水底の魔法少女とドラゴンの落とし子   作:ピンノ

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38話 課題と誘惑

 

 花久楽と出会い、パイロハート……鈴実と再会してから、また何日かが経った。

 

 学校では各教科の期末テストの範囲が告知され、同時に、テストの日に提出しなければならない課題も言い渡された。

 

 それらの課題は、量が多い上、結構難しい。

 教科書と所々に抜けのあるノートだけでは、とてもまともに進められたものじゃなかっただろう。

 

 少し前に、詳しい解説が載っている参考書を買っておいたのは正解だった。

 

 ……それと。

 

 最近は、少し気温が高くなってきたことを強く感じる。

 家にいる時は冷房をつけるのが当たり前になり、この前なんて、奏蕾や紋華と一緒に袖の短い服も買ったりした。

 

 たしかに、テスト勉強は辛いものだ。

 だけど、それさえ終われば、今度は夏休みが待っている。

 

 私は改めて気持ちを奮い立たせ、目の前の、暗号のような文章に向き合った。

 ……かつてはこれが標準的な文章だったなんて、とても正気とは思えない。

 

 やっぱり古文は、私にとって、大の苦手科目の一つで間違いない。

 

 

「テストの日ってまだ結構先だよね? こんなに急ぐ必要って、あるのかな?」

 

 

 一緒に課題を進めていた奏蕾が、ポツリとつぶやく。

 

 まあ、たしかにまだテスト範囲の告知があったばかり。

 その主張も、理解できないことはない。

 

 見てみれば、奏蕾が取り組んでいる課題は、私と同じく古文だった。

 しかし開かれているページは、私が今取り組んでいるものよりも結構前のところだった。

 

 

「うーん……英語とかは魔法で解決できるんだけどなぁ。……古文って、言葉っていうより勉強って感じがするからか、あんまりうまく魔法で解読できないんだよねー」

 

 

 私が見たことに気付いたようで、奏蕾はため息混じりの愚痴を吐いた。

 たしかに、奏蕾の課題の進みは私よりも大分遅い。

 

 だけど、前提として、奏蕾はまだこの勉強というものを始めてからまだ一ヶ月と少しくらいしか経っていない。

 

 そういう意味ではとてもよく頑張っていると思うけど……まあ、だからといって、課題の進みが少しばかり遅いということに変わりはない。

 

 ……もしかしたら。

 奏蕾の特別な出自を考えれば、どうにか学校や組織に頼んでみることで何らかの特別な扱いをしてもらえる可能性はあるかも知れない。

 

 ただ、それについてはむしろ、奏蕾が中途半端についてこられているからこそ、判断が難しいところもある。そういう特別な扱いをしてもらうには、彼女はあまりにも優秀すぎる。

 

 だって、せっかく、あともう少しでクラスに追いつけそうだと思うから。

 その『あともう少しを頑張る理由』を取り上げるなんて、私にはとてもできそうにない。

 

 

「うー……飽きた! 面倒くさい! ……せっかくの休日なんだし、それに勉強も二時間くらいやったし、少しくらい、ゲームしていい?」

 

 

 そうやって後回しにしていると後で困る。

 辛いのはわかるけど、ここは耐える時。

 

 そんな言葉が口から出かかったけど、私は、それらを飲み込んだ。

 

 そもそも、私には奏蕾に勉強を強制する権利などない。

 しないよりはした方がいいと思うけど、そもそも、奏蕾を学校に通わせているのは私の勝手な都合によるものだ。

 

 それに、私だって、疲れたし面倒だと感じてきたところである。

 

 

「……そうだね。ずっと根を詰めてても仕方がないし、休憩にしよう」

 

 

「いいの!? やったー!」

 

 

 私が静かに課題を閉じると、それを見た奏蕾は勢いよく自分の課題を放り投げ、そしてすぐに、ゲーム機のコントローラーを取ってきた。

 

 私はそれを横目に、台所の引き出しから紅茶のパックを二つ、取り出した。

 

 テレビの電源がつき、ゲームの画面が映し出される。

 対して私は、水の入ったやかんを火にかけ、それが沸騰するのを待つ。

 

 オンラインで、ゲームを開始するのに必要なプレイヤーが集まった頃。

 ようやく沸騰したお湯で、私は二つのカップに紅茶を作る。

 

 そうして、自分の分の紅茶と、奏蕾の分の紅茶を静かにテーブルの上に乗せる。

 すると、奏蕾はゲームの画面を熱心に見つめながら、「ありがとう」と一言礼を言ってきた。

 

 外は、暑い陽射しが照っている。

 しかしこの部屋の中は、しっかりと冷房が効いていて、とても涼しい。

 

 寒い冬の日に暖房をつけてアイスを食べるように、私は、涼しい部屋の中で熱々の紅茶に口を付けた。

 そして花久楽の配信アーカイブをぼんやりと眺めながら、テーブルの上に置いたお菓子を開ける。

 

 小さなスマホの画面の向こうでは、怪異から逃げながら協力して深夜のショッピングモールを脱出するゲームを一人で遊ぶ花久楽のゲーム画面が映っている。

 

 ……もしも同じゲームを買ったら、今度一緒に遊べたりするのだろうか。

 

 

「よし! 勝った、これは勝ったね! ……って、あ、あー! 道連れ! わたしだけ道連れにされたー!」

 

 

 私はゆっくりと顔を上げ、大騒ぎする奏蕾を眺める。

 見慣れた光景ではあるけれど、いつもいつも、よくそんなに熱中することができるものだ。

 

 ちなみに画面には、『生存失敗』という文字がデカデカと表示されている。

 これはどうやら、ゲームオーバーということらしい。

 

 

