オーバーロード17 支配の共鳴 清書版 作:地道にモモンガ
プロローグ 002話:戦略協議に向けて / 予期せぬ闖入者
Side:ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ
ナザリック地下大墳墓・第九階層。その洗練された美と不吉なまでに壮麗な回廊を、二つの影が静かに歩んでいた。
「クライム、これから魔導王陛下のご命令に従い、アルベド様の所へ向かいます。お供してくれますか?」
与えられた自室を後にしたラナーは、廊下の隅で直立し、常に怠ることなく身体を絞り上げていた忠誠心の塊――クライムを見つけ、柔らかく声をかけた。その背には黒く艶やかな悪魔の翼が蠢き、頭部には小さな角が覗いている。悪魔族としての異形を宿しながらも、その微笑みは旧王国の者たちをことごとく魅了し、欺き続けてきた「聖女」のそれと何ら変わりはなかった。
「もちろん、どこまでもお供させていただきます、ラナー様!」
即座に深々と頭を下げたクライムであったが、その直後、わずかに眉をひそめて戸惑いの色を滲ませた。
「ですが……魔導王陛下の命とは……。アルベド様の自室へ伺うとのこと、僕のような一介の従者が同席して、詳しくお伺いしても大丈夫なのでしょうか?」
彼にとって、ナザリック地下大墳墓の総責任者たるアルベドは、神にも等しい恐怖と絶対の存在であった。その最高幹部の私室に、主であるラナーと二人きりで向かうことへの不安。そして自分のような無力な者がその神聖な領域に立ち入ることへの恐れが、彼の言葉を鈍らせていた。
「ええ。エルフの国とスレイン法国との戦争に、大きな進展があったそうなの。……魔導王陛下から、アルベド様やデミウルゴス様と共に、今後の魔導国の動きに関する戦略協議に参加して意見を言うように命じられたのよ。私如きの愚見が必要とされるのかは分からないけれど…… これから準備が整ったことを、アルベド様にお伝えしに伺うの……ふふ、ちょうど着きましたね」
ラナーは可憐に小首を傾げ、目の前に聳え立つ重厚な意匠の扉を示した。
「アルベド様に御目通り願います。ラナーにございます」
自ら静かに扉をノックし、透き通るような声で入室の許可を求める元王女の姿。それをすぐ後ろで見守るクライムの胸中は、複雑な感情で乱れていた。かつて一国の王女として至高の地位にあった彼女が、今は他国の最高幹部へ恭しく礼を尽くしている。立場がどれほど劇的に変わろうとも、変わらぬ純粋さで自分に微笑みかけてくれる主に、クライムは改めて命のすべてを捧げることを固く心に誓うのだった。
「あら、もう来たのね。どうぞ、お入りなさい」
扉の奥から響いたのは、鈴を転がすような美声でありながら、かすかに不機嫌な冷たさを孕んだ声だった。
ラナーが扉を開けて室内へと足を踏み入れると、豪華絢爛な調度品に囲まれた執務机の前に、守護者統括アルベドが佇んでいた。その瞳には、ラナーが予想以上の速度で立案準備を仕上げて自分のもとへやってきたことに対する、隠しきれない焦りと悔しさが一瞬だけ揺らめいていた。
アルベドはクライムに一瞥を向けると、冷徹なまでの優美さで二人を招き入れた。
「ではクライム、貴方は少し外で待っていて下さいますか?」
「あら……いつかの王城で、私達が貴女のお部屋にお邪魔した時とは逆の状況になったけれど、その騎士君は相変わらずね」
アルベドは冷ややかな微笑を浮かべ、クライムの存在を品定めするように見つめた。かつて王国の貴族派や二重スパイたちを揺さぶるため、王城のラナーの私室を訪問した際の記憶を引き出しながら。
「ええ。今度はアルベド様のお部屋でお話しできるなんて、このような奇妙な巡り合わせに感謝いたしますわ」
ラナーは完璧な礼儀と心からの恐縮を装い、可憐に微笑んだ。
「では、僕は外で待機しております。失礼いたします」
二人のやり取りを聞きながら、クライムは己たち旧王国民の圧倒的な無力さを再認識させられていた。表情を完全に殺し、深く頭を下げると、彼はゆっくりと退出した。重厚な扉が静かに閉じられ、廊下に直立して佇むクライムの姿が遮断される。
