『斉木楠雄の恋愛は、計画通りにいかない』   作:ケーケーケー

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第六話 斉木楠雄の秘密は一人に知られる

 

「楠雄君、これ取ってくれる?」

 

 昼休みの教室が、一瞬で静まり返った。

 

 照橋さんが僕を名前で呼んだ。

 

 それだけなら、普通の高校生同士では大した問題ではない。

 

 しかし、彼女は照橋心美だ。男子を平等に名字で呼び、誰か一人だけを特別扱いすることはない。

 

 そんな完璧美少女が、よりによって僕を名前で呼んだ。

 

 教室中の疑問が、テレパシーを通じて押し寄せてくる。

 

『楠雄君?』

 

『今、名前で呼んだよな?』

 

『聞き間違いか?』

 

『いや、確かに楠雄君と言った!』

 

 聞き間違いということにしてほしい。

 

「……今、何て呼んだの?」

 

 夢原さんが尋ねる。

 

「えっと……」

 

 照橋さんの笑顔が固まった。

 

『間違えた! どうしよう!? 昨日、何度も心の中で呼んでたから、つい口に出ちゃった!』

 

 僕の忠告を無視して何度も練習するからだ。

 

「おい相棒、照橋さんとそんなに仲よかったのか?」

 

「違う」

 

「じゃあ、どうして名前で呼ばれたんだ?」

 

「知らない」

 

「知らないってことはないだろ」

 

 燃堂に正論を言われるとは思わなかった。

 

 海藤も腕を組みながら僕たちを見ている。

 

「昨日から妙だと思っていた。水族館、喫茶店、二人での下校。そして今度は名前呼び……」

 

『これは偶然じゃない。何か巨大な陰謀が動いている』

 

 そうだな。お前の中では恋愛より陰謀の方が可能性が高いらしい。

 

「もしかして、ダークリユニオンが二人の記憶を――」

 

「関係ない」

 

「なぜ奴らの仕業ではないと言い切れる!?」

 

 話をややこしくするな。

 

 僕が時間を戻すことを検討していると、照橋さんが立ち上がった。

 

「ご、ごめんね、斉木君。昨日、斉木君のお母さんと会ったときに、家では楠雄って呼んでるって聞いたから、つられちゃったみたい」

 

 咄嗟にしては悪くない言い訳だ。

 

「照橋さん、斉木の母ちゃんと会ったのか?」

 

「うん。帰り道に偶然ね」

 

「そうだったのか」

 

 燃堂はあっさり納得した。

 

 海藤も難しそうな顔で考え込む。

 

「相手の母親が名前で呼ぶのを聞いた影響か……脳へ言葉が刷り込まれたと考えれば説明はつく」

 

 ついたのか。

 

「紛らわしい呼び方をしてごめんね」

 

「気にしていない」

 

 教室内の緊張が少しずつ薄れていく。

 

『なんだ、偶然か』

 

『そうだよな。照橋さんが斉木だけを特別に呼ぶわけがない』

 

『むしろ斉木の母親が羨ましい』

 

 最後の感情は理解できない。

 

 僕は落ちた消しゴムを拾い、照橋さんの机へ置いた。

 

「ありがとう、斉木君」

 

 今度は名字で呼んだ。

 

 どうやら危機は切り抜けたようだ。

 

 ただし、全員を納得させることはできなかった。

 

『絶対におかしい』

 

 夢原さんだけは、疑いの目を向け続けていた。

 

     ◆

 

 午後の授業が終わるまで、夢原さんの疑念は消えなかった。

 

『昨日偶然会っただけで、名前がうつる?』

 

『それに、照橋さんがあんなに焦るなんて変』

 

『水族館でも喫茶店でも一緒だったし……』

 

 恋愛が絡んだときの観察力は侮れない。

 

 放課後になり、僕は余計な追及を受ける前に教室を出ようとした。

 

「待って、斉木君」

 

 失敗した。

 

 夢原さんが教室の出口を塞ぐ。

 

「何だ」

 

「少し聞きたいことがあるの」

 

「用事がある」

 

「すぐ終わるから」

 

「僕にはない」

 

「照橋さんのことなんだけど」

 

 周囲に残っていた生徒たちが、一斉にこちらを見る。

 

「ここだと話しづらいから、場所を変えましょう」

 

 僕が断る前に、夢原さんは歩き始めた。

 

 無視して帰ることもできるが、その場合は疑惑を深めるだけだ。

 

 仕方なく後を追う。

 

 連れてこられたのは、人のいない特別教室だった。

 

「それで、何だ」

 

「単刀直入に聞くね」

 

 夢原さんは教室の扉を閉め、僕を真っすぐ見た。

 

「斉木君、照橋さんと付き合ってる?」

 

「付き合っていない」

 

「嘘」

 

「なぜそう思う」

 

「勘よ」

 

