スパイディのことが大大大好きなマッドサイエンティスト幼女 作:恋はしめさば
そして、翌朝。
「……ふふ♡」
視線の先。手にしているのは細長い小さな検査キットだ。
市販品ではなく、自身で作り上げた専用の検査装置。誰から見ても“解りやすい”ように見た目は整えているが、その中身は違う。本来ならば、一般的な妊娠検査薬ではこの時期に結果を確認することなど出来ない。しかしこの特別製は……、違う。
受精卵の存在を直接確認するためのもの。
自分自身。そしてピーターの為に作った、極めて個人的な科学の結晶だ。
そして。
「ふ」
表示された結果を、もう一度確認する。
一度。
二度。
三度。
見間違いでは、ない。
「ふふ」
口元が僅かに緩んでしまう。
「ふふふ♡♡♡」
自分の顔が想像できない程に、緩む。
「……出来た。」
小さな声。けれどその声には、隠しきれない喜びが滲んでしまっている。
「出来た。私とピーターの、子供♡♡♡♡♡」
大声を上げることもなく、飛び跳ねることもない。
可能ならばそうしていたいが、今私の横には“愛する人”が寝息を立てている。それを邪魔しないためには、ただこの場で肩を震わせることしか出来ない。それに、“この後”のことを考えれば、起きるのにはまだもう少しだけ早いのだ。
時間を稼ぐためにも、静かにするしかないだろう。
「ふふ、ふふふふ……♡♡♡」
けれど、内心はそうではない。
むしろ大騒ぎだ。喋れない分だけ、感情が全身を暴れ回っている。
(出来た。出来た出来た出来た! 本当に? 本当に私のお腹の中に、ピーターとの子供が? 素晴らしい……! なんて素晴らしいんだろう!!!)
思考が止まらない。
研究者としての冷静な自分と、女としての自分。その両方が同時に歓喜している。そしてこれを可能にしたのが……、新しい体。
大人の姿となった“着飾った”この身だ。
正直、成功するかどうか未知数ではあったが、やはりこの天才に不可能は無いのだろう。全て問題なく、実現させることが出来た。
(ありがとうエイブラハム。君が残した“超人血清”のデータ、大いに活用させてもらったとも!)
そもそも自身の肉体は、以前とは違う。
まぁ元々幼女というべき肉体が、何とか成人レベルまで成長しているのを見れば誰もが私の言うことを理解してくれると思うが……。そのきっかけとなったのは、キャプテン・アメリカ。彼が使用したことで知られる、超人血清だ。
もちろん本物ではない。
これを開発したエイブラハム・アースキンは遠い昔に死亡しているし、当時作成されたモノすべてが誰かに使用、もしくは破壊されてしまっている。けれどヒドラ、そしてその他多くがこの再現を試み、劣化コピー品と呼ばれるようなものは数多く転がっていた。もちろん、そのデータもだ。
(凡百な科学者であれば、その程度しか作れないだろう。そして私のような“天才”であっても、完成にこぎ着けるのは長い時間がかかるだろう。だからこそ……、効果を限定させる。)
ハッキングを行うことで手に入れた資料、そしてヒドラが保有していたデータ。それらを組み合わせて独自に解析を進める。
目的は単純だ。
身体能力も、精神への影響も、肉体強度も要らない。必要なのはただ2つ。この体を成人相応のものへと引き上げることと、“変異した人間”とも子を為せること。確かに少々手間取ってしまったが……。この天才にピーターが愛という最強の燃料を与えてくれたのだ。成功するのは最初から決まっていた。
(……我ながら、本当に素晴らしい時間だった。)
勿論、人体実験はしていない。
確かにヒドラの伝手を使えばいくらでも“マウス”を用意することは可能だったが、こんなこと我が夫であるピーターが許すわけがないだろう。私は彼の愛を全身で受け止めたいだけであって、怒りを受けたいわけでは……。あぁ、少し待って? それもいいかもしれない。彼のすべては、私のモノだ。ならば愛以外の感情も……
(っと、脱線してしまった。)
まぁつまり、自分自身で試したのだ。
細胞の状態を調査し、臓器への影響、代謝や骨格、筋肉、内分泌系に至るまで徹底的に監視した。そしてその結果は、この体を見れば解ってくれるだろう。肉体だけを望んだ年齢へと変化させることが出来たのだ。
戸籍上も成人で、社会的にも成人。そしてそれに相応しい肉体も手に入れている。
これで、最初の問題は解決できたと言えるだろう。
