マリスビリーと暁美ほむらは宇宙規模の恥知らず 作:あばなたらたやた
「黙って」
クリプターほむらの突きつける言葉は単なる批判や論理の刃ではない。
『まどか本人は何を望んでいるのか』
『なぜ貴方だけが背負う必要があるのか』
『貴方が一人で傷つくことを、まどかが望むと思うのか』
『「まどかを守れるのは自分だけ」という頑なな思想は、どこから生まれたのか』
それらはすべて、悪魔ほむらが悪魔という絶対の孤独を演じ、世界を再編し続けるために必死で組み上げた思考の前提、その根幹そのものを、逃げ場のない正確さで掘り返していた。
本来の彼女であれば、理屈やエゴを弄してでも答えられたはずだ。
『それでも私はこう考える』
『まどかはそういう人間だから、これでいい』
『だから私は、この道を選ぶ』
そうやって言葉を返し、己の正当性を強弁できたはずだった。しかし、いまの悪魔ほむらの脳裏には、その返答を組み立てるための思考回路すら残されていなかった。
『まどかを守りたい』
そこまでは、揺るぎない。何があっても揺らぐことのない己の核だ。だが、その一歩先に踏み込んだ瞬間、思考が破綻を起こす。
『なぜ私なの?』
『あの子自身はどうしたいの?』
『私に走るこの痛みを、あの子が喜ぶとでも?』
突きつけられた疑問の先を考えること。
それ自体が、今の悪魔ほむらにとっては己の存在理由を根底から解体されるような恐怖だった。
処理能力が限界を迎え、頭の中が真っ白な絶望とノイズで塗りつぶされていく。
反論できないのではない。
これ以上、他者の論理に触れれば、己を繋ぎ止めている最後のタガが外れてしまう。だから思考へ入ることそのものを、魂が拒絶した。
理解の拒絶。
対話の破棄。
導き出された結論は、答えを返すことではない。目の前の自分にこれ以上の言葉を話させないように強引に黙らせる行動だった。
「暁美ほむら、貴方の考えを……」
「黙りなさい」
絞り出すような声とともに、悪魔ほむらの瞳から理性の色が消え去る。議論を打ち切り、理解を捨て、相手の存在そのものを力で叩き潰すために、その魔力が狂暴に吹き荒れた。
「貴方の気持ちを知りた……ッ」
「黙りなさい――ッ!」
その叫びは悲鳴に酷く似ていた。その言葉はもはや、対峙する敵へ向けられたものではない。
それは、これ以上真実を囁き続けられれば破綻してしまう。そんな己の脆弱な領域を守るための、あまりにも必死な最後の防御反応だった。
悪魔ほむらは、確かに目の前の未来の自分に対して激怒している。
己の覚悟を泥で汚すような言葉、何より、正論で自分を追い詰めてくるその存在に対して、苛立ちと憎悪を燃やしていた。けれど、激憤のすぐ裏側では、魂の底が冷たく凍りついているのを彼女自身が一番感じていた。
聞き続ければ、崩れてしまう。
この言葉を、この問いをこれ以上胸に流し込まれれば、自分がこれまで払ってきた犠牲も、悪魔として生きる決意も、すべてが狂気の手前で揺らぎ始めてしまう。だから出た言葉は、「その理屈は間違っている」という否定の反論ではない。
これ以上、その問いを私に向けないで。
私を、これ以上追い詰めないで。
頼むから……それ以上、言わないで……!
