彼女には三つの名前があった。
一つ目は、朱春燕。
これは現在の戸籍上の名前であるが、彼女はあまり気に入っていない。
なぜなら彼女が香港に連れてこられたばっかりの頃、便宜上付けられた名前であるからだ。
ありがちな名前をくっつけただけの、背景も由来も意味もない名前。そんな名前で呼ばれたところで音だけがむなしく響くだけだ。
彼女は自分の本名を知らない、雲南省のどこかの農村の出らしいが、両親の顔すら見たことない。物心がつく前に売られたからだ。
二つ目は、ハル。
日本にたどり着いたばかりで、全く日本語が話せなかった彼女を、アキマサはそう呼んだ。
彼に優しくハルと呼びかけられるたび、温かい気持ちになる。彼がしてくれたこと、掛けてくれた言葉の数々が新鮮に蘇ってくる。
だから彼女はこの名前が好きだった。
そして三つ目は────
「お前、
椅子に括りつけられた男が逃れようとして体を揺らしながら必死に叫んだ。
その顔は赤く腫れあがっており、何度も殴られたことがうかがえる。
男の最後っ屁ともいえる絶叫を聞き逃したハルは、聞き返そうとしたが、やめた。どうせ大したことじゃないだろう。
人を殺すってことは、人に殺される覚悟があるってことだ。
陳腐で月並みだが、その通りであるとハルは思う。
日本の殺し屋のレベルは低い、そんな当たり前の心構えすらできていない奴が多すぎる。
男がぎゃあぎゃあ喚くので、ハルは死に損って地面に蠢いている奴らにとどめの銃弾を撃ち込んだ後、男のみぞおちを抉る様に深く蹴りこんだ。
「グぼッ!」
男は椅子ごと後ろに倒れ、後頭部を強く打った。
透明な液体を吐き出し、せき込んでもいる。
蹴られた鳩尾と強く打った後頭部、どちらを痛がればいいか迷っている様子だった。
「おい、ボケ。うっせえんだよ」
ハルがしゃがんで、男のこめかみに拳銃を突き立てる。
銀色に鈍く光るそれは拳銃にしては大口径の、デザートイーグル50AE。威力もすごいが、反動も物凄い。
男はハルがその拳銃をいともたやすく扱っているところを嫌になるまで見ていた。脳裏に仲間たちがバタバタ倒れていく映像が再生される。恐怖によって顔が歪んだ。
「おい、泣くなよ。私が悪いみたいんじゃんか」
「なあ、助けてくれよ。見逃してくれ。そ、それによぉ、同業者殺すのは不味いだろ。今後仕事がやり辛くなる。横のつながりを失うぜ? 俺はここで見たことは忘れるし、仕事もやめる。だから見逃してくれ。俺には三つになる娘がいるんだ。あんただってまだ若い、恋人の一人ぐらいいるだろう?」
男は思いつくままに口を動かす。命乞い。惨めだった。そしてそんな今際の際にゴミみたいなことしか言わない男に腹が立ち、ハルは銃床でこめかみを殴った。
「殺し屋が子供なんか作ってんじゃねぇよ!」
男は失禁した。もう限界だった。尿意ではなく理性が。さっきまで脳裏に浮かんでいた娘の笑顔もどこかに霧散して、今は早く殺してほしいとまで思っていた。
「おいよぉ、なんで自分が最後まで生かされてるか考えろよ。ほら、早く吐け」
「な、なにを⁉」
男に思い当たる節はない、彼女は自分たちが根城にしている廃ビルの一室に入ってくるなり、何も言わずに仲間たちを殺していったのだ。その声を聴いたのだって、今さっきが初めてなのだ。
「……あれ? 言ってなかったっけ?」ハルが後頭部を掻きながら言う。
「い、言ってない! あんたわけわかんねぇよォ!」
「あー、それは悪いことしたなぁ。聞きたいことはなぁ、『
男の顔がさらに歪む。
「あんたもそれなんだろ? だからさ、知りてぇのは他の仲間の居場所と、殺しの方法だ」
「言えるわけないだろ! 商売道具だぞ! 何年もかけて、多大な犠牲を被って見つけたんだ! それに仲間を売ることはできない!」
ハルが男の顔面を蹴る。ごしゃりと鼻の骨が折れる音がした。
「なーんで、振出しに戻ってんだよ。言うか言わないかの押し問答は終わったんじゃなかったか?」
ハルはしゃがんで、汚らしく鼻血を拭きだす男の髪を引っ張り、顎に拳銃を突き立てる。
「あと何回だ? あと何回蹴ればお前は死ぬ? このまま蹴り殺してやってもいいけどよ、私は明日も早いんだわ。早いこと話してくんない? 靴もこれ以上汚したくないしさ」
