灰を抱く者   作:ケーケーケー

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第六章 父が来なかった日

 

約束の日は、朝から雪が降っていた。

 

庭の木々は白く染まり、吐いた息はすぐに風へ溶けた。

 

燈真は窓の外を何度も確認しながら、朝食をほとんど喉へ通せずにいた。

 

瀬古杜岳。

 

正午。

 

燈矢が父へ炎を見せる場所と時間。

 

燈真は三日前から、何度も父へ伝えようとしていた。

 

しかし炎司は事件対応で帰宅しなかった。

 

電話をしても事務所の職員が応対するだけで、本人とは話せない。

 

昨夜も遅くまで待っていたが、いつの間にか居間で眠ってしまった。

 

目覚めたとき、父は既に仕事へ出る準備をしていた。

 

今日を逃せば、もう間に合わない。

 

「父さん」

 

玄関へ向かう炎司を、燈真が呼び止めた。

 

「話がある」

 

「急ぎか」

 

「うん」

 

炎司は腕時計を確認した。

 

「手短に話せ」

 

「今日、燈矢兄が瀬古杜岳で待ってる」

 

父の表情が固まった。

 

「何時だ」

 

「正午」

 

「そうか」

 

それだけ言って、炎司は再び靴を履こうとした。

 

「待って」

 

燈真が父の腕を掴む。

 

「来てほしいって言ってる」

 

「俺が行けば、あいつは期待する」

 

「来なかったら、もっと傷つく」

 

「炎を使うことを諦めさせなければならん」

 

「燈矢兄は諦めてないよ」

 

「だから行かない」

 

炎司は燈真の手を外した。

 

「俺が見れば、訓練を続けていいと受け取る」

 

「一回だけでいい」

 

「その一回が期待を持たせる」

 

「もう持ってるよ!」

 

燈真の声が玄関に響いた。

 

廊下の奥で、冬美と夏雄が顔を出す。

 

焦凍も、冬美の服へ隠れながらこちらを見ていた。

 

炎司が子供たちへ視線を向ける。

 

「部屋へ戻れ」

 

「父さん」

 

「何度言われても行かん」

 

「青い炎が出たんだ」

 

炎司の動きが止まった。

 

わずかな反応だった。

 

それでも燈真は見逃さなかった。

 

「父さんの炎より熱い」

 

「……」

 

「見てあげてよ」

 

「なおさら行けない」

 

予想していなかった答えだった。

 

「どうして?」

 

「あいつの身体は、その炎に耐えられん」

 

「だったら止めてよ」

 

「何?」

 

「自分で言ってよ。燈矢兄のところへ行って、もう頑張らなくていいって」

 

「何度も言った」

 

「見ないまま言っただけだろ!」

 

燈真の手が震える。

 

「燈矢兄がどれだけ頑張ったか、父さんは知らない。火傷が増えても、髪が白くなっても、一人でずっと練習してた」

 

「それを止めるのが、お前の役目だったはずだ」

 

その言葉に、燈真は息を失った。

 

炎司も、言った直後に表情を変えた。

 

「違う。今のは――」

 

「俺のせい?」

 

「そういう意味ではない」

 

「俺が止められなかったから、燈矢兄が訓練を続けたの?」

 

「燈真」

 

「俺がもっとちゃんとしてたらよかった?」

 

兄の炎を吸った。

 

隠れて訓練していることに気づきながら、見逃した。

 

父を連れていくと約束した。

 

すべて、自分が選んだことだった。

 

「違う」

 

炎司が否定する。

 

だが、遅かった。

 

父の言葉は、燈真の中に入ってしまった。

 

「じゃあ来てよ」

 

「今日は重要な仕事がある」

 

「事務所にはほかのヒーローもいるだろ」

 

「俺にしか対応できない事件もある」

 

「燈矢兄にとっては、父さんしかいないんだよ!」

 

「多くの人命が懸かっている」

 

「燈矢兄の命は?」

 

炎司が黙り込んだ。

 

それだけで十分だった。

 

燈真は父の腕を離した。

 

「兄さんが死んでも、同じこと言える?」

 

「縁起でもないことを言うな」

 

「死ぬかもしれないんだよ」

 

「ならば行かせるな」

 

「もう山にいる!」

 

「連れ戻せ」

 

父の言葉は、あまりにも簡単だった。

 

まるで、燈真ならできると信じているように。

 

