スパイディのことが大大大好きなマッドサイエンティスト幼女 作:恋はしめさば
ピーター・パーカー。
その名前を知ってからというもの、私の生活は一変した。何しろ恋というものは研究対象としてあまりにも面白い。確かに私は彼を愛しているが、同時に研究者でもある。今の自身を分析し、過去の自身と見比べる。
そしてその変化に強い興味を抱き、私を変えてしまったあの男への思いを更に重ねていく。自身の研究者としての欲と、女としての欲。両者を常に満たしながら、同時に“想い”を再確認できるのだ。
(これほど素晴らしい時間はない。だろう、ピーター?)
叶うならば今すぐ彼に会いに行って抱き着いてしまいたい。この心を煮え立たせるほどに熱くなった感情を吐露してしまいたい。そして互いの境界が無くなるまで愛し合い、彼のすべてを我が物にしてしまいたい。
やろうと思えば、すぐに出来るだろう。
私の手の中には、それを行うだけの手段がある。
だが……。
「君はそんな女を愛してはくれないだろう。解っているともピーター、相応しい伴侶になるためにも、私は“着飾る”ことを覚えるべきだ。」
机の前に座り、いくつもの情報を画面に映し出す。
無論、ピーター・パーカーについてだ。
彼の住所、勤務先、交友関係。この世に存在する彼に関わる全てのデータを探し求め、私は『ピーターパーカー』という存在が何を考え、どう思うかについての分析を行った。
そして導き出された答えは、善良。ただひたすらに“お人よし”という事だった。……解っていたことだったけどね?
「一般的な価値観と倫理観。それを元におそらく生来の善良さ。……ふふふ、正に“スパイディ”に相応しい男と言える♡」
故に私が抱える愛情をそのまま渡してしまえば、彼は酷く困惑し受け取ってはくれないだろう。
何せこの体は成熟していない。
色々と厄介であったため戸籍を弄り書籍上の年齢は成人しているが、肉体年齢が全く足りていないのだ。おそらく彼は世間一般的な善良な価値観を持って自身を『夢見がちな幼女』と断じ、軽くあしらってしまう事だろう。
「彼がペドフィリアであることに期待するのも一興だが、忌々しい元カノを思えばありえないだろう。まぁ、その“まともさ”が素敵ではあるのだが……。」
だからこそ、準備がいる。
まぁ、その辺りは良いだろう。幸いこの恋に時間制限など存在しない。未だに彼はMJなる愚か者に未練を抱いているらしいが、彼女についての調査を行ったところ、既に新しい男と出来ていた。つまり2人がよりを戻す可能性は0に等しく、ピーターが職場などで新たな恋を始める様な兆候も見られない。
そのような場合は持ちうるすべての手段をもって“私以外の誰か”を排除する予定だが……。現状、時間は私の味方なのだ。ゆっくりと、しかし確実に『彼に相応しい新しい私』の準備をしていくことにしよう。
「さぁ、次だ。」
次に考えるべきは、どうやって彼と知り合うか、だ。
先程も考えた様にこの胸を張り裂かんほどに溢れる思いをピーターにぶつけても、受け入れてもらえる可能性は低い。女としての自身は今すぐに行動すべきだと喚き散らしているが、理性がそれを何とか押しとどめているような状況だ。
だからこそ未だ理性が機能している間に、最適な作戦を立てるべきである。
私という存在をピーターに認知させ、そして受け入れさせるような何かが要る。警戒されるのではなく、『恋人に発展する余地がある友人』として自己紹介出来る場が必要だ。
それには、もっと彼の日常に入り込む必要がありそうだが……。
「あぁ、そうだ。」
良いことを思いついた。
ピーター・パーカーには、家がある。正確には彼が定期的に帰っている場所、メイ・パーカーという彼の叔母が暮らす場所だ。
既に社会人として働いているピーターは1人暮らしをしているのだが、家族思いな彼らしく時折メイのもとへ帰っているのはこれまでの調査で判明している。どうやら彼はまだ『自身がスパイダーマンである』ことを誰にも、それこそ自身の叔母にも話していないようだが……。
ともかく。彼が信頼を寄せる存在が“メイおばさん”であることは、確かだ。
「あぁでも、それだと“スパイダーマン”の正体を知るのは、この世で私だけということか。それはそれは、とても……。ふふ、ふふふ、ふふふふふ♡♡♡ ……あぁ、いけない。ともかく、彼女に近づくのが一番簡単。」
