オーバーロード17 支配の共鳴 清書版 作:地道にモモンガ
シーン:ナザリック地下大墳墓・第十階層『玉座の間』
かつて至高の四十一人と呼ばれた神々が集い、語らい、戯れたその空間は、いまやギルド『アインズ・ウール・ゴウン』が統御する世界の命運を決する「至高の合議場」へと変貌を遂げていた。
無数の巨大な柱が天井を支え、床一面に敷き詰められた黒曜石のごとき石材が、そこに佇む異形の最高幹部たちの存在感を不吉なまでに際立たせている。
定刻より遥かに早く、その広間に最初に姿を現していたのは、片眼鏡の奥に、研ぎ澄まされた知性を宿す男――階層守護者にして参謀、デミウルゴスであった。
細身のスーツに身を包んだ彼が佇む広間へ、次いで飛び込んできたのは、快活な足取りを見せるダークエルフの少女――第六階層守護者アウラ・ディエネ・フィオラである。そのすぐ後ろからは、対照的に縮こまった姿勢で歩を進める、線の細い双子の弟マーレ・ベロ・フィオーレが続いていた。
「あれ? 一番乗りのデミウルゴスだけ? 他の皆はまだ来てないんだ」
小首を傾げ、広大な空間を見渡すアウラのハキハキとした声が、静まり返った広間に涼やかに響く。
「ア、アルベドさん達はギリギリまでお話ししてるんだと思うよ……? お姉ちゃん」
マーレが巨大な杖(シャドウ・オブ・ヤグドラシル)を両手で抱え込み、姉の背に身を隠すようにしながら控えめに答えた。
「は? 今回の作戦の重要性、分かってんのかなあの二人は?……あー、お話ってそういうこと? 女同士の主導権争い? ホントめんどくさいなあ」
アウラは心底呆れたと言わんばかりに大袈裟に肩を竦めてみせる。ナザリックの業務や軍事行動において極めて有能なアルベドであるが、一度アインズへの執着や手柄が絡むと、途端に面倒な側面を覗かせることをアウラはよく知っていた。
「ふふふ、私は今回、直接の戦略立案からは部外者ですからねぇ。心ゆくまで、アインズ様の深謀遠慮とその雄姿を見守らせていただく所存ですよ」
柔らかな声音で応じたのは、ナザリックの執事長――セバス・チャンであった。老年の紳士という穏やかな外見の奥底に、ナザリック最高峰の近接戦闘能力を秘めた眼差しが、静かに空の玉座を見つめている。
「それで手を抜かれると困るんでありんすけど! なんせ今回は私の最大の汚点……! スレイン法国なんて綺麗さっぱりブチのめして、国ごと存在しなかった事にしてほしいでありんす!」
自らが過去に受けた「洗脳」という屈辱を思い出したのか、真祖シャルティア・ブラッドフォールンが、緋色の瞳を苛立ちに揺らしながら金切り声をあげた。
「ナザリックについた敗北の汚点を消し炭にし、大陸平定への確固たる足がかりにする……実に興味深く、一興ではあると思うのだがね。しかし流石に、これまで異種族共存を標榜する軍事強国として認知させてきた手前、見境のない殲滅は後々不都合を招きかねない。……もっとも、私とていくつか攻城・懐柔のプランは準備してきたのだがね。スレイン法国の最終的な脅威度の底が知れてしまっている以上、今回はアインズ様の無限の叡智に縋り、最高にして最上の成果を得たいじゃないか」
デミウルゴスは片眼鏡を指先で軽く押し上げ、愉悦に満ちた笑みを深めた。彼の口調には、これから始まる法国への「徹底的な教育」を心待ちにする、悪魔特有の残忍な熱が籠もっている。
「ワレワレハ……アインズサマノオノゾミドオリ協議シ……役目ヲ全ウスルノミ、カ」
巨大な昆虫の姿をした第五階層守護者コキュートスが、口元から白い冷気を吐き出しながら、低く重厚な声で呟いた。武人としての誇りを持つ彼にとっても、主であるアインズの意向こそが絶対であった。
「アインズ様はそこまで狭量な方ではございません。ただ、シャルティアが法国の攻略戦において前面に出るべきかどうか、私の浅知恵では判断しかねますが」
セバスの淡々とした一言に、シャルティアが即座に牙を剥いて食ってかかる。
「あぁん!? それはどういう意味で言ってるんでありんすか!? 私には理性も作戦遂行能力も無い、ただの戦闘と物資運搬の道具だとでも言いタイのでありんすかぁ!?」
