オーバーロード17 支配の共鳴 清書版   作:地道にモモンガ

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プロローグ005話:対スレイン法国戦略協議② 〜最後のピース〜

 

 ナザリック地下大墳墓・第十階層――『玉座の間』。

 世界の至高を象徴する黒耀石の大列柱と、天井に輝く星々の煌めきが織りなす壮麗なる空間には、重々しい沈黙と、息を吐くことすら憚られるほどの過酷な緊迫感が満ちていた。

 先ほどアインズが提示した、スレイン法国に対する極めて冷徹かつ多角的な三段階の戦略構想。その圧倒的な先見性と深遠なる配慮に臣下たちが感涙と平伏を捧げる中、魔導王アインズ・ウール・ゴウンは、空虚な眼窩の奥に宿る赤き鬼火を静かに揺らめかせた。

「――さて、本題たる対スレイン法国戦略フェーズ1の具体的詳細へと入る前に……皆に一つ、問いたいことがある」

 アインズの深みのある低音が、広大なホール全体へ朗々と響き渡る。

 その言葉の端々に含まれた重々しい「問い」のニュアンスを、至高の主から与えられた試練として敏感に察知し、伏していた守護者たちが一斉に背筋を伸ばした。両脇に居並ぶ守護者たちの間に、ピンと張り詰めた緊張の糸がさらに一層の硬度を増して張り巡らされる。

「皆は、かつて至高の四十一人のお一人であった『ムゾー』さんのことを……どれほど覚えているかな?」

 一瞬の静寂が訪れた。

守護者たちは一斉に互いの顔を見合わせ、思考の海へと深く潜っていく。至高の御方々の記憶を手繰り寄せること――それは彼らにとって何よりも尊く、同時に一片の曖昧さも許されない神聖な行為であった。アインズは静かに言葉を繋いだ。

「我がギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に三十八番目に加入し、ギルド全盛期の大墳墓への大侵攻……あの伝説的な三千人の討伐隊を迎撃した折には、まだレベル上げの最中であり、あの防衛戦には不参加であった……『有象武将(うぞうぶしょう)』さんのことだ」

 真っ先に口を開いたのは、最前列に深く膝を突く真祖の少女であった。

「……ペロロンチーノ様と、出撃前に私の前で何かをお話しされていた記憶しかありんせん……」

 シャルティアは繊細な指先を顎にあて、緋色の瞳を明後日の方向へと向けながら首を傾げた。

「確か、真祖たる吸血鬼のビルドや育成に関するご相談をなされていたような気が……。あれ? それ以外では、お見かけしたことすら数度だったような……」

 アインズは静かに頷き、他の臣下たちへと視線を巡らせた。

「皆も……それくらいの印象か?」

「恐れながら、アインズ様」

 守護者たちの背後から、静謐な声で応じたのは執事長セバス・チャンであった。その仕立ての良い執事服の胸に整然とした所作で手を当て、深く頭を垂れる。

「私が執事長として大墳墓にて皆様にお仕えしていた際にも、ほとんどお見かけした覚えがございません。いつもすぐに出撃されていた……あるいは探索へと赴かれていた…… そのような姿しか記憶になく、誠に申し訳ございません」

 アインズは無言のまま、玉座の傍らに飾られた一枚の旗へとゆっくり視線を遣った。

 そこに刺繍されているのは、かつての仲間――プレイヤー『有象武将』のロゴが記された深紅の紋章旗である。空虚な眼窩でそれを見つめる異形の王の佇まいには、どこか哀愁に似た色が滲んでいた。

(……まあ、無理もない。ムゾーさんはログイン時間も不定期だったし、何よりプレイスタイルが独特すぎたからな。生産職や特殊ビルドの検証、世界のフレーバーテキストの解析なんかに没頭していて、NPCたちと直接深く接する機会はほとんどなかった)

 しかし、アインズ――鈴木悟の胸を刺したのは、自身に対する痛烈な自責の念であった。

(だが……かつての仲間たちとの思い出や存在を何より大切に思っていたはずの私自身が、有象武将さんの存在を……一時的とはいえ、頭の隅へ追いやってしまっていた。この世界に転移し、ナザリックの維持と警戒、魔導国の運営に追われていたとはいえ……情けない。実に不甲斐ないことだ)

 アインズは小さく息を吐く素振りを見せると、重々しく言葉を繋いだ。

 

