「……なにこれ」
目の前の小さなトカゲもどきを見下ろしながら、私は、思わずポツリと呟いた。
……サイズ感は、人間の赤子くらい。
鱗に覆われているけれど、見たところ脱皮したての甲殻類みたいに柔らかそう。
おそらくは、成体ではなく幼体だ。
成長したら鱗の硬度はどのくらいになるだろう。見れば両手両足の先には爪もあるし、口元にはギザギザした歯……いや牙。
こうして近くに来てみてもこの空間との繋がりは感じられないから、怪異もどきでも、その手下的な存在のエネミーでもないだろう。
ただ……未知の生命体であることに変わりはない。
いや、もしかしたら変身型の異能を持った人間である可能性もあるかも知れないから、一概にそうとも言い切れないか。
この生き物を、どうするべきか。脳裏で瞬時に思考が巡る。
異能力者……つまり人間であるなら、保護しないという選択はない。
問題なのは、そうでなかった場合のこと。私は、果てしない面倒ごとを負うことになるのではないだろうか。
当のトカゲもどきは、倒れ伏していながらも意識はまだ辛うじて残っているようで。どうにかして動こうとしているのか、小さく身体を震わせている。
……その姿を見て、ではないけれど。
ひとまずの、結論は出た。
ただ……そうして、考えている間にも。
「カオ……カオ、カオ、カオ」
周囲には、先ほど起き上がったエネミーたちが頭をカタカタと揺らし、うわ言のように同じ単語を繰り返しながら迫ってきていた。
……私はそれらを無視し、目の前のトカゲもどきにそっと触れる。
すると水の中の泡のような半透明の球体がその身体を包み込み、そしてそれは、中のトカゲもどきごとゆっくりと浮かび上がっていった。
「──カオ……カオ、カオ、カオ……カ、オ……」
当然、そうこうしている間にも周囲を取り囲む彼らとの距離はじりじりと詰まっていく。
……が、しかし。
私がようやく目線を上げた時、彼らは途中で足を止めていた。
いや、彼らの足は、こちらに近づいてこようと動いている。
ただ、身体が宙に浮いているから、足が虚しく空を切っている。
どうして、そうなっているのか。
よくよく見てみれば、彼らの身体の部分に、大きな半透明な触手が一体につき一本、巻き付いているのがわかるだろう。
それも、彼らを掴んでいる触手の内側部分には、びっしりと吸盤が敷き詰められている。
そう簡単に、脱出することはできない。
……いや、それどころか。
「カ……オ、カ、オォォ……オ」
触手で持ち上げた彼らの身体を、徐々に力を強めて締め付けていく。
しばらくの間そうしていたら、少しずつ胴体がひしゃげて潰れ……やがて、ボトリ、と、頭が落ちた。
……すると、触手が掴んでいたはずの身体は、影も形もなくなって。
転がった頭も、ただの石ころのようになってしまった。
私は、軽くその様子を確認し。
それからすぐに、はねたぬきの方へと視線を向けた。
「……これ。どうしたらいいと思う?」
これ、というのは、私の肩のあたりに浮かんでいる泡の中にいる……奇妙なトカゲのこと。
安心したのか、なんなのか。
先ほど見せた懸命さはどこへやら、すっかり目を閉じて眠っている。
「うーん、ボクに言われても困るッチ。……あっちの方も、一旦は現場判断に任せるって返事だッチ」
あっち、というのは組織のこと。
この様子は同時にライブ配信もされているから、もしかしたら一般の視聴者たちがああしろこうしろってコメントを打っていたりするかも知れないけど……それを判断材料にするつもりはない。
はねたぬきも、それはわかっているだろう。
「……そう。なら、一時的に保護する。救助対象として扱う」
ぷかぷかと浮かぶ泡にまた視線を向けて、私はそう言う。
「了解だッチ」
私の言葉に対して、はねたぬきは、特に異論はない様子で頷いた。
「……じゃあ、はやく片付けようか」
先ほど数体のエネミーは倒したけれど、まだまだたくさんいる。
