聖女様と悪魔の経典 作:スペカウ
「聖女セシリア。そして、勇者アルベルトよ」
聖教本部の最奥、荘厳なる大聖堂。
奥に据えられた教皇座に腰掛ける教皇猊下が、重々しい声で語りかけてきた。
「かつて世界を破滅の淵に追いやり、我ら聖教の始祖たる聖女と勇者によって討ち倒された魔王『レヴィアタン』……。その力を封じた世界各地の古い封印に、今、深刻な異常が起きている」
(……マジかよ。魔王復活とか、少年漫画の本筋みたいなコトが始まっちまったぞ)
「セシリア様! 私にお任せください! この聖剣にかけて、魔王の再臨など絶対に阻止してみせます!」
隣でアルベルトが爽やかに胸を叩く。相変わらず絵になる男だ。
「お前たちの力で世界各地の封印を調査し、異変の原因を突き止めてほしい。見習い聖女レヴィも補佐として同行させる」
「承知いたしました」
俺は静かに頭を垂れた。
「……これは危険の伴う長旅となるであろう。ゆえに今夜、聖教本部を挙げて壮行の宴を執り行う」
その言葉を聞いた瞬間、俺の内心は歓喜で満ち溢れた。
(勝った……!! 勝ったぞオオオオ!!)
これまでの地方の田舎町で出されてきた奇抜すぎるクソ飯の数々が脳裏をよぎる。
だが、今回は違う。ここは世界の信仰の中心、聖教本部だ。お抱えの一流料理人が腕を振るい、最高級の食材が集まる場所。
今夜ばかりは、まっとうに美味いメシで日頃のストレスを胃袋ごと癒やしてやる……!!
*
大宴会場の豪華なテーブルにつくと、中央に大きな銀のドーム型の蓋が置かれていた。
給仕が恭しくそれを持ち上げる。
そこに鎮座していたのは――
表面を香ばしい褐色に焼き上げた、巨大な『牛肉の塊』だった。
料理人が目の前で、鋭利なナイフを使ってその肉を分厚く切り分けていく。
断面は瑞々しい綺麗なピンク色。溢れ出す肉汁。上からは照りのある濃厚そうな『茶色いソース』がたっぷりと回しかけられた。
(これだよ!! 俺が求めていたのはこういう飯だよ!!)
俺は心の中でガッツポーズを決めた。
(牛肉!! 焼いただけの牛肉!! どうやったら失敗するんだよ!! ドブ煮込みでも薬品漬け魚でもない!! 勝った!! 今日の俺は完全勝利だ!!)
「まあ、素晴らしいお肉料理ですね」
完璧な聖女スマイルを浮かべつつ、俺はフォークとナイフを握りしめた。
分厚く切られた牛肉を一口サイズにカットし、期待に胸を膨らませて口の中へと叩き込む!
――噛んだ、瞬間。
(…………ん?)
ジュワッと溢れ出す肉汁。柔らかい食感。
俺は二口目を噛み締めた。
(…………味、薄くね?)
期待していたステーキ的な「塩! 胡椒! 脂! 肉汁!」のガツンとしたパンチが一切来ない。
(肉だよ。間違いなく牛肉だよ。柔らかいし、焼き加減も悪くねえ。……なのになんだこの……豪華な見た目から繰り出される『茹でた肉に近い満足感』は!!)
味覚が迷子になる。
肉そのものの風味はある。
だが、少なくとも俺の舌には、まともに下味をつけた形跡が感じられない。
(塩をくれ!! 塩胡椒をくれぇぇぇぇ!!)
そうか、ソースだ!
上からかかっているこの照りのある『茶色いソース』!
これと一緒に食えば、濃厚なコクと塩気が口いっぱいに広がるはずだ!
俺はたっぷりソースを肉に絡めて、二回目のチャレンジを行った。
モグモグ。
(…………?)
さらにソースをべっとりと絡めて、もう一口。
(…………???)
(肉に味がねえのは百歩譲る!! お前まで何の味もしねえのかよ!! じゃあその茶色は何なんだよ!!!)
俺の舌には、肉の煮汁を水で薄めて小麦粉でとろみをつけ、茶色くしただけの温かい液体としか思えない。
塩気がない。
コクも薄い。
ただ茶色くて、とろみだけは立派にある。
(色だけは一人前に味濃そうなの腹立つな!!)
見た目との落差で脳がバグる。
「わぁ〜! すっごく美味しそうですー! いただきまーす!」
隣でレヴィが目を輝かせ、大きな肉片をフォークで豪快に口へ放り込んだ。
モグ、モグ……。
――次の瞬間。
「――ッ!??!?」
レヴィの顔から一瞬で血の気が引いた。
瞳を小さく見開き、固まっている。
そして猛烈な勢いでゴクリと飲み込むと、引きつった完璧な笑顔で俺の前に自分の皿をスライドさせてきた。
「あら、やだ……私ったら、急にお腹いっぱいになっちゃいました♡ せっかくですから、この立派なお肉は聖女様に差し上げますね。どうぞ遠慮なく♡」
(おい待てクズ!! さっきまで目ぇ輝かせてたよな!? 一口食ってアカンと察した瞬間に満腹になるな!!)
