オーバーロード17 支配の共鳴 清書版 作:地道にモモンガ
プロローグ 004話 第一回・対スレイン法国評議〜戦略協議①〜
ナザリック地下大墳墓・第十階層――『玉座の間』。
世界の至高を象徴する壮麗なる空間には、重苦しいまでの静寂と、臣下たちの皮膚をチクチクと刺すような圧倒的な圧迫感が満ちていた。
天井を支える無数の巨大な柱が描く陰影と、黒曜石のごとき床に反射する淡い光。その荘厳なる空間の最深部、玉座へと続く大階段の前には、ナザリックの全軍勢を統御する最高幹部たちが居並んでいた。
守護者統括アルベドをはじめ、各階層を統べる階層守護者たち。さらには各部署の防衛や内政を司る領域守護者、そして献策を命じられたラナー。誰一人として微動だにせず、ただ眼前の絶対者――ナザリック地下大墳墓の頂点に君臨する魔導王アインズ・ウール・ゴウンへと、深い、狂信的な敬愛の視線を注いでいる。
臣下たちが見上げる高みに据えられた、ギルドの象徴たる『世界級アイテム(ワールドアイテム)』――『真の無(ウール・ゴウン)』たる玉座。
そこに深く腰掛けた異形の王は、漆黒の法衣の袖から覗く白い骨の指先を微かに動かした。眼窩の奥に灯る赤き鬼火が、眼下に控える臣下たちを一人一人慈しむように、そして品定めするように静かに一瞥する。
「――さて」
重々しく、そして広大なホール全体へ朗々と響き渡る低い声音が落ちた。
「簡略化した臣下の礼も、この場では不要としよう。……言うまでもなく、我々はエルフとダークエルフの部族集合体――あのコミュニティと、スレイン法国との軍事衝突に対し、 期せずして横殴り――いや、予期せぬ軍事介入を行う形となった。そして幸運にも、法国の最高戦力の一端たる『番外席次』から、極めて質の高い情報を得ることができたわけだ」
アインズはそこで一度言葉を区切り、ゆったりとした優雅な仕草で顎を撫でた。
骨の頭蓋に表情などあろうはずもない。しかし、その立ち振る舞い一つ一つから醸し出される絶対的な威厳に、階層守護者たちは息を潜め、一語一句を脳裏に刻み込もうと耳を傾けている。
「これまで我々は、この地に転移して以来、幾度となく蜂の巣を突いたように湧き出る目障りな蝿ども……言わば、我が魔導国にとっての『潜在的敵対国』であったスレイン法国、そして彼らが守護神と崇める六大神の存在と遺産を警戒し、慎重な対応を余儀なくされてきた」
(……ふぅ、「潜在的敵対国」か。政治用語を使おうとして少し言葉の組み合わせが怪しくなった気もするが……うん、まあ雰囲気は出ているはずだ! 誰も突っ込んでこないしな!……というか、直前の2時間の打ち合わせで色々詰め込んだばかりで頭がパンクしそうなのに、よく舌が回るもんだよ我ながら!)
ガランドウな眼窩の奥で、鈴木悟としての内心は冷や汗でダラダラであった。つい先ほど私室で生じた想定外の出来事をおくびにも出さず、一夜漬けで叩き込んだ帝王学と政治用語の知識を総動員して喋っている。ほんのわずかでもボロを出せば、目の前の超天才悪魔や執事長たちに見抜かれてしまうのではないか――そんな恐怖が、絶え間なく押し寄せていた。
だが、見つめるNPCたちの瞳に浮かんでいたのは、ただただ深遠なる感嘆と平伏の念のみであった。
「……しかしだ」
アインズは堂々たる声音で言葉を続ける。
「番外席次からの尋問で得られた情報を基に算出した法国の国家戦力……その暗部である『漆黒聖典』やその前任者ども、近隣で暗躍する人間種、果ては現存するやもしれぬ神都のプレイヤー、あるいはその従者を含めたところで、兵力の総数においても、個々の戦力水準においても、ナザリックの全戦力をもってすれば十分に対処可能な範囲であると判明した」
「……ならばアインズ様」
粛々と、そして凛とした声で口を開いたのは守護者統括アルベドであった。
傾国なる美貌に苛烈な酷薄さと殺気を滲ませ、黒翼を微かに震わせながら深々と頭を垂れる。
「その愚劣なる人間どもの国家など、即刻我がナザリックの圧倒的武力をもって蹂躙し、塵芥へと変えてしまうべきではございませんか? アインズ様の手を煩わせるまでもなく、私ども守護者が総出で赴けば、数日のうちにあの下等生物どもの領域を血の海へと変えてみせます」
「焦るな、アルベド」
アインズは抑揚を抑えた声で、緩やかに首を振った。
「戦力的に圧倒可能であるにも拘らず、即座に滅ぼすという選択を取らないのには、いくつかの明確な理由がある。……第一に、魔導国としての立場の継続だ。国家間の同盟以上の国際条約すら存在せぬこの野蛮な世界において、強者が弱者を力で捻じ伏せるのは容易い。しかし―― 急激に版図を拡大した強国が、たった一つの綻びから亀裂を生じさせ、やがて瓦解して周辺国から逆襲を喰らう……これは、どの世界の史実においても共通する真理だ」
アインズは一瞬、骨の指を一本すっと立ててみせた。
……支配者としての貫禄を意識した「演出」のポーズであったが、直後に強烈な気恥ずかしさが押し寄せてきた。
(うわっ、なんか格好つけて指立てちゃったよ! 恥ずかし! 30過ぎのオッサンがやるポーズじゃないだろこれ!)
