後追い星のプレアデス   作:鹿鳴弥

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流星の日

 

 

 

 麦粥の炊ける香りがした。

 ザクロと、たっぷりのハチミツ。ミルクの甘い湯気が布団越しに鼻をくすぐる。

 

 瞼を開ける前に、わたくしは理解してしまった。

 あれは、わたくしの好物。屋敷のみんなが作ってくれた、わたくしだけの香り。

 

 あの洞窟で、炎の明けた朝に、ローグが差し出した匙の香り。

 

「~♪」

 

 少し高い鼻歌が聞こえる。いつもの朝、変化のない朝。

 普段どおりの、彼女。

 

「………………」

 

 陰鬱な気分を押しのけて瞼を開ければ、頭から布団がかけられている。全身が薬草くさい。全身に湿布と薬草が張り付けられていた。

 指先の感覚が薄く、気怠くて少し肌寒い。『ルファリアの狂熱』の副作用だろう。一度にあの量を摂取しすぎた。

 

「ろーれった、おはよう」

 

 ベッドから頭を出したわたくしへ、割烹着姿のヴィータが厨房から振り返る。

 お玉を両手で握り、鍋をかき回したまま、目を——。わずかにたれ目を細めて。

 

「ろーぐ師父からきいたの。ろーれったの好きなたべもの。ざくろと、はちみつのミルク粥。レシピ通りに作ったから、うまくできたとおもう」

 

 感情の乏しい顔に、ほんのりと得意げな色を乗せた。

 

 ああ、そういうこと。やっぱり、ローグから聞いたんだ。

 わたくしの、一番深いところなのに。特別な人しか知らないはずの思い出を、あなたが触れるんだ。

 

 ……ああ、嫌だ。

 

 小さな体で、椀を鍋へ傾けようとして——。ぐらり、と姿勢が傾く。いつもなら支えに入るのに、なぜかその気になれなかった。

 

「と、とと」

 

 ヴィータは態勢を整え直し、お玉からミルク粥を注ぐ。調理台にこぼしながら、二人分のお椀へ注いでいく。

 わたくしと、ヴィータの分。木製のスプーンと一緒にお盆の上に載せていた。

 どこか手際よく、しかし危なっかしい仕草でお盆の上に椀を乗せていく仕草を見て、わたくしの腹の中に溶けた鉄のような昏い激情がへばりつく。

 

 頭では、彼女が傷だらけのわたくしを労わろうとしたことも、わかっている。彼女は優しい。傷だらけのわたくしを放っておくことができず、ローグに聞いたのだろう。

 

 師父、とヴィータはローグのことを呼んでいた。きっと、わたくしと同じローグの弟子なのだろう。あの技を、『登竜返し』を使ったことからそれは明らか。

 ただ、それだけ。

 

 なのに。

 

 心臓の奥に、昨夜からずっと何かが絡みついている。

 荒野で彼女の手を取ったあの時に壊れた、何かの破片。ひしゃげて、曲がって、ねじくれたもの。今も腹の底で音を立てている、黒くなってしまった何かが、腹の奥から離れてくれない。

 

「……いりませんわ」

 

 自分でも驚くほど、冷たい声が出た。

 

「食欲がありませんの」

「…………そっか。むりしないで。お昼に、いっしょに食べよう?」

 

 ヴィータは怒らない。

 目も合わせず、ぶっきらぼうに言い放ったわたくしを見ても声を荒げることもなかった。

 わたくしを見上げたままこくりと頷いて、椀に蓋をする。ふだんと変わらないすまし顔が、余裕そうな、能天気そうな仕草のひとつひとつが癪に触って仕方がない。

 

「……、ッ!」

 

 ずきん、と関節が痛む。『ルファリアの狂熱』の鎮痛作用は消えていた。身体が鉛のように重く、痛い。

 だが、思っていたほどの激痛ではない。よく見れば、身体の中央部が不自然なほどきれいだ。確実に折れていたはずの肋骨、右腕の骨が何事もなかったかのよう。

 

 ……きっと、ヴィータが治したのだろう。治癒科で癒されていたのなら、今頃わたくしは医院のベッドの上。

 あの子は余裕を、技術を見せつけているつもりなのだろうか。いっそ、治癒科の医院へ入院させてほしかった。治癒魔法の腕を誇示しているつもり?

 

 本当に、嫌になる。

 

 ベッドから這い出る。かすかに震える腕で二段ベッドの下へ降り、制服へ袖を通す。

 制服は、ずいぶんとくすんでいた。

 

 構わず、玄関へ向かう。後ろからヴィータの歩み寄る気配があった。

 

「ろーれった。メテオラは当機が——」

「歩いていきますわ」

 

 振り返らずに告げた。

 この体でバイクを運転したら、確実に転ぶ。より怪我が悪化するのは火を見るよりも明らかだった。

 今、荒野を走った愛車へ跨れば、否応なく思い出してしまう。何もかもが剝がれ落ちていった、あの黄金を。根の掌の中で無様に泣いていた、無力なわたくしを。

 

 そして——。夜天を切り裂いた、白銀を。

 

「……そっか。なら、当機もついて——」

「ついてこないでくださいまし」

 

 ぴしゃりとヴィータの提案を遮る。

 ぎゅ、と服を握る音が後ろから聞こえる。いい気味だ、とわずかに思った。

 

 思って、しまった。

 

 扉を開ける。春先のまだ冷えた空気が、傷口に刺さった。

 

「ろーれった」

 

 背中に、声がかかる。

 

「いってらっしゃい」

 

 いつもどおりの、あどけない声。

 わたくしは、返事をしなかった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 徒歩十五分の道のりが、一時間もかかった。

 鉄塔の繁華街。朝市の喧騒、揚げ物の匂い。霊子街は、今日も平和。

 

「ねえ、あの子……」

「ホントだ、昨夜の号外で頑張ってた子!」

「プレアデスって聞いていたから、食べられるのか怖かったけど、大丈夫そうだね」

 

 すれ違う錬金学科の先輩や、学科領に住まう人々が包帯だらけのわたくしを見て何かを囁き合ってる。

 空を見上げる。霊子街の霊光掲示板には、昨夜の戦闘の映像が広がっている。

 

 昨日の防衛戦の話は、もう広まっているのでしょう。

 新入生が短期で学境線に立ち、三時間、マンドラゴンとコオートルの軍勢を堰き止めたと。

 

 期待の新星、錬金学科の希望! と銘打たれた掲示板を乾いた瞳で見る。

 

 三時間の奮戦が称えられているのを見るたびに、昨夜の銀光の無敵ぶりが蘇ってくる。

 

 誉れのはずだった。

 武勲のはずだった。

 

 なのに、囁きのひとつひとつが砂利のように心肌へ食い込んでくる。

 『ぐうたら寝ているだけの小娘に劣る、悪魔憑きの騎士もどき』。誰かがそんなことを言っているように感じた。

 

 理屈ではそんなことないとわかっている。相手は執行機関のNo.4。<叡智の学堂(アルカヌム・マギステル)>が誇る最強戦力の一角。比べることすらおかしい。そうだ、そのはずだ。

 承知の上だったはずだ。その強さを求めて、あの子との同室を望んだはずだ。

 なのに、どうしても考えてしまう。わたくしの三時間は、あの非力な一秒に劣ると。

 

 護るはずの者に、護られた。

 

「……これでは、道化ではありませんの」

 

 掲示板を背に、講堂の白い門をくぐる。

 階段を登り、講義室へ。講義室の扉には、羊皮紙が一枚。

 

『本日休講。ゲームの発売日なので。施設は開けておくから好きに使って。——小鳥遊』

 

「……あの、愚物……」

 

 さぼることしか頭にないのか。昨夜の件で、生徒に被害がないかを確認するのが先では——。いや、確認しているのか。そういえば、学生証が緑色に光って、『送信しました』の文字があった。

 

 脱力しかけたわたくしの鼻を、ふと、煙草とラム酒の匂いがかすめた。

 講義室の扉を開ける。

 

「来たか」

 

 講義室の中。

 教壇の縁に腰かけた、壮年の男がいた。

 白髪まじりの茶髪。そり残した髭。腰のスキットルに、茶色いコート。

 背には見慣れた十文字の大槍。

 

 吹かしているはずの煙草が手元にない。こびりついた匂いの、残り香だったのだろうか。代わりに、ラム酒を口に含んでいた、その男は。

 

「ローグ……! なぜ、ここに」

「昨日の件の報告を受けた。リヴェータの使いで、被害の査定に来た」

 

 どこか軽い口調で用件を語る。

 緩慢な仕草で立ち上がり、わたくしのもとによる。

 

「保護者として、お前の様子を見に来た」

 

