ジリジリとけたたましい音を立てる目覚ましを止め、暁美ほむらは目を覚ました。絶え間のない雨の音も、鼻腔を残る血の匂いも、視界に映る果てた街も、目の前で奇跡となった少女も、何もかもが夢のようにきれいサッパリ無くなっていた。先程まで惨憺たる戦場に身をおいていたというのに、何事もなくここで眠っていたかと間違えるほど、ベッドには自分の暖かさが残っていた。
見慣れた天井、見慣れた壁、見飽きた景色、見たくもない自身の顔。
もう……これで何度目になるのだろうか。そんな考えすらも忘却の彼方へ置いてしまうほど、途方もない時間が経った。経ってしまった。それなのに、一歩も前に進めない。何度繰り返しても、結末は変わらない。そのたびに彼女の心は擦り減っていった。
「…………まどか」
無意識に彼女の名前を呟く。彼女の為なら、繰り返す。何度だって繰り返す。それが彼女との約束だから……それがほむらにとっての
しばらくの間、ベッドから動かなかったほむらだが、一つ溜息を漏らしたかと思えば、ソウルジェムを眼にかざして、低下した視力を治した。気弱で病弱な自分はとうの昔に捨てた。強くあらねばならない。強くあらねば、結末を変えられない。心の奥底から湧き上がる弱音を抑え込み、ほむらは運命に反逆する。
これはほむらのまどかに対する執着の物語。
また、運命の一ヶ月半が始まろうとしていた。
「僕と契約してお嫁さんになってよ!」
ほむらはワケがわからなくなった
----時は少し遡る。
自室で目覚めたほむらは、来たるべき災厄に抗うべく、準備を始めた。数え切れないループの中で得られた情報は値千金のもので、銃火器から弾薬、爆弾にミサイル、ありとあらゆる現代兵器を掻き集めることは最早お手の物になっていた。そして、それと並行して害獣駆除も忘れずにやっておく。まどかに群がるあの白い淫獣を1匹でも多く屠り、契約の機会を与えない。それがほむらにできる最善のことだった。
日も落ちた頃、人気もない工場地帯でほむらは盾から拳銃を取り出し、狙いを定めていた。切れかかっている蛍光灯がジリジリと周囲を薄暗く照らすなか、タッタッとかすかに聞こえる足音を頼りに走り出した。
いつものように、逃げ回るキュゥべえを拳銃で撃ち抜く。小さな身体に大きな風穴が空き、ぐたりとその場に崩れ落ちた。先程までそこにあったはずの命は消え、ただの屍となる。はじめこそ、その光景に吐き気を催したほむらだが、今となっては無表情で、無感情に、無慈悲に、機械的に、まるで一つの策略のように、1匹また1匹とその数を増やす……指に掛かるトリガーの重さはとうの昔に無くなっていた。
「はぁ、はぁ……鬱陶しいわね」
荒げた息を整えると、自然とそんな愚痴が溢れた。倒しても倒しても、次から次へと湧いて出てくる。それだけならまだいいが、奴らは互いに情報を共有し、学習を重ねる。どこまでいってもたちの悪い生き物だった。
「……もう、いないわね」
そして、周囲のキュゥべえを排除したほむらは踵を返し、死体の転がる道を戻ろうとした時だった。薄暗く照らされた道の先に、紅く光る瞳がこちらを捉えていた。
(まだいたのね、早く片付けましょう)
雲に隠れた月がその姿を見せるにつれて、見慣れた生き物の姿が
殺しに殺したキュゥべえが逃げもせずに、その場に留まり、ただただ真っ直ぐにほむらを見つめている。両者の間に、えもいえない沈黙が流れる。
(なぜ、逃げないのかしら……まあいいわ、動かないなら楽ね)
そんなキュゥべえの様子にどこか薄気味悪さを覚えたほむらは、キュゥべえの眉間に躊躇なく弾丸を放った。
弾丸はキュゥべえの脳天を撃ち抜き、また一つ死体を増やす。
…………はずだった。
視認することすら難しい弾丸を、キュゥべえは何食わぬ顔でクイッと首を傾けて避けた。命を狙われたというのに、焦りの一つもなく、当然かのようにそこに佇む。
「なっ!?」
あり得ない。ほむらは動揺を隠せなかった。キュゥべえが逃げながら弾丸を避けることはある。動いているものを狙って打つのはそれなりの技術が必要な上、相手が逃げに徹していたら尚更である。なのに、目の前の個体は動かず、ただ首を傾けただけで容易く弾丸を避けた。弾丸の軌道が見えていなければ、そしてそれを避けるだけの速さと反射神経がなければ、到底不可能な現象だ。
