よろしくお願いいたします。
学校が休みの、祝日の夕方。
茜色に染まる空の下、私は、かつては旅館か何かであったであろう廃墟の前にいた。
目の前には、背中から生えた羽で宙に浮くぬいぐるみのような形の奇妙な生き物……『精霊』と呼ばれるものがいる。
私はそれに目を向けて、それから小さく口を開いた。
「こんにちは、みんな。……じゃあ、今回も始めるね」
みんな、とは言ったけれど、実際に私の目線の先にいる精霊は一匹だけ。
だけど……それでいい。そもそもの話、私はこの不思議生物に向けて挨拶をしたわけではない。
どこか呆れているかのような表情で私を見つめるこの不思議生物は今、私の姿をインターネット上に配信する役目を担っているのだ。
ただし、撮影機材のようなものは持っていない。
曰く、魔力的なもので自分の視覚情報と聴覚情報を直接インターネットへと接続して流しているということらしい。
ここまでの話を、もしも無関係な誰かが聞いたなら。
もしかしたら非現実的とか非科学的とか、あるいは馬鹿げた妄想だとか、そんな言葉で一蹴したくなるかも知れない。
だけど、残念ながら事実として、そういう奇妙でイマイチ要領を得ないものは私の身の回りでは溢れかえっている。
……そして、もちろんそれは、この当たり前のように宙に浮かぶ謎に満ちた生き物のことだけじゃない。
精霊から視線を外して、目の前にある小さな廃墟の方へと向き直る。
そうして私は足を前に一歩踏み出そうとして……しかし、『忘れ物』を思い出したので思いとどまった。
「……メタモルフォシス」
立ち止まった私はそのまま、まるで何事もなかったかのように小さく呟き、そして、手のひらを空へ掲げる。
そうすると……手のひらの上に、眩しい光の塊が現れて。
そしてそれは、瞬く間にひとつの深い青色の宝石になった。
その後、宝石からはまるで流れる水のような形をした光の帯が何筋も飛び出して。
同時に、私が着ていた服が光となって消え、その代わりとばかりに、宝石から出てきた光の帯が私の体に巻き付いていく。
……時間にしてみれば、わずか一秒にも満たない出来事。
もしも普通の人がこの様子を見たとしても、何が起こっているのかまるで理解できないだろう。
まあ、所要時間についてはそれほど重要なことではない。
肝心なのは、それによって生じた変化の方。
光が収まると、私が身にまとう衣服は、先程までのごく普通のありふれたような服から大きく変わって。
どこか、海に漂うクラゲを思わせるような……青と水色を基調としたヒラヒラした衣装に変わっていた。
「また段取り間違えてるッチ。配信は変身してからって何度も言ってるッチ。……まあ、安心するがいいッチ。こうなることを見越してまだ配信は始めてないッチよ」
私が変身を終えたことを確認した精霊は、呆れた様子でため息をついた。
そしてそれから、偉そうな態度で言い放ってきた。
「順番、そんなに気にしなきゃダメ?」
面倒くさい。もう帰ろうかな。
そんなふうに思いながら、言葉をぶつける。
「ダメだッチ。何のために魔法少女の変身に認識阻害の効果があると思ってるッチ?」
そう言われると、ぐうの音も出ない。
実際、これまでそういう「正体バレ」によって巻き込まれるであろう面倒ごとが避けられているのは、その力のおかげだし、とても助かっている。
ということはつまり、今の私はその面倒な『段取りを守る』ということによる恩恵を十分に享受しているということであり……それを失うのは、たしかに嫌だ。
「……」
しかし、挨拶のくだりをまたやるのは面倒だ。
その、別にどうしてもやりたくないというほどではないけど……なんていうか、勢いが削がれてしまったとでも言うのだろうか。
「そんなふうにしょぼくれた顔しても無駄だッチ。さっさと仕切り直すッチよ」
そんなふうに言われると、余計にやる気をなくすのだけど。
……しかし、そんなことを言っていても話が進まないことはわかっている。
「……わかった」
私がしぶしぶそう呟くと、精霊は大げさにため息をついた。
……さて。
これは、あくまでもしもの話である。
もし、魔法少女というのが何なのか、ということを知らない人がこの光景を見ていたなら……きっと、こんな夕暮れの静かな廃墟で何をしているのかと思うだろう。
魔法少女というのは精霊と契約して魔法や力を得た少女のことであり、『異界』と呼ばれる異空間に入り込んで、その主である『怪異もどき』と呼ばれる存在を狩っている。
……中には、私のように、その様子を配信することで金銭的な収益も獲得していたりする者もいる。
異界では電波が通じないから、配信をする際にはカメラとなりマイクにもなる精霊の力が必須となる。
ただ……まあ、配信ができないというだけなら、それほど困ることではない。
今この場において、精霊に与えられた最大の役割は他にある。
それは、『魔法少女活動支援機構』という、私たち魔法少女が所属している組織の人たちに、異界に向かう私の安否と状況をリアルタイムで中継してもらうということ。
異界というのは、危険な場所だ。
精霊が映像の中継を開始していない場合、異界に突入するのは原則禁止とされている。
