リリカルなのはSSの「届かぬ叫び」に脳を焼かれた者が送る鎮魂歌 作:ゆーの。
『ピッ…』
信じられないことを聞いた。
ヴィヴィオが書庫に来た日、何気ない会話の流れの中で、なのははJS事件のときにSLBでレリックを無理やりはじき出したのだと言った。笑いながら、苦笑しながら、まるで武勇伝のような口調で。
最初は聞き間違いだと思った。
SLBとはスターライトブレイカー。なのはの最大火力の砲撃魔法だ。体内に取り込まれたレリックを体外に強制排出するために、その術式を使ったと言った。
耳を疑った。
そんな馬鹿なことをなのはがするはずがない。
僕は確かに資料を提出したはずだ。レリックを人体から摘出する際の注意事項、必要な術式の種類、人体への負担を最小化するための処置手順。全部まとめた。丁寧に、分かりやすく、なのは達が使いやすいように整理して、六課に送った。
あの資料を見ていれば、SLBのような高火力魔法を使おうなどとは絶対に思わないはずだった。それがどれほど危険なことか、一目で分かるように書いたつもりだった。
だから、最初は笑い話の誇張だと思った。なのははたまにそういう、実際より派手に見せるような語り口をすることがある。
でも、もしもヴィヴィオが嘘を言っていないのだとしたら。
その「もしも」が頭から離れなかった。
帰宅してから、ずっとそのことを考えていた。夕食も喉を通らなかった。
もしも本当に、なのははあの資料を読まずに現場でそういう判断をしたのだとしたら。
もしも僕の資料が、なのはの判断に一切影響を与えていなかったのだとしたら。
僕が、今まで積み重ねてきたことは、一体なんだったんだ。
その問いが、夜が更けるほど大きくなっていった。
『ピッ…』
調べた。眠れなかったから、夜通し調べた。
配信ログの確認から始めた。六課に送った資料のアクセス記録を辿れば、誰がいつ何を開いたか分かる。書庫のシステムを使えば、データの閲覧履歴まで追うことができた。
結果は、思っていたよりずっと残酷だった。
レリックを人体に適合させるには、緻密な計算と適切な処置が必要になる。そして、もちろん人体から摘出する際にも専用の術式や処置、十分な準備が必要になる。僕が全て調べたんだから、間違いはない。
でも、その資料をなのは達は見ていなかった。
レリックについての情報なんて今更、と適当に流していたようだ。
流されていた。適当に。
僕が何十時間もかけて集め、整理し、確認して届けた資料が、ファイルの奥底に眠ったまま、ほとんどの項目が一度も開かれることなく処分されていた。
レリックについての基礎情報、人体への影響、摘出に際するリスクと対処法。これらに対するアクセスログは、ほぼ存在しなかった。見た形跡が無かった。
まるで最初から存在しないも同然だった。
頭が少しだけ冷静に、少しだけ残酷に動いた。
そうか、と思った。
怒りが来るかと思ったが、来なかった。悲しみが来るかと思ったが、それも来なかった。
ただ静かに、当然の結論として受け入れている自分がいた。
それが一番こたえた。
なのは達を責める気にはなれなかった。なのはには、なのはのやり方がある。現場で生きてきた彼女達には、書庫の資料より、隣で戦ってきた仲間の判断の方がずっと信頼できるだろう。それは分かっていた。分かっていた。
分かっていたのに、なぜ僕はあれほど念を込めて資料を作っていたのだろうか。
分かっていたのに、なぜあれほど「役に立てる」と思っていたのだろうか。
何の事は無い。
僕の誇りは、なのは達にとって適当に流せる程度のものでしかなかったのだ。
僕が誇りと呼んでいたもの。
隣に立てない代わりに、ここから届けることが出来ると信じていたもの。
