リリカルなのはSSの「届かぬ叫び」に脳を焼かれた者が送る鎮魂歌 作:ゆーの。
それが、最後のページだった。
震える指が紡ぎだした、彼の本音。最後の最後まで自分達を騙しつづけた彼の真実。
シンと静まり返る中で、そのページを開いてしまった少女──高町ヴィヴィオは、その場にペタンと座り込んだ。
幼い頃、母親と同じくらい自分が大好きだった男性だった。
裏切られたと思い、騙されていたと思い、本気で憎しみの言葉をぶつけた男性だった。
最後の瞬間まで、自分達を敵として見つづけていたはずの男性だった。
「ぅ、そ…だ…!」
そんな呟きが口から零れ落ちた。そんなはずがないと心が叫ぶ。そうでもしなければ、とても正気を保てそうになかったから。
しかし、同じフォルダに入っていた別の資料───レリックの人体への影響についてのレポート───がそれを許さなかった。
そこに書かれていたのは、聖王としての自分のデータとレリックの関係。
無知な自分にでもハッキリと分かるほどの致命的な傷。
そして、その治療法。
ヴィヴィオは画面から眼を離せなかった。
視野が狭まる。指先が震える。画面の文字がにじんで見えるのは、自分が今泣いているからだと気がついたのは、随分後のことだった。
読みたくない。
それでも、読まずにいられなかった。
あの事件以来、無限書庫に近寄らなくなったとはいえ、それでも司書としての能力を持つ自分の知能が全てに眼を通させる。幼い自分がどれほど危険な状態であったか。それを本当に助けてくれたのが、一体誰だったのか。
「嘘っ…だぁ…!」
思い出す。
あの戦いを。
笑っていた、あの男の顔を。
最後まで愉悦の表情を浮かべていた、あの眼差しを。
でも。
でも、もしもあれが愉悦などではなかったとしたら。やるべきことをやり通し、自分が敵として討たれることに安堵していたがためであったとしたら。
その瞬間、ヴィヴィオの中で何かが崩れた。
崩れたのではない。砕けた。粉々に。
「嘘だ嘘だうそだうそだうそだうそだうそダウソだウソダうそだウソだ…!」
自分が撃った。
自分が討った。
母と同じくらい、自分が大好きだった男性を。
父として慕ってすらいた男性を。
尊敬する人達のように、自分を文字通り命がけで守ってくれた男性を。
「う、ソっだ……アアアアアアアアアアアッ!!!」
あの愉悦の笑みの意味が、今になって分かる。
やっと分かった。
ずっと分からなかったことが、今になって全部分かった。
分かりたくなかった。
「ヴィヴィオッ!どうしたのっ!?」
絶叫と、行き場の無い想いと共に吹き荒れる魔力の中、この秘密を絶対に見てはいけない女性の声が響いた。
そうだ。今日は自分の十七歳の誕生日。この場には全員いるのだ。
無慈悲に刑を執行してしまった、彼にとっての親友。
彼が受けるべき刑を宣告してしまった、彼が優しいと言った幼馴染。
彼が有罪となりうる証拠をこれでもかと揃えた、夢を叶えた家族達。
そして、彼を誰よりも許さないと言い切った、彼が誰よりも愛した女性。
見せてはいけない。
この人には、絶対に見せてはいけない。
瞬間的に、ヴィヴィオは目の前の物体を破壊すべく拳を振りかぶる。
破壊するのは──母の愛機、レイジングハート!
「レイジングハートッ!」
『Please destruct me!Hurry up!』
「ごめん!」
暴れていた魔力を急いで収束させ、そのまま拳を待機状態の彼女へと叩きつけ───る、瞬間だった。
「っ!アクセルシューター!」
「フォトンランサーッ、ファイア!」
桜と金の弾丸がヴィヴィオの体を弾き飛ばし、壁へと叩きつけた。
二人の女性の後からどんどん他の人達が現れては騒ぎに驚き、次に依然として宙に浮いたままの画面に気づく。
「レイジングハート!消して!今すぐにそれを消してぇっ!」
『All right!』
「レイジングハート!何を隠したの!見せて!」
「駄目ぇっ!見ないで!見ちゃだめ!お願い!見ないでえええええ!!」
「っ……レイジングハート!マスター命令だよ!今の画面を開きなさい!」
「お願い!見ないで!見ないで、お母さん!誰も見ないで!誰もっ……誰も、見るなああああああっ!!」
少女の絶叫が虚しく、楽しかったはずのパーティーの中に響き渡った。
◆
レイジングハートが画面を開いた瞬間、なのははそれが何なのか分からなかった。
日記、という形式だと気づいたのは、最初の数行を読んだ後だった。
文体に見覚えがあった。丁寧で、少し不器用で、でも言葉の選び方がどこか誠実な、あの文体に。
そこで初めて、手が止まった。
読んではいけない気がした。
でも、ヴィヴィオがあれほど必死に「見ないで」と叫んでいた。それがかえって、指を動かした。
『なのはが笑ってくれる要因の一つになれて嬉しかった』
最初の数エントリは、温かかった。
ユーノの書く文章には、いつもこういう静けさがある。感情を大きく揺らさず、でも確かにそこに感情がある。昔からそうだった。
病院に来てくれた日のことが書いてあった。焼き菓子を持ってきてくれた日のことが。ヴィヴィオが人見知りして、少しだけ傷ついたと書いてあった。
なのはは笑いそうになって、でも笑えなかった。
読み進めるほどに、何かが変わっていった。
『レリックについての情報なんて今更、と適当に流していたようだ。』
その一行で、なのはは息を呑んだ。
