リビングにあるテレビのスピーカーから響くのは、派手な打撃音とキャラクターのKOボイス。
そして、すぐ近くから聞こえてくるのは、この世の終わりでも迎えたかのような情けない声だった。
「──あーっ!もう、また負けたっ!なんで今の当たるの!」
我が家のソファに寝転がるようにして座っていた柚宇が、クッションに顔を埋めてバタバタと足をジタバタさせている。
バタバタしてる足が僕に当たって痛い。
対戦格闘ゲーム。画面の端には『WINNER』の文字と、僕が操作するキャラクターの勝利ポーズが映されている。
これで今日の対戦成績は僕の20戦全勝。対人ゲームは簡単で楽に勝てるなぁ。
「なんでって、柚宇の起き上がったタイミングで技を出してるからに決まってるでしょ」
「絶対にガードの方が早かったもん」
「はいはい。早かった早かった」
僕の反応に、柚宇はむうっと頬を膨らませた。
そもそも、僕と柚宇でアクション性の高いゲームをして勝負になるはずがない。それを分かってるのに、僕をゲームに誘う柚宇は優しいと言うべきなのか変わっていると言うべきなのか。
「もう一回!次こそ絶対に勝つ!」
「はいはい。負け犬の遠吠えは聞き飽きたよ。次で21連敗目だね。先に言い訳を考えときなよ」
僕がそう告げて再戦のボタンを押そうとした、その時だった。
「──っ!」
不意に、背後から首元に柔らかな腕が回された。
フロアチェアに座っていた僕の背中に、ソファから身を乗り出した柚宇がのしかかってきたのだ。そのままギリギリと首を絞め上げてくる。
「冬のバカ!女の子にはもっと優しくしないとダメなんだよ!」
「ちょっ......柚宇、苦し......」
「反省するまで離さないもん!私のメンタルが回復するまで、このまま絞め続けるからね!」
冗談めかしてはいるが、ゲームに関しては相当の負けず嫌いの柚宇はわりと本気で体重をかけてきている。
首絞め自体は正直そこまで苦しくはない。問題は、僕の背中側で発生している。
首に回された腕の柔らかさ。僕の後頭部から背中にかけて、不自然なほどの柔らかさと質量を持った『何か』が押し当てられているのだ。
柚宇は昔から発育が良かったが、高校生になってからはさらに拍車がかかっている。
本人はゆったりとした服を好んで着ているせいで目立たないことが多いが、こうして密着されると嫌でもその存在を意識させられる。
......無防備すぎるだろ。
警戒心が欠如しているにも程がある。
幼なじみとはいえ、僕も一応は健全な男子なんだ。背中に当たる柔らかい感触と、柚宇の髪から漂ってくる甘いシャンプーの香りを全く意識するな、なんて無理な話だ。
「......分かった、分かったから。言いすぎた。酷いことを言ったような気は全くしないけど、とりあえず僕が悪かった」
「ほんと?ちゃんとわかった?」
「もう、間違いなく理解した。だから、まずは離れて」
「怪しいけど.....冬のこと信じてあげるね?」
ぱっと身を離し、柚宇は自分の定位置に戻っていった。背中から熱と柔らかさが消え、僕はこっそりと安堵の息を吐き出す。
冷静さを装うのにも限界がある。さて、いい感じに接待して負けてあげないと。
ゲーム画面が切り替わり、21戦目がスタートした。
僕は小さく息を吸い込み、思考を切り替える。本気でやるより、相手に気づかれないように手加減する方がよほど神経を使う。
開始の合図と共に、柚宇のキャラクターが突進技で突っ込んでくる。
......見えすぎるのも考えものだな。
僕の目には、その突進技の軌道が丸見えだ。普段ならギリギリでガードして反撃のコンボを決める場面なんだけど....
