――鳥肌が止まらない。
全身の神経から細胞にいたるまで、すべての身体の器官が警告をかき鳴らしている。
周囲の学生の反応はほとんどない。よほど平和ボケしているのか、目の前の異常事態を前に何の反応も見せず、魔力を練る気配すら見せない。
わからない。自分の中にある感覚が、何もかもが霧散するような不快な感覚が、胸からのどまで迫ってくる。
(弱気になってはいけませんわ、ローレッタ!)
いけない。弱気になる自分を心中で叱咤し、黒板の前にいる死神と、教授を名乗る能天気な少女を観察し続ける。
「あー、紹介するぞ。こいつはヴィータ。
白衣を被った少女、教授がぶっきらぼうに黒髪の少女、ヴィータ・アルデバランと言う死神の頭を叩きながら喋っている。
「そう。当機は貧弱。だけど、だいじょうぶ。みんなは当機が守るから」
そう、彼女は感情を感じさせない瞳で言った。
「え、かわいい……」
「ギャップ萌えじゃん……」
隣の生徒たちは口元を抑え、ヴィータに向かって反応している。
(いったいどこがかわいいんですの……!)
まったくもって正気とは思えない。
かわいい? ギャップ萌え? 訳が分からない。目の前にいるのは紛れもない化け物だ。だが、他人の意見をすべて切り捨てるのは好ましくない。
(よく見てみれば……)
魔力は貧弱。柔らかそうな頬っぺたと、長い髪にタレ目、小さな体躯。
まあ……。かわいいとは思う。まるでお人形さんのような見た目。その上から着せている黒いフリル付きのバトルドレスも、よく似合っている。
だが、その身に纏う不吉なまでの覇気を含めると話が変わってくる。
その覇気の異質さは師匠たるローグに匹敵する。幾度も死線を超えてきたような、何人もの人を屠ってきたような雰囲気は、間違いなく本物。
鴉。
(まるで、古戦場の鴉のようですわ……)
黒い髪に、夕闇色の赤く、感情が伺えない瞳。
可愛さの裏にある底冷えするような五体は、わたくしの背筋を震わせるのに十分であった。
「んお? ヴィータ?」
……ッ! あの女と視線が合った。
ゆらり、と前へ歩き出した。階段を上がっている。小さく軋む木の音が耳に届く。
視線はわたくしの元に固定されている。光を一切宿していない、吸い込まれるような昏い赤の瞳がじっとわたくしを見つめている。
「ひ……っ」
身体が動かない。
一歩、また一歩とわたくしの元へと迫ってくる。
獲物を定めた鴉のような視線だ。動けないミミズから見た、蟻の気持ちとはこのようなものなのだろう。
もう、ヴィータは目と鼻の先。
階段を登り切り、ヴィータの手がわたくしの頭へと伸び――。
「よしよし」
やさしく、わたくしの頭を撫でた。
「え……」
困惑が止まらない。
何かの能力か。頭を撫でることを条件に発動する異能か。それとも――。
「だいじょうぶ」
「もうこわくないよ」
絹をなでるかのように、わたくしの頭をゆっくりと撫でていた。
「ろーれったには、当機がいるから」
背丈が足りないのに、わざわざ背伸びをしてわたくしの頭に手を伸ばしている。
わたくしを落ち着かせるように、慎重にわたくしの髪の毛を流す様に触っていた。
わたくしは固まったまま動けない。
ヴィータはいそいそと懐から何かを取り出し、飴玉をわたくしに握らせる。
とたた、と音を立ててヴィータが階段を駆け下りる。
頭の上に、まだ撫でられた感覚が残っていた。
渡された飴玉はイチゴ味。紙の包みを手に取れば、紙特有の質感が掌に伝わる。
——思えば、頭を撫でられたのは幼少期以来。
ローグとは違う。なのに、ローグのような強い気配を漂わせている、二個上の先輩。
春の鳥——。ヒクバチが歌っている。くちゅんくちゅんと、くしゃみをするような鳴き声が、わたくしの耳朶を打つ。
黒いあの渡り鳥は、まるでさっきのヴィータのよう。冬の終わりと夏の先触れの間だけ訪れる風物詩と、頭に残った感触が髪を撫でつける。
小鳥遊教授の言ってる内容は右から左に流れていく。
気になるのはヴィータ。どれだけ強いのか。わたくしでも見抜けないあの強さの偽装の底には一体何が隠されているのか。
「——次決めるぞ~。寮の相部屋について——」
「はい!」
小鳥遊教授の言葉が耳に入ると同時に、わたくしは手をあげていた。
「お、おう……。そこの、ええと」
「ローレッタ。……ローレッタ・ヴェン・プレアデスですわ。
わたくし、寮の相部屋で希望がありますの」
挙手したまま立ち上がり、銀髪の少女を見下ろす。
周囲のどよめきが見える。まあ、当然でしょう。先ほどまで物憂げに外を見つめていたのに、いきなり立ち上がったのですもの。
ですが、気にしても仕方ありませんわね。
周囲の視線を振り切り、小鳥遊教授を見下ろしながら腕を組む。
「そこのヴィータさんと、相部屋を希望しますわ」
わたくしは鼻息を強く吹きながら、胸を張って答える。
あれほどの覇気を放つ人物の部屋。そこならば、わたくしの望む答えが。
復讐の道につながるものが、ある気がした。
※※※
「ぬわあんですのこの部屋はァ!?」
錬金科から徒歩15分。
鉄塔の繁華街を抜けた先にある学生寮の最上階に位置するヴィータの部屋は、惨憺たる状況だった。
「こ、このお皿いつから洗っていないんですの……?」
「二日まえかな」
鼻に生臭い匂いが突き刺さる。
目の前には食べ散らかされた皿がそのまま放置されている。
茶色い脂が固まっていて、悪臭の原因になっていた。
「げーっ、台所水垢塗れじゃありませんの! い、いつから台所洗って……」
「おぼえてない。たくさんだと思う」
隣にいる少女が平気な顔で告げる。
ふらつきを抑えながら部屋の奥へと進んでいく。
「お、お洋服の山が積まれていますわ…………」
「うん。片づけるのがたいへんで」
制服の替えが山のように積み上げられている。畳んだ形跡もない。脱いだままのものをそのまま放置している。
「シャワー室は………………」
「自動洗浄機をつけてる。せいけつ。ぶい」
「ぶい、じゃねぇんですの!! わたくしのベッドをいったいぜんたいどこに置けと!?」
「二段ベッドがあるよ」
「そこは清潔にしているのですよね…………?」
「もちろん」
ヴィータがわたくしを見上げ、腹が立つくらい自信に満ちた目をこちらに向けてきた。
「物置にしてある」
二段ベッドの上は、箱がうず高く積まれていた。
「どぉこがきれいにしているのですか!?」
二本指を立てて喜ぶヴィータの頭に軽く手刀を落とす。
まったく、食事のバランスとかどうなっておりますの……!
