足が地面につかないように空中をゆっくり泳ぎながら、周囲に咲いている花を一輪ずつ確認していた、その時のこと。
「……あれっ!? 戻ってきちゃった?」
少し前に一直線に飛んでいったはずの奏蕾が、反対方向から、こちらに向かって飛んできた。
「おかしいな……とりあえずまっすぐ進んでみたはずなのに。……もしかして、わたしが気付いてないときに、追い抜いたりした?」
奏蕾は、私とまたここで会ったことに、困惑している様子。
自分の意思で戻ってきたというわけでは、なさそうだ。
引き返したつもりがないのに、元いた場所に辿り着く。
そういうことが起こる原因について、ひとつ、思い当たるものがある。
……だけど、それを確かめるよりも、大切なことがある。
それは、そもそもこの奏蕾は、本物の奏蕾で合っているのか。
単独行動をしているときはあまり意識することじゃないから、私もすっかり頭から抜けていたけれど、この異界が、偽物を作り出してくる力を持っていないと言い切ることはできない。
偽物の発生を警戒するべきだったことも考えると、本当なら、あの時別行動なんてするべきではなかった。
飛んで行く奏蕾を、追いかけるのが最適解だった。
もちろん、偽物と決まったわけではない。
むしろ、事前情報として知らされていた推定危険度を鑑みると、この怪異もどきが、今見えているものに加えて、そんな能力まで持ち合わせている方が不自然ではある。
実際、近くで見た感じでも、異界との魔力的な繋がりは感じられない。
怪異もどきが作り出した偽物という可能性は、限りなく薄いだろう。
……しかし。
だからといって、警戒するべきところを怠ってしまったことが、言い訳のしようもなく、大きな失態であることに変わりはない。
「……少し、触る」
「えっ!? 急に、どうしたの?」
急な私の行動に驚く奏蕾の反応を無視して、私は、奏蕾の身体の適当な箇所……肩のあたりに触れて、魔力のパターンを軽く読み取る。
……問題なし。私の知る奏蕾と、同一の存在で間違いない。
「偽物の可能性を考えた。……怪異もどきは、そうやって惑わしてくるパターンもある」
私がそう言うと、奏蕾は、驚きと後悔の入り混じったような表情を見せた。
もっとも、結果的に言えば、私の考えすぎだったけれど。
「卯実は、卯実だよね? どうやって確かめていいかわからないけど……」
どうやら、余計なことを言って、不安にさせてしまったらしい。
……どうしたものか。
私が私であると、どうやったら証明できるのだろうか。
「そうだ! ……えーっと、ちょっといい?」
「……? うん」
思わぬところで、普段であれば考えることのない問いにぶつかり、真剣に考えていると、急に奏蕾が聞いてきた。
それは具体性がなく、何に対するものなのかまるでわからなかったけれど、私は、深く考えずに頷いた。
……すると、その直後。
奏蕾がいきなり顔を近づけ、私の首元で、すんすんと匂いを嗅ぎ始めた。
「……?!」
反射的に距離をとってしまったけれど、奏蕾は、うんうんと頷いている。
かと思えば、安心したように、にっこりと笑った。
「うん! やっぱり、卯実は卯実だね!」
奏蕾は自信満々に、断言した。
……私としては、完全に、予想もしていなかったアプローチ。
だけど、そういえば、奏蕾は人間ではなく、ドラゴンだ。
彼女の嗅覚が人間のそれよりも優れているとすれば、別にそれほどおかしなことでもない。
実際、異界によって作り出される偽物は、見た目だけであることも多いのだし。それに本人があれで納得しているのなら、それでいいはず。
驚きにさざ波立つ心を落ち着けて、静かに気持ちを切り替える。
「……飛び出して行った奏蕾を見て、呼び止めることも、後を追って行くこともしなかったのは、私のミス。事前に伝えてもいなかったし、奏蕾は、気にしなくていい」
反省会は、今やるべきことではないのだから。
とりあえず、この件については一旦、ここまでということで。
「お互い確認ができたところで、話を戻す。奏蕾が、どうして戻ってきたのか」
「そうそう! それ、なんでなんだろう……?」
奏蕾は、首を傾げて考える。
見渡してみれば、広い花畑。
視界を遮るようなものは、特にない。
どうして道を間違えたのか、どうして気付かないうちに引き返したのか。
……多分、その考え方では、根本から間違えている。
「……奏蕾。模擬戦の時みたいに、ビーム出せる?」
「あの熱いやつ? 出せるけど……」
そんなものを何に使うんだろう、とでも言いたげな目で、奏蕾は不思議そうにこちらを見てきた。
「あっちの方、できるだけ地面に対して水平に、撃ってみて」
「……? うん、わかった」
意図は理解できていない様子だけれど、言われたからとりあえず、といった様子で、奏蕾は私が指示した通りに熱線を放った。
放たれた熱線は、奏蕾の手を離れ。
みるみるうちに、遠くへと消えていき……。
……予想通り。
少し待ったら、私たちの後ろから、それが戻ってきた。
「えっ、後ろから戻ってきた!?」
奏蕾が声を上げたのと同時。
私は、水で包み込み、渦巻く水球で戻ってきた熱線を閉じ込めた。
ミラージュシャインの魔力弾よりも複雑な構造なのか、あるいは単に高威力だからか、比べると少し工夫が必要だったけど……どうにか、ちゃんと捕まえられた。
