『斉木楠雄の恋愛は、計画通りにいかない』
僕の名前は斉木楠雄。超能力者だ。
テレパシー、念動力、瞬間移動、予知、透視。大抵のことは何でもできる。
だが、だからこそ僕は平凡な生活を望んでいる。目立たず、騒がず、誰とも深く関わらない。卒業アルバムを開いた同級生から「こんな奴いたっけ」と首を傾げられるくらいが理想だ。
そして、その理想を最も簡単に破壊する人物がいる。
「おはよう、斉木君!」
照橋心美。
誰もが振り返る完璧美少女であり、本人もそれを自覚している。男子から向けられる好意を当然のものとして受け入れながら、誰に対しても平等に優しく振る舞う。
ただし、心の中では違う。
『今日こそ絶対に、斉木君に“おっふ”って言わせてみせるんだから!』
朝から元気なものだ。
「……おはよう」
『ふふっ、相変わらずそっけない。でも、その余裕も今日までよ!』
できれば永遠に続いてほしい。
僕が短く返事をして教室へ向かうと、照橋さんは当然のように隣を歩き始めた。
周囲の男子たちから、嫉妬と怨嗟の念が突き刺さる。
『なぜ斉木が照橋さんの隣に……』
『昨日の俺の善行ポイントでは足りなかったのか?』
『消すか』
最後の奴については、あとで記憶を消しておこう。
「ねえ、斉木君。今日の放課後、時間ある?」
「ない」
「まだ何も言ってないよ?」
「どうせ買い物か何かだろう」
「えっ?」
『なんで分かったの!? もしかして私のこと、いつも見てるから?』
違う。心を読んだだけだ。
だが、そんな説明ができるはずもない。
「適当に言った」
「そ、そうなんだ」
照橋さんは一瞬だけ残念そうな顔をした。
その表情を目撃した男子たちの殺意が三倍に膨れ上がる。
面倒だ。
「買い物なら付き合う」
「本当!?」
『やったあああああ!』
喜びの声が頭の中に直接響く。
僕は早くも後悔していた。
◆
放課後。
待ち合わせ場所に現れた照橋さんは、いつも以上に気合いが入っていた。
白いブラウスに淡い水色のスカート。髪型も普段とは少し違う。おそらく朝から二時間ほど悩んだ末に選んだ服装だろう。
いや、テレパシーで確認するまでもない。
『変じゃないよね? 可愛いよね? うん、可愛い。私は完璧美少女なんだから当然よ。でも、斉木君の好みと違っていたらどうしよう……』
思考が騒がしい。
「待たせた?」
「いや」
「そっか。よかった」
彼女が微笑んだ瞬間、周囲を歩いていた男子たちが一斉に息を呑んだ。
「おっふ……」
「おっふ……」
「おっふ……」
見知らぬ男たちが次々に奇声を上げている。
いつ見ても異様な光景だ。
僕は何も言わず歩き出した。
「ちょっと待ってよ、斉木君!」
照橋さんが小走りで追いついてくる。
『今、私のことを見てた。少しくらいは可愛いと思ったはずよね? なのに、どうして何も言わないのよ!』
可愛いかどうかで言えば、可愛いのだろう。
客観的には。
ただし、僕の透視能力は常に作用している。普通の人間が顔を見ている時間よりも、骨格を見ている時間の方が長い。美人という概念に感動しろという方が難しい。
「どこへ行くんだ」
「駅前のショッピングモール。友達の誕生日プレゼントを探したいの」
『本当は斉木君と二人で出かける口実だけどね』
知っている。
どうせなら早く終わらせよう。
◆
照橋さんの買い物は長かった。
ハンカチを手に取っては戻し、化粧品を眺めては首を傾げ、アクセサリー売り場では十五分以上悩んでいる。
「これとこれ、どっちがいいと思う?」
「右」
「じゃあ、こっちは?」
「左」
「本当に見てる?」
「見ている」
透視で値札の裏まで。
「もう少しちゃんと考えてよ」
『もしかして退屈させちゃった? でも、一緒に選びたかったし……』
僕は手に取っていた二つの髪飾りを見比べた。
正直に言えば違いはよく分からない。
だが、照橋さんが右の髪飾りを選んだ未来では、店を出てから何度も僕の反応を気にしていた。左を選んだ未来では、鏡の前で少し嬉しそうに笑っている。
「左の方が似合うんじゃないか」
「え?」
「友達に贈るんじゃないのか」
「あっ……う、うん。そうだったね!」
『今、私に似合うって言った!?』
心音がうるさい。
照橋さんは左の髪飾りを大切そうに持ち、レジへ向かった。
友達へのプレゼントという設定はどこへ行った。
◆
買い物を終えた頃、外では雨が降っていた。
「困ったな。傘、持ってきてないや」
それは嘘だ。
折り畳み傘が鞄の底に入っている。
『ここは相合い傘のチャンス! 斉木君だって女の子を雨の中に置いていくほど冷たくないはず!』
残念ながら僕も傘は持っていない。
瞬間移動を使うつもりだったからだ。
照橋さんを残して帰ることはできる。しかし、明日には「雨の中で完璧美少女を見捨てた男」という噂が広まり、僕の平穏が崩壊するだろう。
仕方がない。
「そこで待っていろ」
「え?」
僕は物陰へ入り、瞬間移動で自宅へ戻った。
