第七話 斉木楠雄の交際は親友たちに知られる
『第一目標――斉木君と心美を、学校で自然に二人きりにする』
夢原さんのノートから落ちた紙には、そう書かれていた。
海藤は紙を持ったまま、僕と照橋さんを交互に見る。
「斉木と……心美?」
教室が静まり返る。
正確には、静かなのは現実の教室だけだ。頭の中には、クラス中の思考が絶え間なく流れ込んできている。
『心美って誰だ?』
『照橋さんの名前は心美だよな?』
『まさか斉木と照橋さんを二人きりにする計画?』
『なぜ夢原さんがそんなことを?』
『交際を手伝っているとか?』
そこまでたどり着くのが早すぎる。
「そ、それは違うの!」
夢原さんが海藤から紙を奪い取った。
「今考えてる小説の登場人物よ! 名前を決めるのが面倒だったから、知り合いから借りただけ!」
「なるほど。そういうことか」
燃堂が納得する。
相変わらず単純で助かる。
「じゃあ相棒と照橋さんが付き合う話なんだな!」
納得の仕方は最悪だった。
「何だと!?」
教室にいた男子たちが一斉に立ち上がる。
「なぜ主人公が斉木なんだ!」
「俺の名前を使ってくれてもいいだろ!」
「照橋さんと恋人になる役なら、もっと相応しい男がいるはずだ!」
どうやら現実の交際より、夢原さんの小説の配役に腹を立てているらしい。
夢原さんは乾いた笑顔を浮かべた。
「だから、ただの仮名だってば。深い意味はないのよ」
「だったら、なぜ第一目標なんだ?」
海藤はまだ疑っている。
「しかも『学校で自然に二人きりにする』と書いてある。小説の構想なら、わざわざ学校と限定する必要があるのか?」
また無駄なところで頭が回っている。
「それは……学園恋愛小説だからよ!」
「学園恋愛……」
海藤が紙を睨む。
『確かに筋は通っている。だが、何かを見落としている気がする』
夢原さんの言い訳では、完全に誤魔化せない。
僕が超能力を使えば、全員の記憶を消すことはできる。
しかし、不特定多数の記憶へ一度に干渉すると、どこかに不自然な穴が残る可能性がある。時間を戻しても、夢原さんが同じ失敗を繰り返さない保証はない。
何より、照橋さんは今後も僕との関係を隠すために嘘をつき続けなければならない。
先ほども僕への気持ちを聞かれ、友達として大切だと答えた。
あのとき、彼女は笑っていた。
だが、本当は少し傷ついていた。
秘密にしようと言ったのは僕だ。それなのに、負担を負っているのは照橋さんばかりだった。
ならば、選択肢は一つしかない。
「静かにしろ」
僕が口を開くと、周囲の視線が集まった。
「その紙に書いてあることは本当だ」
「斉木君!?」
照橋さんが驚いて僕を見る。
夢原さんの顔からも血の気が引いた。
「ほ、本当って、私が二人を主人公にした恋愛小説を書いてることよね?」
「違う」
今さら誤魔化す必要はない。
「僕と照橋さんは付き合っている」
教室から、すべての音が消えた。
男子たちの思考まで完全に停止している。
数秒後。
「ええええええええええっ!?」
絶叫で窓ガラスが揺れた。
◆
「いつからだ!?」
「どっちが告白したんだ!?」
「なぜ斉木なんだ!」
「嘘だと言ってくれ、照橋さん!」
男子たちが一斉に僕たちの周りへ集まる。
机が倒れ、椅子が弾き飛ばされ、教室は一瞬で混乱に包まれた。
こうなることは分かっていた。
「み、みんな落ち着いて」
照橋さんが立ち上がる。
彼女の声を聞いた男子たちが、ぴたりと動きを止めた。
「斉木君が言ったことは本当です」
完璧美少女の笑顔は浮かべていない。
不安そうに僕を見たあと、覚悟を決めたように前を向いている。
「少し前から、斉木君とお付き合いしています」
男子たちが次々と膝から崩れ落ちた。
「そんな……」
「僕たちの照橋さんが……」
「終わった……僕の青春が……」
誰のものでもない。
「おい相棒、本当なのか?」
燃堂が目を丸くしている。
「今そう言っただろう」
「すげえな! おめでとう!」
燃堂は迷うことなく僕の背中を叩いた。
力が強すぎる。普通の人間なら床へ倒れていただろう。
「お前は驚かないのか?」
「驚いたぞ。でも、付き合ってるんなら、めでてえことじゃねえか」
燃堂の心には、嫉妬も疑いもなかった。
僕たちが付き合っていることに驚き、素直に祝福している。
単純なだけかもしれないが、こういうときはその単純さがありがたい。
「待て、燃堂! 簡単に信じるな!」
海藤が割って入る。
「こんなことが現実に起こるはずがない! 照橋さんが斉木と交際するなど、あまりにも不自然だ!」
「どういう意味だ」
「これは罠だ。二人の偽物が教室へ潜入しているか、ダークリユニオンに記憶を操作されている可能性が――」