もちろん、悪魔ほむら自身にそれを客観的に整理する余裕など一切ない。
『私は今、自分の信念が揺らぐことを恐れているのだ』などと冷静に自己分析できるほど、今の彼女の精神は保たれてはいなかった。
ただ、荒れ狂う感情の波。
聞きたくない。
考えたくない。
答えなんて出せない。
これ以上、あの子の面影を汚すような正論を突きつけられたくない。濁流となって押し寄せる拒絶の衝動が一気に噴き出している。
叩きつけられた一言には、世界を統べる悪魔の威厳など欠片もなかった。
そこにあったのはただ、これ以上傷口を穿たれることを恐れ、必死に耳を塞ぐ少女の、痛々しいまでの叫びだけだった。
「邪魔をするなら……消し去るだけよ……ッ!」
振りかざされた漆黒の翼から、爆発的な殺意を孕んだ魔力の奔流が放たれる。
それは単なる怒りの爆発でも、暴走した逆上でもない。
悪魔ほむらにとってそれは、破綻しかけた己の世界を繋ぎ止めるための、あまりにも惨めで、最も手軽な問題解決手段への逃避だった。
対話や議論というプロセスには、残酷なほどの思考コストが要求される。
相手の言葉を聞き、己の思考と比較し、時には自分の前提を疑うこと。そして最悪の場合、相手の論理を受け入れる』いう可能性に身を晒さなければならない。けれど戦闘という単純な手段へ逃げ込みさえすれば、そんな複雑で苦しい工程はすべて吹き飛ぶ。
ただ、目の前の敵を叩きのめせばいい。言葉を封じ、動きを止め、力でねじ伏せればそれで終わる。
未来の自分という、解き明かすことすら恐ろしい異常な存在すらも、攻撃を開始した瞬間から『私の邪魔をする敵』という単純明快な記号へと成り下がるのだ。
そして何より。魔力を放ち、拳を握り締め、殺し合いに没頭している間だけは、思考を完全に停止させることができる。
『まどか自身は何を望んでいるのか』
『なぜ、私一人だけが背負わなければならないのか』
『私のこの痛々しい自己犠牲は、本当にあの子のためのものなのか』
『私自身は……本当は、どうしたかったのか』
何度も何度もリフレインし続ける問いは、脳髄を焼き溶かす。それから逃げるために、彼女は戦闘という泥沼へ自ら飛び込んだ。
敵を打倒することだけに全神経を集中させていれば、己の傷口を覗き込まずに済むのだから。
とりわけ、今の悪魔ほむらにとって『まどか本人の意思』に向き合うことは、死よりも恐ろしい禁忌だ。
彼女は、鹿目まどかという少女を誰よりも理解している。だからこそ、「あの子は心優しい子だから」「放っておけば自分を犠牲にしてしまう子だから」という『知識』としての理解までは、幾らでも口にできる。
だが、じゃあ、まどか本人に意志を委ねたらどうなる?」という一線だけは、絶対に跨ぐことができない。
それはあの子をただの守られる客体としてではなく、独自の選択権を持つ『一人の意思決定主体』として認めることだからだ。
もしも、まどかに問いかけてしまったら?
もしも、あの子が——「私の望み」とは全く違う答えを選んでしまったら?
もしも、「ほむらちゃんにそんな風に守られるなんて、嬉しくない」と言われてしまったら?
それを想像した瞬間、自分が命を賭して世界を改変し、悪魔にまで堕ちたすべての理由が、足元から崩れ去ってしまう。
それらを踏みつけているからといって、改めて直視しながら踏みつけられるかと言えば別の話だ。
(そんなこと……考えられるわけがない……! 考えたくもない……!!)
