視界を埋め尽くす水の景色。
しかし、つい先ほどまでのそれとは違い、暴力的なまでの流れはなく、マネキンや残骸も流されてこない。
ここには静寂が満ちている。
ここは、私のフィールドだ。
もう、水の壁で身を守る必要はない。
周囲の突然の変化に戸惑っているような様子を見せる怪異もどきに、まずは様子見。
私は渦をまとった矢を放った。
矢は怪異もどきを正確に狙い、渦は周囲の水を巻き取っていく。
そして、それは圧縮され、細い矢の形のまま飛んでいった。
しかし、矢は当たらない。
ひらりと軽い動きで、怪異もどきは、飛んできた矢を見てから避けた。
「……爆ぜて」
避けた瞬間、大きな珊瑚が咲く。
広がる珊瑚が怪異もどきの胴体を巻き込んだ、と思ったその瞬間、怪異もどきはさらに大きく回避した。
……反応速度もそうだけど、何よりも動きが速い。
考えてみれば、元々あの激流の中を襲ってきていたのだし、水中での移動能力に優れているというのは、不思議ではない。
「避けるならそっちだよね! ブラスト・ロア!」
爆発的に生え広がった水の珊瑚を完全に回避し切った怪異もどきに、奏蕾が熱線を放って追撃する。
……しかし、ゆらりと、器用にそれさえも回避して。
それから一気に、奏蕾のもとへと接近していった。
長い腕が、まるで鞭のように奏蕾に迫る。
腕が異様に長いから、腕だけで攻撃が成立するらしい。
胴体の軸は、一切ブレていない。
ブレていない、動いていないのならチャンスだ。
あまり広い範囲に攻撃すると奏蕾を巻き込みかねないから、最小限に。
ピンポイントで、その胴体部分を狙って、水圧による圧縮を試みる。
……が、しかし。
奏蕾が後退して攻撃を避けた、次の瞬間。不可視の水圧という攻撃であったにも関わらず、その予兆を察知したのか、ギリギリのタイミングで、するりと抜けられてしまった。
「反撃だよ! ブレードクロー!」
奏蕾が、その怪異もどきの動きを見て、距離を詰める。
しかし複数あるうちの一本の腕が、横薙ぎに奏蕾を振り払った。
……怪異もどきを攻略するために作り出されたフィールド魔法だけど、この戦い方にも弱点はある。
それは、フィールド魔法には、維持する上で時間的な限界があるということ。
フィールド魔法を展開した状態の維持には、魔力を消費する。
その消費量は、フィールドの強度に反比例する。
フィールドの効果が強ければ強いほど強度は落ちていくものだから、効果が強いほど、戦闘は短時間で終わらせる必要がある。
逆に言えば、強度を高めれば時間制限を延長することはできるけど……そしたら、フィールドに強い効果を載せられない。
とにかく。いずれにせよ、ここで完全に凌ぎ切られれば、魔力を使い果たした状態でフィールドを失い、異界に戻されることになる。
魔力量にはまだまだ余裕はあるけれど、このままこの状況が続くのは、あまり良いことではない。
水の矢を、今度は続け様に放つ。
連続で放つ場合、それらを全てコントロールしながら、タイミングを見計らって炸裂までさせるなんていう余裕はない。
だから、今回はシンプルな大渦の矢。
大きな渦をまとった矢が三本、面で押すように向かっていく。
振り払われた奏蕾は、今は怪異もどきからだいぶ遠く……渦の範囲の外にいる。今なら、巻き込む心配はしなくていい。
三つの大渦は、案の定回避された。
けれど、それはかなりギリギリだったようで、腕を一本持っていった。
初めて傷つけられた怪異もどきが、私を見る。
放置しておくには危険と、判断したのだろうか。
「させないよ! クアドラプル・ロア!」
まっすぐ、怪異もどきがこちらへと迫ってくる。
しかし、私のもとへ辿り着く直前、横から奏蕾が放った四つの魔力の球が命中した。
その隙を突いて、私も水の矢を放つ。
しかし、ちょうど奏蕾に狙いを変えたタイミングだったようで、また腕を一本、渦に巻き込むことはできたものの、直撃には至らなかった。
……この怪異もどきの移動能力について、なんとなくわかってきた。
私の水を使った攻撃に対する反応の鋭さや、最初に異界の激流に逆らって現れたことから考えるに、おそらく、単に水中移動能力が高いだけでなく、水の流れを見極める力にも優れているのだろう。
けれど、それでも何か欠点はあるはず。
ここは私のフィールドであり、あの怪異もどきのホームではない。
完全な地の利が向こうにあるなどというはずがない。
……例えば、そう。
本来の想定は、あの異界の閉鎖的な激流の中での移動である。
異様なほどに長い腕は、天井や水底に手をかけて移動の補助をしたり、獲物を追い込んだりするためのもの。
この広い深海という空間では、あの腕にはあまり役割がない。
だからこそ、少し持て余しているのだろう。
意図して切り捨てているというほどではないだろうけど、やたらと腕に攻撃が命中しているのは、そういうことなのではないだろうか。
私が、少し考えをまとめていた間。
残った三本の腕で、怪異もどきは奏蕾を襲った。
「……後ろに」
「了解!」
私は、奏蕾の背後に大型の水のクラゲを出現させつつ、奏蕾に後退するよう指示した。
指示通り、奏蕾が後ろに大きく移動する。
クラゲの触手は、まるでのれんのようにあっさりと奏蕾を素通りさせた。