 先ほどよりも重い口ぶりで語った。

 鳶色の目が、わたくしを上から下まで、一度だけ往復する。

 

「——無茶をしたな」

 

 それだけだった。

  責でも、賞賛でもない。ただの、事実確認。

 

「顔色が悪い。『ルファリアの狂熱』の副作用だな。古竜の威吹を正面から浴びて、よく生きていたものだ。後遺症の類は……ないな。朝食は食べたのか」

「…………わたくしは」

 

 声が上ずった。

 どこまでも、どうしても、子ども扱いのままだった。

 

「わたくしは、退がりませんでしたわ。三時間、錬金学科へ踏み入れさせなかった。コオートルを十三、マンドラゴンを八十七。この手で墜としました。もう、頃合いでしょう。あの力を、源流能力をわたくしに——」

「コレトーも今日は講義をする気がない。昨日の今日だ。お前は寮へ戻り、休め」

「話を聞いてくださいまし!」

 

 叫んでいた。

 伽藍の講義室に、わたくしの声だけが甲高く木霊する。

 

 ローグは動じない。いつもと全く変わらない。いつもの、冬の湖のような瞳のまま。

 

「わたくしは復讐だけに囚われてなどいませんわ! ローグの言いつけ通り、錬金学科を護りました! 十分でしょう! もう、振り切りましたわ! 余裕だってありますの! ……だから!」

「ローレッタ」

 

 静かな声が、わたくしを遮った。

 

「お前は今朝、鏡を見たか?」

 

「————」

 

 言葉に詰まった。

 この人はいつもそう。短剣の一閃のように、わたくしの急所だけを正確に刺してくる。

 

 昨夜から、一度も自分の様子を見ていない。

 今のわたくしの姿を、直視できなかった。わたくしがどんな顔をしているのか。どんな格好なのか。知りたくなかったからだ。

 

 貴族たるもの、優雅たれ。プレアデスの名を戻すために、服装に人の余裕が出ますので、衣服にはこだわります。

 

 ローグに、過去言った言葉。

 優雅からほど遠い。自分すら見られない者が、力に目覚める資格なし。

 彼の言いたいことは、結局ここに帰結する。

 

「わた、くしは——」

 

「ろーぐ師父」

 

 舌足らずな声が、割り込んだ。

 振り返れば、扉の所にヴィータが立っていた。

 黒いコート。鴉のエンブレム。いつからいたのか。この人の気配は、いつだって読めない。

 

「ひさしぶり。げんきだった?」

「ああ、相変わらずお前は顔色が悪いな。飯はちゃんと食っているのか」

「うん。ろーれったが、おいしいごはんをたくさん作ってくれるから」

 

 ヴィータはとてとてと歩いてきて、ローグの前に立つ。

 こてん、と首を傾げた。

 

「ねえ、ろーぐ師父。せっかくだから」

 

「ひさびさに、仕合しよう」

 

 空気が、変わった。

 

「ヴィータ」

 

 ローグの眉が、わずかに動く。

 

「表向き、俺は査定に来ただけだ。模擬戦とはいえ、お前と俺がやり合えば街が消し飛びかねん。査定役が被害を増やしてどうする」

「だいじょうぶ。演習用の仮想空間、第七臨界試験場のよやくを取ってきた。きょーじゅの許可もとった。きょーじゅもひさびさにろーぐ師父のたたかい、みたいって」

 

 ヴィータは懐から、判の押された羊皮紙を取り出した。

 用意周到にもほどがある。

 

「……はじめから、そのつもりで来ていたな」

 

 ヴィータはうなずいた。

 そして、ちら、と。

 

 一瞬だけ、赤い瞳がわたくしを見た。

 

「みせておきたいものがあるから」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 第七臨界試験場。

 学科領の地下工廠にある施設。円形の無菌室を髣髴とさせる白い空間に、白銀の機械竜と、壮年の男性が並ぶ。

 半径にしておよそ二百メテル。あの二人が戦うにはいささか、狭い領域であった。

 

 わたくしたちは観戦デッキの分厚い障壁窓に、齧りつくように立っていた。

 

『そんじゃ、始めるぞー』

 

 ゆるい声の小鳥遊教授がレバーを引く。

 純白の光が広がり、一瞬目がくらむ。

 

 光が消えると、そこには霊子街が広がっていた。

 二百メテルだった試験場は、五キロメテルの大きさになっていた。

 

『霊子演算による仮想空間だ。ま、現実にはここでの戦闘の被害は起きないって施設だな』

 

 小鳥遊教授が鼻息を荒くしながらソファに沈み込み、腕を組んだ。

 

 わたくしはごくり、と生唾を飲み込む。

 

 眼下。

 模造外の大通りに、ローグが建っている。

 獲物は十文字槍に、逆手の短剣。いつもどおりの、簡素な出で立ち。

 

 その遥か前方、千メテル先。

 白銀の機械竜は、双頭をもたげていた。

 

 ブレス・レス。

 昨夜、わたくしの地獄を瞬きの間で更地に変えた、白い流星。

 

『ふたりとも、準備はいいな』

 

 管制の魔導音声が響く。

 ローグが槍の石突で、とん、と地面を突いた。

 

『——開始』

 

 世界が、爆ぜた。

 大通りの建造物の窓ガラスが瞬時に粉砕された。

 千メテルの間は一瞬で殺された。強烈な金属音が遅れて何重にも響く。

 眼下で繰り広げられているのは、なんとか目で追える速度の二人の鍔迫り合い。

 

『あー、ちょっち結界内の時間調整ミスってるな。最大遅延かけるか』

 

 小鳥遊教授がつまみを弄る。

 見る見るうちに二人の姿が緩慢なものになり、攻防が目で追える速度となる。

 

 金属音。

 火花。

 

 白銀の爪と、短剣の刃がかみ合っている。

 全長五メテルの機械竜の一撃を、生身の男が片手で受け止めていた。

「——は」

 

 馬鹿げている。

 質量が違う。出力が違う。あの爪の一薙ぎは、巨岩を紙のように裂く。

 事実、爪には飛ぶ斬撃が生まれており、周囲の建物はずたずたに切り裂かれている。

 

 それを、人の腕で打ちあっている。

 

 ローグの短剣に、赤いものが伝った。

 

 血——。

 

 手首から垂れた血が、意思を持つように刃へ絡みつく。

 赤黒い瘴気のようなものが刃から立ち上っていた。

 

 ブレス・レスが足から青い焔を吐き出し、大きく飛び退く。

 

 迫撃することなく、ローグはその場で短剣を軽く構え。

 

 

 一閃。

 

 

 立ち並ぶ建物のすべてを両断しながら、血の斬撃は機械竜へ這い寄る。

 ブレス・レスが爪ではなく、マギカブレードを展開する。一瞬は唾ぜり合うも、血の斬撃を受け止めきれず、宙を飛んで衝撃を殺した。

 

 ローグは周囲に血を払う。

 血が一人でに蠢き、いくつもの刃となる。それは、猟犬のように空を疾駆し、ブレス・レスを追い回し始めた。

 

「あれが、ローグの源流能力……」

 

 噂にだけ聞いたことがある。

 超越者だけが持つ固有法則たる源流能力。ローグのそれは、血より武器を鍛える異能。そして、その血を纏わせた刃は、山をも両断する強さを持つのだと。

 

 二つ名は”鉄山血河”。

 執行機関、第三位。つまり、この学園で三番目に強い、ワイルドジョーカー。

 

「逃げてばかりでは何にもならんぞ」

 

 ローグは短剣に血を纏わせては、散弾のように飛ぶ斬撃を放つ。

 放たれたそれは、籠目のそれ。逃げ場など、どこにもない。

 

 『さすが』

 

 赤黒い刃を、マギカブレードの刃が切り落とした。

 流麗な剣さばき。機械の身体とは思えないような自然な動きで血刃を切り落とし、ブレス・レスが青い焔を四翼より噴出させる。

 

 強烈な速度の前進。強烈な勢いで吐き出された焔が追い縋る血武器を焼き落としながら、一気にローグへ距離を詰める。

 

『だから、きょうはいろいろ使う』

 

 ブレス・レスの左手に、銃が装着される。

 照準をローグに合わせ、四連射。吐き出されるのは異常な大きさの魔法。

 背筋が、凍る。一撃一撃が、マンドラゴン百体を一撃で仕留められるほどの馬鹿げた魔力がこめられている。

 それが、限界遅延をかけて尚、目を振り切るほどの速度で放たれた。

 

 回避は——。不可能。回避することを前提に、ローグの動きを完全に読んだ軌道で砲撃が置かれていた。

 

 対するローグは、短剣を放った。

 

「<虹の天地(べルール・ネムス)>」

 

 詠唱。同時に、宙に正三角の神聖文字を——。アルメ=ガファの神格文字を描いた。

 琥珀色に輝く三角錐の障壁がローグの身体を包み込む。

 四連の落星が三角錐を何度も揺さぶるも——。不落。大地の力は揺らぐことなく、壮健であった。

 

『おおー、土の【旧神聖曜(アンセム)】。神話魔法じゃねえか。ローグも珍しく本気だな』

 

 小鳥遊教授が楽しげにつぶやく。

 【旧神聖曜】って……。創世神の聖印を借りた、信仰の魔法ではないですの……!? 使えるだけで、その神官長の座が約束されるほど……。

 しかも、土の【旧神聖曜】なら【教皇】になることだって……!

