私と奏蕾は、面を被ったエネミーの集団を全滅させた。
敵を倒すたびに精神干渉が挟み込まれるのはとても厄介だったけど、エネミーそのものの強さは、それほどでもなかった。
「とりあえず、敵撃破って感じだね!」
「……うん。先に進もう」
足に無理やり力を込めて、前に進む。
敵を倒し切って何でもないように笑う奏蕾の顔が、眩しく感じる。
……なんとなく、気付いてはいる。
奏蕾には、この厄介な精神干渉が一切効いていない。
魔法少女のそれを上回るほど精神干渉への耐性が異様に強いのか、なんらかの条件によって精神干渉の対象になっていないのか、あるいは、精神の構造が私たちと違うからなのか。
わからないけど、もしも異界のルールによるものなら、異界が私と奏蕾を区別し、異なる対応をしているということになる。
……しかし、現状ではそうは見えない。
この異界に足を踏み入れてから、二人とも、同じ道を歩いてここに来た。
その中で、対応が違っていた場面は、特になかったように思える。
耐性が高い可能性はある。
それと同時に、今、目の前で人間らしく笑う奏蕾の内面的な構造が、私たちと異なっている可能性だってある。
「でっかい門みたいなのも見えてきたし、あとちょっとだね!」
道の先にある巨大な鳥居を見ながら、奏蕾はそう言う。
私とは違って、その表情には疲弊や陰りのようなものは見えない。
「……うん。こんな陰湿な異界、さっさと消してしまおう」
まあ、なんだっていい。
敵の攻撃が効かないのはいいことだ。
その理由がなんであれ、奏蕾が奏蕾であるということは、揺らがない。
……道の果て。
階段を登り、鳥居をくぐる。
本物の神社なら頭を下げるなり道の脇を歩くなりしたかも知れないけれど、あいにく、怪異もどきなんかに下げるような頭はないし、こんな、形だけ真似たような異界などに、尊重するべき秩序もない。
無造作に、堂々と、その境界を踏み越える。
……その、直後。
あたりを囲むようにずらりと並んだ提灯に、ひとつずつ明かりが灯っていく。
さっきまでの、暗くて静かだったこの世界に……煌々とした、眩しいほどの光が戻ってきた。
そして、大きな音が、腹に響く。
それが太鼓の音だと、遅れて気付いた。
……目の前には、神輿のようなものがひとりでに浮かんでいる。
そしてそれは、まるで、踊るように大きく揺れている。
提灯は、それを囲むように円を描いて並んでいた。
囃子も笛も太鼓も、全てが、目の前にあるこの神輿から聞こえてくる。
さっきまで無理矢理鼓舞していた心が、一気に、羽のように軽くなる。
楽しくて、心地よくて、幸福で……それ以外の全てが、まるで漂白されたかのように消え去っていく。
一瞬にして、何もかもが満たされたかのような感覚。
さらに、空の黒いキャンバスには、狂ったように花火が打ち上がる。
シアワセで、満たされて、そんな感覚が──。
「……鬱陶しい」
手に持つ弓を力の限り握りしめ、そして、神輿を思い切り射抜いた。
……ぱたん、と、提灯から灯りが消える。
あらゆる音が、静まっていく。
空っぽの暗闇が、心を急激に降下させていく。
無理矢理上げて無理矢理落とされた精神が、その激しい温度差に、音を立てて軋んだような錯覚さえあった。
果てしない後悔や自己嫌悪が、理屈とは関係なく湧き出てくる。
一瞬にして、全ての望みが絶たれたかのような錯覚。
暴力的なまでの絶望が、私の世界を満たしていく。
……だけど、それがなんだというのだろう。
それは、今ここで武器を捨て、膝を地に打ち付ける理由になんてなりはしない。
私は目の前の、敵を睨む。
……風穴の開いた神輿は、力を失ったように地面に堕ちた。
そして、その穴から、黒い影のようなものが這い出てくる。
細長いなにか。
それは、脚のような形になった。
……少しして、その全貌が明らかになる。
一見すると蜘蛛のような脚だけど……しかし、その中心部に胴体はない。
円を描くように並ぶ脚の付け根、すなわち中心部には、ひとつの球体のようなものがあった。
黒い球体は、闇が具現化したかのように何も見えない。
……それなのに、なぜかまるで、そこにヒトの顔のようなものがあるかのように錯覚する。
笑っているようにも、悲しんでいるようにも見える。
周囲の提灯が明滅し、不協和音が響き渡る。
心が、浮かんで沈んで掻き乱されて、何が本当の気持ちなのかわからなくなる。
……これが、ようやく現れた、この怪異もどきの本性。
そこにいるだけで、笑いたくて、泣きたくて、膝を抱えてしまいそうで、踊り出しそうな、そんな混沌を精神に差し込んでくる。
「うるさい。……すごく、不愉快」
大きな鯨の口が地面から現れて、私たちをまとめて呑み込む。
……次の瞬間。
明滅していた提灯は消えて、深い水底の静謐な闇が広がった。
しかし、水の中とはいえ、概念的なものに過ぎない。
怪異もどきが発する不協和音は消えない。
心が掻き乱されて、またすぐに、正しい感情を見失った。
……だけど。
何をするべきなのかは、知っている。
心がここにあらずとも、理屈によって、身体を動かす。
フィールド魔法を展開した直後。
怪異もどきも奏蕾も反応できていない、その刹那。
矢を番え、怪異もどきを目掛けて放つ。
放たれた矢は渦をまとい、渦は、周囲の水を巻き込んで成長する。
