今回、クソボケ視点のみです
白い蝉の声が聞こえる。
窓から差し込む日差しが部屋に満ちていく。
光が瞼の上に落ちた。まだ六時前だというのに、もう今日は一日中暑いとわかるには十分な熱が籠っていた。
「……んん、まだ少し眠いな」
昨日は少しだけ寝るのが遅かった。
彩葉が吐露した想い。それに僕はちゃんと応えるべく、改めて彼女と向き合って接することを選んだ。家から少し離れた公園で、僕たちは互いの感情を確かめ合い、改めてお互いを理解したのだ。
そんな出来事があった僕たちは、翌日も学校があるというのにもかかわらず、眠りにつくのがだいぶ遅くなってしまった。そのせいもあってか、かなりの寝足りなさを感じる。
「……てん」
「おはよう、彩葉」
「……ぅん」
眠そうな表情で目を擦る彼女も、僕と同様にかなり眠そうな雰囲気を醸し出している。
「……ねむい」
「わかる……。昨日はちょっと寝るのが遅かったからね、授業中に寝ちゃわない?」
「……大丈夫、頑張って起きるから」
握り拳を作る彼女の様子は、なんだか微笑ましいものである。
学校では凛とした様子しか見せない彼女の、少しだけ抜けている一面をこうして間近で見ることができるのは、ちょっとだけ嬉しいものがある。
「……おはよぉ」
「あ、かぐや。おはよう」
僕たちの会話で起こしてしまったのか、かぐやもまた僕たちに続くように目を覚ました。
「なにしてたのぉ……?」
「え、別に朝のおはようって話を……」
「かぐやもするぅ……」
「えぇ……今してるじゃん」
まだ少し寝ぼけているのか、重たそうな瞼を引き摺りながら彼女は僕の胸元まで近付いてくる。
「……かぐや、すぐ抱きつくのはよくないってば」
「知らなーいっ!……ふへへ」
「むぅ……」
なんだろう、朝だからだろうか。
普段から多少心を許してくれている彼女たちが、いつもより緩く見えるのはきっと、窓から差し込む白い光が原因に違いない。
「……天、私も」
「えっと、彩葉も?……というか、そんなスペースなくない?」
「……知らない」
前言撤回、緩く見えるとかの次元ではなかった。
なんというか、いつもよりも甘い?ように感じる。
……これも昨日、内に秘めた思いを互いに吐き出し合った結果なのだろうか。
「……ん、あったかいね」
「……平温は低い方なんだけどなぁ」
「てんはあったかいよ?」
本当に、この温もりの中にいるとダメになる気がする。
彩葉の淡い熱も、かぐやの激しい優しさも。全部が全部、僕の手から脚まで何もかもを溶かそうとしている。
きっと、この熱を。優しさを。ずっと貰い続けていたら、僕はきっと戻れなくなる。
「……そっか」
けれど、今はこの温もりに溺れていたいとすら感じる。
そう感じてしまうのは、僕が彼女たちを少なからず想っているからだろうか。
「……とりあえず、ご飯にしよっか」
「「はーい」」
白かった蝉の声はいつしか消えていた。
耳に残るのは、彼女たちの優しい声だけだった。
朝食を食べ終えた僕たちは学校へ行く準備を始めていた。
「……早起きしちゃったから、少し時間余っちゃったね」
「なんなら、普段はそもそも朝ごはん食べないしね」
「確かに」
少し早めに家を出るというのもなくはないが、この家にはかぐやがいる。
彼女は独りをあまり好まない。退屈を拒み、彩り溢れた世界を好む。そんな彼女が元いた場所を飛び出してまで辿り着いたのがこの日常だった。
だから、できることなら少しでも長く彼女の側にいてあげたい。彼女の孤独や不安を和らげるためにも。
「……へへ」
「あ、また抱きついたな。……はぁ、学校行くまでだよ」
「えへへ、ありがとっ!」
「……私も」
「いやだからスペースは……?」
なんだろうこの時間は。
別に嫌ではないのだが、壁に寄りかかるように座る僕に二人が寄り添う形で抱きついてくる。二度目だが、別に嫌ではない。ただ、言葉も発さないまま時間だけが過ぎていくこの現状が疑問というかなんというか。
「……君たちさ、その体勢で痛くないの?」
「痛くないよ?」
「ん」
「さいですか……」
僕はかなり痛いんだけどなぁ……。
まぁ、だからといってやめてくれと言うわけでもないし、別にこのままでもいいか。
「……ぁ」
「あ、ごめん……綿みたいなのが乗っかってたから」
「……ううん、嫌じゃないから大丈夫だよ」
「う、うん……?」
彩葉の髪の毛に綿みたいなものがくっついていた。それを取ろうと髪に触れたら、少しだけ頭を撫でる形になってしまった。本人は別に嫌ではなかったと言っているが、年頃の女の子としてそれはどうなのだろうか。
……いや、こうやって異性に抱きついているのも冷静に考えれば変なのでは?
