手からあれを出したい。〜三十年、風呂場で構え続けた男の話〜   作:やっくん。

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8話 トリガーの引き方

「あなたたちの狙いは、わかっているわ」

 

 スズカが枝の上から言い放った。

 

「グランプリが始まる前に敵情視察――あわよくば先に候補者を潰して、数を減らそうという魂胆でしょう」

 

「……」

 

 だめだ。完全に誤解している。

 

「ええっと」

 

 俺は両手を軽く上げた。敵意がないことを示すポーズ。

 

 こういう時は敵意がないことを示してから、正直に理由を話すに限る。俺が社会人で身につけた処世術である。

 

「必殺技の練習をしようかと」

 

「見え透いた嘘を!」

 

 だめだ、通じない。

 

 本当に、それだけのために来たんだよ。定時上がりで、鞄も持ったまま、必殺技を撃ちに来ただけなんだよ。

 

 だが、言えば言うほど嘘に聞こえる自覚はある。

 

「待って、スズカ」

 

 トゥルシーが鋭く言った。

 

「こちらを油断させる罠よ!」

 

「わかってる」

 

 わかってない。

 

 本当に、ただのしょうもない理由なんだ。

 

「相手の戦闘値はいくつなの」

 

「すこし待って……アナライズッ!」

 

 トゥルシーが持つ白いステッキの先端が光って、淡い光がこちらに向かって放たれた。

 

 ……解析されている。

 

 なんだこれ。健康診断か。

 

「アナライズは相手のマナを読む魔法だァ」

 

 ローラが耳元でささやく。

 

「今の大将は変身してねぇから数値は低いんじゃねぇかな。普段のお前は弱そうだしなw」

 

 なるほどね。後で覚えとけよ。

 

 俺は二人のやりとりを見ていてふと思った。

 

 会話の呼吸がぴったり合っている。

 

 スズカが聞けばトゥルシーが答え、トゥルシーが警告すればスズカが即座に構える。言葉が短くてそれで通じている。

 

 ……相棒歴、長そうだな。こっちは昨日会ったばかりだぞ。

 

 いやいや、そんなことを考えている場合じゃない。

 

 早く誤解を解かないと命に関わる。

 

「いや、本当に違うんだ、聞いてくれ!」

 

「あっちはやる気だ!」

 

 ローラが叫んだ。

 

「ヤられる前にヤれ! コロせ! ぶっ殺せ!」

 

 ローラ、お前、まじで黙れ。

 

「トゥルシー、相手の戦闘値は?」

 

「……解析完了」

 

 白い妖精がこちらを見据えたまま告げた。

 

「戦闘値は……10よ」

 

「たったの10か――」

 

 スズカの目が、すっと細くなった。

 

「ザコね」

 

 カチン。

 

 ……ザコ……いま、俺のことをザコと……

 

 二十歳そこそこの名前も知らない女の子に。

 

 俺はこう見えて社会人七年目である。後輩から頼られているし、他部署からも相談が来る。先月は課長に名指しで礼を言われた。

 

 その俺がザコ。

 

 腹の底がじわりと熱くなった。

 

 ――待てよ。

 

 俺は自分の手のひらを見た。

 

 これだ。この感情だ。

 

 昼に足りなかったものが、今まさに湧いてきている。キレるだけの簡単なお仕事だと、あの妖精は言った。だったら今、ここで――

 

 この怒りを種火にしてトリガーを引けばいい。

 

 我ながら妙案である。

 

「ザコ……だと」

 

 俺は拳を握った。

 

「誰がザコだ――!!」

 

 感情に身を任せて大声で叫ぶ。

 

 思い出せ。今の屈辱を。見下されたこの瞬間を。腹の底に火を入れろ、俺!

 

 枝の上の彼女がわずかに首を傾げた。

 

「何度でも言ってやろう、ザコめ」

 

 布の下で彼女が息を吸うのがわかった。

 

「お前は戦闘値たった10のザコだ。ざ〜こ、ざ〜こ、ざ〜こ♪」

 

 

「………」

 

「おい」

 

 ローラが俺の顔を覗き込んだ。

 

「もっと怒れよォ!」

 

「……努力はした」

 

「してねぇだろ今の! なんだその顔は! 完全に受け入れてんじゃねぇかァ!」

 

「……ふぅ」

 

 俺は静かに息を吐いた。

 

「一つ、わかったことがある」

 

「なんだよ」

 

「俺は、たぶん、怒りのトリガーとは別の何かを引かれかけている」

 

「知るかァ!」

 

「会話は終わったかしら。じゃあ、こちらから行かせてもらうわ――ね!」

 

 シュッ、と空気が鳴った。

 

 銀色が二つ闇の中から飛んでくる。

 

「くっ!」

 

 俺は転がるようにして躱した。

 

 やっぱり逃げよう。

 

 立ち上がって走り出す。もう体力の残量とか考えている場合じゃない。

 

「おい、逃げんなっ!」

 

 ローラが横をついてくる。

 

「はやくトリガーを引けぇ!」

 

「無理だって言ってるだろ……」

 

 息が上がって足がもつれる。革靴の底が湿った落ち葉を掴めずに滑る。

 

 背後からクナイが飛んでくる音がする。木に刺さる音がする。

 

 ああ、くそ。こんなはずじゃなかったのに。

 

「必殺技、出したくねぇのか!?」

 

「いや、俺だって出したいよ!」

 

 そもそも会社の理不尽にもずっと耐えてきたこの俺に、すぐにキレろとか無茶振りがすぎる。

 

「なんか名前あったろ、あの技! なんつったっけ、たしか――」

 

 ローラが思い出そうとして、指を鳴らした。

 

 そして言った。

 

 

 

「――もっとうんこくえ――みたいなやつ」

 

 

 

 

「……は? いま、なんて言った?」

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