続ける。)
それ以外の方法は幾らでも考えられる。
彼の手首に収まるその発明があれば巨万の富を手に入れられるだろうし、新たな立場も手に入るだろう。そしてそれを生み出せるだけの頭脳があるのだ。私のように“ちょうどいい”立場などいくらでも手に入る。
そして精力的に動けば、他の未来も見えるはずだ。
かのトニー・スタークのように巨大な企業を作ったり、リード・リチャーズのようにチームを結成したり、ノーマン・オズボーンのように軍事転用も可能だろう。若手という括りであれば日本のツグミ・オオゾラのように民間運用からの財閥を形成しても良い。
少なくとも、私の足元に及ぶ程度の頭脳があるのだ。先程上げた“有象無象”と同じように、それぐらいは出来ておかしくないはず。
(だが、彼はそれをしない。)
何度も。何度も。何度も。
常に誰かを助け続ける。
ただ、親愛なる隣人として。
「素晴らしい。」
気づけば、そう呟いていた。
そして同時に。
「愚か。」
だが、彼を表す言葉には少々味気ない。
最も相応しいのは……
「CUTE♡」
画面の中で、スパイダーマンがビルの壁を走っている。
その姿を眺めながら、頬杖をつく。
最初はウェブシューターが気になっただけだった。次はその糸を作った技術が気になった。その次は彼が何故それを使っているのかが気になった。
そして今は……、彼そのものが気になっている。
一体どんな顔をしているのだろう。
どんな声をしているのだろう。
普段は何をしているのだろう。
どんなものを食べて。
どんな場所で眠って。
どんな人間と話しているのだろう。
そして……
何を考えているのだろう。
「あは」
声が、出てしまう。
胸の奥が押しつぶされそうになる。
心拍数が僅かに上昇し、意識が彼へ集中することを理解する。
もっと映像を見たい。もっと情報が欲しい。もっと知りたい。もっと近くで見てみたい。
あぁ、これは
「恋ィ」
画面の中の彼を、嘗め回すように見つめる。
マスクで顔を隠した正体不明の男から、不思議と目が離せない。
彼が何者なのか知りたい。
そのマスクの下を見たい。
その顔を。
その声を。
その心を。
彼という存在が構成する細胞の1つ1つ、その全てを。
「……ふふふ♡」
別に、彼がどんな人物でも構わない。
もしマスクの下が醜い顔だったとしても。
もし大きな傷があったとしても。
もし人間ですらなかったとしても。
私は、きっと彼を好きになるだろう。
だって。
もう、好きになってしまったのだから。
「……スパイダーマン♡」
画面へ向かって名前を呼ぶ。
当然返事はない。けれど……それでいい。
今はまだ画面越しで十分だ。
ただし、ずっとこのままというわけにはいかない。
(私は、もっと。もっともっともっと彼を知りたい。)
もっと正確に、もっと深く。
そして出来ることなら直接会ってみたい。
「ふふふ、さぁて。」
ゆっくりと椅子から立ち上がり、向かうのはこのラボの奥。
そして手に取るのは、小さな1つのキューブ。
「ナノドローン、ってね?」
極小のカメラに、通信装置。位置情報取得機能は勿論、簡易的な音声収集機構。そしてドローンであるからこその、飛行機構。そのすべてを持ち得ながら、人間どころか“人間大の蜘蛛”ですら認識できない小型存在たちの集合体。
それを単に大量に生み出し、キューブ状に並べただけだ。
なに、別に大した技術ではない。既存技術を組み合わせサイズを極端に小さくしただけ。私にとってはさほど難しいものではないが……。その他の有象無象からすれば垂涎ものだろう。
「これなら、見つからないね?」
軽く試験運転を行えば、音もなく空気中に消えていくドローンたち。
既に私の視力では視認できないが、デスク上の画面を見れば 映像と位置情報がしっかりと送られていることが解る。まぁ物騒な“超人社会”なのだ、これでも発覚する可能性があるのは確かだが、そのすべてが“何処にでも手に入るモノ”で構成されている。自壊機能あることだし、特に問題は無いだろう。
何せ“スパイダーマン”にだけ見つからなければ、それでいいのだから。
「スパイダーセンスの対策、しない訳が無いでしょう?」
彼を調べるうちに理解したこととして、彼には一種の危機察知能力を持つことが解った。そして一定の周波数を用いることでジャミングできる、ということも。幸いにして自身にはヒドラとの伝手があった、それを用いて過去に彼が撃破したヴィランの情報を手に入れ、ドローンに組み込む。
これで“彼”だけが察知することが出来ない。
「……ふふ。」
つい、笑みが漏れる。
時間はかかるだろうが、上手く行けば画面越しではなく私自身の目で彼を見ることが出来る。
「待っててね、スパイディ♡」
それから数日。
私はナノドローンを使い、スパイダーマンの出現地点を追跡し始めた。
彼は決まった場所に現れるわけではない。事件が起きれば突然現れ、用事が済めばすぐに消える。ドローンたちは隠密性とサイズを維持するため、飛行速度はそこまでだ。故に少々“割り出し”に時間がかかったが……。