今回は接待プレイ。僕はわざと反応を半拍遅らせ、ガードのボタンを押さずに攻撃を食らってみせた。
「あ、当たった!いけいけー!」
柚宇が楽しそうに声を上げる。そのまま柚宇はコンボを繋げてきた。僕はそれに付き合い、適切なタイミングで受け身を取りつつ、わざと隙の大きい技を空振りして見せる。
「もらったー!」
柚宇の反撃がクリーンヒットし、僕のキャラクターの体力がごっそりと削られる。
いい調子だ。あくまでお互いが本気でやった上で柚宇が勝ったという絵面を作らなければならない。
僕は適度に反撃を交えつつ、タイミングを見て柚宇の技に当たりに行くという接待を続けた。
体力ゲージの調整は完璧だ。最後は互いにミリ残りの状態を作り出し、最後は柚宇の弱攻撃で勝負は決着した。
画面に大きく『K.O.』の文字が浮かび上がり、柚宇のキャラクターが勝利のポーズを決める。
「ふう......負けたよ、柚宇の勝ちだ」
僕はコントローラーを置き、やれやれといった様子で肩をすくめてみせる。
これで柚宇の機嫌も直り、平穏な時間が戻ってくるはずだ。
「やったー!勝ったー!」
柚宇は両手を上げてバンザイの姿勢を取り、満面の笑みを浮かべていた。だが、その喜びも束の間。
画面に表示されたリザルト画面をじっと見つめていた柚宇の表情が、スッと不満そうな表情に戻った。
「......ねえ、冬」
声のトーンが一段階下がっている。嫌な予感がする。
「なに?」
「さっきの試合、冬、わざと隙の大きい技ばっかり振ってたよね。それに、私の大振りな攻撃を全然ガードしなかった。いつもなら絶対に対空で落としてくるジャンプ攻撃も、全部わざと食らってたよね」
「気のせいじゃない?僕だって人間だし、ミスくらいするよ」
「嘘だ。冬のサイドエフェクトなら、あんな見え透いた攻撃を見逃すはずないもん。体力ゲージの減り方も、最後にあえてミリ残しにして接戦を演出したんでしょ......つまり、接待プレイだったってことだよね」
.....バレてる。
ボーダーのオペレーターとしての分析能力を、こんなところで発揮しないでほしい。
「女の子には優しくしろって言ったのは柚宇だよね?」
僕が開き直ってそう言うと、柚宇の頬がこれ以上ないほどに膨らんだ。
「負け続けるの嫌だけど、あからさまな手加減で勝たせてもらうのはもっと腹が立つんだよ!」
「理不尽すぎるだろ......」
「うるさーい!罰として、もう一回首絞めの刑!」
「ちょっ、おまっ......!」
再び、背後からのしかかられる。
今度はさっきよりも勢いがついており、より体全体が密着している。
ギリギリと首元が絞め上げられる。そして同時に、先ほど以上の質量と柔らかさが背中から後頭部にかけて押し付けられた。
「離せ、バカ!苦しいって......!」
「あ、バカって言った!冬がバカって言った!絶対離さないから!次はちゃんと本気でやって!」
「本気でやったら、柚宇が僕に勝てるわけないでしょ.....!」
全体重をかけて首を絞め続ける柚宇。リビングには、格闘ゲームのBGMをかき消すほどの騒がしい言い争いが響き渡った。
背中に押し付けられる柔らかさに内心で冷や汗を流しながらも、僕は抗議の声を上げ続ける。
「あーもう分かった!分かったから離れろ!手加減はしないから!ちゃんと本気でやるから!」
「本当?じゃあ、もし次もバレるような手加減したら、冬が隠してる有名店のお菓子私が食べるからね?」
「それは絶対に阻止する.....」
首への拘束が解かれ、柚宇が再びソファに転がる。僕は乱れた襟元を正しながら、深々とため息をついた。
個人ランク戦で完全勝利するよりも、この幼なじみの機嫌を損ねずに接待プレイをこなす方が、よほど難易度が高い。
画面の中でキャラクターが再び向かい合う。僕はコントローラーを握り直し、終わりの見えない22戦目に挑む。
買ったら首を絞められ、負けても首を絞められる。これはなんて言うクソゲーだろうか。
.....まあ、トータルでいえばプラスな気はするけど。