怪異もどきは、わずかに反応して動いた。
しかしそれは完全には間に合わず、渦が、何本かの脚を奪った。
回避行動を取られたのもそうだけど、少し、狙いがブレてしまっていたらしい。
怪異もどきが身体の一部を失ったその瞬間、混沌としていた私の精神に、深い絶望が差し込まれた。
……まだ、私は手を止めない。
例え何もわからなくても、私は生きなければいけない。
そして生きるためには、敵を排除しなければいけないのだから。
震える手で、強引に矢を放つ。
ふと、隣から何か声のようなものが聞こえてくる気がしたけれど、今の私に、敵以外を見る余裕はない。
怪異もどきが、さらに何本か脚を失う。
また、強い感情を差し込まれて、心が何かに沈められた。
震える手が、また矢を番えて放つ。
……番える、放つ、番える、放つ、番える、放つ。
「……大丈夫?」
どれだけの矢を、放っただろう。
気が付いたら……怪異もどきは全ての脚を失い、流れる不協和音も、かすかなものになっていた。
隣から、奏蕾が心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
……心が、少し落ち着いた。
「……ごめん。少し、取り乱してた」
まず、これはどうでもいいことだけれど、精霊の目や耳を通した情報は、あらゆる特殊な効果や情報汚染といったものが無力化される。
だから、今配信を見ている視聴者や、映像の中継を確認している組織の人には、私が勝手に一人で暴走しているようにしか見えなかったことだろう。
そして……それは、きっと奏蕾から見てもあまり変わらない。
本当に奏蕾に精神干渉が効かないのなら、私がどうしてこんなことになっているのか、さっぱり理解できないだろう。
「終わらせる。この怪異もどき、なんだかすごく気に入らないから」
奏蕾を手で制し、動けない怪異もどきにまた矢を放つ。
矢はまたも渦を纏い、巻き込んだ水を圧縮していく。
……そして。
矢が怪異もどきの中心部を正確に穿ったその瞬間、大きな珊瑚が炸裂し、怪異もどきは崩れるように消えていった。
「これで……おしまい」
消滅を見届け、私はフィールド魔法を解除する。
景色は一変し、提灯も屋台もない、ただの廃病院に戻っていった。
病院の中の、一室。
そこには、いくつかのベッドが並んでいる。
床の上には、色褪せた絵本のようなものが落ちていた。
……表紙を見るに、夏の祭りをテーマとしたもののようだ。
「討伐完了だね。……今回は、わたしはあんまり活躍できなかったけど」
「……ごめん。あんまり、周りが見えてなかった。でも、スカイスケイルが活躍できてなかったなんてことは、ない。そ……スカイスケイルがいなかったら、今回、勝てたかどうか怪しかった」
正直に言えば、油断していたつもりはない。
判断にも、明確に誤っていたところは思い当たらない。
私なりに、最善を尽くすことはできていたとは思っている。
……嫌な、怪異もどきだった。
ここまで危機的な状況に陥ったのは、久しぶりだ。
まだ、自分の感情や心を、しっかりと信じることができていないような感覚が残っている。
「お疲れさま、スカイスケイル」
「うん! お疲れさま、ディープマリン!」
いつも通りのやり取りに、安心感を覚える。
少しずつ、戻ってきたのだという実感が湧いてきた。
……今もまだ、カメラの役割に徹しているはねたぬきの方を見た。
苦戦しつつも無事に終わらせられたことを労うように、そっと、小さく親指を立ててきた。
今回、だいぶ無様な姿を晒してしまったと思うけれど……それを責めてくるようなことは、特になかった。
「……ご視聴、ありがとうございました」
「もしよかったらチャンネルの登録とか高評価とかコメントとかで、わたしたちをこれからも応援してね!」
今回は、快勝、という雰囲気じゃなかったからだろうか。
奏蕾はいつも通りに視聴者たちに向けて手を振ったけれど、それは、少しだけ控えめなように見えた。
……私も、気まずいような気持ちを抑えつつ、そっと小さく手を振ってみる。
私たちの言葉の後、しばらくして、はねたぬきが小さく頷く。
今回も、ひとまずは無事に配信終了というわけだ。
「……帰ろうか」
「まだ学校の授業は残ってるけど……うん、帰ろう!」
体力的にも、魔力的にも、それほど消耗している感覚はない。
しかしそれ以上に、精神がかなり疲弊している。
揃って変身を解除し、私たちは出口に向かって、廃病院の廊下を歩く。
……静かな廃病院の中を、足音が三つ、響き渡る。
私と、奏蕾と……いや、はねたぬきは浮かんでいる。
……そういえば、この廃病院は心霊スポットとして有名なんだったっけ。
どこからか、視線を感じるような気がする。
私たちは特に何か言葉を交わすことはなく、歩いて、廃病院の外に出た。
さらに少しだけ歩いて、今度は、適当な路地裏へと足を踏み入れた。
「……?」
奏蕾とはねたぬきが、不思議そうにしながらついてくる。
そこで私は……ぴたりと立ち止まって、振り返った。
「……はねたぬき、少し、お願いがある」
ここからは、建物に遮られて、廃病院は見えない。
……つまり、向こうからも、ここは見えない。
私は、普通の人の目には見えないはねたぬきに、こっそり廃病院を見てくるように頼んだ。