そして何より、唯一の懸念事項であった『子宮周り』の問題も……。この検査キットのおかげで問題ないことが判明した。
私の研究成果であり、女としての一つの到達点。
自身が愛した存在の子を、身籠ることに成功した。
「……あ、ぁ♡」
もう一度、検査キットを覗き込む。
陽性。そこに表示された結果は変わらない。
まだこれを子と言うには少し早い。けれどこれを育んでいけば、愛の結晶をこの腹から産み落とすことが出来る。女としての私が愛する男との子の誕生を喝采し、研究者としての私が変異能力者と超人血清適合者とのハーフという新しい題材に歓喜している。
あぁ、勿論。どちらの私も、夫であるピーター。そしてこれから生まれてくるであろう子に対し、溺れ鎮めるほどの愛を送ると誓おう。
「ふふ、ふふふ♡」
あぁ、嬉しくて嬉しくて仕方がない。
感謝するよ、ピーター。
私が作った料理を食べてくれて。
一切の疑問を抱かず“ナノマシン”を摂取してくれて。
そして愛の時間、ただゆっくりと“休んで”くれて。
「私、とっても幸せ♡」
そっとお腹に手を添えながら呟く。
決して大きくはなかったが、この奥深くには我が子がいる。叶うならばもっと愛を彼に送りたいところだが……、そろそろ良い時間。
お目覚めの時間だよ、ピーター♡
「……ん。」
ベッドの上で、僅かに身じろぎする愛らしい夫。
……そろそろ、女としての私はより奥にしまう必要があるだろう。いずれピーターには受け入れてもらうが、それは未来の話。今は彼を不用意に警戒させ無い様、昨日見せた顔と同じものを張り付ける必要があるだろう。
そんなことを考えていると、より彼の意識が覚醒していく。
「んん?」
眠たそうに眉を寄せ、ゆっくりと目を開く彼。
これは口にすることは出来ないが……
昨日は楽しかったね、ピーター♡♡♡♡♡
「……あれ?」
「起きた?」
「…………え?」
視線を、こちらへ。そして自分自身に向ける彼。
状況を理解するまで。
互いに生まれたままの姿という、素晴らしいこの状況を、理解するまで。
ほんの、数秒。
「……。」
「……。」
沈黙。
もう一度、状況を確認するピーター。
そんなことしても何も変わらないのだが、夫に付き合うのも良い妻というモノだろう。それに、愛する男にこの新しい肉体を見られるというのも案外悪くない。気が済むまで好きなだけ眺めるといい。
「…………え? えええええっ!?!?!?」
一気に飛び起きるピーター。
「ちょ、ちょっと待って!? 何これ!? 僕、なんで!? え、待って!? 昨日の夜って……!?」
混乱。
完全な混乱だった。
まぁそうなるだろう。何せ君は寝ていただけなのだから。本音を言えば君の愛を受け取りたかったのは確かだが、今はこれでいい。互いの意識が溶けあうまで愛し合うのは、また次の機会とすることにしよう。
「レノラ!? えっ、ちょっと待って! 何がどうなって!?」
「おはようございます、ピーター♡」
「おはようじゃないよ!」
その声を聞きつけたのか。
廊下から、慌ただしい足音が近づいてくる。
……想定通り。
「ピーター!? どうしたの!?」
「メイおばさん!?」
扉が勢いよく開く。
そして……。
「」
メイ・パーカーが固まった。
なにせ、彼女の目の前の状況。ベッドの上のピーターに、その隣の私。互いに服は着ておらず、ベッドの上には湿った跡が残っている。そして何より……、解りやすい様に。彼女から見える場所に敢えて置いた、小さな検査キット。
「」
メイの視線が、それへ向く。
表示されている結果は、陽性。
それを理解するまで、数秒。
顔から血の気が引いていく。
「……ぁ。」
「おばさん!?」
倒れそうになる彼女を、ピーターが慌てて駆け寄ることで何とか支える。
素っ裸なせいで少々締まらないが、彼らしい素敵な家族愛の発露をこの眼で見ることが出来た。非常に眼福である。やはり彼はカッコよくて、何より可愛らしい。……下半身は、少々凶悪であったが、“女”の私が大層満足できたことだけは脳内メモに記しておくことにしよう。
「大丈夫!?」
「……ピーター。」
「な、何?」
「あなた……。」
メイは震える指で、検査キットを指差す。
「それ……、何?」
「え?」
その言葉によって、彼も理解できたのだろう。
視線がこちらに向けられ……。顔色が変化していく。
折角だ、トドメを刺してやるか。
「これですか? 妊娠検査キットです。」
「「」」
メイが膝から崩れ落ち、夫の顔が真っ白に。
……やり過ぎたか?