「……彩葉。やっぱりさ、抱きつくのやめた方がいいんじゃないかな」
「……え」
「年頃の女の子が、異性に体を許すのはさ……良くないと思うんだ」
「……嫌、だった?」
「いや、そうじゃなくて……さっきのもそうだけど、この現状はあんまりよろしいものじゃないなって」
「……なんで」
「えと……」
「異性だったらくっついちゃいけないの?私嫌じゃないよ、天だって嫌じゃないなら良くないかな」
「……周りの人も変に思うかもしれないよ。いくら信頼し合ってると言ってもさ、異性と同性ではだいぶ変わると思うし」
散々、気を許しておいて何言ってんだと思われるかもしれないが、僕たちの距離感は改めて考えれば近すぎる。
僕たちは、あまり人には曝け出さないようなことを互いに共有してきた。だからこそ、他の人にはない強い信頼や絆のようなものがある。
だから、多少の距離感はその信頼なんかの表れとして流していたが、冷静に考えれば僕たちは異性だ。近すぎるといつかは弊害が出る。
……彼女が周りから邪険に扱われるのだけは嫌だ。僕が嫌なんだ。
「……知らないよ。そんなの知らない、周りの人とか知らない。周りの人から評価のためだけに距離を置くの?……許さない、そんなの絶対に認めない。どうして、そんな有象無象なんかのために、私たちが我慢しないといけないのさ。……ねぇ、周りからの評価なんて無視しよ?何を思われても私はいいよ?天がいるならそれでいいんだよ?周りからなんて思われようが、どんな陰口を言われようが関係ない。横に天がいてくれるだけでそれでいいの。それだけで私は幸せだから。ね、わかった?」
「……ぁ、えと、その」
「嫌じゃないんでしょ?ならいいじゃん。私たちがこうやってくっついていられるのはさ、互いにそれだけ信頼している証拠なんだよ?……私ね、天にくっつくのが大好き。天の温もりが愛おしいんだ。温もりを感じると、天がここにいるんだって実感できて嬉しくなる。この温もりを離したくないってなるから、くっついているのが好きなんだよね。それに、私の熱も知ってほしい。これだけ天を想ってるって、天だけの熱がどんなものなのかを知ってほしいから。……ねぇ、これだけ言ってもダメなの?私、それでもダメって言われたら何するかわかんないよ」
「……やっぱりこの話「あのさ」……は?」
「……なんか、彩葉ばっかり喋ってるけどさ。かぐやだって、てんのこと大好きなの!彩葉ばっかりずるい!異性の距離感とかはさ、かぐやよくわかんないや。……けど、てんも彩葉も嫌じゃないなら我慢する必要ないと思う。彩葉の言うこと、かぐやもわかるよ。てんに触れているとさ、すごく胸があったかくなるの!それですごい好きだなってなるし、この熱が消えそうになるとすごく泣きそうなぐらい悲しくなるんだよね。彩葉にとってがどうかはわからないけど、かぐやにとってはすごーく大事なんだ。一人は嫌だよ?だから、てんと彩葉がいる今がすごく大好きっ!寂しいのも、退屈なのも全部嫌い。そんな思いをさせないようにしてくれる二人が大好きだから、そんな理由で嫌な思いするのはかぐや嫌だよ」
「……あ、あの」
「彩葉もかぐやも同じなの。てんが大好きだからくっついていたし、それを納得できない理由で拒まれたら嫌な思いする。理由なんて知らない。てんが嫌だと思ってないなら、彩葉のことちゃんと受け入れてあげてよ。3人で一緒……だよ?」
「……話を」
