スパイディのことが大大大好きなマッドサイエンティスト幼女 作:恋はしめさば
「ふふふ♡」
自室にて、つい声が漏れてしまう。けどこれも、仕方のないことだろう。
何せ……、ピーターと友人になれたのだ。
その事実を思い返すだけで、自然と頬が緩んでしまう。
昨日までの私は、ピーター・パーカーという男を遠くから観察しているだけだった。彼の正体を知り、その行動を調べ、どうすれば彼の隣に立てるのかを考えていた。この胸に抱える愛の大きさは誰にも負けない自信があるというか、純然たる事実だったのだが……。言わば単なるストーカーだ。褒められることでは無かっただろう。
けれど、今は違う。
互いに互いを認知し合い、私も彼も本当の名前を知っている。そう、友人関係を構築できたのだ。
(これほど素晴らしいことは無い!!!)
まぁ彼は私の本性を知らないし、既に『彼の正体を知っている』ことも知らないが……。まぁ私は出来る妻なのだ。今はまだ単なる友人だとしても、夫の可愛らしい秘密をそっとしておいてやるだけの慈悲はある。今はただ、この関係を楽しむことにしよう。
「あぁ無論、最終的な目標は変わらないよ? ピーター。」
彼の一番の女になる。
友人の先にある妻という立場を手に入れる。
ナノマシンを経口摂取させることでゆっくりと休息を取って貰い、その間に事を起こしたとしても、その根本は一切変化していない。けれどまぁ……、そのおかげで、必要以上に焦る必要は無くなったわけだ。
何せ交友関係と既成事実がつくれた以上、これから関係を絶えず深めていけば、恋人。そして結婚へと至ることは確定したようなもの。ピーターの性格を考えれば、一度関係を持った相手を安易に振ることはまずありえない。ましてや、その相手との間に子供まで出来てしまったのだ。“この胎の奥”にいる命を考えれば、彼は逃げることなど出来るはずがない。
時間をかければかけるほど、彼は私から離れにくくなっていく。
まるで私の張った巣に蜘蛛である彼自身が引っかかり、少しずつ身動きが取れなくなっていくように。
(ふふふ。楽しいね、スパイディ♡)
まぁ本音を言えば、この国に古くから伝わる『ショットガンマリッジ』に則り、速攻で結婚式を挙げたいところだったが……。
そこは我慢してやらねばなるまい。
よくよく考えてみればわかることだが、ピーターの性格はナード。あまり強い気の持ち主ではない。まぁそこが非常に愛らしく、そんな彼がスパイダーマンという危険な活動を続けていることを考えるだけで全身が悶えそうになって来るのだが……。
イケイケな感じでは無いのだ。性急にことを進めれば恐怖を覚えてしまい、距離を取られてもおかしくはない。研究者としての私を全面に出すことで、冷静に事を運ぶ。それがあの時の最適解だった。
(愛している相手だからこそ、その辺りは慎重に進める必要がある、というわけだね。)
私は、彼を手に入れたい。
けれど私が欲しいのは、ただの人形ではない。私の意思通りに動くだけのピーター・パーカーなど、私が愛したピーター・パーカーとは別物だ。私は彼の全て、肉体も精神も意志も戸籍も何もかも。彼を構成する全てを自身のモノにしたいのだ。その過程で夫が歪んだり、壊れてしまうのはごめん被る。
ならばこそ、線引きはしっかりとせねばなるまい。
「だから今は……、友人の時間を楽しもうか、」
そもそもの話。
一番の女になり、そして妻になるのならば、一番の友人にもなっておくべきだろう?
「っと、次の計画を立てなければ。」
思考を切り替えながら、意識を他のこと。今いるラボ内のデスクに向けていく。
現在私はナノテクノロジー、自身の専門とも呼べるそれを用いて新たなスーツの作製を行っている。勿論、我が夫であるピーター。つまりスパイダーマンのためのモノだ。なにせ現在、彼が用いているスーツは単なる布製の柔らかなもの。確かに素材を工夫し、ある程度の防御力を持たせているようだが……。
「非常に頼りない。“親しみやすさ”を演出するためのモノ。また費用を考えての素材選出であることは解るのだが……。」
あれでは銃弾どころか、強力な打撃を受けただけでも大怪我をしかねない。
実際、彼は何度も傷を負っている。過去の記録を見れば彼が病院に運ばれたことは両手で数えるほどあるし、以前のダメージが回復しきらないまま次の戦闘に巻き込まれてしまうモノなど、数えきれないほどだ。彼の『親愛なる友人』としての在り方を考えれば、それでいいのかもしれないが……。
「当然、私は気にする。」
愛する男がボロボロになって我が元に帰って来るのを見て、喜ぶ女がどこにいる?
