定期テストが近づいてくると課題に追われるというのは、どうやら生徒だけの話ではないらしい。
授業の教科担当の先生が、テストの問題作りを終えられていないとのことで、代わりに、自習時間となったある時のこと。
黙々と教卓でテスト作りに励んでいる先生の姿をぼんやりと眺め、私も、着実に課題を解き進めていた。
……この時期、あまり珍しいことではない。
期間中に大量の課題を進めなければいけない生徒の身としてはありがたいけれど……本当は、あまり褒められたことではないのだろうとも思う。
教室は、静かなものだ。
私以外のみんなも、これ幸いと各々課題を進めている。
隣の紋華も、また、静かにノートにオリジナル生物のイラストを描いている。
ただただ、ペンが紙の上を走る音ばかりが、教室中に響いている。
しかし、一方隣のクラスからは、普通に授業をしている声が聞こえてくる。
……より真面目なのは、今声を張り上げている隣のクラスの先生の方だろう。
しかしどちらが生徒から有り難がられるかといえば……私はこっちの方だと思う。
その上で、どちらが良い、という尺度で考えると私には難しい。
先生の仕事は授業をすることだし、生徒から好かれることもまた、大切なこと。
目の前の先生はただ自分の課題に追われているだけなのかも知れないけれど……まあ、うん。先生という職業は、色々と大変そうだ。
私個人としては、あまり、なってみたいとは思わない。
沈黙を乱さないよう静かに、ふう、とため息をついた私は、課題の冊子のページをめくる。
そして次の問題文を読もうとした、その瞬間。
マナーモードのスマホが、ポケットの中で振動した。
……わずかに椅子を引いて、私は机の下でスマホを見る。
どうやら、近くで怪異もどきが出現したとのことらしい。
推定危険度は、やや高め。
緊急性については、特段高いわけではないとのこと。
反射的とも言える動作で、流れるように、その討伐に自分が行く旨を組織に伝える。
「……帰る」
「えっ? あー……。わかった」
紋華に小声で伝えると、紋華もまた、小声で言葉を返してきた。
「……奏蕾」
「おっけい! 今行くよ」
同じく奏蕾にも小声で一言伝えると、奏蕾も、瞬時に察したようで、小さな声で返事をしつつ、私と同じように席を立った。
学校にいる時は大抵カバンの中でじっとしているはねたぬきまで出てきて、私たち二人と一匹は、足音を殺して、静かに教室の後ろの側の扉から退出する。
手元の作業に集中していた先生が、物音に気付いた様子で一度こちらに目を向けてきた。
そして目が合ったけれど、彼は特に何を言うでもなく、また作業に意識を戻した。
突然の教室からの脱出に、気付かれていないか、あるいは、気付かれた上で事情を把握していることから見逃された中。
ただ一人。奏蕾の隣の生徒……詩菜津だけが、密かに、じっとこちらに目を向けていたのが、少し印象に残った気がした。
「ふう、脱出完了……! だね」
「……人聞きが悪い。別に、学校には後から組織経由で正式な連絡が行くし、悪いことをしてるわけじゃない」
言葉を交わすこともなく、静かに廊下を歩いて抜けて。
私たちは、直接浴びせられる太陽の陽射しがジリジリとアスファルトを焦がすような、屋外に出た。
……奏蕾の言葉にはそう返しつつも、事実としては、なんとなく後ろめたくてつい、校舎の中では息を潜めていた。
その中から出てきたことによって、実際に妙な解放感のようなものを感じているというのは、否定できない。
「位置情報によると、廃病院。歩いて行ける距離。方向は……あっちの方だね」
「おー……。そっちってあんまり行かないよね」
学校の中とは打って変わって、普通に言葉を交わしながら、私たちはその場所へと向かっていく。
「今回は急がないやつ?」
「……うん。組織からは、配信の許可も出た」
しかし、改めて考えると、奏蕾も随分と慣れたものだ。
まあ、なんだかんだで結構なペースで怪異もどきと戦う機会があったし、当然といえば当然のことなのかも知れない。
