それからの時間の流れは随分と早かった。
ミルクをあげて、泣き出したら宥める。危ない行動をしたら防いで、眠そうだったら寝かしつける。
そんなことを繰り返していれば、気がつけばもう日曜日だった。まだ、この子が現れてから一日しか経っていないが、感覚だと随分と時が進んだ気がする。
「そろそろ寝る?」
「……うん、寝ようかな」
「……了解」
金曜日の夜?土曜日の朝方?
どう表現したら良いかは分からないが、あの日三人で川の字に寝たのもあってか、この子は三人で川の字で寝るのが好きみたいなのだ。
「……じゃあ、おやすみ」
「……てん」
「ん、なにかあった?」
「……よんだだけ」
「……えぇ」
「……おやすみ」
「……はい、おやすみ」
時折、彼女の行動には惑わされる。
まぁ、考えるだけ無駄な気はするが。
「……君も早く寝るんだよ」
「あぅ?」
僕たちの間で眠るこの小さな女の子にも声をかけながら、僕は彼女をあやす。
「……すぅ」
「寝るの早いな……」
あっという間に眠ってしまった彼女の顔を見ながら、この二日間弱を僕は軽く思い返す。
思い返してみれば、一番大変だったのは泣いているこの子を宥めることだった。
すぐに泣き止むときもあれば、中々泣き止まないときもある。昼間なら多少は問題ないが、夜中となると話は変わる。
流石に、騒がし過ぎると近所の迷惑になってしまう。不幸中の幸いというべきか、この子の面倒は酒寄……彩葉の部屋で見ることになった。
というのも、この赤ちゃん。女の子だったのだ。いくら赤ん坊といえど、男の僕がオムツの取り替えなどを積極的にやっていいものなのか、などと考えていたら、同性である自分が風呂やトイレなどの作業をするから、他のことは任せたいという。
それもあって、彼女の部屋で基本見ることとなったこの子の面倒だが、彩葉の部屋は角部屋だ。その横に位置するのが僕の部屋、僕たちの真下の部屋には住人がいない。
そのおかげで、今のところは騒音によるトラブルは起きていない。
「……運が良かったな」
あと、大変ってわけではないが、成長の速さにも少し驚かされた。明らかに、この子を見つけたときは生後間もない赤ん坊のはずだった。
……はずだったのだ。気がつけば、ハイハイをするぐらいには成長していた。
「……最近は何もかもの流れが速いとは言うが、まさかここまでとは」
まぁ、どれだけ考えてもこの子には、この世界の常識なんて通用しないんだろうな。
「……君は一体、何者なんだろうね」
意識が次第に遠のいていく。
閉じていく思考の中で、この子について考える。どこから来たかとか、何しに来たかとか。別にそんなのはどうでもいい。
……ただ、健やかに育ってくれるなら。
「……それだ、け……で」
目を覚ますと、カーテンの隙間から少し朝の光が差し込んでいた。
……もう朝か。
そんな感想を抱くことがここ最近あっただろうか。いつもであれば、一日がまた始まることへのほんの僅かな杞憂ばかりだった。
「……てんきがいい」
今日は天気が凄く良い。
天気が良過ぎるせいだろうか。微塵も残っていなかったと思い込んでいた心の熱量が、今日は何だが少しだけ胸の内側に感じられる気がした。
横を確認すると彩葉はまだ寝ている。
規則正しい寝息を立てている。その向こう側には僕たちに挟まれるようにして眠っていたあの子も、小さな寝息を立てていた。
「……あ」
その瞬間、僕は違和感に気づいた。
……また、大きくなっている。昨夜、寝る直前よりも明らかに成長していた。あまりにも速い成長速度に、何故だか少し寂しさを覚えてしまうのは気のせいだろうか。
「……えっと」
思わず声が溢れる。
