CYBERPUNK BREAK THE EDGE   作:ケーケーケー

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AI利用です


第二部

第六章 最初の仕事

 

デイビッドが初めてメインたちの仕事場へ足を踏み入れた時、レベッカは大型拳銃の分解整備をしていた。

 

場所はワトソンの外れにある廃モーテル。受付は数年前に焼け落ち、二階の客室だけが辛うじて原形を保っている。通りに面した看板は半分ほど消え、「VACANCY」のうち「CAN」だけが赤く明滅していた。

 

「できる」

 

そんな言葉だけが、夜の中で何度も光っている。

 

「遅えぞ、新入り!」

 

レベッカが銃身をデイビッドへ向けた。

 

弾倉は抜かれている。それでもデイビッドの肩がわずかに跳ねた。

 

「まだ入るって決めてない」

 

「メインが呼んだんだから同じだろ。ほら、座れ」

 

「そこ、あんたの荷物が――」

 

「座れるようにどかせ!」

 

理不尽な命令だった。

 

だが、レベッカが口だけで動くつもりがないことを悟り、デイビッドはソファに積まれた弾薬箱を床へ下ろした。

 

室内にはメインとドリオ、ピラル、キーウィ、ルーシーが揃っている。ファルコは窓際でコーヒーらしき黒い液体を飲み、アキラだけが壁に寄りかかって全員を見ていた。

 

「どうして俺まで呼ばれたんだ?」

 

デイビッドの問いに、メインがテーブルの投影装置を起動した。

 

空中に一台の高級車が映る。

 

レイフィールド・エアロンダイト。

 

一生働いても手が届かないような車だった。

 

「明日の夜、アラサカの技術者がこいつでジャパンタウンを通る。車内に新型義肢の設計データがある。そいつをいただく」

 

「俺には関係ないだろ」

 

「運転手がアラサカ・アカデミーの送迎ルートを使う」

 

投影された地図に赤い線が引かれた。

 

デイビッドは、その道を知っていた。登校時、企業幹部の子供たちを乗せた車両が優先レーンを走る。一般の交通記録には残らない専用経路だ。

 

「俺に道を教えろって?」

 

「それだけだ」とアキラが答えた。「現場には出さない」

 

メインが片眉を上げる。

 

「俺は出してもいいと思ってるがな」

 

「駄目だ」

 

「こいつの度胸を見るにはちょうどいい」

 

「撃たれたこともない学生を、装備もなしに連れていくのが度胸試しなら、あんたの判断力を先に検査した方がいい」

 

空気が張り詰めた。

 

デイビッドは二人を交互に見た。

 

メインはクルーのリーダーだ。アキラは加入して一週間しか経っていない。それでもアキラは一歩も退かず、メインも力で黙らせようとはしなかった。

 

「過保護じゃねえか?」とメイン。

 

「準備をさせてるだけだ」

 

「ストリートは待っちゃくれねえ」

 

「だから、待たせるだけの力を持つ」

 

メインの口元が僅かに上がった。

 

「言うじゃねえか」

 

その右手が一度、小さく震えた。

 

本人はすぐに拳を握り、異常を隠す。ドリオだけがそれに気づき、アキラは気づかなかったふりをした。

 

今ここで問い詰めれば、メインは意地を張る。

 

救うためには、正しいことを言うだけでは足りない。相手が受け入れられる瞬間まで待つ必要がある。

 

「作戦を続けよう」とアキラが言った。

 

役割が決められた。

 

ファルコが標的車両を追い込み、メインとドリオが護衛を排除する。レベッカとピラルが道路を封鎖し、ルーシーとキーウィが車載ネットへ侵入する。

 

アキラは全体の護衛。

 

その言葉を聞いたレベッカが不満そうに頬を膨らませた。

 

「お前が全部やった方が早くね?」

 

「できる」

 

「じゃあやれよ」

 

「それじゃ、俺がいない時に全員死ぬ」

 

部屋が静かになった。

 

冗談として受け流せない言葉だった。

 

原作で、この部屋にいる者の大半は死ぬ。

 

アキラが望んでいるのは、自分がすべての銃弾を受け止め続ける未来ではない。彼らが生き残る方法を覚え、危険な時には助けを求め、自分たちで明日を選べる未来だった。

 

「俺は全員を強くする。その間だけ、死なないように守る」

 

「随分と偉そうね」

 

窓際に座ったルーシーが言った。

 

「誰も頼んでない」

 

「頼まれなくてもやる」

 