――ガチャン、と重厚な鍵の閉まる音が室内に響いた。
Side:アルベド
(これは……完全に先を越されたわね)
扉が完全に閉じられたことを確認したアルベドは、優美な仮面の下で煮えくり返る焦燥を押し殺し、溜息を一つ吐いた。
「ワンちゃんとの仲も相変わらずのようで安心したわ。……それにしても、もう案を揃えて私のところへ来るだなんて恐れ入ったわね。さすがはデミウルゴスが高く評価する怪物だわ」
アルベドの言葉には、皮肉と本心の警戒が混ざり合っていた。アインズから命じられた法国侵攻の立案。それは単なる軍事作戦にとどまらず、ナザリックの全機密の開示範囲の精査、周辺国への影響、さらにはモモンガ様(アインズ)の安全確保という膨大な計算を必要とするものだった。それを、わずか数刻足らずで「準備が整った」と申告してきたのだ。
しかし、ラナーは深く頭を下げたまま、平然と沈黙を守っていた。驕りも揺らぎも見せないその態度に、アルベドは肩を竦める。
「もう良いわ、頭を上げなさい。アインズ様がナザリックの一員と看做された以上、私と貴女の間に絶対的な役職の上下は存在しないわ。魔導国という表向きの国家での地位とは異なり、このナザリック地下大墳墓内における私達は『同列の臣下』と心得なさい。…もっとも、至高の御方で在らせられるアインズ・ウール・ゴウン様はその限りではないけれどね」
「温かいお言葉、謹んで拝聴いたしましたわ、アルベド様」
ラナーはゆっくりと顔を上げると、物怖じしない静かな瞳でアルベドをまっすぐに見据えた。その唇には、薄く、すべてを見透かすような笑みが浮かんでいる。
「それで……アルベド様はどのような献策をなさるおつもりでしょう? 最も、家臣である私達の立場であれば、まずはデミウルゴス様の計画と歩調を合わせての献策が望ましいとも思うのですが」
敢えて自分から密談の核心へと足を踏み入れ、こちらの反応を試してくる新たな悪魔。アルベドの意識もまた、表面的な挨拶から一気に高度な政治的思惑へと切り替わった。
「……私はデミウルゴスと、献策の前に事前協議などしたことは一度もないわ。そもそも魔導王陛下は、どのような献策をしてそれを採用されたとしても、常に我々の想定以上の結果を導き出す御方よ? 己が絶妙な妙手を捧げたと確信したところで、推移する事態に対してそれがその場での閃きなのか、あるいは最初からの想定内なのか……より遥かに上回る結末と成果に至る奇跡の深謀に対して、毎度驚愕し陶酔することこそがデミウルゴスの悦びのようだからね」
「では……?」
「ええ。私達は私達だけで、お互いの望む未来のために……少し『おしゃべり』をしないかしら?」
アルベドは黄金の瞳を妖しく光らせ、黄金の髪の美姫――ラナーへと踏み込んだ。
「魔導王陛下ご自身は、各々に自主的に考えさせて、意見に多様性を持たせたいとお考えなのでは?」
「アインズ様はそう口になさるし、事実、それをお望みよ。……けれどね、私は一刻たりともお側を離れたくないの。知っての通り、アインズ様は自ら陣頭に立たれることを厭わない御方。だからこそ、私はアインズ様ご自身が、スレイン法国のような野蛮な現地人の溜まり場へ直接出向くような危険を冒してほしくないのよ」
言外に伝わる凄絶な情念。それは創造主たるタブラ・スマラグディンによって過剰なまでに緻密に書き込まれた設定と、サービス終了直前にモモンガ自身が軽い悪ノリで書き換えてしまった『モモンガを愛している』という一行によって生み出された、狂気にも似た粘着質で絶対的な愛であった。アインズが万に一つでも傷つく可能性を、アルベドは病的なまでに排除したがっていた。
「なるほど……アインズ様のご無事と、お側にお仕えするお時間を最優先されるのですね」
ラナーは意図を正確に汲み取り、うなずいた。
(よし……アルベド様の最大の関心事は『アインズ様の安全』と『ご自身がお側にいること』。法国が持つあの洗脳のアーティファクトについての具体的な情報は、まだ絶対に開示すべきではないわね)