だから、思考の先を強制的に切り落とす。
「まどかを守る」という言葉だけを免罪符のように掲げ、それ以外のすべての問いを暴風の中に投げ捨てる。
正論を突きつける「私」を殺す勢いで殺戮の魔力を叩きつけながら、悪魔ほむらは絶望的なまでの孤独の中で、ただただ思考を打ち切り続けていた。
「……そうね。そうなるわねよね。私なら。結果が同じなら誰がやれば満足だ、って言えるほど割り切れるものじゃない。むしろ私がやりたいと願ったのだから」
『私がやる必要があるのか?』
その問いもまた、今の悪魔ほむらにとっては己の魂を根底から解体しかねない致命的な毒液だった。
冷静に論理を整理すれば、選択肢はひとつではないはずだ。
『ただ誰かが、鹿目まどかを悲惨な運命から守りさえすればいい』という客観的な可能性は、いくらでも存在していた。けれど、悪魔ほむらの擦り潰された精神構造において『まどかが救われる』と『私がまどかを救う』は完全に不可分な同一の概念として癒着してしまっている。
まどかを守りたい。私が守らなければいけない。だって他の誰もあの子を救えなかったから。私がすべての罪を背負い、私が悪魔になることで救われるなら、それしかない。
血を吐くような無数のループを経て固まったその一本の細い糸。そこから物事を分離して考えることなど、今の彼女には到底不可能だった。
「私は悪魔よ。世界を敵に回しても構わない。すべての罪は私が背負う。何があっても、まどかを守る」
揺るぎない覚悟と圧倒的な絶対者として振る舞っていた。しかし、未来の自分がその頑なな鎧の隙間に指をかけ、その根本にある『あなた自身は、本当は何を望んでいるの?』というもっとも純粋で、もっとも恐ろしい問いに触れた瞬間、彼女の論理と思考は一秒足らずで全壊した。
だから、叫ぶ。
「貴方は私の世界に必要ない!」
そして、必死で殺意の魔力を叩きつける。未知の物質で構築された質量の塊が、クリプターほむらに向けて殺到する。
それは己の正しさを証明するための勝利宣言などでは断じてない。
それ以上、私に考えさせないで!
それ以上、私を暴かないで!
魂が上げている悲鳴そのものだった。しかも残酷なことに、悪魔ほむら本人にはそれが己の悲鳴であることすら認識できていない。
本人の中ではあくまで「まどかを守るために、目の前の邪魔者を排除する」という、いつもの狂信的な行動原理として処理されているのだ。だからこそ、それを正面から見つめるクリプターほむらにとって、その光景は胸を抉られるほどに痛々しく、惨状そのものだった。
「…………」
目の前で、かつての自分自身が、全く同じ歪んだ情念の足跡を辿り、同じ地獄へと足を踏み入れようとしている。
クリプターほむらは、迫り来る漆黒の魔力と殺意の奔流を、洗練された最小限の動作で回避する。反撃のために武器を構えることすらしない。ただ、攻撃をいなしながら、あまりにも悲しさを湛えた声で言葉を落とした。
「……ほら」
魔導の金属が激しく吹き荒れる中、その静寂はあまりにも通りやすかった。
「あなたは今も……考える前に、私を『守るべきもの』から遠ざけようとしているわ」
「黙りなさいと言っているでしょう……!!」
さらに増悪する悪魔ほむらの魔力。だがクリプターほむらは、逃げ場のない眼差しで「私」を見つめ続ける。
「私があなたを責めているんじゃないわ。……あなた自身が、自分に問いかけることを怖がっているのよ」
その言葉すら、今の悪魔ほむらの耳には届かない。届かせることができない。受け止めた瞬間に自身が霧散してしまう恐怖から逃れるため、彼女はさらに苛烈に、狂暴に、漆黒の翼を羽ばたかせて壊滅的な攻撃を撃ち出し続ける。
そこにあるのは、もはやただの超常の戦闘ではなかった。
(考えることを頑なに拒絶し、狂気に逃避する……あれはあれで仕方がなかった、と今なら言えるけど、今を生きている私も全力だった。そう思う気持ちは変わらない)
クリプターほむらにとって、これは何よりも苦しい拷問に等しかった。
彼女は俯瞰した立場から悪魔ほむらの思考の破綻を冷静に分析できる。だが同時に知っている。