 

 三角錐の障壁が解け、ローグが駆けだす。

 背負っていた十文字槍を、いつの間にやら片手に握っている。穂先には、赤黒い血が垂れていた。

 

『させない』

 

 ブレス・レスの背部装甲が、一斉に開いた。

 百を超える弾頭が、白煙を轢いて撃ち出される。

 

 ミサイル。

 錬金術の粋。魔法ではない、純粋な物理の暴威。誘導術式と爆炎術が搭載された鉄の群れが、空を埋め尽くしてローグへ殺到する。

 

 ローグは、避けなかった。

 

 足を、振った。

 

 ただ、それだけ。

 天めがけて放たれた蹴撃から放たれた不可視の衝撃波が扇状に広がり、先頭の弾頭群をまとめて爆散させる。誘爆の赤が空に弾け、その爆炎を咲いて、残りの弾頭が飛び込んでくる。

 

 穂先が、残像に閃く。

 一、二、三——。目で追えない。赤黒い軌跡だけが墨のように空へ残り、弾頭が起爆前に術式ごと両断されていく。

 

 その隙を、白銀は見逃さない。

 

 引き撃ち。

 後退の推進を吹かしながら、右腕の銃砲から縮退魔力の魔力を連射する。

 

 ローグが横へ飛び退き、足場が爆散する。

 地形が抉れる。霊子街の区画が、まるごと爆散していく。

 

『La——♪』

 

 歌が、聞こえた。

 ブレス・レスの機関部から、高音域の旋律が漏れ始めている。

 鐘の音のような、少女の歌声のような、澄んだ機械の歌。

 

 同時に、砲撃の威力が強烈に跳ねあがった。

 先ほどまで建物を半壊させていただけの砲撃が、隣接してた建造物を跡形もなく破砕している。

 

「あれは……」

「【生命の歌】」

 

 デッキに立っていた小鳥遊教授が答えを述べた。

 白衣のポケットに手を突っ込み、キャンディーを舐めながら、眼下を見下ろしている。

 

「一年前かな。あの子が近場の迷宮を攻略したときにゲットした迷宮特典だ。

 戦闘継続時間に比例して、出力が指数関数的に膨れ上がる。一秒ごとに、五パーセント」

「一秒ごとに、五……」

 

 計算が、頭の中で走る。

 開始から、もうすでに一分。すでに出力は——三倍近い。

 

「安全装置は全部外している。あの子が自分で外した。刻一刻と化けていく出力を、全部手綱一本で乗りこなしてる。どこにエネルギーを割り振るか。加速か、攻撃か。そこにかかる負荷はいくらか。装置のどこに魔力を回せば、それを実現できるか。コンマ1秒にも満たない判断で、綱渡りしてる。

 ……ま、そういうバケモノなのよ、うちのヴィータは」

 

 小鳥遊教授の声には、誇りと、ほんの少しの痛みが混じっていた。

 

 眼下の戦場が加速していく。

 白銀の機動が、目に見えて変わった。

 残像が二重、三重に増えていく。音を遥かに置き去りにした期待が空を折れ曲がるように旋回し、届かない上空から魔法砲撃と巨大なマギカブレードを地面へ撃ち込んでいく。

 

 建物が、刃の一振りで蒸発する。

 大通りが、加速の勢いで焼け解け、捲れ上がる。

 

 もはや、人外の戦闘であった。

 わたくしが十年かけて登ってきた山が、あの空域では前提ですらない。

 

 だが——第三位の異名は、腐ってなどいなかった。

 

 斬撃を捌き切り、砲撃を斬り、衝撃波で薙ぎ払い。

 赤黒い瘴気を纏った十文字槍が唸るたび、彼我の距離差はだんだんと縮まっていった。

 

 そうして、二分が経った。

 

「このまま三分を越えられると、俺では手が付けられないのでな」

 

 ローグが動いた。

 崩れた瓦礫——。身の丈の倍はある巨岩を片手でつかみ上げた。

 

「そろそろ、お開きとさせてもらうぞ」

 

 握力だけで、岩が砕けた拳大の礫の群れが、彼の掌に収まった。

 腕を、引き絞った弓のように構えた。

 

「————まさか」

 

 わたくしは、知ってる。

 あの構えを。あの、重心の落とし方を。

 

 投擲に、発勁と打撃を重ねる。

 骨の筋と、掌底の打撃、衝撃を寸分違わず束ね、投擲物へ叩きこむ秘奥。つんざく雷鳴を生む、ローグ直伝の絶技。

 

雷光(エグド)』。

 

 わたくしが、渾身の全霊を注いで、生涯でようやく六発。それも、的に当たったことなど、一度しかない。途中で、投擲物が燃え尽きてしまう、あの——。

 

「——『雷光』」

 

 礫が、消えた。

 雷鳴が、連続した。

 

 掃射。

 人の身で放たれる、砲撃の雨。文字通りの雷速を超えた礫の群れが、空域のブレス・レスへ殺到する。

 

『——ッ』

 

 初めて、外部音声に感情の色が乗った。

 白銀の銃砲が閃き、縮退の砲火が礫を迎撃する。三発、四発が空中で相殺され——。足りない。

 

 一発が、翼の付け根を抉った。

 その隙へ、続けざまの第二射。今度は礫ではない。人並みほどの大きさの岩。

 

 回避しきれない面の暴力が、白銀の機体を大きく揺さぶった。

 装甲が軋み、機体が錐揉みに流れる。

 

『……、……ッ!』

 

 苦し紛れに、ブレス・レスが最大出力の砲撃を放つ。

 堕ちながらの、照準もままならない一撃。先ほどまでの、移動地点を読んで『置く』砲撃とは違う、雑な砲火。それでも尚、山を消し飛ばす火力の奔流が、地上のローグを吞み込まんと迫り——。

 

 ローグは、槍を構えた。

 同時に、ブレス・レスがありったけの魔力を防御に回した。

 

 構わず穂先で、光の奔流の一点を突いた。

 

 力の、核。

 濁流のような魔力の中、たった一点の芯。それを捉え、穂先に載せ、受け流す。

 

 昨夜、白銀が黄金竜へ振るった絶技。

 

「——登竜返し」

 

 流れを変えられた砲撃が、ブレス・レスの機体を焼いた。

 

『く、う……ぅ!』

 

 ブレス・レスはありったけの魔力を防御障壁に回す。機体のすべてが爆炎に包み込まれ、浸食されているその猛威を防ぎ、防ぎ——。

 

 防ぎ、きった。

 代償に、ブレス・レスの操舵が効かない。もとより、姿勢制御に難のある機体。わずかな時間、機体は制御不能の状態に陥っていた。

 

 しかし、ローグはすでにその場にいない。

 ブレス・レスの、上空を跳んでいた。

 

 あの大技は、ただの陽動。ブレス・レスの——。ヴィータの意識を防御に向けるためのもの。

 槍に、不気味な魔力が載せられる。

 すべては、この一撃のために。

 

 幽玄にして玄妙。あらゆる命を刈り取る、冥府の絶死。

 

「秘伝——」

 

 魂、精神、肉体。

 そのすべてを乖離させる、神をも殺す断頭台。

 隙を曝し、態勢を崩した者にしか使えない崩しの極み。

 

「——『鯉落とし』」

 

 絶対の死が、ブレス・レスに刻まれた。

 

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 

『勝負あり。ローグの勝利』

 

 管制音声が、静寂に落ちる。

 蹂躙された霊子街が、光の粒子となって崩れていく。街が巻き戻り、元の試験場へと姿が戻っていた。

 

 ローグと、ブレス・レスも同じく。

 傷や煤汚れすら巻き戻り、立ち位置も最初の物へと還った。

 

 その中心で、ローグがゆっくりと槍を背へ戻した。

 膝をついた白銀の機体から、双頭の股が割れる。

 コックピットが開き、小さな影が降りてくる。

 

 ヴィータ。

 彼女は負けた。

 完膚なきまでに、敗れた。

 

 わたくしと同じく、敗れた。

 