「……うん。やっぱり、これはさっき奏蕾が撃った熱線で間違いない」
渦の中でぐるぐると回る熱量の塊を観察し、それが、先ほど奏蕾が放った熱線と同一のものであることも確信できた。
私の作り出す水は、あくまで概念的なものであり、そこに本来の水が持つ性質を適用させるもさせないも、私の自由。
だからこそこうして、水の中に捕らえたものに対しても、そのまま熱を保持させることができたりする。
「おおー……ってことは、どういうこと?」
奏蕾は一度感心したような声を上げたけれど、しかし、まだちゃんと理解できているわけではないようで、首を傾げた。
「おそらく、空間がループしてる。見かけ上はかなり遠くまで広がって見えるけど、実際には、端と反対側の端が、繋がってるような形になってる」
……例えるのなら、地球のようなイメージが近いだろうか。
一方向に延々と進み続けたら、いずれ元の場所に戻ってくる。
もちろん、広さで言えば惑星のような規模には遠く及ばないし、そもそもの話をすると、ここが球体であるというわけでもないけれど。
「……ところで、飛んでいてそれっぽいものは見えた?」
私が聞くと、奏蕾は首を横に振った。
「うーん……見たらわかるっていうけど、本当にわかるようになってるの?」
そういうケースが多い、という意味でたしかに私はそう言った。
……けれど、今回の場合はどうだろう。
花というのは、みんなそれぞれ違う色、違う形をしているのが当たり前。少なくともここでは、色とりどりのカラフルな花が咲き乱れている。
千差万別ともいえる中、何が意味のある違いに当たるのか。
それは本当に、見ただけでわかるものなのか。
「……必ずしも、見ただけでわかるとは限らない」
最後の手段として、何らかの反応を示すまで手当たり次第に攻撃してみるという手もある。
ただ、それはあくまで最後の手段であり、あまり望ましい方法ではない。
本体と関係のないところを攻撃しても基本的にはあまり効果がないし、その上、怪異もどき本体との戦闘前に、魔力を無駄に多く消耗することになる。
今回の怪異もどきに関していえば、推定危険度の値からして、多少消耗した状態でも問題はないだろうけれど……そういうイレギュラーにも近い手段を、初戦の経験にさせたくはない。
「……ひとつ、思いついたことがある。少し、見ていて」
考えた末、私は空を泳ぐのをやめて、そっと地面に足をつけた。
足をつけると、案の定、花の根が足に絡みついてくる。
「えっ……でも、それじゃあ」
「うん。もちろんこうなる」
足を上げて、絡みついている根をアピールする。
そして、そのまま歩き始める。
根が絡みついて動きづらいし、おまけに、こうしている間にも、自覚しづらい程度に少しずつ、体力を吸われていることもわかっている。
……けれど。
「……ん、ここだけ、絡みつく根がちょっと少ない」
しばらく歩いていたら、違和感のある場所に気が付いた。
根が少なくて、ほんの少しだけ、足が動かしやすい場所があった。
少しだけ、顔を近づけて見ると、そこにあった一輪の花だけが、他の花と比べて、どこか硬いような感じがする。
岩や金属のような硬さではない。それらと比べれば、これは全然柔らかい。
だけど、他の花とは質感がわずかに違っている。
……この花だけが、生きていない、とでもいうような印象だ。
「見つけた。……たぶん、これ」
「ええっ!? 何か、違う?」
決して、奏蕾が鈍いというわけではない。
空からでは、とても気付かない程度のわずかな違い。
私みたいに顔を近づけなければ、見た目で気付くのは無理だろう。
「……少し、近づいてみて」
「うーん、たしかに、言われてみると違う、かも……?」
顔を近づけた奏蕾は、私の言葉に同意しつつも、同時に、あまり自信が持てないようで、首を小さく傾けた。
「とりあえず、試してみる。……少し、離れて」
奏蕾が離れたのを確認してから、私も、根を千切って振り払い、空を泳いでそこを離れる。
そして、熱線を閉じ込めた渦を、先ほど見つけた花のあったところへと、ぶつけてみた。
着弾すると、渦と熱線は派手に炸裂し、焦げた花びらや茎を辺りに撒き散らした。
……そして。
そこにあった花々は、当然、千切れて焼け焦げて、無惨な形になっていたけど、すぐに何事もなかったかのように再生していき、あっという間に元に戻った。
それは、その「質感の違う花」もまた同様で、特に何も意識していなかったら、それらの様子には何も違いがなかったように見えたかも知れないけれど。
「卯実の言ってた花、ちょっとだけ再生が遅かった?」
「うん。やっぱりこの花は、他の花とは違うと思う」
この期に及んで擬態を続けようとしても、ここまで来ればもう騙されない。
私たちは顔を見合わせ、どちらからともなく頷き合った。
そして、私は水の矢を、奏蕾は熱線を、二人でそれぞれ立て続けに叩き込んで、しばらく、その異質な花に向けて、空から激しい攻撃を加え続けた。
……そろそろ、この辺りでいいだろうか。
「一旦、こんなところでいい」
「わかった! ……これじゃ、どうなってるか全然見えないしね」
そんなことを言いながら、私たちが手を止めて。
土煙が晴れた、その場所には。枯れて萎れた花々を束ねてできたような、黒と茶色の入り混じった、巨大な芋虫のような怪物が、私たちを睨んでいた。