思わず笑みが零れてしまったが、溢れる思いに蓋をし思考を戻していく。
つまり、実に単純な話だ。
ピーター本人へ近づく必要はないのだ。彼が帰ってくる場所へ、先に入り込めばいい。家族ぐるみの付き合いや、ご近所付き合い。そういうものを作ってしまえば、ピーターがそこへ帰ってくるたび自然に私と顔を合わせることになる。
そしてメイ・パーカーの信頼を勝ち取ってしまえば、後は消化試合だ。
彼が最も大事にする家族が、信頼する存在。そうなれば“メイおばさん”は私を快くピーターに紹介してくれるだろうし、ピーターも警戒心を抱かず私に接してくれるはずだ。
これほど、素晴らしいものは無いだろう。
「あぁ、それと。」
映し出される画面を操作し、ちょっとしたカレンダーを表示させる。
これはピーターが実家を出てからどのタイミングで戻って来たのかを示すものだ。軽く調べてみれば案の定というべきか、かなりの長期間あの家に帰っていないことが見て取れる。
ピーター・パーカーとしての仕事は勿論。スパイダーマンとしての仕事も忙しいのだろう。1人で2人分の生活を送っているようなもの。この頻度の少なさを理解することは出来るが……。
納得は、出来ない。
「だからこそ……、とても素晴らしい休日を用意しよう。最高の“はじめまして”の為だ。」
彼の妻になる女だからこそ、ここまで尽くすのだ。
私の愛に気が付いて欲しいところだが、全てを口にして伝えるのは少々味気ない。この恋心を彼が理解してくれる日を願いながら、準備を整えることにしよう。幸いこの手に関しては、ヒドラとして組織に関与した経験が生きることだろう。
……あぁもちろん、スパイダーマンとして戦う彼の邪魔をするつもりはない。
「何せ出来る妻、だからね?」
むしろ逆。
彼には、思う存分に人助けをしてもらいたい。この身はそんな“自身では理解できないナニカ”を持つピーターに惹かれているのだ。恋しているし、愛してもいる。狂っているとも呼べるその隣人愛を尊重し、そのすべてを叶えてやりたいと深く望んでいるのだ。
ならばこそ……。
「彼が戦わなくてもいい日を作ればいい。」
ニューヨーク中の犯罪を、私が処理してしまえばいい。
ナノマシン、小型ドローン、監視システム。そしてヒドラが過去に実行しようとした『インサイト計画』。アレほど物騒なことは考えていないが、そのシステムと理念は活用できる。無論、夫の不殺の理念は私も知るところ。その趣向に合わせた適切な対処をお見せすることが出来るだろう。
手順としては、簡単だ。私が作ったナノマシン製のドローンを街へ散布し、犯罪の兆候を検知次第、事前に対処させるだけ。
強盗、窃盗、暴行。そしてその他諸々。
私の技術を使えば、抑止することは難しくない。
更にニューヨーク市警が持つシステムに入り込み、住民が困っているところを、偶々警官が通りかかる様にパトロールのルートを書き換える。そのほか諸々、細かな処理を終えてしまえば……。
その日だけは、スパイダーマンの仕事がゼロになる。
「ふふっ♡」
思わず笑みが零れてしまう。
これなら彼もゆっくり休めることだろう。久々に実家に帰り、メイ・パーカーの家で美味しい料理を食べる。そして彼女から私を紹介してもらい、とても素敵な初対面を完了させる。
スパイダーマンではなく、ピーター・パーカーとしての1日。
(……あぁ、なんて素敵な休日。)
この身は本当に、彼のことを大切に思っている。
だからこそ、彼が幸せになれるようにしてあげたい。望むものを与えてあげたい。困っているなら助けてあげたい。傷つくならその原因を取り除いてあげたい。
無論、彼の自由意思は重要だ。なにせそれが無ければ彼はピーター・パーカーでは、スパイダーマンではなくなってしまう。叶うならばそのすべてを独占してしまいたいが、そうすれば“彼”は死んでしまう。これこそ恋と研究のジレンマというモノなのだろうが……。
「まぁ、今は良い。」
さて、次はどうやって“身籠るか”だが……。
「……どうしようか。」
ある意味、最大の問題といえるだろう。
ピーターと結ばれる、これは決定事項だ。子供を作る、自明の理と言えるだろう。しかし……。彼が私に手を出す可能性も、0に等しい。何せこの体だ。どうにかして恋愛感情を植え付けることが出来たとしても……、肉体が成熟するまで、何年待たされることだろうか。