 根拠がなかった。

 

「冗談。ちゃんと理由はあるわ」

 

 夢原さんは指を一本立てる。

 

「まず、水族館。偶然会ったって言ってたけど、二人とも相手がいた様子はない。次に喫茶店。これも偶然だと言ってたけど、また行こうって約束してた。そして昨日は二人で帰って、今日は名前呼び」

 

 思っていた以上に状況証拠が揃っている。

 

「全部偶然だ」

 

「そんなに偶然が続く?」

 

「続くこともある」

 

「じゃあ聞くけど、照橋さんのことをどう思ってる?」

 

「同級生だ」

 

「それだけ?」

 

「ああ」

 

 即答する。

 

 夢原さんは僕の顔をじっと見つめた。

 

「……やっぱり変」

 

「何がだ」

 

「前の斉木君なら、もっと早く帰ろうとしたと思う。こんな話に付き合ってくれなかったはずよ」

 

 よく見ているな。

 

「それに、本当に何でもないなら、私が疑っても放っておけばいい。でも今は、必死に隠そうとしてるように見える」

 

 表情を変えたつもりはない。

 

 それでも、以前から僕を見てきた人間には違いが分かるらしい。

 

「安心して。誰かに言うつもりはないから」

 

「何の話だ」

 

「まだ誤魔化すの?」

 

 夢原さんは小さく息を吐いた。

 

「照橋さんが幸せなら、私は応援したいだけ」

 

 その言葉に嘘はない。

 

 ただし、好奇心と羨望もかなり混ざっている。

 

『まさか本当に付き合ってるの? いつから? どっちが告白したの? どこまで進んでるの!?』

 

 心の中は質問だらけだ。

 

 教えれば面倒なことになるのは確実だった。

 

 だが、これ以上否定しても納得しないだろう。

 

「本人から聞け」

 

「え?」

 

「僕から話すことではない」

 

 交際を完全に否定したわけではない。

 

 夢原さんの目が大きく見開かれる。

 

「それって……」

 

「じゃあな」

 

「待って! やっぱりそうなの!?」

 

 僕は教室を出た。

 

 廊下を歩きながら、早くも後悔していた。

 

 夢原さん一人に知られたくらいなら問題ない。

 

 そう思いたいが、彼女の恋愛に対する情熱を考えると嫌な予感しかしなかった。

 

     ◆

 

 翌朝。

 

 教室へ入ると、照橋さんと夢原さんが並んで話していた。

 

 二人の様子はいつも通りだ。

 

 表面上は。

 

『本当に付き合ってるの!?』

 

『声が大きいよ、夢原さん!』

 

『心の中だから大丈夫!』

 

 僕には聞こえている。

 

「おはよう、斉木君」

 

「ああ」

 

 照橋さんは平静を装っているが、僕を見る目には抗議の色が浮かんでいた。

 

『どうして夢原さんに教えちゃったの?』

 

 教えてはいない。

 

『斉木君、こっちを見た! やっぱり心美のことが気になるのね!』

 

 夢原さんの思考がうるさい。

 

 僕は自分の席へ着いた。

 

 間もなくして、照橋さんから小さな紙が飛んでくる。

 

 今回は念動力ではない。彼女が教師に見つからないよう投げただけだ。

 

『どうして夢原さんに話したの?』

 

 僕は裏側に返事を書く。

 

『話していない。本人から聞けと言っただけだ』

 

 紙を戻す。

 

『それは認めたのと同じだよ』

 

 確かに。

 

『でも、夢原さんなら秘密にしてくれると思う』

 

 それなら問題ない。

 

 僕が前を向くと、再び紙が飛んできた。

 

『それに、相談できる人ができて少し嬉しい』

 

 そうか。

 

 僕は返事を書こうとしたが、その前にもう一枚の紙が机へ落ちた。

 

 今度の差出人は夢原さんだった。

 

『放課後、三人で恋人会議をしましょう!』

 

 絶対に嫌だ。

 

     ◆

 

 放課後。

 

 僕は一人で帰るつもりだった。

 

 しかし、昇降口には照橋さんと夢原さんが待っていた。

 

「遅いわよ、斉木君」

 

「帰る」

 

「駄目。今日は二人の今後について話し合うんだから」

 

「お前には関係ない」

 

「関係あるわよ。二人の交際を知る、唯一の友人なんだから!」

 

「声が大きいよ、夢原さん」

 

 幸い、近くにほかの生徒はいなかった。

 

 僕たちは学校近くの公園へ移動した。

 

 夢原さんはベンチに座ると、鞄からノートを取り出した。

 

 表紙には『斉木君・照橋さん 秘密の恋愛応援計画』と書かれている。

 

 いつ作った。

 

「まず確認だけど、二人はいつから付き合ってるの?」

 

「一週間くらい前だよ」

 

 照橋さんが素直に答える。

 