「……ありがと、かぐや。かぐやの言う通りだよ、一緒じゃないと嫌だ。私たち、天のことをこんなに想ってるんだよ?なのにダメなの?天だって、嫌なわけじゃないのにさ、なんで私たちが我慢しないといけないの?……それで文句を言う人がいるなら、私が直接話すから。周りからの評価なんて必要あるかな。私たちが良いなら、それで良いと思うんだ。だから……」
「……彩葉?」
「……だ、だからさぁ……っ、おねが……い」
「「え」」
「ひっ、く……っ、ひっ……ぅ、うぅ……」
拝啓、過去の自分よ。
一体、貴方は彼女に何をしたんですか。
……こんな泣かれるぐらい想われる価値なんてないのに。
「……えと、彩葉。話を聞いてほしいなぁ……なんて」
「やだ……やだ、やだぁ……っ。だって、だってぇ……っ、う、うぅ……」
「……死ぬか」
「ちょちょちょっ!てんっ!?」
やっぱり間違ってたんだ。
僕なんかが彼女を大切にするべきじゃなかったんだ。僕なんかが大切にしたから、彼女を傷つけてしまった。
僕なんかを想って泣いてくれる彼女がどれだけ優しいことか。
「……ふぅ」
「いやいや!……ふぅ、じゃないよっ!?何しようとしてんのさ!え、嘘だよね……?てん?え、あの……?」
今日も憂鬱なぐらい、世界は輝いている。
夏は昨日と同じ顔をして、そこに立っている。空は嫌になるほど青くて、微かに聞こえる蝉の声だけが僕の内側の静けさを際立たせる。
「……ねぇ、てん?嫌だよ?ねぇ……?ねぇってばっ!」
あの星が廻るたびに、少しずつ削れていったものがなくなろうとしている。
別にこれでいい。彼女を傷つけてしまった時点で、僕にはもう目的がない。……元々、なかったような命だ。ここで終わったって構いやしない。
「……ぁ」
世界が一転した。
いや違う、僕が床に倒れたのか。先ほどまで寄りかかっていた壁の無機質さは、気がつけば背から消えていた。代わりに背に伝わるのは、陽の光によって多少の熱が籠った暖かい床。
そして、目線の先には微かに揺れている淡い卵色の少女がいた。
「……かぐや?」
「……なんで置いてこうとするのっ!かぐや……どうしたらいいの……っ。ひとりに、しないでよっ……」
「……っ」
言葉が出ない。
何かを言おうとして、言えなかった。喉元まで上がってきた言葉が口から出てこない。
「……っ、……ぅ……いかないで……」
爪が腕に食い込んで痛い。
そのせいだろうか。絞り出された思いが、痛いほど胸に伝わってくる。
「……天」
「——っ!」
起き上がろうとした瞬間、体が下に引っ張られる。視線をずらせば、彩葉が僕の頭を掴んでいた。
……馬乗りになったかぐやに腕を捕らえられ、頭上にいる彩葉には頭を力強く押さえつけられている。
「……天がいない世界なんて、いらない……っ。天がいたから、温かさで満ち溢れてるんだよ……?全部あげるから……っ、私の時間も、私の好きも、全部天にあげるから……だから、置いていかないでよ……っ。拒絶しない、で……?お願い、お願いだから……!」
一気に目が覚めた。
というか、僕は多分とんでもないことをやらかした気がする。ただ、彩葉が傷ついているのを見ていたら、つい衝動的に動いてしまっただけなんだけどな……。
「……ちょっと、手を離してくれるかな」
「「……嫌だ」」
「大丈夫、何もしないから」
「……ほんと?」
「……ぐすっ」
「二人に誓って何もしないよ」
渋々ではあったが、二人の拘束が解けた。
解放された僕は、床に転がっていたボールペンをズボンのポケットにしまった。
「……ごめん、僕が軽率だった」
「……うん」