その声で目が覚めた、彩葉もこちらを見る。寝起きなのもあってか、彼女の瞼は少し薄開きだ。薄く開かれた瞼を細め、こちらに視線を向けた彼女は、また少し大きくなった赤ん坊を見て、思わず驚いた顔をしていた。
「……ん、天……? また、大きくなってる……?」
「……そう、みたい」
あまりにも速い成長に、僕たちは目の前で明らかに成長を続けているその子を見下ろすことしかできなかった。
「……昨日より、大きい」
「ね」
「……やっぱ、病院に連れて行く?」
「行っても、多分説明できないよ……」
僕たちは顔を見合わせるぐらいしかなかった。
けれど、そこに恐怖などはなかった。恐怖だけじゃない、マイナスな感情は何一つとしてなかった。あるのはただ、元気に育ってくれて何よりという安堵だけだ。
正直、この先どうなるのか、まったく見当がつかないのが現状だ。何処から来たのかもわからないこの小さな少女。加えて、とんでもない成長速度ときた。
もしかしたら、このままあっという間に大人にまでなってしまうかもしれない。もし、そうなったのならきっと、今よりも大変な思いはする。
衣食住、その全てを賄い続けるのは、学生の身分である僕らにはあまりにも厳しい。かといって、この素性のわからない異常性の塊のような少女を、闇雲に誰かに任せるのも違うだろう。
考え過ぎかもしれないが、そんなことをしたら危険な目にあうかもしれない。少しでもこの小さな笑顔が損なわれるかもしれない可能性があるのならば、僕はその選択肢を簡単には選びたくはない。
「……」
僕たちにとって、この子にとって。
互いに、僕たちの関係はよくわからない。もし、このまま成長して、僕の杞憂なんか関係なしに、すぐ何処かに消えてしまうかもしれない。
……でも、僕はそれでも構わない。何かを求めて手を差し出したわけじゃない。
「……天?」
「……ん、なんでもないよ」
この小さな命の隣にいると、少しだけ心が落ち着かない気がする。自分でもわからない僅かな衝動がずっと全身を駆け回っていて、落ち着いてはいられない。
「……このペースだとさ」
「うん」
「近いうちに、もっと大きくなるよね」
「……だろうね」
「……手伝うとは言ったけどさ、大丈夫?」
「……まぁ、衣食住に関しては大丈夫だよ。お金なら余るほどあるから」
「……え?」
「僕の家、少しだけ裕福だったからさ……」
「……ごめん」
「いいよ、別にそれぐらい」
僕に流れ込んできた莫大な資産は、殆ど使われずに残ったままだ。正直、一人分を賄うぐらいなんてことない。
「……とりあえず、朝ごはんでも食べる?」
「……ん、そうしよ」
そうして、僕たちは狭いキッチンに二人で並んで朝ごはんの準備をし始める。
この僅かな生活でも、彼女との共同作業は何故だか、すぐ慣れた。彼女も同じ感じなのだろう。僕が何かする時には、だいたい彼女が用意してくれていたりする。
「……毎回思うけど、なんか僕に合わせるの得意だよね」
「え?」
「……何やろうとしても、横にいるって言うか」
「それぐらい、見てたらわかるよ?」
「……にしては、いつも手伝いに来るなって」
「それだけ、天を理解してきたってことじゃない?」
「……理解、ですか」
「そ、理解」
理解か。
僕が誰かを懐に入れることなんて、ないと思ってたのに。でも、彼女だけは拒めきれず、つい受け入れてしまいがちだ。
受け入れてしまうと、大切に感じそうになって少し怖い気持ちもある。
……また、失うのは怖いから。
「……天のことなら、何でも理解してあげるよ?」
「あはは、何それ」
なんて他愛もない話をしながら、僕たちは朝ごはんを作るのだった。
結局、あれから月曜日になってもこの子はハイハイのままだった。正直、このペースで大人ぐらいの大きさになってしまうのではと思っていた。
