「……ん」
学校でいつも通りに授業を受けていた時のこと。
ポケットに入れていたマナーモードのスマホが、わずかな振動で私に通知を知らせてきた。
教科書を開いたまま立て、先生から見えないようにしながらスマホを見る。
……どうやら、また近くで怪異もどきが出たらしい。
緊急性は、現状はあまり高くない。
しかし、推定危険度はまあまあ高い。
授業はもう少しで終わりそうだし、これが終わったタイミングで奏蕾と抜け出せばいいだろう。
私一人で活動していたら、こうしてタイミングを合わせるとかそういうことを考えたりはしなかっただろうから、なんだか不思議な感覚だ。
「──これで、今日の授業は終わりです。今日やったところはテストに出ますから、しっかりと復習しておいてください」
数分後、先生がそう言った後にチャイムが鳴り、授業が終わる。
私は、奏蕾に声をかけようと思って後ろを振り返った。
「……隣の人は?」
「え? あー……
振り返って、なんとなく奏蕾の隣の席に座っていたはずの人がいなかったことが気になって聞いてみると、どうやら授業の途中で抜けて帰ってしまっていたらしい。
「……そっか。いや、まあ、いいんだけど」
先生に声をかけていたような様子もなかったはずだし、気弱なタイプだと思っていたけど、イメージによらず、案外思い切りがいいサボりをするタイプだったのだろうか。
……と、そんなことはどうでもいい。
前に書店で偶然見かけたせいで、少しだけ意識してしまっていたのだろうか。
奏蕾に怪異もどきが現れたという通知が来ていることを示すため、私は改めてスマホの画面を開く。
……しかし、それを見ると。
既に、他の魔法少女が向かったとの表示に変わっていた。
そこに向かったのは、ビエントアネモスという魔法少女。
実のところ、この名前は以前からこういう時たまに見かけたりするから、もしかしたら活動域が近い人なのかも知れない。
「何かあったの?」
奏蕾が不思議そうに尋ねてきたけれど、こうなったのなら、特に用が無くなってしまった。
「……ううん、なんでもない」
私は静かに首を横に振り、次の授業の準備をする。
あまりのタイミングの一致に、まさかと思うような部分がないとは言えないけれど、それこそまさかというものだ。
授業の準備を済ませ、改めて席に着く。
まだ、先生が教室に来る前。隣から紋華が、声をかけてきた。
「そういえばなんだけどさ、放課後、ちょっとフィールド借りてもいいかな?」
「わかった。……もしかして?」
「そゆこと。新しいオトモダチ、紹介しようと思って」
「……おお。それは、楽しみ」
……と。そうして紋華と話していたら、教室の扉が開いて次の教科の先生が入ってきた。
とりあえず、授業は授業。
どうしても気乗りしないのは事実だけど、それはそれとして、魔法少女としての活動を引退した後のことも考えるなら、サボらずに済むのならそうした方がいいのは間違いない。
ノートを開き、前回の続きにあたる教科書のページを開く。
それから筆記用具入れからシャーペンを取り出して、手に取った。
……そうして、その後。
通知によると結局怪異もどきは無事に倒されたらしく、それから、五時間目の授業もまた終わりを迎えた。
「──起立、礼。ありがとうございました」
日直の号令の下、クラスのみんなで揃って頭を下げると、それからすぐに、私たちは帰る支度に取り掛かる。
私と紋華と奏蕾の三人で学校を出て、今日は、まっすぐ帰路についた。
……そうして、家に着くと。
「……ここでいい?」
「うん。……って言っても、卯実ちゃんがいいなら私としてはどこでも大丈夫だよ」
「……わかった。メタモルフォシス」
私は早速魔法少女の姿に変身し、流れるようにフィールド魔法を展開した。
それによって、家のリビングだった場所は一変して、深海を思わせるような景色へと変化した。
「……水が必要?」
「ううん、それは大丈夫。新しいオトモダチは、水棲生物じゃないから」
「わかった」
「何が始まるの?」
ここまで何の説明もなかったためか、奏蕾はかなり困惑している様子。
「ああ、そうだった。えっとね、新しいオトモダチを紹介したいなって思って。私が幼い頃から一緒にいた、つい昨日生まれたばかりのオトモダチ」
「……? 前から一緒にいたのに、昨日?」
困惑している奏蕾に、説明しようとした紋華だったけれど、余計に意味がわからなくなってしまったようで、奏蕾は反対方向にも首を傾げた。
「……そういう、設定。紋華の異能は、創り出す存在と自分自身との関連性や過去まで作り込んだ方が、それの存在としての強度が増すから」
「なるほど……! じゃあ、紋華の新しい生き物お披露目会ってこと?」
「うん。そういうことだよー」
説明を補足したことで、とりあえず奏蕾は納得した様子を見せ、そして紋華は、奏蕾の言葉に肯定した。
「でも、それならなんでフィールド魔法? ……たしか、さっきの話だと、そのお友達って、水の中の生き物じゃないんだよね?」
当然、それは気になるところだろう。
私も詳しくはわかっていないので、黙って紋華の方を見る。
「それは……ちょっと大きくなっちゃったから、かな。うーん、まあ、見てもらった方が早いかな?」
言いながら、紋華はポケットからスマホを取り出す。
そして、ずらりと文字の並んだ画面を開いた。
……これは、紋華の異能のネタ帳であり、あるいは、辞書のようなものでもある。あえてファンタジーな雰囲気で言うのなら、魔導書という単語で例えてみてもいいかも知れない。