「……僕にとって彩葉はすごく大切なんだ。だから、傷つけてしまったことに動転してた。それに、さっきのだって彩葉を大切に思っていたから、距離感は気をつけるべきなんじゃないかなって」
「……大切」
「二人が僕のことをそれだけ想ってくれているのはすごく嬉しいよ。……僕も二人のことは大切だから。だから、少しでも傷つけるようなことがあったら嫌なんだ」
「……そんなことで傷ついたりなんてしないよ」
「……そうだね、そうまで言ってくれてるのに拒む理由なんてないよ」
僕が馬鹿だった。
彼女たちの想いを知った気でいた。僕が彼女たちを大切に想うように、彼女たちもまた僕を大切に想っていた。
大切だと想う人にこれだけ想われていたんだ、僕はなんて幸せ者なのだろうか。
「……じゃあ、一緒にいても良いの?」
「……うん、望むだけ」
そんな幸福を自らの意志で手放そうとする僕は、きっと赦されないだろうな。
……結局、いつかは手放すんだ。そのくせして、自分が苦しむためだけに、この甘さを享受している。
「……天」
「……てん」
あぁ、本当に矛盾している。
苦しむために幸せになろうだなんて間違っている。けど、仕方がないだろう。僕が思う中で、最も苦しんで終われるのきっと、これ以上ない幸福の中で、その幸福を手放すことへ絶望しながら朽ちていくことなんだ。
絶望することをわかっていながらそれを望み、そして嫌だと思いながらも受け入れる。
「……てん?」
本当に矛盾している。
「……えっと、二人とも」
「「なに?」」
「そろそろ学校行かないとだよ……?」
あれから少しだけ経ったが、彼女たちは僕から離れる気配すら見せない。
先程と同様に、壁に寄りかかって座る僕に対して、彼女たちは左右から僕に身を委ねるようにして腕に抱きついている。
「彩葉はいいよね。てんと同じ場所にいるんだからさっ!……かぐやだって、一緒にいたかった」
「……かぐや」
「そんなこと言ったってしょうがないでしょ。学校に通ってないアンタが悪い。別に帰ってきたら、好きなだけくっつけばいいじゃない」
「……じゃあ、今ぐらい譲ってくれてもいいじゃん」
「それは無理」
「あはは……」
一見すると邪険そうな会話だが、彼女たちの表情は思ったよりも柔らかいものであった。
「……ねぇ、天」
「ん、どうしたの?」
「……呼んだだけ」
「う、うん?」
うむ
「てんっ!」
「はい」
「呼んだだけっ!」
「……」
なんだこれ(困惑)
かれこれ、数分間はこれを繰り返している気がする。会話の最中、少しでも空白が生まれるたび、彼女たちは僕の名前を呼ぶ。返事をしても、呼んだだけと言われるだけで別に何もない。
……うーん、別に困るだけで嫌ではないのだが、何度もされると流石に疑問が勝つというか。
「……あのね、天」
「?」
「……さっきのやつ、もう一回してほしい」
「さっき?」
「……あたま、さわってくれたやつ」
「え?」
頭を触った……?
もしかして、髪についていた綿を取ったときのことだろうか。もう一回してほしいと言われても、別に髪に綿は付いていないように見えるのだが、どういうことだ?
「……あ、撫でる?」
「……ぅん」
少し顔を伏せながら彼女は頷く。
……なんだか、猫みたいな雰囲気があって少し可愛らしい。
「……えっと、撫でる……よ?」
「……おねがい」
「ずるいっ!かぐやもっ!」
「はいはい……」
言われるがまま、僕は二人の頭を撫でる。
……いや、この状況やっぱり変じゃないかな。なんだかんだ、彼女たちとは話がついたけども、やっぱりこの距離感は本人が良きにしたって変じゃないか?