埃が溜まったキッチンを進み、停涼庫——。食物の状態保存が可能な魔導具の中を開ける。
中から出てきたのは——。
「ぜ、全部肉………………」
揚げ物、肉、豚肉、脂、脂、脂……。
庫内のすべてが茶色で埋め尽くされている。野菜の存在がどこにも見当たらない。
「こ、この明らかに脂っこい食べ物は……?」
「チチャロン。豚の皮をカリカリになるまで揚げたヴィータの好物。おいしいよ」
「野菜は……野菜はどこにありますの?」
「ワカモレがあるよ。すり潰したアボカドにレモンと塩と玉ねぎを和えて作ったの。チチャロンにつけて食べるよ」
「ヴィータ。わたくしは野菜がどこにあるかを聞いていましてよ?」
「…………? いま説明した。ワカモレは野菜でできてる、よ?」
「ふーー……」
頭がくらくらする。
おうえ……。ありえませんわ、ありえませんわ……。
ここまでトチ狂った食生活と汚部屋を見たの初めてですわ……。野宿をするよりもよほどしんどいですわ……。
「ごめんなさい。当機に片づけをするよゆうがなかった。実質ひとり部屋だったからいいかなと思ってた」
ヴィータは視線を落とし、薄い表情に謝意を浮かべながら言った。
心を真綿という罪悪感が締め付けてくる。
項垂れた彼女を見ていると、そのまま放置しているのが悪いことのように感じた。
「…………まあ、構いませんわ。わたくしが片付ければいいだけですもの」
「当機もやる」
「ヴィータは座っていて結構です!」
何故かお玉を取り出し始めたヴィータを奥へ押しのけ、腕をまくって魔力を練り上げる。
左手には携帯用のごみ袋を用意し、前髪についた埃を払いのけた。
(まったく……。なぜわたくしがこんなことを……)
心中で文句を言いながら、指先に魔力を灯した。
魔法陣を描く。水の原素を呼び起こす術式を刻み、風を喚ぶ。
つむじを描いた風が埃や塵を吸い上げ、散らばった物品を宙に浮かせた。
風切り音を奏でながら物品についた埃を螺旋の流れが巻き取り、部屋の隅にたまったごみを手元に収縮させる。
「おお」
「おお、じゃありませんが」
部屋のごみを一瞬で吸い上げたものを圧縮して固め、ごみ袋に抛る。
ふー。これで一旦、床にある目立ったごみは掃けましたわね。次は丸洗いですわ。
懐から取り出した粉洗剤を床に散布し、さっきとは別の水の魔法を描く。ついでにわたくしとヴィータの全身に魔力障壁を展開する。
魔法円が空に浮かび、円から天幕のような雨が部屋に降り注いでいく。魔力障壁が降り注ぐ水を弾き、服が濡れるのを防ぐ。
「ろーれった、すごい。魔力操作の練度が学生のレベルじゃない」
「ふん。当然ですわ。このくらい」
「ううん。魔力操作はいっちょういったんで身に着くものじゃない。とても、頑張ってきたんだね。ろーれった」
ヴィータがやわらかい笑顔をわたくしに向けてきた。
「……当然ですわ、このくらい。ヴィータ、抱き上げますわよ」
「ん」
ヴィータを抱き上げる。軽い。何より、冷たい体温が肌に伝わってきた。ろくなものを食べていない何よりの証拠だった。
全く、この体のいったいどこからあれほどの覇気を吐き出しているのやら……。
ため息を吐きながら床を見る。
床は泡まみれになっていた。足元に三度目の魔法陣を描き、水流を起こして床を洗い上げていく。
「ろーれった、すごい。水の魔法、得意なの?」
「まあ、少しは。光の魔法が一番得意ですが」
目を輝かせて褒めてくれるヴィータから目を逸らす。
……褒められるような。称えられるような目で見られる価値などない。この魔法も、技術も、身体も。すべて、ただ一つのために磨き上げたもの。
復讐。
わたくしを、プレアデス家を陥れた者共に、地獄の苦しみを。
ヴィータの目がわずかに揺れる。
……いけませんわ。貴族たるもの、常に余裕をもって動きませんと。
「さて、次は断捨離ですわ!」
頭を軽く振り、宙に浮かせたままの荷物を並べなおしていく。
宙に浮いたよくわからない物品を風を使って操作し、ヴィータの前に並べていく。
「このカビの生えた餅は?」
「まだたべられるよ」
「……この鋼の延べ棒は?」
「たぶんなにかに使えるよ」
「…………この謎の円柱の龍は?」
「竜のポールだね。おみやげだよ」
「………………この汚れた袋は?」
「なにかに使えるとおもうよ」
「全部廃棄ですわ!!!!」
ごみ袋を地面にたたきつける。
部屋を汚しているばっかではありませんか!もう、もう! 捨てるって行為ができませんのこの人は!