「…………言えば、逃がしてくれるか?」
「あ~、う~ん。まあいいか。良いぜ、言えば逃してやろう」ハルはあどけない笑顔を浮かべて言った。
ハルは必要な情報を聞き出すと、男を殺し、ビルの一室を後にした。
依頼の中間報告をしようと、携帯の電源を付ける。その折に時刻を確認した。
『九月四日 火曜日 二十三時二十八分』
ハルは急げば終電にまだ間に合うなと思いながら、携帯を耳に当てた。
話はハルが奇妙な依頼を受けた、九月四日の夕方に遡る。
ハルは学校が終わり、アキマサ達と別れた後、大阪ミナミにある純喫茶にいた。
サイフォンがぼこぼこ音を立てており、店内はコーヒーとケチャップとたばこの匂いが充満している。ハルはその使い古されていながらも座り心地の良いソファにだらしなく体を預けながら、奇妙なこともあるもんだと思っていた。
普通、殺しの依頼を受けるときは二つの経路がある。
一つは協会経由、もう一つは所属している事務所経由。
前者は公的な依頼も多く、報酬は低いが評価が付く。後者は、個人的な依頼が多く、難易度も千差万別だが、報酬はいいことが多い。
ハルは協会の評価や評判、殺し屋としての格なんかどうでもいいので、普段は事務所経由で依頼を受けることが多かった。しかし今回はそのどちらとも違う、ハル個人への直接的な依頼だった。本来事務所に所属している殺し屋は個人的に依頼を受けることを契約で禁止されている。しかしハルはここにきてそれを破った。そもそも事務所にマージンを取られるのが嫌だったし、細かい仕事でチマチマ稼ぐのが面倒くさくなってきたのだ。
「あなたが黑心ですか? 思ったよりお若いですね」
いつの間にか目の前に男が座っていた。決して油断していたわけではない。しかし、目の前に男が現れるまで、人が近づいてきた気配なんてなかった。ハルは警戒心を高める。
「ああ、なるほど。見える人ではないわけですか」
「……お前、陰陽寮の人間かよ。なら、今回の話はなしだ。あそこの連中とは関わらないようにしてるんでな」
ハルは舌打ちをして立ち上がる。
「依頼を受けてくれるならば、電話口で話した二倍の報酬を出します」
「……ますます怪しいな」ハルはもう一度席に着きながら言った。
男は『山田』と名乗った。百パー偽名だ。山田は一見すれば、そこらのコンサルにいるやり手のサラリーマンのようにも見えるが、頬に刻まれた大きな傷跡が、気質の人間じゃないことを明らかに示していた。
「私はですね、憂いているわけですよ。本来、
ハルは知らねぇよと思う。
山田の自嘲的だか、自己陶酔的でもある話口調も鼻に着く。
だがこうして大人しく話を聞いているのは、偏に金だけの為だ。
「……んで、依頼はなんだ? 言っておくが能力者殺しはやらねぇぞ。リスクが大きすぎる」
「いえいえ、まさか。あなたにやっていただきたいのは『能力者殺し』殺しです」
「はぁ?」
「これもここ数か月の話なんですがね、ナチュラルの奴らが、能力者に対処できかつ、殺せるだけの術を身に着け始めたんですよ」
「いいことじゃねぇか。お前らは迷惑してんだろ? ほっといて殺してもらえ」
「まあそうなんですがね。我々陰陽寮にも危害が及び始めているのです。つまり標的として我々の名前があがり始めているのです。実害も出てきた。放っておくわけにはいきませんよ」
「はっ、今まで好き勝手やってきたツケだな」
「それもそうですが、当事者としては辛いわけです。今まで不可侵だったあなた方に依頼しようと思うぐらいにはね」
ハルはそこで目の前の男の瞳を覗き込んだ。瞳孔が開いており、一切の光を宿していない。──壊れているな。
普通の、それこそ仲間のためを思って行動するような奴ではないことを、その瞳の濁りが示していた。どこかに裏があるだろう。
しかし、もう少しなのだ。もう少しで事前に決めていた金額に到達する。それに最近は依頼が少なくなってきた。多分能力者共が幅を利かせ始めているからだ。メリットデメリットを慎重に秤にかけ、散々可能性を模索したうえでハルは決めた。
──受けてやってもいい。
「んで、その能力者殺しを殺すのが依頼なんだな。なんで私に?」