「……滅多に姿を見せなかった彼を、皆がよく覚えていないのも無理はない。……だが、他でもない私自身が、彼のことを失念しかけていた。実に不甲斐なく思う。許してほしい。……ラナーには少々退屈な話かもしれないが、王として……そして不完全ながらも長くナザリックを束ねてきた者として、けじめをつけておきたい。どうか聞いていてくれ」

 

  その吐露は、アインズ(鈴木悟)にとって、小さくない意味を持つものだった。去っていった仲間たちの記憶を、決して忘れたくはない。彼らが残したものを、なかったことにもしたくない。

 だが、その記憶を守ることと、今ここにいる者たちと未来を築くことは、決して相反するものではないはずだった。有象武将が残した存在と向き合うことで、アインズは改めて、そのことを意識し始めていた。

 過去を忘れるのではない。 過去を胸に抱いたまま、今を生きていく。

 その覚悟が完成したわけではない。それでも――彼が前へ進むための、小さな一歩ではあった。

 

「――さて」

 アインズは胸中の感傷を押し殺し、再び絶対者としての凄絶な威厳を纏って場を切り替えた。

「ならば皆、一層面識がないのも道理だ。……有象武将さんがナザリックに遺した、とっておきの『置き土産』たる創造物……私にとってのパンドラズ・アクターに相当する存在もまた、当然のごとくナザリックに存在していたのだ。その者が先程、転移後初めて私の前に姿を現した」

「な……!?」

 玉座の間の空気に、凄まじい激震が走った。

 至高の四十一人による、未だ見ぬ新たな創造物の存在。アルベドの瞳が大きく見開かれ、デミウルゴスの片眼鏡の奥で知的な光が激しく明滅する。他の守護者たちも興奮と驚愕を隠しきれず、身を乗り出すような姿勢を見せた。

 アインズはゆったりと、玉座の左傍らへと骨の手を差し伸べた。

「そして、その者は……皆がこの玉座の間へ参集する前から、すでにここにいる」

「……っ!?」

 守護者たちの視線が一斉にアインズの手の示す方向へと集中する。しかし、そこにはただ虚空と壮麗な柱の影が存在するのみであった。

「かつての世界『ユグドラシル』の理(システム)の根幹と深く結びつき、この地へ転移したことで更なる変質を遂げた……私の知り得る限り、世界唯一の種族――【英魂群霊集積体】の主人格(メインキャラクター)。『レスタト=T・ゲバー=エアハーヴン』だ」

 アインズの言葉が終わると同時に、玉座の左傍らの空間が、水面に投じられた波紋のごとく不気味に揺らめき、歪んだ。

 淡い黄緑色をはじめとする、幽幻なる霊魂のオーラが幾重にも交錯し、収束していく。それは物理的な質量を持つ肉体というよりは、幾千の意思と記憶が凝縮した高密度の霊子体の輝きであった。やがてそこに完全なる実体を結んだのは――托鉢を手に持ち、エルダーエルフの老修験者のごとき装束を纏った、威厳と枯淡の気を漂わせる英霊体であった。

「――レスタト=T・ゲバー=エアハーヴン。こうして至高の御前に参じ得ましたこと、至極の喜びにございます」

 老人は深々と腰を折り、朗らかな、しかし底知れぬ深みを持つ声で口を開いた。その声は空間を揺らす音波であると同時に、聴く者の精神に直接語りかけるような不可思議な響きを帯びている。

「ユグドラシルにおきましての某(それがし)の能といえば、世界とリンクし、ナザリック地下大墳墓の皆様の偉大な活躍を記録すること……。そして新たなる至高の御方の降臨後のサポート、あるいはお隠れになった御方が再び活動できるよう世界の記録を蓄積し、ギルドのバックアップを担うことにございました。総レベル95のサポーター兼エレメンタリーエンチャンター……それが当時の某の姿に過ぎませぬ」

 老エルフ――レスタトは、豊かな白い髭を愛おしそうに撫でながら、守護者たちへ向けて慈愛と観察の入り混じった静かな眼光を注いだ。

「……されど、この異世界への転移を経て、我がナザリックの威光が界隈の者に認知され、領土を得るにつれ、某の権能も徐々に取り戻せてまいりましてな。転移の際、新たなる世界の理に適応するべく果たされた進化……すなわち『英霊体の集積と群体化』。自らの支配下において複数の英霊を霊体化させ、各々に人格と能力を持たせて自立行動させ得るか……その最大同時顕現数や活動可能範囲の検証を重ねてまいりました。そして本日、主上ならびにお仕えする皆様のお役に立ち得る目途が立ったと判断し……先ほど、主上の自室にてご挨拶に伺った次第にございます」