憤慨しながらごみ袋に餅やら何やらを捨てていく。明らかに使わないものが大量にある。カビの生えた餅なんて食べたらポンポン壊しますわ。
竜のポールを手に取り、一瞬わたくしの腕が止まった。
…………お土産、ですわね。汚れが目立つ品の多い中、この木彫りだけは丹念に手入れされていた。きっと、思い出の多い品なのだろう。
「……はい」
竜のポールをヴィータに手渡す。
「…………すてるんじゃないの?」
「大切なものなのでしょう?」
赤い彼女の瞳から目を逸らし、ごみを捨てていく。
「思い出は大切にするものですわ。わたくしもそこまで鬼にはなれません。……捨てるなんて言って、ごめんなさい」
ヴィータが目を丸くし、笑った。
「やさしいんだね」
その言葉が、亡くなった父の言葉と重なった。
少しだけ息を飲んだ。何か、心の奥に沁みてくるような感覚があった。蓋をしたわたくしの大切なささくれを、ヴィータの声が逆撫でした。
「……そんなんじゃありませんわ」
わたくしを見上げる上目遣いに目を合わせられない。饐えた部屋の黴臭さが落ちて、石鹸の香りが目に染みる。
お土産。大切なもの、ですか。
もう、わたくしにはそんなもの残ってはいない。この人は、それを持っている。
……なんだか、疲れてしまいましたわ。
ため息を吐く。ちくりと痛む心に目を逸らし、目の前にある掃除へ専心する。
ヴィータの手が予備動作なく動き、わたくしの口に何かをねじ込んだ。
「——んむっ!?」
「噛んで」
言われたとおりに噛む。
噛んだ途端、部屋に響き渡る揚げ物の破裂音。ザクザクッ、と弾ける豚の脂。脂の濁流が口の中を満たすと同時に、クリーミーなアボカドとレモンの酸味が咥内を包み込む。
塩気を感じる。そこに唐辛子の辛味が混ざり合い、噛めば噛むほど味が深まっていく。
飲み込む。あれほどしつこく、重かったはずの脂の感覚は消えていて、脂の余韻が乾いた唇に潤おした。
「……美味しい」
「でしょ」
見上げれば、仁王立ちしているヴィータの姿。
いつの間にか豚の皮とワカモレの入った小皿を手に持っており、チチャロンと呼ばれたスナックをわたくしの口に運んだようだ。
「ろーれったは難色をしめしてたけど、新しくちゃれんじしてみるのも悪くないでしょ?」
ヴィータがわたくしに視線を合わせ、小さく微笑む。
心の底を見透かされたような気持になった。……よくよく考えると、古い考えばかりに囚われていた気がする。
「確かに、そうですわね。悪くない」
小さく笑い、床に魔法陣を描く。
水に渦を描かせ、熱風を当てて乾かしてゴミだけを集める。床が光沢を放ち、汚れた床などまるでなかったかのようにきれいな状態になっていた。
そうだ。古い考えだけではだめだ。
あいつらを葬るためには、新しいものも取り入れていかなければならない。古い知識ばかりを取り入れていては、前に進めない。一歩でも早く、一個でも多く、力や知識を取り込まなければならない。
切り捨てられるものは、捨てていかなければならない。
腹の奥で渦巻くどす黒い熱に、何もかもを焼べなければならない。
…………頭では、わかっている。なのに、古い考えを捨てようとすると、心の奥に鋭い痛みが走って仕方がない。
「? ろーれった、どうしたの?」
「…………なんでもありませんわ。今日は、休ませてもらいます」
ほんの少しだけ、疲れた。
わたくしは二段ベッドを登り、用意していた寝袋を取り出して包まる。洗浄魔法を身体に施す。シャワーを浴びる気力も、残っていなかった。
目を瞑り、脳に魔力を送って己に催眠をかける。
夢を見ないように。起きていなくて済むように。
どちらも、わたくしにとっては苦しいだけだから。
意識を闇に溶かし、意識を泥濘の中に沈めた。
※※※
何かを揚げるような音が聞こえる。
朝の光。脂の揚がる香り。部屋に熱気が籠り、独特な臭気が寝袋越しに鼻を衝いた。
「~♪」
鼻歌が聞こえる。どこかの民謡だろうか。特徴的なリズムを取りながら、音階を息で奏でている。
誰かが、料理をしているのだろうか。キッチンからの香りと一緒に、きれいな高音が耳をくすぐった。
身体に小さく力が入っていく。目覚めの実感が全身に充ち、瞼に活を入れた。
意識を浮上させ、寝袋から這い出る——。
瞬間。
どたん、と何かが倒れる音が響く。
鼻歌も途切れている。油の弾ける音だけが耳朶を打っていた。
「!?」
音の発生源はキッチン。急いで起き上がり、寝ぐせを確認する間もなくベッドから飛び降り、現場へ急行する。
「どうしましたの!?」
寝袋をそのままに、キッチンへ着地する。
「——きゅう…………」
そこには、キッチンで倒れ伏していたヴィータの姿があった。
割烹着を着て、菜箸を持ったまま仰向けに倒れている。コンロの火はかかったままで、揚げ物の油が火にかかったままだ。
「た、たいりょくぶそく……。ろーれった、起こして」
ヴィータがこちらに手を伸ばす。腕も身体もぴくぴくと痙攣している。
浜に打ち上げられた魚のよう。転んだウサギのような弱い姿でわたくしを見上げ、赤い目をこちらに向けていた。
「ええ…………」
わたくしは、脱力するしかなかった。
※※※
「おお~」
ヴィータの声が霊子街に木霊する。
わたくし達は今、登校中。
ヴィータは黒いゴシック調の制服を身に着けていた。わたくしも同じ。どうやら、錬金学科の制服はこれらしい。
外の道路を鋼鉄の地竜が風を切る。
大型バイク、と言う黒光りの魔導三輪車。わたくしはヴィータを前に座らせたまま、愛車であるメテオラを繰る。
排気口から爆音を轟かせ、スロットルを捻る。
バイクの速度が上がり、車体を傾けて右折する。
「すごいね。これなら登校もいっしゅんだね。側面についている柄みたいなのは何?」
「わたくしの武器ですわ」
ボロロロ、と力強くエンジンを唸らせながら答える。
ガンブレード、小銃の銃身を側面に取り付けている。生身で持ち歩くには重すぎる武装を、このバイクの側面に収納している。
「すごいね。おもそうな武器ばっかり。当機じゃ持つのもむずかしそう」
「魔力強化すればだれでも操れますわ」
ふん、と鼻を鳴らしながら道を走り続ける。
