『斉木楠雄の恋愛は、計画通りにいかない』   作:ケーケーケー

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第八話 斉木楠雄の秘密はまだ明かせない

 

 予知で見た事故まで、残り三日。

 

 倒れかけた棚の下に照橋さんがいて、僕がクラス全員の前で念動力を使う。

 

 そんな未来を回避するのは難しくない。

 

 原因となる棚を事前に固定すればいいだけだ。

 

 翌朝、僕は誰よりも早く教室へ入った。

 

 問題の棚は教室の後方にある。大量の教材やファイルが置かれ、上段には古い辞書まで積まれていた。

 

 念のため透視して確認すると、壁と棚を固定する金具が劣化している。

 

 おそらく、これが事故の原因だろう。

 

 僕は念動力で金具を修復し、棚そのものも簡単には動かないよう固定した。

 

 これで問題ない。

 

「おはよう、斉木君」

 

 教室の扉が開き、照橋さんが入ってきた。

 

 いつもより早い。

 

「何をしてたの?」

 

「何も」

 

「棚の前に立ってたよね?」

 

「教材を見ていただけだ」

 

「ふうん」

 

 照橋さんは不思議そうに棚を見た。

 

『この前も急に止まったり、心配するなって言ったりしてたよね。何か関係あるのかな』

 

 勘が鋭くなっている。

 

 付き合い始める前なら、ここまで僕の行動を気にすることはなかっただろう。

 

「そういえば、今日は早いね」

 

「お前もな」

 

「斉木君と少し話したくて」

 

「学校では目立つぞ」

 

「まだほとんど誰も来てないから大丈夫」

 

 確かに、校内にいる生徒は少ない。

 

 僕たちの交際を知ったクラスメイトも、今のところ約束を守っている。他のクラスへ噂が広まった様子はなかった。

 

「ねえ、斉木君」

 

「何だ」

 

「付き合ってること、クラスのみんなに話して後悔してる?」

 

「していない」

 

 即答した。

 

 照橋さんが少し驚いた顔をする。

 

「本当に?」

 

「ああ。面倒事は増えたが、後悔はしていない」

 

「そっか」

 

 彼女の表情が柔らかくなる。

 

『よかった』

 

 そのとき、廊下から複数の足音が聞こえてきた。

 

「誰か来るぞ」

 

「うん。それじゃ、またあとでね」

 

 照橋さんは自分の席へ向かった。

 

 距離を取る必要があることに不満はあるようだが、以前ほど寂しそうではない。

 

 僕たちの関係を知っている人間がいる。

 

 それだけで彼女の負担は少し軽くなったらしい。

 

 なら、クラスに打ち明けたことは間違いではなかった。

 

     ◆

 

 昼休み。

 

「なあ相棒、照橋さんといつ結婚するんだ?」

 

 燃堂が突然、意味不明な質問をしてきた。

 

「しない」

 

「付き合ってるんだろ?」

 

「付き合えばすぐ結婚するわけではない」

 

「そうなのか?」

 

 なぜ知らない。

 

「燃堂。高校生が簡単に結婚できるわけがないだろう」

 

 海藤が呆れたように言う。

 

「まずは互いの正体を完全に理解する必要がある。相手が秘密結社の刺客ではないという保証もないからな」

 

 恋人の正体を理解する必要がある。

 

 その言葉だけが、妙に頭に残った。

 

 照橋さんは僕の正体を知らない。

 

 彼女に見せているのは、普通の高校生としての斉木楠雄だけだ。

 

 実際の僕は、世界を簡単に変えられるほどの力を持っている。

 

 その事実を話せば、今の関係はどうなるのだろう。

 

「それより斉木」

 

 海藤が僕の机へ近づく。

 

「お前は照橋さんのどこを好きになったんだ?」

 

「なぜ答える必要がある」

 

「気になるだろ。あれほど多くの男が憧れている照橋さんと付き合っておきながら、お前は普段とまったく変わらない」

 

「俺も気になるぞ、相棒」

 

 燃堂まで身を乗り出した。

 

「そうだな! 相手の長所を言葉にして伝えるのは、健全な関係を築くうえで大切だ!」

 

 灰呂も加わる。

 

 面倒な集団だ。

 

「本人に聞け」

 

「照橋さんに聞いても、お前の気持ちは分からないだろ」

 

 海藤に再び正論を言われた。

 