しかも、どうやらみんなこちらに気づいているようで。
先ほどの集団よりもさらに多くの個体が、一斉にカタカタと頭を揺らしながら、こちらに少しずつ寄ってきている。
「──カオ、カオ、カオ」
相変わらず、同じ言葉を繰り返している。
彼らはそれしか言えないのだろうか。
私の背後から触手を伸ばして攻撃していた半透明の巨大な水のタコが、今度は大きく浮かび上がる。
そして、上から触手を伸ばして、次々にエネミーを捕獲していく。
……さらに。
私が水の力で作り出せるのは、なにもあのタコだけではない。
「……行って」
数には、それを上回るだけの数で、対処する。
大量の半透明の魚たちが、群れで一斉に、タコが捕えきれなかったエネミーを襲う。
水族館に行ったことがある人なら、もしかしたら、この光景を見てアジの群れなんかを連想するかも知れない。
触手に潰され、魚に齧られ。エネミーたちは、次々に倒れて、そのたびに頭を落としていく。
頭は、硬い。だけど、胴体はそれほどでもない。
一応警戒はしているけれど、現状、落ちた頭がまた動き出すような気配もない。
ただその代わりというかなんというか、倒しても倒しても、キリがない。
どうやら、次から次へと、際限なく湧いて出てくるタイプらしい。
……だけど。
湧いて出てくるというのなら、そのたびに潰していけばいいだけのこと。
タコと魚群に加えて、私も水の矢を放って、さらに数を減らしていく。
頭に当たると倒せないのが面倒だけど、これで手数は明らかにこちらの方が多くなった。
補充されていくよりも、減っていくスピードのほうが早い。
こうしてチマチマとエネミーを倒していくだけでも、怪異もどきは力を消費していく。
だからもしこのままの状況が続けば、怪異もどきは力を使い果たして、消滅する。
……そう考えた、ちょうどその時。
背後から気配を感じ、私は咄嗟に空を泳いでその場を離れた。
「ヨコセ……カオ……ソレ、カオ、ヨコセ……」
言葉と共に、つい先ほどまで私がいた場所へと、それは頭を振り下ろして攻撃していた。
そして、それは顔を上げる。
……まず、他のエネミーたちと違って、二回りほど全体的に身体が大きい。
そして頭は、パッと見は「灰色ののっぺりとした大きなもの」と、他と同じように見えるけれど、こちらに向けられた、顔の部分には、掠れているけれど、何かが描いてあったような跡がある。
他はみんなただの平面だったから、明確に他と違う。
それから、あとは……他と比べて語彙が多い?
とにかく、これは明らかに、他のエネミーとは少し違う存在だ。
というか、多分……。
頭の中で分析しながら、私は弓をそれに向けて、矢を放ってみる。
それほど距離はなかったはずなのに、あっさりと避けられた。
……動きが速い。
他が緩慢だったこともあって、余計にそう感じる。
「ヨコセ、カオ、カオ、カオ……ヨコ、セ」
それは、放った矢をしっかりと躱し。
そして、俊敏な動作で距離を詰めてくる。
「ヨコセ、ヨコセ……!」
ただ、攻撃は大振りな上、単調。
当たれば相応に痛いだろうけれど、ひらりと、少し泳ぐだけで避けられる。
……そして。
「つかまえた」
私を攻撃した直後。
それは、その背後に潜んでいた半透明なクラゲによって全身を絡み取られていた。
そのまま締め付けつつ、さらに、目の前で矢を番える。
そして……それを放とうとした、その時。
「……ォォォォオアアァァァ」
頭がボトリと落ち。
そして、真っ黒な影が、胴体と頭の間から飛び出した。
それは、まるで蜘蛛の足のような無数の黒い脚に、ミミズのようにうねる頭を形取った。
それに呼応するかのように、落ちていた大量のエネミーたちの頭が、次々に動き出す。
……やっぱり、間違いない。
「みつけた」
これが、この空間の主。つまり、怪異もどきの本体だ。
怪異もどきが怪異もどきと呼ばれる理由。