 なのに——。

 降りてきた彼女の纏う空気は、ひどく静かだった。

 悔しがるでも、項垂れるでもなく。地に足をつけ、機体の頭を撫で、ローグへ向かってぺこりと頭を下げた。

 

 実りある敗北を、当然のものとして受け取る者の佇まい。

 ヴィータが、わたくしをじっと見つめ、口を動かす。

 読唇術で、彼女の言葉を読み解く。

 

『どんなことでも、次に繋げればいい。諦めるまで、負けてはいないよ』

 

 「————」

 

 わたくしは、目を逸らした。

 逸らして、しまった。

 

 見ていられなかった。

 美しいものを見たときのように、すぐれた演武を見たときのように、息が詰まった。

 

 きっと、ヴィータはこれを伝えたかったんだ。

 敗北を認めるまで、負けではないと。わたくしが、ヴィータに助けられたからと、落ち込む必要などないと。

 

 直後に浮かび上がってたものが、あまりにも醜くて。正視に耐えなくて。

 

 沸き立つ。

 へばりつく。

 腹の底が捻じ曲がる。

 

 あれだけの敗北を、糧にできるヴィータと。

 あの夜からずっと、恨み言と嫉妬の繰り言しかない、わたくし。

 

 天賦。環境。仲間。愛される才。

 

 頭がぐちゃぐちゃする。

 ああ、どうしてあんな風になれない。あの惨劇の夜がなければ、わたくしもああだったかもしれない。あんな風に、笑えていたかもしれない。愛されていたのは、誰かを護れていたのは、わたくしだったかもしれない。

 

 そんな、醜い気持ちを、誰かに。ヴィータに見られてしまう。

 

(見られたく、ない)

 

 誰にも。

 こんな顔を、誰にも。

 わたくしは、デッキを逃げるように後にした。

 

 背中で、小鳥遊教授が何かを言ったような気がした。

 

 振り返ることは、できなかった。

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 放課後。

 夕日が差し掛かる中、わたくしは公園のブランコに腰かけていた。

 

 沈む夕日を、ひたすら見ていた。

 何も考えないように、心を無にブランコの鎖へ頭を預けていた。

 

 帰ることも、どこかに行くこともできなかった。

 修行をすることも考えたが、やめた。どうあっても、考え事が浮かんでくる気がしたから。

 

 考え事をしていたら、あの醜い感情が浮かんできてしまうから。

 そしたらもう、わたくしに復讐を行う権利が、なくなってしまう気がしたから。

 

 考えるな。

 考えるな、考えるな、考えるな。考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな、考えるな………………………………。

 

「ここにいたの」

 

 目の前に、黒髪が跳ねた。

 手には、鍋を持っている。香りからして、今朝のミルク粥だろうか。

 

「おひる食べようとしたら、ろーれったがいなくて。たくさんさがしたよ?」

 

 とてとてと、わたくしの隣のブランコに腰かける。

 首を動かさず、目だけで彼女を追う。

 

 いつもどおりの姿。いつもどおりの歩幅。いつもどおりの声。いつも通りの、彼女。

 

「きょーじゅにたのんで、じどうであっためてくれるお鍋にうつしかえたの。ろーれった、食べて」

 

 わたくしは、返事をしなかった。

 ヴィータは鍋をかき回しながら、スプーンをわたくしの口元に運ぶ。

 

「ろーれった、あさからなにも食べてない。おからだ、いたい?」

「……………………」

「ろーれった?」

 

 返事を、しない。

 するものか。今、口を開けば。この喉の奥に詰まったものが、あふれてしまう。

 

 そうすれば、もうだめだ。

 ヴィータは悪くない。悪いのはわたくし。わかってる。わかっているんだ、そんなこと。こんなものは、僻みでしかない。ヴィータには、関係ない暴言。

 それをヴィータに、感情の赴くままに叩きつけたら。わたくしは、あいつらと。

 

 十年前、わたくしからすべてを奪った貴族共と、何が違う。

 

「きょうの仕合、みてた? ろーぐ師父、やっぱりつよいね。当機も、ろーれったと同じ、たくさんまなぶことが多いね。エグドの三連掃射、あたらしい対策をかんがえないと」

 

 ヴィータは、わかってかわかっていないのか。ずっと、わたくしに話しかけてくる。

 

「ろーれったは、どうおも——」

 

 

 

「————————るさい」

 

 

 

 

 腕が、勝手に動いていた。

 

「うるさい、うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさい、うるさい、ですわ……ッ!」

 

 思い切り、ヴィータの胸倉を掴み上げた。

 握っていた鍋が、地面にぶちまけられる。ミルク粥が地面に転がって、頭が一瞬冷える。

 せっかく作ってくれたのに。

 

 ——うるさい。

 

 わたくしを心配してくれていただけなのに。

 

 ——うるさい。

 

 わたくしを、気遣ってくれているだけなのに。

 

 ——うるさい。

 うるさい。しらない、わからない。どうでもいい。よくない。はらだたしい。

 

 構うものか。

 もう、何も、構うものか。

 

「なんなんですの、あなたッ! なれなれしく、ずっとわたくしに話しかけて! いつもいつも、能天気な顔をして! 当たり前のように隣にきて……ッ!放っておけばいいのに、話しかけて! 隣にきて! あなたに、ヴィータなんかに……ッ」

 

 掴み上げたヴィータの胸倉に、水滴が落ちる。

 喉の奥のものが、留まってくれない。十年、腹の奥底で煮詰め続けていた黒いものが、一番心配してくれていた小さな少女へ叩きつけらて行く。

 

「目ざわりですの! 不愉快ですの! なんで、どうして……。わたくしが、お父様もみんなであなたみたいになれたはずですのに! 幸せに、みんな笑っていられたはずですのに……っ! わたくしが持っていたはずですの!」

 

 もう、止まれない。

 

 ヴィータの目を見ることすら、わたくしにはできなかった。

 

「才能に恵まれて! 環境に恵まれて! 教授に、親に愛されて! 師に愛されて! 学科の、護るべきものがあって! その上、あんな力まで……。わたくしには、もうそれしか、そこにしかないのに……ッ」

 

 ……わかっている。

 言ってはいけない。言ってはいけなかった。頭のどこか冷えた部分が、お門違いだとわたくしを罵っている。

 なのに、消えてくれない。

 

「それだけ素晴らしい才能があったのですから! ええ、苦しんだこともないのでしょう!? 憎んだことも、奪われたこともないのでしょう!? ええ、そうでしょうね! あなたは天才ですもの! なら、わかるもんですか! 運と才気だけで生きてきた能天気なあなたに、あなたなんかに、わたくしの、わたしの気持ちなんか——ッ!」

 

 ヴィータは身じろぎひとつしない。

 きっと、赤い瞳でわたくしをじっと見上げているのだろう。

 

 その静けさが。

 その、揺るがなさが。

 その、余裕が。

 

「——大っ嫌い。ヴィータなんか、きらい。きらいですわ」

 

 どうしようもなく、にくかった。

 

「化け物が……ッ。怪物のくせに、くるしむことのない化け物が……。人の顔をして、わたくしに近づかないで……」

 

 言った。

 言って、しまった。

 地面に落ちたミルク粥の湯気が、ゆらゆらと立ち上っている。

 

 肩で息をするわたくしを、ヴィータは胸倉を掴まれて見上げたまま。

 

 まばたきをひとつ。

 そして。

 

 ヴィータが、拘束をほどいた。

 わたくしへ向けて、手を伸ばす。

 

「————ッ」

 

 身が、竦む。

 殴られる。当然だ。それだけのことを、わたくしは言った。V.Aをあれだけ巧みに使える彼女ですもの。喉を打てば、わたくしの命くらい容易く——。

 

 

 ふわり、と。

 石鹸の匂いが、した。

 

 

 

「——え?」

 

 抱きしめられていた。

 背伸びをした小さな体が、わたくしの背に腕を回している。

 

 ゆっくりと、巧みな体術でわたくしのひざが折られる。

 座らされて、わたくしの顔がヴィータの胸に埋められた。

 冷たい体温。薄い胸板。

 

 とくん、とくん。

 密着した胸から、ヴィータの命の音が聞こえた。

 

 

「よしよし」

 

 

 

「つらいおもいを、したんだね」

 

 

 耳元で、あどけない声がした。

 

 それだけだった。

 

 怒りもしない。

 否定もしない。

 諭すことも、殴ることもしない。

 

 ただ、小さく冷たい手が、わたくしの後頭部を、ゆっくりと撫でた。

 絹を撫でるように、優しい手つき。あの日、初めてヴィータとあった教室で、そうしたように。

 

 とく、とく。

 とく、とく。

 

 薄細い身体の、小さな心臓が鳴っている。

 化け物と呼んだ、その体の中で。人と同じ音が。いつしか、父様が、母様が抱きしめてくれた時と同じ音。

 