なのはの言葉を糧に、夜通しで調査を続けることができたあの感覚。
それが、ただの自己満足だったとしたら。
誰にも届いていない場所で、一人で燃え続けていた炎だったとしたら。
机の前で、長いこと動けなかった。
書庫の静寂が、いつもより重く感じられた。
データの光が瞬いていた。本の匂いがしていた。何も変わらなかった。
何も変わらないのに、何かが変わった気がした。
夜が明けても、書庫の外は暗いままに見えた。
空調の音だけが響く部屋の中で、僕はモニターを閉じた。
その「じんわりとした何か」に、ようやく名前をつけた。
悲しみ、ではなかった。
もっと静かで、もっと冷たいものだった。
諦め、と呼ぶのが一番近かった。
『ピッ…』
今日は魔法の練習と称して、ヴィヴィオのリンカーコアを調べさせてもらった。
表向きは、ヴィヴィオの魔法適性を確認するための補助、ということにした。なのはにもそう説明した。なのはは「ユーノくんなら安心ね」と笑って任せてくれた。
その笑顔を見るのが、少し苦しかった。
ヴィヴィオは元気そうだった。魔法陣を広げるとき目を輝かせていたし、「こうかな?こうかな?」と声を出しながら術式の形を試行錯誤していた。その姿はまぎれもなく普通の子どもで、なのはが守りたかった「高町ヴィヴィオ」がそこにあった。
だから、その中心にあるものを覗き込んだとき、僕は何も表情に出さないようにするのに、かなりの集中力が必要だった。
思った通りだった。
SLBという強大すぎる魔力で無理やりレリックを摘出したことにより、コアの内部から崩壊が始まっている。
ゆっくりと、確実に。
砂が崩れるように。あるいは、氷が溶けるように。
表には何も出ていない。ヴィヴィオは今のところ何も感じていないはずだし、普通の診断では発見できないほど深い部分からの崩壊だ。だが、確実に進行している。
時間の問題だ。
このままでは、コアの崩壊と同時に、幼い体にはまだ不適合な聖王としての魔力が彼女を食い尽くし、死に至らしめるだろう。
死という言葉を頭の中で転がしながら、僕は笑ってヴィヴィオの術式に「よくできてる」とコメントしていた。
ヴィヴィオはうれしそうに笑った。なのはによく似た笑い方で。
その笑顔を見ながら、考えていた。
もしも今すぐ正式な経路で報告を上げたとして、どうなる。
管理局の医療部門が動く。調査が入る。原因を追求すれば、なのはのSLBによる摘出という事実が明らかになる。なのはが知る。
なのはは何と言うだろうか。
「私が悪かった」と言うだろう。「私が、ヴィヴィオに」と言いながら、きっと泣くだろう。あの眩しい眼が曇るだろう。
なのはが泣く場面を頭の中に描いたとき、何か大切なものが音を立てて砕けた気がした。
また考えてしまった。
今の僕の資料を誰も読まないことは、もう分かっている。
でも今回だけは違う。今回は報告しなければ、ヴィヴィオが死ぬ。
ならば報告すべきだ。当然そうすべきだ。
でも、報告すればなのはが傷つく。
そして、誰も読まない資料を届け続けた男の報告を、一体誰が真剣に受け取ってくれるだろうか、という疑問も、どこかに生まれていた。
魔法の練習を終えて、ヴィヴィオが帰っていった。
「またね、ユーノさん!」
元気な声で手を振って走っていく後ろ姿を、僕はただ見送っていた。
そうなったとき、なのははどれほど悲しむのだろうか。
自分の手で、娘の命を奪ったと知ったとき。
あの笑顔が、永遠に曇るだろう。
なのはが笑わなくなる世界は、想像するだけで息が苦しくなった。
『ピッ…』
ヴィヴィオの治療に必要なものの一つとして、ロストロギアが必要だと分かった。しかも特A級のものだ。