目の前で理不尽な暴力を振るい、必死に耳を塞いでいる存在が、決して愚かな怪異などではないことを。
ただ純粋に、血を吐くような孤独の中でまどかを守ろうと磨り潰され、もう『考える余裕』すら残されていない自分自身の無残な姿だと理解している。
「私は負けない……! 私は絶対に守ってみせる!」
絶望的な回数のループを重ね、何度も、何度も、壊れるほどに失敗を繰り返し、悪魔と成り果てて、もう、これ以上複雑なことを考える余力すら残されていない。
それが、目の前の、過去の自分なのだ。だからこそ、クリプターほむらの胸に去来したのは、怒りでも、己の正しさを誇る傲慢さでもなかった。
(……私は、こんなにも……こんなにも追い詰められていたのね)
怒りよりも先に押し寄せてきたのは、かつての己の傷口を時を超えて直視させられるような、痛みに酷く近い感情だった。
自分の選択の愚かさを嘲笑うことなどできない。
なぜなら、その愚かさは、大切な人を守りたいという一心で己の魂を極限まで削り尽くした、愛ゆえの結末だったのだから。
クリプターほむらが、嵐のような暴威の中で最初に見抱いた感情、それは可哀想という不遜な同情などでは決してなかった。
同じ魂、同じ地獄を這いずり回ってきた身だ。己を悪魔と名乗る私を、上から目線で見下ろすことなどできるはずもない。
(……頑張った。私は頑張っていた)
だが、その言葉を口に出せば、悪魔ほむらは同情と受け取り、ますます心を閉ざしてしまうだろう。
クリプターほむらは言葉を飲み込み、狂乱の攻撃を回避しながら、胸の奥だけで静かに想いを深めていく。
(貴方は……本当に何も考えずに暴れているわけじゃない。考えられなくなるまで……思考が焼き切れるまで、考え続けていた)
いまの悪魔ほむらは、決して浅はかで思考能力が低いわけではない。むしろその逆だ。あまりにも途方もない回数のループを重ね、あまりにも多くの絶望と重圧を一人で思考し続けてきた結果、今の彼女には、もう複雑な事象を処理する余力など一切残されていない。
思考の果てに、削ぎ落とされ、研ぎ澄まされ、残ってしまったたった一本の凄惨な太い線。
『鹿目まどかを守る』
ただそれだけのために。
世界を改変する。
己が悪魔になる。
まどかに嫌われる。
あらゆる罪と罰を背負う。
己の心が傷つき、壊れ、無残に砕け散る。
そのすべてを引き受ける。
「……ッ」
クリプターほむらは、胸が押し潰されるような痛みに耐えていた。なぜなら、かつての自分も全く同じだったから。
複雑すぎる現実と残酷すぎる運命に耐え抜くために、目的をただ一つに絞り込み、それ以外をすべて捨て去るしかなかった哀れな姿が、そこにある
クリプターほむらには、彼女を責めることなど逆立ちしてもできない。クリプターほむらは悪魔ほむらの表情を正面から見つめる。
(……怒っているんじゃない)
分かってしまう。己の過去だから、その狂気の奥にある本当の感情が。
恐怖だ。
まどかを失うのが恐ろしい。
これ以上失敗するのが恐ろしい。
自分が間違っていたと認めることが恐ろしい。ここまで積み上げてきた泥と血の犠牲を、自ら否定してしまうことが何よりも恐ろしい。
そして何より『それでも、まどかを守れなかったらどうしよう』という、魂を凍らせる絶望的な恐怖。
だから、考えない。考えれば、恐怖で心が潰れてしまうから。
クリプターはほむらは静かに目を瞑る。
貴方は間違っている、と突き放す権利など自分にはない。なぜなら自分はただ『彼女の未来で歪みに気づいて失敗した』だけであり、今や自分自身も敗北者なのだから。
(私だって……過去の自分に何か言える人間じゃない)
目の前の悪魔ほむらを論破したところで、それはただ「昔の自分に口喧嘩で勝った」という虚しい自己満足に過ぎない。そんなことで彼女の救いになるはずもないのだ。
何より耐えがたかったのは、彼女が「自分自身を一切大切にしていない」ことだった。
まどかのためなら自分がどれほど傷ついてもいいと、本気で思い込んでいる。