ラナーの脳裏で、冷徹な計算が瞬時に巡る。
旧王国で放っていたスパイから掴んだ「ケ・セィ・ケエ・コクゥ」という音のアーティファクトの伝承。それがナザリックの言う「世界級アイテム」に類するものではないか――そう推測している。
しかし、それはまだ耳学問に過ぎず、正確な発動条件や制約、現在の保管場所までは裏が取れていない不確かな情報だ。ここで下手に「洗脳のアーティファクトに関する情報を持っています」などと口にすれば、アルベドに情報を全て吸い上げられ、彼女が単独で先走って回収に動くか、あるいは自分の手札を失ってしまう。
アルベドに抜け駆けを許さず、かつ自分の価値をアインズの前で最高形で見せつけるためには、このカードは「しかるべき戦略協議の場」まで胸に秘めておくのが最善であった。
(いま共有すべきは……私とクライムの立場を安泰にし、アルベド様の欲望に寄り添いながら、二人でアインズ様へ提示する『攻勢のフレームワーク』だけで十分)
ラナーは可憐に小首を傾げ、滑らかな口調で切り出した。
「アルベド様のお気持ち、痛いほど理解いたしましたわ。では……私の献策のうち、アルベド様のご意向に完璧に合致し、かつ私どもの足元を固めるための『二つの前提』についてお打ち明けいたしますわね」
「……話してみなさい」
「第一に……旧王国での『ヤルダバオト騒動』の段階から、私がナザリックへ自国を売り渡していたという事実。これをクライムに悟られるわけにはまいりません。彼は純粋ゆえに、私が『惨劇の黒幕』であったと知れば、その精神は崩壊し、魔導国への恭順すら揺らぎかねない……。そしてもう一点。クライムがガゼフ戦士長やブレイン殿と同等に尊敬していた『セバス様』のことです」
アルベドの眉がピクリと動いた。
「セバス・チャンのこと?」
「ええ。セバス様がナザリックの執事長であり、旧王国で活動されていたという事実をクライムが知った際……『自分とセバス様の出会いすらラナー様の仕組んだ罠だったのか』と疑念を抱かせるわけにはいかないのです。セバス様が偶然とご自身の慈悲からクライムを助け、一時的に稽古をつけられた……その『美しい事実』を保たねばなりません。セバス様と私との間で口裏を合わせ、クライムに余計な疑心を生ませないよう誘導する必要があります。これは、ナザリックに対するクライムの絶対的な忠誠を維持するための前提条件ですわ」
アルベドは顎に手を当て、ラナーの洞察に感心を示した。セバスとクライムの個人的な交友など、守護者たちからすれば路傍の蟻の雑談に過ぎない。しかし、ラナーにとっては己の唯一無二の所有物を繋ぎ止めるための死活問題なのだ。
「なるほどね。セバスには私から通達しておきましょう。あの方も無用な混乱を望むお人柄ではないわ。……それで、肝心の法国に対する攻勢案についてはどう考えているの?」
ラナーは微かに微笑み、洗脳のアーティファクトそのものには一切触れず、相手の構造的弱点だけを提示した。
「法国の上層部は合議制であり、最高戦力である『番外席次』すら、その複雑な血筋と異形ゆえに腫れ物のように扱われ、政治の中枢からは遠ざけられていました。つまり……彼女を尋問して得られる軍事情報や伝承には、必然的に『法国上層部が隠している政治的・構造的な抜け落ち』が存在します」
「……ほう?」
「法国は人間種至上主義の宗教国家。彼らが最も恐れているのは、軍事的な敗北以上に『自分たちの奉る神々の威光が踏みにじられ、教義が根底から瓦解すること』です。……アインズ様が直接前線にお立ちになり、力でねじ伏せるまでもなく、魔導国の圧倒的な情報戦と、最高幹部たるアルベド様方が指揮する圧倒的な包囲網によって、相手の教義と国家体制を内部から自壊させる……。これならば、アインズ様を無用な危険に晒すことなく、完璧な勝利を捧げられますわ」
アルベドの瞳が、妖しい歓喜に揺れた。アインズを前線に出さず、自分たちの手で完璧な勝利をお膳立てする――まさに彼女が望んでいた通りの方向性だったからだ。
「……良いわね。非常に理にかなっているわ。その方針で、私と貴女の案を統合してアインズ様へ献策いたしましょう」
