変わらず、愉快な囃子や笛の音が響いている。
気持ちを落ち着けたつもりだけれど、妙に、なんとなく落ち着かない。
奏蕾の提案したアプローチによって、少し膠着していた状況に動きがあった。
この異界の祭りの中では、屋台で『何かを買う』ということがトリガーとして機能していることがわかった。
……思い返すと、星空が時計盤を描いていた洋館の異界では『エネミーを倒すこと』がトリガーだった。
その度に体力を奪われたけど……最終的には、時間内にその条件を踏み続けることで、本体を引き摺り出すことができた。
条件を満たした時、体力を直接奪ってくる異界は、少なくない。
しかし必ずしも、その条件は避けなければならないものとは限らない。
判断が、求められる。
先ほどの『買う』という行為によって、状況に変化が起きることは確かだ。
……そう。
あくまで、検証の為であり、この異界を攻略するため。
それによって、その副産物として、また……。
自分の鼓動に、わずかばかりの乱れを感じる。
よし、決めた。
思考を整理して、私はおもむろに口を開く。
「……この屋台は危険。できるだけ、近づかない方がいい」
「う、うん……!わかった!」
私は、奏蕾と一緒に、極力屋台に近寄らないよう道の中央部分を歩く。
精神干渉が付随する体力の吸収なんて、軽々と背負えるリスクじゃない。
あの一時的な高揚感と充足感は、罠だろうと判断した。
前提として、呑み込んだ人間を、命を代償とする『買い物』という行為に依存させるというのが手口なのは間違いない。
考えるべきなのは、それを繰り返すことによって、本体を引き摺り出すことに繋がるかどうかという点。
今できることは、『買う』、もしくは『何もしない』。
どちらも、等しくハズレである可能性があるのは間違いない。
……洋館の時は、時計盤から連想できる十二という数字の区切りがあった。
だから一旦そこまで試してみるという判断をすることができたけれど……今回、そんなものはない。
ハズレだった時、よりリスクが高いのはどっちなのか。
……消極的な判断基準だけど、こういう考え方もある。
「……少し、歩こう」
「おっけー!……でも、なんか変な感じだね。異界にいるのに、全然戦ってるって感じがしない」
思えば、能動的に何かをしてくることがない異界は、奏蕾にとっては初めてか。
こういうタイプは珍しいし、私だって、そんなに経験があるわけではない。
とはいえ私は、なんだかんだで魔法少女歴は長い方だ。
相対的な基準なら、経験がある方ということにはなるのだろう。
「……うん。だけどここが異界の中なのは間違いない。警戒は、続けよう」
……周囲への警戒は続けつつ、ただただ歩いて前に進む。
既に『この異界はループしている』ということを確認済みだから、こんなことをしてもあまり意味がないように思えるかも知れないけれど……まあ、歩いている方が、精神を落ち着けやすいと思ったから。
……そうして、ふと、歩きながら周囲を見ていると。
屋台に書かれている文字のような何かを、時折、普通に読めるものだと錯覚している瞬間があることに気が付いた。
ふとした時に、気がつくと、『あの──いいな。あそこには──の屋台があるのか』なんていう思考が浮かんできている。
──が何なのか、きちんと振り返って考えてみるとさっぱりわかっていないというのに、だ。
「うーん……しかし、何も変わらないねー。音はずっとうるさいし、ちょっと飽きてきちゃったかも」
「……!?」
「……ん?どうしたの?」
奏蕾の何気ない言葉を聞いて、私は、衝撃を受けて立ち止まった。
……いや、違う。
自分がその言葉に衝撃を受けたことに衝撃を受けたというか……。
そうだ。
こんなことをしていたら、飽きるというのが普通だろう。
……にも関わらず、私の心は、ずっと、どこか浮ついている。
周囲の景色に魅力を感じ、その誘惑に抗うように堪えていた。
まるで、こうしていることが『楽しい』とでも思ってしまっているように。
……考えてみれば、私はどうして、何もしなければ精神干渉を受けないと思っていたのだろう。
自分が受けている何かを探る為、深く、集中しようとする。
……しかし、うまくいかない。
いや、うまく集中できない状態にあるということに今気付いた。
さっきまでは、十分に集中できていたと思い込んでしまっていた。
高揚感に、判断力及び状況認知能力の低下。
要素を挙げると、かつて学校の授業で聞いた『アルコールによる影響』に近い気がする。
鳴り響く太鼓のリズムが心地よく響いて、また、思考に空白が生まれそうになる。
……いや、そういえば、太鼓なんていつから鳴っていたのだろう。
「精神干渉の影響は、ここにいるだけ……いや、流れてる音を聞くだけでも受けるみたい。奏蕾は、平気?」
「……?わたしは、平気だと思う。──ていうか、そっちは大丈夫?なんかずっとぼーっとしてるなーって思ってたけど……精神干渉って、良くないんじゃないの?」
それは……もちろん良くない。
あれ以降、体力を奪われたりはしていないと思うけど……ここまで深刻なのは、想定外だ。
状況が、悪い。
なら、状況を動かすために、何かしないと。
そうだ、また──を買えば、状況に変化が起きるかも。
ふらり、と、視線が道の脇の屋台に吸われる。
そして一歩、足を動かす前に踏み止まった。
……私は、今何を考えた?
