聖女様と悪魔の経典 作:スペカウ
「お前が来ると、飯の場でロクなことにならないんだよ、アルベルト……!!」
俺、光の聖女セシリアは、極寒の北欧風の町『ヴェステル・ヴィク』へ向かう馬車の中で、切実に頭を抱えていた。
極北の湾に面したこの港町は、寒気とともに現れた水棲魔物『霜鱗の怪蛇』の被害に喘いでいるらしい。
仕事そのものはいい。どうせ俺の聖光と浄化の奇蹟をぶち込めば片付く。
問題は、その後だ。
今回はなぜか、教会命令で公認勇者――アルベルト・フォン・シュヴァルツと現地合流することになっていた。
金髪をなびかせ、爽やかな笑顔を絶やさない正統派イケメン。剣の腕は一流、性格も真面目で善良。
だが、こいつにはひとつだけ、致命的かつ壊滅的な欠陥があった。
異常すぎる『雑食性』――いや、ただのバカ舌である。
*
「セシリア様! 無事に怪蛇の討伐と港の浄化が完了しましたね! あなたの神々しい奇蹟を間近で拝見でき、身の引き締まる思いです!」
「ふふ、お顔をお上げくださいアルベルトさん。神の光は、いつでも皆様と共にあります」
集まった町民たちへ鈴を転がすような美声を響かせる。完璧だ。プロ聖女としての笑顔に隙はない。
だが内心では、(頼むから早く宿へ帰らせてくれ! 羽毛布団で暖まりたいんだよ!)と叫んでいた。
「おお……! 聖女様、そして勇者様! 我が町の危機を救っていただき、言葉もございません!」
霜で髭を白くした町長が、感涙にむせびながら進み出てきた。
「ささ、まずはお身体を温めてくださいませ! 我が町では、遠来のお客様には必ずこれをお出しする習わしでしてな」
案内されたのは、重厚な石造りの大ホール。
目の前のテーブルに大きな深皿が運ばれてきた。給仕が恭しく銀の蓋を開ける。
そこに鎮座していたのは――
(……は?)
ゼリー状の……半透明なナニカだった。
プルプルと怪しく揺れる、白く濁った謎の塊。
立ち上る匂いは……そう、古くなった石鹸水を煮詰めたような、目にツンとくる化学薬品の臭い!!
(な、なんだこれ!? 骨も皮も溶けて、ゼラチン質の濁ったスライムみたいになってるぞ!!)
「当町が誇る最高の伝統食『ルーテフィスク』でございます! 乾燥した白身魚を灰汁に何日も漬け込んで戻し、蒸し上げた逸品でございます!」
町長が自慢げに胸を張る。
(灰汁!!? 灰汁って苛性ソーダの親戚じゃねえか!! なんで魚を薬品漬けにして溶かしてんだよ!! 劇物だろそれ!!)
逃げ場はない。断れば「聖女は極北の伝統を汚した」と噂になり、信仰力が暴落して俺の羽毛布団ライフが露と消える。
(くっそがぁぁぁぁぁ!!)
俺は悲壮な覚悟でスプーンを握りしめた。
プルプルと揺れる灰汁漬けの塊をすくい、決死の覚悟で口の中へと叩き込む。
(ぬはっっっっっっっ!!!)
一口含んだ瞬間、舌の表面が虚無感に包まれる。
(味がしねぇ!! 魚の旨味がどこかへ旅立って、代わりに『石鹸水で洗った死体魚の気配』だけが残ってる!! 横のベーコンとバターだけが必死に生命維持してるじゃねえか!!)