アクセスログを調べた、と書いてあった。夜通し調べた、と。
見ていなかった。読んでいなかった。なのはは確かに、ユーノが届けてくれていた資料を、適当に流していた。
そのことを、今この瞬間まで、深く考えたことすらなかった。
『何の事は無い。僕の誇りは、なのは達にとって適当に流せる程度のものでしかなかったのだ。』
声を、出せなかった。
胸の中で何かが軋んだ。罪悪感、という言葉では足りない何かが。
ユーノが誇りと呼んでいたもの。あの書庫の中で、ひとりで夜通し積み上げていたもの。
それを、なのはは見もせずに流していた。
分かっていなかった。分かろうとしていなかった。
読むのをやめることが、もうできなかった。
ヴィヴィオのリンカーコアの項を読んだとき、指先が冷たくなった。
コアの崩壊。SLBによる強制摘出の後遺症。あのとき、なのははヴィヴィオを助けるために最大火力の魔法を使った。躊躇いなく使った。それが正しいと思っていたから。
ユーノの資料は、読んでいなかった。
なぜ、読まなかったのだろう。
なぜ、と思ってから、答えが出るのが怖くなった。
読み進めた。止まれなかった。
ロストロギアを奪うと決めた夜の文章に差し掛かったとき、なのははようやく理解した。
あの事件の意味を。ユーノが犯罪者になった理由を。あのとき法廷で、なのはが「許さない」と言い切った相手の、本当の顔を。
『僕がなのは達に必要とされていないのは、もう知っていることだ。』
胸が、痛かった。
痛い、なんて言葉では全然足りない。でも他の言葉が出てこなかった。
必要とされていない、とユーノは書いていた。知っていることだ、と。当然のように。諦めたように。
それがいつから「知っていること」になったのか、なのはは知らなかった。
知らなかった。気づかなかった。ずっと傍にいると思っていた。ずっとそこにいると思っていた。
書庫の中に、いつもいると思っていた。
それが、なのは自身の怠慢だったということに、今更気づいた。
フェイトへの言葉の項は、読むのが辛かった。
ユーノが使った言葉の中身は書かれていなかった。でも、そこに込められた自己嫌悪の重さは、行間から滲み出ていた。最悪だと自分を呼んでいた。醜いと言っていた。
それでも進んでいた。
なのはの笑顔のために、先へ進んでいた。
はやてへの言葉の項も読んだ。
昔、一緒に本を読んでいた、と書いてあった。はやての夢が叶いますように、と書いてあった。
罵倒した相手に向けて、それを書いていた。
なのはは、そこで画面から目を離せなくなった。
最後のエントリを読んだ。
明日、虚数空間に落とされる日の前夜に書かれた文章を。
『なぜ、僕はこの日記を消去しないんだろうか。』
なぜ、消さなかったのだろう。
ユーノのことだから、消せると思っていたら消していたはずだ。技術的に難しかったわけじゃない。書いてあった通り、プロテクトはかけた。でも消しはしなかった。
ひょっとすると、誰かに知ってほしかったのかもしれない、と本人が書いていた。
なのはは、画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
『ユーノ・スクライアという愚かな男が、分不相応にも一人の女性を愛したことを。』
愛していた。
ユーノは、愛していた。
なのはのことを。
ずっと。書庫の中で、ひとりで、誰にも言わずに。
なのはは、気づいていなかった。
気づいていなかった、というのは本当のことだろうか。
分からなかった。分からなくなった。
ただ、胸の奥が、じわじわと熱くなっていた。熱くなって、それが涙になって出てくるまで、なのはには自分が泣いているという自覚すらなかった。
『なのはが飛ぶ空は、今日も美しいと思った。』
最後の一行が、一番こたえた。
空が好きだと言ったのを、ユーノは覚えていた。
いつか、ヴィヴィオと一緒に飛ぶと言った夢を、ユーノは覚えていた。
その夢のために、ユーノは全部を手放した。
誇りも、友情も、自分の未来も。
周囲の声が、遠かった。
ヴィヴィオの泣き声が聞こえた。フェイトの声が聞こえた。はやての声が聞こえた。
誰かが何かを言っていた。なのはの名前を呼んでいた。
なのははただ、画面を見ていた。
消えていくデータの光の残像を見ていた。
レイジングハートが静かに「All right」と言って、画面を閉じた。
それでもなのはは、そこに何かが残っているような気がして、視線を動かせなかった。
ユーノ。
声に出そうとして、出なかった。
喉が震えていた。唇が動かなかった。
……ずっと、そこにいてくれていたのに。
ずっと、届けてくれていたのに。
なのはは、何も見ていなかった。
それだけが、ぐるぐると頭の中を回り続けた。
楽しかったはずのパーティーの喧騒の中で、高町なのははひとりで、もうどこにもいない男の名前を、声にならないまま呼び続けていた。
◆
元々、レイジングハートはユーノのデバイスだった。
だからこそ、ユーノはレイジングハートへの外部アクセスの方法も分かっていたのである。
レイジングハートのAIにも気づかれぬよう、深くに隠したプログラムのパスは単純が故に難解だったもの。
「ユーノ自身の口から、レイジングハートの起動パスを言う」という、ただそれだけ。
ヴィヴィオがユーノとほぼ同じ声紋を持っていたのが、不幸だったといえた。