そしてその問題を“即座に”解決したとしても、奥手な彼の性格を考えると“待ち”の時間が生まれてしまう。
(今はまだ理性を保っているが……。)
自身の傍に、ピーターがいる。
私の元から飛び出した男が、スパイダーマンとして街を駆け巡っている。
そんな“最高”な世界を目の前にして、自身は堪え切れるだろうか。
……無理だな、うん。
「これに関しても、学ぶ必要があるか。」
問題に直面した時、真っ先に行うべきは『過去との対話』だ。
人類が発展した理由の1つとして、技術を文字を通して後世に伝えるというものがある。つまり過去の天才たちが残した書物やデータを参考にすることで、状況を打破するきっかけを得るのだ。
ピーターが、私に手を出し子を為すという過程。
これを成立させるには、医学的な見地よりも文化的なもの。変態国家として名高いあの国の先人たちの力を借りるべきだろう。
「ありがとう日本。感謝のしるしに新婚旅行はキョートに行こう。もちろんピーターとよく相談してからだが。」
かの国は性愛に関する文化的知見に富んでいる。
結婚、出産、妊娠。そういったものについて、実に多種多様なものを持っている。中には少々非現実的なものも含まれているが、この超人社会において、非現実は日常とあまり変わらない。精査し検証を行えば、“実現”することも容易だろう。
「……なるほど、彼に通用するかは解らないが、一考の余地はありそうだ。少々手荒になりそうだが、それも良い思い出になるだろう。先に謝っておくよ、ピーター?」
さぁ、準備は粗方整った。
この大望を成就させるためにも、早速行動に移すべきだろう。
ありがたいことにヒドラは、私に社会的信用を齎す素晴らしい役職を与えてくれている。これがあれば“彼女”から不用意な警戒を抱かれることは無いだろう。まぁ夫との付き合いを考えれば身分を洗い、アベンジャーズあたりに密告すべきだろうが……。
それは“結婚してから”でいいだろう。
一番最初にすべきは……
「内見にいくとしようか。」
まぁ、契約する家はもう決まっているけどね?
◇◆◇◆◇
“スパイダーマン”にとって、今日という日は……。
控えめに言っても、最悪ではなかった。
もちろん、最高でもない。
銀行強盗に遭遇し、犯人はショッカー。そう、よりによってあのショッカーだ。
銀行内にいた一般人を逃がしながら戦わなければならなかったせいで、いつものようにスイングで飛び回ることも出来ず、何度も机や柱を盾にしながら攻撃を避ける羽目になった。幸い相手は一人。こちらも市民を守ることに集中できたおかげで、どうにか大きな怪我人を出すことなく制圧することが出来た。
その後は警察に引き渡して終了、最高でも最悪でもない結末としてはまぁまぁな出来だろう。
(まぁ、どうせまた脱獄するんだろうけど。)
彼はそんなことを考えながら、夜のニューヨークをウェブで飛んでいた。
身体が重く、肩も腰も痛い。そして何より眠い。軽口で誤魔化しているが、コンディションは常に最悪。蜘蛛の力がなければ長期入院待ったなしのレベルだった。
「……疲れた。」
誰に聞かせるでもなく、漏れ出る言葉。
可能であれば限界までパトロールしたいところだが、夜も更けてきた。今日はもう十分だろうと引き上げたいという気持ちが彼の脳裏に浮かび始めている。そしてそれを後押しするように……、問題は起きていない。
ビルの屋上へ着地し、周囲を見回す。
そして感覚を研ぎ澄ますことで、より世界を感じるスパイダーマン。
いつもならここからまた何かしらの騒ぎが聞こえてくるし、サイレンの音や悲鳴。銃声や超兵器の音が聞こえてもおかしくない。そして、決して聞き逃してはならない助けを求める声も。
けれど今日は……、特に何もない。
「うん? さすがのニューヨークも休暇申請でも出したのかな? 僕としては大歓迎なんだけど。」
彼の中に生じた疑問によって、マスクの下の眉をほんの少しだけ寄せる彼。
このところ何故か、彼のスパイダーセンスがほんの僅かに反応し続けている。けれど何も起きないし、町自体に問題があるわけでもない。これまでの経験を考えれば、こんな時に限って後ほど取り返しがつかない様な大変なことが起こるのだが……。
どれだけ探しても、問題は起きていない。