「素晴らしい……!!」
俺が口内で混迷を極めていると、隣でアルベルトが感動の声を上げた。
「なんと繊細で、気品に満ちた味わいでしょう! 肉そのものの滋味がよく分かります!」
(出たよ素材の味!! 滋味ってなんだよ! 塩気が足りねえんだよ!!)
俺はもう一度、茶色いソースをまじまじと見つめた。
見れば見るほど、濃厚そうな色をしている。
それなのに、何度舌に乗せても恐ろしいほど味がしない。
「あの……こちらのソースは、どのようにお作りになっているのですか?」
すると、傍らに控えていた料理長が、誇らしげに胸を張って答えた。
「焼き上がった極上の牛肉に軽く塩を振り、そこへ熱湯を注ぎまして、表面の香ばしい焼き色と肉の風味を湯へ移すのでございます。その汁をそのままグレービーとしてお出ししております。これこそ、本部に代々伝わる最も正統なる古典調理法にございます!」
(洗い落としてるだけじゃねえかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!)
お湯ぶっかけて肉の表面すすいだだけだろ!!
なんだその『肉を湯ですすいで作った茶色い汁』は!!
料理じゃなくて肉のすすぎ汁じゃねえか!!
「うむ」
上座の教皇が深々と頷いた。
「ロースト肉に手の込んだ濃いソースなど不要。肉の焼けた表面に熱湯をかけ、その汁をそのままいただく……これぞ数百年の歴史を誇る、素材の味を極めた伝統のグレービーよ。セシリア、よく味わって食べるのだぞ」
(こいつら……調理ミスじゃねえ……!! 『これが正しい』と思って自信満々で出してきてやがる……!!)
逃げ場はない。
料理長も教皇もアルベルトも、全員が「これが完璧な至高の伝統料理」だと信じて疑っていないのだ。
「……ええ、とても歴史と伝統の深みを感じる……お湯……あ、違った、素晴らしいお料理ですね」
神域の顔面コントロールで聖女スマイルを張り付けつつ、内心では般若の顔で咆哮する。
退路は完全に塞がれた。
目の前にそびえ立つ、味のしないピンク色の肉塊二つと、肉を洗っただけの茶色いお湯。
(いつか俺がこの聖教をシメた暁には……このクソレシピ、真っ先に歴史から抹消してやるからな……!!)
俺は涙目になりながら、味のない肉をひたすら咀嚼し、茶色い湯で胃袋へ流し込み続けるのだった。
*
翌朝。
顎の猛烈な疲労感と、満腹なのにまるで満たされていない不完全燃焼感を抱えたまま、俺たちは聖職者と信者たちの大歓声に見送られ、魔王の封印を巡る危険な長旅へと出発した。
馬車へ乗り込む直前、俺はそっと荷物袋の中を確かめた。
小さな布袋。
中身はマイ塩。
(よし! もう二度と、丸腰では戦わねえ)
こうして、世界の命運を賭けた『光の聖女』の長い戦いが幕を開けたのだった。
☆☆☆TS聖女のバカでもわかる英国風ローストビーフ・聖教本部式古典レシピ☆☆☆
【材料】
牛もも肉(塊):どっさり(贅沢な無駄遣い)
塩:ほんの少々(気休め)
熱湯:ドバドバ(グレービーのメイン食材)
【作り方】
1 牛肉の表面を焼く
フライパンで牛肉の塊の表面だけ綺麗に焼き色をつける。下味はつけなくていい。見た目だけは100点満点のローストビーフに仕上げろ。
2 肉に熱湯をかける(絶望の伝統ゾーン)
焼き上がった肉を皿に置き、塩を少し振ったら、上から豪快に熱湯をぶちまけろ。
肉の表面の香ばしい焼き色と脂を熱湯で綺麗に洗い落とすのがポイントだ。
3 茶色い湯を回収する
肉から滴り落ちた「肉の焼き色を含んだ熱湯」をそっと集める。
これが19世紀の英国料理指南書にも「一般的な作り方」として記載されている、ロースト肉用グレービーだ!
4 完成
切り分けた綺麗な肉の上に、肉をすすいだ茶色い湯をかけて完成だ。
料理人は「これぞ肉の旨味を活かした正統派!」と胸を張ってくるが、一口食えばただの「無味の肉と温かい茶色い水」だ。150年前のイギリス人著者にすら「ただのcoloured liquid(色のついた液体)じゃねえか」と愚痴られた歴史の重みを感じながら食ってくれ!