街に夜の帳が下りる。欠けた月に掛かる雲は、月の光をぼやけさせ、闇を燻らせている。ビルに備え付けられた電灯が妙に怪しく輝き、その輪郭をハッキリとさせる。
物音は少なく、風が横切る後だけが嫌に響く。春の暖かな季節とは思えないほど、肌寒く、機械の油と鉄とが混じった匂いが辺りに漂っている。
人によっては不気味とも感じてしまう夜。そんな中、鉄塔の上、おおよそ人がいるべきではない場所。そこに赤色の光が降り立った。
「ふーん、珍しいね。グリーフシードの回収以外であんたが顔を見せるなんてさ」
濃い赤色の髪を頭の後ろで束ねた少女が、目線を下に向けた。
「君は僕のサポートがなくても十分やっていけるだろう?」
視線の先には、白い小動物。もとい、少女を破滅へと導く淫獣であるキュゥべえがその場に佇んでいた。いつものように無機質な目を向けている。その耳に赤いリボンは付いていない。
「だから言ってんだよ。何しに来やがった」
両者の間に流れる空気はおおよそ仲間とは思えないものだった。その証拠に少女は怪訝そうな表情を隠そうともしていない。
「君に伝えるべきことがあってね」
「はぁ?あんたが?なーんか胡散臭いね」
少女は表情を変えないまま、懐から取り出したお菓子を口に含んで、カリカリと食べながら話半分で聞く。
「まあ、いいよ。言ってみな」
「巴マミが仲間を作ったみたいだ」
パキりとお菓子が折れ、空中をクルクル回って落下する。が、落ちる前に少女の手によって掬われる。
掴んだお菓子を再び口に含んだ少女は、鉄塔の手すりに肘を掛けて、溜め息混じりに遠くを見つめる。キュゥべえの言葉に多少なりとも動揺したようだった。
「マミがねぇ……別にいいじゃねーか。いちいちあたしに言うことでもねーだろ。嫌がらせかっての」
「嫌がらせ?とんでもない、コレは君にとっての死活問題だよ」
「…………」
キュゥべえの言葉に少女は沈黙で答えた。死活問題というものが何を意味するか分からないほど、少女は伊達に魔法少女をやっていない。
「君だって分かるだろう?見滝原市の大きさでは、魔法少女二人分のグリーフシードの数はいずれ足りなくなる。そうなれば、巴マミがどれだけ良識人であっても、隣町である風見野に手を伸ばさざるをえなくなるだろう。そうなってしまったら、杏子。いくら君が強くても分が悪いよ」
キュゥべえの言いたいことは分かる。分かるからこそ、杏子は苛立ち混じりに舌打ちをする。
「んなこた分かってんだよ。あたしに尻尾巻いて逃げろつってんのか、マミをぶっ殺せつってんのか……言いたいことははっきり言いな」
「とんでもない、僕はそこまで言ってないよ。あくまでも、情報共有さ。ただ、アドバイスをするなら早いうちに相手の情報を掴んだ方が良いと思うよ」
「はいはい、どうも。一応礼は言っておくよ……ったく、なんで今になって仲間なんか」
杏子の顔には“分からない”という言葉がありありと浮かんでいた。
かつて、魔法少女として駆け出したばかりの頃。杏子は幻惑の魔法を使う魔女に苦戦を強いられ、風見野から見滝原まで追いかける羽目になった事があった。その時は死ぬか生きるかギリギリのところで杏子はマミに助けてもらった。
その後はマミの魔法少女としての信念や生き様に感銘を受けて、彼女に弟子入りし、魔法少女コンビを組んでいた時期もあった。
マミとならどんな魔女にだって負ける気はしなかったし、練習を重ねて必殺技も完成させた。討伐が終わったらマミの家でたらふくケーキを食べて、他愛もない会話に華を咲かす。そんな楽しい日々を彼女と共に過ごしていた。
杏子は自分は悪者をやっつける正義の味方なんだと、信じて疑わなかった。
だが、ある事件をきっかけに、杏子は魔法少女としてのあり方を根本から変えてしまった。魔女は使い魔であろうと
最終的に互いの主張が交わらない二人は命の奪い合いまですることになり、マミが敗北を認める形で決別することになった。
そんな過去があったのにも関わらず、今になって仲間を見つけたということは、同じ志を持った魔法少女がもう一人いるということだ。
杏子は奥歯をギリッと噛み締めた。
「一応、言っておくけど。マミの仲間になった魔法少女には気をつけた方がいいよ。彼女の素性は僕らにも分からないことだらけだ」
キュゥべえの言葉を受けて、杏子の視線は鋭くなる。目の前の生き物がうっかりで魔法少女の情報を忘れるなんて思えなかったからだ。
「どういう事だ。あんたが契約したのに、忘れたっていうことかい?」
「いいや、忘れたわけじゃない。僕は今まで契約した魔法少女全員の事を覚えているよ。それに、間違いなくソウルジェムを持つ魔法少女だったから、僕と契約しているはずさ。だけど、何故かその記憶が何処にもないんだ。はっきり言って得体の知れないイレギュラーと断ずるしかないよ」
「そんなワケ分からねー奴とマミはコンビを組んだってのか?」
先程まで何処か怒っているかのような雰囲気はなりを潜め、困惑というか心配というか、キュゥべえの話を聞いてそんな表情を浮かべてしまう杏子。
気持ちが収まらないのか髪をがしがしと掻いて、彼女は鉄骨にもたれた。上を見上げてみれば、雲が溶けて欠けた月が顔を覗かせているところだった。
「僕から言えることはこれくらいだよ。どうするかは君が決めるといい」
そう言うやいなや、キュゥべえは鉄塔を鋼材伝いに降りていき、その場から退いた。残された杏子はというと。
「あたしにどうしろってんのさ……」
何を思ってそう呟いたかは分からない。小さな声は誰に聞かれることもなく、風に掻き消された。
閑話ですが、最推しの杏子ちゃんをやっと出せました。