燈矢が荒れても、燈真が宥める。

 

焦凍が泣いても、燈真が慰める。

 

母が壊れても、燈真が庇う。

 

家族に何が起きても、燈真が間へ入る。

 

父までそう思っている。

 

この家で誰よりも強い人が、子供にすべてを任せようとしている。

 

「放っておけ」

 

炎司は最後に言った。

 

「あいつ自身が、現実を受け入れなければならない」

 

その瞬間。

 

燈真の拳が動いた。

 

鈍い音が玄関へ響く。

 

炎司の顔が横を向いた。

 

燈真の右手に激痛が走る。

 

鍛えられた父の顔を殴った拳は、指の骨が折れたのではないかと思うほど痛かった。

 

誰も声を出せなかった。

 

冬美が口元を押さえる。

 

夏雄が目を見開く。

 

焦凍は、父と燈真を交互に見ていた。

 

殴られた炎司自身も動かなかった。

 

頬へ赤い痕が浮かんでいる。

 

「……兄さんは」

 

燈真の声が震えた。

 

「兄さんは、放っておいていい人じゃない」

 

炎司がゆっくり燈真へ顔を戻す。

 

怒鳴られる。

 

殴り返される。

 

そう思った。

 

だが父の顔に浮かんでいたのは、怒りではなかった。

 

驚きと、何かを理解したような苦しみだった。

 

それでも、炎司は山へ行くとは言わなかった。

 

燈真は踵を返した。

 

靴を履く時間さえ惜しく、玄関から飛び出す。

 

「燈真!」

 

冬美が追いかけてきた。

 

「どこへ行くの?」

 

「兄さんを迎えに行く」

 

「一人で?」

 

「すぐ戻る」

 

「待って」

 

冬美が上着を差し出す。

 

「外、寒いから」

 

燈真は自分が部屋着のまま飛び出したことに気づいた。

 

上着を受け取る。

 

「ありがとう」

 

「本当に戻ってくる?」

 

冬美の目が不安に揺れていた。

 

母も帰ってこない。

 

燈矢も朝からいない。

 

今度は燈真までいなくなろうとしている。

 

「戻ってくるよ」

 

「燈矢兄も?」

 

「ああ」

 

燈真は笑った。

 

「二人で帰ってくる」

 

また約束した。

 

玄関に立つ冬美。

 

その背後にいる夏雄。

 

父の足へしがみつき、不安そうにこちらを見る焦凍。

 

それが燈真の見た、最後の家族の姿になった。

 

燈真は雪の中を走った。

 

胸が痛い。

 

退院してから、以前のようには走れなくなっていた。

 

呼吸をするたび、肺の内側が焼ける。

 

それでも足を止めない。

 

山へ近づくにつれ、空の色が変わっていく。

 

灰色の雲の下。

 

不自然な赤が広がっていた。

 

焦げた匂いが風へ混ざる。

 

「兄さん……」

 

悪い予感が、確信へ変わった。

 

山へ続く道を駆け上がる。

 

雪で足を滑らせ、何度も転んだ。

 

折れた右手を地面へつき、声が出そうな痛みに襲われる。

 

それでも立ち上がる。

 

やがて木々の向こうから、青い光が見えた。

 

炎だった。

 

燈矢の炎。

 

以前とは比べものにならないほど大きく、鮮やかで、恐ろしい炎。

 

瀬古杜岳全体を呑み込もうとしている。

 

「燈矢兄!」

 

叫びながら、燈真は炎の中へ踏み込んだ。

 

上着が燃える。

 

熱を吸い取り、消す。

 

吸収された熱が体内へ流れ込み、肺を締めつける。

 

医師の言葉が蘇った。

 

同様の個性使用を繰り返せば、深刻な障害が残る。

 

今は関係なかった。

 

障害が残る未来より、目の前にいる兄の命の方が大切だった。

 

「どこだよ!」

 

倒れた木を乗り越える。

 

炎の中心で、燈矢を見つけた。

 

膝をつき、自分の身体から噴き出す炎を止められずにいる。

 

髪は完全に白くなっていた。

 

皮膚は焼け、涙が頬を流れている。

 

それでも最初に尋ねたのは、自分の身体のことではなかった。

 

「親父は?」

 

燈真は答えられなかった。

 

燈矢の表情で、答えを期待していることが分かる。

 

炎が青くなった。

 

父より熱い炎を手に入れた。

 