「そういうの、嫌われるよ」

 

「知ってる」

 

「なら直せば?」

 

「それができたら、とっくにまともな仕事をしてる」

 

ルーシーが小さく笑った。

 

デイビッドは、その横顔を見ていた。

 

アキラには分かった。

 

原作より出会い方が変わっても、二人は互いを見つけ始めている。

 

ただし今度は、片方がもう片方の夢を背負って死ぬ関係にはさせない。

 

二人とも、自分の足で月へ行かせる。

 

翌日の仕事は、予定どおりには進まなかった。

 

標的車両がアカデミー専用レーンへ入った瞬間、地図に存在しない遮断壁が道路を塞いだ。

 

ファルコが急ブレーキを踏む。

 

「聞いていた話と違うぞ!」

 

『標的車両の中に別回線がある!』

 

キーウィの声が通信へ飛び込んだ。

 

『囮よ。こちらの侵入を待っていた』

 

黒い車両が前後の路地から現れる。

 

アラサカの正規部隊ではない。装備から企業章を外し、死体になっても所属を追跡できないよう処理された兵士たち。

 

過去に襲撃してきた部隊と同じだった。

 

「全員、車から出るな」

 

アキラは静かに告げた。

 

「今度は何秒だ?」

 

レベッカが楽しそうに笑う。

 

「五秒」

 

「十二秒より速いじゃん!」

 

「今回は壊していい」

 

世界が止まった。

 

クロノスが、アキラの神経と全身の駆動系を同時に加速させる。

 

兵士たちが引き金へ指を掛けるより早く、アキラは最初の車両へ到達した。掌底で装甲板を打ち抜く。衝撃は車内へ届かず、駆動軸だけを正確に砕いた。

 

二台目の屋根を蹴る。

 

車体が地面へ沈み、四輪すべてが路面に埋まった。

 

三台目はハッキングで制御を奪い、無人の道路へ走らせる。

 

残る兵士は二十四人。

 

アキラの視界では、一人ひとりが静止していた。

 

銃を握る指を折る必要はない。

 

弾倉を抜き、義手の電源を落とし、装甲服の留め具を外す。殺意を向けながらも撃つことを躊躇した若い兵士だけは、壁際へ移動させた。

 

加速が終わる。

 

二十四丁の銃が同時に地面へ落ちた。

 

兵士たちは何が起きたのか理解できず、その場に立ち尽くしている。

 

アキラが一歩踏み出す。

 

それだけで、半数が逃げた。

 

「四秒と六十二」

 

レベッカが車窓から顔を出す。

 

「惜しい!」

 

「何と競ってるんだよ……」

 

デイビッドの声が通信へ混じった。

 

アキラは足を止めた。

 

彼はモーテルで作戦通信を聞いているはずだった。

 

『アキラ、標的の車を調べろ』

 

デイビッドの声が緊張している。

 

『さっきから、そいつだけ同じ場所を回り続けてる』

 

アキラは車載ネットを確認した。

 

ルーシーとキーウィが侵入している設計データ。その奥で、微細なプログラムが複製を繰り返している。

 

追跡型ウイルス。

 

回収したデータを拠点へ持ち帰った瞬間、アラサカへ位置情報を送る仕組みだった。

 

「よく気づいた」

 

『訓練プログラムに似た問題があった』

 

「答えを覚えていたのか?」

 

『違う。おかしいと思ったから見直した』

 

アキラは僅かに笑った。

 

教えたことを繰り返したのではない。

 

自分で考えた。

 

それこそ、デイビッドに身につけてほしかった強さだった。

 

「メイン」

 

「ああ」

 

メインは車内の設計データを破壊せず、追跡プログラムだけを隔離した。

 

そのまま偽の座標を入力する。

 

ノースサイドの廃工場。アラサカが部隊を送り込めば、待っているのは六番街の武器取引現場だ。

 

企業とギャングが互いに潰し合う。

 

「ガキに一本取られたな」

 

メインは笑った。

 

「デイビッド。次は現場に来い」

 

『本気か?』

 

「お前が今日、俺たちを助けた。だったら、もう部外者じゃねえ」

 

アキラは反対しなかった。

 

デイビッドは力を求めてクルーに入るのではない。

 

自分の判断で仲間を救い、その結果として居場所を得た。

 

小さくても、確かな違いだった。

 

筋書きはまた一つ、原作から外れた。

 

⸻

 

第七章 二人分の夢

 

グロリアは、息子がエッジランナーになることを認めなかった。

 