 もう、聞けない音が、聞こえる。

 

「あ————」

 

 目の奥が、弾けた。

 

「あ、ああ……っ、う、あぁあ……」

 

 わからない。

 もう、何もわからない。

 怒りなのか、憎しみなのか、安堵なのか。

 ぐちゃぐちゃに混ざった熱いものが、目から、喉から、あふれて止まらない。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……っ」

 

「うあぁああ……っ、ああぁぁ————……ッ」

 

 泣いた。

 十年ぶりに、泣いた。

 あの燃える屋敷の夜以来、初めて。

 

 声を上げて、周囲もはばからずに、子供のように泣いた。

 

 ヴィータは何も言わなかった。

 肯定も、否定も、慰めすら挟まずに。

 

 ただ、わたくしが泣き止むまで。

 夕日が沈み、町が藍に染まり切っても。

 

 心臓の音を聞かせながら、ずっと、抱きしめて、頭を撫で続けていた。

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 

 小鳥の声で、目が覚めた。

 ヒクバチだ。くちゅんくちゅんと、くしゃみのような鳴き声。

 カーテンの隙間から、あさのひかりが差し込んでいる。窓の外には、黒い毛並みの鳥が木の枝で春を歌っていた。

 

「…………こ、こは」

 

 柔らかい。

 公園の固い床の感触ではない。清潔なシーツと、日向の匂いのする毛布。

 

 ヴィータのベッドだった。

 

 跳ね起きようとして、目の奥がずきりと痛む。

 瞼が重い。指で触れれば、腫れぼったい熱がある。

 ……ああ、そうだ。私は昨夜、泣いたんだ。

 

 泣いて、泣いて。

 座っていられなくなって、泣き疲れて。それから先の記憶が全くない。

 

 このベッドまで、誰が運んだのかなんて考えるまでもなかった。

 あの体力で、腕をぷるぷるさせて。何度も休みながら、階段のないベッドへ運んだのだろう。

 目に浮かぶようで、胸の奥が絞られるように痛む。

 

「ヴィータ……?」

 

 部屋を見回す。姿はない。

 代わりにテーブルの上に、湯気が立っていた。

 起き上がり、近づいてみる。布巾のかけられた小鍋と、飴玉がひとつ。イチゴ味と記された丸いつつみ紙。

 

 その下に、便箋が一枚置かれていた。

 丸くて、少し不器用な字で、

 

『機体のせいびに行ってきます。じかんかかりそうだから、今日はかえれないかも。おかゆ、あたためられてるから食べてね。むりに食べなくてもいいけど、食べてくれたら当機はうれしい。——ヴィータ』

 

「……っ」

 

 便箋を両手で握ったまま、動けなくなった。

 

 あれだけの酷いことを言ったのに。

 化け物と、呼んだのに。

 

 この人は、いつもどおりわたくしのために動いてくれていた。

 

 布巾を外す。ふたを開ければ、ザクロと、ハチミツのミルク粥。

 さじで掬い、一口。

 

 甘かった。

 屋敷の味と、少し違う。甘さが少しだけ多く、透明感がある。メープルシロップだろうか。

 

 きっと、ローグから聞いた分量に、彼女なりに甘さを足したのだ。

 泣いた後は甘いものがいい。古くから伝わる、子供をあやす術を、ヴィータは律儀に守っていた。

 

「……ずるい人ですわ」

 

 甘い粥を、最後の一匙まで食べきった。

 空の鍋を見つめながら、わたくしは決めていた。

 

 知らないまま、勝手に妬み、勝手に憎み、あんな言葉を叩きつけた。

 

 ならば、せめて。

 知らなければならない。

 

 制服に熱した鉄を当てる。

 しわを伸ばし、汚れを浄化魔法によって取り除いていく。

 

 シャワーを浴び、体中の汚れを落とす。

 体を乾かして、下着を履き、制服に袖を通す。

 

 ヴィータ・アルデバランとは何者なのか。

 あの静けさの底に、何があるのか。

 そうして初めて、わたくしは謝る資格を得られる。

 

 わたくしの醜いところまで受け止めてくれた。

 なのに、わたくしは抱擁に恩で仇を返してしまった。

 

 上っ面だけの謝罪をしたくなかった。謝って許される話でもない。

 

 

 謝って許される話ではないからこそ、この謝罪に筋を通したい。

 

 

「……行きましょう」

 

 鏡を見る。

 ひどく、疲れた顔をしていた。目の下に隈があり、腫れぼったい。

 それでも、気分はどこか晴れ晴れとしていた。

 

 玄関の扉を開く。朝日が目に刺さる。しかし、昨日のような寒さはない。

 地面に生える雑草に、白い花が咲いている。

 

 寮の裏手に降りた。

 

 メテオラが、そこにいた。

 

 黒光りする車体。馬のような大きさのバイク。昨日から、跨ることすらできなかった愛車。

 

 ハンドルに手を伸ばす。

 震えは、まだ少し残っていた。

 

 構うものか。

 震えたままの手で、グリップを握りこむ。鍵を回し、魔力セルを押し込む。エンジンが腹に響く咆哮を上げて、メテオラが目を覚ました。

 

 行先は決めている。

 <叡智の学堂>、中央部。レイラインを乗った先にある、学園長の城塞である【天動宮】。

 ローグと小鳥遊教授は報告のため、リヴェータ学園長のところに行っているはず。なら、二人ともその客殿にいるのだろう。

 

「──行きますわよ」

 

 スロットルを捻った。

 朝の霊子街を、風が流れていく。

 鉄塔の影。屋台の湯気。パンを焼くにおい。開店前の店先を掃く、バイト中と思しき先輩の欠伸。

 

 風を切りながら、わたくしは考えていた。

 

 醜い感情は、まだ消えていない。

 あの黒いものは、まだ腹の底で燻っている。一晩泣いた程度で消えるなら、こんなにも苦しんでいない。

 

 でも。

 

 とく、とく、と。

 耳の奥に、まだあの心音がのこて散る。

 化け物と呼んだ体の中で鳴っていた、人と同じ暖かさ。

 

 あの小さくも大きな体の理由を確かめたい。

 

 鉄塔が朝日を弾いた。

 レンガ造りの開けた大きな駅。レイライン・ステーション。

 

 駐輪上にメテオラを停め、ステーションへ向かう。

 昨日までとは違う理由で、胸の鼓動が早まっていた。

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 【天動宮】の宮殿。

 その中庭で、ローグは槍の手入れをしていた。

 

 

「ヴィータの過去、か」

 

 最初に聞いたローグは珍しく、眉間にしわを寄せて長く沈黙し。

 

「──本人の許可なく語るべきことではない。が、そうか」

 

 珍しく、口元に小さな笑みを浮かべた。

 

「お前にも、知る責任ができたのだな。顔を見ればわかる」

 

 スキットルのラム酒を一口煽り、息を吐き出す。

 

「あいつは、西方連合と聖教の緩衝地帯。山間の小人族の部落に生まれた」

 

 語られた内容は、地獄だった。

 

「小人族とは元来、魔力量が人種の中でも豊かだ。が、知っての通り、ヴィータの魔力はあまりに乏しい」

 

 槍の穂先を磨きながらローグは語る。

 

 

「部落は西方にも、聖教にも属していない。だからこそ、ヴィータは生まれつき、出来損ないの奴隷として扱われた」

「出来損ないの……奴隷」

 

 ひゅ、と喉を冷たい息が通った。

 

 

 ローグはわたくしの顔を見ず、じっと槍の柄を眺めていた。

 アルフェウス、と刻まれた槍。入念に手入れされた槍だが、その部分だけは一等強く磨かれ、輝いていた。

 

「<生育>の魔法でな。あいつは歳月を飛ばし、強制的に育てられた。奴隷として使うために、生まれた瞬間に成人させられた。

 注ぎ込まれたのは知識だけだ。狩猟、魔導具作り、子守、そして」

 

 ローグは遠いどこかを見ながら、ため息をついた。

 

「……子供たちの、魔法の的。大人の鬱憤晴らしの肉道具として、扱われていた。俺とコレト―が、旅の途中でそれを見て、拾った」

 

 淡々とした声で、ローグは続ける。

 

「……五年だ」

 

 ローグの声は静かだった。

 平坦であろうと努めるものの、押し殺した声だった。

 

「生き延びられるはずのない場所を、あれは五年、生き延びた。誰にも教わらず、治癒と薬草を独学で学び、爪の先ほどの魔力を極限の効率で回して、な。

 ……俺とコレトーが部落へ入ったとき、あいつは、怒ってすらいなかった」

「怒って……すら……」

 