だから今日こそ見てもらえる。

 

認めてもらえる。

 

そう信じていた。

 

燈真は、その希望を壊せなかった。

 

たった一瞬。

 

言葉を探して、黙ってしまった。

 

それだけで、燈矢はすべてを理解した。

 

「来ないんだ」

 

燈矢は笑った。

 

その笑顔を見て、燈真の胸の中で何かが壊れた。

 

「ごめん」

 

兄を抱き締める。

 

「俺じゃなくて、ごめん」

 

「お前が謝ることじゃないだろ」

 

「約束したのに」

 

「もういい」

 

「絶対に連れてくるって、約束したのに」

 

「いいんだよ」

 

燈矢の声は、不思議なほど穏やかだった。

 

諦めたからではない。

 

壊れてしまったからだ。

 

「やっぱり、俺はいらなかったんだ」

 

「違う」

 

「焦凍がいるから」

 

「違うよ」

 

「お前も焦凍を選んだ」

 

「選んでない!」

 

青い炎が膨れ上がった。

 

燈矢の感情に反応し、森へ広がる。

 

父に見てほしい。

 

愛してほしい。

 

弟たちを憎みたくない。

 

けれど憎まずにはいられない。

 

そんな自分が嫌いだ。

 

消えてしまいたい。

 

熱とともに、燈矢の感情が燈真へ流れ込んでくる。

 

あまりにも大きな苦しみだった。

 

十歳の身体に収められるものではない。

 

それでも燈真は兄を離さなかった。

 

「全部、俺に寄越せ」

 

個性を解放する。

 

山を焼く炎が、燈真の身体へ向きを変えた。

 

青い火が腕から吸い込まれる。

 

燈矢の絶望が、胸へ入る。

 

背中から炎を吸う。

 

父に捨てられた痛みが、肺を焼く。

 

息をする。

 

喉から炎が入り込む。

 

家族を憎んでしまった罪悪感が、心臓へ突き刺さる。

 

「やめろ!」

 

燈矢が叫ぶ。

 

「お前まで死ぬぞ!」

 

「兄さんは死なせない」

 

「離せ!」

 

「嫌だ!」

 

燈真は兄を抱き締める力を強めた。

 

「兄さんが死んだら、みんなが壊れる!」

 

「もう壊れてるだろ!」

 

「まだ終わってない!」

 

何を根拠に言ったのかは分からない。

 

母は入院した。

 

父は兄を見捨てた。

 

兄弟は離され、同じ家にいながら一緒に食事をすることさえ減っていた。

 

それでも、終わったとは思いたくなかった。

 

「俺が直すから!」

 

燈真は叫んだ。

 

「父さんも、母さんも、みんな一緒にするから!」

 

「どうやって」

 

「分からない!」

 

「できるわけないだろ!」

 

「それでもやる!」

 

熱が限界を超える。

 

血液が沸騰する。

 

心臓の鼓動が乱れる。

 

視界が暗くなる。

 

それでも炎を吸い続けた。

 

「だから兄さんも生きてよ!」

 

その言葉を最後に、燈真の身体から力が抜けた。

 

山を覆っていた炎は、ほとんど消えていた。

 

残った火が、焼けた木々の間で揺れている。

 

燈矢は倒れた弟を抱き止めた。

 

「燈真?」

 

呼吸がない。

 

胸へ耳を当てても、鼓動が聞こえない。

 

「嘘だろ」

 

何度名前を呼んでも、返事はなかった。

 

燈真の皮膚に目立った火傷はない。

 

代わりに身体の内側から血が溢れている。

 

口から。

 

鼻から。

 

耳から。

 

血さえ高熱を持ち、燈矢の腕を焼いた。

 

「起きろよ」

 

頬を叩く。

 

反応はない。

 

「家族を直すんだろ」

 

燈真の手を握る。

 

折れた指は、不自然な方向へ曲がっていた。

 

父を殴った拳。

 

約束を守るため、山まで走ってきた身体。

 

「俺を連れて帰るんだろ」

 

燈矢の声が震える。

 

「冬美と夏雄と焦凍に、二人で帰るって言ったんじゃないのかよ」

 

知らないはずの約束だった。

 

それでも、燈真ならきっとそう言ったと思った。

 

誰かを安心させるためなら、守れる保証のない約束さえ平気でする弟だった。

 

「俺のせいだ」

 

青い炎を出したから。

 