当然だった。

 

診療所から戻った彼女は、自分が死にかけたことより、デイビッドが危険な世界へ踏み込もうとしていることに怒った。

 

「あなたをアカデミーへ行かせるために、私がどれだけ――」

 

「分かってるよ!」

 

狭い部屋に、デイビッドの声が響いた。

 

言った本人が最も傷ついた顔をしている。

 

グロリアも黙った。

 

二人とも相手を大切にしている。それなのに、言葉へした瞬間、思いは刃物の形に変わる。

 

アキラは窓際に立ち、口を挟まなかった。

 

親子の問題を力で解決することはできない。

 

「母さんの夢を馬鹿にしてるんじゃない」

 

長い沈黙の後、デイビッドが言った。

 

「でも俺は、母さんの夢を叶えるためだけに生きたくない」

 

グロリアが息を呑む。

 

原作のデイビッドなら、言えなかった言葉だった。

 

母親を失った彼は、グロリアの夢を自分の生きる理由に変えた。メインの死後はメインの夢を継ぎ、最後にはルーシーの夢だけを残して、自分を使い切った。

 

だが今は、母親が生きている。

 

ぶつかることができる。

 

「俺は、俺が何をしたいのか知りたい。アカデミーに残るか、メインたちと仕事をするか、それも自分で決めたい」

 

グロリアは俯いた。

 

やがて、ベッドの横に置かれた黄色いジャケットを見た。

 

亡くなった夫が着ていたものだった。

 

「お父さんも、同じことを言ったわ」

 

「父さんが?」

 

「人のために生きて、最後まで自分の夢を教えてくれなかった」

 

グロリアは目元を拭った。

 

「だから怖いの。あなたも同じように、誰かのためだと言って帰ってこなくなるんじゃないかって」

 

デイビッドは母親の前へ座った。

 

「帰ってくる」

 

「簡単に言わないで」

 

「一人で無茶はしない。クロームも勝手に入れない。危なくなったら逃げる」

 

「それを守れる?」

 

「アキラが見張ってる」

 

二人の視線が向けられる。

 

「そこで俺を使うのか?」

 

アキラが尋ねると、デイビッドは少しだけ笑った。

 

「最強なんだろ。俺一人くらい見張れるよな」

 

「高くつくぞ」

 

「治療費と一緒に返す」

 

グロリアは呆れたように息を吐いた。

 

だが、最後には頷いた。

 

デイビッドはアカデミーを休学した。

 

退学ではない。

 

戻りたいと思った時に戻れる道を残す。それがグロリアの出した条件だった。

 

メインのクルーへ正式に加わったデイビッドは、仕事のない日はアキラの訓練を受けた。

 

走り込み、射撃、応急処置、侵入経路の確認。撃つことより撃たれない場所を覚え、敵を倒すことより仲間の位置を見る。

 

サンデヴィスタンは装着しない。

 

強化したのは最低限の反応補助と通信機能だけだった。

 

それでも、デイビッドは驚くほど早く成長した。

 

「やっぱり特別なんじゃねえか?」

 

訓練後、デイビッドが尋ねた。

 

「才能はある」

 

「前と言ってること違わないか?」

 

「才能があることと、壊れないことは別だ」

 

「夢がないな」

 

「生き残る話をしてるんだ。夢を見るのは、その後でいい」

 

その夜、ルーシーがデイビッドを自宅へ誘った。

 

月面を再現したブレインダンス。

 

アキラは二人を追わなかった。

 

原作を知っているからといって、すべてを監視する権利があるわけではない。

 

屋上に座り、遠くに見えるアラサカ・タワーを監視していると、背後の扉が開いた。

 

レベッカがビールを二本持って現れる。

 

「覗かなくていいの?」

 

「何をだ」

 

「デイビッドとルーシー。今頃、月でいい感じになってんじゃね?」

 

「本人たちの時間だ」

 

レベッカは隣へ座り、一本を投げて寄越した。

 

「お前、変な奴だな」

 

「よく言われる」

 

「強い奴って、もっと好き勝手するもんだと思ってた」

 

「好き勝手してる。誰も死なせないと勝手に決めた」

 

レベッカは缶を開けた。

 

「それ、本当にできんの?」

 

「できる」

 

「言い切るんだ」

 

「できなかった時のことを考える暇があるなら、できる方法を増やす」

 

しばらく、二人で街を見下ろした。

 

銃声。サイレン。広告音声。

 

ナイトシティに静かな夜はない。

 