深夜なのに街を歩く人がいて、車も走っている。遠くではいつものようにクラクションが鳴っている。
けど普段なら雪崩のように襲い掛かって来るであろう事件は、起きていない。普段から盗み聞いている警察の緊急通信も嫌な程に静かだ。
「……ほんとに休暇?」
そう呟いて、もう一度周囲を見渡す彼。
やはり、何も起きない。
これに違和感を覚えるニューヨークの危険さにはため息が出そうなものが、異常は異常だ。すぐに場所を変えより多くの場所を確認し始めるスパイディだったが……、やはり何も起きなかった。
「もしかして、今日ってスーパーラッキーデーだったりしちゃう? そりゃいい、みんなぐっすり寝れて最高だね! んじゃ僕もちょっとだけお休みさせてもらおうかな?」
結局スパイダーマンは疑問を胸にしまい、その場を離れた。
今日のニューヨークは驚くほど平和。不自然かもしれないが、彼やその他のヒーローたちの活躍が実を結んだ結果かもしれないと考えれば、疲れ切った体にも活力が湧いてくるというモノ。
何故か未だにスパイダーセンスが反応していることが気がかりだったが……、彼は過労による感覚器官の不調と判断し、休息を選ぶことにしたのだ。
それが後になって考えれば、あまりにも不自然なことだったと。
この時の彼は、まだ知らない。
自宅近くの廃ビルで、スーツを脱ぐ彼。
そして置いてあった荷物を肩に背負いながら、ゆっくりと帰路に付く。
その名前は……、ピーター・パーカー。
デイリー・ビューグルでカメラマンとして働く、ごく普通の青年だ。
「はぁ……。」
帰宅するなり、ベッドへ倒れ込む彼。
自然と天井に視線が行くが……、やはりボロい。そして狭い。決して住み心地が良いとは言えないアパートが、彼の寝床だった。
けれど、悪くはない。何せ住人が少ないおかげで騒音が問題とならず、目撃者も少ない。監視カメラもこの周辺には無いため“もう1つの本業”の視点から見れば、かなりの高得点と言えるだろう。
そして何より……、家賃が安い。
「……給料、もうちょっと上がらないかなぁ。」
思わずつぶやいてしまう彼。そんなピーター・パーカーの仕事はかなりの激務だった。
確かに、編集長であるジェイ・ジョナ・ジェイムソンの要求に応えるのは難しくない。何せ彼が求めるのは怨敵スパイダーマンの写真であるため、言ってしまえば“自撮り”するだけで賄えてしまう。まぁ実際のスクープに成り得る写真はそう上手く取れず、何とかウェブでカメラを固定することで撮影したり。スマホ機能で誤魔化したりしているのだが……。
まぁ何にせよ、激務なのだ。
数百枚の写真を用意したとしても、そのすべてが没になることもある。編集長からの無茶振りは日常と化しているし、“スパイダーマン稼業”の問題もある。自分から事件現場に行っても不自然ではないという立場は利点だが、給料の値段と仕事内容が釣り合っていないのが大問題だった。
「誰か養って……。は色々ダメか、うん。」
限界まで睡眠時間が削られているせいか、思ってもいない様な事を口走ってしまう。まぁ彼本人でもなぜ倒れていないのか不思議なほどの“二重生活”なのだ。多少の愚痴や弱音を吐いたとしても、JJJ以外から責められることは無いだろう。
「……お疲れ、僕。」
そう口にしながら、情けなさからかつい自身を笑ってしまう彼。
銀行強盗スコーピオンの対処に、一般人の避難。戦闘が終われば警察への引き渡し。その後も少しだけパトロールをして、何も無い街を無駄に怖がり必要以上にスイングしてしまった。
でも、それでいい。
少なくとも、誰かが怪我をするのを防げた。
何の問題も起きず、助けを求める人もいなかった。
(それだけで、十分。)
そんなことを考えながら、ゆっくりと目を閉じていく彼。
明日の朝も早いのだ。どれだけ眠れるか解らないが、貴重な睡眠時間を浪費したくない。そんな思いから、体を包み込んでいく睡魔に身をゆだねようとするピーターだったが……。
ポケットに入れっぱなしだったスマートフォンが振動する。
「ん?」
重たい身体を起こし、画面をのぞき込めば大事な家族の名前が。
夜更かししすぎじゃない? と零す彼の顔に笑みを齎した存在。メイ・パーカー、彼の叔母からのメッセージだった。
『今度の休み、家でパーティーをするから帰ってきなさい。』
続けて、もう一通。
『最近ぜんぜん顔を見せないでしょう?』