「今回の敵も、油断できない強さみたいだッチ。二人のことだから心配はしてないッチけど、気を付けるッチよ」
「はーい!」
「……うん。わかってる」
しばらく歩いて、私たちはそこに到着した。
……きっと昔は、ここはそこそこに大きな病院だったのだろう。
今では、この辺りではまあまあ有名な心霊スポットだ。
ただ、心霊スポットとして有名でも、こういう本当の廃墟で肝試しなんてするような人は、まずいない。
単純な話、こういう場所は怪異もどきが発生する可能性が結構高い。
怪異もどきが現れてしまえば、当然肝を試してるような場合じゃないし、そもそも、怪異もどきと霊なら、私は霊の方がマシだろうと思っている。
実物を見たことはないけれど、もともと人間だったのなら、その死後である霊的存在は、話が通じてもおかしくない。
しかし怪異もどきに関しては、どう考えても、それは無理。
「怪異もどきがいるのは……こっちの方だッチ」
廃病院の中、はねたぬきが先導する。
後ろを歩き、そうして辿り着いたのは……一見なんの変哲もない、一つの扉の前だった。
「……メタモルフォシス」
「メタモルフォシス・イリュージョン!」
扉の前に立った私たちは、揃って変身をし、それからはねたぬきに合図をした。
「……こんにちは。今日も、スカイスケイルと一緒に怪異もどきを討伐しに行く」
「はいはーい! 初の期末テストに怯える新人魔法少女! スカイスケイルです! 初めましての人もいつも見てくれてる人も、よろしくね!」
いつも通り、怪異もどきの討伐の様子を配信する。
しかし期末テストがどうこうというのは、別に言わなくてもいいのではないだろうか。
認識阻害があるから致命的な身バレにはならないだろうとはいえ、こう、リテラシー的に……いや、まあいいか。
「……じゃ、行こう」
「おっけー! れっつごー!」
水の衣で薄く防御を展開しながら、私は静かに扉を開ける。
……そして踏み入れた扉の向こうには、幻想的な灯りが並んでいた。
「おおー……! なんか、すごい賑やかな雰囲気だね!」
まるで、祭りか何かのような雰囲気。
並んでいるのは、屋台や提灯。
おまけに、どこからともなく囃子や笛のような音も聞こえてくる。
……今のところ、どれだけ集中してみても、体力を奪われたりとか、そういうような感覚は一切ない。
「いらっしゃいませー! いらっしゃいませー!」
屋台の中から、顔の無い人のような何かが話しかけてきた。
「えっと、どうも? ……なんか話しかけられたんだけど、こういう時ってどうしたらいいの?」
「……無視でいい」
困ったように聞いてくる奏蕾に、私はシンプルに答えを返した。
……しかし。
言葉はともかくとしても、見ている感じでは、何もしてこないのは逆に面倒だ。
こういうのは、大抵……。
考えながらも、ひとまず私は、その場で弓を構える。
そして、水の矢を番え……一切の躊躇いもなく、放つ。
それは、たしかに屋台の中に立つ顔のないヒトに命中した。
……が、しかし。
「いらっしゃいませー! いらっしゃいませー!」
……手応えなし。
まるで最初から実体などなかったかのように矢はすり抜けていき、そして、その顔なしのヒトは、ただ無感情に同じセリフを繰り返す。
まあ、異界のエネミーに感情なんていうものがあるわけがないのだけれど。
「すり抜けた!? いきなり撃ったのもびっくりしたけど……これ、どうなってるの……?」
隣で、奏蕾が驚きの声を上げた。
……まあ、たしかに初めて見ればそうなるだろう。
これはおそらく、ごく稀に見る無敵系の『倒せないエネミー』というタイプの存在。
まだ矢を一度当てただけでしかないけれど、この手応えの無さは、そういうものである可能性が高いだろう。
……より深く踏み込んで考えるのなら、こちらが明らかな敵意を向けて、しかも実際に攻撃したにも関わらずここまで無反応な辺り、向こうからこちらに攻撃することもできないのかも知れない。
「……少し、見て回ろう」