それを見た怪異もどきだけれど、しかし、目の前のクラゲを警戒しているようで、直線では奏蕾を追わず、迂回して奏蕾を追った。
……当然、怪異もどきがクラゲの触手を通り抜けようとしたらそのまま捕えるつもりだった。
勘がいいのかなんなのか。
しかし、そうやってわざわざ避けるということは、それが有効ですと申告しているようなもの。
怪異もどきが迂回して奏蕾に至るまでの経路、それから、怪異もどきの周囲。さらに、奏蕾の周り、私の周り……と、水のクラゲを辺り一面に大量に出現させていく。
この状況で下手に動けば、クラゲの触手によって絡み取られる。
速くても大きい相手には、こういうのが有効だろう。
大きな怪異もどきの体では、まともに通れる道なんてない。
これで、少なくとも自由自在に動き回ることは難しくなったはず。
……しかし、ここまでやるのは、さすがにそれなりの消耗になる。
とはいえ、このままじりじりと無駄に引き延ばすのは意味がない。
無駄を省き、詰められる瞬間に勝負を仕掛ける。
「いくよ! ブラスト・ロア!」
多数のクラゲに囲まれた怪異もどきが何か行動を起こすより前に。
奏蕾が、熱線を放って攻撃した。
これまでの動きから想像していたよりも複雑で器用な動きを見せ、怪異もどきは、クラゲたちの間を縫って回避した。
けれど、そう上手いことはやらせない。
間を抜かれたクラゲたちがわずかに触手をうねらせて、怪異もどきの手を二本、絡め取る。
そうすると直後に、ぴん、と腕がまっすぐに伸び、怪異もどきの動きが止まった。
腕を這うようにして、クラゲの半透明な触手が伝う。
そして、クラゲの本体も、ゆっくりと怪異もどきの体を呑み込もうと近づいていく。
身を捩るようにして脱出を試みる怪異もどきだけれど……どうやら、トカゲの尻尾のように腕を自分で切り離したりはできないらしい。
「……穿つ」
私は、水の矢を放つ。
狙いはもちろん、胴体の中心部分。
体をくねらせ、少しでも回避しようとするけれど、それは失敗。
放たれた矢は周囲の水を巻き込み圧縮し、そして怪異もどきの胴体にある口の中へと、まるで吸い込まれるように消えていった。
「……爆ぜて」
そうして、矢がたしかに怪異もどきの中へと入り込んだ、その直後。
怪異もどきの体の内側から大きな半透明の珊瑚が一気に広がり、それによって、怪異もどきは、バラバラに粉砕された。
これは、さすがに致命的な一撃になったらしい。
散らばっていった怪異もどきの体の破片が、ゆっくりと消えていく。
「……おしまい」
消滅を見届け、私はフィールド魔法を解除する。
そうして、景色は一変し……やがてそこは、深海でも激しい水流の川でもない、ただの廃工場に戻っていった。
鉄の匂いが充満していて、所々に錆が目立つ。
中央に置かれた大きなベルトコンベアが目を引くけれど、しかしそれは、どうやら完全に停止しているようだ。
「討伐完了! お疲れさま、ディープマリン!」
「……お疲れさま。スカイスケイル」
最初よりは少し言い慣れてきたような感覚を覚えながら、私たちは互いを労い合う。
そして、今もまだカメラの役割に徹しているはねたぬきの方を見た。
視界を不用意にブレさせるわけにはいかないからか、そのままの姿勢で、控えめにすっと親指を立てて見せた。
「……ご視聴、ありがとうございました」
「チャンネルの登録とか高評価とか、あとあと、わたしたちの活躍へのコメントとか! よかったらぜひしていってね!」
奏蕾が、はねたぬきの視界を液晶の向こうから見ているであろう視聴者たちに向けて、元気に手を振った。
……私も、何かしたほうがいいのかなと思い、ちょっとだけ、真似してみる。
まあ、真似とはいっても、私の場合は手首だけを小さく揺らしているだけだけど。
私たちの言葉の後、しばらくして、はねたぬきが小さく頷く。
今回も、無事に配信終了というわけだ。
「二人とも、お疲れさまだッチ! 手強い相手だったけど、かなりいい連携だったッチよ!」
ふう、と小さく息を吐き、緊張した空気を弛緩させる。
そして、変身を解こうとした、次の瞬間。
「──おう! 久しぶりだなディープマリン! 今日も配信、お疲れ様!」
不意を突いて、見知った顔の魔法少女が廃工場へと飛び込んでくると、その勢いのまま、私を、思い切り殴り飛ばした。
「……っ。びっくりした」
先に変身を解いてしまっていた奏蕾の、驚きのあまり口をあんぐりと開けた顔に見送られながら、私は壁を突き破り、そのまま大きく吹き飛ばされた。
声が聞こえた瞬間に嫌な予感がして水の衣による防御を展開したおかげで、特に負傷することはなかったけれど、さすがに突然すぎて驚いた。
……ここは、廃工場内部の別の区画といったことだろうか。
どうしたものかと考えながら、私はゆっくりと立ち上がる。
そして私を殴り飛ばした襲撃者や、奏蕾とはねたぬきがいる場所に戻ろうとした、その時のこと。
背後から、足音が響き渡る。
「……初めましてっすね、ディープマリン。悪いっすけど、合流はさせないっすよ。このフロアを抜けたければ、この私を倒すことっす」
……初めましてと言う割には、どこか聞いたことがあるような気のする声が、私の動きを牽制した。