自分を犠牲にすることを能動的に選んでいるのではない。自分を犠牲にする以外の方法を模索する余裕すら、もう彼女の心には残されていないのだから。
止めたいのではない。もし許されるならただ、温かく抱きしめてあげたかった。だが、そんな真似をすれば今の悪魔ほむらは烈火のごとく拒絶するだろう。故に心の中でだけで祈るように語りかける。
(もういいわ。そんなに頑張らなくていい。貴方が世界のすべてを背負わなくてもいいの。まどかを守ることと、貴方が壊れることは……同じじゃないわ……私は、そのことを……もっと早く気付いていれば良かった)
「どうして分からないの」という怒りなど存在しない。漂うのはただ一つ『どうして私は、こんなになるまで、自分をたった一人で放置してしまったのか』という、自分自身への痛切な悔恨。ゆえに否定ではなく理解をもって、この悲劇を止めようと踏み出した。
「貴方は苦しみや悲しさ、絶望。私は全て知っている。私は貴方の未来の姿。だから大丈夫よ。絶望する必要はない」
「わかったような口ぶりを! 人の心に土足で踏み込まないで!」
しかし悪魔ほむらにとって、その至極の理解こそが、何よりも恐ろしい凶器だった。
彼女は、あまりにも深い孤独ゆえに強くなったのだ。
誰にも頼らない。誰にも理解されなくていい。誰にも赦されなくていい。自分一人の犠牲でまどかを守る。その孤独の覚悟だけが、彼女を悪魔として繋ぎ止める柱だった。
それをクリプターほむらは分かっている。貴方はよく頑張った。と温かく包み込まれてしまえば、己を支える孤独という構造そのものが根底から崩壊してしまう。
激しい攻撃の渦中、奇跡的にほんの一瞬だけ、悪魔ほむらの攻撃が途切れた。あまりに過熱した魔力の過剰負荷による、ほんの僅かな隙。
クリプターほむらは、その刹那を見逃さなかった。
「……もう、いい。もういいのよ」
ふっと魔力の威圧を収め、静かに言葉を落とす。殺意の籠もった眼差しで、悪魔ほむらが射抜くように問い返す。
「何が……?」
「貴方が、すべてを背負わなくてもいい」
「……」
「私は……貴方を責めないわ。貴方がどれだけ間違えても。どれだけ醜いことを重ねても。どれだけ罪を重ねても。どれだけまどかのために、自分自身を壊し尽くしても……私はそれを……絶対に笑ったりしない」
「……やめなさい」
拒絶の言葉。けれど、声は先ほどまでの威圧を失い、かすかに震えている。
「貴方は、一人でここまで来た」
「やめて……!」
「誰にも頼れず、戦い抜いた」
「黙りなさいッ!!」
怒号とともに、再び弾け飛ぶ漆黒の魔導。だが、その攻撃には隠しきれない明らかな焦燥と揺らぎが混ざり合っていた。照準は狂い、ただ空間を荒々しく削り取るだけ。
クリプターほむらはその攻撃を身を翻していなしながら、逃れようのない確信に至る。
「……怖いのね」
「違う……ッ!」
「私が、貴方を理解することが?」
「違うと言っているでしょう!!」
「私が……貴方を許してしまうことが?」
「違う!!」
胸を締め付けられる思いを抱えながら、クリプターほむらは真実の引き金を引いた。
「……貴方自身が、許されてしまうことが?」
直後。
ピタリ、と。
悪魔ほむらの動きが、完全に止まった。
「……ふざけないで」
絞り出すような低い声。だが、そこに先ほどまでの冷酷な絶対者の面影はなかった。
「違わないでしょう」
「私は……許される必要なんてない!」
悪魔ほむらは己の胸を強く掴み、爪が衣類を破るほどに力を込める。
「私は赦されるために、ここまで来たんじゃない! 理解されるためでもない! 誰かに『よく頑張った』なんて慰めてもらうためでもない! 私は、私は!」
そう、今ここにいるのは誰かに救済されたいからではない。大切な存在がいた。愛する存在がいた。その掛け替えのないものが理不尽によって絶望への道を歩んでいる。
それを放っておくことなんかできない。最高の友達だと言ってくれた彼女を! 自分を希望を見せてくれた彼女を! 助けると約束した彼女を裏切ることなんて絶対にしない!