「じゃあさ」

 

レベッカが珍しく小さな声で言った。

 

「もし私が、どうやっても助からない場所にいたら?」

 

アキラは彼女を見た。

 

空からアダム・スマッシャーが落ちてくる。

 

逃げる時間はあった。それでもレベッカは、仲間を置いて退かなかった。

 

その最期を思い出す。

 

「場所ごと壊す」

 

「は?」

 

「壁が邪魔なら壁を壊す。敵が邪魔なら敵を倒す。空から何か落ちてくるなら、落ちてくる前に撃ち落とす」

 

レベッカは目を丸くし、それから腹を抱えて笑った。

 

「最高! やっぱお前、気に入った!」

 

アキラの背中が何度も叩かれる。

 

「痛い」

 

「嘘つけ!」

 

痛くはなかった。

 

だが、その手が生きて触れていることは、確かに感じられた。

 

同じ頃、月面のブレインダンスから戻ったデイビッドは、ルーシーの隣で夜景を眺めていた。

 

「いつか、本当に行きたい」

 

ルーシーは初めて、自分の口で夢を語った。

 

デイビッドはすぐに「連れていく」とは言わなかった。

 

アキラに何度も教えられていた。

 

誰かの夢を勝手に背負うな。

 

「俺も行っていいか?」

 

ルーシーが振り返る。

 

少し驚いたあと、静かに笑った。

 

「自分の分は自分で払いなよ」

 

「高そうだな」

 

「だから、生きて稼がないとね」

 

二人分の夢が、そこで初めて同じ方向を向いた。

 

⸻

 

第八章 罅割れた巨人

 

メインの右手の震えは、日に日に強くなった。

 

幻覚はまだ短い。

 

壁を這う虫。聞こえるはずのない銃声。昔殺した相手の顔。

 

瞬きをすれば消えるため、メインは疲労だと決めつけていた。

 

ドリオにも話していない。

 

だが、アキラの目からは隠せなかった。

 

異変が表面化したのは、サイバーサイコの確保依頼だった。

 

標的は元企業警備員。全身の七割を軍用クロームへ換装し、解雇された直後に精神崩壊を起こした。

 

生け捕りが条件。

 

メインたちは廃工場へ突入した。

 

レベッカとピラルが左右から牽制し、ドリオが正面を抑える。ルーシーとキーウィがネットワークを封鎖し、ファルコが退路を確保する。

 

デイビッドは後方支援。

 

原作より装備は少ない。それでも周囲をよく見て動いていた。

 

「右から来る!」

 

デイビッドの警告と同時に、壁が吹き飛んだ。

 

巨大な影がドリオへ突進する。

 

メインが間へ入り、義手で受け止めた。

 

二人の巨体が衝突し、床が沈む。

 

「この程度で!」

 

メインが腕部ランチャーを展開する。

 

撃てば標的は死ぬ。

 

アキラが砲身を掴み、上へ向けた。

 

弾頭が天井を破り、夜空で爆発する。

 

「何しやがる!」

 

「依頼は生け捕りだ」

 

「邪魔するな!」

 

メインの目は、すでに標的を見ていなかった。

 

瞳孔が開き、呼吸が乱れている。神経系から送られる警告を攻撃命令と誤認している。

 

サイバーサイコの症状。

 

原作では、まだ先のはずだった。

 

アキラが未来を変えたことで、アラサカは予定より早く動いている。メインのクロームへ外部から負荷をかけ、精神崩壊を誘発した可能性がある。

 

「メイン。俺を見ろ」

 

「退け!」

 

拳が振り下ろされる。

 

アキラは片手で受け止めた。

 

衝撃で周囲の窓が一斉に割れる。それでも、アキラの足は一歩も動かない。

 

「放せ!」

 

「今、あんたが見ている敵はどこにいる」

 

「目の前だ!」

 

「俺は誰だ」

 

メインの動きが止まる。

 

怒りと混乱の中で、僅かに理性が戻った。

 

「……オルフェウス」

 

「違う」

 

アキラは拳を握ったまま、メインを見上げた。

 

「久世アキラ。あんたのクルーだ」

 

銃声が響く。

 

サイバーサイコが二人へ向けて重機関銃を撃った。

 

アキラはメインを庇い、背中ですべての弾丸を受けた。

 

反応装甲が硬化する。衝撃が床へ逃がされ、足元のコンクリートが砕ける。

 

「敵はあっちだ。でも殺すな。できるか?」

 