「「〜♪」」
まぁ、本人たちが嬉しそうなら別に良いか。
そんなこんなで、僕たちは家を出るまでの間、互いの熱を確かめ合うのであった。
「えへへ」
「……はぁ」
「なんか、お疲れ?」
「……少しだけね」
一時間目が終わった休み時間。
僕は次の授業の準備をしようと教科書などを用意していた最中、綾紬さんが心配そうに話しかけてきた。
「……なんかあったの?」
「……いやぁ、あったと言えばあったんだけど」
「……?」
「あんまり気にしないで……」
「わかった……?」
疲れた。そう言うのは彼女たちに失礼な気もするが、疲れたのは事実だ。家を出るまでの間やここに来るまでの間、彼女たちは僕から一切離れようとはしなかった。
僕としては、別に嫌ではない。けど、最悪の事態などを想定してしまい、思考のリソースが常に何かしらに割かれている。そんな状況下で数時間過ごしていれば、流石に疲れも溜まるというものだ。
とは言え、本当に嫌なわけではない。彼女たちがそれほどまでに、僕を想ってくれることはとても喜ばしいことであるし、僕の想いに一喜一憂してくれることは、とても大切にすべきことだ。
彼女たちの笑みを、僕は何よりも大切にしたい。そのためであれば、この苦労くらい対価としては十分なぐらいなんだ。
「……もしかしてさ、彩葉?」
「……さぁ」
「……いやぁ、どうみたってそうじゃない?あれはさ」
「え?」
綾紬さんが教室の後ろの方を指差す。
僕もそれに釣られて後ろの方に視線を向ける。
「……」
怖いんだが……?
シャーペンを右手に持ったままの彩葉が、瞬きもせずにこちらを凝視していた。
「……綾紬さん、あれどういう感情なのかな」
「さあ?」
彩葉の目線や姿勢が変わらない。
こちらを向いた姿勢のまま、瞳は明らかに僕を捉えている。
「……怖いから、見るのやめとこうかな」
「……そだね」
「綾紬さんでも怖いとかって思うんだ」
「……いや私でも怖いものぐらいあるよ?暗い場所とか怖いし」
そんなことを話しながら、目線を前の方に向き直す。
が、背中に鋭い視線が刺さっている気がしてならない。
……気になるが、気にしても仕方がないしな。何も考えるな。
「……藤原さ、彩葉に何かした?」
「え?」
「……あんな彩葉、初めて見たなぁって」
「……確かに」
「あんなに藤原への独占欲?みたいなの全面に出してるの、流石に初めて見たよ」
「……僕だって初めて見たよ。こんなに想ってくれるのは嬉しいけど、そこまで大切にされてるとは思ってなかった」
「……まぁ、藤原って人を沼らせるタイプの人間だよね」
「えぇ……なんか言い方酷くない?」
僕に人を沼らせるほどの魅力があるのだろうか。
どちらかと言えば、僕が人に沼ってしまう側の気もするのだが……。
「でも、彩葉だって藤原に大沼大臣さんじゃん」
「……大沼大臣ってなんだよ」
「んー、沢山沼ってること」
「……変な造語作らないの」
なんというか少し意外だ。
彼女も少しお茶目なのは、普段の様子からなんとなくわかるが、諌山さんの方がそういうことは言うイメージがあった。
「なんか藤原ってさ、儚げって感じのオーラ漂わせてるからさ、放っておけない感じっていうかさ」
「それいろはにも言われたよ。……綾紬さんも、そう思う?」
「え?あー……思う、かも?」
「……そんなに儚げな雰囲気出してるかな」
「……」
スマホを使って、儚げという言葉の意味について調べてみた。
すぐ消えてしまいそう、頼りなさそうで弱々しい。……頼りなさそうかぁ、僕ってそんなに頼れなさそうな雰囲気なのかな。