そもそもピーターは私のモノだ。もし彼を傷つけるとすれば私だけが許されている行為に他ならない。それ以外の雑多なヴィランどもに譲る気など毛頭ない。夫の不殺主義を理解しているからこそ手を出さないが、もしこれが無ければ現在まだ生存しているヴィラン達を皆殺しにしていたレベルだ。それほどまでに、気に食わない。
……まぁ、これは一旦置いておこう。
ともかく、現在私は彼を守る鎧を作っている。
「言わば私から“スパイダーマン”への最初の贈り物。このお腹に“植え付けてくれた”ことに対するお礼なわけだ。気合を入れないはずはないだろう?」
勿論、ただの防具ではない。
ナノマシンによる自己修復に、衝撃の分散、防弾、各属性への耐性。スパイダーセンスを無効化された時に使うセンサー類や、通信および傍受機能。そして、彼の身体能力を阻害しない柔軟性。
必要な機能を挙げていけば、キリがない。
彼の戦い方を考えれば、かの『アイアンマン』のように単純に装甲を厚くすればいいという話ではない。重要なのは、彼の動きを邪魔しないこと。蜘蛛のように壁を這い、糸を使って空を飛び回る。そんな彼の動きを最大限に活かしながら、万が一の時には彼の命を守る。
それが理想だ。
「……まぁ。それは“終着点”だが。」
現状、『ピーターの友人である私』は『ピーター=スパイダーマン』であることを知らない。
いずれ適切なタイミングで“気が付いたように”見せる予定ではあるが、今はまだお互いの正体を知らない設定となっている。つまり先ほど挙げたスーツは今すぐ製作する必要が無い、というわけだ。
(ま、“研究者”の自身としてはそっちの方が良いんだけど。)
何せ現状の設計では、この終着点となるスーツは彼の身体に密着するタイプとなる。
故に実際に身につけてもらい、適宜フィードバックを受けながら研究開発を進めて行く必要があるわけだ。既にスーツに必要な基礎技術の研究や、“ヴィブラニウム”を始めとした特異な金属もヒドラの伝手を使って収集済みだが、今作ったスーツが彼にとって最適になるかは未知数。
彼の意見をしっかりと取り込みながら、改善を行っていく。
スーツではあるが、これは私と夫による愛の結晶にして、最愛の男に手渡す贈り物。不完全なものを渡すなど出来るわけがないので、これに関してはそこまで急ぐ必要はない、というわけだ。
「まぁつまり、今用意すべきはその雛形。」
現在開発中、もといもうすぐロールアウトする予定のコレ。
友人の私から友人の彼に初めて手渡すプレゼントは、スーツではなくガジェットにしておいた。今後の事も考え“表の自身”が開発しているモノであり、汎用性を意識した設計にしている。
「名を、『浮遊板』その名の通り空に浮く板だ。……正確には、盾かな?」
リュックのように背負うタイプで、厚さの無い装置。
自動的に展開され、3枚のナノマシンによって構成された盾が展開されるものとなっている。ほとんど独自開発なのだが……。実際の研究開発、及び製造が行われるのはこの自室ではなく、ヒドラの息がかかった系列企業。自身の公的な職場であるで行われている。
「以前の私であれば、“行き過ぎた知識”ゆえにヒドラに手渡すことは無かっただろうが……。少々催促されてしまってね?」
私にとってこの世界が、『天才である自身の生活を彩る』ためのものだった。
つまり今の状況がそのまま続いて行くのが良いわけで、ヒドラのようにそれを破壊しようとする奴らに対しては必要以上の知識を与えることを避け続けて来た。けれどまぁ、少々こちらの要求を押し付けすぎたというか。ヴィブラニウムなどの提供があちらのラインを超えていたようで……。装備開発を命じられてしまったのだ。
公的には新たな防犯用装置、という名目だが、明らかにヒドラ構成員が持つためのもの。まぁ最初からスパイディ専用に作っているので、悪用される可能性は0なのだが……。
「少し、気に食わない。」
ヒドラ。
過去のナチス・ドイツを母体とした巨大犯罪組織であり、現在も活動中なキャプテンアメリカなどが所属するアベンジャーズと因縁深い組織。そして勿論、我が夫であるスパイダーマンとも何度か衝突したこともあるヴィラン集団だ。