制御できなかったから。

 

父に見せようとしたから。

 

燈真へ熱を押しつけたから。

 

「俺が殺した」

 

燈矢は弟を抱き締めた。

 

自分の身体も限界だった。

 

焼けた皮膚は感覚を失い、呼吸をするたび喉が裂けるように痛む。

 

それでも、燈真を手放すことだけはできなかった。

 

遠くから足音が聞こえた。

 

救助隊だと思った。

 

父が来たのかもしれないとも思った。

 

遅すぎた。

 

それでも、燈真を助けてくれるなら誰でもよかった。

 

「こっちだ……」

 

声が出ない。

 

燈矢は焼けた喉で、必死に助けを呼んだ。

 

炎の向こうから、一人の男が現れた。

 

顔は見えない。

 

黒い服。

 

穏やかな声。

 

「二人とも、実に惜しい」

 

ヒーローではなかった。

 

本能が警告した。

 

逃げろ。

 

弟を連れて、この男から離れろ。

 

だが、身体は動かなかった。

 

「安心するといい」

 

男は燈真のそばへ屈み込んだ。

 

「君の弟は、まだ完全には死んでいない」

 

燈矢の瞳に光が戻る。

 

「助かるのか」

 

「ああ」

 

男の手が燈真の胸へ触れる。

 

「このまま放置すれば数分も持たないが、設備さえあれば助けられる」

 

「助けてくれ」

 

燈矢は迷わなかった。

 

相手が誰なのか。

 

何を求めているのか。

 

そんなことはどうでもよかった。

 

「何でもする」

 

「何でも?」

 

「ああ」

 

「良い兄だ」

 

男は笑った。

 

そのとき、燈真の指がわずかに動いた。

 

「……だめ」

 

燈矢が息を呑む。

 

「燈真?」

 

「そいつの……手を……取るな」

 

意識を失っていたはずの燈真が、薄く目を開けていた。

 

何も見えていない。

 

それでも、男の手から伝わる熱を感じていた。

 

温かさがない。

 

人間なら誰もが持つはずの、迷いも、恐怖も、後悔もない。

 

あるのは、深い愉悦だけ。

 

兄弟を助けることではなく、利用できるものを拾った喜び。

 

「面白い」

 

男が燈真の額へ手を当てる。

 

「この状態で、私の意図を感じ取ったのか」

 

「兄さん……逃げて」

 

「何言ってるんだ」

 

「俺は、いいから」

 

燈矢は燈真の手を強く握った。

 

「よくない」

 

「そいつは……助けてくれない」

 

「でも、お前が死ぬ!」

 

「兄さんまで……捕まる」

 

「それでもいい!」

 

燈矢は叫んだ。

 

「お前が生きるなら、どうなってもいい!」

 

その言葉を聞いて、燈真は泣きそうな顔をした。

 

「それを……言ったら駄目だよ」

 

「何がだよ」

 

「自分を大事にして」

 

それは母から言われた言葉だった。

 

自分には守れなかった言葉。

 

せめて兄には守ってほしかった。

 

「兄さんは、自分を壊さないで」

 

燈真の瞼が閉じる。

 

再び呼吸が止まった。

 

「燈真!」

 

「時間がない」

 

男が立ち上がる。

 

「選びたまえ。私に託すか。ここで弟の死を見届けるか」

 

選べるはずがなかった。

 

燈矢は燈真の身体を抱えたまま、男を見上げた。

 

「助けてくれ」

 

「賢明な判断だ」

 

男の周囲から黒い何かが広がった。

 

煙のようであり、液体のようでもある。

 

燈矢は弟を抱き締める。

 

どこへ連れていかれるのかは分からない。

 

それでも離さなかった。

 

黒い霧が二人を包む。

 

視界が消える直前、燈矢は山の入口を見た。

 

そこに父の姿はなかった。

 

救助隊が瀬古杜岳へ到着したのは、それから一時間後だった。

 

発見されたのは、焼け焦げた衣服とわずかな骨片。

 

二人分の血痕。

 

しかし遺体は、どこにもなかった。

 

炎司が現場へ駆けつけたころには、雪が再び降り始めていた。

 

青い炎が焼いた森。

 

灰になった木々。

 

途中に落ちていた燈真の上着。

 

炎司はそれを拾い上げた。

 

冬美が、寒いからと持たせたものだった。

 

袖の部分には血が付着している。

 