解析に一週間かかった。眠れない夜が続いた。書庫の中で古代の医療記録を掘り起こし、リンカーコアの損傷事例を調べ、ミッドチルダ式とベルカ式両方の術式理論から治療の可能性を探った。
他に方法は無かった。
特A級のロストロギア。魔力封縛と再構成を同時に行える、理論上は存在するはずの術式収束体。それしか、ヴィヴィオのコアを修復する手立てが無かった。
無限書庫司書長としての権力では、きっと使用なんてさせてもらえない。
分かっていた。申請書の文面を頭の中でどう書いても、却下される未来しか見えなかった。「緊急性が認められない」「被対象者の同意確認が不十分」「使用目的が私的事由に該当する」。理由などいくらでもつけられる。管理局の書類仕事が如何に融通の利かないものか、司書長という立場上、よく知っていた。
何より、時間が無い。
正規の経路を踏んでいる間に、ヴィヴィオのコアは静かに崩れていく。
でも、そのロストロギアが無ければヴィヴィオが死ぬ。
死ぬ。
ヴィヴィオが死ぬ。
「またね、ユーノさん」と笑って手を振った子が死ぬ。なのはの娘が死ぬ。
なのはが絶望する。
間違いなく原因は追求され、なのはは自らの手で娘の命を奪ったことを知るだろう。なのはは「私が」と言うだろう。「私が、ヴィヴィオを」と言いながら泣くだろう。
夜、書庫の端末の前で、ぼんやりとそのことを考えていた。
誰も読まない資料を作り続けた男の話が頭に浮かんだ。
それは、僕のことだ。
誰にも必要とされなかった男が、それでも必死に積み上げてきた仕事が、誰の目にも触れずに消えていった話。
その男は、今ここにいる。
でも今この瞬間だけは、誰も読まない資料を作り続けた男であることが関係なかった。
なのはの笑顔を守りたかった。ヴィヴィオに生きていてほしかった。
それだけは、誰かに認められなくても、感謝されなくても、本物だった。
……僕は、自分の誇りが彼女達にとって何の意味も無くても……それでもまだ、なのはのことを愛しているようだ。
書庫の静寂の中で、その言葉だけが確かに本物だった。
誇りは要らない。認められなくても構わない。
ただ、なのはに笑っていてほしかった。
それだけでよかった、という事実が、決意に変わった。
『ピッ…』
いよいよ明日が決行の日だ。
準備は整っている。侵入経路も確認した。警備のパターンも把握した。逃走後の動線も計算した。
緻密に計算した、と書いて、少し可笑しい気持ちになった。
書庫の仕事と同じやり方だ。情報を集めて、整理して、行動に落とし込む。僕にはこれしかできない。戦闘は不得手だし、魔力も人並み以下だ。でも、調べることと、計算することだけは誰にも負けないつもりだった。
……つもりだった。
なのはにはフェイトやはやて達がいる。そして、僕がなのは達に必要とされていないのは、もう知っていることだ。
知っていることだ。
もう腹も立たないし、悲しくもない。ただの事実として、静かに受け入れている。
なのはには、なのはの世界がある。広くて、眩しくて、空まで届くような世界が。その世界の中に僕の席は無くて、でもその世界が続いてほしいと思っていて、それは今も変わらない。
僕が調べ、なのは達に渡していた資料の大半は見られることなく処分されていた。
その事実を確認したとき、何も感じなくなっていた自分に気がついた。
最初に知ったときは、あれほど胸が苦しかったのに。夜通し眠れなかったのに。
今は、ただ静かにそれを眺めていられる。人間というのは案外、慣れることができるものらしい。それとも、大切なものが死んでしまうと、痛みも感じなくなるのだろうか。