「光栄にございます、アルベド様。……すべては至高の主、アインズ様のために」
ラナーは深く深く頭を下げた。
その胸中で、不敵な笑みを深く秘めながら。
(ふふ……これでいいわ。アーティファクトの秘匿と制約についての『真の切り札』は、戦略協議の土壇場で、私がアインズ様へ直接差し出す最上の献上品とする……。アルベド様、貴女にだけ抜け駆けして手柄を渡すつもりはありませんわ)
ラナーは誘導される形を取りながら、自らの手の内と胸中の一片だけを開示する。それによってお互いの手札のわずかな共有を図る美姫二人の密談は、夜が深まるまで延々と続けられるのだった。
Side:クライム
重厚な扉の外。静まり返った回廊で、クライムは壁際に直立し、微動だにせず侍っていた。
人間種としての肉体を捨て、ラナーと共に悪魔族へと転生したことで、自分たちはもはや人間たちの世界で生きていくことはできなくなった。ヤルダバオトという大悪魔が王国や聖王国で引き起こした凄惨な惨劇のせいで、周辺国において悪魔族は、アンデッド以上に嫌悪と恐怖の対象となっているからだ。
(……僕の手は、もうこんなにも冷たく、硬くなってしまった)
自分の不格好な両手を見つめる。
旧王国で師と仰ぎ、最後は王国の矜持のために散っていったガゼフ・ストローノーフ戦士長。
その遺志を継ぎ、叶わぬと知りながらも圧倒的強者へ挑み、散っていったブレイン・ウングラウス様。
戦うことすら叶わず、王国の崩壊とともに消えていった多くの人々。
そして……己の知り得る中で、英雄モモン閣下に並ぶ強さと真の正義感を兼ね備えていた、一時の師匠・セバス様。
彼らの足元にも及ばない。死んで悪魔の肉体を得たというのに、今の自分は生前よりもさらに精神的に脆く、無力な戦士へと成り下がっているのではないかという自嘲が胸を苛む。
(この魔導国においても、僕はあまりにも無力だ。ラナー様の元王女としての価値と、王国では正当に評価されなかった溢れるほどの聡明さ……それだけが買われて、僕はナザリック地下大墳墓の中に居場所を与えられているに過ぎない。……拾われたあの雨の日から、国が変わっても、肉体が変わっても、僕はラナー様に守られ続けている哀れな浮浪児のままではないのか?)
弱音を吐きそうになる自分を、クライムは必死に不快な思考ごと振るい落とす。
(いや……考え直せ。このナザリック内で、進んでラナー様を害する者など誰もいない。それどころか、悪魔族に転生して位階の低い僕でさえ、ナザリックの者たちは『ラナー様の騎士』として身内扱いしてくれているんだ)
実際、ナザリックの住人たちは、クライムが想像していたような「冷酷無比な化け物」ばかりではなかった。
戦闘メイドたる『プレアデス』の面々は、第九階層の食堂でクライムと出くわした際、極めてフランクに、時には厳しくも温かく声をかけてくれた。
魔導国内だけでなく、このナザリック地下大墳墓の中でも、生者らしき者、弱者たちがそれぞれの職責を果たしながら生き生きと勤労している。
過度に怠ける者もいなければ、部下を過剰に叱責したり、財産を搾取する者もいない。権力に胡坐をかいて不正を働く不当な支配者など、ここには一人として存在しないのだ。
(ナザリックを頂点とし、魔導国、属国、友好国……生者も死者も関係なく、誰もが秩序ある平和と幸福を享受する世界。魔導王陛下が進められる大陸平定……いや、世界平定の夢。……きっと、僕が直接政策に関わるような機会は永久に来ないだろう。けれど……)
クライムは固く拳を握りしめた。
(慈悲深く、優しすぎるラナー様のことだ。これから始まるスレイン法国との戦いでも、無駄な流血を避け、生き残れる人々に救いをもたらす方法を望まれるに違いない。感情的にならず、周辺の生者にできるだけ被害が出ない道を模索されるはずだ。そして、そんなラナー様が、魔導王陛下やアルベド様から意見を求められる機会は必ず訪れる。……その時、僕がナザリックの中に閉じこもり、エ・ランテルなどの実際の街の様子すら知らないままで良いはずがないんだ)