結局、22戦目は僕が本気を出して完膚なきまでに叩きのめすという形で幕を閉じた。
接待プレイをすれば怒られ、手加減なしでボコボコにすれば不満げに頬を膨らませる。
理不尽の極みだけど、まあ、柚宇だから仕方ない。
「......あーあ、負けちゃった。冬、容赦なさすぎ」
コントローラーを軽く放り投げ、柚宇はソファの上で大の字に寝転がった。
「本気でやれって言ったのはそっちでしょ。それに、格闘ゲームで僕に勝とうとするのがそもそも間違ってる」
「むー......でも、たまには勝たせてくれてもいいじゃん」
「それをやったらさっきみたいに怒るくせに」
僕が呆れたように言うと、柚宇はえへへと誤魔化すように笑った。
ゲーム画面には、勝利した僕のキャラクターが映されてる。これ以上やっても結果は同じだろう。
僕はゲーム機の電源を落とし、テレビの入力を切り替えた。
時刻はちょうどお昼時。休日の昼下がりらしい、穏やかな日差しがリビングに差し込んでいた。
今日は土曜日。本来ならボーダー本部に出向き、ランク戦や訓練に精を出すべき日なのかもしれない。
だが、僕は今日、本部へ行くつもりは微塵もなかった。
理由は単純明快だ。僕の相手になる人間が、今のボーダーには見当たらないからだ。
B級に昇格したばかりの僕は、それから1週間は本部に通いつめた。B級隊員だけではなく、一部のA級隊員たちにも個人ランク戦を挑んだ。
結果は僕の全勝。それも、僅差の勝利ではなく、手も足も出させないほどの圧勝だった。
『超動体視力』のサイドエフェクトと、それによって培われた反応速度、そして元々持ち合わせていた天性の身体能力。トリガーを操る技術。
僕の才能の前に、A級の精鋭たちでさえ為す術なく沈んでいった。
もちろん、A級の隊員全員と戦ったわけではない。まだ戦っていない相手の方が多い。
けれど、少なくとも個人ランク戦のブースにたむろしている有象無象や、A級隊員たちと戦っても、得られるものは何もなかった。
僕と競い合えるような相手はいなかった。わかりやすく言うなら、これ以上期待するのはやめた。
僕と対等に競い合える友人は出来なかったけど、熊谷や那須のような普通の友人を作ることが出来た。それで良しとしようじゃないか。
「──お腹空いたなぁ」
ソファでゴロゴロと転がっていた柚宇が、ふいにそんなことを呟いた。
「家に帰れば?」
きっと、柚宇のお母さんが用意してくれてると思うけど。
「お母さんは今日出かけてるから夜までいないよ〜。んー、冬が作ってくれるならなんでもいいよ。私、お客さんだし」
「我が物顔で人の家のソファを占領しておいて、よくお客さんなんて言えるね」
一言もなにか作ろうか?なんて聞いてないんだけど。
溜息をつきながら立ち上がると、柚宇はへらへらと笑いながら僕の後に続いてキッチンへとやってきた。
冷蔵庫を開けると、食材がいくつか目に入った。卵にベーコン、玉ねぎ。あー、そういえば、パスタの麺が余ってた気がする。
「カルボナーラでいい?」
「いいよ!冬の作るご飯好きなんだよね〜」
「はいはい。じゃあ、玉ねぎの皮むいて薄切りにして。それくらいはできるでしょ」
「えー、私はお客さんだよ?」
「......まあいいや。それなら、お湯沸かして。そのくらいはやってよ」
「りょ〜かいっ!」
嬉々として鍋に水を入れ、コンロの火をつける柚宇。玉ねぎの皮を剥いてから切りながら、僕は苦笑を漏らした。
こんなお客さんがどこにいるんだろうか。侵略者の間違いだろ。
ベーコンを切って、フライパンにオリーブオイルを引いて火にかける。ニンニクの香りを引き出してから、ベーコンと玉ねぎをじっくりと炒めていく。
「ねえねえ、冬」
お湯が沸くのを待っていると、柚宇が話しかけてきた。
「なに?」
「今日、ボーダー行かなくてよかったの?土曜日なんだから、ランク戦いっぱいできるのに」
「ああ、行っても無駄だからね。僕の相手になる奴なんて、ボーダーにはいなかった」
ボウルに卵と粉チーズ、粗挽きの黒胡椒を入れて混ぜ合わせながら、僕は答える。