幸いなのは、月曜日は祝日で学校が休みだったのだ。そのおかげで、私たちは三連休をまるまる使って、この子の世話に専念することができていた。
……正直、せっかくの三連休だったのにと思ったのは何度もある。天のおかげで、バイトのシフト自体は少し前から落ち着いていたが、それでも少ないわけではない。あくまで、現実的な量に落ち着いただけだ。
「……三連休どころか、五連休だったんだけどね」
急な休みも合わせれば、五連休だったのだ。
にもかかわらず、特に何か特別なことをした記憶がない。いや勿体ない過ぎるだろ。なんなら、この得体の知れない赤ん坊のせいで、休みなのに忙しいまである。
「……まぁ、良いこともあったからいいけどさぁ」
特別、何かが出来たわけじゃない。
けど、私にとっては少し嬉しいこともあった休日だった。それもそのはず、あの天と共に過ごすことに成功したのだ。
今まで、彼を囲う壁は固く高かった。
だけど、この連休は違かった。何がきっかけかまではわからないが、明らかにこの一年間で一番関係が深まっている。
「……へへ」
前よりも仲良くなった。
その事実が、今までの彼を知っている身としてはどれだけ嬉しいことか。どこか儚く消極的な彼は、自らの懐に誰かを入れることを良くは思わない……はずだった。
でも、明らかにここ数日の私は、それが許されている。それは、私と他の人とでは大きな差があることを意味する。
あれだけ、他人を受け入れない彼が受け入れ始めた人間。
そこには一体、どんな意味が含まれるのだろうか。その他大勢になんか向ける感情は向けられないはず。なら、どんな感情を私に向けてくれているのか。
「……てん」
正直,私は重たいと思う。
本当はわかっている、私は孤独に強い人間なんかじゃない。強く在り続けようとしていただけだ。彼と過ごす中で、それはこれでもかってほど痛感させられた。
——一番じゃなければ意味はない。
いつからだろうか、人に頼るのが苦手になったのは。
誰かに弱さを見せるのが怖かった。強く在り続けなければ、私はきっと成長できないんだって、強迫観念にも近い感情を抱くようになっていた。
……また、孤独になるのが嫌だったんだ。
家を出てまで、強く在り続けようとしたのに、弱さを認めて仕舞えば、また孤独になる気がして怖かった。
だから、見えないふりをして全部蓋して誤魔化していたんだ。
泥沼に嵌まり続けて、いつかは消えてしまうんじゃないかって、心が苦しくても気丈に振舞ってきたのに、天には見抜かれてしまった。見抜かれた薄い硝子の軟弱性は、気がつけば徐々に酷いものへとなっていく。
硝子が破れるってときに、彼は軽く補強するかのように私に手を差し伸ばしたんだ。本人からしたら、なんてことのない行動かもしれないけど、私にとってそれが何よりも嬉しくて、苦しくて、辛くて、暖かったんだ。
孤高で在ろうとする私に、彼は弱いままで在ろうとする道を提示してくる。弱さを誤魔化して笑うんじゃない、弱さを受け入れた上で笑うのが私には必要だって。そう言われたんだ。
「……でも、大した理由じゃなかったんだよね」
そんな、甘い蜜みたいな言葉を授けてきたくせに、肝心の本人は、「酒寄さんが怪我したら家族が悲しむじゃん」なんて理由で心配してきたらしい。
……そんな、当たり障りのない理由なことある?凄い良いこと言うじゃんってめっちゃ感心したのに、理由が呆気ないものだったから思わず笑っちゃった記憶がある。
少しずつ、会話自体は増えていた。
けど、大体は顔を合わせることがあったら話すぐらいだった。でも、それを期に、私から声をかける機会が増えていったんだっけ。
他愛もない会話の日々だったけど、私にはそれすら心の拠り所に感じられたんだ。