「僕が……ラナー様の足を引っ張ってどうする。ラナー様が指し示される理想の世界のために、僕もこの目で魔導国の現実を学び、ラナー様の剣となり、盾とならなければ……!」
主人が抱く「慈悲と聡明さを兼ね備えた聖女」という幻影を胸に抱きながら、クライムは幾重もの葛藤と誓いを胸に秘め、静かにアルベドの部屋の扉を見つめ続けるのだった。
Side:アインズ(鈴木悟)
ナザリック地下大墳墓・第九階層、魔導王私室。
豪奢な天蓋付きベッドの横で、部屋付き侍女の一般メイドが恭しく一礼した。
「アインズ様。アルベド様とラナー様より、対スレイン法国に対する対応に関する献策の準備が整ったとの報告が入りました」
「なに……? もう終わったのか?」
アインズ(鈴木悟)は思わず、骨の顎をガクリと落としそうになった。
エルフの国から戻り、大号令を発してからまだ数時間しか経過していない。デミウルゴスならいざ知らず、アルベドとラナーのラインがこれほど恐ろしい速度で案を練り上げてくるとは予想外であった。
(おいおいおい! 早すぎるだろ! 社畜時代の感覚で言えば、企画書の『たたき台』すら出来上がってない時間だぞ!? なんでナザリックの優秀すぎる幹部どもは、締め切りの遥か前倒しで完璧な成果物を出してくるんだよ……!)
内心で冷や汗をダラダラと流しながらも、アインズは重厚な重低音を響かせ、至高の主たる威厳を保った。
「そうか。……後はデミウルゴスだが……いや、二時間後に『玉座の間』にて、再度全階層守護者を集めて戦略協議を行い、方針を決定するよう伝令を回せ。デミウルゴスにはそれまでに必要な情報を集め、間に合うだけの対応案を持ってくれば良いと伝えよ」
「かしこまりました。『高度に集中力を要する思索』をお邪魔してしまい、大変申し訳ございません。本日のアインズ様当番の交代時刻はまだですので、私はもうしばらく部屋の外で待機しております」
「うむ、ご苦労。何かあれば声をかける」
メイドが深々と頭を下げ、静かに退室していく。
一人残されたアインズは、豪奢なソファに深々と身体を沈め、大きな溜息を吐いた。
(ふぅ……危ない危ない。集中して考えているフリをしていて助かった。だが……あと二時間後には、あの『戦略協議』が始まるのか……)
今回のスレイン法国への報復は、アインズ自身が強い怒りとともに望んだことだった。しかし、それだけに守護者たちが暴走し、壊滅的な大虐殺や予期せぬリスクを引き起こすことは避けたい。
(今度こそ……今度こそは、私が理解できる範囲内で会議の行く末をコントロールしたい! デミウルゴスやアルベドが『さすがアインズ様!』とか言い出して、話が世界征服の第十段階くらいまで飛躍する前に、現実的な落とし所に誘導するんだ……!)
アインズは拳を固く握りしめ、二時間後の協議に向けたシミュレーションを脳内で開始した。自分ができる唯一の得意分野――「戦闘へ投じる戦力の選定」や「相手のアイテムの回収手順」に思考を集中させ、失敗しないための布石を打とうと必死になっていた。
その時だった。
「ん?……」
背筋――あるいは骨の髄を撫で上げるような、異質な悪寒がアインズを襲った。
【――アインズ様。モモンガ様。……アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下。姿をお見せして、よろしいですかな?】
「――――ッ!!???」
アインズは弾かれたようにソファから飛び起きた!
その急激な動作に反応し、部屋の天井の影に潜んでいた防衛戦力――『八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)』たちが、カチカチと鋭い顎を鳴らし、圧倒的な殺気を放ちながら天井から滑り降りてくる。
(な――何だ!? 誰だ!!?? ナザリック地下大墳墓の絶対不可侵な防衛網を突破し、あらゆる探知魔法、結界ギミック、更には最高峰の隠密対策すら完全にすり抜けて、私の私室の内部に直接『念話』を送ってきただと!!??)