「えー、大きく出たね。A級隊員に勝ったからって調子に乗ってると、痛い目見るよ?王子隊全員とやったんだよね?」
「他のA級とも何人かやったよ。それと、僕が調子に乗ってるわけじゃない。事実を言ってるだけ。期待以下のレベルだった。あんなのと戦うために時間を使うくらいなら、家で柚宇の接待プレイをしてる方がまだマシ」
A級と言うだけあって、頭を使って工夫して戦ってるのもわかったし、悪くはなかった。
でも、そういった小手先の技術で根本的な実力差を覆すことはできない。だから僕が勝った。それだけの話だ。
「それ、褒め言葉として受け取っていいのかな?」
「さあ?」
沸騰したお湯に塩を加え、パスタを投入する。タイマーをセットし、再びフライパンに向き直った。
炒めた具材のフライパンにパスタの茹で汁を少し加え、ソースを乳化させる。このひと手間が、カルボナーラの仕上がりを左右する。
「まあ、冬が強いのは知ってるけどさ。でも、ボーダーにはまだまだ強い人、いっぱいいるよ」
「それはわかってる。でも、無駄に期待するのに疲れた。僕は、僕と対等以上に戦える相手とだけやりたい」
茹で上がったパスタをフライパンに移し、ソースと素早く絡める。火から下ろし、先ほど作っておいた卵液を加えて手早くかき混ぜる。
予熱だけで卵に火を通し、とろりとしたクリーム状に仕上げていく。
「はい、できた。お皿運んで」
「わーい!おいしそう!」
柚宇が嬉しそうにパスタの皿を受け取り、テーブルへと運んでいく。僕もフォークと飲み物を持って後を追った。
「「いただきます」」
柚宇は早速フォークにパスタを巻き付け、大きな口を開けて頬張った。
「んんっ!おいしい!やっぱり冬の料理は最高だね〜」
目を輝かせて喜ぶ柚宇を見て、僕は小さく息を吐いた。
「大げさな。ただのカルボナーラだよ」
「違うよ、冬が作るからおいしいんだよ。私、毎日これでもいいくらい」
「僕が嫌だ」
呆れつつも、僕も自分のパスタを口に運んだ。んー、チーズの風味とベーコンの塩気が絶妙に絡み合い、悪くない出来栄えだ。
「あー、お腹いっぱい。美味しかった〜」
皿を空にした柚宇が、満足げにお腹をさすりながら大きな欠伸をした。
「食べ終わったなら、片付け手伝って」
「えー?私、お客さんなんだけどな〜......そうだ!冬、お皿洗うの、じゃんけんで決めない?」
「さっきお湯を沸かしただけで手伝った気になってるかもしれないけど、ほとんど何もしてないに等しいからね?まあ、じゃんけんをしたって僕が勝からいいけど」
「やってみなきゃわかんないじゃん!最初はグー、じゃんけん......」
強引に勝負を仕掛けてくる柚宇を前に、僕はため息をつきながらも、右手を握り込んだ。
僕の『超動体視力』は、柚宇の手の動きから、何を出すのかが丸わかりだ。柚宇が出すのは『チョキ』だ。
だから僕は、わずかにタイミングをずらし、わざと『パー』を出した。
「あ、勝った!!」
無邪気に喜ぶ柚宇を見ながら、僕は立ち上がって二つの空の皿を重ねた。
「はいはい、僕の負け。柚宇はソファで大人しくしてて」
「やったー!冬、ありがと〜!」
小走りでリビングへと戻っていく柚宇の背中を見送りながら、僕はシンクに皿を置いた。
まあ、お客さんだからね。少しくらい優しくしてあげるよ。
スポンジの泡を洗い流し、綺麗になった皿を水切りかごに伏せる。
リビングからは、再び格闘ゲームの起動音が聞こえてきた。どうやら柚宇は、まだ僕にリベンジする気らしい。
「冬ー!早く早く!次こそ絶対に勝つんだから!」
「今行くよ。23連敗目への言い訳は考えてあるんだろうね」
濡れた手をタオルで拭き、僕は小さな笑みを浮かべた。
柚宇。君は知らないかもしれないけど、僕は僕の人生で僕と対等に競い合える相手が見つからなくても、最悪いいと思ってるんだ。
だって、僕の隣には──バカだけどお人好しで優しい、
早く早くと急かす柚宇がいるリビングへと、僕は戻った。
.....まあ、それとこれとは別の話だから、オールでゲームは勘弁してね。夜になったら帰ってよ。絶対に。
国近さん