奏蕾にとっての初めての怪異もどき討伐を終えて、それから近くにあったジェラートの店でジェラートを食べて帰った後。
ふと思い立って、私は軽く、学校の授業について話をした。
明日から学校に行く、ということは、つまり授業を受けるということだから、その前に、どの程度なんとかなりそうか確認しておきたかった。
……結果としては、基礎知識が無いぶんかなり不安定ではあったけれど、ちゃんと教えれば案外なんとかなりそうだった。
少なくとも、寝るまでの間に、義務教育の範囲の最低限の基礎は、おおよそ教えることができた。
まさか、特に理由もなく残しておいていた昔の教科書をこんな形で引っ張り出すことになるとは思ってもいなかった。
怪異もどきの討伐に出発する前は、特にやることのない一日だと思っていたのに。
私自身の思いつきのせいで、振り返ってみると妙に色々と詰め込んだ一日になってしまった。
……そして、そんな一日を終えて。
私たちは、翌日の朝を迎えていた。
「今日は先生と話をしたりする必要があるからちょっと早く出ないとだッチ。わかってるとは思うけど、一応、リマインドってやつだッチ」
「覚えてるから、大丈夫。……そうだね。準備も済ませたし、そろそろ行こう」
私とはねたぬきの会話に、私と同じ制服を着た奏蕾が反応して、こちらを見た。
今、奏蕾が着ている制服はというと、実は昨日の夜に組織から送られてきたものであり、なんと最初から尻尾や羽を出すための穴が開いていた。
制服という、ある種日常の象徴ともいえるものを奏蕾が着ていて、しかも羽やら尻尾やらが当たり前のように共存しているその光景は、とても不思議な感じがする。
「もう出発する?! これから、学校に行くんだよね? 七不思議とかあるのかな?」
当の奏蕾は、また変なものに興味を示しているらしい。
……もしかして、それもまた漫画で見たのだろうか。
残念ながら、そんなものは私の通う学校にはなかったと思う。
私自身、交友が広いとは言えないから、あまり詳しくはないけれど、少なくとも私の友人は、そういうことは口にしていなかった。
いや……あの人はあの人で交友は広くないから、あまりアテにならないか。
「……七不思議とかそういうのは、無かったと思う。あと、先に言うと部活とかにも入る予定は無い」
「えっ……部活入らないの!? すごく熱くて楽しそうなのに?」
……無言で、ちらりと奏蕾が読み終えた漫画の山を見てみると、そこに、新しい一冊が積まれていることに気が付いた。
手に取ってあらすじを見てみると、それは、エースが突然行方不明になった甲子園出場を目指す野球部が、チームで学校の七不思議を調査するという話らしい。
なるほど。しかし残念ながら、私たちは甲子園には行けない。
魔法少女や異能力者のような存在は、こういうスポーツの大会に原則出場禁止なのだ。
……というか、そうではなくて。
「魔法少女としての活動と勉強の両立だけで割と限界だから。多分、一日が二十八時間くらい無いと無理」
予習、復習、授業、怪異もどきの討伐。
授業の途中で抜けないといけなくなる時もあるし、そういう場合は、受けられなかった授業の分を自力で穴埋めしないといけない。
……まあ、怪異もどきの討伐は別に毎日あるわけじゃないし、本当はちょっとした同好会みたいなところなら全然参加する時間はあったりするけど。
疲れるから、あまり人との関わりを増やしたくない。
まあ、奏蕾がどうしても入りたい部活ができたりしたらその時は考えるかも知れないけど……少なくとも、今は全くそのつもりはない。
「……ところで、そろそろ行くんじゃなかったッチ?」
「あ、そうだった。うん、行こう」
「はーい! 出発出発!」
持ち物をちゃんと持っていることも確認して、扉を閉めて鍵をかける。
バスを使って駅に行き、そうしていつもより早い時間に乗った電車の窓には、案外、見慣れた景色がいつも通りに流れていった。
そして、駅からもまた少しばかり歩いて……ようやくそこに到着した。
「おお、ここが学校……あ! 真ん中に大きい時計がある! ああいうの本当にあるんだ」
まだ校門は開いていない。しかし、教師たちは既に何人かいるみたいだ。
……あまり意識したことはなかったけど、学校の先生って、何時に来て何時に帰っているのだろう。
「あ、綿摘卯実さんと……えっと、綿摘奏蕾さん、でしたね。二人とも、こっちですよー」
二人で学校を見ていると、開いていない校門の向こう側から呼びかけられた。
そこにいたのは、眼鏡をかけた、少し気弱そうな女性。
私のクラスの担任である、葉月先生だ。
「よい、しょっと。えっと……まずは、おはようございます。私はこの学校で教師をしている、葉月といいます。そちらの、綿摘卯実さんのクラスの担任をしていて、綿摘奏蕾さんの担任を務めることになります」
私たちが通るために一度校門を開け、その後にまた閉め直しながら、葉月先生は自己紹介をした。
「おはようございます! わたしは奏蕾って言います。よろしくお願いします」
奏蕾は、元気よく挨拶を返した。
……わかってはいたけれど、奏蕾の方から新しく誰かと接していくということに関しては、あまり心配しなくてよさそうだ。
「あ、えっと、綿摘卯実さんも、おはようございます」
「……ん。おはよう、ございます」
挨拶をされたので、私も、とりあえず挨拶を返す。