まぁ“既成事実”は作れたのだ。ゆっくり、そして確実に。後は彼を私のモノにしていけばいいだけだ。さ、ピーター。まずはおばさんに説明しようね♡♡♡
◇◆◇◆◇
「……つまり、僕は何を?」
「だからそれを今聞いているんでしょうが!」
「はい……。」
ピーター・パーカーは正座していた。
正確には正座させられていた。
目の前には何とか再起動し、腕を組みながら烈火のごとく怒るメイ・パーカー。その隣には妙に落ち着いた様子で椅子に座るレノラ・グリム。そして、未だ状況を理解しきれていない彼自身。
頭が痛い、身体も痛い、そして何より記憶がない。
そんな状況で彼は鬼のような形相の叔母さんを相手しなければいけなかった。しかも、もし彼の考えていることが事実であれば……、100%ピーターが悪いという問題で。
「ピーター。あなた、自分が何をしたのか解っているの?」
「……全然。」
「でしょうね!」
メイの怒声が響き、先ほどまで眠気でぼんやりしていた頭が一気に覚醒していく。
正直内容が内容なので、整理ではなく現実逃避したいピーターだったが、それで現状が変わる訳もない。1つ1つ昨日の記憶を思い出していく。
まず、パトロール。違和感はあったがスパイダーマンとして非常に珍しい日が始まり、何の仕事もせずに上がることが出来た。そしてその後は、実家に帰って楽しいパーティ。大事なおばさんと、新しい隣人であるレノラ。食事も美味しく、医療用ナノマシンを研究しているらしい彼女との会話は大いに弾んだ。お酒も沢山飲んでしまったが、目も当てられない様な失態はせずに済んだはずだ。
そして、自分の部屋。つい懐かしくなって入ってしまい、ベッドに横になった。うとうとして寝てしまい、起きたら……。何故か隣にレノラがいた。眠りに落ちた時は1人だったのに、彼女が。
そして……。服は着ていなかった。
2人とも、だ。
(よ、酔った勢いで……!?)