 僕が黙っていると、少し離れた席から照橋さんの思考が流れてくる。

 

『私も聞きたい』

 

 聞き耳を立てるな。

 

「顔か?」

 

 燃堂が尋ねる。

 

「違う」

 

「じゃあ性格か?」

 

「答えない」

 

「斉木、恥ずかしがる必要はないぞ!」

 

 灰呂の声が大きい。

 

 クラス全員がこちらに注目している。

 

 付き合っていることを打ち明けた結果、こうした面倒も増えた。

 

「全部だ」

 

 これ以上追及されないため、適当に答えた。

 

 教室が静まり返る。

 

「え?」

 

 燃堂が間の抜けた声を出す。

 

「今、全部と言ったのか?」

 

 海藤まで驚いている。

 

 僕自身も、口に出してから少し後悔した。

 

 照橋さんの心の中は、それ以上に騒がしかった。

 

『全部!? 斉木君、私の全部が好きって言った!?』

 

 違う。正確には、どこが好きなのか一つに決めて説明するのが面倒だっただけだ。

 

 しかし、訂正すれば余計に話が長くなる。

 

「この話は終わりだ」

 

「待て、斉木! 詳しく説明しろ!」

 

「相棒、顔も性格も全部好きってことか?」

 

「なんて真っすぐな気持ちなんだ!」

 

 失敗した。

 

 昼休みが終わるまで、僕は三人から追及を受け続けた。

 

     ◆

 

 予知で見た事故の前日。

 

 修復した棚に異常はなかった。

 

 固定金具は新品同様になっており、誰かが強く押した程度では倒れない。

 

 未来は変わったはずだ。

 

 だが、違和感があった。

 

 予知で見た光景では、棚の近くに段ボール箱が積まれていた。今の教室に、その箱はない。

 

 つまり事故の原因は、劣化した金具だけではない可能性がある。

 

「斉木君」

 

 放課後、照橋さんが僕の机へやってくる。

 

「一緒に帰ろう」

 

「今日は用事がある」

 

「何の用事?」

 

「少し残る」

 

「それなら私も待つよ」

 

「必要ない」

 

「また何か隠してる?」

 

 照橋さんは棚へ視線を向けた。

 

「最近、あの棚ばかり見てるよね」

 

「気のせいだ」

 

「気のせいじゃないと思う」

 

『私に言えないことなのかな』

 

 事故の予知について話すわけにはいかない。

 

 話せば、なぜ未来が分かるのかと聞かれる。

 

「大したことではない」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

「……分かった」

 

 納得はしていない。

 

 それでも、彼女は無理に聞こうとはしなかった。

 

「じゃあ、先に帰るね」

 

「ああ」

 

 照橋さんが教室を出る。

 

 僕は棚の前に立ち、もう一度固定部分を調べた。

 

 異常はない。

 

 さらに念動力で補強を加える。

 

 これなら、明日事故が起きることはないだろう。

 

     ◆

 

 翌日。

 

 予知で見た事故が起こる日だ。

 

 朝から棚を監視しているが、異常はない。

 

 昼休みが終わっても、段ボール箱が運ばれてくる様子はなかった。

 

 予知した未来は、すでに回避できたのかもしれない。

 

 そう考えたのは、放課後になってからだった。

 

「みんな、少し手伝ってくれ!」

 

 灰呂が段ボール箱を抱えて教室へ入ってくる。

 

 予知で見た箱だ。

 

「文化祭で使った資料を、倉庫へ戻すことになったんだ!」

 

 灰呂に続き、男子生徒たちが次々と箱を運び込んでくる。

 

「どうして教室へ持ってきた」

 

「倉庫の整理が終わるまで、一時的にここへ置いてほしいと先生に頼まれたんだ!」

 

 時間は、予知で見たものとほぼ同じ。

 

 教室には多くの生徒が残っている。

 

 そして照橋さんは、棚の近くで夢原さんと話していた。

 

「その箱は棚の前に置くな」

 

「どうしたんだ、斉木?」

 

「邪魔になる」

 

「確かに通路は確保するべきだな!」

 

 灰呂は僕の言葉に従い、箱を別の場所へ移動させる。

 

 これで予知の光景とは変わった。

 

 やはり問題ない。

 

「相棒、これどこに置けばいいんだ?」

 

 最後に入ってきた燃堂が、前の見えないほど大きな箱を抱えていた。

 