「現実を見ろ」
「俺は現実を見ている!」
見ていない。
「でも斉木、本当に付き合ってるんだよな?」
「ああ」
「そうか……」
海藤は複雑そうな顔で黙り込んだ。
『斉木に先を越された……俺には恋人どころか、まともに女子と話す機会すら少ないのに……』
陰謀ではなく、普通に悔しがっていた。
「おめでとう、斉木! 照橋さん!」
灰呂が両手を叩いた。
「二人が真剣に相手を思って出した結論なら、俺は全力で応援するぞ!」
「ありがとう、灰呂君」
「だが、交際は楽しいことばかりではない! 互いの意見がぶつかる日もあるだろう! そんなときこそ正面から本音をぶつけ合うんだ!」
「分かったよ」
「そして朝は二人でランニングをしよう! 共に汗を流せば絆も深まる!」
「それは断る」
なぜ恋愛にランニングを組み込む。
「ちょっと待って!」
一人の男子が声を上げた。
「俺は認めないぞ! 照橋さんは騙されているんだ!」
「そうだ!」
「斉木が弱みを握っているに違いない!」
「そうでなければ説明がつかない!」
男子たちが再び騒ぎ始める。
こうなるから隠していたんだ。
「違うよ」
照橋さんの一言で、教室が再び静かになる。
「私から斉木君を好きになったの」
その言葉は、教室中に広がった。
僕を責めていた男子たちの表情が固まる。
「私が斉木君と一緒にいたいと思ったの。だから、斉木君は何も悪くないよ」
そこまで正直に話すとは思わなかった。
照橋さんの顔は少し赤くなっている。
だが、心の中に迷いはない。
『斉木君だけが責められるのは嫌。付き合ってるって認めるなら、私もちゃんと言わないと』
僕だけを守るために、自分から気持ちを公表した。
予想外だった。
「照橋さんが……自分から?」
「斉木のことを好きに……?」
男子たちが僕を見る。
先ほどまでの敵意に、理解不能なものを見る恐怖が加わっていた。
『何者なんだ、斉木楠雄……』
『照橋さんに好かれるなんて、人間に可能なのか?』
『秘密組織の人間かもしれない』
最後は海藤だな。
「みんなにお願いがあります」
照橋さんが教室を見回した。
「まだ、ほかのクラスの人たちには知られたくないの。だから、このことはここだけの秘密にしてもらえませんか?」
彼女が両手を合わせ、申し訳なさそうに頼む。
その姿を前にして、拒める人間はいなかった。
「もちろんだよ!」
「絶対に誰にも言わない!」
「照橋さんが望むなら!」
男子たちが一斉に答える。
やはり完璧美少女の影響力は恐ろしい。
これで、この教室にいる人間だけの秘密になった。
少なくとも表面上は。
『でも親友には話してもいいよな?』
『家族なら他人じゃないし……』
『匿名でインターネットに書くのは秘密を破ったことにならないはず』
駄目だ。
僕はクラス全員の心を読み、危険な考えを持つ人間の顔を記憶した。
必要なら、個別に記憶を修正しよう。
◆
昼休みが終わる頃には、教室内の騒ぎも一応収まった。
僕たちは先生に呼び出されることもなく、午後の授業を終えた。
だが、クラスメイトたちの視線は一日中僕たちへ向けられていた。
照橋さんが僕の近くを通るだけで注目される。
僕が彼女と話せば、全員が聞き耳を立てる。
秘密を隠していた頃より面倒になった。
放課後、僕は一人で教室を出た。
昇降口へ向かう途中、背後から照橋さんが追いついてくる。
「待って、斉木君」
「目立つぞ」
「もうクラスのみんなには知られてるよ」
「ほかのクラスには知られていない」
「分かってる。でも、少しくらい一緒に帰ってもいいでしょ?」
「校門を出てからだ」
「相変わらず慎重だね」
僕たちは距離を空けたまま昇降口を出た。
学校から十分ほど離れ、制服姿の生徒がいなくなったところで、照橋さんが僕の隣に並ぶ。
「びっくりした」
「何がだ」
「斉木君が、みんなに付き合ってるって言ったこと」
「隠し続けるのが難しくなっただけだ」
「それだけ?」
「ああ」
『本当かな』
照橋さんは疑っている。
「私、ずっと秘密でも仕方ないと思ってたよ」
「そうか」
「だって、斉木君が望んだことだから」
その言葉に、胸の奥が少し重くなる。
「でも、寂しかったんだろう」
「え?」
「僕との関係を聞かれるたびに、嘘をつくのが」
照橋さんは何も答えなかった。
足を止め、こちらを見ている。
「どうして分かったの?」
「顔に書いてあった」
「またそれ?」
「ああ」
「斉木君、本当に何でも分かっちゃうんだね」
何でもではない。
テレパシーを持っていても、照橋さんがどれほど我慢していたのか、すぐには理解できなかった。
心の声が聞こえることと、相手の気持ちを考えることは違う。