そして彼女の手には、妊娠検査薬。
この時点で、普通なら理解できるのだろう。確かに一瞬早すぎないかという思いが彼の思考に過ったが、そのプラスチック機器の隣にあった紙の箱を見るに、どうやら最新式。すぐに解るタイプの様だ。いくら科学オタクとも呼べるピーターでも、妊娠検査に関する知見は無い。『即日で解るモノなど、まだこの世界では一般公開されていない』という情報など、持っているはずがなかった。
なにせ超人社会なのだ、科学技術の発展は常に起きている。過去の常識が使い物にならなくなることは、オタクであるからこそ深く理解していた。まぁつまり……、確定である。
だが彼には理解など出来るはずがない。何せ全く覚えていないのだ。どれだけ記憶を掘り返しても、該当する記憶はない。というか初めて同世代だろう女性の身体を見てしまった。一度でも見たら忘れられそうにない、ソレを。
つまり本当にしたのなら、覚えていないはずがない。……だが、昨日は酒が入って記憶が朧気になっている可能性が高い。自分で自分を信用できない状況なのだ。
「僕、本当に……?」
「ええ。」
レノラが静かに頷く。
その顔には、昨日見たものと全く一緒な穏やかな笑み。
「私とピーターの間には、子供が出来ました。」
「」
言葉が出ない。
頭の中で何度も情報を整理する。
子供、自分とレノラ、昨夜。
これがもし愛し合っている2人であれば、おばさんも祝福してくれた事だろう。けれど彼らは昨日が初対面で“両者ともに”勢いで関係を持つような性格ではない。けれど視線の先には結果が転がっていて、いくら考えても記憶がない。
終わりである。
「……僕、レノラに何かした?」
「ピーター。」
メイが低い声を出す。
「あなた、自分がどれだけ酷いことをしたのか……」
「待ってください、メイさん。」
そこで、レノラが口を挟む。
メイとピーターの脳内で導き出された答えによれば、彼女は“被害者”だ。勿論酒の勢いという可能性もあったが、基本的に男の力に女が抵抗することは難しい。しかもピーター視点からすれば、彼は強い蜘蛛の力を持っている。もし相手が常人で無くとも、押し倒せるだけのパワーがあるのだ。つまり無理矢理に関係を迫ってしまったという可能性は、十二分に考えられた。
けれど、その声音は穏やか。
もしそんなことがあれば、怯えたり取り乱したりしそうなものなのに……、それが一切ない。
まるで“全てを最初から理解している”ような……。
「彼を責めないでください。悪いのは、私です。」
「……え?」
メイだけではない。
ピーターも思わずレノラを見る。
彼女は少しだけ視線を落とし、それから静かに口を開く。
「昨夜のことは、私が望んで行ったことです。」
「……レノラ?」
「ピーターが望んでいたわけではありません。少なくとも彼が自分からそうしたわけではないのは、私も解っています。」
その言葉を聞いた瞬間、メイの表情が変わった。
つまり彼女の言葉が正しいのであれば、襲ったのはピーターではなく彼女。少し後ろめたそうな顔をしていることから、酒の勢いであることは確か。そして同時に、ピーターを庇う様な意識は見て取れない。こうなると、色々と話が変わってくる。メイの顔から怒りが消え、困惑が浮かぶのも仕方ないことだろう。
「じゃあ、あなたが?」
「はい。」
「どうして……。」
「その……。一目惚れ、してしまって。」
頬を赤らめながら、少し躊躇いがちにそう言う彼女。
一目惚れし、恋に落ちてしまい、愛に狂って関係を持ってしまった。彼女が口にした言葉は、それを意味している。酒の勢いという要因こそあれど、メイの困惑がより深くなり、ピーターが思わず固まるのも致し方無いことだろう。
「私はピーターを愛しています。」
その言葉には、一切の迷いがなかった。
自分が何をしてしまったのか。それを理解した上で、それでもなお彼を愛している。そんな強い意思がレノラの瞳には宿っていた。関係を持ったからこそソレに繋がったというよりは、まるで最初から決まっていたような意志の強さ。
けれど……、その表情は決して狂気じみたものではない。
むしろ穏やか、まるで全てを受け入れているかのように。
「だから子供が出来たことも……、嬉しいです。」
そう言いながら、僅かに腹部へと視線を落とす彼女。