「……おっと。」
図星、それも一切反論できない『心配』から来る言葉だ。
どう返したものかと思い悩んでいると、再度メッセージが飛んでくる。
『それに最近お隣に新しい人が越してきたの。とても感じの良い子だから、あなたも挨拶しなさいな。』
「お隣さん?」
首を傾げる彼。
記憶を探ってみれば、そんな話を以前にも聞いたような気がする。その時はちょうどスパイダーマンとして出動中だったためちゃんとした対応が出来なかったが、通話履歴を見てみれば『メイおばさんの家の近くに、新しく誰かが越してきた』みたいな内容が書かれているのが解る。
そんなことを確認しながら、最近まともに帰れていなかった罪悪感からカレンダーを確認するピーター。すると運の良いことに、その日のピーター・パーカー“は”休みである。
……スパイダーマンは年中無休だけど。
「これ以上叔母さんを心配させるのも悪いし、行くべきだね。」
忙しかったというのもあるし、スパイダーマンとしての活動が増えていたというのもある。それまでの言い訳や、断るために使う言葉はいくつもある。
けれど彼女は唯一の親族であり、心から彼を心配してくれる存在であることは、ピーターも理解していた。しかもわざわざ彼が帰りやすい様に、ホームパーティまで開いてくれる。そこまで大きなものにはならないだろうけど、美味しいおばさんの料理も食べられるかもしれないのだ。
自分へのちょっとしたご褒美として、“我が家”に帰ってもバチは当たらないだろう。
「『少し遅れるかもしれないけど、行くよ』、と。」
そう打ち込み、送信。するとすぐに既読が付き、書き込み中の表示が出てくる。
『遅刻厳禁』
「……はい、おばさん。」
思わず苦笑する彼。
いい年になって育ての親に叱られてしまったわけだが、不思議と嫌な気分ではなかった。なにせ久しぶりに、家へ帰るのだ。
ただそれだけのことが、本当に楽しみだった。
そして……、当日。
「う~ん、すごい平和!」
ビルの屋上からニューヨークを見下ろす彼。普段のようにスパイダーマンとしてパトロールをしていたのだが……。
犯罪も、事件も、喧嘩すらもない。
違和感を感じた日と同じ。スーパーラッキーデーだ。
「いや、良いことなんだけどさ……。」
それは間違い無い。
犯罪が減るのは良いし、誰も傷つかないのは素晴らしい。若干警察の方々が仕事しているようだが、ヒーローが出る様な案件では無かった。勿論親愛なる隣人である彼はすぐに対応しようとしたのだが、何故か今日に限ってニューヨーク市警の方が早かったりする。
まぁとにかく、諸手を挙げて喜んでもおかしく無い状況だが……。
何故かずっと、スパイダーセンスが反応し続けている。
まるで全身を嘗め回されているような。不快では無いが、いくつもの視線が向けられているような、何か。そして依然感じた時に比べ、より大きくなっている。
「……気のせいだよね?」
考えすぎだと判断し、糸を伸ばし移動し始める彼。
なにせ今日は久しぶりにメイおばさんの家へ行くのだ。遅刻厳禁と叱られたわけだし、今日もメッセージで同じ内容が送られてきた。楽しみだし、同時に遅れて心配をかけるわけにはいかない。おそらくそのことばかり考えているから妙に神経質になっているのだろうと、彼は考えていた。
「そろそろかな?」
時計を見ると、結構いい時間。
今日のスパイディ稼業を切り上げるため、近くの人気のない場所へ移動しスーツを脱ぐ彼。ここから先はピーター・パーカーの時間だと、足早に帰路に就いた。
そして……
「ピーター!」
玄関を開けた瞬間、飛んでくる温かい声。
「おかえりなさい!」
「ただいま、メイおばさん。」
メイ・パーカーが笑顔で迎えてくれる。
以前彼が見た顔よりも少し老いが進んでいるため、不安になってしまうが……。それでもかなり元気そうな顔。久しぶりに帰って来た実家の安心感も相まって、2人分の人生によって張り詰めていた体が、ゆっくりと解きほぐされていく。
「久しぶりね。ちゃんと食べてる?」
「食べてるよ」
「本当?」
そう聞かれてしまえば、もう嘘は付けない。
「……たまには。」
「ほら、やっぱり」
呆れたように笑いながら、彼の腕を引き家の中に招き入れる彼女。
それにつられゆっくりと足を踏み入れれば、彼の鼻孔をくすぐる美味しそうな匂いが。