メインは荒い呼吸を繰り返した。

 

やがて腕部ランチャーを収納し、拳を構える。

 

「……舐めるな」

 

アキラが標的の武器を破壊する。

 

メインは真正面から懐へ入り、装甲の隙間へ拳を打ち込んだ。

 

一撃。

 

義体の制御系だけが停止し、巨体が倒れる。

 

誰も死ななかった。

 

仕事を終えたあと、アキラはメインをマラの診療所へ連行した。

 

本人の同意は取らなかった。

 

「放せ! 俺は正常だ!」

 

「正常な奴は、仲間にランチャーを撃とうとしない」

 

「撃ってねえ!」

 

「俺が止めたからだ」

 

診療台へ固定されたメインが拘束具を引き千切ろうとする。

 

ドリオは傍らに立ち、何も言わなかった。

 

診断結果が表示される。

 

神経炎症。免疫抑制剤への耐性。慢性的な睡眠不足。複数の軍用クローム間で発生している信号衝突。

 

そして、外部から送り込まれた微弱な攻撃コード。

 

「誰かがこいつを壊そうとしてるね」とマラ。

 

「直せるか?」

 

ドリオが尋ねる。

 

「クロームを四割外す。三週間休ませる。薬を変える。それなら、まだ戻れる」

 

「断る」とメイン。

 

即答だった。

 

「俺はこの身体でクルーを守ってきた。腕を外せば、次の仕事で誰かが死ぬ」

 

「外さなくても死ぬ」

 

アキラの言葉に、メインが睨みつける。

 

「俺は違う」

 

それは、原作のデイビッドが繰り返した言葉だった。

 

自分は特別だ。

 

まだ耐えられる。

 

もう少しだけ。

 

その積み重ねの果てに、人間だった部分が消えていく。

 

「何が違う?」

 

アキラは静かに尋ねた。

 

「あんたよりクロームを積んだ奴も、自分だけは大丈夫だと思っていた。今日捕まえた男もそうだ」

 

「俺には仲間がいる」

 

「なら、その仲間の言葉を聞け」

 

メインがドリオを見る。

 

彼女は泣いていなかった。

 

怒ってもいない。

 

ただ、ひどく疲れた顔をしていた。

 

「怖いの」

 

ドリオが言った。

 

「仕事へ行くたびに、あんたが帰ってこないんじゃないかって。隣にいても、少しずつ別の何かへ変わっていくんじゃないかって」

 

「ドリオ……」

 

「強くいてほしい。でも、生きていてほしい」

 

メインの右手が震える。

 

ドリオはその手を両手で包んだ。

 

「私に、どっちかを選ばせないで」

 

メインは長い間、何も言わなかった。

 

やがて全身から力を抜き、診療台へ背中を預ける。

 

「四割は多すぎる」

 

「三割半なら調整できる」とアキラ。

 

「最初から譲るつもりだったな?」

 

「交渉の基本だ」

 

メインが小さく笑った。

 

その笑いは、途中で震えた。

 

「三週間だけだ」

 

「一か月」

 

「三週間」

 

「二十六日」

 

「細けえな……分かった」

 

ドリオが目を閉じ、額をメインの手へ触れさせた。

 

爆発は起きなかった。

 

マックス・タックも来ない。

 

二人は、炎の中へ消えない。

 

だが、アキラはまだ安堵できなかった。

 

メインへ攻撃コードを送り込んだ者がいる。

 

原作には存在しなかった敵が、すでに彼らのすぐ近くまで来ていた。

 

⸻

 

第九章 死者のいない夜

 

攻撃コードの送信元は、ファラデーから持ち込まれた依頼データに隠されていた。

 

アキラがそれを突き止めた時、田中を拉致する仕事はすでに始まっていた。

 

本来ならメインが指揮を執る。

 

しかし彼は手術中だった。

 

代わりにドリオが現場を率い、アキラ、ルーシー、キーウィ、レベッカ、ピラル、ファルコが同行する。

 

デイビッドはグロリアの護衛として残した。

 

「俺も行ける」

 

出発前、デイビッドは食い下がった。

 

「分かってる」とアキラ。

 

「だったら――」

 

「強い方が戦場へ行くとは限らない。一番守るべきもののそばに置かれる奴が、一番信用されてる」

 

デイビッドは言葉を失った。

 

グロリアが息子の背中を軽く叩く。

 

「行ってきなさい、とは言わないわよ。今日は一緒に夕飯を作るの」

 

不満そうではあったが、デイビッドは頷いた。

 