「痛みも、理不尽に奪われるのも、とうに『そういうもの』になっていた。恨むという感情すら、あいつには当たられなかった」

 

 次に訊ねた小鳥遊教授は、白衣のポケットに手を突っ込んだまま、遠い目をしていた。

 

「あいつがあんな風に笑えるようになるまでさ、三年かかったよ。

 連れ帰ってさ、俺とローグと、OBどもでつきっきりで、飯食わせて、服着せて、頭なでて、遊んで。……人生、やり直してもらったわけ」

 

 いつもの軽薄な声が、少しだけ掠れる。

 

「けどな、ローレッタちゃん。あの子はな、入学してからも他学科の連中に虐められてたんだ。

 そりゃ、そうなんだろうな。魔力が少ない平民なのに、お貴族様よりはるかに魔法技術に優れてんだからよ。

 しかも、何を言っても反論しない。いつもの通りだ。不快だったんだろうな。

 あいつに持たせたポーチにゃ、こう書いてあったよ。

 『人にすらなりきれない、ヒトモドキの機械』ってな。今思い返しても、あれほど腹立ったことはなくってな。キレたOB共と一緒に殴りこんだんだが……」

 

「あいつは一度も、恨み言なんか言わなかった」

 

 小鳥遊教授は白衣の裾を握り、しばらく黙っていた。

 

「……一度だけな。ブレス・レスの初期調整の頃、あいつからこんなことを言われた。『もし当機が壊れたら、この武装はほかの子も使えるようにしてほしい』ってな」

 

 

「────」

 

「真顔でだぜ。悲愴でもヤケでもねえ。……備品の引継ぎみてえに、あっさり言いやがった。

 あいつに対して怒ったのは、あんときくらいだ。なしのつぶてだったがな」

 

 教授はゲーム機を白衣にしまい、天井を仰いだ。

 

 

「あいつには、憎しみがねえ。自己嫌悪もない。すげえことみたいに聞こえるだろ?

 ちげえんだ。……恨むにも、嫌うにも、まず『自分』ってやつが要るんだよ。愛情か、あるいは誰かがいて初めて自分がわかる。

 ……と思うが、俺はさあ、こーいう話向いてねえんだわ。人間観察のプロ中のプロに聞いたほうがいいぜ。リヴェータ様に話しとおしとくから、あの人に聞いてくれい」

 

 ひらひらと手を振り、去る小鳥遊教授。

 それを背景に、わたくしは学園長室へ向かった。

 

「まあ。ローレッタさん。二年ぶりでしょうか」

 

 鈴を転がしたような声。

 青みがかった白銀の髪。わたくしより、幼い顔立ち。身長はヴィータに並ぶ少女。

 しかし、纏う覇気は本物。

 

 圧する、というより包み込むような優しくも冷たい覇気。碧い双眸は海のように深く、昏い。深淵のそれ。

 何もかもを見透かしてくるような、それでいて安心するような風貌。

 

 ──リヴェータ・ロット・アイネイアス。

 ローグと同じく、二千年の時を生きる超越者。史上最高の魔法師であり、アルメ=ガファ聖教の第一【枢機卿】。

 口に浮かんだ笑みは、いつ見ても聖母のものだった。

 

「ヴィータさんのお話ですか。そうね。わたしの所感でよろしければ。

 あの子はね、ローレッタさん。自分というものがわからないの。最初から何もなかったのだから、当然よね。あの子の自認は、道具なのよ」

 

 だから、と【枢機卿】は続けた。

 

「あの子は自分の価値を、他人の中にしか見いだせません。守れる仲間。役に立てる場所。あの子の言う『当機』とは、道具の一人称なの。生まれた時から、ずっとね」

 

 いつの間にか淹れられていた紅茶を口に含み、彼女は続ける。

 

「あの子はきっと、コレトーやローグの愛情さえ、無機質な目で見ている。

 いえ、違うわね。愛されている実感はあるの。ただ、それは自分でなくてもよかった、と内心で思っている。

 『不幸な少女というラベル』への対処だと思っている。あの二人は優しいから、自分でなくてもそうしてくれた。そういう、信頼ゆえのもの。

 だけど、ローレッタさんに向ける目は少し違うように感じます」

「……何が、違うんですか」

「期待でしょう。きっと、あなたなら」

 

 リヴェータ学園長は微笑んだ。

 

「あなたなら、『自分』を教えてくれると」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……わたくしは、部屋に戻れなかった。 

 寮の階段の途中で、膝を抱えて座り込んでいた。

 

 全部、持っている──?

 

 あの人が?

 守るものも、守られるものも、当たり前に持っている、ですって?

 

「……そんな、ことって……」

 

 そんなことは、欠けらもない。

 ヴィータの持ち物は、ひとつ残らず、地獄の後から、拾い集めたものではないか。

 

 竜のポール。

 丹念に手入れされた、たったひとつの木彫りの土産。

 

 あれを捨てられなかったあの人の指を、わたくしは思い出していた。

 

 わたくしには十年前まで、あった。

 屋敷が。父様が。爺やが。褒めてくれる声が。守るべきものが。奪われた記憶と、憎むべき相手の名が。

 

 彼女には最初からなかった。

 奪われたと嘆くための「最初」すら、なかったのだ。

 

 そんな人に、わたくしは何と言った。

 

「あなたに、わたくしの気持ちがわかるはずない、と……」

 

 こんなに、酷いことがあるだろうか。

 わたしよりも、はるかにつらい思いをした人に、わたしは……っ!

 

 両手で、顔を覆った。

 指の隙間から、嗚咽が漏れた。

 

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

 翌朝。

 錬金学科の、白い大門の前。

 登校の刻限。まばらとは言え、先輩たちが、OBの方々が、門をくぐっていく時間。

 その門前で、わたくしは待っていた。

 

「ろーれった? どうしたの、こんなところで。わすれもの?」

 

 とてとてと歩いてきたヴィータが、こてんと首を傾げる。

 

 わたくしは、その場に。

 

 膝を、折った。

 

 石畳に手をつき、頭をこすりつける。

 貴族が公衆の面前で決してしてはならない、最上位の謝罪の形。

 

「ろ、ろーれった!?」

 

 周囲の先輩方が、ざわめくのがわかる。

 構わない。貴族の矜持がなんだ。誇りがなんだ。貴族である前に、わたくしは人。

 人目を選んで頭を下げるくらいなら、最初から下げないほうがマシだ。

 

 

「──ごめんなさい」

 

 石畳を見たまま、声を絞り出す。

 

「わたくし、ヴィータのこれまでを聞きました。あなたはわたくしなんかよりずっと、ずっと辛い目に合ってきた。奪われる痛みどころか、持つことすら許されてこなかった。なのに、わたくしは」

 

 声が、上ずる。

 

「知りもしないで、あんなことを言ってしまいました。……環境に恵まれただの、能天気だの、化け物、だなんて。……あなたが耐え忍んできた大切なものを、何も知らないで」

 

 石畳に、涙が落ちた。

 

「ごめん、なさい……。本当に、ごめんなさい……」

 

 

 沈黙。

 やがて、目の前に小さな靴先が立った。

 膝をつき、冷たい手がわたくしの両頬に添えられる。くい、と顔をあげさせられた。

 

 朝日を背にした、黒い髪。赤い瞳が、わたくしを見ていた。

 

「ろーれった。当機は、怒ってないよ」

「……で、も」

「怒ってないから、赦すもなにも、ない。気にしても、ない」

 

 ヴィータはゆっくりと首を振る。

 

「それにね、ろーれった。ろーれったはひとつだけ、まちがってる」

 

 冷たい親指が、わたくしの目元の涙をそっと拭った。

 

「『当機のほうが辛い目にあっている』──それは、ちがう」

「え……」

 

「つらさはね、くらべるものじゃないの」

 

 あどけない声が、朝の校門前に、静かに響く。

 

「ろーれったの辛さは、ろーれっただけのものだよ。世界でひとつだけの、ろーれったの痛み。当機のものと比べて、かるくなったり、らくになったりしない。

 だれのとくらべても、ちいさくなったりしない」

 

「分かち合うことは、できるよ。この前みたいに、ぎゅっとして、よしよしして、いっしょにいることはできる。

 でもね、くらべて、順番をつけて、『自分の痛みなんて』ってすてちゃ、だめ」

 

 ヴィータは、わたくしの頬を包んだまま、こつん、と額を合わせてきた。

 

「だからね、ろーれった。あやまらなくていいの。あの日、ろーれったが叫んだことばは、ろーれったがずっと一人でかかえて、がんばってきた痛み。当機はそれが聞けて、よかった」

「……っ、どう、して」

 

「だって」

 

 彼女は、小さく笑った。

 薄い、感情の乏しい顔に、朝日を背負った。

 

 それは確かに、花が開くように、笑った。

 