「今日はたくさん作ったからね。あなたの好きなものもあるわよ?」
「本当? じゃあ来て良かった。」
「最初から来るつもりだったでしょう? それともあのメッセージは嘘?」
「そ、そんなことないよ。」
何気ない、家族のやり取り。
それだけで少しだけ嬉しくなってしまう。自分の家に、自分の叔母。確かに細かな変化はあるが、雰囲気は何も変わっていない。
それが妙に安心してしまう。
「そうそう、それとね? 今日はお隣さんも来ているのよ、メッセージで送ったけど。」
「ああ、新しく越してきたっていう。」
「そう、その子。医療用のナノマシンっていうの? 研究者さんみたい。貴方とは話が合うだろうし……、何より美人さんよ?」
「へぇ、それはすごい……」
メイにつられ部屋の奥に視線を向けてみれば、そこには見慣れない女性が。
いや女性というには、少しだけ違う。どこか幼く見える容姿ではあるが、落ち着いた雰囲気。その背丈は“成人”として問題ないモノとなっている。隣でまだ楽しそうに話すメイの言葉からも、一人暮らし。このご時世で子供がニューヨークで一人暮らしなど考えにくいため、単に童顔なだけなのだろう。
そんな彼女が座るテーブルの上には、メイが用意した料理とは別にいくつか見慣れない料理が。一瞬それに目を取られていると、こちらの姿に気が付いたのだろう。ピーターの眼を見つめながら彼女が側にやってくる。
「初めまして『レノラ・グリム』です。よろしくお願いしますね?」
朗らかな笑みと共に、手を差し出し名乗る彼女。
けれど、全身に走る小さな違和感。まるでコレが初めてでは無い様な。それこそ一方的に知られている様な感覚を覚える彼。そのせいか一瞬言葉に詰まってしまったピーターだったが……。
彼女に見えない位置でメイがその背を叩いたことで、再起動。すぐに口を開く。
「ピーター・パーカーです。よろしく、レノラさん。」
「はい、こちらこそ。ですがどうぞ、呼び捨てで。」
「そ、そう? じゃぁレノラで。」
差し出された手を握り、軽く振る彼。
そこまでは何でもないただの挨拶だったが……、レノラは微笑んだまま、その手を握り続けている。そして視線も、まるで彼を下から瞳の奥を覗き込むように。
まぁ、つまり。ほんの少しだけ長い。
「どうしました?」
「い、いや……。あ、そうだ料理! 冷めちゃったら悪いよね!」
気恥ずかしさからか、急いで手を放し椅子に座ろうとするピーター。
何せ彼からすれば、大学卒業から初めてかもしれない女性の手。昔MJという彼女がいたのは確かだが、当時から行っていたスパイダーマンとしての生活のせいで破局、連絡すら取り合わない仲になってしまった。故にもともと奥手だったこともあり、女性経験はほぼリセット状態。
少し恥ずかしがってしまうのも、致し方ないのだろう。
そんな自己弁護をしながら、席につくピーター。そんな様子を面白そうに笑うメイと、未だその笑みを崩さないレノラも席に付く。そこから先は“隣人の彼女”が持ち込んだワインを飲みかわしながらの食事会となったのだが……。
「ピーター、これ食べてみて」
「うん?」
「レノラちゃんが持ってきてくれたのよ」
メイが差し出したのは、彼女が持ってきたという料理たち。
どうやら日本食、最近流行っているアメリカナイズされたものでは無く、本格的な“ちらし寿司”というものらしいが……。
「見た目も華やかですごく美味しいの。この前ちょっとお裾分けしてもらったんだけど、あなたにも食べてもらおうと思って作って貰っちゃった。量もあるし好きなだけ食べちゃいなさい。」
「へぇ。」
基本的に時間がない彼からすれば、ジャンクフードや軽食以外の食事。ソレも華やかなものを見るのは本当に久しぶり。彼にとって未知の日本食という好奇心も相まって、子供のような笑みを浮かべながら彼女に話しかけてしまうピーター。
「自分で作ったの?」
「ええ料理は得意なので。ぜひ食べてみてください。」
そう言いながら笑う彼女。とても自然で、何の違和感もない。
けれど何故か……。今朝からずっと反応している“スパイダーセンス”が、少しだけ大きくなる。思わず周囲を見るが、何も問題はない。そして今彼が口にしようとしたちらし寿司は、目の前のレノラどころか、メイおばさんまで口にしている。
そしてこの“センス”の働き方は、毒ではない。
(……調子悪いのかな?)