「あ、アインズ様の自室に勝手に忍び込んで顕現しただとおおおおっ!?」

 突如として激昂の咆哮をあげたのはアルベドであった。

 至高の主の私室という絶対の聖域、何者にも侵されてはならない神聖なる領域に足を踏み入れられたという事実に、傾国の美貌を凄絶な怒りに歪め、真紅の瞳を血走らせながら凄まじい殺気を解き放つ。背の黒翼が激しく羽ばたき、今にもレスタトを粉砕せんと立ち上がろうとした。

「落ち着け、アルベド」

 アインズの静かな、しかし絶対の制止を込めた一言が、炸裂寸前だったアルベドの頭を強力に冷やした。

「レスタト翁の行動は、自身の隠密能力の証明でもあるのだ。《第九位階魔法: 完璧なる不可知化(パーフェクト・アンノウナブル)》すら凌駕する圧倒的な隠密性……。『魂のまま別の位相に存在する意志ある霊子』として、既存の看破能力では捉えられなかったのだからな。レスタト翁なりの挨拶であり、プレゼンテーションだ。目くじらを立てるほどのことではない」

「アインズ様が不問に付すと仰られる以上、私たちが口を挟む筋合いはないようだね、アルベド。落ち着き給え」

 デミウルゴスが指先でメガネの位置を軽く正しながら、興味深そうにレスタトを見つめた。その知的な瞳には、新たな怪異に対する純粋な探求心が宿っている。

「……それで、アインズ様。そのレスタト『翁』とお呼びになられる理由は?」

「うむ」

 アインズは重々しく頷いた。

「この者は誰よりも先の世界(ユグドラシル)の理に精通し、エルダーエルフとしても永き時を生きた設定を持つ。そして無数の霊魂の記憶と能力を集積した……転移の前と後、双方の世界を最も深く知る者だ。そのように望まれて創造された稀代の年長者、先達に対して敬意を払うのは当然のこと。……これに伴い、ナザリック内および魔導国におけるレスタト翁の役職を『相談役』と定める」

 アインズの明確な宣言に、守護者たちは一斉に深く身を乗り出し、息を呑んで耳を傾けた。

「私に対してであれ、皆に対してであれ、自由に意見を述べる権利を与える。その能力が及ぶ範囲において、皆の助けとなり、良き相談相手となってほしい。……イメージとしては、バハルス帝国におけるフールーダ・パラダインの立場が最も近いな。あまねく世界に対し『アインズ・ウール・ゴウン魔導国の影には、アインズに助言を与え、導く絶対的な智者が存在する』と思わせるのも、外交上の面白い布石となるだろう。……何より、有象武将さんが私に託してくれた存在でもあるからな」

 アインズはふっと肩の力を抜くと、どこか晴れやかな、それでいて自嘲気味な笑みを声に混ぜた。

「……と、ここまでがレスタト翁と共にあらかじめ摺り合わせておいたシナリオだ。本来の私は、このように長々と大演説を打ち、諸国の情勢やら思惑やら、小難しい政治的駆け引きを完璧にこなせるような器ではない。ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』をなんとかまとめ維持し……それでも結局は仲間に去られてしまった、哀れな一介のマジックキャスターに過ぎんのだからな」

「「「「そのようなこと、滅相もございません!!!!」」」」

 『玉座の間』に居並ぶすべての臣下たちが、雷撃でも受けたかのように一斉に叫び、打ち揃って床へと額を擦り付けた。至高の主が自らを不当に貶めることなど、配下たちにとっては身を裂かれるような痛憤であり、万死に値する不忠に感じられたのだ。

(うおっ!? 相変わらずみんなのリアクションが大きすぎる……! まあ、いつものことか)

 アインズは心の中で滝のような冷汗を拭いつつ、表面上はどこまでも冷徹に、絶対者の威厳を保ったままゆるりと骨の手を挙げた。

「――では、協議を再開するとしよう。作戦フェーズ1の具体的詳細から詰めていくぞ」

 国家と国家、あるいはギルドとギルドによる壮大な盤上遊戯。

 頼もしい仲間たちと、新たなる「最後のピース」たるレスタト翁を迎え、ナザリックの戦略協議は再び動き始めた。その議論の先に待つのは、スレイン法国の運命を左右する、さらなる策謀であった。

 

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