ほむらの背筋がゾクリと震えた。この個体は何かおかしい。早く、消しさらなければいけないと彼女の本能が警鐘を鳴らす。
「ッ!!消えなさい!!」
続けざまに拳銃を打つ。だが、それをキュゥべえは軽々と身をよじって躱す。あり得ない身のこなし。ひらりと舞う葉の如く、ほむらの弾丸を軽々と避けた。堪らず、撃つ。屈んで躱される。撃つ。弾丸を撫でるかのようにキュゥべえは身体をくるりと翻す。それだけでなく、撃つたびに着実にほむらのもとへと一歩一歩近付いてくる。
今までこんなことはなかった。何か悪い夢でも見ているかのような光景に、ほむらは奥の手を使うことを躊躇わなかった。
盾に触れ、ほむらは魔法を行使する。その瞬間、音が消えた。ほむら以外のすべてが動きを止め、彼女だけの世界を創り出す。そして、悪夢を終わらせるために、照準を定めた時だった。
「ッ!!いない!?」
目の前に居たはずの白い害獣の姿はどこにも無かった。
「やっぱり、そういう類の魔法を使うんだね。君に近づかなきゃ死んでいるところだったよ」
肩に僅かな重さを感じたかと思えば、耳元に声が届いた。
サァっと血の気が引き、ほむらは息も飲み込めぬまま、声のする方に発砲した。が、弾丸がキュゥべえを捉えることはなかった。
「その盾が魔法の起点だね。魔法少女にしては、現代の銃火器に頼りすぎているから、もしかしてと思ったけど、僕の考えは概ね合っていたみたいだ」
どくりと心臓が早鐘を打つ。再びほむらの前に相対するキュゥべえにほむらは感じたことのない恐怖を覚える。その感情が、無意識に盾に手を伸ばす。
「無駄だよ、僕にはもう通用しない」
一瞬だった。その一瞬で、キュゥべえはほむらの足元に肉薄し、尻尾を彼女の足首に巻きつけた。
「君と触れていれば、僕にもその魔法が適応されるんだろ?時間停止とは興味深いね、周りがいなくなるまで観察していた甲斐があったよ」
ほむらは思わず小さな悲鳴を上げ、反射的に足を蹴り上げた。バランスを崩したほむらは尻もちをつき、キュゥべえは空中に放り出されたが、くるりと回転をしほむらの目の前に軽々と着地した。月光がキュウべえの背後を照らし、その顔に陰を落とす。紅い双眸だけが怪しく光るその姿は、まさしく宇宙を延命させようとせし人類に文明を齎した上位種。
「なんで、どうして」
時間停止を対策された。彼女の中にあった、絶対的な力は少なからず彼女にある程度の安堵を与えていた。だというのに、真っ向からその仕組みを暴かれ、攻略された。胸のうちに不安と恐怖が押し寄せ、ほむらのソウルジェムはじわりと濁りだす。
「どうしてって言われたら、僕は絶対に
----違和感
「僕は今
----なにかがおかしい
「初対面で言うことじゃないかもしれないけど」
感傷たっぷりに、キュウべえは言い放つ。
「僕と契約してお嫁さんになってよ!」
「……へ?」
…………………………………………………………
思わず身体から力が抜ける。ほむらは何が起こっているのか飲み込めないでいた。先程までの恐怖と不安は、いつの間にか疑問と困惑に変わっていた。
目の前の生き物は何と言った?お嫁さんになって欲しい?は?こっちが奴らの十八番である“ワケがわからないよ”と言いたいくらいだ。
明らかに今の状況はおかしい。たしかに、繰り返すたびに全く同じ過程を辿ることはなかった。多少なりとも変化があるのだ。その記憶がほむらの脳内を掛け巡る。
『クラスのみんなにはナイショだよっ!』
『……キュゥべえに騙される前の馬鹿な私を助けてあげてくれないかな』
『ほ、ほむらちゃん? なんで私の部屋に?』
『……ほむら、ちゃん? さ、ささ、さやかちゃん? ふ、ふたりとも何をしてるの?』
ぐるぐると脳内に記憶が交差する。ほむらの行動が変われば、周囲にも変化はあるものだ。だが、こんな変化は今までになかった。あまりの出来事に、ほむらが言葉を紡げずにいると、キュゥべえがずいっと近付いて来て言い放った。
「いきなりで困惑すると思うけど、僕は本気だよ。君をひと目見たときから、心がざわついて仕方がないんだ」