骨格やら構造やら生態やら、そういった設定を全て自分で理解している必要があることから、ある程度以上に「作り込んでいる」ものは、具現化の前に一読するのが彼女のルーティンのようなものになっている。
「……よし、じゃあ、いくよ」
紋華が、手のひらを前に突き出す。
「おいで。フテラ・アラフニ……フーちゃん!」
遠くの空間に、巨大な亀裂が走る。
その奥から、最初に極めて硬質な鉤爪のようなものが現れ、そして、やがて全貌を現した。
……それは、とても大きく、そして奇妙な形をしていた。
まず、目を引いたのは大きな翼。二対四枚の深緑色の翼を持ち、中でも大きい二枚は、目算だけれど、完全に広げればその長さは合計でおよそ40メートルにも及ぶだろうか。
それから、脚もまた四本ある。
前脚は鉤爪と指が長く伸びており、どこか猛禽類の脚を思わせる一方、後脚はといえば、まるでネコ科などの大型肉食獣のように太く発達している。
しかし……あれだけの巨大な存在を出現させるのなら、たしかに、フィールド魔法が必要になるのも納得だ。
「フーちゃんは、歩んできた過去みたいなその辺りの設定自体は昔から考えてたんだよね。……だけど、その姿形が、これまでちゃんと固まっていなかったの」
向こうから、そのフーちゃんと呼ばれる存在がのしのしと近づいて来る中、紋華は、まるで熱に浮かされたかのように説明を始めた。
「でも、奏蕾ちゃんと出会って、少し参考にさせてもらったんだ。ドラゴン! そういうのもあったかーって、ね。ただ、そのまま真似するのは無理そうだったから、そこからまた色々考えて……結局目を付けたのは、大昔の生き物。翼竜、って呼ばれる生き物でね」
こうなった紋華は、本人が満足するまで止まらない。
ただ、聞いていると案外面白かったり参考になるところもあったりするから、一応ちゃんと最後まで聞いてみよう。
「翼竜の軽量かつ強度のある骨格とか、現代の鳥に見られる気嚢とかそういう仕組みを参考にして、そこに現代の科学的なあれこれを足したら……もしかしたらドラゴンを再現できちゃうんじゃないかなって思ったんだ」
スマホは、既にポケットにしまい直している。
先ほどは本当にルーティンとして一読したっていうだけで、あれの設定は、頭の中に全て入っているのだろう。
「骨や爪、牙や鱗の主成分は炭化ホウ素とクモの糸に似た構造のタンパク質を組み合わせた複合材で、筋肉の密度も自然界の生き物とは比べ物にならないくらいあるし、翼膜には葉緑体に近い仕組みを持った細胞があって、なんと、太陽の下で翼を広げるだけで光合成と、あとついでに排熱までできちゃう。滑空してるだけでもできちゃうからお得だね!」
まるで、お経を読み上げるかのようにスラスラと淀みなく、その怪物のスペックを開示していく。
「……とは言っても、光合成は不足しがちなエネルギーを多少補うくらいの役割でしかなくて、食性は肉食。高密度な筋肉はエネルギー消費が莫大な上、熱を生むから、その熱は主に翼で逃がしたり別のことに利用したりしつつも、捕食時には血液の流れで運搬して、牙や口内を高温にして獲物を焼くことに使うこともできちゃうんだ」
すぐ目の前までやってきたそのフーちゃんは、静かに、ただ佇んでいる。
あまりの大きさに、ずっと見ていたら見上げすぎて首が痛くなってきそうだ。
「あと、捕食時には、あえて熱を生むために、地面に爪を食い込ませたまま翼を羽ばたかせる習性もあって、高熱の牙は大抵の生き物の外殻を簡単に貫通することができるんだ。それと、ルーツにはクモに共通するところがあって、糸を吐いたりはできないけど、翼膜にはクモの糸と似た成分のタンパク質が六角形の網目状に広がってたり、八つの目を持ってて、暗所視力や動体視力、立体視、視野の広さまでバッチリカバー!」
しかし、こうして近くで見ると、全身が細かい硬質な鱗で覆われているせいか、もはや生き物というよりは兵器か何かなのではないかとさえ思えてくる。
「それから、体内には取り込んだ炭素やホウ素を硬い炭化ホウ素の微細な結晶にするための膨大な熱を生み出す器官もあって、そこはおよそ千数百度以上もの高熱になるから、その気になれば、その熱を利用して高熱の息を吐くこともできちゃう! けど捕食や狩りにその熱を直接使うとせっかくの動物性タンパク質が炭になっちゃうから基本はこれは最終手段……って、感じなんだけど、どうかな?」
「……確かに、すごい。すごく強そう。だけど、間違いなくこれはドラゴンではない……かな」
説明したいことを説明し終えたらしく、紋華がこちらの方を向いたので、私は思ったことを伝えた。
体長だけでおよそ15メートル程度。
その巨躯に、紋華が説明したスペック。
それらが本当にそのまま組み合わされば、その辺の怪異もどきなんて、正面から叩き潰すことができるだろう。
……ただ、ドラゴンというテーマがあったらしい割には、そこから大きく離れているのは間違いない。
これは、そういう枠組みの言葉でラベリングするべきではない、純然たる怪物だ。
「まあ、そうなんだよねー。でも、私は気に入ってるけどね! ドラゴンっていうのも、発想のスタート地点っていうだけなわけだし」
紋華が脚を撫でると、それは心地良さそうに目を細めた。
「……それなら、特に言うことはない。紋華がいいなら、いいと思う」
ドラゴンに着想を得て創られた、異能による偽りの生命。
それに対して、本物のドラゴンである奏蕾はというと。
感心したような、あるいは圧倒されているかのような表情で、ただ、それを静かに見上げていた。