アキラたちは田中の車を襲撃し、予定どおり確保した。

 

簡単すぎた。

 

護衛は少なく、田中本人にも目立った抵抗がない。

 

まるで、捕まることまで計画されていたようだった。

 

廃ビルへ運び込み、ルーシーとキーウィが田中の神経ポートへ接続する。

 

アラサカ内部の情報へ潜るためだ。

 

「妙ね」

 

キーウィが呟いた。

 

「こいつのICE、穴が開いてる」

 

罠だ。

 

アキラがそう判断した瞬間、田中の身体が跳ねた。

 

両目から赤い光が溢れ、接続ケーブルを通じて膨大なデータが逆流する。

 

「接続を切れ!」

 

キーウィは即座に離脱した。

 

ルーシーだけが動かない。

 

彼女の意識は、田中の深層記憶へ引き込まれている。

 

そこにあったのは、デイビッド・マルティネスの適合データだった。

 

そして、久世アキラに関する不完全な分析記録。

 

映像の中で田中が笑う。

 

『見つけたぞ』

 

現実の田中ではない。

 

アラサカのネットランナーが、彼の脳を中継地点として利用している。

 

ルーシーの周囲へ黒い壁が形成される。

 

幼い頃、何人もの仲間を焼き殺した旧ネットの闇。彼女が最も恐れる場所が、再現されていた。

 

「ルーシー!」

 

ドリオが身体を揺する。

 

反応はない。

 

同時に、建物の外で銃撃が始まった。

 

窓を突き破り、特殊部隊が侵入する。

 

「やっぱ罠かよ!」

 

レベッカが二丁拳銃を抜く。

 

「上等だ! 全部ぶっ殺す!」

 

「殺すな。雇い主を吐かせる」

 

「注文が多い!」

 

ピラルとレベッカが左右へ展開する。ドリオはルーシーと田中の前へ立ち、銃弾を受け止めた。

 

アキラは目を閉じた。

 

意識をネットへ沈める。

 

黒い海。

 

幾重もの防壁の向こうで、ルーシーが一人で立っていた。周囲には、アラサカの施設で死んだ子供たちの姿が浮かんでいる。

 

幻だと理解していても、彼女は動けない。

 

「また逃げるのか」

 

アラサカのネットランナーが、死んだ子供の声で問いかける。

 

「お前だけが生き残った」

 

「違う……」

 

「お前が逃げたから、みんな死んだ」

 

黒い槍がルーシーへ伸びる。

 

アキラがその前へ立った。

 

槍を素手で掴み、握り潰す。

 

ネットランナーの声が止まった。

 

『侵入者を確認。識別不能』

 

「俺の仲間から離れろ」

 

周囲の闇が牙を剥く。

 

数千の攻撃プログラムが、アキラの意識へ殺到した。

 

ヘカテーが起動する。

 

三層の演算領域が展開され、すべての攻撃コードを分解する。吸収した情報から侵入経路を逆算し、攻撃者の位置を特定する。

 

アラサカ・タワー地下。

 

十二人のネットランナーが直結していた。

 

アキラは彼らの生命維持装置へ触れた。

 

停止させれば、全員殺せる。

 

代わりに意識接続だけを強制解除した。

 

現実のアラサカ・タワーで、十二人が同時に椅子から転げ落ちる。

 

死者はいない。

 

だが二度と同じ相手へ接続しようとは思わないだろう。

 

黒い空間が砕けた。

 

ルーシーが膝をつく。

 

アキラは彼女へ手を伸ばした。

 

「帰るぞ」

 

「どうして……」

 

「何がだ」

 

「どうして殺さなかったの?」

 

「あいつらにも、帰りを待ってる奴がいるかもしれない」

 

ルーシーは差し出された手を見た。

 

「甘いね」

 

「ああ」

 

「そのせいで、いつか負けるよ」

 

「その時は、助けてくれ」

 

ルーシーがアキラの手を取る。

 

「高くつくよ」

 

「請求書はメインへ回せ」

 

二人は現実へ戻った。

 

その間に、戦闘は終わりかけていた。

 

レベッカとピラルが敵の足を止め、ドリオが前線を支えている。

 

最後の部隊が天井を爆破した。

 

巨大な瓦礫が、ルーシーたちへ落ちる。

 

ドリオが身を投げ出した。

 

原作と同じだった。

 

メインを守るため、爆発の中へ飛び込んだ時と同じ選択。

 

アキラはクロノスを起動した。

 