元々孤児だった私は、奴らに保護を求めた。
既に超人血清によってピーターに相応しい女になっているが、生れ落ちてからの経過時間を考えれば、ただの幼女。業腹ではあったが、何かしらの大きな組織からの支援を受け入れなければ、その後の活動に問題が生じていたのは事実。この選択を悔いることは無いが……。
「邪魔だな。」
確かに彼らは資金や現在の地位、そして研究設備などを齎してくれた。
籍を置き一定の知識を与えることの対価ではあるが、そこに一定の恩義があったことは認めざるを得ないだろう。私が自他ともに認める“天才”であるのは、彼らの支援あってこそ。研究者にとってフラットな視点は必須事項なのだ。そこだけは認めてやってもいい。
けれど……、そもそも私はヒドラへの忠誠心など欠片も持っていない。
関係を維持するために従順な振りをすることもあったが、昔の私は自身の頭脳にのみ。今の私は愛する夫にのみ感情を向けている。夫と敵対した組織に頭を下げることなど決してない。ピーターの敵は、私の敵でもあるのだ。早急に“処分”してしまうべきだろう。
「だが、使えはする。」
まだヒドラの者たちが気が付いていないようだが、彼らのデータベースからこの『レノラ・グリム』という存在は消えてなくなっている。
流石に表向きの企業、そこの名簿から自身の名前は消していないが……。ヒドラ構成員だった自身の存在、経歴、提供した技術。そのすべてを既に削除済みだ。いずれ発覚するだろうが、既にシールドあたりからのスパイと思われる人物に“タレコミ”を行っている。あと数日のうちにアベンジャーズの誰かが乗り込み、奴らの現在の本部は火の海になることだろう。
あとは私の名前があった場所に書き込まれた『全くの別人』が、死亡したことにしておけばいい。
「それに……、私の顔を知っている者には全てナノドローンを張り付けてある。夫の主義に反する行いをするのは大変心苦しいが“長期休暇”ぐらいであれば、許してくれることだろう。」
まぁその休暇を取ったものは一生目を覚まさないだろうが……、“命”は取らないのだ。我が夫には深い感謝を送るといい。
……しかしこの策には1つ問題が存在する。
それすなわち、ヒドラ本部襲撃により発覚するであろう『ヒドラと“ロクソン・エネルギー社”の関係』。もとい私の表向きの勤め先である、“ロクソン・テクノロジー”との関係である。さっき私がヒドラ用の装備として『浮遊板』を作っている、と言ったところだね。
「ここの関係を消去してしまえば、私は無職になってしまう。一応、起業に向けて準備は進めているのだが……。“前職”の事は残しておきたい。」
私が技術主任として在籍するのが、ロクソン・テクノロジー。
ロクソン・エネルギー社の子会社にして、その大本であるヒドラの技術開発を行っている企業だ。元々は別系列の企業だったようだが、ヒドラが内部に入り込み完全に乗っ取ってしまった場所になっている。そこで私はナノテクノロジーの研究をしている、ということになっており、ピーターにもその叔母のメイにも『そこに勤めている』と伝えてしまっている。
既に準備は進めているので、別にこの経歴が自身。そしてピーターとの関係に悪影響を及ぼすことは無いのだが……。
「ふふふ♡ せっかくだ、利用してやろう。」
ここは一つ、彼には“勇者様”になってもらおうとしよう。
囚われの姫はここにいますよ~、という奴だ。
……楽しみだね、ピーター♡♡♡
◇◆◇◆◇
今日はスパイダーマンは少しだけお休み、ピーター・パーカーとしての活動だ。
(……いや、活動というよりもお仕事か。)
僕の仕事は、デイリー・ビューグルのカメラマン。けれどまぁケチなJJJのおかげで、カメラ以外の仕事も任されることがある。記者だったり、雑用係だったり、清掃員だったり。まぁこの仕事は『スパイダーマン』としての活動にも繋がるのだ。上司への愚痴は置いておくことにしよう。
何にせよ、今日はその仕事。
最近知り合ったレノラという友人の紹介で、とある場所へと向かっている。
(ロクソン・テクノロジー。)
