ノアが連行されてから、数年の月日が流れた。
シェルター『アーク』の白い壁も、天井で見下ろす AI カメラの冷たいレンズも、何一つ変わらない。
ただ一つ変わったのは、僕たちの年齢と、その胸に秘めた狂気にも似た覚悟だけだった。
「ハル、レノ。あなたたちの【善行ポイント】は常にトップよ。本当に素晴らしい、模範的な子供たちね」
指導官ジュリアは、18歳になったハルの黒髪を撫でながら、いつも通りの完璧な聖母の微笑みを浮かべていた。
彼女はまだ知らない。ハルが、ノアから託された『脱獄計画書』のチップを脳内デバイスの死角に同期させ、ジュリアの目の前でアークの内部構造をすべてハッキングし終えていることを。
そして、現実主義のレノが、夜な夜な監視の目を盗んで、脱出に必要な物資とルートを完璧に工作し終えていることを。
そして何より――AI がどれだけ検閲を繰り返しても、ハルが指導官になるのを拒絶したことで発生するはずの『処分リストへの登録』が、常に【エラー:現在チェック中】のまま書き換えられ続けている理由を。
(生きているんだよね、ノア……。君が向こうで、ずっと私の盾になってくれているから……!)
ハルはジュリアの手の下で、静かに、だけど力強く笑ってみせた。男子が16歳になれば、生きては帰れない最前線の『電子特攻兵』として戦場に使い捨てられる。
ノアはその最悪なシステムの底に潜り込み、数年間、自分の命が削れるのも厭わずに、ハルの適合データを内側から書き換え続けてくれていたのだ。
ハルの処分の運命を、何年も、何年も先に延期させるために。
ハルの信じる綺麗事を本物にするために、ノアは今もどこかで、そのすべてを代償に戦っている。
そして、その『約束の夜』は、突然訪れた。
ハルとレノのスマート端末が、真夜中に一斉に青い光を放ったのだ。
画面に表示されたのは、かつて見慣れたノアの独特なコードの文字列。そして、一言だけのシステムログ。
『――アーク全開放。残存電力による隔壁強制ロック解除。猶予時間は15分。……走れ、ハル、レノ』
「ノア……っ!!」
リビングの、あの固く閉ざされていた巨大な鉄のゲートが、火花を散らしながら重い音を立てて左右に開いていく。
アーク内のすべての警備アラームが赤く点滅し、AIの絶叫のような警報が響き渡る。
「ハル、行くぞ!!」
レノがハルの細い手を、壊れるほどの強い力で掴んだ。
「うん……っ!」二人は真っ白な廊下を、これまでの人生のすべてを吐き出すようにして走り出した。
背後から、赤いセンサーを発光させた警備ドローンが数機、銃口を向けて迫ってくる。
激しい銃撃が白い壁を砕き、破片がハルの頬をかすめた。だが、二人は一瞬たりとも足を止めない。
ノアが命を賭けてこじ開けてくれた、たった15分間の奇跡の道を、ただ真っ直ぐに突き進む。
アークの最外周ゲート。厚さ1メートルの鋼鉄の扉が、ゆっくりと、だけど確実に閉まりかけていた。
「レノ!!」
「跳べ、ハルッ!!」
二人は重なり合うようにして、閉まりかける扉の隙間へと身体を投げ出した。
背後で、ガガァン!!と地響きを立ててアークのゲートが完全に閉じる。
警備ドローンの銃声は、そこでピタリと途絶えた。
静寂が、二人の身体を包み込む。ハルがゆっくりと目を開けると、そこには、教科書で見たような青い空も、大きな図書館も、普通の人間が暮らす平和な街も、何一つ存在しなかった。
広がっていたのは、赤く染まった不毛の荒野。
そして、はるか遠くの地平線で、無数の光弾が飛び交い、世界が爆音と共に燃えている、
本物の最前線の戦場だった。
「……あそこに居るんだね、ノア」
ハルは涙を拭い、泥にまみれた手で、胸元のひまわりのブローチを強く、強く握りしめた。
世界は地獄だった。綺麗なものなんて、どこにもなかった。
けれど、ここには自分たちの足で歩ける「自由」が確かにあった。
「ノア、聞こえる? 私、生きてここを出たよ。……君が命を賭けて守ってくれたこの命で、今度は私が、この狂った世界を本当に変えてみせるから――!」
ハルとレノは視線を交わし、力強く頷き合うと、ノアのいる荒野の向こうへ向けて、確かな一歩を踏み出した。
綺麗事の代償は、いつか必ず、僕たちの未来で払い戻してみせる。
やる気なくなって書いてなかったけど惰性で完結させました。