リリカルなのはSSの「届かぬ叫び」に脳を焼かれた者が送る鎮魂歌 作:ゆーの。
一つのモニターが空中に浮かんでいた。
コンソールを叩く白い指が、その画面を先へ先へとつないでゆく。
◆
『ピッ…』
なのは達のおかげでJS事件は無事に解決した。なのはを母と呼ぶヴィヴィオちゃんも、無事に救出できたらしい。
らしい、という言葉がこんなにも重くなったのはいつからだろうか。
僕は現場にいなかった。戦場にいなかった。なのはが笑う瞬間を、その目で見ることができなかった。
当たり前のことだ。今更何を言っているんだと、自分でも思う。
無限書庫の司書長という立場は、確かに重要だ。誰かがやらなければならない仕事だし、僕にはそれが向いていた。魔法使いとしての才覚はともかく、情報を集め、整理し、必要な人間に届けるという作業は、幼い頃から本ばかり読んでいた僕にとって、ある意味では天職とも言えた。
でも、天職というのはどこか冷たい響きを持つ言葉だと、最近よく思う。
なのはが戦っていた。フェイトが、はやてが、六課のみんなが戦っていた。
僕は書庫の中で、データの海を泳いでいた。
ゆりかごに関する古い文書を掘り起こし、聖王に関する伝承を紐解き、次元震の観測記録を並べながら、何度も何度も「これがなのは達の役に立てばいい」と念じていた。念じながら作業を続けた。それしか、できなかった。
解決した後、連絡が来たときの気持ちを何と表現すればいいのか、今もうまく言葉にできない。
嬉しかった。本当に嬉しかった。なのはが無事だったことが、ヴィヴィオが救われたことが、心の底から嬉しかった。
でも同時に、じんわりとした何かが胸の奥に広がっていくのを感じた。それが何なのか、その時はまだ名前をつけていなかった。
僕がしたことと言えば調べものをしたぐらいだけど……それでも、なのはが笑ってくれる要因の一つになれて嬉しかった。
これは本当のことだ。自分に嘘をつくつもりはない。
でも、「要因の一つ」という表現を選んだことに、僕自身も気づいている。要因の一つ。無数にある要因の、そのうちの一つ。なのはの笑顔を作り上げたのは、数えきれない人々の努力と勇気と犠牲であって、その中に僕の仕事も含まれていたかもしれない、という程度のこと。
傲慢と言われようと、隣に立てない以上はここで少しでもなのは達が楽になれるように資料を届けるのが、今の僕の誇りなんだから。
そう、誇りだ。誇りなんだ。
隣に立てないことを、僕はとっくに受け入れている。なのはには、なのはの世界がある。フェイトがいて、はやてがいて、六課のみんながいて、翼を広げれば空の果てまで届くような、あの眩しい世界が。
僕の場所は書庫の中だ。それでいいと、思っている。思うようにしている。
ここから届けることができる。それが誇りだ。誇りでなければならない。
夜、報告書を閉じた後、しばらくモニターの前でぼんやりとしていた。
書庫は静かだった。いつも静かだ。本の匂いがして、データの光が瞬いて、そこには確かに知識の海があって、でもその海に僕以外の人間はいなかった。
なのはが今頃どこで笑っているか、考えた。
そのじんわりとした何かに、まだ名前をつけないでおいた。
『ピッ…』
今日、なのはが検査入院中の病院へとお見舞いに向かった。
病院の廊下は白くて、消毒液の匂いがした。花束を持っていこうかと思ったが、なのはが入院しているのはそんな深刻な状況じゃないはずだと思い直して、代わりに彼女が好きだという焼き菓子を包んでもらって持っていった。
病室のドアを叩いたとき、中から返ってきた声は明るかった。その声を聞いただけで、来てよかったと思った。
ベッドの上のなのはは、少し顔色が悪かったけれど、笑っていた。あの眩しい笑顔で、「ユーノくん!来てくれたの?」と言ってくれた。
フェイトも来ていた。椅子を引き寄せて、三人で話した。
久しぶりに三人で笑いながらいくつものことを喋った。
久しぶり、という言葉が胸に刺さった。いつからこんなに「久しぶり」になってしまったのだろう。昔はもっとよく会っていた気がする。いや、昔はなのはの隣にいたから、会うとか会わないとかいう概念そのものが違った。一緒にいたから。
今は会いに行く。距離がある。その距離は物理的なものだけじゃない気がしているが、気のせいだと思うことにしている。
それにゆりかごの情報についても感謝している、と言ってくれた。
その言葉を聞いたとき、思わず下を向きそうになった。
嬉しかった。本当に、心から嬉しかった。あの膨大な作業が、あの夜通しの調査が、なのはの口から「ありがとう」という形で返ってきた。それは確かに、胸を温めるものだった。
でも同時に、この感謝の言葉が僕にとってどれほど特別なのかを、なのはは知らないだろうと思った。知らなくていい。知らせる必要もない。
ただ、僕にとってこの言葉は、単なる礼儀や挨拶以上のものだった。六課のみんなが解決した大きな事件の中で、書庫の奥でひとり作業を続けた僕が、確かに存在を認められた瞬間だった。
その言葉こそが、僕を無限書庫へと向かわせる最大の理由だ。
次も届けよう。次も役に立とう。この感謝が続くように。なのはの笑顔が続くように。
後、なのはが保護したというヴィヴィオちゃんに会った。
最初はフェイトの後ろに隠れて出てこなかった。ひょこひょこと金色の頭だけが覗いていて、それはたしかに可愛かったのだが、ちょっとだけ傷ついたのは内緒だ。
なのはの子、という先入観で見ていたせいもあるかもしれない。なのはに縁のある子なら、きっと懐いてくれるだろうと思っていた。単純な思い込みだったと後で反省した。