話す回数が増えていくうちに見えていく彼に、どこか寂しさともどかしさを感じては私から関わる回数も増えていった。最初は、ただ仲良くなりたいってだけだった。話しやすくて、接しやすい。他の男子みたいに下心とかが見えなかったから。
私に意図せず、手を差し伸ばしてくれた彼だから、仲良くしたい、その寂しさをどうにかしてあげたい。……それだけだと思ってた。
でも、私の悪い癖は完全に払拭されたわけじゃなかった。
何でもかんでも蓋をして、誤魔化す癖は全然健全だった。だから、こないだまで私自身も知らなかったんだ。
……重たい友愛、孤独を拗らせた人間の醜い独占欲。
それらをこの身に溢れんばかりと抑え込んでいたこと。
「……教室でのあれを見てからだ」
普段、天は私を除いたら芦花や真実としか交流がない。
なんなら、芦花と真実も一日に一回話すか話さないか程度の丁度良い関係値だ。
だから、私は無意識に天にとっての友人は自分だけだって思ってたんだ。
そのせいで、あの知らない笑顔を見た時、今まで感じたことのなかった黒い衝動が私を駆り立てたんだ。
「……でも、見たことのない私の表情を見たからってのはさぁ。……ちょっと、ズルいと思う」
けど、これで私は自分のちょっと重たい……いや、かなり重たい友愛やそれに付随する独占欲に気付けたから良かったと思ってたんだ。
……でも、実際は違った。
そんな軽いものなんかじゃなかった。私のこの感情は、もはや依存に近かった。
友愛?独占欲?そんな甘いものじゃない、どろっどろで真っ黒い執着に近い何かだ。私から決して離さず、離そうとするものを害そうとする、病的な依存心。
「……わかってる、良くないことぐらい」
わかっては、いるんだ。
でも、本気で失うって思って気づいたのだ。独占欲なんて言葉が軽く感じるほどの想いだって。
「……ねぇ」
離したくない。
そばにいてほしい。埋めた孤独を埋め続けてほしい。笑った顔を見せてほしい。優しい声でいつもおはようって言ってほしい。朝起きた時に最初に見る人はいつも私が良い。疲れた時は大丈夫って心配してほしい。寂しさは私で全部埋めたい。私以外で寂しさを埋めないでほしい。過去も全部何もかも共に背負いたい。私だけに笑顔を向けてほしい。他の人なんて見ないでほしい。
考えれば考えるほど、まるで呪いのような重い想いが溢れてくる。止まる気配は一切ないし、止めるつもりない。
もう、我慢はしたくない。弱さを誤魔化するのは良くないって教えてくれたのは天だよ。
「……天」
あの時、抑え蓋は完全に破壊された。
それだけ、私にはあの光景が衝撃だった。冷静に考えれば、わかることのはずだ。にも関わらず、私には冷静に判断できなかった。
誰かとの間に出来た子供。そんな事実が頭に浮かんだ時には、泥ような思考は、完全に渦巻いて反芻していた。
相手は誰なのか、いつの間に相手ができていたのか。
そんなことがずっと反芻する中で、考えてしまったんだ。
——なんで、私じゃないんだ。
それは、執着だけで済ませて良い言葉じゃない。流石の私でも、自分を理解できてしまった。
結局のところ、いつもの癖で私は執着や依存といった言葉で、一番肝心な想いを誤魔化していたんだ。
ただ、隣人が執着なんてするか。依存なんてするか。
どれだけ、心を救われようと隣に住む友人にそこまで友愛を向けるだろうか。独占欲を向けて、他人へ嫉妬するだろうか。
……否、違う。そんな友愛、あるわけないだろう。そんなのはもはや、友愛なんかじゃない。
そう、私は天のことが——
「……好き」
——なんだ。
あぁ、これが恋なのか。
なんて心地良い気分だろうか。自分を受け入れたからか、ずっと胸につっかかってた痛みが、心にかかっていた靄が晴れた気がする。