「告白はどっちから?」

 

「それは……」

 

『斉木君から付き合おうって言ってくれたけど、最初に気持ちを伝えたのは私だよね』

 

「僕からだ」

 

「えっ!?」

 

 二人の声が重なった。

 

 正確には、照橋さんが先に一緒にいたいと言い、僕が交際を提案した。

 

 だが、細かい説明をする方が面倒だ。

 

「斉木君から告白したの!?」

 

 夢原さんが身を乗り出す。

 

「意外すぎる!」

 

「悪いか」

 

「悪くないけど……何て言ったの?」

 

「話す必要はない」

 

「教えてよ!」

 

「断る」

 

「私ももう一回聞きたいな」

 

 なぜ照橋さんまで参加する。

 

「次の質問に移って」

 

「仕方ないわね」

 

 夢原さんはノートへ何かを書き込んだ。

 

「デートは何回?」

 

「水族館と喫茶店だから、二回かな」

 

「手はつないだ?」

 

「それは――」

 

「答えるな」

 

「つないだんだ!」

 

 僕の制止が逆効果になった。

 

「じゃあ、キスは?」

 

「していない」

 

「斉木君!」

 

「答えた方が早く終わる」

 

「そうだけど……」

 

 照橋さんの顔が赤くなっている。

 

『してないけど、いつかは……』

 

 読むつもりはなかった。

 

 僕の能力は周囲の思考を勝手に拾う。こういうときだけは、テレパシーを止めたいと本気で思う。

 

「なるほど。状況は分かったわ」

 

 夢原さんがノートを閉じる。

 

「二人には、圧倒的に恋人らしさが足りない!」

 

「必要ない」

 

「必要あるよ!」

 

 今度は照橋さんが即答した。

 

「だって学校ではほとんど話せないし、デートに行っても燃堂君たちに会うし……」

 

「だから私が協力するの」

 

 夢原さんが胸を張る。

 

「学校では二人が自然に話せるように手伝う。デートのときはほかのみんなに見つからないよう予定を調整する。それから――」

 

「断る」

 

「まだ全部言ってない!」

 

「聞く必要がない」

 

「どうして?」

 

「お前が関われば、余計に騒ぎが大きくなる」

 

「失礼ね。私は二人の恋を応援したいだけよ」

 

 それが一番危険だと言っている。

 

「でも、私は嬉しいよ」

 

 照橋さんが微笑んだ。

 

「夢原さんに隠し事をしなくてもよくなったから」

 

「照橋さん……」

 

「心美でいいよ。二人だけのときなら」

 

「心美!」

 

 夢原さんは感動したように照橋さんの手を握った。

 

「絶対に二人の秘密を守るからね!」

 

「ああ。誰にも言うな」

 

「もちろんよ!」

 

 彼女の言葉に嘘はなかった。

 

 本気で僕たちを応援し、秘密を守るつもりでいる。

 

 少なくとも、今は。

 

     ◆

 

 翌日の昼休み。

 

「おい、夢原。そのノートは何だ?」

 

 海藤の声が教室に響いた。

 

 夢原さんの顔が凍りつく。

 

 机の上には、昨日のノートが開かれたまま置かれていた。

 

「な、何でもないわよ!」

 

「表紙に秘密の恋愛応援計画と書いてあるが……」

 

「見ないで!」

 

 夢原さんが慌ててノートを閉じる。

 

 だが遅い。

 

「恋愛だと?」

 

「誰と誰の話だ?」

 

 周囲の生徒たちが集まり始めた。

 

「違うの! これは私が考えてる小説の設定で――」

 

「夢原が小説を書いていたのか!」

 

 灰呂が目を輝かせる。

 

「素晴らしい! 完成したらぜひ読ませてくれ!」

 

「い、嫌よ! まだ何もできてないから!」

 

「俺も協力するぞ。秘密の組織に引き裂かれた男女が運命に立ち向かう話はどうだ?」

 

 海藤が勝手に設定を加え始める。

 

「それよりラーメン屋で出会った二人の話にしようぜ」

 

 燃堂。それは恋愛小説になるのか。

 

 騒ぎの中心で、夢原さんが僕へ助けを求める視線を向ける。

 

 僕は目を逸らした。

 

『ごめんなさい! でも、まだ名前は見られてないから!』

 

 本当に大丈夫だろうな。

 

 そのとき、ノートの間から一枚の紙が床へ落ちた。

 

 紙には大きな字で、こう書かれていた。

 

『第一目標――斉木君と心美を、学校で自然に二人きりにする』

 

 教室が再び静まり返る。

 

 海藤が紙を拾い上げた。

 

「斉木と……心美?」

 

 夢原さんの心の叫びが、僕の頭の中へ響いた。

 

『終わったあああああ!』

 

 同感だ。

 

 秘密を共有する相手は、もう少し慎重に選ぶべきだったらしい。

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