「殺したうえで、その術も明らかにしてくれれば追加報酬を出しますよ。あなたに頼んだのはあなたがナチュラルだからです。それにナチュラルの中で最も序列が高い」
「ターゲットは? 目星は付いてんだろうな。あと掃除屋の手配はどうなっている?」
「ああ、このファイルを見てください。標的は四人います。動向も調べています。掃除は我々でやりますよ。怨霊になられても困る」
ハルは差し出されたファイルをぱらぱらとめくり、そのうちの一枚を山田に突き返した。
「こいつは、私は殺らない」
「……理由をお聞きしても?」
「ああ、顔が善い奴そうだからだ。……私は悪いやつしか殺さないことにしてんだよ」
「はい?」
「人にやさしく。フィアンセとの約束さ」
そうしてハルはその日の夜、さっそくファイルに示されていた場所を襲撃した。運よくその場所にはターゲットの二人がいたので、残りはあと一人。殺した相手の顔と、襲撃した場所の惨状を携帯で送った後、山田に電話をかけた。
『はい、今写真を確認しました。後ほど、人をやって確認もさせますが、よくやっていただきました。明日、この分の報酬を送金しておきますね』
「明日ァ? 今日じゃねぇのかよ」
『……申し訳ありません。黑心様が指定された口座がですね、ほら、結構ややこしい場所にあるじゃないですか。その経路の安全性を確かめるのに、時間がかかっているのです』
ハルは舌打ちをした。
「明日、正午までに振り込まれてなかったらお前を殺す」
『…………』
電話からはっきりと息をのむ音が聞こえた。
『……その様子では、能力者殺しの術が分かったみたいですね』
「さあな、それはどうだか。まあ安心しろ、あと一人残ってるんだ、何があろうとそいつは殺す、依頼は達成する」
夕方、山田と直接会った時と今の反応から、先ほど標的から聞いた情報は提示された追加報酬の額面以上に価値があると、ハルは踏んでいた。これなら脅すにせよなんにせよ、もっと報酬を吊り上げることができる。ハルは声を出さないように笑った。
『はい、あなたが選択を間違えないことを祈っています』
そこで電話が切れた。あと少し、あと少しで必要な分の金が貯まる。そしたらようやく悲願が叶うのだ。
『誰も知らない国に行く』
そこでアキマサと一緒に暮らす。幸福に生きる。ようやく本当の人生が始まるのだ。
ここまで長かった。ハルは、軽快にミナミの商店街を歩いた。
◇
翌日、アキマサが約束を覚えていないことはショックだった。が、正直心のどこかではそんな気はしていたのだ。ハルは机に突っ伏しながら考える。
──まあ最悪、無理やり連れて行けばいいか。
自分にはアキマサを一生養い、幸せにできるほどの金がある。それにお人好しのアキマサのことだ。無理やり連れだしても、許してくれるに違いない。諦めて自分と共に、人生を歩んでくれるに違いない。
モンゴル、ラオス、ネパール、やっぱり逃げられないように海がない国がいいかなぁ。キューバ、ジャマイカ、ハイチ、バハマ、島国でもいいなぁ。
昼休みになって、PCから銀行口座を確認した。それを見てハルは顔をしかめる。確かに、報酬は振り込まれている。それもかなり色もついている。
だが、貯金残高の総額が明らかに少なくなっている。思っていた総額の半分以下だ。おかしい。明らかにおかしい。ハルは急いで事務所に電話をかけた。
「おい! カス! 私の金がなくなってんだけど! なんかしただろ!」
『開口一番、剣呑だな。あと、高須な、カスじゃない』
高須はハルのことを担当しているマネージャーだった。
ハルの後見人であるチャイナマフィアから紹介されて以来、もう五年近く一緒に仕事をしている。だからハルとて、高須が何かをしたわけではないこともわかってはいたが、それでも怒りに任せて叫んでしまった。
『それで? 何だって?』
「私の金! なくなってる!」
『……あぁ? お前覚えてないのか?』
「何がだッ!」
『この前、三日前くらいだったか、夜いきなり事務所に来て、金を下ろさせろって言ったんじゃないか。お前の口座、海外の銀行を四つも経由してるから、面倒くさいのなんのって──』
携帯がハルの手から零れ落ちる。──私が? 私がやったのか?