まだ何の変化もない、膨らんでいないお腹。けれど確かにレノラとピーターの子供がいる。少なくとも彼女自身は、そう信じて疑っていない。産まれてくるだろう小さな命を思い浮かべるように、彼女はほんの少しだけ笑みを浮かべた。
けれど。
「ですが。」
そこで、言葉が途切れる。
一度だけピーターを見るレノラ。その瞳に浮かんでいるのは先ほどまでの幸福ではなく、妙に静かな決意。
「私は彼に愛してもらえるとは思っていません。……こんなことを、したのですから。」
「……。」
「だから、この子は私1人で育てます。」
ピーターは何も言えなかった。
レノラの言っていることは理解できる。少なくとも彼女が何をしようとしているのかは解る。けれどそれを簡単に受け入れられるかと言われれば、話は別だ。
「……1人で育てるっていうのは、どういう意味?」
メイが改めて尋ねる。
その声音には先ほどまでの怒気はない。代わりにあるのは、困惑と心配。そしてレノラの言葉をどうにかして覆そうとするような強い意志。なにせ彼女も、女手1人で子供を育てたことのある女性だ。彼女の場合はピーターが高校に上がってからの話で、ベンが残してくれた一定の貯えがあった。しかしそれでも負担は多く、彼がスパイディとしての活動をしていたことも相まって、楽しくとも苦労が多かったことを理解している。
けれど眼前のレノラは、最初から1人でそれを熟そうとしている。メイでも想像しきれないソレを、1人で。もしかすると母子ともに壊れてしまうかもしれない選択なのだ。止めない訳が無かった。
「言葉通りです。私一人で、この子を育てます。」
「……どうして?」
「その方が後腐れ無いでしょう。お二人も、“無かったこと”として全て忘れることも出来るはず。悪いのは私ですから。……ただ、この命を産み落とすだけの許しを頂きたいのです。」
まるで研究結果でも説明するかのように、淡々と話す彼女。
「私は生活に困っていません。仕事もありますし、蓄えもあります。金銭的な問題は無いと言っていいでしょう。この子を育てるための環境は問題なく用意できるはず。精神の成熟に必要な父と母も、私が両方務めれば問題ありません。」
1つ1つ、迷いなく言葉を並べていく。
決して強がりには聞こえない。むしろ本当にそれが出来ると彼女は考えているのだろう、少なくとも2人が頷いてしまうほどの意思が、彼女の瞳には宿っていた。
「だから、ピーターに無理をしてもらう必要はありません。」
「……無理をする?」
口を、挟む。
「僕が?」
「はい。あなたにはあなたの生活があります。仕事もあるでしょうし、やりたいこともある。そこへ突然、私とこの子を背負わせる必要はありません。貴方は被害者なのですから、何も気にせず忘れて良いのです。私としても、貴方が苦しむことを強いたくはありません。それに……」
少しだけ微笑む、彼女。
「この子さえ許して頂ければ、私は幸せですから。」
その言葉に、口から出そうになった言葉が押し込まれてしまう。
確かにそうなのだろう。少なくとも、レノラ自身はそう言っている。彼女が望んで関係を迫り、彼がそれを眠っていたとはいえ拒否することが出来なかった。本来であればもっとゆっくり関係を結んでいくところを、全て一気に駆け抜けてしまった。その結果として、そこに新しい命がある。
もし彼がピーターでなければ、激怒してもおかしくない。無理矢理迫り子供を孕んでしまったのだ。非は彼女にあり、自身には無いと考える人もいるだろう。けれど……。
彼が、ピーター・パーカーが受け入れられるかどうかは、話が別だ。
「……それでも、僕にも関係があるよ。」
「ピーター。」
「だって……、僕の子でもあるんだろう?」
レノラが僅かに目を見開く。
一瞬、先ほどまでの穏やかな彼女に見合わない“狂気的なナニカ”がまろび出たかのように見えたが、瞬きの間に消えてなくなった故、見間違いだと思うピーター。ともかく、彼と彼女が関係を持ち、そこに結果が伴うのであれば……。自身にもその責任があると感じるのが、彼だった。
「だったら、僕だけ関係ないみたいにするのは違うと思う。……僕が父親なら、父親として出来ることはするよ。」
自分でも、何を言っているのか完全には解っていない。