「……藤原さ、目を離すとすぐ消えちゃうからさ。多分、そーゆーとこだと思うんだよね」
「そうかな」
「……うん、自分のことは大切にしないしさ。そのくせ、周りの人にはいつも優しいし」
「……?」
「……多分、根本に自分なんかどうなってもいいって考え事強く根付いてるんだと思う。やることなすこと全部が、自分を含めてない気がする。そんなところが儚く感じるのかもね」
「……そうかな」
なんだろう、綾紬さんってこんな人だったっけ。
僕の中の彼女は、もう少しふんわりとした雰囲気の人だった。
けど、今は違う。どろどろした何かが僕の手足を掴んで離さないかのような、重い威圧感を感じる。
……何か、琴線に触れることでも言ってしまったのかな。
「……ちゃんと自分のことは大事にしないとダメだよ」
「……僕のこと、よく見てるね」
教室に差し込む日差しのせいだろうか、彼女の表情がよく見えない。
「……うん、天のことはずっと見てきたから」
けれど、何故だかわかる気がする。
彼女の僕を捉える視線が、とても力強いものであり、僕を離す気がないのが。
「……授業、始まるね」
「ん」
一言、相槌を返した彼女は自分の席へと戻っていった。
ここまで踏み込んだ会話をしたのは初めてだった気がする。彼女と僕には、絶妙な線引きがされていた。
僕も彼女もそれを受け入れていたし、むしろその線引きが心地良いもののように感じていたと、少なくとも僕は思っていた。
けど、先ほどの彼女の様子を思い返せば、この線引きは消してはいけない何かだったのかもしれない。
線引きされているからこそ、踏み込まずに済む領域というものも存在する。だからこそ、僕たちの境界線というのは、互いを踏み込ませないためのセーフティだったのかもしれない。
「……はぁ」
少しずつ変わりゆく日々だが、なんだか今日はいつもより杞憂が多い日になりそうな気がした。
「あ、おーい!藤原!」
「……なんですか?」
午後の授業も終え、職員室での用事も済ませて帰ろうとしていたところ、僕は担任の小林先生に声をかけられていた。
「いやぁ、ちょっと頼み事を頼まれてくれないか?」
「頼み事?」
「体育の遠藤先生にな、体育倉庫に用具を仕舞うのを手伝ってくれと言われたんだが、この後急な予定が入ってしまって……」
「……代わりに僕が手伝えってことすか?」
「……悪い、頼めるか?」
うーん、どうしようか。
今日は、夜からではあるがツクヨミ内にて、月見ヤチヨのライブがある。そのライブを彩葉とかぐやと見る約束をしているため、彩葉がまだかまだかと僕の帰りを教室で待っている。
……まぁ、一緒に帰れないのは仕方ないが、ライブには余裕で間に合うか。
「……はい、大丈夫ですよ」
「いやぁ、助かるよ。ありがとう、今度飲み物ぐらいなら奢ってあげるよ」
「……用具とかって?」
「あぁ、用具たちは体育館横にまとめて置いてあってな。それらを倉庫に入れるだけで大丈夫らしい」
「一人で運べる量なんすか?」
「ん?……まぁ、俺に頼むぐらいだし、大丈夫じゃないかな?元々は、授業終わりの生徒に任せるつもりだったらしいし。多分、一人でもなんとかなる量だとは思うぞ」
「じゃあ、余裕っす」
「ま、無理そうだったら言ってくれ。多少遅れはするが、頼んだ身としては、それぐらいなら全然するからさ」
まぁ、多少時間はかかるだろうけど、早めに終わらせて二人とも合流するか。
「じゃ、頼むよ」
「はい」
とりあえず、彩葉に報告だけ入れとくか。
「天、遅かったね」
「ごめん、小林先生に呼ばれてさ」
「何かあったの?」
僕はさっきまでの出来事を彼女に説明していく。
