君の理想は、僕が本物に   作:M1tarash1

2 / 4
02. 陽だまりのスープと、冷たい軍服

 

「……はあ。せっかく、みんなで同じ街に行けると思ってたのになぁ」

 

ハルが去った後の静まり返ったリビングで、レノはわざとらしく大きなため息をつきながら、スプーンを乱暴にテーブルに置いた。

 

食器の触れ合う高い金属音が、全面ガラス張りの白い部屋に虚しく反響する。

 

「ハルがあんな顔するの、本当に珍しいよね」

 

僕は眼鏡のブリッジを指先で押し上げながら、ハルが一口もつけずに残していった、冷めかけのスープ皿を見つめた。

 

「いつもなら、理不尽な減点を食らっても『次はもっと頑張る!』って笑うような奴なのに。よっぽどショックだったんだよ。指導官ジュリアの、あの血の通っていない言い方もさ」

 

「冷たい軍服を着ただけの、ただのシステムのスピーカーだろ、あいつは」

 

レノが忌々しそうに、低く吐き捨てる。

 

「『拒否権はありません』、か。AIの弾き出した適性データがそんなに絶対なのかよ。

ハルがここで指導官になっちまったら、俺たちの約束はどうなるんだ。

外の街で、美味いもん食って、大きな遊園地に行くって言ったのは、他でもないハル自身だろ」

 

「……そうだね」

 

僕は短く答え、静かに椅子から立ち上がった。

 

「レノ。ハルのスープ、温め直して部屋に持っていこう。お腹が空いたままじゃ、明日からの体力訓練にも響くし、何よりハルに元気が戻らない」

 

「チッ、お前は本当に甘いんだよ。……ほら、トレイは俺が持つ」

 

レノは文句を言いながらも、ハルがいつも使っている、少しハゲかけたひまわりの絵柄のマグカップに、温かい紅茶を丁寧に淹れ始めた。

 

口は悪いが、ハルのこととなると誰よりも行動が早い。

 

それがレノという男の不器用な優しさだった。

 

二人はトレイに温かいスープと紅茶、それから少しのクラッカーを乗せて、白い長い廊下を進んだ。

 

シェルター『アーク』の壁は、どこまでも清潔で、どこまでも無機質だ。

 

角に設置された監視カメラの黒いレンズが、二人の動きに合わせて、ウィーンと微かな機械音を立てて首を振る。

 

そのたびに、二人の端末には『規律正しい共同生活への貢献:プラス2ポイント』の通知が小さくポップアップした。人の優しさや気遣いまで、この施設ではすべて無機質な数字に変換される。

 

そのシステムが、今の僕にはひどく息苦しく感じられた。

 

ハルの部屋の前。

 

僕は息を整え、軽くドアをノックした。

 

「ハル? 起きてる? スープ、温め直してきたよ」

 

中からしばらく物音がしなかったが、やがて、パタパタと素足で床を叩く音が近づいてきて、ドアが小さく開いた。

 

隙間から顔を出したハルは、いつもより少し目が赤く、どこか小さく見えた。

 

「……ノア、レノ。ごめんね、片付け押し付けちゃって」

 

「気にするな。お前が食べないと、明日からの訓練で俺の足を引っ張ることになるからな」

 

レノがぶっきらぼうにトレイを差し出すと、ハルは「もう、レノは相変わらず一言多いんだから」と、ほんの少しだけいつもの笑顔を取り戻した。

 

「ありがとう。……入って」

 

白を基調とした、必要最低限の家具だけが置かれたハルの部屋。

 

ベッドの枕元には、かつて3人で作った、歪な形の木彫りのブローチが飾られていた。

 

ハルはベッドの端に腰掛け、温かいスープを小さく口に運んだ。

 

ふう、と白い息を吐くたびに、彼女の肩から少しずつ緊張が抜けていく。

 

「ねえ、ノア、レノ。私ね、さっき部屋で考えてたの」

 

スープの湯気を見つめながら、ハルはぽつりと言った。

 

「指導官になるのって、きっとすごいことなんだよね。次の子供たちを指導する大切な仕事だし、ジュリア指導官が私を選んでくれたのも、期待してくれてるからだと思うの。

……だから、私が私の夢を我慢して、ここで次の指導官になれば、みんなが幸せになれるのかなって」

 

「ハル」

 

僕の声が、遮るように響いた。いつもより少しだけ、低いトーンだった。

 

「自分を納得させるために、綺麗事を使うのはやめなよ。ハルは、外の街に行きたいんでしょ? 3人で、あの約束を果たしたいんでしょ?」

 

「……だって、システムの決定には逆らえないよ。逆らったら、ポイントを剥奪されて、上層都市に行けなくなるどころか、このアークにすら居られなくなるかもしれないんだよ?」

 

ハルの声が微かに震える。

 

彼女は、この世界を本気で信じているからこそ、世界のルールがどれほど絶対で、逆らうことがどれほど恐しいかを知っていた。

 

僕はベッドの前に膝をつき、ハルの怯えた目線を真っ直ぐに見つめた。

 

「大丈夫だよ、ハル。システムのバグなんて、いくらでもある。僕の頭脳を信じてよ。ハルの夢も、僕たちの約束も、全部綺麗事のまま叶えてみせるから」

 

僕の眼鏡の奥の瞳は、ハルを安心させるように、酷く穏やかで温かかった。

 

「うん。……ありがと、ノア」ハルは今度こそ、本当に安心したように微笑んで、スープを飲み進めた。

 

その様子を後ろで腕を組んで見ていたレノは、ふと、胸の奥に冷たい違和感を覚えた。

 

いつも冷静で、データしか信じないノアが、あんな根拠のない「絶対」という言葉を口にするなんて珍しい。

 

まるで、何かの確信を持っているような、あるいは――。

 

ハルがスープを飲み終え、少し眠そうにするのを見届けて、二人は部屋を後にした。

 

「おい、ノア」

 

廊下に出た瞬間、レノが僕の肩を強い力で掴んで足を止めさせた。

 

「さっきの言葉、どういう意味だ。お前、ハルに隠れて何か企んでるだろ」

 

僕は足を止め、ゆっくりとレノの手を肩から外した。廊下の白い照明が、僕の眼鏡を白く反射して、表情を隠す。

 

「……部屋に戻ろう、レノ。そこで、僕が見つけたものを見せるよ」

 

その声には、さっきハルに向けていた温もりは、1ミリも残っていなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。