TALES OF PRAYER【TOA×TOP×TOS】   作:nitamago

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過ぎる日々

 ――数日の後。

 

 ろくに歩けない青年を村まで連れ帰るという難題を終えた時、クラースは疲れ切っていた。肩を貸したルークは幾度も転び、つられてクラースも度々転んだ。その為、自宅である研究所へ辿り着く頃には二人とも泥だらけの草塗れで擦り傷と打撲があちこちに出来ていた。それでも幸いだったのは、歩き続けるうちにルークの転ぶ回数が減っていったことだ。それはちょうど、赤子が歩くことを覚える過程に良く似ていたのだが、子育ての経験が無いクラースには分からなかった。

 

「……ミラルド。すまないが、風呂に湯を。それと簡単な傷の手当てがしたい」

「……分かったわ」

 

 突然出掛けたと思ったら見知らぬ青年ともどもボロボロの状態で戻ってきた幼馴染にミラルドは目を丸くしたが、深く尋ねることなく濡れたタオルを数枚と救急箱を持ってきてクラースへ手渡し、風呂の準備へ向かった。

 

「まったく……」

 

 温かく濡れたタオルで顔を拭うと、クラースは大きく息を吐いた。まさかこんな大仕事になるとは思っていなかった。行きと帰りで倍以上も日にちが違う。

 

「ほら、お前も顔くらい拭け」

 

 そう言ったところで、ルークは手渡されたタオルを不思議そうに広げるだけだ。分かっていたことだが。今の彼は赤子も同然で、言葉すら通じない。それは野宿の最中にルークが粗相をしそうになった時に嫌というほど思い知った。

 

「記憶が無い、か。困ったものだな……」

 

 慣れない手つきでクラースはルークの顔や手足を拭いてやり、擦過傷の手当てをする。ルークは手にしたタオルをぶんぶんと振り回しながら室内をぐるりと見回す。壁一面を埋め尽くす、本、本、本。それが何かは分かっていないだろう青年は、それでも興味を惹かれたようで未だ覚束ない足取りで書棚に向かって歩き出そうとする。

 

「こら。手当がまだ終わってないぞ。それに本を読むなら風呂に入った後にしてくれ」

「うー」

 

 襟首を掴まれ引き戻されたルークが不服そうに唸るが、クラースは取り合わず残りの傷の手当てを終わらせると廊下の奥、風呂場へ向けて声を掛けた。

 

「ミラルド。風呂は」

「もうすぐ入れるわ。服も変えを用意しておいたから、二人分」

 

 軽い足音を立てミラルドが居間へと戻ってきた時、彼女は紅茶のポットとカップの乗った盆を手にしていた。

 

「……彼については後で訊くわね。少し休んで、お風呂に入ったら今日はもう寝て?」

「ああ」

 

 ほのかに林檎の香りがする紅茶がカップに注がれ、クラースは短く返事をした。ミラルドはルークにも同じように紅茶を入れてやり、優しく「熱いから、気をつけて」と声を掛ける。それではルークには伝わらない、とクラースは言おうとしたがミラルドはちらっと視線をこちらへ向けて小さく頷く。二人のやりとりを見て察してくれたのだろう。

 

「すこし冷ましてから……ね」

 

 手を添えてカップを持ち、息を吹きかけて飲ませてやる。日頃、村の子供達の相手をしているせいか手慣れたものだ。紅茶を飲む間は彼女に世話を任せることにして、クラースもカップへ口をつける。普段より少し甘みが強い紅茶の味が、疲れた舌には実に心地良い。

 しかしそうして休んでいられるのもほんの束の間だ。

 

「……風呂か……これもまた、一筋縄ではいかないんだろうな……」

 

 本来ならば疲れを取るはずの入浴だが――記憶のないルークと共に、となればどんなことになるか。想像することすら面倒で、クラースは考えることをやめた。なるようになれ、だ。残りの紅茶を酒でも呷るように飲み干し、ソファに凭れて目を閉じた。

 

 

     ◆ ◆ ◆

 

 

なんとかルークをユークリッド村の自分の家まで連れ帰ることは出来たが、予想通りそこから先がまた大変だった。

 

 文字通り『生まれてから今日までの記憶の全て』を失くし生まれ立ての赤ん坊も同然だが、身体的には大人と変わりない彼の世話はまさしく一大事だったと言わざるを得ない。ミラルドと二人掛かりで日常生活に必要な知識、しつけ、常識を教え込むのに三ヶ月。それから基本的な学業――読み、書き、計算――を教えることさらに三ヶ月。今は村の子供達と一緒に、ミラルドが教鞭を取る村の学問所でこの世界の地理や歴史などを学んでいる。……はずなのだが。

 

 書斎で今後のことを考えていたクラースは、激しい騒音に思考を中断され溜息を吐いた。

 扉の向こうからはドタバタと激しい足音、怒声、それから嬉しそうにはしゃぐ子供達の声。

 

「だあぁ、やめろっつってんだろーがっ!」

 

 叫び声とともに承諾もなく書斎の扉が勢いよく開け放たれる。

 

「クラース! 助けろ!」

 

 こめかみを押さえつつ振り返れば、赤毛の青年――ルークが両手両足、さらに首に一人、背中に一人、子供に集られ登られているのが見えた。

 

「重いっつってんだろ! 離れろ、こら」

 

ルークが子供を引き剥がそうと暴れると、しがみついている子供達は嬉しそうに歓声を上げる。それにまたルークが怒声を上げ、子供達の歓声は大きくなる。

 

「大人気だな」

「嬉しくねぇ!」

 

腕にしがみつく子供の一人をなんとか引き剥がしながらルークが叫ぶ。そうやって子供達と同じレベルで相手をするから喜ばれるのだということにルークは気がつかない。

 

「さて。そろそろ次の授業の時間だろう。全員、教室に戻りなさい」

 

 クラースの静かな声音に、子供達はさっとルークから離れると「はぁい」と返事をして隣の教室へと走って戻る。元々、子供達への学習指導はミラルドがやっている。クラースは村でも偏屈で気難しい人間として認識されており、子供達もクラースの書斎へ気軽に遊びに来るようなことはない。

 

「はあ、助かった……」

 

 疲れた様子で踵を返し、教室へ向かおうとするルークをクラースは呼び止めた。

 

「待て、ルーク」

「なんだよ? 書斎に勝手に入ったから怒ってんのか」

 

 普段とは違うクラースの雰囲気に気がついたのか、ルークが少し気まずそうな表情をする。

 

「別に怒っているわけではない――いい気分でもないがな。書斎に入る時はまずノックをしろと何回言った? ……まあ、いい。今はそういう話をしたいわけではない」

「じゃあ、なんだよ」

 

 訝しげに首を傾げるルークへ、クラースは「マーテルのことを覚えているか?」と問うた。

 

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