「誰もそこまで言ってないでしょ、シャルティア。……遅くなってごめんなさいね」
広間の巨大な扉が開き、凛とした声とともに現れたのは守護者統括アルベドであった。豊満な肢体を漆黒の鎧に包み、そのすぐ後ろには、従順に付き従うもう一人の女性の姿――元王国の第三王女、ラナーの姿があった。
「そーだよ? シャルティア、誰もあんたの能力を疑ったりしてないって。我を忘れたら危なっかしいだなんて、これっぽっちも思ってないから。クアゴアを屈服させた時だって、ちゃんと頭使って行動できてたじゃない」
アウラが半ばあしらうようにニシシと笑った。
「ぼ、僕もそう思います。シャルティアさんが手に入れたフロストドラゴンのみなさんも、運搬や威圧にすごく便利ですし……」
「ぐぬぬっ……! 便利って、それで褒めてるつもりでありんすかマーレ!? アウラに至っては、完全に子供扱いしてあしらってる感じしかしないでありんす!!」
マーレの純朴な援護射撃すらも火に油となり、シャルティアがキーキーと地団駄を踏む。その喧噪を横目に、アルベドは冷徹な眼差しで一同を見渡した。
「デミウルゴス、アウラ、マーレ、コキュートス、セバスにプレアデス――これまでの法国周辺の警戒・諜報作戦に従事してきた主だった顔触れは揃っているわね。これより行われる戦略協議には、私に加えて今回から正式にナザリックへ参画するラナーを含めた、このメンバーで臨みます。法国は人間種の国家として周辺最強との見立てよ。魔導国としての政治的落とし所、そしてシャルティアへのけじめをつけさせるのは当然として、周辺国へ与える影響、さらには彼ら基準での『強者』や『権力者』の扱いも重要な課題となるわ。その点、デミウルゴスと私が転移当初から接触し、支援してきたこのラナー元王女の持つ知識と情報網は極めて有用でしょう」
アルベドの紹介を受け、その傍らに控えていたラナーが静かに一歩前へ出た。黄金の髪を揺らし、かつて一国の至宝と謳われた彼女の所作は、この異形の怪物たちが蠢く場にあってもなお、完璧な優雅さを保っていた。
「皆さま、新参者の身ではございますが、至高の主のために全霊を尽くしますわ。どうぞよろしくお願い致します」
深々と可憐に一礼するラナーの姿を、デミウルゴスは興味深そうに観察していた。
「クフフ……間接的とはいえ、アインズ様が自らその異能と精神性を見出された貴方の知謀、ナザリックにこそ相応しいとかねてより思っていましたよ。大いに期待させてもらいます」
「デミウルゴスト、アルベドガ……認メル知謀ノ主ナラバ、心強イ」
「ねー。変なヘッポコだったらどうしようかと思ってたけど、頭が良いなら歓迎だよ」
「よ、よろしくお願いします……」
守護者たちから投げかけられる言葉に、ラナーは一つ一つ丁寧に頭を下げて応える。表面上は温かい歓迎に見えつつも、その眼差しのすべてが自分という存在の「利用価値」と「危険度」を冷徹に品定めしていることを、ラナー自身が誰よりも正確に察知していた。
「もとより、我々と同じ絶対の主人を仰ぐ事となった以上、協力するのは当然の義務です。……ただ」
セバスが言葉を濁し、わずかに視線を伏せた。その意味を察したアルベドが、フッと薄く口元を緩める。
「ああ、セバス。貴方とも先の王国作戦で面識があるクライムという少年についてね。ラナーとしては、彼に自分の『裏の顔』を見せたくないそうなのよ。ねえ、ラナー?」
「ええ。クライムと共に王国から帰属した私どもの立場の危うさ、そして何より彼のあまりに純粋な性質を思えば……私がナザリックの内通者であったという事実は、決して知られるわけには参りませんの」
睫毛を伏せ、少し傷ついたような表情を作るラナー。その声には、完璧な演技とほんの少しの本心が入り混じっていた。
「くふふ、なるほど。ナザリックの新たな同志のために一肌脱ぎ、純朴な少年騎士の美しい夢を守ってあげようというわけだね」
デミウルゴスが片眼鏡の奥で愉悦の光を強め、面白がるように口を挟んだ。
「ソレハ……忠誠ヲ尽クシテキタ下僕ニ対シテノ不義理、デハナイノカ?」