「痛いっていえない子が、痛いって言えたんだよ。それって、すごいことだよ」

 

 視界が、にじんだ。

 ああ──、この人は。

 

 この人は、本当に。

 

 人だ。人なんだ。

 化け物なんかじゃない。誰よりも素敵な、人間なんだ。

 

 

「……ヴィータ」

「ん?」

「今夜のご飯は、わたくしが作りますわ。……今朝のは、少し甘すぎましたから。本場のミルク粥を、ごちそうしますわ」

 

 少し、目をそらして言う。

 わずかに照れが混じってしまった。

 

 ヴィータの赤い瞳が、まるくなった。

 

「だから、その……わたくしと一緒に、食べてくださいまし」

 

「──うん」

 

 小さな手が、わたくしの手を握った。

 冷たい。けれど、確かな熱のある手。

 

「たのしみにしてるね」

 

 ヴィータはまた、やわらかく笑った。

 

 門前のざわめきの中、わたくしたちは手を繋いで、白い門を潜った。

 

 先輩方の生暖かい視線が刺さっていたことに気が付くのは、もう少し後の話。

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 その夜。

 約束通り、わたくしは麦粥を作った。

 ザクロと、たっぷりのハチミツ。ミルクの甘い湯気が、春先で少し曇った窓を白く染める。

 

「できましたわよ、ヴィータ。ほら、鍋をのぞき込むんじゃありません」

 

 無言で鍋をのぞき込もうとするヴィータの襟首をつまみ、椅子へ座らせる。

 

 湯気の立つ椀をふたつ。

 向かい合って匙を取る。

 

「いただきます」

 

 ヴィータが一口食べた。

 赤い瞳がまるくなる。

 

「あまい」

「お口に合いませんこと?」

「ううん」

 

 ふるふる、と首を振って。

 

「ろーれったのだいじな味、おいしいなって。これ、また食べたいかも」

「当然。ヴィータが食べたいときに、いつでも作ってあげますわ」

 

 ヴィータは匙を咥えたまま、しばらく固まっていた。

 それから、ふにゃりと、目を細めた。

 

「……えへへ」

 

 声を出して、笑った。

 初めて聞く、ヴィータの笑い声だった。

 

 小さな口ではふはふと粥を運ぶ彼女を見ながら、わたくしは、ずっと訊きたかったことを、口にした。

 

「ねえ、ヴィータ。あなたは今、幸せ?」

 

 ヴィータは匙を咥えたまま、きょとんと首を傾げた。

 そして、少しも迷わずに答えた。

 

「みんなが幸せなら、当機は幸せだよ?」

 

「────」

 

 ああ。

 やっぱり、か。

 

 優しい答えだった。どこまでも、彼女らしい答え。

 聞いた誰もが、なんて良い子なのだろうと目を細める答え。

 

 でも、わたくしはもう知ってしまっていた。

 

 その答えの中に、彼女がいないことを。

 「みんな」の幸せを鏡にしなければ、自分の幸せを映せないことを。

 「当機」の中が、がらんどうであることを。

 

 壊れたら。武装は次の子に──。

 怒ってあげる『自分』がいない──。

 

 

 この人は、誰も恨まない。自分を憐れまない。すべてを包み、すべてを認める。

 

 それは、わたくしの目指した強さではない。強さではあるのだろう。でも、わたくしはそんな強さを誰が得ても、幸せだとは思えなかった。とうてい、嫉妬なんてできなかった。

 

 恨むための。憐れむための、幸せを願うため──「わたし」を、この人は最初に奪われたのだから。

 

 

「──ヴィータ」

「ん?」

「なんでも、ありませんわ。お代わりいります?」

「いる」

 

 空になった椀に粥をよそいながら、わたくしは静かに誓った。

 

 誰にも言わない。彼女にも、言わない。

 いえば、きっと彼女は困った顔で首を傾げる。

 『当機はだいじょうぶだよ』と、いつもの調子で言うのだろう。

 

 彼女は、掬いなんて望んでいない。

 欠けていることにすら、頓着していないのだから。

 

 ──それでも。

 

 望まれていなくても、余計なお世話でも、傲慢とそしられても。

 

 ね、ヴィータ。わたくしは、あなたに救われてほしい。

 わたくしの手で、あなたを助けたい。

 

 あなたがわたくしにしてくれたように。壊れたわたくしを抱きしめて、心臓の音を聴かせてくれたように。

 

 今度はわたくしの番。

 

 あなたが、『みんな』を鏡にしなくても、幸せだと言える日まで。

 あなたの手が、暖かくなるまで。

 

 復讐とは違う何かが、胸の奥で静かに灯った。

 この熱の名を、わたくしはまだ、知らない。

 

「ろーれった。おかわり、まだ?」

「はいはい、今よそっておりますわ」

 

 湯気の向こうで、ヴィータが笑っている。

 きっと、わたくしも笑っている。

 

 窓の外では、春の始まりの星が瞬いていた。

 

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから季節が一つ、廻った。

 わたくしは、今もヴィータの隣にいる。

 

 朝は日の出とともに始まる。

 二段ベッドはぶっ壊した。どうせ一緒に寝るのだから、不要だろうと考えたから。代わりに、ロフトを作って秘密基地を作った。

 

 超のつく朝方のヴィータは、わたくしより先に目を覚ます。布団の中で、わたくしを起こさないよう静かに魔法のストレッチをしているのを、わたくしは薄目で知っている。

 

 問題は、時折。まあ、今日のように寝ぼけたわたくしが、彼女を抱き枕にしてしまっていることで。

 

「……ろーれった、くるしい」

「ん、むぅ……ヴィータ……」

「むう……まあ、いいか」

 

 あきらめたヴィータは。そのままわたくしの腕の中で二度寝をしている。

 目が覚めて、腕の中の彼女と目が合った時の気まずさと言ったらない。

 

「…………やってしまいましたわ」

「いつものこと。気にしないで」

「い、いつもじゃないですわよ?」

「週2はいつもの範疇」

「ぐ、ぬぬぬぬ……」

 

 最近、ヴィータの口が強くなり始めた。

 こうなってはわたくしは劣勢。まあですが、負けを認めるまでは負けてませんので。戦場を変えればいいだけのこと。

 

「ほら、ヴィータ。お風呂に入りますわよ! 朝風呂はルーティン!」

「すとれっちしたい。ろーれったがぎゅーてするから、からだばきばき」

「お風呂ですればいいでしょう」

 

 首根っこを掴んで浴槽へ向かう。

 ともに湯を浴び。彼女の黒檀の髪を梳く。

 濡れたヴィータの黒髪は、本当に美しい。手触りは絹のようで、雨上がりの夜のような、純粋に黒い。

 丁寧に香油をなじませ、櫛を通していると、彼女は決まってうとうとし始める。

 

「こーら、ヴィータ。湯船で寝ない。溺れますわよ」

「んむ……。だいじょうぶ、当機にはろーれったがいる」

「わたくしは浮き輪ではありませんのよ!?」

 

 風呂から出れば朝食の準備を始める。

 朝食は、わたくしの領分だ。

 焼きたてのバゲット。玉ねぎのスープ。ポーチドエッグと、彩りのサラダ。

 

 栄養のバランスの整った、完璧な食卓。

 なのに、体面の小さな先輩は、決まってしおしおの顔になる。

 

「……お肉が、ない」

「朝から揚げ物を食べる人がありますか」

「チチャロン……。唐揚げはじんるいの叡智……」

「野菜も叡智ですわ。ほら、あーん」

 

 しおしおのまま、口を開けて食べるのだから、世話がない。

 

 登校はメテオラだ。

 ぶろろろ、とエンジンを鳴らし、街道を走り抜ける。

 

「おおー」

 

 前に座らせたヴィータが、風を受けて目を細める。

 この位置が、彼女の定位置となった。速度を上げると、小さな手がわたくしの腕をきゅっと掴むのが、少しだけ、かわいい。

 

「ろーれった。きょうは屋台でてる」

「寄りませんわよ。今日は講義がありますのよ?」

「かえりに、よろう。新作のくしやきがあるって、ローグ師父がいってた」

「…………仕方がありませんわね。一本だけですわよ」

 

 メテオラを近くに停車させ、ヴィータを抱えて地面に下ろす。

 

 一本で済んだ試しが一度たりとてない。

 

 鉄塔の繁華街の屋台通り。

 この小さな体のどこに入るのか、という勢いで彼女は食べる。

 串焼き、揚げ饅頭、蜜のかかった氷菓。両手に戦利品を抱え、頬をリスのように膨らませている。

 

 その途中で、決まって起きる悲劇がひとつ。

 

「あ、わんちゃんだ」

 

 ヴィータが目を輝かせて手を伸ばした瞬間。

 