それは、こうして追い詰められたときに、本性を表してなりふり構わず襲ってくるから。
その時の姿に、それまでの怪異としての一貫性はない。
クラゲの拘束を脱したそれが、脚を振り上げて襲ってくる、まさにその時。
唐突に、前触れもなく。
私たちの足元に、鯨を思わせるような巨大な顎門が現れる。
そして……私とはねたぬきと、その怪異もどきは。一瞬にして、まとめて飲み込まれた。
……暗闇によって、わずかな間、視界が塞がる。
そして、次の瞬間。
そこは先ほどまでの廃村ではなく。何もない、水中へと景色が一変していた。
怪異もどきは、当惑している様子で周りを見渡している。
どこにも、彼らの頭……石ころは転がっていない。
「……自分のフィールドに獲物を引き摺り込むのは、もう、あなたたちの特権じゃない」
異界という自分にとって有利な環境で人間を狩る、怪異もどき。
それに対抗するための手段が、魔法少女には存在する。
フィールド魔法と呼ばれる、特殊な魔法。
逆にこちらにとって有利な空間を展開してしまい、怪異もどきの異界を上書きする。
ちゃんと本体を巻き込むことができないと意味をなさないから、この瞬間を待っていた。
「……アアアァァォォ」
状況を把握したのか、怪異もどきは相変わらずのスピードでこちらに迫ってきた。
同時に、その脚が何本か振り下ろされる。
「……っ」
石頭の時よりも、攻撃の動きが速い。
泳いで回避したけれど、少し掠った。
掠った程度だったこともあり、衣装の上から薄くまとっている水の衣によって、傷は受けずに済んだ。
「……食いちぎって」
今度は、こっちの反撃。
半透明の大きな鮫が、鋭い牙を怪異もどきに向けて襲う。
しかし、それを紙一重で躱わすと。
またも、距離を詰めてくる。
接近してきた怪異もどきに、迎撃しようと構えた、次の瞬間。
意識していなかった方向から、光……いや、炎が一筋。
怪異もどきに、命中した。
「……!? ……何?」
炎が出てきた方向を見ると、そこには。
私の作った泡で守られたトカゲもどきが、怪異もどきを睨むように見ていた。
……が、それでまた力を使い果たしたのか。
目を閉じて、眠ってしまった。
怪異もどきも、突然の不意打ちに驚いた様子で、わずかに硬直していた。
……とりあえず、チャンスだ。
私は、怪異もどきの方へと手を伸ばす。
当然、その手が何かに触れることはないけれど……。
私はそのまま、力強く手を握る。
すると、怪異もどきは、その場で激しく苦しむように悶え始めた。
ここは、水という概念によって満たされている。
だからこうやって、関連性の強い現象を任意に引き起こすことができる。
……そして今引き起こしている現象は、『水圧』。
全方位から一切の逃げ場も与えず押し潰す、純粋な力である。
「ア……アァァ」
少しずつ力は強まり、怪異もどきの全身が潰れてひしゃげていく。
こうなったら、何もできない。
何も、させない。
……やがて。
「…………」
怪異もどきは粉々に潰れて、消えていった。
それを見て、私はフィールド魔法を解除した。
フィールド魔法を解除したら……そこは、最初に入った小さな廃旅館の玄関に戻っていた。
そして目の前には、マジックペンか何かで顔が描かれていたであろう石ころが並んでいて、その中のひとつが、転がっていた。
年月の経過によるものか、掠れていて、どのような顔が描かれていたのかはよくわからない。
そして、それらの石ころからは……全く、何の力も感じない。
ひとまず、今回も、無事に完了。
怪異もどきは討伐できた。
「……じゃ、ご視聴ありがとうございました」
はねたぬきが、小さく頷く。
これで、今回の配信は終了ということになる。
……それで。
眠っていたトカゲもどきは、どうやら完全に目を覚ましたようで、こちらを見ている。
さて、ここからこれを、どうしたものか。
私は小さく、ため息をついた。