「えっと、それでは説明することもありますし、一度職員室に行きましょうか」
まだ朝練の声も聞こえない、いつもと違って静かな校内を、私たちは葉月先生の後ろについて進んだ。
その間、特にこれといって会話はなかったけれど、奏蕾はあちこち見回していて、気のせいか、目が輝いているように見えた。
……私にとってはもう見慣れた景色だけど、奏蕾の目にはきっと、何もかも新鮮に映っているのだろう。
「えーっと、それで、ですね」
まだ先生たちもまばらな職員室で、葉月先生が口を開く。
……そうして、語られたこととしては。
まずは学校についての説明と、それから、奏蕾の扱いについてのことだった。
「……綿摘奏蕾さんは、書類上は、まだ正式な生徒じゃないんです。最終的には正式な生徒として扱うことになる予定ではありますが、それまでは、学生証などはお渡しできないことになっています」
組織に話をしてから、たったの二日で学校に通うことができるようになった奏蕾だけど、裏側では、複雑な手順が色々と進められているらしい。
心なしか、葉月先生の声に若干の疲労を感じた気がした。
私は改めて、その手続きに関わらずに済んで、よかったと思った。
……そうしていると、ふと、いつからか朝練の掛け声が聞こえ、職員室の席もかなり埋まっているということに気付いた。廊下からも、登校してきた生徒たちが話す声が聞こえてくる。
「ここでお話しすることは、以上です。……そうですね、そろそろ時間ですし、綿摘卯実さんは先に教室に向かってください。綿摘奏蕾さんは後から私と一緒に教室に向かって、その時に、クラスの皆さんに自己紹介をしていただこうと思います」
……それこそ、アニメや漫画でよく見るやつだ。
例えば転校生を見て、主人公が、あの時ぶつかった人だ! みたいなことを思うやつ。大抵そこから、恋が始まったり始まらなかったりする。
まあ、奏蕾の場合は登校中に誰かとぶつかったりはしていなかったから、そのパターンはちょっと当てはまらないだろうけど。
「……わかりました。奏蕾、先に教室行ってるけど、大丈夫?」
「大丈夫! 待っててね、派手に教室に登場するから!」
「……それは、困るからやめてね」
わかったのかわかっていないのか、頷く奏蕾に見送られながら、私は職員室を後にする。
……大丈夫だろうか。本当に、変なことはしないだろうか。
不安が頭を巡るけれど、それで教室までの道に迷うようなことはない。
自然と足は進み、あっという間に教室の扉の前に着いた。
「……」
特に何かを言うでもなく、目の前の扉を開く。
そこには、喋っている人、本を読んでいる人、スマホをいじっている人……。
いつも通りの教室の朝の光景が、広がっていた。
ただ、違うところとして、私の席は最後列だったのだけれど、なぜかその後ろに席がひとつ増えている。
みんな、それには気付いてはいるみたいで、チラチラと、そこに視線を向けている。
「お、卯実ちゃん。おはよう」
「……ん、おはよ」
いつも通り、黙って自分の席に座ると、隣の席で本を読んでいた子……私の友達である
読んでいる本のタイトルは、『蝙蝠の骨格と筋肉の構造について〜何故、かの哺乳類は翼を持つに至ったか〜』。
「ほい、これ2日分のノート。全部暗号になってるから読み解いて書き写してね」
「……ありがとう」
「見せないっていうのも考えたけど、まあ、幼馴染兼親友兼同類のよしみってことでね」
開いてみると、文字ではなく記号がずらりと並んでいる。
もはやいつものことだし、特に何かを言うことはない。
一応、過去にどうして普通に書いて渡さないのかを聞いたことがあるけれど、その時は「学校休んだ卯実ちゃんに嫌がらせ〜」とか言ってきた。
「……それで、3日前の配信に出てきたあの羽生えたトカゲみたいなやつ、どうなった?」
紋華としては、ノートについてよりもそちらの方が本題のようで、言葉に熱がこもっている。
さっきまで蝙蝠の本を読んでいたのは、羽の形状から似たものを考えて、そこに行き着いたといったところだろうか。
「多分だけど、卯実ちゃんが休んだのもあれに関係してるんじゃないかなーって思うんだけど、どう?」
「……まあ、うん。その認識で間違いない」
私がそう言うと、紋華の笑みが深まった。
「やっぱりね……! あれって、異能によって作られたものだった? それともそういう生き物? そういう生き物だとしたら、骨格とか、筋肉の構造とか、何かわかったこととかある?」
捲し立てるように、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
……紋華には、私が魔法少女であることを過去に教えているし、こうなることは予想していた。
紋華は、生物に対して、とても強い興味を持っている。
それは、ただ関心があるというだけではない。
ふと、紋華の机の上辺りを見ると、空間に亀裂のようなものが走り、鋭い爪を持ったナニカの手が具現化しかけているのを見つけた。
「……それ、出かけてる」
「あ、やば。ついテンション上がっちゃって」
紋華が指を鳴らすと、その手は何事もなかったかのようにあっさり消えた。
……彼女は、私と同様、普通の人間ではない。
「やっぱり、新しいオトモダチを創る手がかりって思うと、ね」
紋華は、思い描いた生き物を創造し、具現化して思いのままに操る──彼女曰く、『妄獣使い』という異能力者だ。