無意識のうちに伸ばしかけていた手を下ろす。
そんな時、聞いているだけで踊り出しそうになるような騒がしい音が、一層大きくなった気がした。
なんだったっけ。
なにか、むずかしいことを考えていたような気がする。
……ぼんやりと、空を見上げる。
真っ黒な、何も見えない空。
しかしそれは、空虚などとは思えない。
まるで今にも完成しそうな、描きかけの絵画のキャンバスのよう。
愉快なリズムが、響き渡る。
それはこの空間なのか、頭の中になのか、区別がつかない。
私の様子を見て、奏蕾も、訝しむような表情を浮かべながら上を見上げた。
大きな音に混じって、小さな音が聞こえる気がする。
それは、何かが上へと打ち上がっていくかのような……。
得体の知れない期待感が、どこからともなく湧き出てくる。
そして、次の瞬間。
……空に、大きな花が咲いた。
まぶしくて、きれいな花。
絵に描いたようにのっぺりしていて、安っぽくて、表面的なのに、『きれいだ、美しい』という感覚が心を満たす。
ふわふわとした、浮遊感。
私は、近くの屋台に身体を預けて寄りかかる。
そしてまた、次の花が咲こうとする音が聞こえる。
酩酊感の中、寄りかかった屋台のヒトに──を頼もうと思い、その顔を見る。
そこには目も鼻も口も無いのに、親しげで、優しそうな顔に見えた。
また、黒い空に花が咲く。
……とても、気分がいい。
私は口を開き、勢いのまま、払えるだけの対価を支払って浪費を貪ろうとする。
が、直前で手首を強く掴まれた。
「ディープマリン、あそこ、なんか道ができてる!」
奏蕾が指先を向けたところには、確かに、今まで無かったであろう道があった。
抜け道……とでもいうのだろうか。
その先にも提灯や屋台は並んでいるけれど……全然明かりが灯っていなくて、とても楽しそうには見えない。
がらんどうで、つまらなさそう。薄寒くて、寂しそう。
そんなものを……私は知ってる。
家に帰っても誰もいなくて、どうして生きてるんだろうって、膝を抱えて。
だけど、二人に生きろって言われたんだから生きなきゃって、腐った心に鞭を打つ。
……それは、私にとって、普通だったはずのこと。
どうやら少しだけ、忘れてしまっていたらしい。
「……ごめん。少し、うっかりしてた」
私は、奏蕾に腕を掴まれたまま足を動かす。
急に歩き出した私の斜め後ろを、奏蕾は、慌てたように追いかけてきた。
一歩、また一歩と、薄暗い抜け道に近づくたびに、自分のものではなく恐怖や拒絶感が湧き上がる。
こっちは、たしかに寒くて、寂しくて……だけど、それでも。
手首を握ってくる手のひらは、あの空っぽな祭りの提灯なんかよりも、ずっと温かい。
……やがて暗い道の中に足を踏み入れると、一気に、騒がしかった音が遠ざかった。まるで、背後から、戻っておいでと呼びかけてきているかのようだ。
「油断した。もう、大丈夫」
心の中を、絶えず喪失感や寂寥感が埋め尽くす。
……だけど残念ながら、この感覚には、私は結構慣れている。
奏蕾と二人、並んで真っ直ぐ歩き進める。
囃子も笛も、太鼓も花火ももう聞こえない。
……だけど、これでいい。
私の目的は、怪異もどきを討伐すること。
そして、この異界を祓うこと。
歩いていると、前方の道に、人影がぞろぞろと並んでいるのが見えてきた。
それは、行列や整列のような、規則的な並びではない。
ただ、多数の人影が、そこにいる。
さらに近づくと、それらは一様に、笑うヒトのような面を被っていることがわかった。
あれは、エネミーだ。
それも、屋台にいたのとは違うタイプ。
「……噛み砕いて」
向こうが動き出すより前に、私は水の鮫を向かわせて適当な一体を襲わせる。
半透明の大きな顎は、容赦なく、エネミーを宣言通りに噛み砕いた。
「……うん。正解みたい」
エネミーの形が崩れて、消えていく。
その瞬間、虚脱感と不安が心を満たし、口の中が乾いた気がした。
「そ……スカイスケイル」
「……?どうしたの?」
いつも通り、奏蕾の声が返ってくる。
「……何でもない。ようやく、解決の糸口が見えた」
突然名前を呼んだからか、不思議そうに首を傾げる奏蕾だったけど。
何かを誤魔化しながら続けた私のその言葉で、力強く首を縦に振った。
「うん!やっと、戦えるね!……うちのディープマリンに妙なことをしたこと、後悔させてやるんだよ!」
そんな風に言われると、この異界に入ってからの自分の醜態を突きつけられるようで、気恥ずかしい。
……だけど、不思議と、自分の口角が上がっていることに気が付いた。
「……反撃開始。全部、噛み砕いて」
「合わせるよ!ブラスト・ロア!」
三匹に増えた水の鮫がエネミーの群れを襲撃し、さらに、奏蕾の熱線が光を放つ。
敵が倒れるたびに、膝から崩れ落ちそうな空虚が心に入り込んでくる。
だけど、それで立ち止まるようなことはない。
私たちは、二人で敵を打ち破って進んでいく。
……そうして、やがて。
敵を倒しながら進んだところ。
道の先に、大きな鳥居が見えてきた。