「……え、私も手伝う?というか、手伝いたいかも」
「いや、僕だけでいいよ。体育で使うものばっかだしね、何かあったら危ないからさ」
「……そんなの天もじゃん」
「僕は男子だからさ、大丈夫だよ」
「……でも」
「それに、かぐやも家で待ってるだろうしさ。先に帰って、かぐやのこと構ってあげてよ」
「……うん、待ってる」
渋々といった様子の彼女は、なんだか怒られた子犬のように顔を伏せて悲しそうな雰囲気を醸し出している。
……なんか、僕が悪いみたいになるなぁ。
「……あ」
「ごめんね、ライブには間に合わせるから」
「……うん。それと」
「それと?」
「……帰ってきたら、いっぱい構ってね」
「……はい」
犬っぽさがすごい。
少し前までは、どちらかと言えば猫のような印象を抱いていた。けど、最近じゃ猫よりも犬のイメージの方が強くなってきた。
現に、頭を撫でていればまるで尻尾を振り回しているかのような幻覚まで見える。……いや、ほんとに犬じゃん。
「……あ」
「おしまいです。……続きは帰ってからね」
「……うんっ!」
そんな他愛もないやり取りをしながら、彼女は帰る準備を済ます。
「……じゃあ、またね?」
「うん、また後で」
軽く手を振りながら教室を出て行った彼女を見届けた僕は、そのまま体育館横まで足を運んでいた。
「……思ったより、量あるなこれ。一人で運べはするけど、少し時間かかるかな?」
帰るのがすごく遅れるってほどではないが、流石にこの量は骨が折れるってやつだ。
多分だけど、一回の授業分の量じゃない。時期的に使わなくなった用具たちやらをまとめて仕舞おうとしたのだろう。加えて、新しく使うものを出すために倉庫を整理した感じな気がする。
「藤原」
「……ん、綾紬さん?」
「なにしてんの?」
「小林先生の頼まれごと」
「……これ全部運ぶの?」
「うん」
「……手伝おうか?」
「僕一人で十分だよ。……怪我とかしたら危ないし」
「じゃあ、手伝う」
「えぇ、僕の話聞いてた……?」
僕の意見なんてなかったかのように、彼女は言い切る。
手伝ってくれることは嬉しいのだが、流石に重たいものが多い。こういう力仕事は男子の役目だろう。
それに、こんなものを運んだら、女子の綺麗な手が汚れてしまう。今時のオシャレな若者にはこういうのはあまり好ましいものではないと思っていたが、彼女にはそういうのはないみたいだ。
「運ぶ順番とか決まってるの?」
「特にはないよ。全部体育倉庫にぶち込むだけ」
「……っ」
「綾紬さん……?」
「ううん、なんでもない。それより、藤原持ってるそれ」
「これ?」
「重いでしょ、私も一緒に運ぶ。二人で運んだ方が早いよ」
「……ありがとう」
こうして、僕たちは一つずつ二人で協力しながら、体育倉庫に用具を仕舞い込んでいく。
幸い、数こそは多いものの運ぶのに苦労するものは多くなかった。二人がかりで運べば、なんてことなく運べるものばかりだったから、時間はそこまでかからなかった。
「……ふぅ、これで全部かな」
「……う、うん」
「綾紬さん、寒かったりする?妙に震えてるけど……」
「暗いとこは苦手なの……朝言った」
「……あぁ、そういえば言ってたっけ」
確かに今朝、彼女は暗いところが苦手だと言っていた。
この体育倉庫も、扉を完全に閉め切ってしまえば、光が一切差し込まない暗闇と化す。一応、扉は半開きにしてはいるが、万が一閉まってしまったら、間違いなく真っ暗になるだろう。
「……あれ?」
「藤原?」
そういえば、前も体育倉庫で綾紬さんと二人で話したっけ。
あの時も、暗いところが怖くて苦手だみたいな話、を……?