右手側は大きく裂けていた。

 

炎司は何も言わなかった。

 

泣きもしなかった。

 

ただ、雪の中に立ち続けた。

 

燈真に殴られた頬が、まだ痛んでいた。

 

――兄さんは、放っておいていい人じゃない。

 

最後に聞いた息子の言葉が、何度も蘇る。

 

正しかった。

 

燈真は正しかった。

 

自分が間違っていた。

 

それを認めても、もう遅かった。

 

その夜。

 

轟家の食卓には、二つの空席があった。

 

冬美は二人分の夕食を用意した。

 

燈真が燈矢を連れて帰ってくると信じていたから。

 

夏雄は玄関の音がするたび、廊下へ飛び出した。

 

焦凍は燈真から教えられた通り、小さな炎を左手に灯して待った。

 

兄が帰ってきたら見せるために。

 

しかし夜が明けても、二人は帰らなかった。

 

やがて家へ戻った炎司は、子供たちへ告げた。

 

燈矢と燈真は、山火事に巻き込まれた。

 

生存は絶望的だと。

 

「嘘」

 

冬美が言った。

 

「燈真兄、約束したもん」

 

炎司は答えられなかった。

 

「二人で帰ってくるって言った」

 

冬美の手から、箸が落ちた。

 

「燈真兄は、約束破らないもん」

 

夏雄が泣き出す。

 

焦凍は何も言わなかった。

 

左手に灯していた炎を見つめる。

 

燈真は、炎を嫌わなくていいと言った。

 

自分の力だと教えてくれた。

 

それなのに炎は、二人の兄を奪った。

 

焦凍は左手を強く握り、火を消した。

 

その日から、二度と炎を使わなくなった。

 

そして冷は、病院で二人の死を知らされた。

 

面会室の椅子に座ったまま、長い間何も言わなかった。

 

「私のせいです」

 

やがて、そう呟いた。

 

燈真が自分を庇わなければ、入院することもなかった。

 

身体を壊すこともなかった。

 

山へ向かう兄を追いかけることもできたかもしれない。

 

「私が、あの子を殺した」

 

その日から冷は、家へ帰りたいと言わなくなった。

 

轟家の全員が、自分のせいで二人が死んだと思った。

 

父は、山へ行かなかった自分を責めた。

 

母は、燈真の身体を壊した自分を責めた。

 

冬美は、兄を一人で行かせたことを責めた。

 

夏雄は、何もできなかったことを責めた。

 

焦凍は、自分が生まれたせいだと思った。

 

そして燈矢は、弟を殺したのは自分だと信じた。

 

ただ一人。

 

燈真だけは、誰のことも責めていなかった。

 

彼はまだ生きていた。

 

光の届かない地下施設。

 

透明な培養槽の中で。

 

無数の管に繋がれ、心臓を人工的に動かされながら。

 

燈真の身体の周囲には、灰色の炎が揺れていた。

 

吸収した青い炎。

 

燈矢の絶望。

 

家族全員の苦しみ。

 

そのすべてが、眠る少年の中で混ざり合っている。

 

培養槽の前に、黒い男が立っていた。

 

「熱だけではない」

 

男――オール・フォー・ワンは、楽しそうに燈真を見上げた。

 

「感情さえ吸収し、自らの力へ変換する」

 

隣に立つ医師が資料へ目を落とす。

 

「ただし、肉体が能力に耐えられていません。損傷した臓器を再生しなければ、覚醒は難しいでしょう」

 

「構わない」

 

「移植する個性はどうしますか」

 

「慎重に選びたまえ。あまり増やせば、せっかくの器が壊れてしまう」

 

オール・フォー・ワンは、培養槽の表面へ手を触れた。

 

「この子は素晴らしい」

 

眠る燈真の瞼が、わずかに震える。

 

「誰かを救うためなら、自分がどれほど傷ついても構わないと思っている」

 

男の笑みが深くなる。

 

「ならば、その優しさを利用すればいい」

 

隣の培養槽には、全身を焼かれた燈矢が眠っていた。

 

「兄を生かすために弟を従わせる」

 

オール・フォー・ワンは続ける。

 

「弟を生かすために兄を従わせる」

 

兄弟は互いの命を人質にされていた。

 

しかし、二人はまだそのことを知らない。

 

「どちらが先に壊れるか」

 

暗い施設の中。

 

魔王の笑い声だけが、静かに響いた。

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