にっこりと笑顔でそう言うキュゥべえに、ほむらの困惑は更に深まるばかりだった。あまりにも様子のおかしい目の前の生き物のせいで、求婚紛いの言葉なんて頭から飛んでいた。
「どういうこと?あなた、感情なんてないって言っていたじゃない」
「それは、他の奴らのことだろう?僕は違う。僕は天啓を得たんだ。感情とは実に素晴らしいものだと今この瞬間も実感しているところだよ」
今にも踊りだしそうなくらい、ご機嫌な様子でくるりとその場で回転するキュゥべえ。目の前の生き物は本当にキュゥべえなのか、感情を持つ個体なんてほむらの途方もないループの中でも会ったことはなかった。
「それよりも、会った事もないのにこちらの事情を知っているって事は、君はきっとの魔法で時間を遡ってきたんだろう?どおりで、君と契約した記憶がないわけだ」
「……」
澄んだ赤い瞳がほむらの瞳を掴んで離さない。もう既に、他の個体にほむらの情報は共有されているはずだ。それが意味するのは、このループでまどかを救える可能性がぐんと下がったことだろう。奴らは、どんな手を使ってもまどかと契約をする。それを阻止できるのはほむらだけだが、手の内がバレていては、あの狡猾な生き物は必ず対策を打つだろう。そうなれば、状況は絶望的になる。数え切れないループの経験から、ほむらは既に諦観していた。
「君が時間を遡ったのには、何か大きな理由があるみたいだね。もし僕で良ければ話を聞くよ?」
「それで、仲間に情報を共有するわけね……あなたたちがやりそうなことだわ」
投げやりな様子でほむらはそう言った。この会話もただの気まぐれ。時が来たら、またはじめからやり直すつもりだ。だが、次にキュゥべえが放った言葉に思わず目を見開いた。
「仲間?あの憐れな奴らのことかい?僕をあの唾棄すべき欠陥品共と同じにしないで欲しいな。とっくに僕は異常個体として母星のネットワークから切り離されているんだ……まったく、感情が分からない奴らに異常のレッテルを貼られるのは不愉快極まりないよ」
本当に唾を吐きそうな勢いで、キュゥべえはそう言った。表情は変わらないのに、その口調からは不機嫌な様子がありありと見て取れた。
「だから、そこに転がっている奴らが全員死んでから君の前に現れたんだ。君は僕達に対して並々ならない殺意を持っていたからね、陰から君を観察していたのは謝るよ。でも僕は君と言葉をかわしたくて仕方がなかった。君に僕の想いを伝えずに死ぬのは嫌だったんだ」
「あなた、本当に感情が……?」
「そうだよ。だから、君の弾を避けることができた。母星から切り離された僕は、正真正銘の僕でしかない。代わりはいない。死んだらそれまでだ。だから、死なない為に強くなった。何でもした。僕を僕たらしめるのは、僕の“意志”だ。それ以上でもそれ以下でもなく、僕は自分の意志でここに立っている」
だから、とキュゥべえは続ける。
「僕と契約してお嫁さんに「それは嫌よ」……そっか」
そういった途端、しおらしく落ち込んで今にも泣きそうな顔をする目の前の生き物に、ほむらはなんだか全部馬鹿らしくなって、大きな溜め息がでた。同時に、ワケの分からないこの状況が面白おかしくて自分でも気付かないうちにクスクスと小さな笑い声が出た。まどかを救いたいのに、いつも邪魔しかしない憎き相手。恨み言を言うことはあれ、交わす言葉はない筈なのに、全く同じ姿をした目の前の生き物は今までとは明らかに違った。
「でも、僕は諦めるつもりは毛頭ないよ。どれだけ時間が掛かっても必ず君を振り向かせてみせるよ」
クサいセリフを恥ずかしげもなく言い放つ愉快な生き物に、ほむらは興味が出てきた。確信はないが、今回のループは何か違う。そう思えるほどの出来事だった。
これは単なる気まぐれ。終わりの見えない繰り返しの中で、刺激を求めるかの如く、ほむらは嗤った。駄目だったらまた繰り返せばいい、諦めるつもりは毛頭ないのだから。自分にそう言い聞かせて、ほむらは言葉を紡ぐ。
「そう……なら、少しだけ昔話に付き合いなさい」
無自覚に一縷の希望を胸に抱きながら。
ほむ×さやはいいぞぉ
感想など頂けたら励みになりまする(o´罒`o)