「今後は無理に隠す必要はない」
「学校中に話してもいいの?」
「それは駄目だ」
「やっぱり」
「まずは、信用できる相手だけだ」
「それなら、今日のクラスのみんなは信用できる?」
「半分くらいはな」
「少ないね」
現時点ですでに三人が、別のクラスの友人へ話そうとしている。
あとで止める必要がある。
「でも、嬉しかった」
照橋さんが笑った。
「みんなの前で認めてくれたことも、私が寂しがってたって気づいてくれたことも」
「そうか」
「うん」
彼女は僕との距離を少し縮めた。
手が触れそうになる。
周囲に人はいない。
僕が手を伸ばすと、照橋さんもそれに気づき、指を重ねようとした。
その瞬間。
「いたぞ! 斉木と照橋さんだ!」
背後から男子生徒の声が響いた。
振り返ると、クラスの男子が三人、電柱の陰からこちらを見ていた。
「何をしている」
「ち、違う! 俺たちは二人を尾行していたわけじゃない!」
自分から白状したな。
「交際が本当なのか確かめようとしただけだ!」
「それを尾行というんだ」
「待ってくれ! 手をつなごうとしていただろ!」
「証拠写真を撮るんだ!」
一人が携帯電話を取り出す。
面倒だ。
僕が密かに念動力で携帯電話の電源を落とそうとした、そのとき。
「やめてくれる?」
照橋さんが彼らの前へ歩み出た。
笑顔は浮かべている。
だが、目は笑っていなかった。
「秘密にしてほしいって、お願いしたよね?」
「そ、それは……」
「私たちが付き合っていること、面白半分で広めたいの?」
「違うよ!」
「ただ、気になって……」
「私、悲しいな」
照橋さんがわずかに目を伏せる。
男子三人の顔から血の気が引いた。
「ごめんなさい!」
「絶対に写真は撮りません!」
「誰にも言いません!」
三人は全力で頭を下げ、そのまま走り去っていった。
能力を使う必要はなかったようだ。
「すごいな」
「え?」
「いや、何でもない」
照橋さんは神に愛されている。
僕が世界中の人間の認識を改変しなければ実現できないことを、彼女は悲しそうな顔一つで成し遂げた。
「でも、これからもこんなことが続くのかな」
「可能性は高い」
「普通に付き合うのって、難しいね」
「ああ」
僕たちの場合、主に照橋さんの知名度が原因だ。
ただし、僕にも人には言えない秘密がある。
超能力者であること。
彼女はまだ、僕が心を読めることも、物を触れずに動かせることも、瞬間移動できることも知らない。
今は、それでいい。
交際について他人へ話すだけでも、これほど騒ぎになるのだ。超能力まで明かせば、どんな反応をされるか分からない。
「ねえ、斉木君」
「何だ」
「さっきの続き」
照橋さんが右手を差し出す。
「今度は誰も見てないよ」
念のため、周囲の心の声を確認する。
近くに学校関係者はいない。照橋信もいない。
「そうだな」
僕は彼女の手を取った。
「学校の近くでは離すぞ」
「うん」
「誰か来た場合もだ」
「分かってる」
「写真は――」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
照橋さんが笑う。
「今はこれで十分だから」
僕たちは手をつないだまま歩き出した。
交際を知る者は増えた。
だが、僕の最大の秘密を知る者はまだいない。
このまま何も知られず、普通の恋人として付き合い続けられればいい。
そう思った直後、予知が発動した。
◆
見えたのは、数日後の光景だった。
放課後の教室。
倒れかけた大きな棚。
その下には照橋さんがいる。
僕は彼女を助けるため、教室中の人間が見ている前で念動力を使っていた。
「斉木君……今の、何?」
未来の照橋さんが、驚いた顔で僕を見つめている。
◆
予知が途切れた。
「どうしたの?」
隣を歩く照橋さんが、不思議そうに首を傾げる。
「何でもない」
「急に止まったからびっくりした」
「少し考え事をしていただけだ」
あと数日以内に、教室の棚が倒れる。
原因と正確な時間までは分からない。
予知した未来を変えること自体は難しくない。事前に棚を固定するか、事故が起こる前に照橋さんを教室から遠ざければいい。
問題は別にある。
未来の僕は、なぜ人前で能力を使っていたのか。
普通なら、事故が起こる前に防げる。
それができなかったということは、予想外の何かが起きるのかもしれない。
「斉木君?」
「心配するな」
「え?」
「いや、何でもない」
僕は照橋さんの手を握ったまま、再び歩き始めた。
交際の秘密は、一部の人間へ明かした。
だが、超能力について話すつもりはない。
少なくとも、今はまだ。
その決意が数日後に試されることを、このときの斉木は知らなかった。