それでも事件は解決できた。なのは達は強かった。僕の資料なんて無くても、彼女達は前に進めた。
みんなにとって、僕の必死なんてその程度なんだから。
だから、もう誇りとか、役に立つとか、認められるとか、そういう話ではなくなった。
気づいた僕にしか出来ないことをやる。ただそれだけだ。
なのはがヴィヴィオを殺しかけたなんて、誰も知らなくていいことだ。
なのはは空が好きだと言った。魔法で飛べる広い空が。いつか、ヴィヴィオとも一緒に飛ぶんだと。
その夢を守るなんて言うのは、僕ごときにしては傲慢だろうか。
……傲慢で、いい。
誰かに認められなくても、誰かに必要とされなくても、誰かに感謝されなくてもいい。
誇りなんてものに縛られなくていい。
ただ、なのはが笑っていてほしい。
ただ、それだけでよかった。
◆
『ピッ…』
なんとかロストロギアを手に入れた。
予定通りにはいかなかった。保管室に入ったとき、シグナムさんがいた。
剣士として一流の彼女の反応速度で、こちらに気づくまで数秒もかからなかった。「ユーノ・スクライア」と、信じられないような声で名前を呼ばれた。その声に含まれていたのは、驚きと、戸惑いと、悲しみだったと思う。
攻撃を仕掛けた。
シグナムさんに向けて、本気で魔法を打った。
剣を抜かれた時、少しだけ希望した。このまま終わってしまえるかもしれないと。でも駄目だった。ヴィヴィオが待っている。まだ終われない。
ロストロギアをその手から奪って、転送した。
これで僕が犯罪者になったという確実な証拠をなのは達に渡したことになる。何しろ、シグナムさんに攻撃をしかけて目の前で奪ったのだから。
シグナムさんは優秀だ。第一報が管理局に入るまで時間はかからないだろう。映像記録もあるはずだし、本人の証言もある。言い逃れのしようが無い。
これ以上ない証拠だ。これ以上ない出来事だ。
なのは達にとっての僕は、今この瞬間から次元犯罪者になった。
これからが大変だ。特A級のロストロギアを奪った以上、僕は次元犯罪者。解析もしながら逃げなきゃいけない。そしてヴィヴィオを連れ出さなきゃいけない。治療を施さなきゃいけない。
やることは多い。でも、頭は妙に冷静だった。書庫で徹夜作業をしていた頃と同じ、あの感覚。やるべきことがはっきりしていれば、人間は動ける。
これからしばらくは日記を書く余裕も無くなるだろう。
次に書くときが、最後になるかもしれない。
それでも構わなかった。
『ピッ…』
今日、フェイトに見つかった。
場所はミッドチルダの外縁部、古い集合住宅の空き区画だった。ヴィヴィオの治療の準備をしながら、逃走経路を考えていた。その考えが途中で止まった。窓の外に、金色の輝きが見えたから。
フェイトは一人で来ていた。
最初は非常に悲しそうに、辛そうに、それでも諦めずに僕を説得してくれた。
フェイトの言葉は、いつも真っ直ぐだ。
「ユーノ、お願い。話を聞かせて。なのはも、みんなも、あなたのことを心配してる。こんな形で終わらせないで」
その声を聞きながら、ああ、やっぱりフェイトは優しいな、と思った。こんな状況でも、こんな僕でも、友人として扱おうとしてくれる。
だからこそ、この人の言葉は危険だった。
このまま聞いていたら、折れてしまう気がした。
そんなフェイトのトラウマを狙って罵倒した僕は、本当に最悪な人間だろう。
選んだ言葉を、ここには書かない。
ただ、フェイトが傷つく言葉を、僕は正確に知っていた。あの子の過去を、あの子が今も抱えているものを、友人として長く側にいたから、よく知っていた。
知識というのは、使い方次第で刃になる。
そのことを改めて、身をもって確認した。
出来そこない? 代替物? 人外?