インターネット上に流して視聴者を集めたりするのは……あくまでその延長線上にある行為であり、ついでにできるというものでしかない。
実際に、組織への中継はしてもインターネットへの配信はやっていないという子だって、結構いる。
……ここだけの話、実のところを言うと、私だって本当はそうしたい。
だって、不特定多数に対して配信をするとなると、気を付けなきゃいけないことがいっぱいあるし。
そうしたいのは山々だけど……悲しいことに、そうもいかない理由がある。
「……今度はちゃんとやる。配信始めて、はねたぬき」
挨拶のくだりを繰り返すのは面倒だけど、だからと言って省いたら、またこの精霊……もとい『はねたぬき』がへそを曲げてしまうかも知れない。
「はーい、了解だッチ」
はねたぬきの返事を合図に、私は、改めて口を開く。
……ちなみに、名前の由来は見た目そのままで私が付けた。
幼稚な響きでちょっと恥ずかしいけど、小学生の頃に付けた名前だから。
変更できるようなものでもないし、もう、仕方がないと思うしかない。
「こんにちは。……じゃ、始めるね」
改めて、私は廃墟の方へと足を踏み出す。
扉に手をかけ、ゆっくり開ける。
使われていた時はきちんとした手入れがなされていたのか、見た目の割に建て付けはそこまで悪くなくて。扉は、それほど力を込めなくてもすんなり開いた。
そして、開いた扉の中へと足を踏み入れる。
そしたらその時、首筋の辺りをぞわりとした感覚がした。
周りを見てみれば、通った扉はなくなっていて。
上を見上げると……天井はなく。代わりにまるで墨のように黒い、曇天の夜空を思わせるような空が広がっている。
どう見ても、ここは屋内じゃない。
……そして、異変が起きたのは、空だけでなく。
その一瞬のうちに、まるで違う世界に迷い込んだかのように、周囲の景色もまた一変していた。
そこは木々が生い茂り、ぽつりぽつりと標識やら建物の残骸やらが散乱する、「山奥の廃村」とでも言うべき場所になっていて。
そして、異様なまでに大きく、のっぺりとした灰色の顔の……人のような形をしているけれど明らかに人ではない何かが、うろうろと徘徊している。
……明らかに普通ではない、異質な空間。
これが、異界という場所だ。
魔法少女が力を振るう舞台であり、同時に、怪異もどきの腹の中。
当然、気を抜いていい場所ではないけど……周囲を見渡して、とりあえずは、差し迫ったような危機はまだないことが確認できた。
「……エネミー徘徊型。ちょっと、数が多め」
わざわざ口に出すまでもなく見てわかる情報だけど、そういうのを説明するのが、『親切な配信』だと以前はねたぬきが言っていた。
そのエネミーが、こちらにまだ気付いていないみたいなのはラッキー。
だけど……数が多いのは純粋にめんどくさい。
もしこれでまた前みたいに「全部倒すまで本体が出てこないパターン」だったりしたら、なんて考えるとゲンナリする。
それなら……うん。
ひとまず、先手を取って様子を見よう。
それで運良く数を減らせたら一石二鳥だし、なんて。
そんなことを考えながら、私はゆっくりとした動作で、手のひらをすっと前へ突き出す。
そうすると、どこからともなく水が現れて、そしてそれはまるで渦を巻くようにして形を成していき……。
最終的に、私の手には大きな弓が握られていた。
反対の手で、弦を引く。
そうして、そこに水の矢が番られた。
その矢は、水をただ矢の形にしただけであるかのように、半透明。
……まだこちらには気づいていないみたいだし、とりあえず、遠くにいる個体でも射ってみよう。
そう思って、構えたまま遠くの方を見てみると。
何やら、特徴的なシルエットのエネミーたちが、やたらと群がっている場所を見つけた。
……何かを、囲んでいる。いや、攻撃してる?
嫌な可能性が頭をよぎった私は、ひとまず、すぐに駆け出した。
もしかしたら、誰かが襲われているのかも知れない。
駆けながら、弓を射る。
一矢だけではなく、何本も。
……そうして、私がそこに着いた時には。
そこにいたエネミーの集団は、地面へと倒れていた。
ただ……致命傷にはなっていない。
いや、それどころか、傷ひとつ付いていない。
彼らは何事もなく地面に手をついて、そのまま立ちあがろうとしている。
異界にいる敵対的存在は、たまに、やたらとしぶといことがある。
今回も、どうやらそのタイプのようだ。
もしも本当に攻撃が通用しないということであれば、とても面倒。
何か仕掛けがあってのことなら、いいのだけれど。
……なんて、今はそんなことよりも。
襲われていた人はどうなっていただろう、と、私はその場所の中心部へと目を向けた。
……が、しかし。
そこにいたのは、人間ではなかった。
まるでトカゲを思わせるようなフォルムに、鳥の羽とは違う、薄い翼膜が張った翼。頭からは、宝石のような光沢を持つ二つの角まで生えている。
一言で表すのなら、小型のドラゴン。
これまでの不可思議なものに満ちた私の人生の中でもなお、初めて見たとしか言いようのない生物が、傷だらけの姿で、そこに力無く倒れていた。