「……好き」
今、目の前で赤ん坊と共に眠る彼を見つめる。
それだけの行為でも、私には心地が良い。好きな人を見るだけで、ここまで心が躍るのか。
「……好き」
好き。
「……好き」
髪に優しく触れる。
あまり美容とかに気をつかっていないはずなのに、天の髪はちょっとサラサラしていて、乙女としては少し複雑なところもあるけど、それ以上になんだか愛おしい。
「……すき」
……睫毛、近くで見ると長く感じる。
こんなに無防備な姿を晒して、何されても知らないよ。ここ数日で、仲良くなれた。
「……すーき」
少しでも仲良くなれたのは、とても運が良かった。
この調子で、ちょっとずつ仲良くなれていけば、いずれは、天も私を想ってくれるだろうか。
「……まてない」
散々、弄られた私にそんなの待ってられないよ。
……ねぇ、好きだよ。天は何も想ってくれないの。
「……ぁ」
薄い桜色の、柔らかい唇に目が離せない。
いつも、私を呼んでくれる唇。優しい声で喋りかけてくれる。普段から見ているはずなのに、何故だか目が離せない。
「……っ」
少しぐらい、いいだろうか。
……今なら天も寝てるし、あの赤ん坊もいない。一回ぐらいバレないはず……ん?
「……いない?……は?」
「ちょ……どこいった!?」
待て待て待て待て。
少し、すこーしだけ目を逸らした間にあの赤ん坊が消えた……。成長スピードは異常だったけど、こんなとこまで不思議である必要はないだろ。
「……なにしてるのー?」
「……ひゃいっ?!」
「……うわぁ、変な声」
……なんだ、こいつ。
いや、それよりも誰?え、いやどちら様?
「……えっと」
「あ、そうだ。お腹すいた!」
「はい?」
……なんだ、こいつ(2回目)。
えっと、こいつもしかして……。
「……ん?どしたの急に」
「はい、これ」
「?」
「さっさとお引き取りください」
「……いやいやいや、嫌だよ!?」
「……うるさい、帰らないなら力尽くでも」
「へ?」
「ん、ぬぅ……っ!早く帰らんかい!」
「っ……痛いよっ!」
「……んぅ、なに?」
「「……あ」」
……少し、うるさかったみたい。
「……で、説明がほしいかな僕は」
「……えっと」
「?」
困惑した様子の彩葉と、おそらく赤ん坊であったであろう女の子が目の前にいる。
彩葉は見てわかるように、困惑しきった顔で何を言えばいいのだろうと言わんばかりため息をついて言う言葉を探している。
一方で、赤ん坊と思わしき少女はこの状況をよく理解できていないように感じる。
「……こいつが、赤ん坊」
「うん、それは何となくわかるよ」
「……大っきくなったし、帰ってもらうかと」
「いきなり帰れって酷くない!?」
「……ちょ、うるさいんだけど」
「……ごめん、ちょっと待って」
なんだこれ。
……いや、本当になんだこれ。
「……とりあえず、帰らそうとして揉めたって認識で大丈夫?」
「揉めた……まぁ、だいたいそんな感じ」
「……で、次は君に聞きたいんだけど」
「私?なんでも答えるよっ!」
「……いや、なんでもはいいんだけどさ別に」
……すんごい元気だなこの子。
綾紬さんや諌山さんとはまた違った、コミュニケーション能力の高さを感じる。クラスの中心にいる活発系なイメージっていうか。
「……その前に、お腹すいちゃった」
部屋に響く腹の音はどうやら彼女のようだ。
突然の音には、彩葉も思わず驚いた表情をしている。
……なんというか、ちょっと抜けてる表情を見るのも初めてな気がする。
「……じゃあ、一回ご飯にしよっか」
「うんっ!」
「……えぇ」
「じゃあ、改めまして」
「……はい」
「……?」
とりあえず、彼女の空腹を満たしてから話を進めることにした。
