コト、とマグカップをカウンターのコースターに置く。
中には暖かくしたミルクティーが入っている。
本日の文具屋「つがる」は生憎の雨の中、店内が少し冷えていた。
伏黒家に行く予定も無く、親に押し付けられた店番をぼんやり過ごしているところだった。
今時古い手押しのドアが開く。
真鍮の低いドアベルが鳴った。
「やっ」
「あ、五条さん」
立っていたのはだいぶ顔馴染みになってきた五条さんだ。
でも、ここで会うのは初めてぶりだったりする。
伏黒家で会うことが多く、赤ペンの甚爾さんと違ってうちの常連という訳でも無かったから。
甚爾さんも、最近来なくなったけど。
「いらっしゃいませ。恵くん達のことで何か?」
「いんや、今回は俺……僕の用事」
「はあ、何かお探しで?」
数回やり取りをしただけで、五条さんの口調が柔らかくなっていることに気づいた。
いや、わざと柔らかく努めているのか。一人称も変えているし。
「事務用品を幾つかと……文具オタクの知恵を借りてきなよって硝子に言われてさ〜」
「硝子ちゃん……私のこと便利屋とでも思ってるのかな」
二度目の硝子ちゃんの差し金に、私はまた最近会えていない友達を思った。
五条さん曰く、硝子ちゃんは学校が何かと忙しく、伏黒家にもなかなか行けないらしい。
彼女が学校でどんな事をしているのかわからないが、充実していると良いんだけど。
それで、五条さんは何を求めているというのか。
本人は、事務用品をどんどんカゴに入れていっているけど、それは本命ではないのだろう。
ポールペンや修正液、バインダーと、デスク環境の強い味方が手に取られていく。
「こんなもんかな。で、文具オタクに聞きたいことが」
「文具オタクで話を進めないでくださいよ……」
「えー、よくね?」
「私はまだ他人に誇れるほどの文具オタクじゃないので」
「あ、そっち??」
ロルバーン……手帳蒐集家でも、万年筆マニアでもない。インクの収集率も53個しか持っておらず、ガラスペンも数本しか持っていない私は、自信を持って文具オタクだと胸を張れなかった。
自称するにはいいが、他称となるとプレッシャーがある。
五条さんはリズムを崩された顔をして、改めて店内を見回した。
「学生ウケする文具ってなんだと思う?」
「学生ウケ?」
脳内を高速で文具情報が駆け巡る前に、疑問が先に出た。
学生ウケ……五条さんが学生なのだから、自分や硝子ちゃん達に訊けばいいのに。
サングラスをいじりつつ、五条さんは補足する。
「お……僕、卒業したら教師になんのね。で、僕が担当する生徒になんか面白いことしたいなーって」
「へぇ、教師志望だったんですね」
「そーそー、傑には口調直せって言われるし、硝子にはむしろ生徒の方が苦労しそうとか言われて散々なわけ!」
「ああ……」
恵くんにウザ絡みしては冷たくあしらわれているあの姿を思い出す。
確かに、あのままのノリで教師になるのは難しいだろう。
そこで、真面目さや誠実さではなく面白さを求めるあたり、まだ根っこは変わっていない。
それにしても、彼が教師志望とは驚いた。子どもは嫌いじゃないんだろうけど、教える立場に魅力は感じていない印象だったから。
「僕がなるからにはグレートティーチャーになるのが確定してるんだけど、普段の文房具にも遊び心が欲しいなーって」
「うーん、らしい考えですね」
「それ褒めてる?」
「褒めてます褒めてます。文具に遊び心は必須ですから」
日本でここまで文具が発達しているのは、その遊び心が引っ張ってきたみたいなものと思っている。
イグノーベル賞みたいに、よくわからないけど技術が詰まってる文具は大量にあるのだ。
けれど、教師が使う学生ウケする文具と言われると、なんだろう。
教師というとチョークなんかが頭に浮かぶけど、12色チョークなんて授業では使わないだろう。黒板アートでもないし。
付箋はちょっとありかもだけど、私的にはピンとこなかった。
「うーん……」
「あ、日付印ってどこにあるの」
「それです!」
「どこ」
五条さんの一声に、私は指を指して言った。人を指さすのはあまり良いことではないが、衝撃が駆け巡ったのだ。
スタンプだ。
「日付印はこっちですね。学生ウケですが、スタンプがいいかもしれません」
「その心は?」
「長持ちしますし、ちょっとしたことでも添えやすいです。レパートリーもたくさんあるので、賑やかかと」
「へー、スタンプかぁ」
最近の手帳ブームに乗っかるように、スタンプもまた様々なものが作られている。
押しやすいミニ浸透印、ボタン式や、手洗い用のインクが石鹸でできているものもある。
ユニークでシュールなデザインも多く、クスッと笑えるものもよく見かける。
スタンプなら場所もとりにくいし、デスク作業にもお供できるんじゃないだろうか。
「うわ、数多い」
「これでもうちは入荷控えているほうなんです。集め出したらそれこそ大量ですから」
棚には、レインボーと言っていいほどに多様なスタンプが並んでいた。
中でもロングセラー商品の「こどものかお」シリーズが大きく占拠している。
浸透印で朱肉いらず、手のひらサイズのちんまりとしたかわいさ、その柄の種類豊富さと、人気の理由がよくわかる。
「えー良いね、津美紀が好きそう」
「サンプルは試し押しできますよ」
既に数回押された形跡のある台紙に、ポンと花丸の赤が咲いた。
恵くんが私の花丸わんこをモチベーションとしてくれているように、先生から貰えるリアクションというのは、結構嬉しかったりするんじゃないだろうか。
生徒とのコミュニケーションの一環にもなる。
「なんだこれ、サングラスが喋ってる」
「あ、似合いますねそのスタンプ」
「サングラス=俺って思ってる?」
「ちょっとだけ」
トレードマークというか、個人がわかりやすくて良いと思います。
「それにしても、教師ですか〜」
「色葉はここ継ぐの」
「はい、自分でも天職だと思ってます」
文房具に囲まれて、人とたまに関わって、のんびり生活していく。
その中で、津美紀ちゃん達がクレヨンに歓声を上げたり、ミミナナちゃんが折り紙に熱心になるような光景が広がっている。
それが、私の嬉しさに繋がっていた。
趣味と実益を兼ねた仕事といえる。
そう言うと、五条さんはニヤリと笑った。
「やっぱ文具オタクじゃん」
「仕事熱心だと言ってください」
「いーんじゃない、好きなこと仕事にできてさ」
五条さんは明るく親指を立てた。
私はこの文具屋を継ぐことが「好きなこと」の一つになっているけど、その言い方だと五条さんはどうなんだろう。
スタンプを楽しそうに選ぶ彼からは、深意は読めなかった。
「お会計お願いしまーす」
「はい、お預かりします」
ミルクティーはすっかり冷めていた。
私も五条さんも、時間を忘れてスタンプを選んでいたのだ。
入荷を抑えているうちの棚でもこうなるとは。
「……五条さんは」
「んー?」
お会計を終えて店を出て行こうとする五条さんに、つい口が開いた。
なんだか、私の心に引っかかって取れない気がしていた。
「教師の仕事、楽しみですか?」
それを聞いた五条さんは、真っ暗なサングラス越しに目を緩めた。
「わりと、ね!」
その瞳は、雨上がりの空のように綺麗な蒼だった。
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