実に馬鹿げている。
フェイト達の何の支えにもなれない力しか持たず、誰かの代わりにすらなれない僕が言う言葉じゃない。
普通の人間? それが何だって言うんだ。
彼女は僕が出来なかったこと、なのはを守るということをやってくれた最高の女性だっていうのに。あんな言葉がすらすら出てきた自分の醜さが嫌になる。
でも、おかげでフェイトは僕を見限ったはずだ。
親友の言うことを聞けば、なのはだって僕のことで頭を悩ますことはないだろう。
それでいい。それがいい。
フェイトを傷つけたことを悔やむ気持ちと、それでも前に進まなければという意志が、胸の中で静かに同居していた。
どちらも本物だった。どちらも捨てられなかった。
『ピッ…』
監視の網目を狙って久しぶりにミッドへ戻ってきたら、いきなりはやてに見つかった。
油断していた、とは言いたくないが、たぶん油断していた。
はやての捜査官としての能力が上がったのか、それとも単純に僕の運が尽きかけているのか、たぶん両方だろう。シグナムさんとヴィータも一緒で、三方向から囲まれた形になった。
逃げ切れたのは奇跡だったと思う。ヴィータの斬撃が頬を掠めたとき、笑いそうになった。あの子は手加減しない。それが正しい。今の僕は、手加減される必要の無い存在なのだから。
とりあえず、まだなのはが悲しんでいると言っていたので、はやても罵倒せざるを得なくなった。
はやてに向けた言葉も、ここには書かない。
ただ、フェイトの時と同じだった。知っている、から使える。友人として積み重ねてきた記憶が、今この瞬間に武器になった。
おかげでシグナムさんもヴィータも本気で僕を殺しにきたし、はやても純粋な怒りで僕を罵ってくれた。
良かった。これで一安心だろう。
なのはが悲しんでいる、という一言は、胸に刺さったけれど。
刺さったまま、抜かずにいた。
昔、一緒に本などを読んでいたのが懐かしい。
はやては子どもの頃から本が好きで、時々書庫に来ては端末を持ち込んで好きな本を読んでいた。無限書庫の蔵書は一般向けに開放されている部分も多いから、それは別に違反でも何でもないのだが、はやてはなぜか毎回「邪魔してもええ?」と声をかけてくれた。邪魔じゃないよ、と答えるたびに、嬉しそうに笑っていた。
あのときから、はやては純粋に家族と一緒に夢を求めていたっけ。
騎士達と、家族として生きることを望んでいた。その夢は、ちゃんと叶った。
夢のために、家族のために、必死で頑張っているはやて……どうか彼女の夢が叶い続けますように。
戦闘の傷の手当てをしながら、そんなことを考えていた。
傷は浅かった。もう少し深くても良かったと思いながら、すぐにその考えを捨てた。まだ終われない。ヴィヴィオが待っている。
『ピッ…』
ヴィヴィオを誘拐することに成功したが、フェイトを傷つけ、はやてを裏切った僕にも、まだ良心なんてものが残っていたらしい。
予想はしていた。ヴィヴィオを連れ出す際に、なのはの人間関係が動くことは分かっていた。フェイトが動いた。おそらくなのはとも連携していた。
制圧には成功した。でも、フェイトを傷つけた。
あの時の彼女の眼を、うまく忘れられない。
悲しそうな眼で僕を見るヴィヴィオに、思わず「ごめん」などと言おうとしてしまった。
唇が動きかけた、その寸前で止めた。
ここまで来て、誰に何の許しを請おうとしているんだ?
ヴィヴィオを傷つけているのは、ヴィヴィオを治すためだ。泣かせているのは、笑わせるためだ。分かっている。分かっているが、その眼を見ると、何かが腐っていく気がした。
どこまで愚かな人間なんだろう、僕ってやつは。
ヴィヴィオに憎まれたくない、なんて思う自分の滑稽さに涙が出そうだ。
君をこれから傷つける僕を憎んでくれ。恨んでくれ。怒ってくれ、ヴィヴィオ。
絶対に、許さないでくれ。
許してくれたら、僕が壊れてしまいそうだから。
『ピッ…』
間もなくヴィヴィオの治療が完了する。これで、ようやく僕の役割も終わりだ。
先日なのはに追いつかれたとき、この成功を悟った。
廃棄区画の一角で、なのはと向き合った。久しぶりに近くで見た彼女は、疲れていた。それでも立っていた。飛んでいた。それがなのはだ、と思った。
久しぶりに見たなのはの眼からは、僕の知っている感情なんて伝わってこなかった。