すぐにその規則性が見えてきた。
彼は人の多い場所を避けているわけではない。むしろ事件が起きれば躊躇なく飛び込んでいく。そして誰かを助けた後は……、必ず人目の少ない場所へ移動する。
おそらく彼は、そこでスーツを脱いでいる。
これまでは各種監視カメラのデータが改竄されていたため、“立ち寄ったビルの出入り全てを洗う”ことをしてもその正体を見抜くことは出来なかったが、今は違う。スイングで人の眼の無いビルの屋上に移動し、一息。
そしてゆっくりとマスクを脱ごうとするその瞬間、私のドローンが彼の眼前に。
「見せて♡」
胸が、高鳴る。
今まで彼の映像は何度も見てきた。画面上のスパイディの姿を、数えきれないほどに。けれど今回は、そのどれとも違う。彼が、自らの意思で、何の違和感も抱くことなく、マスクへと手をかけている。
そしてゆっくりと……。
その顔を、外気に晒す。
「……ふ~ん♡」
画面に映ったのは、一人の青年。どこにでもいそうな少し痩せた男。
正直に言えば、もっと特別なものを想像していた。
なにせスパイディと言えば、ビルの合間を飛び回る超人であり、ウェブシューターなる存在を開発できる天才であり、明らかに人の能力を超える力を持つバケモノである。言ってしまえば、そのマスクの下に八眼の虫顔があってもおかしくないと思っていた。人を食うような悪魔でも良いと思っていた。
けれど、それでも愛し抜くと。
しかし画面に映し出されたのは普通の顔。拍子抜けと言えばそれまでだが……。
「かわぃぃ。」
なんとも、愛らしい顔をしている。
……そこから先は、早かった。
顔さえわかってしまえば、この情報社会において解らないモノは無い。情報を調べ上げ、その来歴を閲覧していく。どんな高校を卒業して、どんな大学を出て、どんな職に就いているのか。交友関係も、家族構成も、彼が過去に受けたであろう医療記録も。
あぁもちろんその名前も、すぐに出てくる。
「“ピーター・パーカー”♡」
その名前を、呟く。
画面の中の青年は、どこか疲れたような顔で歩いている。何処からどう見ても普通の人間なのに、彼こそがあのスパイダーマンなのだ。
「ふふ♡」
何故か、笑いが込み上げてくる。
思わず画面へ顔を近づけると、視界一杯に映るスパイダーマン。いや、ピーター・パーカー。
私の愛する人であり。
私“だけの”親愛なる隣人。
勿論彼が皆の隣人に成ろうとするだろうし、私もそれを止めるつもりはない。ただ、ひたすらに彼のことを愛してしまったのだ。恋に落ちてしまったのだ。その責任を取ってもらわなければ、気に食わない。彼のすべての“一番”が私でなければ、気が済まない。
世界は、私のような天才の為に存在している。
なら私が愛する彼も、“私のためだけに”存在するべきなのだ。
「私は、貴方を振ったMJとか言うアバズレとは違う。どんな活動をしていたとしても、私だけが理解ある女になってあげられるよ、ピーター?」
もし彼が怪物だったとしても、私は愛しただろう。
彼が人食いの化け物であるならばこの体を差し出しても良かった。人助けばかりする優しい彼のことだ、もしそうであれば真面な食事など一切取れていなかっただろう。この幼く小さな体では食い手が無いだろうが、今の世にはクローンという便利な存在がある。彼の愛が私に向いてくれるのであれば、倫理など簡単に踏み越えていた。
それ以外にも、色々。色々考えていたのだ。
もし彼が世界から嫌われたとしても、それを超えるだけの愛を。孤独を感じるのであれば、私が隣にいてやろう。もっと人助けをしたいのであればそれを応援してやるし、彼が安心できる唯一の場所にもなってやった。
そして。
もし。
もし彼と私の間に子供を作ることが出来るのなら。
「ふふふふふ♡」
これほど、素晴らしいことは無い。
画面の中の、何も知らない彼をじっと見つめる。
彼の記録を見て行けば、おそらく過去の科学博覧会にて展示されていた“放射能クモ”によってその能力を得た可能性が高い。もちろん間違っている可能性もあるだろうが、このクモだけ事故によってとある生徒に踏みつぶされてしまっており、“とてつもない変異”を為している確率が高い。
彼がどのような変異をしているのか、現時点では詳細な情報が不足している。遺伝的な問題もあるだろうし、まだこの幼い体は子供を孕めるような状態ではない。
だが。
それなら調べればいい、必要なら研究すればいい、私の専門分野ではないのなら新しく学べばいい。この身は天才として世に生れ落ちたのだ。不可能を可能とするために生を受けた以上、私の辞書に『実現不可』という文字は無い。
何より、この男の子供を産めるのであれば……。
画面の隅。
暗くなったモニターに自分の顔が映っている。
その口元が、自分でも分かるほどに……。
大きく、吊り上がっていた。
「待っててね、ピーター♡♡♡」