聖女様と悪魔の経典   作:スペカウ

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聖女様と極北の薬品

「お前が来ると、飯の場でロクなことにならないんだよ、アルベルト……!!」

 

俺、光の聖女セシリアは、極寒の北欧風の町『ヴェステル・ヴィク』へ向かう馬車の中で、切実に頭を抱えていた。

極北の湾に面したこの港町は、寒気とともに現れた水棲魔物『霜鱗の怪蛇』の被害に喘いでいるらしい。

仕事そのものはいい。どうせ俺の聖光と浄化の奇蹟をぶち込めば片付く。

問題は、その後だ。

今回はなぜか、教会命令で公認勇者――アルベルト・フォン・シュヴァルツと現地合流することになっていた。

 

金髪をなびかせ、爽やかな笑顔を絶やさない正統派イケメン。剣の腕は一流、性格も真面目で善良。

だが、こいつにはひとつだけ、致命的かつ壊滅的な欠陥があった。

 

異常すぎる『雑食性』――いや、ただのバカ舌である。

 

 

「セシリア様! 無事に怪蛇の討伐と港の浄化が完了しましたね! あなたの神々しい奇蹟を間近で拝見でき、身の引き締まる思いです!」

「ふふ、お顔をお上げくださいアルベルトさん。神の光は、いつでも皆様と共にあります」

 

集まった町民たちへ鈴を転がすような美声を響かせる。完璧だ。プロ聖女としての笑顔に隙はない。

だが内心では、(頼むから早く宿へ帰らせてくれ! 羽毛布団で暖まりたいんだよ!)と叫んでいた。

 

「おお……! 聖女様、そして勇者様! 我が町の危機を救っていただき、言葉もございません!」

霜で髭を白くした町長が、感涙にむせびながら進み出てきた。

「ささ、まずはお身体を温めてくださいませ! 我が町では、遠来のお客様には必ずこれをお出しする習わしでしてな」

 

案内されたのは、重厚な石造りの大ホール。

目の前のテーブルに大きな深皿が運ばれてきた。給仕が恭しく銀の蓋を開ける。

 

そこに鎮座していたのは――

 

(……は?)

 

ゼリー状の……半透明なナニカだった。

プルプルと怪しく揺れる、白く濁った謎の塊。

立ち上る匂いは……そう、古くなった石鹸水を煮詰めたような、目にツンとくる化学薬品の臭い!!

 

(な、なんだこれ!? 骨も皮も溶けて、ゼラチン質の濁ったスライムみたいになってるぞ!!)

 

「当町が誇る最高の伝統食『ルーテフィスク』でございます! 乾燥した白身魚を灰汁に何日も漬け込んで戻し、蒸し上げた逸品でございます!」

 

町長が自慢げに胸を張る。

 

(灰汁!!? 灰汁って苛性ソーダの親戚じゃねえか!! なんで魚を薬品漬けにして溶かしてんだよ!! 劇物だろそれ!!)

 

逃げ場はない。断れば「聖女は極北の伝統を汚した」と噂になり、信仰力が暴落して俺の羽毛布団ライフが露と消える。

 

(くっそがぁぁぁぁぁ!!)

 

俺は悲壮な覚悟でスプーンを握りしめた。

プルプルと揺れる灰汁漬けの塊をすくい、決死の覚悟で口の中へと叩き込む。

 

(ぬはっっっっっっっ!!!)

 

一口含んだ瞬間、舌の表面が虚無感に包まれる。

 

(味がしねぇ!! 魚の旨味がどこかへ旅立って、代わりに『石鹸水で洗った死体魚の気配』だけが残ってる!! 横のベーコンとバターだけが必死に生命維持してるじゃねえか!!)