「わたくしとしては、よくその体力の低さで<叡智の学堂>の最高戦力を務められるのか甚だ疑問ですわ。
あなたにはしんどい任務ではありませんこと?」
挑発を交えて前に座るヴィータを鼻で笑う。
「そうだね。任務がおわるといつも体力ぎりぎり。ろーれったは当機よりすごい」
返ってくるのはなしのつぶてだ。
前方から向かう風を全身で浴びながら、バイクを講堂へ向けて走らせる。
……どうにもやりづらい。
朝の料理と言い、この少女は体力があまりにも低い。魔力量ですら、どう見積もってもわたくしの百分の一もない。
それを煽ってみてもわたくしが凄い、と褒めて終わる。
肌を刺すような覇気は健在。なのに、朝の準備すら一人でできない。今朝だってシャワーを一人で浴びさせるのも不安だったから、わたくしがヴィータを洗う羽目になりましたし。
そこらの平民の少女よりも体力がない。わたくしが本気で小突けば簡単に命を奪える。
にも拘らず、わたくしの直感は警鐘を鳴らし続けている。なのに、昔に捨てたはずの感情が胸の底から湧いてくる。
一体、彼女は何者——。
「ついた」
思考をヴィータに集中させ、バイクを走らせていると彼女がわたくしの身体をゆすった。
視線を前に向ければ、大きな講堂にたどり着いていた。
バイクを適当な場所に駐車させ、ヴィータを抱き上げて地面に下ろす。
ペダルを踏む。側面に装備していた銃身が煙と共に伸びる。
ブレード、ショットガン、火炎放射器、小銃。
デイジーの花弁のように展開された武装を眺めながら、背負っていたホルスターへブレードとショットガンを挿入し、バイクから降りる。
先を歩くヴィータについていき、隣に並ぶ。
目の前には鉄で閉められた巨大な白塗りの門。魔導線のような溝が彫られており、取っ手や入口が見当たらない。
あるのは四角い魔導具だけ。
「ヴィータ。今日の講義について教えていただいてもいいかしら?」
「わかんない。きょーじゅのきぶん次第なところがあるから、当機にもわかりかねる部分がおおい。でも、わかることはある」
ヴィータはふふん、と鼻を鳴らし。学生証を四角い魔導具に読み込ませる。
門の溝に緑の魔力光が走り、重厚な音を立ててゆっくりと扉が開いていく。
その、先には。
「きょーじゅは、派手好きなんだ」
鋼鉄の巨人が、幾体も並んでいた。
※※※
「ぃよう! いい朝だな、お前ら!」
鉄と、水っぽい油の匂いの中。
銀髪の白衣の少女がやたら高いテンションで歩き回っていた。
講義室だったはずの部屋は、見渡す限りの大広間に変わっている。
数体の白い鉄の巨人が小鳥遊教授の後ろに並んでいる。わたくし達は広間に並べられた椅子へ腰かけ、鼻歌まじりに歩く教授の話に耳を傾ける。
「こいつはV.A。<ヴァンガード・アルケミー>と名付けた錬金術の集大成! 成長する金属である有機合金、セフィラ神鉄をふんだんに使い、関節部にはスライム油を用いている! これが俺にとっての錬金術!」
教授の目は変わらず歓喜の色に染まっていた。
子供が自慢のおもちゃを自慢するような口ぶりで説明を続ける。
「より優れた魔導具を造るのが錬金術師の使命。となれば、V.Aは俺の中で最高傑作だ!」
鉄の巨人の前で身振り手振りをしながら小鳥遊教授は熱弁する。
「錬金術とは何か! わかる人はいるかな?」
全員がきょとんとした顔で小鳥遊教授を見る。
錬金術とは何、か。求めている意図はなんとなくわかる。隣に座っているヴィータは静かに頷いていた。
周囲を見渡しても、誰も発言をする様子がない。縮こまったように顔を俯かせているだけ。誰も彼も、錬金術の基礎を押さえるつもりはないらしい。
両端の髪の毛を弄りながら手を挙げる。
「魔法ではなく、物質そのものを組み替える神秘。だと思います」
「正解だ! が、少し惜しい」
小鳥遊教授は指を鳴らし、背後に並ぶ人型の鋼を見せる。
魔導線を這わせ、V.Aと呼ばれていた魔導具と自分の魔力をつなげた。
V.A——。鋼鉄の巨人たちが一斉に立ち上がり、両手を広げる。
心臓に位置する部分から魔力が溢れ、導線を通って両手に通う。
「錬金術とは、ロマンを探求する学問! 魔法法則なんぞに囚われねえで、自分にとって至極の魔導具を造り上げること!」
鋼鉄が、動き出した。
翼を広げた鷹のような仕草を小鳥遊教授が取れば、V.Aもその動きに従って両手を天に突き出す。
「俺にとってのロマン! 人型のロボ! 理屈を飛び越えた強さを持つ超越者に対する抑止力の回答!」
小鳥遊教授は足を交叉させ、その場で回転する。
高らかに指を鳴らし、鼻を鳴らして言った。
「それが、俺にとっての錬金術だ! お前らも俺と同じく、人生を賭けるロマンに見つけられることを祈る!」
V.Aから煙がもうもうと上がる。
白鉄の巨人が跪いた。胸部が開き、奥につながる操舵席へと繋がる階段が降りてくる。
「さあ! 小難しい理論より何より大事なのが、体験だ! まずはこいつに乗って体験してみよう!」
※※※
左右の操縦桿を握る。
硬く、熱い。腕が伸びていく。己の腕を青い魔導線が伝っていき、わたくしの魔力経絡と絡み合う。
「……んっ」
なんだか、少しくすぐったい。腕の表皮を羽毛でなぞられているよう。座席に身を任せる。重みのない座り心地で、反発が少ないというべき。
まるで浮いているみたい。ふつうの人ならばこれを心地よいと思うのだろう。だが、常在戦場を心掛けているわたくしには、どうにも居心地が悪かった。
「——ふう」
目を開けば、一面の白景色。機械的な白で満たされた周囲はローグのもとで過ごした森の景色とは、何もかもが違う。
『ようし! ならまずは、歩いてみろ!』
中二階にいる小鳥遊教授が声を張り上げる。
その隣にはヴィータがいる。相変わらず何を考えているかわからない目で、わたくしの乗るV.Aを見つめていた。
『魔力経絡を伸ばしてみろ~! 魔力導線に思念を送ってみるんだ』
小鳥遊教授の言うように、思念を魔力経絡に送る。
わたくしの乗るV.Aの周囲にいた巨人の足が、大きく持ち上がった。
砂ぼこりが上がる。辺りには不格好な状態で足を延ばし、屈伸運動をするような態勢のロボットの群れ。
「……っ!」
(歩け、歩いて、歩くんですの!)