コキュートスの実直極まりない武人としての疑問が投げかけられる。それに対し、ラナーは微かに苦笑を滲ませてみせた。
「いいえ……私の口から言えた義理ではありませんが、彼にとっては『何も知らぬまま真実の愛を信じている』ことこそが最大の幸福であり、成長にも繋がると愚考いたしますの」
「要するに、クライムに嫌われたくないから、アルベド級の腹黒だってことは当面黙っててほしいってことでしょ? 別に本人がそうしたいならそれで良いんじゃない? ねえコキュートス、勘違いしちゃダメだよ。ナザリックに仕えてるのはラナーであって、クライムはあくまで『ラナー付きの護衛』なんだから。どっちの都合が優先されるかくらい、分かるでしょ?」
アウラが実に単純明快なナザリック基準の優先順位を告げる。そのあまりに割り切った論理に、場の緊張がわずかに解けた。
「まあ、私とラナーのどちらがより狡猾かという議論は置いておくとして、概ねアウラの言う通りの認識を共有しておいて頂戴。セバス、貴方はクライムとの個人的な交流においても、王国の作戦時の偽装と矛盾しない立ち振る舞いを徹底しなさい。第九階層に自室を持つ以上、今後彼と顔を合わせる機会は避けられないでしょうからね。もっとも、ナザリックの正式な構成員とは言い切れないクライムを今後どう扱うかについては、後ほどアインズ様にご指示を仰ぐ必要がありますが……まあ、今のタイミングではないでしょうね」
アルベドの言葉には、ナザリック最高幹部としての絶対的な威厳があった。セバスは恭しく頭を垂れる。
「――かしこまりました。万全を期します」
「お手数をおかけして申し訳ありません、セバス様。クライムには、本当によくしてくださったのに……」
「いえ、これまでお互いに顔合わせを避けていたのは、私の優柔不断さによるもの。どうぞお気になさらないでください」
ラナーの殊更丁寧なお詫びに対し、セバスは穏やかに首を振った。その誠実な佇まいは、王国で活動していた頃と何ら変わらない。
「ふむ、ではこの件は方針確定ということで良いね? 我々は今後、より密に情報共有の場を設けるべきかもしれないね」
「確カニ」
「恐縮です」
「同感でありんす」
「う、うん」
デミウルゴスのまとめに、守護者たちがそれぞれの言葉で同意を示す。
「さあ……皆様、アインズ様がお見えになるわ」
アルベドが視線を玉座へと向けた瞬間、広間の雰囲気が一変した。
先ほどまでの私語や緩やかな緊張感は一瞬にして霧散し、代わって降り積もったのは、絶対者に対する狂信的なまでの敬虔さと、限界まで研ぎ澄まされた静寂であった。
――次の瞬間。
玉座の上に、黒と紫の空間の歪み――『黒色環(ブラックホール)』に似た転移エフェクトが揺らめいた。
その光の予兆を感じ取った刹那、誰からの号令もなく、広間にいたすべての守護者・従者たちが一斉に膝を折り、寸分の乱れもなく平伏した。私語を交わしていた者も、軽口を叩いていた者も、ただの一人も例外はない。それは強制された服従ではなく、彼らの魂の底から湧き上がる「至高の存在」への絶対の忠誠の証であった。
転移の光が収まった先――黄金と漆黒の玉座に座していたのは、ナザリック地下大墳墓の絶対的支配者、アインズ・ウール・ゴウンその人であった。
異形の骨の頭蓋、深淵のごとき漆黒の法衣。右手にはナザリックの象徴たる『アインズ・ウール・ゴウンのスタッフ』が握られている。
平伏する臣下たちの目には、その姿は「すべてを完全に見通し、冷徹に事態を支配する絶対者」としてしか映らない。
――だが、守護者たちは知る由もない。この協議直前までの2時間、アインズの私室において密かに行われていた『ある対話』の存在を。そして、至高の主がその事実を静かに胸の奥底へと秘め、何事もなかったかのようにこの場に臨んでいるということを。
「――頭を上げよ」
重低音の威厳に満ちたアインズの声が、広間に響き渡る。
これより始まるのは、スレイン法国という歴史ある大国を崩壊へ導くための、ナザリック総力を挙げた戦略協議。各々の胸に秘めた思惑と過剰な期待が交錯する中、守護者たちは至高の主が解き放つ「次の一手」を、固唾を呑んで待ち構えていた。