ハルは必死に思い出そうとしたが、無理だった。そもそも三日前自分が何をしていたかすら思い出せない。脳に霞がかかったようであった。地面に落ちた携帯からは、ハルに呼び掛ける声が聞こえる。ハルは頭を抱えた。
放課後になる前に堪えきれなくなって、ハルは学校を抜け出した。
電車に乗って日本橋までやってきた。
道頓堀から見て東側、島之内。
『TAX FREE』と書かれた看板が立ち並び、ぎっしりと中華料理屋が詰まったビルがいくつもある場所だ。
灰色の汚らしい橋では、風俗嬢と思わしき女を蝶ネクタイをした男がカメラで撮っていた。その横を通り抜けるようにハルは走る。大阪にある中国人街、そこを仕切る華僑系のマフィア。それが今のハルの後見人であった。
雑居ビルの二階にある、やけにきれいな扉を開ける。中にはサングラスをかけた、やけにでかい男がいて睨まれたが、ハルはこれをぶん殴る。部屋中に男が倒れる音が響いた。
「香主! どこだ! 話があるッ!」
突然の来訪者に事務所内はざわついたが、それがハルでわかると皆矛を収めた。
そして下っ端らしき男が、奥にある扉の中に入っていく。殴り倒された男のことは誰も気にしていない。ハルは事務所中の人間にガンを付けながら、事務所奥、窓際に近いソファにドカッと座る。その足はカタカタと苛立たし気に揺れていた。
「おお、春燕! 我が娘! よく来たな! どうした、そんな腹を立てて。いつも言ってる通り──」
「おせぇえよ。あと、うるせえ」
ロマンスグレーの長髪を後ろに撫でつけた老人がハルの前に座る。
隣に控えている男の耳に何事を囁くと、持っていた杖をソファアに立て掛け、長いひげを撫でた。
「して、今日は何の用かな?」
「三日前、私はここに来なかったか?」
老人の動きが止まり、眼光鋭く、ハルを図るように見る。
「……来たよ。来た。今日みたいに必死の形相で、
「なんで?」
「あのだなぁ、春燕よ、一方的に質問するばかりじゃ何もわからん。何が目的なんだ?」
「いいから早く答えろよ! ここにいる全員を殺したっていいんだぞ、私はァ!」
あまりの叫声に、場にいた全員に緊張感が走った。
ハルならやりかねない、誰もがそう思っている。中には引き出しにしまってあった拳銃に手をかけようとしている者もいた。が、触れることすらも叶わない。すでにハルが懐から拳銃を抜き出し、老人の額に照準を合わせていたからだ。ハルと老人に茶と菓子を運んできた男が持つ盆がカタカタと震えている。
「……わかった、答えるから銃を下ろせ」
ハルが銃を下ろすことはなかった。もし発砲したとしても、ここにいる全員殺したうえで、逃げ切る自信があるからだ。それを誰もが分かっている。殺し屋序列二十一位は伊達じゃない。だから老人は必死に言葉を選びながら答えた。
「申し訳ないが理由は分からない。あの老婆は呪符売りだ。誰かを呪いたくなったんじゃないか?」
「今からもう一度連絡を付けろ、ここに呼べ」
老人はゆっくりと首を横に振る。
「……もう国に帰ったよ。あの日、お前に散々脅されていたから、それに怒って帰ったのだろう」
ハルが老人の髪を掴み、その瞳を覗き込む。──揺れていない。泳いでいない。どうやら嘘はついていないようだ。
ハルは目の前にあったガラスのローテーブルを蹴り上げる。圧縮された発砲音のような音と共に真っ二つに砕け散った。それからハルは、玄関にたどり着くまでの間に事務所にある様々なものに当たり散らした。未だに倒れている玄関先の大男を蹴り退け、外に出ようとした時だ。
「なあ、春燕よ。そんな調子だと、うちではもう面倒を見切れんぞ。それにその先に待つのはきっと破滅だ。ルールを守れ。礼節を重んじろ」
ハルは心配そうに彼女を見る老人を一瞥したのち、うるせえよと小さく吐き捨ててから、雑居ビルを出た。
夜になる。
ミナミの商店街はより一層の喧騒にまみれ、猥雑なネオンが煌々と焚かれている。そんな商店街の人の流れに逆行しながら、ハルは渦巻く感情を爆発させないようにどうにか堪えていた。──なぜ金が消えた。私は何に使った。そもそもなぜ記憶がないんだ。
ハルは全く気持ちの整理がついていなかったが、仕事はせねばならない。
商店街から道を逸れ、ほっそりとした小路を抜ける。
そこには大きく龍のオブジェクトが飾られたタイ料理屋があった。本日貸し切りと書かれた看板が掛けられていたが気にせず入店する。
店内には誰もいない。隠し扉がないかと店内をくまなく捜索していると、厨房の奥から顔に深くしわが刻まれた老婆が顔を出した。
「今日は貸し切りだよ。飯食いたいなら他当たんな」
カタコトの日本語でそれだけ言って厨房へと帰っていく。
完全に姿が見えなくなる前に老婆は倒れた。油に汚れたタイル張りの床に赤黒い血が広がっていく。
ハルが撃ち殺したのだ。
ほかにも選択肢はあった。
脅して二階への階段がどこにあるかを吐かせる、人質として使う、殺さないでも殴って気絶させるなどなど。
撃った本人であるハルも自分の行いに驚愕していた。冷静さを欠いている。
プロとしてあるまじき失態。殺し屋としての心得を忠実に守ってきたハルであるからこそ今があるのだ。ここにきてそれができなくなっている。煩わしさや怒りによって動くべきではない。分かっている、分かっているけど!