「……そのゲーム、そんなに面白い?」

 

 

 私の中で呆れと興味が半分ずつ入り混じり、ふと、奏蕾にそんなことを聞いてみた。

 

 

「うーん、まあゲームバランスとか色々と思うところはあるけど……でも、面白いよ! ……やってみる?」

 

 

 意外なことに、奏蕾がコントローラーを差し出してきた。

 

 ……だけど、私も一応、そのゲームのことを全く知らないわけではない。

 

 それは、チームでやるゲームだったはず。

 今ここで私が奏蕾と代わった場合、いきなりインターネットの知らない人とゲームを遊ぶということになる。

 

 ……それは、少しばかりハードルが高い。

 

 

「私は、いい。知らない人とゲームをやるのは、気が進まないし」

 

 

「……そっか」

 

 

 首を横に振って断ると、奏蕾は残念そうにコントローラーを引っ込めた。

 

 ……部屋の中に、なんとなく気まずい空気が流れる。

 

 

「……それ、一緒に遊んだりって、できないの?」

 

 

 奏蕾の顔が少しだけ悲しそうに見えて、かと思ったら、私はついそんなことを言い出していた。

 

 

「できるけど、本体がないと……あ、でもクロスプレイ対応してるから、パソコンとかでやれば、できるかも……?」

 

 

 奏蕾が、何かを思いついたように一度コントローラーを置き、そして代わりに、貸しているノートパソコンを動かし始めた。

 

 

「……そのパソコンは、あんまりスペック高くないから無理だと思う」

 

 

 ゲームの要求スペックがどのくらいなのかはわからないけど、少なくとも、今ここにあるそのノートパソコンは、残念ながら、そういうことができるようなものではない。

 

 

「うーん……。そっか……」

 

 

 がっくりと肩を落とす奏蕾。

 ……別に、そこまで興味があるわけでもないし、そんなに一生懸命に方法を探さなくてもいいのだけれど。

 

 私はスマホの画面に目を向け、動画再生アプリを閉じる。

 そして、なんとなく電子決済アプリの残高を見た。

 

 ……まだ、結構余裕がある。

 

 別に、今奏蕾がやってるゲームはいいとして。

 花久楽の配信していたゲームも、同じゲーム機で遊べるらしい。

 

 ……ある意味では、これはいい機会だと言えるのかも知れない。

 

 

「よし、じゃあ今から電器屋に行って、私もゲーム機を買おう。……奏蕾も行く?」

 

 

 唐突な思いつきに、奏蕾は、驚きに目を見開いた。

 

 

「うん、行きたい! 行こう!」

 

 

 驚いた表情を見せたと思ったら、今度はすぐにその目を輝かせ、一切の躊躇なく、さっとゲームの電源を切った。

 

 テスト勉強をするはずだった私たちは、その厳しい現実から一時の間目を逸らすため、涼しい部屋を出て炎天下の外を歩く。

 

 しかし、私たちは魔法少女とドラゴンという二人組。

 夏の陽射し程度、暑いという感覚こそあれど、別にどうということはない。

 

 陽射しよりも鋭く突き刺さるような気のする、はねたぬきの呆れた視線を背に受けながら。

 

 しばらく歩くと、私たちは近場の電器屋に到着した。

 

 あのゲーム機は、そこそこ新しいものであり、在庫がないことも少なくない。

 だから、いざ来てみたものの、売っていないという可能性は十分ある。

 

 ……しかし逆に、それだからこそ話は単純。

 

 ここに売ってなければ、その時は縁がなかったのだと諦める。

 売っていたら、そのまま買う。

 

 ただ、それだけのことでいい。

 

 私たちは冷房の効いた店内を悠々と歩き、そして、すぐにゲームコーナーへと到着した。

 

 

「──あった。しかも、ラスト一個」

 

 

「夏休み特売セールだって! ……まだ夏休み始まってないけど」

 

 

 偶然一つだけ残っていたそのゲーム機を手にして、私は、静かにカウンターへと足を運ぶ。

 

 ……だけどそんな私を、奏蕾がすっと制止した。

 

 

「このゲーム機は、画面とか付いてないから色々買わないとだよ。モニターと、あとは、コントローラー!」

 

 

「……そっか。わかった」

 

 

 冷ややかな視線を向ける者はいても、止める者は存在しない。

 

 ついでに奏蕾の分のモニターまで買って、さらには本屋に行って漫画を買い、お互いの服まで選び。

 

 気が付けば……私は、かつてない大散財をした後だった。

 

 ノリや勢いというのは、怖いものだ。

 

 大荷物を抱えて炎天下の外を歩き、そして……家の冷房で頭を冷やす。

 今日はテスト勉強をしようと思っていたのに、いったい何をしているのだろう。

 

 たしかに、勉強は面倒だ。

 しかしそれでも、ものには優先順位というものがあるはずだ。

 

 窓から差し込んでくる陽射しは……すっかり、茜色に染まっている。

 

 

「勢いで買ったけど、これは封印。……テストが終わったら、一緒にやろう」

 

 

 私は買ったばかりのゲーム機を、箱に入れたまま物置き部屋の中にしまう。

 ……これは、戒めだ。

 

 この大きな箱は、少し現実から目を逸らしたらそのまま無限に目を逸らし続けてしまうという、私の心の弱さの象徴だ。

 

 

「えー!? せっかく買ったのに、そんな先にするなんて勿体ないよー!」

 

 

「……でも、将来のことを考えたら、勉強はちゃんとしないとだから」

 

 

 魔法少女を引退したら、どうするのか。

 それを考えるのなら、やはり、今から勉強はしておいた方がいい。

 

 ……誘惑を振り切りながら、私は再び、古文の課題の続きを始めた。

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