瓦礫の下へ入り、片手で受け止める。

 

「一人で背負うな」

 

止まった世界の中で、ドリオだけがアキラの声を聞いた。

 

「それは、あんたにも言ってる」

 

加速が終わる。

 

アキラは瓦礫を窓の外へ投げ捨てた。

 

特殊部隊が武器を下ろす。

 

彼らの視界には、壁を埋め尽くすほどの赤い警告が表示されていた。

 

心臓、肺、人工筋肉、視覚系。

 

すべてがアキラの支配下にある。

 

「投降しろ」

 

誰も逆らわなかった。

 

その夜、田中は死ななかった。

 

ルーシーも連れ去られない。

 

ドリオも爆発に呑まれない。

 

原作で四人の運命を狂わせた仕事は、一人の死者も出さずに終わった。

 

⸻

 

第十章 夢を降ろす日

 

メインが目を覚ました時、右腕は以前より細くなっていた。

 

軍用義手とランチャーは外され、代わりに軽量の戦闘用義肢が接続されている。

 

出力は三割低い。

 

反応速度も、装甲強度も落ちている。

 

メインはしばらく新しい腕を見つめ、指を動かした。

 

「弱くなったな」

 

「そうね」

 

隣に座っていたドリオは否定しなかった。

 

「だが、生きてる」

 

アキラが壁際から言う。

 

メインは顔を向けた。

 

「田中の仕事は?」

 

「終わった」

 

「死者は」

 

「ゼロ」

 

「本当か?」

 

「負傷者はいる。ピラルが自分で投げたグレネードの破片を尻に受けた」

 

「そいつは数に入れなくていい」

 

メインが笑う。

 

以前のような大声ではない。

 

だが、落ち着いた笑いだった。

 

ドリオが彼の肩へ額を預ける。

 

メインは新しい腕で、恐る恐る彼女の背中へ触れた。

 

出力を間違えれば傷つけてしまうと心配している。

 

そんな感覚が戻ったこと自体、人間へ近づいた証拠だった。

 

「俺は、降りた方がいいのかもしれねえ」

 

メインが言った。

 

「仕事を?」

 

「リーダーをだ」

 

ドリオが顔を上げる。

 

アキラは黙って続きを待った。

 

「今まで、俺が全員を引っ張るしかないと思ってた。強くなって、でかい仕事をして、もっと上へ行く。それがこいつらのためだってな」

 

新しい右手を握る。

 

「だが違った。俺が背負ってるつもりで、実際は全員に俺を支えさせてた」

 

「降りる必要はない」とアキラ。

 

「気を遣うな」

 

「使ってない。リーダーは一番強い奴じゃない。自分が間違えた時、止まれる奴だ」

 

メインは少し考えた。

 

「だったら、しばらく休業だ」

 

「二十六日」

 

「覚えてやがったか」

 

「契約だからな」

 

診療所の外では、デイビッドたちが待っていた。

 

扉が開き、メインとドリオが並んで出てくる。

 

レベッカが真っ先に駆け寄った。

 

「おっそいんだよ!」

 

メインの腹へ拳を叩き込む。

 

軽い一撃のつもりだったが、手術直後の身体には響いたらしい。メインが呻き、ドリオがレベッカの襟首を掴む。

 

「病み上がりに何してるの」

 

「生存確認!」

 

「別の方法にしなさい」

 

ピラルが笑い、ファルコが車のドアを開ける。キーウィは少し離れた場所で煙草を吸い、ルーシーはデイビッドの隣に立っていた。

 

誰も欠けていない。

 

メインはその光景を見渡した。

 

そして、デイビッドを呼ぶ。

 

「お前に渡すものがある」

 

「ランチャーなら要らないぞ」

 

「誰がやるか」

 

メインが投げたのは、小さな金属片だった。

 

使い込まれた弾丸。

 

クルーの指揮官が、作戦開始時に持つ認証キーが埋め込まれている。

 

「俺が戻るまで、現場でアキラの補佐をしろ」

 

デイビッドが目を見開く。

 

「俺が?」

 

「勘違いするな。リーダーじゃねえ。周りを見ろってことだ」

 

「でも俺は、まだ――」

 

「強くない。経験もない。だからこそ、自分だけで決められねえ。今のお前には、それが必要だ」

 

デイビッドは認証キーを握った。

 

以前なら、メインの夢を継ぐ証として受け取っていただろう。

 

今は違う。

 

生きて戻ってくる男から、一時的に預かっただけだ。

 