昨夜のことは覚えていない以上、レノラの言葉が何処まで真実なのかは闇の中だ。彼女を傷つけたのかもしれないし、彼女の言葉通りなのかもしれない。少なくとも自身が何かしたのか解らない以上、少なくとも可能性があるのなら……。責任は持つべきだろう。勿論感情も、事実すらもまだ整理出来ていない。
それでも。
お腹の中にいる子供のことまで、なかったことには出来なかった。
「お金だって必要なら出す。仕事があるなら、その合間に会いに行く。生まれたら一緒に遊ぶし、学校だって……」
そこまで言って、ピーターは言葉を止めた。
まだ何も決まっていない。子供が生まれるまでの時間も、自分がこれからどうするのかも。ましてや、レノラとの関係だって定まっていない。彼には“もう1つの生活”もあるのだ。過去に恋仲だったMJとの関係がソレによって破綻した経験からも、今自分が吐き出してしまった言葉に責任を持ち切れるか解らない。守るという意思はあるが、その時になって彼が出来るかどうかは……、誰にも解らないのだから。
けれど、言えることだけはあった。
「少なくとも……、逃げるつもりはないよ。」
「……そうですか。」
レノラが、静かに笑う。
その笑顔はただ純粋に嬉しそうで……。けれどピーターには、そこに何が隠されているのかまでは、見抜くことが出来なかった。そして彼女も、女としての自身が出る前に淡々と言葉を紡いでいく。
「では、訂正しましょう。」
「訂正?」
「はい。」
少しだけ姿勢を正す彼女。
そしてまるで何か大切な提案をするように、口を開く。
「この子を私一人で育てるのではなく。私たち二人で、この子について考えていく。……ただし。」
そこで、彼女は言葉を区切る。
「私たち自身の関係については、別問題です。……私はピーターを愛しています。」
改めて告げられた言葉に、ピーターの肩が僅かに跳ねた。
まだ慣れない。というより、慣れられるはずがない。昨日までほとんど知らなかった女性から、いきなり愛していると言われているのだ。しかも今は、自分との間に子供まで出来ている。表情だけは何とか冷静を保っているが、既に精神は一杯一杯だ。けれどまぁ、その言葉の続きを聞かないワケにはいかないワケで。
「ですが、ピーターが私を愛しているとは限りません。むしろ初対面といっても良いでしょう、何も知らぬ相手にただ愛せとは流石に言えません。互いの感情、意識を無視して、子供が出来たから夫婦になりましょうというのは……、良くないかと。」
「……意外ね。」
メイが呟く。
「そうですか?」
「もっと強引に来ると思っていたわ。」
「強引に? それでは、ピーターが私を好きになったことにはならないでしょう? 拒絶されても仕方のないことを自身はしましたが、嫌われたいわけでは無いのです。お二人の優しさに付け込む形にはなりますが……。ピーターに私を好きになって欲しいという意思は、あります。」
その言葉だけは、妙に真っ直ぐだった。
「私が一方的に愛しているだけでは、恋とは呼べませんから。」
ピーターはレノラを見る。
メイおばさんの言葉によって少しだけ冷静さを取り戻した彼は、確かに違和感を感じ始めていた。
昨夜のことが彼女の言葉通りであれば、もっと自分に都合の良い話を持ち込んでも良いはずだ。彼女が一目惚れしたピーターは、子供という想定外のことで明らかに冷静さを失っていた。
彼女がもし何らかの悪意を持って彼を貶めようとしているのであれば、もしくは抑えきれない程の大きな愛を持っているのであれば、ここで結婚を迫って来てもおかしくなかったはずだ。
だからこそ、一歩離れた位置で話を見守っていたメイが口を出したのだろう。その言葉に裏の意味は無いか、大事な甥を貶めようとしていないのか。そう言う意味合いも兼ねて、カマを掛けた。けれど……、彼女は異様と言い表せそうな程の冷静さを保っている。
少なくとも今この瞬間。彼女はこちらの意思を無視する姿勢を見せていないのは、確かだった。
「……じゃあ、どうしたいの?」
「まずは友達になりましょう、ピーター。」
「友達?」
「はい。」
頷く彼女。
「私とピーターは、お互いのことをほとんど知りません。ならば、まずは知るところから始めるべきです。一緒に食事をしたり、話をしたり。互いの好きなものや嫌いなものを知っていく。そうして一緒にいる時間を増やして、それでも私のことを好きになれそうなら……。その時に、恋人になればいい。勿論、貴方が受け入れてくれれば、の話ですが。」