「……ぁ?」
「え、藤原?」
ひゅ、と喉が鳴る。吸っても吸っても、肺に届かない。視界の端が白く滲んで、誰かの呼ぶ声が遠い水の底の音になっていく。
吸おうとすればするほど、喉がきゅっと閉じていく。胸の中に小さな拳が詰まっているみたいだ。
「……っ、は……っ、は、あ……っ」
指先が痺れて、自分の手じゃないみたいだ。
白い光が激しく滲んで、輪郭が溶けていく。
「は……っ、ひっ、く……っ、は、は……っ、うぅ……っ」
「天っ!?」
力が、抜けていく。
強張っていた指先の力が少しずつ抜けていく。固められていた指が一つずつ解けていって、握りしめていた何かを離していく。
「……天っ!大丈夫!?」
酷い焦燥が見て取れる彼女の顔を、僕は前にも見たことがある気がした。
思い出そうとしても、視線が揃わない。思考が落ち着かない。気持ち悪い。強い波のような衝動がずっと体を巡って気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
気持ち悪くて気持ち悪い。気持ち悪いから気持ち悪い。気持ちが悪くて気持ち悪い。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……。
「……ぁ、ろ」
「天、聞こえる!?」
何をしていたんだっけ。
あぁ、そうだ思い出した。芦花が体育倉庫にって聞いて飛び出してきたんだっけ。
「……ろ、か」
「……え」
「……け、がは、な……い?」
全く、理解ができない。
憎むべき対象が俺なら、俺に手を出せばいいのに。やっぱり、俺といるからなのかな。俺なんかと絡んでるから、芦花にまで迷惑をかけるんだろうか。
「……ごめん」
「……なんで」
「俺、のせいで、怖い思い、させた……から」
俺なんかが生まれてきたから母さんが死んだんだ。
父さんだってそう言ってた。俺のせいだって。爺ちゃんも婆ちゃんも、俺のせいで死んだんだ。俺が関わりを持ったから。みんな死んだ。俺のせいで。
俺なんかと一緒にいるから、みんな死んでいく。俺が生まれてきたからなのかな。俺が母さんの命を奪ってまでこの世に生まれてしまったから、その罰なのかな。みんなみんな死んでいくのも、俺への罰なんだきっと。
「……て、ん?」
「……ん、どした」
視界が白く滲んでよく見えない。
けど、俺を強く抱きしめている芦花が目の前にいることだけはなんとなくわかる。
「……力、強いよ」
「……ごめんね」
「別に嫌じゃないって」
「……呼吸は落ち着いたの」
「……ん、発作なら落ち着いたっぽい。薬持ってくるの忘れた俺が悪いわ、ごめん」
「……謝らなくていい」
いつも持参しているはずの薬が、胸ポケットに入っていなかった。普段なら、発作が起きたときのために簡易的な薬箱を胸ポケットに入れていたのだが、今日は珍しく忘れていたようだった。というか、学校の制服ってこんなのだったっけ……?
「発作のせいか、ちょっとだけ胸が痛いや」
「……ばか」
「えぇ、なんで俺罵倒されてんの」
「……ねぇ、さっきまで何してたか覚えてる?」
「え?さっきまでは、教室で芦花が来るのを待ってたけど……芦花?」
何故だか、芦花の俺を見つめる表情がとても辛そうだった。
何かを重い感情を押し殺すかのように、強く引き締めた彼女の表情は少しだけ痛ましさがあった。
「……そ、っか」
「芦花?……え、俺なんかした?」
「……ううん……っ、なんでも、ない……から」
「……いやいや、明らかに何か……ぁ?」
世界が回った。いや、俺が回ってるのか。
視界が、ふっと白く欠けた。足の裏の感覚がどんどん遠のいて、床がどこにあるのかわからなくなりそうだ。
「……てんっ!!」
最後に見えたのは、彼女の見開かれた目と、こちらに伸ばされた手だった。
心情描写を増やせば文字数が多くなるジレンマ。
・クソボケ
自己矛盾し過ぎて、たぶん自分でもよくわかってない。自覚している以上に二人への愛が強い。
ボールペンはダメよ。
・超人さん
甘えることに慣れてきた。多少のスイッチを入れないとまだ苦手。何故だか、ボールペンを見ると震えてしまうらしい。……なぜだろう。
・たけのこちゃん
確実に調教されつつある。異性のこととかよくわからないが、二人と一緒にいられないのは許さない。
・8000歳さん
出番なし。けど、常に近くにいるとかいないとか?
・おはなちゃん
少しだけ出番が増えた人。暗い場所、怖いよね。