でも、彼女がこれから普通の女の子として育っていくなら、たくさん関わりたいと思った。書庫の本を読み聞かせてあげるのも悪くない。
……ちょっとだけ、傷ついたのは内緒だ。
二回書いてしまったが、本当に少しだけだったから、許してほしい。
『ピッ…』
ヴィヴィオとも随分と仲良くなれたと思う。
最初の人見知りが嘘のように、今では書庫に遊びにくることもある。なのはと一緒に来ることもあるし、時々フェイトと来ることもある。ヴィヴィオ一人で来たことは今のところないが、それはまだ子どもだから当然のことだろう。
先週は一緒に古代ミッドチルダの児童向け絵本を読んだ。字が多くて難しいかとも思ったが、ヴィヴィオは真剣な顔で最後まで聞いてくれた。読み終えた後、「ユーノさんって、お話するのが上手なんだね」と言ってくれた。
些細なことだ。でも、その言葉を聞いたとき、ああ、ここにいてもいいのかもしれないと思った。書庫の中で、本と一緒に。ヴィヴィオが来てくれるこの場所で。
今後のことを聞く限り、なのははヴィヴィオを学校に通わせて普通の女の子として育てていくつもりみたいだ。
それを聞いたとき、なのはらしいと思った。
聖王の器として生まれた子を、ただの高町ヴィヴィオとして育てる。それは簡単なことじゃない。周囲の目もあるだろうし、ヴィヴィオ自身の出自に関わる問題も、これから絶対に出てくるだろう。
でも、なのははそれを選んだ。子どもに普通の幸せを与えたいと思ったなら、それはなのはにしか出来ない選択だ。
聖王としてでなく、高町ヴィヴィオとしての生活。
なんていい言葉だろうと思った。
その言葉の重さを、なのは本人はどれくらい分かっているのだろうか。たぶん、完全には分かっていないのだろうけど、だからこそなのははあの言葉を迷いなく言えたのかもしれない。
僕も出来る限り支えてやりたいと思った。
支える、という言葉をどういう意味で使っているのか、自分でも少し曖昧だが。
ヴィヴィオが困ったとき、何か知りたいことがあったとき、書庫の知識が役に立てるなら。または、なのはが疲れたとき、誰かが傍にいてくれる場所が必要なとき、僕がその場所になれるなら。
傍にいることが許されないなら、せめて近くに。近くにいることも難しいなら、せめて届く範囲に。
それが誇りだ。今も、そう思っている。
『ピッ…』
今日はちょっと失敗した、というか調子に乗りすぎてしまった。
朝、なのはから連絡が来た。「ヴィヴィオの授業、こっそり見に行かない?」という内容で、返信する前にアルフからも別口で「ねえユーノ、なのはと一緒にヴィヴィオの様子見に行くんだけどどう?」と来た。二方向から来た誘いに、断る理由もなかったし、何より純粋に嬉しかった。
なのはと一緒に出かける機会なんて、そうそうない。ヴィヴィオのことも気になっていた。どんな顔で授業を受けているのか、友達はできたか、給食は食べているか。書庫で一緒に本を読むヴィヴィオとはまた違う顔が見られるかもしれないと思うと、少し楽しみだった。
結果として、シスターに怒られてしまう始末だった。
廊下から窓越しに覗いていたら、途中でシスターに見つかった。なのはもアルフも「しまった」という顔をしたが、それでも笑いを噛み殺していた。僕だけが途方に暮れて立ち尽くしていた。
「保護者の方ですか?今日は参観日ではないのですが」
どう答えればよかったのか今でも分からない。なのはは「友人です!」と元気よく答えて、アルフは素早く僕の後ろに隠れた。その場で一番しっかりした顔をしていたのが、制服姿のヴィヴィオだったというのが、何とも言えなかった。
おまけにその後、ヴィヴィオにも怒られた。
放課後、学校の外で待っていたら、ヴィヴィオが友達と出てきた。友達と別れる際に「またね」と笑顔で言っていたのが見えて、ちゃんと馴染んでいるじゃないかと安心したのもつかの間、こちらに気づいたヴィヴィオの顔がぱっと曇った。
「もう、ユーノさんったら!なんで来るの!」
叱られた。小柄な体で腰に手を当てて眉を寄せる姿が、どことなくなのはに似ていて、妙に可笑しかった。申し訳ないとは思いながらも、そのそっくりさに笑いそうになるのを堪えるので精いっぱいだった。
まあ、僕達が悪いのだけれども。
帰り道、三人並んで歩いた。いや、正確にはアルフも加えて四人だ。夕暮れの中、ヴィヴィオが今日授業でやったことを嬉々として話していた。なのはがそれを嬉しそうに聞いていた。アルフが相槌を打っていた。
僕はその少し後ろを歩きながら、この光景をどう形容すればいいか考えていた。
家族、という言葉が浮かんだ。でも、それは正確ではない気がした。
別れ際、アルフに「あんたら、親子にしか見えないよ」と言われて、嬉しかった。
あんたら、というのがなのはと僕のことを指しているのか、それともなのはとヴィヴィオのことを指しているのか、文脈的には後者だろうとは思う。でも、その一言は確かに胸に落ちた。
なのはは、僕のことをどう思ってくれているんだろうか。
友人、は確実だ。だがそれ以上については、僕には分からない。分からないままにしておくのが正しいのかもしれない。でも、夜になって布団の中に入ると、どうしてもそのことを考えてしまう。
僕が抱いている想いと同種の想いを持ってくれていると、自惚れてもいいのかな。
……やめよう。答えの出ない問いを繰り返すのは、あまり生産的じゃない。
それよりも、今日ヴィヴィオが楽しそうにしていたことを考えよう。そちらの方が、ずっと心が温かくなる。