「分かった。戻ったら返す」

 

「ああ。勝手に形見にするんじゃねえぞ」

 

「縁起でもないこと言うなよ」

 

メインが笑う。

 

その隣で、ドリオも笑っていた。

 

原作では訪れなかった朝だった。

 

しかし同じ頃、アラサカ・タワーでは別の決定が下されている。

 

田中の拉致。

 

実験用サンデヴィスタンの喪失。

 

ネットランナー十二名の同時敗北。

 

そして、複数の監視映像に残された黒いコートの男。

 

通常戦力では捕獲不能。

 

ネット攻撃も効果なし。

 

アラサカ上層部は、ついに切り札の投入を承認した。

 

格納庫の隔壁が開く。

 

赤い光の中で、鋼鉄の巨体が立ち上がった。

 

「標的は?」

 

アダム・スマッシャーの声が、格納庫を震わせる。

 

『久世アキラ。通称オルフェウス。可能なら生け捕りにしてください』

 

「可能なら?」

 

スマッシャーが笑う。

 

「そいつは、どの程度壊していい?」

 

『戦闘能力を失わせることを優先してください』

 

「つまらねえ注文だ」

 

映像にアキラの姿が表示される。

 

スマッシャーは、その輪郭を拡大した。

 

至近距離からの徹甲弾を受けて無傷。軍用サンデヴィスタンを上回る加速性能。企業ネットランナーを殺さず無力化する演算能力。

 

人間の形をしているが、人間に許された限界をいくつも越えている。

 

「だが、少しは楽しめそうだ」

 

鋼鉄の足音が響く。

 

死神が、棺から出る。

 

その夜、アキラはモーテルの屋上で一人、街を見下ろしていた。

 

第一の悲劇は覆した。

 

グロリアは生きている。

 

第二の悲劇も覆した。

 

メインとドリオは、同じ朝を迎えた。

 

だが、胸騒ぎは消えない。

 

救った人数が増えるほど、原作知識は役に立たなくなる。アラサカの動きは早まり、存在しなかった敵と罠が次々に生まれている。

 

背後の扉が開いた。

 

デイビッドとルーシー、レベッカが屋上へ上がってくる。

 

「何してんだ?」

 

「考え事だ」

 

「また一人で?」

 

ルーシーの言葉が鋭い。

 

レベッカがアキラの隣へ座る。

 

「自分で言ってたじゃん。一人で背負うなって」

 

アキラは三人を見た。

 

守るべき対象として見ていた者たち。

 

原作で死ぬ人間。

 

救済しなければならない登場人物。

 

いつからか、それだけではなくなっていた。

 

彼らはアキラの知らないところで考え、怒り、笑い、自分の意思でここへ来た。

 

もう物語の登場人物ではない。

 

仲間だった。

 

「アダム・スマッシャーが来る」

 

アキラは初めて、未来の一部を口にした。

 

デイビッドの表情が硬くなる。

 

レベッカは笑わなかった。

 

ルーシーが尋ねる。

 

「勝てるの?」

 

「勝てる」

 

迷いなく答えた。

 

戦闘だけなら、恐れる理由はない。

 

アキラの敵はスマッシャーではない。その背後にいるアラサカと、未来を知っているという自分自身の慢心だ。

 

「ただし、次からは俺の知っている未来じゃない。何が起きるか分からない」

 

デイビッドが隣へ立つ。

 

「だったら、俺たちが教える」

 

「何をだ?」

 

「今、何が起きてるか。あんた一人で全部見る必要はない」

 

ルーシーも反対側へ立った。

 

レベッカは座ったまま、銃を空へ向ける。

 

「スマッシャーが落ちてきたら、先に撃ち落とすんだろ?」

 

ある夜、アキラが言った言葉だった。

 

「そうだ」

 

「じゃあ決まり。私が最初に撃つ」

 

「当てられるのか?」

 

「撃ちまくれば一発くらい当たる!」

 

「弾代は自分で払えよ」

 

「メインにつけとく!」

 

屋上に笑い声が広がる。

 

遠くでアラサカ・タワーが赤く輝いていた。

 

ナイトシティは、未だ彼らを呑み込もうとしている。

 

それでも今夜は、誰も一人ではなかった。

 

死神が来るなら、全員で迎え撃つ。

 

そして久世アキラは、今度こそ見せつける。

 

この街では、悲劇だけが伝説になるわけではない。

 

誰一人失わず、最後まで生き残る。

 

そんな物語があってもいいのだと。

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