思念をV.Aへ何度も叩きつける。
操縦桿を引いても、押しても動く気配がない。わずかに身じろぎするだけで、このでくの坊は動く気配すら見せない。
『おーい、ローレッタ? 歩くんだぞ?』
渡り廊下のような展望デッキから、小鳥遊教授の声が響く。
間延びした声が、脳幹を不快にくすぐる。
そんなこと、言われなくてもわかっている。何度も試している。
なのに、少しもこいつは動かない。
「……ッ!」
四方八方から視線を感じる。
意識を四方に映っている画面に移せば、V.Aの頭部がこちらに向いている。
同級生のV.Aからのものだった。
心配、戸惑い、同情——。視線から感じ取れる感情は、わたくしに対する気遣いの情念が、ありありと注がれていた。
不真面目、軽薄、愚か。
試験の点数でもわたくしに劣っていた方々の温かい視線が心肌にへばりつく。
見下していたはずの同級生にできたことが、わたくしにはできていない。
一歩を踏み出すことすら、わたくしにはできない。
わたくしは違う。わたくしは、理念を持っている。わたくしには、一族の名誉のために十年を捧げてきた。ただ、復讐のために刃を研ぎ澄ませてきた。
戦闘力ならV.Aにも負けない。
ローグからお墨付きをもらっている。わたくしは、この場にいる誰よりも強い。
強さとは絶対のはず。強くなったら、一族の——。お父様の無念を晴らせる。
だから、わたくしは劣ってはならない。誰よりも気高く、誰よりも強く在らねばならない。余裕と気品を見せねばならない。
それができないのならば。
なぜわたくしは、ローレッタは——。
『おーい?』
生き残ってしまったのだろうか。
「お゛ぅう……え゛ぇええええ…………ッ」
喉元から鋭い熱が這い上がる。
口からあふれ出そうになる粘性を纏った朝食を、口元に手を押さえて堪える。
(戻って、戻ってくださいまし……!)
鼻を衝く酸っぱい匂いに耐え、歯を食いしばる。
えずきを嚥下しても跳ねた背筋がびく、びくと震えている。
衝動的に懐の小刀に意識が向く。竜と三叉槍の紋章が柄頭に刻まれた、プレアデスの尊厳劍。
無意味だとわかっていても、衝動的な昏い安楽へ意識が流れる。
『ろーれった?』
ヴィータの声が耳朶を打った。
[——警告。警告。学科領への侵入を確認]
無機質なサイレンが講堂に響き渡る。
[植生科からの侵入者。目標、コオートルの群れ。敵影十以上]
「やっべ……! またティトラカトル教授んとこからかよ……! しかもコオートルって竜種級じゃねえか全員、退避! 地下へ逃げろ!
『コード・緊急脱出』!」
小鳥遊教授がよどみない仕草で腕を振るい、一本調子に何かを唱える。
前方に広がっていた外部映像が消え、暗闇に包まれた。
V.Aと接触している感覚が喪失する。僅かに揺れ、操縦席のハッチが開いた。
光が、扉の外から届く。
周囲のV.Aに乗っていた学生が慌てて外へ出ていくのが見える。
迷うことなく避難を支持する小鳥遊教授の腰に、張り付くように抱き着いているヴィータの姿。
あの赤い瞳と、目が合った。
『——いいかい、ローレッタ』
脳裏に、懐かしい父の声が響く。
『ローレッタは強いから、その力でみんなを護る。それが貴族の務めだよ』
暖炉の熱と、わたくしの頭を撫でる父の幻肢。
外に見えるヴィータ。
冷え切った誇りに、微かな熱が入った。
「まも、らなきゃ」
口の端を垂れるよだれを拭き、震える足に魔力を回す。
そうだ。そうです。わたくしは、ローレッタ。
ローレッタ・ヴェン・プレアデス。
「……無辜の民を護る、竜の槍……!」
身を翻し、V.Aから飛び降りる。
流線形の機体を滑り落ち、講堂の外へ走る。
外には霧が出ている。視界は少し悪いが、運転できないほどではない。
「あ、おい!」
わたくしへ手を伸ばした小鳥遊教授を無視し、外に止めていたメテオラに乗り込む。
鍵を刺し、ニュートラルからイグニッションスイッチへと回す。
クラッチを握り、魔力セルを押し込めば地響きのようにエンジンが嘶く。わたくしの愛車たるメテオラが目覚め、車体に青と赤の魔導線が走る。
霧の中に、見覚えのある影。
父の——父様の姿が、わたくしを止めるように立ちふさがっているのが見えました。
「——行きますわよ!」
いまだ父の幻影を見る弱いわたくしの心を叱咤し、ハンドルを両手で握りしめる。
シフトペダルを一気に踏み込み、急加速させた。
向かうは学境線。ここから10キロメテルほど先にある、学科領同士の境界線。
何かから逃げるように、霧の霊子街を駆け抜けていった。
※※※
学境線。
<
「ふう……」
メテオラから降り、バイクの仕掛けを弄る。
飛び出したるは四本の鈍色。
「ブレード、ライフルの二丁ずつ」
内容物を諳んじる。
ブレード。
六つのリボルバー式シリンダーがついたブレード。
ライフル。
同じく六つのリボルバー。ブーストシリンダーには黒いマガジンが刺さっている。まるで六枚の花弁。
グリップだけがない、銃身だけの武器が煙と共に現れる。
両腰に差している銃を抜く。
ただ、銃身がない。グリップとリボルバーだけがついた愛銃、『サンセット』。
備え付けの銃身──。バズーカから火炎投射機、ライフルやブレードなど、数多の銃身を換装できるようにした、あらゆる状況に対応できる万能兵装。
「さて——」
眼前に広がるのは砂嵐。砂嵐の中には雲霞の如く迫り来る樹木の群れ。学境線である白い線は、とうに踏み越えてきていた。
樹木の蛇、コオートル。植生科のティトラカトル教授が育成していた光合成をする生きた植物だろう。
10匹を優に超える大群が、まっすぐこちらへ直進してきている。
「相手にとって不足はありませんわ」
わずかに、わたくしの声は震えていた。
脳裏をよぎるV.Aの失敗を振り払い、懐から細いフラスコ瓶を取り出して栓を開ける。
赤い薬液が底太りのガラス瓶の中で揺れている。揺れの手元はわたくしの左手。竦んだ手に喝を入れ、中身を一気に呷る。
「——ッ!」
野性味のある鉄臭さと、灼くような刺激が口と喉を焼いた。