「燃堂、こっちだ!」

 

「おう!」

 

 灰呂の声がした方向へ向きを変えた瞬間、燃堂の足が椅子に引っかかった。

 

「おっと」

 

 燃堂は転ばなかった。

 

 だが、抱えていた箱が手を離れ、棚へ激突した。

 

 補強した固定金具が軋む。

 

 普通の衝撃なら耐えられるはずだった。

 

 しかし、箱の中には文化祭で使用した鉄製の重りが詰め込まれている。

 

 棚が大きく傾いた。

 

「危ない!」

 

 誰かが叫ぶ。

 

 棚の下には照橋さんがいる。

 

 予知した光景と同じだ。

 

 周囲には多くの生徒がいる。ここで念動力を使えば、能力を見られる可能性が高い。

 

 だが、迷う時間はなかった。

 

 僕は念動力で棚を止めた。

 

 床へ向かって倒れかけた棚が、空中で静止する。

 

 教室中の時間まで止まったかのようだった。

 

「え……?」

 

 照橋さんが、頭上の棚を見上げる。

 

 僕は同時に、棚の奥に引っかかっていたカーテンの紐を念動力で引いた。

 

 紐が棚の取っ手へ絡まり、偶然それを支えたように見せかける。

 

「照橋さん、離れろ!」

 

 灰呂が彼女の腕をつかみ、安全な場所へ移動させた。

 

 僕は少しずつ念動力を緩める。

 

 棚は紐に支えられながら、ゆっくり床へ倒れた。

 

 激しい音が教室に響く。

 

「照橋さん、大丈夫!?」

 

 夢原さんが駆け寄る。

 

「う、うん。私は平気」

 

「よかった!」

 

「危なかったな!」

 

 灰呂や海藤も集まってくる。

 

「俺のせいだ! すまねえ、照橋さん!」

 

 燃堂が深く頭を下げた。

 

「ううん、燃堂君も転ばなくてよかったよ」

 

 照橋さんに怪我はない。

 

 能力も見られていないはずだ。

 

 僕は安堵した。

 

 しかし、一人だけ、こちらを見ている人間がいた。

 

「斉木君」

 

 照橋さんだ。

 

 その目には、はっきりとした疑問が浮かんでいた。

 

     ◆

 

 事故のあと、先生たちが教室へ集まり、倒れた棚を調べた。

 

 固定金具が壊れ、棚には大量の教材が入っていた。

 

 カーテンの紐が偶然取っ手に絡まったため、倒れるまでに時間がかかった。

 

 それが教師たちの出した結論だった。

 

 僕の能力を疑う者はいない。

 

 ただし、照橋さんを除いて。

 

「少し話せる?」

 

 下校時間になり、彼女から声をかけられた。

 

「ああ」

 

 僕たちは人目を避け、校舎裏へ移動した。

 

「さっきはありがとう」

 

「僕は何もしていない」

 

「でも、棚が倒れる前に危ないって分かってたよね?」

 

「偶然だ」

 

「ずっと棚を気にしてた」

 

 以前から観察されていた。

 

「それに、倒れた瞬間……」

 

 照橋さんが言葉を止める。

 

「何だ」

 

「棚が空中で止まったように見えたの」

 

「カーテンの紐に引っかかっただけだ」

 

「先生もそう言ってた」

 

「なら問題ないだろう」

 

「でも、紐が張ったのは棚が止まったあとだった気がする」

 

 正確に見ていたらしい。

 

 ほかの生徒は突然の事故に混乱し、そこまで気づいていない。

 

 だが、棚の真下にいた照橋さんだけは、すべてを見ていた。

 

「私の見間違いかな?」

 

「そうだろう」

 

 また嘘をついた。

 

 照橋さんは僕を見つめている。

 

 その心に恐怖はない。

 

 あるのは、疑問と不安だけだ。

 

『斉木君、やっぱり何か隠してる』

 

「ねえ、斉木君」

 

「何だ」

 

「私には話せないこと?」

 

 答えるのは簡単だ。

 

 何も隠していないと言えばいい。

 

 だが、彼女がそれを信じないことも分かっている。

 

「今は話せない」

 

 照橋さんの目がわずかに見開かれる。

 

 否定されると思っていたのだろう。

 

「今は、ってことは……いつか話してくれる?」

 

「分からない」

 

「危ないこと?」

 

「違う」

 