アルカリで頼りなく変質したブヨブヨの物体が、口の中でヌルリと滑る。
噛んでも噛んでも旨味は戻ってこない。ただ、灰汁めいた匂いと妙なぬめりだけが、鼻の奥と舌の上にじわじわ残り、俺の精神を溶かしてくる。
だが、俺の顔筋は神域のコントロールを見せる。
「……とても、伝統と歴史を感じる……滑らかなお料理ですね」
後光が射すような完璧な『聖女スマイル』を浮かべながら、俺は噛むのを諦め、洗剤めいた悪夢をそのまま喉の奥へ強引に流し込んだ。
ハァ、ハァ……なんとか一皿分、飲み込み切ったぞ……! これで俺の仕事は終わりだ!
「素晴らしい……!!」
俺が胸をなでおろした瞬間、隣でアルベルトが爽やかな笑顔で歓声を上げた。
「なんと独特で、奥深い味わいでしょう! 淡泊な白身魚を、バターのコクとベーコンの塩気が見事に支えています! 素晴らしい食文化だ!」
(支えられてる時点で本体が自立してねえんだよ!! これ魚料理じゃなくて、ベーコンを食うための罰ゲーム台座だろ!!)
町長は「おおお! 勇者様はお分かりになるか!」と大感激している。
アルベルトは心底うれしそうに頷き、自分の皿に残った最後の一切れまで綺麗に平らげた。
「町長殿。これほどの名物を、私だけが重ねていただくのは失礼というものです」
(ん?)
嫌な予感がした。
「セシリア様も、町の皆様のお心遣いを大切に召し上がっておられました。でしたら、次は私が取り分けましょう。聖女様がご遠慮なさらぬように」
「あ……アルベルトさん、私はもう――」
制止の声も虚しく、アルベルトは深皿から大盛りのルーテフィスクをすくい上げ、俺の空になった皿へとドカドカと投入した。山盛りである。一皿目より明らかに量が多い。
「さあセシリア様。神の恵みと町民の皆様の愛を、どうかご一緒に堪能いたしましょう」
(お前えぇぇぇぇぇぇぇぇぇええええええええええッ!!!!!)
余計なことを!! するな!! クソ野郎がぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
地獄の二周目が確定した瞬間だった。
町長も「おお、聖女様! 遠慮なさらずいくらでも召し上がってください!」と感涙している。
退路は、完璧に塞がれた。
目の前でプルプルと蠢く、一皿目以上の石鹸ゼリーの山。
(死ぬ……! 今日の俺はマジで石鹸漬けの魚で死ぬ……!!)
俺は心の中で般若のような顔で絶叫しながら、再び震える手でスプーンを取った。
そして、涙目になりながら完璧な『聖女スマイル』を張り付け、地獄の二周目へと突入するのだった。
(絶対に……絶対に今夜、アルベルトの部屋の薪を湿らせてやる……!!)
☆☆☆TS聖女のバカでもわかるルーテフィスクレシピ☆☆☆
【材料】
干しダラ(白身の乾燥魚):カチコチに凍ったやつ
灰汁(または苛性ソーダ):狂気の液体
水:大量
バター、ホワイトソース、ベーコン、オールスパイス:本体をなんとか食わせるための介護要員
【作り方】
1 魚を水に浸す
カチカチの干しダラを数日間水に浸して戻す。ここまではまだ普通の保存食の仕込みだ。
2 灰汁に漬け込む(絶望ゾーン)
水で薄めた灰汁(強アルカリ液)の中に、戻した魚を数日間ぶち込む。魚の身が変質して、ぷるぷるのゼリー状になっていくぞ。見た目は完全に「薬品で溶けた死体」だ。
3 水で灰汁を抜く(抜けたことにする)
何日も水を取り替えて灰汁を抜く。理屈では食べられる状態になる。
4 蒸す
ぷるぷるになった魚を慎重に蒸し上げる。加熱しすぎるとさらにブヨブヨのゼリー状になるから注意しろ。
5 完成
溶けたバターやホワイトソースをかけ、ベーコンを添えて完成。
見た目は白くて綺麗なゼリー状の魚料理。だが一口食えば、口いっぱいに広がる石鹸めいた匂いと、味の薄いヌルヌルした謎の物体が脳を混乱させてくるぞ!