「バウ、バウ、グルルルル……!」

 

 屋台の大型犬が、毛を逆立てて店の奥へすっとび、牙を剥いて威嚇するのだ・

 猫も、鳥も、たまに通る馬も。みんなそう。彼女の纏う気配は、獣たちの本能に抗いがたく訴えるものがあるらしい。

 

「…………」

 

 伸ばした手が、行き場をなくして宙に浮く。

 しょんぼり、と。わかりやすく肩を落とした彼女の頭に、わたくしは手を乗せる。

 

「わたくしがなでてさしあげますから。それで我慢なさいまし」

「……当機がなでたかったんだもん」

「寮に帰ったらいくらでも撫でるさせて差し上げますわ」

「だれを?」

「……怒りますわよ」

「ふふ」

 

 撫でられながら、氷菓を食むヴィータ。

 動物には怖がられるくせに、錬金学科の後輩たちからは猫のようにかわいがられているのだから、世の中はわからないものだ。

 

 講義は、あったり、なかったり。

 

 小鳥遊教授は相変わらずの気まぐれで、休講の羊皮紙だけが名物になっている。

 そういう日は、たいていヴィータか、暇を持て余したニート……OBの方々が代わりに教壇へ立つ。

 

 これが、なかなか侮れない。

 

「──というわけで、この術式は三画目を三次元に畳み込むと、消費魔力が四わりはへる。おすすめ」

 

 教授陣ですら舌を巻くほどの知識──。それも、錬金術に限らず、原素魔法から変身魔法、召喚魔法、占星術、薬学に至るまでの知識を、彼女は舌足らずな声で、驚くほどわかりやすく解きほぐしていく。

 

 黒板の前に踏み台を置き、背伸びをしながら書く姿は威厳のかけらもないのに、講義の内容は下手な専門書より深く、参考書よりわかりやすい。

 

「ろーれった。ここ、テストにでるよ」

「あなたが試験を作るわけでもないでしょうに。それに、去年はまるまる同じ問題が過去問で出ていたでしょう」

「ふふん。あまい。きょーじゅはてぬきのずぼら。よくできてるじゃーんとか言いながら、数年かえてない。当機にはわかる」

 

 ……悔しいことに、本当に出た。

 

 放課後は決まって、彼女の趣味に付き合わされる。

 

 ゲームだ。

 帝国産の魔導遊戯機。ほのぼのとした村づくりのゲームを、ふたりで額を突き合わせてやる。

 

 やる、のだが。

 

「だぁーっ! なぜ、対戦ゲームでわたくしは一度も勝てませんの!?」

「こんぼがよみやすい。みてからかいひ、よゆうでした」

「ウキーーっ! もう一戦! もう一戦ですわ!」

 

 二十八連敗。

 悔しさのあまり、夜間に小鳥遊教授のもとで秘密特訓したわたくしを、あんちくしょうは「がんばりやさん」と褒めた。

 データを集め、90%の勝率を維持できるようになってから挑んだ。結果は記録更新。四十連敗を積み上げた。

 

 バカな……こんなの、わたくしのデータにありませんわ。

 

 

 ゲームが終われば、夕食の時間。夕食は、じゃんけんで勝った方が作る取り決めだ。

 

 

「「最初はグー!」」

 

「「じゃんけん、ほい!!」」

 

 そしてヴィータは、じゃんけんが常軌を逸して強かった。

 

「ぐ……っ、また負けましたわ……! な、なぜ

 

「ぶい」

「ま、また揚げ物地獄ですわ……」

 

 彼女が勝つと、食卓は脂のてんこ盛りになる。

 バター揚げに、オニオンフライ。チチャロンに、クリスピーポーク。

 

「~~♪ やっぱり、お料理、やっぱりたの──きゅう……」

「はいはい、そこまで。後はわたくしがやりますわ」

 

 倒れこむ小さな体を受け止めて、続きを作るのがわたくしの仕事。

 腕の中で目を回している彼女を見下ろしながら、ため息をつく。

 

「むん……。また気絶してた。ありがとう、ろーれった。焼け死ぬところだった」

「まったくですわ。次気絶したらお野菜天国にしますからね」

「ほんとうに天国行っちゃうよ……」

 

 そうして、二人で笑いあう。

 

 夜は静か。

 彼女は数秒で本を一冊読み終えて。それから、ぼーっと宙を見つめる。

 瞬間記憶した本を、もう一度ゆっくり読み直しているんだろう。スペックの暴力過ぎる。わたくしだってできなくはないですが、あそこまで早く読めませんもの。

 

 わたくしは、隣で武器の手入れをする。

 サンセットを分解し、油を差し、くみ上げる。

 

 復讐のための、いつもの儀式。

 その手元を、いつからか、彼女がじっと見るようになった。

 

「きれいな手入れ。ろーれったの銃はしあわせものだね」

「……道具に幸せも何もありませんでしょうに」

「あるよ」

 

 ヴィータは、あたりまえのように言った。

 

「だいじに使ってもらえる道具は、しあわせだよ。当機には、わかる」

「────」

 

 当機には、わかる。

 その一言で、胸がギュッと痛んだ。

 

 その一言の重さを知っているのは、この部屋でわたくしだけ。

 

 ……ですから、わたくしは、その夜から手入れの時間を少しだけ変えた。

 銃の手入れを簡略化させ、ヴィータの髪をもう一度だけ梳くことにした。道具ではない、わたしのヴィータのための時間として。

 

 二十一時。彼女の就寝時間。

 布団にともにもぐりこむ小さな背中の、灯りを落とす。

 

「おやすみ。ろーれった」

「ええ、おやすみなさいませ。ヴィータ」

 

 規則正しい寝息が聞こえ始めるまで、いつも一分とかからない。

 

 そんな日々だった。

 

 時折、あの静かな圧を放つ彼女に怯えることはなくなった。

 

 復讐の炎は消えてなどいない。

 いまも、腹の底で燻っている。

 

 けれど、その炎のすぐ隣に、あたたかくて、大切な明かりができてしまった。

 

 復讐の炎と、その明かりは、どちらが重いのか。

 それを、天秤に載せられずにいた。

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 

 ──同じころ。

 マグナ大陸。とある教区の、聖堂の裏。

 燭台の炎が、羊皮紙の上で揺れていた。

 

「……プレアデスの小娘が、<叡智の学堂>に」

 

 肥太り、財宝を指にあしらった指が羽根ペンを取る。

 司祭冠の影の下で、濁りきった目がとろけている。

 

「嗅ぎまわろうがなんだろうが、構いはせぬ。が、あの<銀蛇卿>の元に……リヴェータ【枢機卿】に我らの企みが明るみに出るのは、ちとまずい」

 

 リヴェータ【枢機卿】は、神域の政治家だ。

 異教の徒でありながら【聖都】に比類なき地位を築き上げ、幾度の清廉な政策を立案、実行してきた。

 

 その裏で、悪徳貴族や強権を振るう聖職者を幾人も葬ってきた、旧態然への処刑台。

 

 甘美なる貴族の特権が──。イフィゲネイアの目論見が勘付かれれば、ただではすまない。

 カサンドラの──。あの大飢饉の引き金となった大裁定を思えば、知ればすぐさまにでも彼らの討伐に赴くだろう。

 

 司祭の手には1枚の報告書があった。

 

 今の今まで行方を眩ませていたプレアデスの小娘が、<叡智の学堂>に入学していると。

 

「……忌々しい。父親に似て、身の程を知らん」

 

 彼の卓上には一枚の書状。

 豪華な封蝋には、依頼主たる『楽園』の紋様。

 

 ──貴族の、上等の娘を。

 

「ちょうどよい」

 

 羽根ペンが走り出す。

 宛名は、ローレッタ・ヴェン・プレアデス。

 

 したためられているのは、雅な字面の、決闘の案内。

 

 我らを恨んでいるのだろう。ならば、お望みどおりにしてやろう。今尚縋る貴族の作法に従い、決闘にて決着をつけさせよう。汝が勝てば、プレアデス家の再興を約束しよう。汝が敗れれば、学堂を退き、我らのもとへ花嫁としてその身を差し出すがいい。

 

 一分の隙もない、合法の毒。

 仮に検閲がかかったとしても、銀蛇は真相には迫れまい。

 目障りなネズミの始末と、極上の供物を用意できる。

 

「賢しい小娘に、餌をくれてやろう。好物だろう? 何より甘い、復讐の味は」

 

 蝋が、燭台の火で溶かされる。

 じゅ、と音を立てて、悪徳の印蝋が捺された。

 

 その手紙が海を渡り、彼女たちの部屋の机に忍ばされるのは、そう遠くはない。

 

 饗宴の日は。流星が散る日は、近い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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