「……どう?足りそうかい」
「うんっ!てか何コレ!?めっちゃ美味いんだけど!?」
「……そりゃ、よかったよ」
「これ大好き!」
「……さいですか」
余ってる食材的に、作れそうなのがオムライスだけだったからオムライスをご提供したのだが。まぁ、気に入ってくれたなら何よりか。
……にしても、こんな形で料理することになるとは。
「それで、貴女何なの」
「?」
「……何処から来たのさ」
「……んぅっ」
「……は?」
「月……?」
「かなぁ?」
月かぁ。
まるで、かぐや姫みたいだ。言われてみれば、彼女が出てきた電柱も見方を変えれば、かぐや姫が現れた竹に見えなくもない。すぐ成長するところとかも本家かぐや姫に通ずるものがあるし、あながち間違ってはいなかったりするのだろうか。
「……で、宇宙人は何しに来たの。侵略?」
「んとね、あんまりよく覚えてないんだけど」
「……うん」
「とにかく、毎日超つまんなくてっ!楽しいところに逃げたいーっ!……って思った気がするー」
「いや、逃げんなよ……」
「えぇ!なんでぇ!」
なんか、二人の会話のテンポ感がコントみたいだ。
見ていて少し、微笑ましい。誰かの会話を聞いて、心がこんなに穏やかになったのはいつぶりだろうか。
……これも、彩葉とこの子のおかげなのかな。
「……それで、一つ聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「……天?」
「んー?いいよ?」
一応、聞いておくべきだろう。
そうであろうと、なかろうと。
この子が、あのかぐや姫なのか。
「……このお話、わかる?」
「ん、なにこれ」
「……天、これって」
「うん、竹取物語」
「……たけとりぃ?」
「まぁ、とりあえず読んでみてよ」
「……?わかったっ!」
かなり真剣に読み込んでいる様子。
果たして思い当たる節があったのか、単純に真面目なだけか。
「ねぇ、天〜。これで終わり?」
「は?なんで名前知ってんの」
「……僕、自己紹介したっけ」
「それよりこれの続きは?」
「……いや、続きって。その話はそれでおしまいなの」
「〜っ!」
「……どしたのよ」
「月に帰って終わりとか、超バッドエンドじゃんっ!!」
「こういうもんなんですぅ」
「これかぐや姫めっちゃバッドエンドじゃんっ!?しかも、なんで良い話風になってるわけ!?許せないんだけどっ!」
「……いや、知るかよ。こういうお話なんだから仕方ないの」
「えぇっ!バッドエンドやだ!ハッピーなのが良いっ!」
ハッピーエンドを謳いながら床で駄々をこねる少女と、それを宥める少女。随分とまぁ、カオスな空間に僕は放り込まれてしまったようだ。
……過程か結末、かぁ。
「……決まってることじゃない。黙って受け入れるしかないだっつーの。……そういうのはさ」
「……」
……なんともまぁ、彼女らしい言い分だ。
そうだ、決まっていることは仕方がないんだ。黙って受け入れるしかない。それがどれだけ、納得のいかないものだったとしても、受け入れずに拒んだってどうしようもない。
「そうだね、こういうのは「決めたっ!」……さ」
「自分でハッピーエンドにする!」
「……は?」
「そんで、ハッピーエンドまで二人とも連れてくっ!」
「……」
「……何言ってんの。てか、ハッピーエンドって何」
「ハッピーエンドはハッピーエンドだよ!そりゃあ、ハッピーな
もんなわけ!」
「……いやだから、意味わからん」
「……いいんじゃないかな。ハッピーエンド」
「えっ!」
「やっぱり天もハッピーエンドが良いよねっ!?」
わざわざ、自分から好んでバッドエンドにする奴なんて、そうそういない。ハッピーエンドにできるならバッドエンドよりハッピーエンドの方がいい。