かつて一緒に星の欠片を集めた頃の眼じゃなかった。病院で笑い合った頃の眼じゃなかった。
純粋な敵意。
親友を傷つけ、自分達を裏切った僕への絶望と怒りがそこにあった。
良かった。なのはは、もう僕を友人なんて思ってくれていない。
これで成功だ。
もう、僕が最後にどんな末路を辿ろうと悲しむことは無い。なのはが僕のために泣くことは無い。
そうじゃなきゃ、いけなかった。
だから、辛くなる必要なんて無い。
心が痛いなんて思うな。そんな感情は消し去ってしまえ。
僕は、最後の瞬間までなのはの敵じゃなきゃいけない。そうじゃなきゃ、なのはは二度と笑えなくなる。
それでも、あの眼が、頭から離れなかった。
怒りと絶望の奥に、一瞬だけ、それとは違う何かが見えた気がした。
気のせいだろう。気のせいであってほしかった。
なのはが僕を敵だと思ってくれているなら、それが一番いい。
心が痛くても、それが一番いい。
『ピッ…』
もう間もなく、ここになのは達が踏み込んでくるだろう。
ヴィヴィオの治療は完璧だ。レリックによる後遺症は完全に治癒した。精神的な苦痛も、魔法で上手く緩和できた。あの子はもう、どこも欠けていない。
後は、僕が最後の最後まで救いようのない悪として敵対し、撃たれる。それでハッピーエンドだ。
きれいな結末だ、と思う。
誰も真実を知らない。なのはは娘を取り戻す。悪役は撃ち倒される。物語として整っている。
残りの人生を、普通の人と同じようにヴィヴィオは生きていける。なのはと一緒に。広い空の下で。
きっとこれが最後の日記になるだろう。
これで、ようやく終わる。
僕という愚かな道化が、なのは達の人生の邪魔になることはもう無い。
誰の役にも立てなかった男が、最後の一度だけ役に立って、退場する。
それが、ユーノ・スクライアという人間の総決算だ。
悲しくはない、と言えば嘘になる。
でも、後悔は無かった。
『ピッ…』
まさかもう一度この日記をつけることが出来るなんて思いもしなかった。
とはいえ、今度こそ最後だろう。何しろ、明日には僕は氷付けにされて虚数空間へと落とされる。執行はクロノがしてくれるらしい。
クロノは優秀だ。感情を排して任務を遂行できる。だから安心だ。
もはやクロノはそう思ってないだろうけど、僕としては親友の手で逝けるなら悪くない最後だ。あいつなら、きちんとやり遂げてくれるから。
捕まった後、みんなの顔を見た。
誰も僕に優しくしなかった。
それは正しかった。それでよかった。
僕の刑が決まったときも、法廷にいたフェイトは勝利の笑顔を浮かべていた。
完璧だった。これ以上ない結末だった。
────
なぜ、僕はこの日記を消去しないんだろうか。
解除不能なプロテクトに巧妙な隠蔽がしてあっても、これを読まれれば僕は僕自身の手でなのはの笑顔を奪うことになるというのに。
全部が水泡に帰すというのに。
なのはが知ったら、悲しむだろう。責めるだろう。自分を。
それだけは、避けたかったはずなのに。
でも、消せなかった。
ひょっとすると、僕は誰かに知ってほしいのかもしれない。
誰かに、この重さを分けてほしいのかもしれない。
分けてほしいというより、ただ知ってほしいのかもしれない。誰かに。どこかで。
こんな男が、確かにここにいたということを。
誰にも必要とされなかった男が。
誰かの役に立ちたいと思い続けた男が。
自分の誇りが何の意味も無いと知りながら、それでも誇りを捨てられなかった男が。
届かないと知りながら、それでも届けようとし続けた男が。
ユーノ・スクライアという愚かな男が、分不相応にも一人の女性を愛したことを。
ユーノ・スクライアという無力な男が、それでも彼女達を必死に守りたかったことを。
まあ、それでもこの記録が人目につくことは無いだろう。パスワードが特殊すぎるのだから。
もうすぐ夜も明ける。これが、僕が見る最後の朝日になるだろう。
ずっと起き続け、見続けた空が、少しずつ夜の黒から空の青を取り戻していく。
ミッドの空は、地球の空に少し似ている。
あの頃の空も、こんな色をしていた。なのはと、フェイトと、三人で並んでいた頃の空が。
なのはが飛ぶ空は、今日も美しいと思った。
願わくば、誰もこの日記に気づくことなどありませんように。
願わくば、なのはが僕のことを一生許さないでいてくれますように。