「どうかしました?」
「あ、ううん! 何でもない! じゃあ、いただきます。」
そう言葉を紡ぎ、料理を口へ運ぶ。
そして感じたのは……、優しい味。ほのかに甘い卵と、塩味と酢が効いたご飯。そして多種多様な食感と味を感じさせる複数の具材たち。料理に詳しくないピーターであっても、その下処理の丁寧さ。そして籠った“感情の大きさ”が感じられた。
おそらく、食べる人が楽しんでくれるようにという“純粋な”モノなのだろうと判断する彼。
「……美味しい。」
「本当?」
「いや、本当に美味しいよ!」
「……良かった。」
嬉しそうに笑う彼女。そんな“純粋”な表情に、自然と彼も笑みを返す。
こうしていると、本当に普通のパーティーだった。
メイが料理を作り、近所の新しい住人が料理を持ってきて、久しぶりに帰ってきた甥がそれを食べる。何でもない休日で、幸せな時間。
彼は、そんな時間を久しぶりに楽しんでいた。
スパイダーマンとしてではなく。
勿論、ピーター・パーカーとして。
食事を終えた後。
ピーターは久しぶりに、自分の部屋へ戻った。
「……懐かしいな。」
昔使っていた机に、昔読んでいた本。棚に残った古い写真はそのままで、まだ若い自身と元気なおばさん、そしておじさんの姿が写し出されている。
そんな懐かしい部屋を眺めながら、ベッドへ腰を下ろすピーター。
「……思ったより、疲れが溜まってたのかも。」
最近は何故か休める日があったが、それでもこれまでの活動で積み重なった疲労はそう簡単に消えない。
それに何もなかったとはいえ、今朝からスパイダーマンとしてパトロールしたのだ。その後はパーティまであってお酒も料理も結構な量を食べてしまった。スパイダーマンになってから食事量が増えたのは確かだが、そんないつもの量よりたくさんだ。
だから……。
「少しだけ」
ベッドへ横になり、目を閉じる。
本当は食事が終わればすぐに帰ろうと思っていたが、程よい満足感と睡魔がそれを塗りつぶしていく。何故か“センス”が先程よりも大きな警戒を促しているような気もするが、“気にするようなことでない”だろう。
とても、静か。
久しぶりに、何も考えなくていい。
彼がそう思った時……、微かな“足音”。
「……?」
少しだけ目を開けるピーター。
けれど、部屋には何もない。
鈍ってしまった思考力のせいなのだろう。気のせいかと思い、再び目を閉じる。
閉じて、しまう。
そして、その頃……。
部屋の外。
一人の女が、静かに扉の前に立っていた。
レノラ・グリム。
先ほどまでの穏やかな笑顔は消えており、その代わりに浮かんでいるのは抑えきれないほどの幸福そうな、狂気的と言うべき笑み。
彼女はゆっくりと、ピーターの部屋へ近づいていく。
音を立てないように。
慎重に、扉へ手をかける。
そんな彼女の目は、まるで獲物を見つけた様に輝いていた。