「うん、そうだね」
壊れたスピーカーか何かのように、未だに「いらっしゃいませー! いらっしゃいませー!」と繰り返すエネミーを気にしている様子を見せつつも、奏蕾は移動し始めた私の後について来た。
「……なんていうか、変な感じ。最初は楽しそうって思ったんだけど、こうして見るとなんていうか、中身がないような感じがする」
エネミーは、さっきのヒトだけじゃない。
屋台はずらりと並んでいて、その一つ一つに、エネミーが配置されている。
敵対的な行為をしてこない上に徘徊もしていない、そんな存在をエネミーと呼ぶのはなんだか不思議な感じがするかも知れないけど……しかし、分類的にそう名付けられているのだから仕方ない。
「……ルールが、あるはず。現状では、ここはただの祭りの風景」
歩いて回ればどこかに何か違和感を見つけられるかも知れないと思ってみたけれど……しかし、そこまで単純ではないらしい。
歩いても歩いても、同じような『楽しげな』景色が続いているだけ。
「……少し、脇に寄って」
「うん、わかった!」
奏蕾が横に移動したのを見て、今度は、私は水の矢を前方に向けて放った。
かなりの距離を歩いたにも関わらず、まだまだ果ての見えない一本道。
まるで、無限に続いているかのように思える光景だ。
「うしろ!」
「……大丈夫」
放った矢が背後から迫ってきた。
振り向きざま、私は指先で矢の先端に触れる。
矢が私の指を傷付けることはなく、それは、一匹の魚の形になった。
……これは、私が放った水の矢で間違いない。
この空間は、広いのではなくループしている。
戻ってくるまでにかかった時間から逆算したところでは、私たちは既に一周している。
一本道で、脇道はなかった。それに、これまで見たのが偽物のエネミーでどこかに本物のエネミーがいる……というわけでもなさそうだった。
「うーん……。屋台ってことは……何か、買ってみるとか?」
情報を共有すると、奏蕾は少し考えて、次のアプローチの提案をしてきた。
「まあ、たしかに」
言われてそう返してみたけれど……そもそも、この屋台は何かを買えたりするのだろうか。
どの屋台も、何かを売っていそうな雰囲気こそあるものの……そこに書かれている文字は全て、まるで質の悪い生成AIが出力した画像のように、崩れている。
そもそも、怪異もどきが物を売り買いするなんていうことは一度も聞いたことがないし、怪異もどきに人間の言葉を理解できるほど知性があるなんていうのも、考えにくい。
……しかし、何事もやってみなければ始まらない。
立ち止まり、目の前の屋台に向かってみる。
「いらっしゃいませー! いらっしゃいませー!」
その屋台のヒトも、言葉を理解しているのかしていないのか、ただ同じ言葉を繰り返している。
「……これ、ください」
読めない文字を適当に指差して、言ってみる。
「ありがとうございます!」
一瞬、顔の無いはずのエネミーが、ニタリと笑ったような気がした。
「……っ」
……その瞬間、突然、体力を奪われたことを感じた。
奏蕾の方は、別になんともなさそうだ。
屋台の向こうのエネミーから、手渡しで何かを渡される。
それはまるで泥のような、得体の知れない物体だった。
「……」
嫌々ながら、私は仕方なくそれを受け取る。
すると急に……奇妙な高揚感や充足感のようなものが駆け巡った。
ハッとして見ると、既に私の手には、何もない。
「……。体力の吸収に、精神干渉。多分、何かを買うことが条件」
精神に働きかける力を持つ怪異もどきは、珍しいけど存在する。
魔法少女の精神干渉への耐性は、常人よりもかなり高い。
それでも、完全に効果を受けないというわけではない。
……辺りを、見渡す。
エネミーたちが当たり前のように声を張り上げ、そして祭囃子が響いている。
さっきまでと、特段変わった様子は見られない。
私は静かに深く呼吸をし、気持ちをゆっくりと持ち直す。
……この怪異もどきは、思っていた以上に、厄介な存在かも知れない。