地響きのような鼓動が、わたくしの心包に響く。
血が熱い。息が浅くなり、視界の端が赤く染まる。鼓動が、魔拍が痙攣しているような錯覚が身体に走る。
魔力が身体から溢れそう。
焦げ付くような血の実感と裏腹に手足の震えは止まり、冷たくなっていく。
『ルファリアの狂熱』の調薬は、どうやらうまく行ったらしい。
体力上昇、痛覚麻痺、魔力上昇。これ一つで三つの効果を得られる。ルファリアの葉の値段が心もとないが、長期戦で使わない理由がないくらい優れた赤薬だ。
空いたガラス瓶を投げ捨て、腰に差した二本のグリップを握る。
「<
鍵言を唱えた。
魔力の籠った詠唱に反応し、銃身とグリップを継ぎ合せる。
かちり、と重なる金属音が響いた。二つのリボルバーに赤色の魔導線が走り、ブレードとグリップが完全に融合し、一閃。
一丁のガンブレードの完成だ。ライフルの銃身を腰のホルスターにかけ、いつでもバレルを切り替えられるようにしておく。
「これですわね」
懐から固まった霊脈樹脂を取り出し、ブレードに塗りたくる。
魔力を口元に集約させ、魔法陣を描く。
魔法陣の中枢から火炎を吐き、ブレードに炎を灯す。刃と炎を両立させる術式は構築と維持が難しく、魔力の消費も激しい。炎を纏わせるだけでは刃を柔らかくし、溶かしかねない。植物のコオートル相手にこの術はよく効くだろう。
火炎投射機を持ってくればよかった。市街地戦闘では使えないからと、ブレードとライフルしかもてこなかったのは失敗だった。
ため息をひとつ漏らし、眼前を見据える。すでに敵影はライフルの有効射程にまで入り込んでいた。クワガタのような大顎をガチガチと鳴らし、顎の先から覗かせる触手のような舌を絡めつかせている。
無機質な両目はわたくしに狙いを定めていた。
息を飲み、笑顔を作る。
「——行きますわよ」
※※※
樹木の蛇——コオートルの大顎が、わたくしの胴へ迫る。
半歩、退がる。嚙み合った顎が空を食んだ。無謀に晒される首元へ、炎を纏ったガンブレードを滑り込ませる。
「ふう——っ」
引き金を引いた。
炸薬が弾け、刃が加速する。刃で両断するには硬すぎる首が、焼けた音を立てて両断され、沸騰した緑の樹液と乾いた断末魔が砂に落ちた。
一匹目。
脈打つ死骸に飛び乗り、足に魔力を回す。痙攣する樹体が跳ねるタイミングに合わせて跳躍。
須臾の間もなく、亡骸へ別の樹蛇が食らいつく。
狙いはわたくしだった。コオートルは誤食した燃え落ちる輩を吐き捨て、がちん、がちん。大顎を鳴らし、空を跳躍するわたくしへ牙先を向ける。
やつの目に映るわたくしは、樹蛇めがけて落下し始めていた。
「決める」
撃鉄を起こす。
ガンブレードを振りかぶり、振り下ろす。切っ先が下へ落ちる瞬間、引き金を引いた。
炸薬が火花を咲かせ、衝撃が天を衝く。自由落下していたわたくしの身体は宙で一転した。落下が遅れ、眼と鼻の先で顎が閉じられる。
宙で身体を捻りこみ、駒のように回りながら重力に従い、刃を頭へ差し込む。
引き金を引く。クルミが割れるように蛇の頭が割れ、全身に熱い緑の樹液を浴びる。
二匹目。
太陽が翳った。
大きく飛び上がったコオートルが天を舞い、わたくしへ飛んできた。
撃鉄を起こし、ガンブレードを脇構えに構える。
地を蹴り、大蛇を空で迎え撃つ。蛇とわたくしが重なり、斬り上げた。
三匹目。
骸となった蛇の身体に足を乗せ、地面に降りる。
着地したと見るや否や、襲いかかってきたコオートル二匹へ返す刀。
四匹、五匹目。
左手のグリップをホルスターへ突っ込む。回転。ライフルの銃身が重なる音。腰だめのまま、撃つ。
撃った。撃った。撃った。
魔弾が螺旋を描き、遠間の一匹の脳天を粉砕する。
頭蓋は一等硬い。頭に直撃させた程度では止まらない。だから眼球を狙う。
九匹、十匹。数えるのをやめた。
息が上がるより先に、砂塵の中から最後の一匹が転がり出て、こと切れた。
「……ふん、このくらい」
当然ですわ。
ローグの短剣や、投擲と比べればこんなものは大きな的に過ぎない。
勝った。勝ったのだ。わたくしは、こんなところで足を止めるような女ではない。こんなことろで挫けるような女ではない。
あの鋼の巨人が、V.A何するものぞ。わたくしは、あんなものを動かせずとも強い。強さだけがあればいい。強さがあれば、ヌトスやポロモンを討てる。
今度は、守れる。
……そう、言い聞かせて。
わたくしは砂塵の奥を見た。
暴風が弾け、砂の混じった風が顔を打つ。片腕で顔を覆って風を防ぎ、眼を瞑る。
風が、割れた。
視界が開けていく。
黄土色の帳の向こう。峡谷を埋め尽くすように「それ」はいた。
「……は」
声が抜けた。
地平の先が、動いていた。
人の形をした根。土をかき分け、大樹の槌を担ぎ、立ち上がる白い人型。
頭部に生えた頭が、風を受けてざわめいている。
「マン……ドラゴン」
植生科のティトラカトル教授が育てた歩く根。
一匹、二匹ではない。
十や二十でもない。
峡谷の底から、斜面から、崖の上から。
白い根の群れが沸いていた。根から木が生え、樹木の大顎がそそり立ち、根から抜けて大蛇となっていく。
「……百、以上」
数える意味などなかった。
コオートルは、斥候に過ぎなかった。マンドラゴンを倒し切らなければ、何も意味がない。
一匹でも通してしまえば、地面から掘り返される。地下シェルターなどひとたまりもない。
唇を噛み、振り返る。
十キロメテル。荒野のかなたに、鉄塔の影がゆらめいて見える。
霊子街。錬金学科の学科領。
あそこにはまだ、彼女がいる。
ヴィータ。朝、体力不足で厨房にひっくり返っていた、あの小さな先輩がいる。
民草でも、教授でもない。小突けば簡単に命を奪えると値踏みしたあの子が、真っ先に浮かんだ。
「……ばかばかしい」
鼻で笑う。
樹脂が燃え落ちる。炎が消えたブレードとライフルへ樹脂を塗りなおし、炎を灯す。
二丁の燃え盛るサンセットが煌々と輝く。
怖気を振り払い、狂熱の香りに身を任せる。