1つ1つ、指折り数えるように続ける彼女。非常に、真っ当な提案。
「……それで、いいの?」
「構いません。」
即答だった。
「私の信用が地に落ちていることは理解しています。その挽回の機会を頂けるのであれば、昨夜のような過ちは決していたしません。……私から彼に接触することは決してないと、誓わせて頂きます。」
そう口にする、レノラ。
「だから、ピーターが嫌だと思ったことはしません。ピーターが望むことは、出来る限り尊重します。」
「……本当に?」
「はい。」
少しだけ間を置いて、彼女は頷く。
ピーターは、その言葉を聞いて黙った。それがどういう意味なのかを深く考える。
そして……。
少なくとも、今すぐ答えを出す必要はない。
昨日のことも、これからのことも、まだ何一つ整理出来ていない。彼に非があるのか、彼女に非があるのかは誰も解らないのだ。少なくとも証言者が1人しかいない時点で、善良なピーターが結論を出すのは難しかった。そして目の前の女性が、自分に何かを強制することは無いと言っている。
それに……。昨夜の事が起こる前のパーティ。彼はレノラとの会話を非常に楽しんでいた。2つの仕事のせいで碌に満たせていなかった知的好奇心を擽られるような、様々なテクノロジーの会話。互いに打てば響くような言葉の応酬にメイおばさんが思わず距離を置くほどには、白熱したのだ。“こういう友人がいればいいな”という彼の抑え込んだ欲望が、そのまま目の前に現れたかのような状況。
色々と関係が複雑なのはピーターも理解していたが……。この交友関係が続くのは、悪くないと思ってしまっている。そして、自分自身が逃げるべきではないと考えているのであれば。
まずは1歩ずつ進むしかない。
「じゃあ。友達から……、でいい?」
「勿論です。よろしくお願いします、ピーター。」
「こちらこそ。よろしく、レノラ。」
差し出された手を見て、少しだけ迷ったピーターだったが……。すぐに、その手を取る。
それは恋人の握手ではない。夫婦の握手でもない。ましてや、家族としての握手でもなかった。
ただの友人として。
これから互いを知っていくための、最初の1歩。
「……そうね。」
その様子を見ていたメイが、小さく息を吐く。
「まずは、それでいいんじゃないかしら。もうピーターも、大人なんですもの。私は貴方たちの選択を尊重するわ。……ただし!」
メイが人差し指を立てる。
「2人とも、これからちゃんと話し合うこと。子供のことも、これからの生活のことも。そして何かあれば、逐一私に相談すること。」
「はい、解っています。」
その言葉に、強く頷くレノラ。まるで見逃してもらったことを感謝し、これ以上迷惑はかけないかのような、強い頷き。……それを見て、ひとまずの信頼をすることが出来たのだろう。すぐに彼の方に向き直るメイおばさん。
「ピーターもよ?」
「うん。」
「本当かしら? そう言っていつも相談しないのが貴方じゃないの? いったい幾つ隠し事してるのやら。」
「……善処します。」
「善処じゃなくて、約束。」
「はい……。」
ピーターが苦笑する。
ほんの少しだけ、空気が和らいだ。
何も解決したわけではない。昨夜のことも、これから生まれてくる子供のことも、レノラとの関係も。全部、これから考えていかなければならない。
けれど。少なくとも、全部“無かった”ことになるという選択だけは消すことが出来た。誰かが苦しむかもしれない、そんな可能性を減らすことが出来たのだ。
ピーター・パーカーにとっては、それだけでも十分だった。
そしてレノラにとっても……
「ふふ。」
口元を隠しながら、小さく笑う。
今は、これでいい。
焦る必要などもうない、“既成事実”が作れた以上、彼の心に深く自身を刻み込めたのは間違いない。友人から始めるが、それで終わるわけがない。友人になって、互いを知って、その先に恋人。そしてそのさらに先も。
あとはじっくりゆっくりと、私のモノにしていけばいい。
そんなことを考えながら、話を切り上げ朝食の準備に移ろうとする2人。そしてピーターに、視線を送る。
「……楽しみだね、ピーター♡♡♡♡♡」
貴方が蜘蛛であるならば、その妻である私も蜘蛛なのだ。
1度捕らえた獲物を離さないのは、貴方が1番解っているでしょう?