世界でも有数の大企業『ロクソン・エネルギー社』の子会社であり、様々な分野の技術開発を行っている場所だ。細かなことはよく知らないのだが、子会社といってもその内実は『研究所』であり、最先端技術の実用に向けて動いているらしい。
つまり、極秘情報の宝庫。
僕みたいな一介のカメラマンが、そう簡単に中へ入れるような場所じゃない。
けれど今日はレノラの紹介という形で、特別に見学させてもらえることになったのだ。
(本当に、彼女には驚かされる。)
ナノテクノロジーの研究者。しかもそんな企業で技術主任をしている。
それだけでも十分に凄いことで、僕なんかとは住んでいる世界が違う。
確かに僕も大学で核融合炉の研究を手伝ったりしたけど、色々あってポシャってしまった。その後は御存じの通りスパイディの活動もあって就活に失敗。カメラマンの道に進むことになっている。……まぁつまり、単なる“科学好き”に過ぎないのだ。
それなのに、彼女は僕のことを友人だと言ってくれた。
(……これだけなら、“ありがたい”で済んでいた。)
問題は、その先。
レノラは子供を身ごもっている。
そう、“僕の子”だ。
この言葉を頭の中で繰り返すたびに、胸の奥が重くなる。
(どうしたらいいんだろう。)
あの夜、自分が何をしたのか。僕には未だはっきりとした記憶がない。
だからこそ、余計に怖い。
レノラは僕を責めなかった。むしろ自分が悪いのだと言っていた。理路整然とそれを言葉にする彼女に、違和感を覚えるほど落ち着いていた。だが“何もなかった”というのは無い筈だ。目を背けそうになってしまったが、自室のベッドには“跡”があった。だからこそあの夜に何かが起きたのは確定。
問題は“どちらが”って話なんだけど……。結局闇の中である。
(けれど、だからといって僕が何もしなくていい理由にはならない。)
レノラが身籠った子供、僕と彼女の間に生まれた命だ。
確かに彼女は自分1人で育てると言っていたが、それで僕の責任まで消えてなくなるわけじゃない。少なくとも僕はそう思っているし、話を聞いていたメイおばさんも頷いていた。おじさんが教えてくれた『大いなる責任』とはまた違った話だけど……。人として大事な『責任』だからこそ、僕は向き合う義務がある。
(養育費が、必要になる。)
これから子供が生まれたら、もっとお金がかかるだろう。
僕1人の生活と、スパイダーマンとしての生活。そこに新しい命が加わるのだ。まだどれだけ掛かるか全く想像できていないけれど、僕の今の収入で十分に支えられるのか。
正直に言えば、自信なんてない。
デイリー・ビューグルの給料だけでは、決して余裕のある生活とは言えない。スパイダーマンとして活動しているせいで仕事を休むことだってあるし、怪我をすれば当然働けなくなる。
今までは、それでも何とかやってきた。
自分一人なら、それでよかった。
(……でも。)
これからは違う。
僕には、守らなければならないかもしれない人がいる。
レノラとは、まだ友人だ。
彼女も僕を愛しているとは言ってくれたけれど、僕が彼女を同じように愛しているわけじゃない。それでも、生まれてくる子供に罪はない。その子が僕の子供である以上、僕には責任がある。
(だから、もっと稼がないと。)
そんなことを考えているうちに、今回の目的地が見えてきた。
巨大な建物、その正面には見慣れた『ロクソン』のロゴに少し手が加えられたものが掲げられている。少し前に調べたロクソン本社の画像に比べればかなり大人しい外装だが、見上げる程に大きく、そして整っている。少なくとも一介のカメラマンでしかない僕には一生関われなかったような場所だろう。
少しだけ緊張しながら正面玄関へ向かっていると、既に待っていたレノラの姿が。
「ピーター!」
僕の姿を見つけるなり、彼女が嬉しそうに手を振る。
その笑顔は、以前とは少し違って見えた。
……いや。
違って見える原因は、きっと僕の方。あの時はまだ、僕は彼女の事を何も知れなかった。けれど今は、ほんの少し。連絡先を交換したことで、少しずつ彼女の事を知り始めている。そして何より、今はそのお腹の中に僕の子供がいる。