鈴木悟の脳裏に、凄まじい勢いで恐慌が吹き荒れた。
ユグドラシル時代であっても、敵ギルドのプレイヤーや運営の管理者権限ですら、防衛拠点内の私室へ事前通知なしで直接干渉することなど不可能だった。
転移後の異世界において、異世界特有の未知の技術やタレントで我々に直接干渉してきたというのか!?
(知己のような口ぶり……! この、どこか悠然とした、老練で重厚な声色……ダメだ、思い出せない! 誰だ!? 過去のプレイヤーか!? それとも……!)
「【魔法波動探知(ディテクト・マジック】!」
視界が一瞬で切り替わり、部屋全体の魔力流動が色づく。だが、空間に異常な魔力の発動痕跡は見当たらない。魔法による侵入ではない――ならば、不可視の技術か!?
「【高位完全不可知化看破(グレーター・シー・スルー・インビジビリティ)】!」
重ねて放たれた高位の視覚補正魔法が、空間の「歪み」を強引に剥ぎ取りにかかる。光の屈折、屈折率の異常、あらゆる光学・概念的隠蔽を暴く波動が波紋のように私室の壁や天蓋を撫でていく。が、何者も見つからない。
「くっ!【敵対存在探知(ディテクト・ホスタイル)】!」
さらに空間全体へ探索の網を張り巡らせる。アイテムなどを併用して完全不可知化を上回る隠密を行う者すら炙り出せることのある、周囲の敵対存在の有無のみを知らせる探知網が、私室全体を走査する。
だが――反応なし。
「【三重化・選別攻撃絶対防御(トリプレット・セレクティブ・アブソリュート・アタック・ガード)!選別対象――第一、物理。第二、魔法。第三、弱体化】!」
グラリ、と私室の空気が重くきしんだ。
次に受ける指定した種類の攻撃を一回だけ完全に無効化する絶対障壁。それを三重化(トリプレット・マジック)によって三重に重ね合わせ、想定しうる三種類の主だった奇襲を無効化するべく間髪容れずアインズの周囲に展開する。
幾重もの輝く幾何学模様の光膜が球状となって重なり合い、開戦時に用いられる典型的な先手防御陣形が完成した。
一秒にも満たないわずかな呼吸の間に、アインズ・ウール・ゴウンという最高峰の魔法詠唱者が解き放った探知と無効化障壁の重層網。
右手にはいつの間にか、黄金の輝きを放つ神器級アイテム『アインズ・ウール・ゴウンのスタッフ』が握りしめられていた。
――その直後。
三重の絶対障壁が覆う範囲の中―あらゆる探知と防衛網を張り巡らせた無の空間から、深く恐縮し切った声が響いた。
「――突然の不躾な訪問、どうかお許しください、アインズ様。……しかし、一瞬での探知、隠蔽剥がし、敵の検知、そして三重の無効化障壁の展開……。あまりに見事な未知への対処、その手際に深く感じ入るばかりにございます」
ゆらり、と私室の中央で空間が微妙に歪み、謎の気配が蠢く。
だが、姿はまだ見えない。敵対存在は検知されない。事実そこから感じるのは溢れんばかりの圧倒的な忠義と敬意、そして長年の歳月を感じさせるような深い静寂の気配だけだった。
「ご挨拶が遅れましたこと、平身低頭してお詫び申し上げます。……お手を煩わせるような真似をし、万死に値する無礼をお許しください……」
(な……なんだと!? ナザリックの警戒網も、私の私室の防御システムも完全に無視して割り込んできたというのに……敵ではないのか!? この溢れんばかりの忠誠心と敬意は一体……!?)
三重の障壁の向こう側で、アインズは動揺を押し殺しながら、黄金のスタッフを強く握りしめる。
ゆらゆらと揺らぐ空間の歪みは、気配を増しながら、ついに明確な「実体」を結び始めていた――。
(プロローグ 002話 終)
クリフハンガーーー!!!
私室でのやり取りの続きは数話先に持ち越して、次話は戦略協議に向けての階層守護者たちの会話から描きます。