「私の願いは揺るがない、歪まない、砕けないッ! この命は……ッ!」
そう、価値のない自分に価値を与えてくれた。希望があると教えてくれた。絶望の中でも瞬く光を見せてくれた。そんな貴方が最後に願った祈り。
「まどかを救うためにあるんだからッ!」
喉を焼き切るような叫び。声が、魂ごと狂暴に震えていた。その魂の咆哮を受け止め、クリプターほむらは静かに目を閉じた。
「……そう。だから、私が怖いのね」
「…………」
「私を受け入れれば、貴方は一人ではなくなる。一人ではなくなれば」
「黙って……!」
「貴方は、誰かに支えてもらってもいいと思ってしまう。自分だけが背負わなくてもいいと思ってしまう。まどか以外の誰かに、心を預けてもいいと思ってしまう。そして、もしかしたら、『私は間違っているのかもしれない』と考えてしまう」
悪魔ほむらは言葉を失い、固まった。その息を呑むような沈黙こそが、何よりの肯定だった。
「……それでは、駄目なのよ」
「どうして?」
「迷えば……まどかを救えなくなる」
「……」
「誰かの言葉を聞けば、迷う。誰かに頼れば、その人の意見を考慮するようになる。誰かに理解されれば、その人を失いたくなくなる。赦されれば自分が背負っているものを、手放してしまう……!」
その瞬間、クリプターほむらはすべてを悟った。悪魔ほむらが恐れているのは、己が弱くなることなどではない。
まどかを救うために必要だと思い込んでいる絶対的な決意に、僅かでも異物や迷いが混ざり込むこと。
ただそれだけを、死ぬほど恐れているのだ。
「……だから、私を否定するのね」
「ええ」
「私が貴方を理解すると、困る」
「ええ」
「私が貴方を許すと、もっと困る」
「ええ」
「でも、私と一緒に立ち向かえば別の可能性が」
「だから嫌なのよ!!」
悲鳴にも似た、痛切な叫び。
「貴方は私の敵でいればいい! 私を否定して! 私を責めて! 私が間違っていると言い続けて! そうすれば私は!」
溢れ出そうになる涙を必死に堪え、悪魔ほむらは吐き捨てた。
「……迷わずに、済む……!」
理解されたいのではない。彼女は理解されることそのものを恐れているのだ。
理解されれば自分は一人ではないと知ってしまう。一人ではないと知れば、自分だけがすべてを背負わなければならないという絶対の覚悟が瓦解してしまう。
それは普通の人間にとっては救いであっても、悪魔として生きる彼女にとっては、己を突き動かしてきた最後の一本の柱を折られることに等しい。だからこそ、これ以上言葉を重ねて彼女を追い詰めるような真似はしない。無理に抱きしめず、頼ってと甘えさせもしない。
「やめましょう」
クリプターほむらは静かに一歩、後ろへ下がる。今の彼女にこれ以上言葉を重ねても、ただ傷口を深く抉るだけだ。
「今の貴方に、これ以上何かを言うつもりはないわ」
悪魔の姿をした「自分」を、深く柔らかな眼差しで見つめる。
「貴方の振る舞いに、どんな意味があるのか。どんな価値があるのか。そして、最後にどんな判断が下されるのか……私にも、わからない」
それでも、目を逸らさない。
「だけど、それはすべてが終わった後でされるものよ」
今ここで自分自身に判決を下す必要もなければ、ここで罪の重さを確定させる必要もないのだと、静かに告げる。
「今は貴方の願いに殉じなさい。道は違えど、志は常に共にあるわ」
そしてクリプターほむらは説得もせず、手を差し伸べもせず、ただ動かしようのない絶対の事実だけをその場に残すように言った。
「それだけは、忘れないで」
言葉のナイフでも、赦しの押し売りでもない。ただそこに一人ではないという事実だけを置いて、クリプターほむらは静かにその場を去ろうとする。
悪魔ほむらはその背中を睨みつけたまま、動くことができなかった。
一人で背負うことで己の狂気を繋ぎ止めていた彼女にとって、私達は共にあるという言葉は、己の防壁を根底から破る最も否定しがたい毒だった。
マリスビリーと一緒にいるほむらの呼称について
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クリプターほむら
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クリプター(のみ)