……できるんなら、何度だってハッピーエンドにしているっての。
「……んなことより、明日学校だからそろそろ寝かせてよ」
「……あぁ、もうこんな時間じゃん」
「がっこう?」
「もう!とりあえず、今は一回寝るっ!わかった!?」
「えぇ……。わかったよぉ」
確かに寝かせてよと言ったのは僕だけど、怒られて落ち込んでいる彼女を見ると、なんだか少しだけ申し訳ない気がするなぁ……。
「……とりあえず、アンタはこっち」
「……はぁーい」
……まぁ、いっか。
「……ふぁ」
結局、僕は学校を休んで彼女の世話をすることにした。
彩葉も同じように休みたそうにしていたが、流石にそれは僕が止めた。二人とも休む必要はないと思うしね。休むなら、最初にこの子を拾ってきた僕な気がする。
「てーんてんてんっ!ひまぁ!」
「……僕の名前をそんな変なふうに呼ばないでね」
「えー?可愛くない?」
「……え、どこが?」
僕の膝に座った彼女が無邪気にそう尋ねてくる。
彼女は、まるで最初からそこにいたかのように、僕の膝の中に収まっている。
……なんで、ここに座るんだよ。
「てーん?なんか元気ない?」
「……別に、そんなんじゃ」
「そう?」
「……そうだよ」
彼女の世話をしているとふと、不思議な感覚に襲われる。
誰かを世話することで、自分が何かの役に立っているという実感。それは、すっかり当たり前になっていた自己嫌悪を少しだけ和らげてくれる気がした。
考えを完全に消し去るわけではない。むしろ、この程度のことでしか自分の存在価値を確かめられない自分自身に、僕はどこか嫌気が差しそうにもなる。
だけど、確かに少しだけ、渦巻いていた自己嫌悪が軽くなった気がしたんだ。
「……ん?てん?」
「……いや、何でもないよ」
彼女の屈託のない笑顔を見ながら、僕は小さく首を振った。
この子がなぜ、あんな形でこの世界に現れたのか。その理由は、まだ何一つわかっていない。
だが今は、その謎よりも、目の前にいるこの小さな存在を守りたいという気持ちの方が、僕の中では強くなっていた。
守りたい、と誰かを想っていると、少しだけ自分のことを考えなくてよくなる。それだけのことでも僕にとっての、ささやかな希望のように感じられた。
結局、ここ数日の寝不足が響いているのか、朝からずっと気だるさが抜けなかった。体だけでなく、心も鉛のように重い。彼女の世話に加え、彼女の笑顔を見ているとよくない考えばかりが反芻して頭の中が燻り続けているせいもある。
昼過ぎになって、蓄積した疲労が一気に押し寄せてきた。
「……ごめん、ちょっとだけ、ここで大人しくしてられるかな。少しだけ、仮眠が取りたくてさ」
「……え?大丈夫っ?」
「うん、大丈夫。……ただ、少しだけ眠いだけだよ」
「……そっか。静かにしてるね!」
彼女は素直に頷いた。
その様子に少し安堵しながら、僕は布団の上に横になる。眠っている間くらいは、何も考えなくて済む。それが、今の僕にとってはなんだか、ちょっとした救いのようにも感じる。
……いっそ、このまま二度と目を覚まさなくても、それはそれで構わないような気さえした。
「……何かあったら、すぐ起こしてね」
「……うん」
その返事を最後に、僕の意識はあっという間に暗闇に落ちていった。夢すら見ない、ただの空白の時間。それだけでも、僕にとって安らげる場所の一つなのかもしれない。
——彼女が、窓の外をじっと見つめていたことに、眠りに落ちた僕は気づかなかった。
クソボケがクソボケし続けた結果が超人さんが超々人さんになったらしいね。
原作よりは、バイトのシフトや食生活が改善されているので心持が若干違います。なんでだろう。