わたくしは、ローレッタ・ヴェン・プレアデス。
「——無辜の民を護る、竜の槍ですわ」
野ざらしの蛇骸の上で、わたくしは笑った。
※※※
絶叫が、荒野を切り裂いた。
根の魔物が一斉に口を開いた。
空が軋み、大気そのものが悲鳴を上げた。マンドラゴンの叫喚。聞けば三半規管を伝って脳を溶かすと言われる、悪魔の声。
「想定ずみですわ!」
あらかじめ鼓膜に張っておいた魔力障壁が、その音を弾く。
わたくしは音の谷を抜け、踏み込んだ。
斬る。
撃つ。
蹴り砕く。
根を斬れば樹液が吹き、樹液を浴びれば服が焼ける。
構いはしない。『ルファリアの狂熱』が痛覚を殺してくれている。焼けた皮膚すら、冷たいまま。
六発撃ちきる。袖から弾をリボルバーへ装填。両断。
斬り伏せて、また突っ込む。装填。銃撃。
銃口から炸薬の花弁が響く度、根の巨人が地に倒れる。
接近戦。中距離。制圧。
群れの真ん中で、わたくしは絶えず鉄華を咲かせ続けた。
「<
最も得意な光の魔法。
頭上に三つの魔法陣を展開し、収束させた光を鞭のように薙ぎ払う。
根が焼けた。十匹まとめて、下半身が焼け焦げた。
いける。
いけますわ。
荒れる息を整え、『ルファリアの狂熱』を飲みなおし、突っ込む。
一時間。
二時間。
日が傾き、赤くなった峡谷の影が伸びていく。
わたくしの足元には、白い根の残骸の絨毯が作られていた。
「……はあ、はあ…………」
ブレードを地面に突き立て、杖代わりに身を預けて息を整える。
六度目の『ルファリアの狂熱』。傷口が、ほんのわずかに熱い。頭がふらつく。心臓に杭が突き立てられるような脈動。
「あ……が……」
声がかすれている。喉の奥に小骨がいくつも絡まったような鋭い痛み。身体が軽いのに、思うように動かない、
汗が纏わりついて気持ち悪い。視界が二重に見える。炸薬の残りも心もとない。
まだ、来る。
まだ、迫る。
斬っても、焼いても地平から湧いてくる。
誉れある戦闘でも、復讐にかかわるものでもない。錬金学科が潰えようが、ヴィータが死のうが、いいではないか。
復讐には関係ない。切り捨ててしまえばいい。マンドラゴンも、コオートルも素材としては優れている、だけど、貴重な『ルファリアの狂熱』を六瓶も使うほどか? 霊脈樹脂とて安くはない。
こんなことで、プレアデスの名誉は戻るのか? 遠回りを、しているだけではないのか。
狂熱に浸されていない、冷静な声が頭に響く。
「……それ、でも」
かすれた喉から血を吐き捨て、サンセットを構える。
撫でられた頭が、弱弱しい彼女の温かみが、消えてくれない。
寄り道ではない。錬金学科に恩を売れる。小鳥遊教授はリヴェータ【枢機卿】の懐刀であり、世界最高峰の錬金術師。
ローグの数少ない友人でもある。ここでうまくやれば、ローグが止めたあの力を引き出すカギになるかもしれない。
何よりも。
「……わたくしは、プレアデスですわ」
ここで逃げては、何かが壊れる。
今度は、壊させない。薬効が鈍くなってきた狂熱に意識を浸す。
その時。
黄昏が、二つに増えた。
※※※
峡谷の上。
金色が、そこにいた。
うろこの一枚一枚が、落陽を溶かして梳いたよう。
たたまれた翼は天蓋の如く、四肢は山骨の如く。
黄金竜。
神に最も近しいとされる、伝説の生き物。
竜気を——法則そのものを書き換える神気の残滓を、内に練り上げる空の支配者。
「……嘘、でしょう」
ローグの覇気とは違う。ヴィータの覇気とも違う。
覇気ですらない。ただ、そこに在るだけ。
在るだけで、わたくしという存在の格が、否定されていく。
黄金竜が、顎を開いた。
火ではなかった。牙の奥に灯ったのは、朝焼けのような、あまりにも穏やかな金の光。
——光波が、荒野を舐めた。
「かは——ッ」
膝が、落ちた。
熱くない。痛くない。ただ、抜けた。
全身に巡らせていた魔力強化が、蝋のように溶けて流れ消える。
鼓膜に張った障壁が、消える。
刃に灯していた炎が、消える。
三時間、寸分も乱さず維持し続けた魔力経絡が——ほどけた。
「そんな、そんなもの……ッ」
魔法陣を描く。描けない。
指先で組み上げた術式が、書いた端から砂のように崩れていく。
減衰、いいえ。そんな生易しいものではない。
あれは、『魔法が成立する』という秩序そのものを、否定している。
法則を、改変している。
あれこそが、竜。
絶叫が、戻ってきた。
障壁を失ったわたくしの鼓膜へ、百の呪いの声が直接叩き込まれる。
「あ——、が、ぁ……ッ」
鼻から、耳から、熱いものが垂れた。
平衡が壊れる。空と大地が入れ替わり、わたくしは白い線の上に膝をついた。
白い根の手が、わたくしの髪を掴む。
金髪が、根こそぎ引き抜かれる。頭皮が裂けた。
意識が、溶ける。
「うう、ああ……っ」
振り払う。ブレードを振るう。
魔力強化のない、ただの膂力。刃は根の表皮に食い込んで、止まった。
引き金を引いても、軽い感触ばかり。
炸薬が尽きた。そう考えるには、あまりにも思考が弱くなっていた。
白い巨拳が振り上がる。
振り上げられた破城槌が、わたくしの腹に振り下ろされる。
「ご……ぶぉ……っ」
内臓がせり上がってくる。
痛みはなく、不快感だけがある。足先が痺れ、喉元から血が逆流してくる。びくん、びくんと足が震え、全身が痙攣する。
『ルファリアの狂熱』のおかげか、即死することはなかった。
マンドラゴンの大きな手が、わたくしの身体を握りしめる。
身体が片手に握られ、振りかぶられる。
「ぁお……っ、ぐえ……ぁッ」
地面に、そのまま叩きつけられた。
頭が揺れる。意識が、感覚が混濁し、白いマンドラゴンの顔を見る。
嗤っていた。
子供が虫をいたぶっている時のような、無邪気な笑顔。壊れないおもちゃを手にした無垢特有の、悍ましい好奇心。
「これは、どうしたらこわれるんだろう」
そんな思考がありありと伝わってくる。
理解できる。できてしまう。わたくしは、今からこいつに壊される。十年を捧げてきたわたくしの信念、信条も、何もかも。ごみのように蹂躙され、弄ばれて殺される。