「私がァ! 何年我慢したと思ってんだ!!」
気づいたらハルは吠えていた。机を蹴り、椅子を投げ、怒りのままに物に当たる。
「何人も殺して! 何億と稼いで! もう少し、もう少しだったんだ!」
一階の異常に気付いた男が、隠し扉を開け様子を覗いに来る。発砲。反射的にハルは撃ち殺した。
──そこか。
ハルは深呼吸をして、自身の目的と装備を再確認する。そして六秒待った。どこかで聞いたアンガーマネジメント。本当に効果があるかは関係ない。毎回やることが大切なのだ。つまり暗示。──六秒数えると私は落ち着く、落ち着く、落ち着く。
死体となった男の体を漁る。懐から『CZ75』が見つかった。粗雑なつくりの明らかなコピー品。──なるほど。ハルにとって突入前の情報はこれで十分だった。上まで二発の発砲音は聞こえたはずだ。ならどうせ構えている。待ち構えている。上等。
音を殺さずに階段を上る。上り切る前に壁に背をつけ、手だけを伸ばしノックをする。二回。刹那、無数の銃声が鳴り、ベニヤ板づくりの扉がズタズタになった。素人め。サブマシンガン二つに、拳銃三本。二時と十一時の位置にマチェットを下げたやつもいる。息を殺す。サスペンダーからナイフを取り出し、構え待つ。中からはタイ語らしき意味不明な言葉で言い合っている声が聞こえる。やがてそれは止み、足音が一つ近づいてきた。ぎいと軋んで扉が開く。ハルはやってきた男の膝にローキックをお見舞いし、崩れてきた首元に生理用ナプキンを当て、その上からナイフを突き刺す。こうすると近距離でも返り血を浴びることがないのだ。事切れるのを確認する前に男を盾に部屋に侵入。中にいたやつらは構えを解いていたらしく、想像したより行動がワンテンポ遅い。暖簾に腕押し、手ごたえが全くないがそれはそれで楽でいい。まずはサブマシンガンの二人を撃ち殺し、盾にしてた男の背を蹴りとばす。男は中央にあった大きな丸テーブルにぶつかり、その上にあったグラスが音を立てて割れた。気を取られていた三人を右から順に撃ち殺す。右と左はヘッドショット一発で殺したが、真ん中はわざと外した。明らかに日本人だったからだ。日本人は尻もちを搗き、恐怖に顔をゆがめながらハルを見ている。
「あ?」
この部屋は淡い褐色の裸電球が一つ付いているだけなので、薄暗い。
だからハルはその日本人が依頼の人物であったことに今気付いた。安易に殺さなくてよかったと、少し前の自分の判断を褒める。
「お、お前が昨日仲間を殺したやつか」
「そうだけど、なに?」
にべもなくあっけらかんと答えるハルに、男は黙ってしまう。何かを言おうと口を動かすが音が出ない。漏れ出るのはカッとかハッとかの吐息だけだ。
「あのさー、これは純粋な疑問なんだけど、なんで能力者なんて殺すわけ? リスク高いだろ」
男はきょろきょろと周りを見渡した後、もう逃げられないことを悟ったのか深呼吸をした。その深呼吸がやけに長いので、ハルは答えを聞くのが面倒くさくなって、銃を構えると、男の両手が燃えていた。
「は?
男が立ち上がり、その燃焼範囲を広げながら、笑った。
「あはははは! 能力者殺しが能力者だとは思うまい! 俺が彼らに協力したんだよ! そして俺たちは能力者の弱点を見つけた。俺はなぁ研究所でいじめられていて──」
ハルは呆れた目で男を見ながら、失笑した。
「何を笑っている!」
「興味ねぇよ。んで時間稼ぎだろ。お前の能力は発火しかない。火が付くまで待ってんだろ。シンナー使うまでもないね」
「なぜそれをッ!」
言い切る前に男は脳漿をぶちまけながら倒れた。
「しょうもな」