そう考えてしまうだけで、どうしても意識してしまう。
「ま、待たせた?」
「いえ、全く。今出て来たところですから。」
「そっか。あ、あの。お腹は……。」
「……ふふ♡ 大丈夫ですとも。何かあればすぐに伝えると言ったでしょう? さ、では行きましょうかピーター。見せられないモノもありますが、ご満足いただけると思いますよ?」
僕の言葉を小さく笑いながら、そう続けるレノラ。
淡々と言葉を述べるせいか冷たい印象を与える彼女だが……、偶に見せる柔らかな笑みに少しだけ肩の力が抜ける。彼女は、あの時もそうだった。僕がどうするのかを急かさず、友人から始めようと言ってくれた。
……だったら僕も、まずは普通に接するべきなんだろう。
そして今日は友人としてより、記者として。
「よろしく、レノラ。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。ピーター。」
そうしてレノラに案内され、ロクソン・テクノロジーへと足を踏み入れた。
中へ入ってからは、まるで別世界。
見たこともない機械に、巨大なモニター。何に使うのかうっすらとしか分からない装置。自分だけではカタログ片手に夢見るしかないモノが大量に並べてあって、研究員たちが行き交い何やら難しそうな話をしている。本音を言えば彼らに混ざって話を聞いたり、目に見える機器全てに触れてみたいが……。今日はレノラの好意に甘える形で、取材させて貰っているのだ。
カメラを構えながら、言われた場所だけを撮影していく。
「これ?」
「新型のエネルギー変換装置です。ご存じの通り、ロクソンは大戦期に石油をもって今の地位を築きました。最近は再生可能エネルギーにも手を出していますが……。発電時に生じるロスを出来るだけ0に近づけることで、省エネを目指しているわけです。ほら、燃やす必要が減ればその分エコでしょう?」
「へぇ……。」
僕も科学オタクだ、ある程度の話は分かるが……。専門分野に入って来ると、流石に半分くらいしか解らなくなってくる。
でも、記事にするには十分だろう。
伝えられる情報には限りがあるし、何よりデイリービューグルは専門誌じゃない。解りやすく伝える言葉と、写真さえ撮れれば何とかなる。本音を言えばもっと詳しく解説したい時もあるが……、文字数制限だってあるのだ。全部が全部好き勝手に出来るわけじゃない、ってわけだね。
まぁ何にせよ、普段なら絶対に入れない場所を撮影できるのだ。カメラマンとしてはありがたすぎる話だ。
「……どうです? 記者のお仕事は。」
「うん、上手く纏まりそう。……正確にはカメラマンだけどね?」
「ふふ、何処も大変なようで。ともかく、貴方の役に立てて良かったです。」
確かにデイリー・ビューグルはスパイダーマンの批判記事が多い。
でも、それだけじゃない。
事件の記事もあるし、街で起きた出来事を取り上げることだってある。技術面だってあるわけだし、最近はWEB版の掲載だって始めた。こういう企業の取材記事を書ければ、もしかしたら仕事として評価されるかもしれない。
そうなれば給料だって上がる……、かも。
(ともかく、上手く行けばいいんだけど。)
今日の取材は、彼女のおかげで成立した得難い機会だ。
彼女のためにも“今後”の為にも、絶対に無駄にはしたくはない。そう強く思いながら、後も施設内をいくつか案内してもらう。どうやら話せないことも多いみたいだったが、様々な研究について説明を受ける事が出来た。記事に出来るか怪しい話もあったけど、1人の科学オタクとしては非常に有意義な時間だったと言える。
そして、ある研究室の前を通りかかった時。
「こちらはナノテクノロジー関連の研究区画です。」
「ナノテクノロジー……」
思わず、レノラを見る。
彼女の専門分野だ。
「レノラの?」
「ええ、私が最も得意としている分野です。先程研究区画と言いましたが、その実態はほぼ私専用のラボとなっています。内容が内容ですから、取材に応じることはできませんが……。友人、そして“未来の夫”に見せるくらいなら上も許してくれるでしょう。さ、入って?」
「え、ちょ!?」