玄関の傘を一本取り、十秒ほど時間を置いてからショッピングモールに戻る。
「近くの店で買ってきた」
「早くない?」
「近かったからな」
我ながら苦しい。
僕が傘を開くと、照橋さんは少し緊張しながら隣へ入った。
肩が触れそうな距離。
しかし、僕が離れると彼女が雨に濡れる。仕方なく傘を照橋さんの側へ傾けた。
「斉木君、肩が濡れてるよ」
「問題ない」
「もっとこっちに寄ればいいのに」
「これ以上は歩きにくい」
『意識してるのかな? 私のこと、意識してくれてるのかな?』
違う。
だが、否定すれば余計に不自然になるので黙っておく。
しばらく歩くと、照橋さんの思考が静かになった。
珍しい。
いつもなら僕にどう思われているか、どんな表情を作れば可愛く見えるか、周囲からどう見られているかを絶えず考えている。
だが今は、雨音だけを聞きながら歩いている。
「斉木君」
「何だ」
「今日は付き合ってくれて、ありがとう」
「別に」
「私ね、斉木君といると調子が狂うの」
知っている。
「ほかの人なら、何を考えてるか大体分かるんだ。私が笑えば喜んでくれるし、少し困った顔をすれば助けてくれる。でも、斉木君だけは分からない」
それは皮肉だな。
僕には彼女の考えていることがすべて分かるのに、彼女には僕の考えていることが何一つ分からない。
「だから最初は、意地になってた。絶対に振り向かせたいって」
「今は違うのか」
「……分からない」
照橋さんは笑った。
いつもの完璧な笑顔ではなかった。
少し困っていて、少し恥ずかしそうで、どこにでもいる普通の女子高校生の笑い方だった。
「ただ、斉木君と一緒にいたいって思うようになった。それだけは本当」
彼女の心を読んだ。
そこに打算はなかった。
僕から例の言葉を引き出したいという意地も、完璧美少女としての自尊心もない。
ただ僕の隣を歩けることが嬉しい。
そんな単純な思いだけだった。
やれやれ。
これは非常に困った状況だ。
僕は人の嘘を簡単に見抜ける。その代わり、本心からの言葉を無視するのも難しい。
「照橋さん」
「なに?」
「僕といると、おそらく苦労するぞ」
「どうして?」
「僕は愛想がない。人混みも嫌いだ。休日に出かけるくらいなら家でコーヒーゼリーを食べていたい。お前が期待するような言葉も、たぶん言わない」
「うん」
「それでもいいのか」
照橋さんは足を止めた。
数秒遅れて、僕も止まる。
『え? これって、もしかして……そういう意味? 期待していいの? でも勘違いだったら恥ずかしすぎる!』
再び思考が騒がしくなった。
いつもの照橋さんに戻ったようで、僕は少し安心した。
「それって……私と付き合ってくれるってこと?」
「そう受け取っても構わない」
「ちゃんと言って」
「断る」
「こんなときくらいいいでしょ!」
雨の中、照橋さんが頬を膨らませる。
僕は小さく息を吐いた。
面倒なことになるのは分かっている。
燃堂や海藤に知られれば騒ぎになる。夢原さんは大騒ぎし、灰呂はよく分からない祝い方をするだろう。照橋さんの兄に知られた場合は、最悪、記憶を消す必要がある。
それでも。
「……付き合おう、照橋さん」
「はい!」
彼女の笑顔が輝いた。
同時に、雲の切れ間から夕日が差し込み、僕たちだけを照らした。
雨はまだ降っているのに、空には虹まで出ている。
まるで神に祝福されているかのような光景だ。
さすがは神に愛された完璧美少女。
通行人たちが一斉に振り返り、照橋さんを見つめる。
そして、彼女の隣にいる僕を見た。
『彼氏!?』
『あの照橋さんに彼氏が!?』
『よりによって、なぜあいつが!』
明日からの学校生活が思いやられる。
「ねえ、斉木君」
「今度は何だ」
「今、私のことを少しだけ可愛いって思ったでしょ?」
「思っていない」
「絶対に思った!」
「気のせいだ」
「じゃあ、こっち見て言ってよ」
「断る」
正確に言えば、彼女の外見を可愛いと思ったわけではない。
ただ、完璧美少女の仮面を忘れて、心の底から喜んでいる姿を見て――悪くないと思っただけだ。
当然、本人に教えるつもりはない。
僕は騒がしいものが嫌いだ。
面倒事も、注目されることも、予定を乱されることも嫌いだ。
だから照橋心美と付き合うなんて、僕の理想とは正反対の選択である。
それでも、彼女が僕の隣で笑っている未来を避けようとは思わなかった。
「斉木君、次の日曜日は空いてる?」
「空いていない」
「まだ予定を聞いてないよ!」
「どうせデートだろう」
「……やっぱり私のこと、よく分かってるよね」
それはそうだ。
僕は超能力者だからな。
ただし、最近になって一つ気づいたことがある。
心を読めることと、相手の気持ちを理解することは、どうやら同じではないらしい。
照橋さんといる限り、それを嫌というほど思い知らされることになるだろう。
まったく。
僕の平凡な高校生活は、今日で終わったのかもしれない。