「や……だ……」
涙があふれてくる。
……ああ。
なんて、なんて無様。
復讐のために、ここまで研いできた。
剣を、銃を、魔法を、何もかもを。青春や、幸せを憎悪に焼べて。人並みの幸せも、何もかもを捧げてきた。
その果てが、これですの。
司教の首も、あの貴族共の喉笛も、何一つとして掻き切れないまま。
お父様の名誉も、プレアデスの復権もかなわないまま。
名も知らぬ荒野で、根に弄ばれて終わる。
(お父様)
まぶたの裏に、暖炉の熱が灯る。
わたくしの頭を撫でる、大きな手。膝の上から見上げる、優しい笑顔。
『ローレッタは強いから、その力でみんなを護る。それが貴族の務めだよ』
「ま゛も……れな……。なんに、も……まもれ゛……っ」
血を吐き、ぐしゃぐしゃになった涙の中で思う。
守れなかった。なんにも、誰も護れなかった。
お父様も、爺やも、屋敷のみんなも。
……結局、わたくしは、誰ひとり。務めを果たすことができなかった。
空は、月すらない純黒の夜だった。
視界の端で、白い根の群れが顎を開く。
その向こうで、黄金竜が退屈そうに首をもたげていた。
「かみ、さ……」
祈ろうとして、やめた。
あの夜、主は答えなかったのに。宗派を変えたから、もう助けてはくれないのに。わたくしは、なぜか祈ってしまった。
きっと応えてはくれない。でも、ならせめて。
「だれ、か……」
誰でもいい。
悪魔でもいい。誰か、助けて。
こいつらを、あの街まで行かせないで。
誰も、奪わないで。
わたくしの、二個上の、料理の途中で気絶してしまうくらい弱い、あの子を──。
「たす……け、て」
──星が、堕ちた。
暗天に白銀が咲いた。
銀光が視界を包み込んだ瞬間、わたくしの身体を締めていた拘束が楽になった。
あたりを見れば、一刀のもとに両断された根の残骸。ならば今、代わりにわたくしを握っているものは……?
「かみ……さま……?」
霞む視界の中で、わたくしを優しく包む硬い何かを見る。
それは、手であった。手というにはあまりにも大きく、無骨な鉄の塊。どこか温かく、冷たい力を宿した、白い流星。
ゆっくりと、優しくわたくしを地面に下ろした。ゆえに、その全貌が見える。
五指の爪を備えた、二対の腕。
長く、巨体を支えるにはあまりにも細い二本の足。
双つの頭。
長大な尾。
白銀の、機械竜。
『メインシステム起動』
外部音声が、荒野に響いた。
抑揚をそぎ落とした、あどけない声。
『ブレス・レス、戦闘モードへ移行』
錬金学科が誇る、ヴァンガード・アルケミー。
機械竜が腕を振るう。
手に握られたのは、光の剣。高密度の魔力を刃状に固定した、攻性魔力の塊が高速でスピンをかけている。
黄金竜が、初めて首を巡らせた。
金の光が、再び荒野を舐める、あらゆる魔法を、あらゆる神秘を否定する神の威吹が、白銀へと到達し──。
『きる』
黄金波が、消えた。
機械竜──。ブレス・レスが握った魔力の刃を一閃した瞬間、黄金の力はどこかへ消えていた。
『おーる』
黄金の光が、刃に載せられていた。
一度だけ見たことがある。わが師、ローグが見せた神秘殺しの秘奥。
魔法を、神秘を、力を斬るのではない。力の「核」を捉え、刃に載せる技。人智を越えた、絶技。オートの操縦などでは、とうてい使えない。わたくしですら、理屈しか理解できない、対神絶技。
その、名を──。
『えねみーず』
白銀が、腕を薙いだ。
──『登竜返し』
衝撃は、遅れてきた。
峡谷の谷が、大気が断たれた。
その手前で、百を超える白い根が、上下に分かれて斬断される。
そして、黄金竜、
神に最も近しい伝説は、悲鳴を上げる猶予すら与えられなかった、
金の胴が、一切の抵抗なく一文字に斬り捨てられる。
断面は、鏡のようになめらかだった。
一秒。
数時間、わたくしを削り続けた地獄が、瞬きの間もなく沈黙した。
これは、スペックなどでは断じてない。
V.Aに乗ったことが、ローグの絶技に挑んだことがあるわたくしだからこそ、わかる。十年を捧げてなお、届かず。操作性が肉体よりも悪いV.Aで成せた理由は、断じて機械によるものではない。
圧倒的な技量。比較にならぬ天賦のなせる業。
白銀の機械竜が、地に降りる。
双頭をもたげ、わたくしを睥睨した。
「よかった。間に合ったみたい」
淡々とした声。
そぎ落とされた抑揚の底に、まぎれもない安堵が滲んでいた。
瞬間、機械竜の背後の夜闇に、光が走った。
三ツ星を巻く狩人の星座。その先に輝く七つの星団より、流星が落ちる。
「……凶兆」
震える手を抑え、わたくしは空を仰いだ。
巨星より流星が散るなど、占星術において凶の兆し。
双頭の又が、二つに割れる。
セフィラ神鉄の卵──。コックピットが開き、中から人影が降りてきた。
鴉のように黒い髪。
全身を黒で纏った、露出の乏しい装束。
覗く手首は色素が薄く、肉付きも小さい。
魔力も筋力も弱弱しい、華奢な女の子。
「たいへんだったね」
……ヴィータ・アルデバランは、血だまりの中にいるわたくしへ手を伸ばした。
顔色は変わらない。感情の彩がない虚無の瞳を、こちらへ向けたまま。
「かえろう?」
「ろーれった」
わたくしの名を、あどけない声で呼んだ。
背後で、連星が瞬いた。
たった一筋のほうき星。星団から、赤い巨星へと流れ落ちる星。
多数散る星々の中で、その流星だけが、長く尾を引いていた。
震える手で、彼女の手を握る。
どこまでも柔らかく、修練の気配を感じさせない手。硬くなったわたくしの手とは違う。体幹も弱く、力なく倒れ込むわたくしを引き上げられない。
十年の歳月を費やしても会得できなかった奥義。
わたくしが一生をかけて研ぎ澄まして、ようやく到達できるであろう絶技を、肉体よりも操作性の悪いV.Aにて易々と再現した彼女。
天賦の差。欲してやまなかった力を。圧倒的な何かを、平気な顔で修得している。
安堵を越えた現実の救いが。わたくしに手を差し伸べている。
わたくしの──わたしの奥の何かが、壊れた音が聞こえた。