そう言いながら僕のカメラの蓋を閉めると、手を引いて中に引き込まれてしまう。
最初はその発言と行動に驚いてしまったが……。すぐに周囲。彼女専用のラボ設備達に目を奪われてしまう。先程見せてもらった研究施設も凄かったが、ここはそれ以上だ。そんなことを考えていると、少しだけ雰囲気が変わった彼女の声が。専門家としての言葉が、鼓膜を振るわせてくれる。
「ナノマシンというのは、単純に小さな機械というわけではありません。重要なのは、その一つ一つがどのような機能を持ち、それらをどのように連携させるかです。」
「へぇ。」
「例えば医療分野であれば……」
説明そのものは難しい。
でも不思議と、聞いていて飽きなかった。普段のレノラは落ち着いていて、どこか大人びた印象がある。けれど自分の専門分野について話している時だけは、少しだけ楽しそうに見える。まだまだ知らないことばかりの彼女だけど、その気質は研究者なのだろう。
こういうところが、彼女の魅力なのかもしれない。
今は友人として、もっと彼女のことを知っていくべきだ。そんなことを考えていた時……
「レノラ主任!」
先程のドアが勢いよく開かれ、研究員の声が飛んできた。
「お取り込み中すみません。少し確認していただきたいものが!」
「……分かりました、すぐに。」
レノラはそう答えると、僕の方へ振り返った。
「申し訳ありません、ピーター。少しだけ席を外します。」
「うん。僕なら大丈夫だよ。」
「では、こちらを。」
そう言いながら、彼女はいくつかの論文の束を僕へと渡してきた。結構な量だけど……
「これは?」
「ナノテクノロジー関連の論文です。専門的な内容ですから、無理に読む必要はありません。ただ私が書いたモノも幾つか含まれていますので暇つぶしにはなるかと思います。どれだけ時間がかかるか解りませんのでこれで待っていて頂ければ、と。それと……」
そこで、少しだけ声を落とす彼女。そして僕にしか聞こえないように短く告げる。
「赤線を見て」
「……赤線?」
「では、また後ほど。」
それだけ言って、レノラは研究員の方へと歩いていった。
思わず、手元の論文を見る。確かにいくつかの文章に赤い線が引かれていて、それ以外の色の線も引かれている。どうやら分野や理論ごとに色分けされている様なのだが……。
少しだけ、違和感を覚える。
(……なんだ?)
彼女の最後の言い方も気になった。
周囲を一度見渡し、誰もいないこと。そして監視カメラなどが無いことを確認した後。何となく気になって、赤線の引かれた文章を一つずつ確認していく。……内容そのものには、特に不自然なところはない。
ナノマシンの構造、材料、制御方式、実験結果。
どれも普通の論文に見える。
だが赤線が引かれている部分の頭文字を順番に拾っていくと……。
背筋が、冷たくなる。
『HYDRA』ヒドラ
『HELP』助けて
『PUBLICIZE』公表して
僕は、そこで手を止めた。
英語の短い文章。ほんの3語だけなのに、心臓が嫌なほど大きな音を立てている気がする。
ヒドラ。その名前を、僕は知っている。犯罪組織でアベンジャーズとも何度も衝突してきた危険な組織だ。そしてレノラが働いている、このロクソン・テクノロジー。この単語から推測できる内容が正しければ……。
僕はもう一度、手元の論文を見る。
ただの偶然かもしれない。レノラが何かの遊びでこんな暗号を仕込んだ可能性だって、ゼロではない。でも……、あの時の彼女の顔を思い出す。あれは、どう考えても僕に何かを伝えようとしていた。
(それなら。)
調べるしかない。
僕は論文を閉じ、何事もなかったように首にかけていたカメラを鞄の中にしまい込んだ。表情も、出来るだけ普段通りにする。今はピーター・パーカー。デイリー・ビューグルのカメラマンで、レノラの好意に甘えて取材に来た普通の人間。
それ以上でも、それ以下でもない。
(……だからこそ、ここで下手に動くわけにはいかない。)
この企業とヒドラに、一体どんな繋がりがあるのか。
そしてレノラは何を知っているのか。
それを確かめる必要がある。
(スパイダーマンとして。)