「誰かに脅されてるとか?」

 

「それも違う」

 

「私に関係ある?」

 

「ない」

 

 いや、今日からは無関係とは言えないのかもしれない。

 

 僕の秘密を隠すために、彼女まで危険にさらす可能性がある。

 

「じゃあ、一つだけ教えて」

 

「何だ」

 

「今日、私を助けてくれた?」

 

 答えるべきではない。

 

 認めれば、そこから秘密へ近づかれる。

 

 それでも、完全に否定することはできなかった。

 

「ああ」

 

 短く答える。

 

 照橋さんが小さく息を呑んだ。

 

「どうやって助けたかは、聞かないでくれ」

 

「……分かった」

 

 意外にも、彼女はそれ以上追及しなかった。

 

「本当にいいのか」

 

「気になるよ。すごく気になる」

 

 当然だろう。

 

「でも、斉木君が今は話せないって言うなら待つ」

 

「僕が嘘をついている可能性もあるぞ」

 

「それはないと思う」

 

「なぜだ」

 

「嘘をつくなら、助けてないって言うでしょ?」

 

 その通りだ。

 

「私を助けてくれたことだけは認めてくれた。それなら、今は十分」

 

 照橋さんは微笑んだ。

 

 完璧美少女としての笑顔ではない。

 

 僕にだけ見せる、柔らかな表情だった。

 

「ありがとう、楠雄君」

 

「名前で呼ぶな。学校だぞ」

 

「今は二人きりだよ」

 

「誰か来るかもしれない」

 

「じゃあ、帰り道ならいい?」

 

「好きにしろ」

 

「それって許可?」

 

「違う」

 

 照橋さんは小さく笑い、僕の隣へ並んだ。

 

     ◆

 

 校門を出て、人通りの少ない道へ入る。

 

 照橋さんは、事故についてそれ以上尋ねなかった。

 

 僕が何を隠しているのか知りたいはずだ。

 

 それでも、彼女は待つと言った。

 

「怖くなかったのか」

 

「棚が倒れてきたとき?」

 

「それもあるが……僕が何か隠していることだ」

 

「少しは不安だよ」

 

 照橋さんは正直に答えた。

 

「でも、怖くはないかな」

 

「なぜだ」

 

「楠雄君は、私を傷つけるために隠してるんじゃないと思うから」

 

 彼女の心を読む。

 

 言葉に嘘はなかった。

 

『きっと話せない理由がある。無理に聞いて、困らせたくない』

 

 そこまで信頼される資格が、僕にあるのだろうか。

 

 僕は彼女の心を読んでいる。

 

 彼女の知らないところで危険を避け、出来事を操作し、都合が悪ければ記憶に干渉することさえできる。

 

 公平な関係とは言えない。

 

「どうしたの?」

 

「何でもない」

 

「また考え事?」

 

「ああ」

 

「私に話せること?」

 

「これは話せる」

 

「じゃあ聞かせて」

 

 僕は少し考えた。

 

「いつか、話せるときが来たら話す」

 

「隠してることを?」

 

「ああ」

 

「本当?」

 

「約束する」

 

 今すぐ明かすつもりはない。

 

 だが、いつまでも隠し続けることもできないだろう。

 

 僕が普通ではないことに、彼女は気づき始めている。

 

 それでも、今はまだ早い。

 

「それまで待ってるね」

 

「ああ」

 

「じゃあ、約束の印」

 

 照橋さんが右手を差し出す。

 

「何だ、それは」

 

「指切り」

 

「子供か」

 

「いいでしょ。誰も見てないんだから」

 

 僕は仕方なく小指を差し出した。

 

 彼女の指が、僕の指に絡む。

 

「約束だからね」

 

「ああ」

 

「絶対に忘れないでね」

 

「僕は忘れない」

 

 記憶力の問題ではない。

 

 今日交わした約束を、なかったことにするつもりはなかった。

 

 指を離したあとも、照橋さんは嬉しそうに笑っていた。

 

 超能力の秘密は守られた。

 

 予知で見た未来も回避できた。

 

 教室の誰にも、僕の力は知られていない。

 

 すべて問題なく終わったはずだ。

 

 ただ一つ、予定外だったことがある。

 

 僕はいつか、照橋さんに自分の正体を話すと約束してしまった。

 

 世界を変えるよりも困難な約束だ。

 

 だが、不思議と撤回したいとは思わなかった。

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