 

アルカリで頼りなく変質したブヨブヨの物体が、口の中でヌルリと滑る。

噛んでも噛んでも旨味は戻ってこない。ただ、灰汁めいた匂いと妙なぬめりだけが、鼻の奥と舌の上にじわじわ残り、俺の精神を溶かしてくる。

 

だが、俺の顔筋は神域のコントロールを見せる。

 

「……とても、伝統と歴史を感じる……滑らかなお料理ですね」

 

後光が射すような完璧な『聖女スマイル』を浮かべながら、俺は噛むのを諦め、洗剤めいた悪夢をそのまま喉の奥へ強引に流し込んだ。

ハァ、ハァ……なんとか一皿分、飲み込み切ったぞ……! これで俺の仕事は終わりだ!

 

「素晴らしい……!!」

 

俺が胸をなでおろした瞬間、隣でアルベルトが爽やかな笑顔で歓声を上げた。

 

「なんと独特で、奥深い味わいでしょう! 淡泊な白身魚を、バターのコクとベーコンの塩気が見事に支えています! 素晴らしい食文化だ!」

 

(支えられてる時点で本体が自立してねえんだよ!! これ魚料理じゃなくて、ベーコンを食うための罰ゲーム台座だろ!!)

 

町長は「おおお! 勇者様はお分かりになるか!」と大感激している。

アルベルトは心底うれしそうに頷き、自分の皿に残った最後の一切れまで綺麗に平らげた。

 

「町長殿。これほどの名物を、私だけが重ねていただくのは失礼というものです」

 

(ん?)

 

嫌な予感がした。

 

「セシリア様も、町の皆様のお心遣いを大切に召し上がっておられました。でしたら、次は私が取り分けましょう。聖女様がご遠慮なさらぬように」

 

「あ……アルベルトさん、私はもう――」

 

制止の声も虚しく、アルベルトは深皿から大盛りのルーテフィスクをすくい上げ、俺の空になった皿へとドカドカと投入した。山盛りである。一皿目より明らかに量が多い。

 

「さあセシリア様。神の恵みと町民の皆様の愛を、どうかご一緒に堪能いたしましょう」

 

(お前えぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええッ!!!!!)

 

余計なことを!! するな!! クソ野郎がぁぁぁぁぁぁぁぁ!!

地獄の二周目が確定した瞬間だった。

町長も「おお、聖女様! 遠慮なさらずいくらでも召し上がってください!」と感涙している。

退路は、完璧に塞がれた。

 

目の前でプルプルと蠢く、一皿目以上の石鹸ゼリーの山。

 

(死ぬ……! 今日の俺はマジで石鹸漬けの魚で死ぬ……!!)

 

俺は心の中で般若のような顔で絶叫しながら、再び震える手でスプーンを取った。

そして、涙目になりながら完璧な『聖女スマイル』を張り付け、地獄の二周目へと突入するのだった。

 

(絶対に……絶対に今夜、アルベルトの部屋の薪を湿らせてやる……!!)

 

 

 

 

 

☆☆☆TS聖女のバカでもわかるルーテフィスクレシピ☆☆☆

 

【材料】

干しダラ(白身の乾燥魚):カチコチに凍ったやつ

灰汁(または苛性ソーダ):狂気の液体

水:大量

バター、ホワイトソース、ベーコン、オールスパイス:本体をなんとか食わせるための介護要員

 

【作り方】

1 魚を水に浸す

カチカチの干しダラを数日間水に浸して戻す。ここまではまだ普通の保存食の仕込みだ。

 

2 灰汁に漬け込む(絶望ゾーン)

水で薄めた灰汁(強アルカリ液)の中に、戻した魚を数日間ぶち込む。魚の身が変質して、ぷるぷるのゼリー状になっていくぞ。見た目は完全に「薬品で溶けた死体」だ。

 

3 水で灰汁を抜く(抜けたことにする)

何日も水を取り替えて灰汁を抜く。理屈では食べられる状態になる。

 

4 蒸す

ぷるぷるになった魚を慎重に蒸し上げる。加熱しすぎるとさらにブヨブヨのゼリー状になるから注意しろ。

 

5 完成

溶けたバターやホワイトソースをかけ、ベーコンを添えて完成。

見た目は白くて綺麗なゼリー状の魚料理。だが一口食えば、口いっぱいに広がる石鹸めいた匂いと、味の薄いヌルヌルした謎の物体が脳を混乱させてくるぞ!

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