胸中で情けない悲鳴をあげる鈴木悟。直後、膨れ上がった精神的動揺を感知したアンデッド特有の感情抑制能力が作動し、青白い冷気の光とともに強制的に感情が鎮静化される。一瞬で冷徹な思考を取り戻したアインズは、完璧な鉄面皮(骨だが)を維持したまま言葉を繋いだ。
「不死不老の絶対者が中枢に立ち、数多の種族を導き守る国―― それこそが我が魔導国の掲げる国是である。。ならば周辺の弱小国の併呑であれ蹂躙であれ、世界に対して示すべき『正当なお題目』が必要不可欠となる。外堀を埋め、法国を大陸規模で孤立させた上で、我々の意思を押し通す。そのための外交と妥当なお題目の作成……これこそが、作戦の第一段階(フェーズ1)だ」
「――おお」
最前列にいたデミウルゴスが、片眼鏡の奥の細目を怪しい歓喜の光で揺らめかせ、深く深く頷いた。
アインズが事前に予習し、組み上げた論理展開に対し、ナザリック最高峰の知恵者たる悪魔すらも心底からの感嘆の吐息を漏らしているように見えた。
「そして、第二の理由」
アインズは二本目の指を立てた。内心の照れくささを押し殺しながら、堂々たる態度で告げる。
「周辺国の大半から理解と賛意を得たとしても、なぜ焦燥に駆られて滅ぼす必要がないのか。……これは王国や帝国に対して行った策謀とも共通するが、『法国を無力化したその先』を見据えてのことだ。……ナザリックが誇る至高の知恵者たるアルベド、デミウルゴス。そして二人に比肩する『類稀なる精神と知恵を兼ね備えた、人間種最高峰の頭脳を持つ少女』――ラナー。この三名がどれほど優れていようとも、予期せぬ事態というものは常に発生し得る」
その言葉を受けた瞬間、アルベドとデミウルゴス、そして後方に控えていたラナーの肩が微かに揺れた。至高の主から直接名指しでその頭脳を評価されたことへの無上の歓喜と、同時に引き締まる緊張感が場を支配する。
「大陸の情報を網羅しようとも、聖王国のネイア・バラハのように、我々の介入によって突如として重要なキーマンへと変貌する者も現れる。心情、行動、動機、事態の推移……それらが織り成す因果の全てを完全に予測することは不可能なのだ。……それを証明したのが、あの王国の件だ」
アインズの頭蓋の奥で、かつてナザリックの緻密にして完璧な作戦計画を「完璧にぶち壊した」あの男――フィリップ・ディドロン・ヴェネリスの愚行が鮮明に蘇る。
「……そう、アルベドが耐え忍び、手元で転がしていたはずの、稀代の馬鹿貴族の行いだ。同格以上の知恵者の思考が読めないのと同様に、常軌を逸した幼児性と短絡的で傲慢な愚者が、分不相応な欲望に突き動かされて巻き込み自殺志願者と化す……そのような不確定要素など、この場の誰もが予測できん。私とて、あのレベルの愚者が実在するなど、事が起きてからようやく想像できた程度だ。未だに信じ難いほどにな」
思い出すだけでも胃がキリキリと痛む(胃は存在しないが)苦い記憶を払いのけるように、アインズは骨の手を払う動作をした。
「故に、殺すのも滅ぼすのもいつでも出来るのであれば……『ナザリックの面々は慈悲深い異形種の集まりであり、他種族を排斥して人間種だけで結束してきたスレイン法国の数百年の統治に勝る、平穏と恵みをもたらす救いの手こそが魔導国である』と、大陸のあまねく生者に示しておく方が後々都合が良い。国交のなかった法国に対し、彼らの教えの誤りと矛盾を突き、法国の統治体制そのものに疑念を抱かせる。最終的に六大神信仰を形骸化させ、ただの『人間種の住まう一地域』へと解体する。……この外交的・政治的介入こそが第二段階(フェーズ2)だ」
アインズは三本目の指を立てた。もはやポーズに対する気恥ずかしさは消え去り、語るべき内容の重みと帝王としての威厳が、その場の空気を完全に支配していた。
「そして第三の理由。……これは言うまでもないことだが、我々のかけがえのない身内であるシャルティアに対し、あのような汚虐を働いたことへの落とし前だ。これは私の個人的な感情……鬱憤晴らしと言ってもいい。我々がこの地に確固たる生存圏を築いた以上、大いにこの『ギルド戦』を愉しもうではないか」
「アインズ様……っ!!」
最前列に跪いていたシャルティアが、胸の前で繊細な両手を強く握り締め、その緋色の瞳からボロボロと大きな涙粒をこぼした。
至高の主が、自分という一個人の受けた辱めのためにそこまでの深い怒りと情熱を抱いてくれている―― その絶対的な慈愛の深さに、胸を打たれない臣下など存在するはずがなかった。
「そして――」
アインズはそこで一度言葉を切り、立てていた三本の指をゆっくりと下ろした。
そして、どこか気恥ずかしそうに、あるいは申し訳なさそうに、存在しない鼻の頭あたりを骨の指先でポリポリと掻くような素振りを見せる。
「――長々と戦略の枠組みを語ってきたが、スレイン法国へ仕掛ける『転移後初の祭り』を前に、私は一つ、皆に謝罪しなければならないことがある」
重々しい空気の中に、突如として投げかけられた「謝罪」という二文字。
守護者たちの間に、サッと目に見えるほどの緊張が走った。
至高の存在、絶対なる神のごとき魔導王アインズ・ウール・ゴウンが、何ゆえに臣下に対して謝罪などなさるのか。誰もが呼吸を忘れ、主の次の言葉を待ち構える。
ガランドウな眼窩をどこか遠くへ向けながらついに。自らのしでかした「うっかり」を白状すべく。魔導王は、その重い口を開く。