花久楽の話を聞き、これからのことを考えていたその時。
唐突に鳴った音が一つ、廃工場の中で響き渡った。
音の出所は私のポケットからで、それは、スマホの通知音だった。
「卯実、また怪異もどきが出たみたいだッチ!」
「……うん。今、確認した」
会話の途中だったけれど、スマホを確認した私はそのまま、流れるように、自分が怪異もどきの討伐に向かうという返事をした。
そして、それから内容を確認する。
……とりあえず、緊急性は特になし。
推定危険度についても、それほど高くはないようだ。
「……」
私は、特に意味もなくなんとなく花久楽の方を見た。
「……?」
花久楽は、それに釣られたように後ろを振り向いたけれど、彼女の後ろには、別に誰もいない。
「……??」
ゆっくりと前に向き直り、そして、私の方を見る。
それから花久楽は、ゆっくりと指を一本立て、それで自分の顔を指し示した。
もしかして、一緒に行きたいのだろうか。
……そういうことなら、私としては別に構わない。
私は、とりあえず小さく頷いた。
「……よし、じゃあ、今回は三人で行こう」
「はーい! れっつごー!」
元気よく、奏蕾がいつも通りに返事をする。
しかし花久楽は、ブンブンと勢いよく首を横に振った。
「……花久楽は、行かないの?」
「も、もちろんっすよ! ボクのところに通知来てなくてディープマリンさんのところにだけ通知が行ってるってことは……ボクじゃレベルが足りてないってことじゃないっすか」
……なるほど。
そう言われてみれば、それはそうだ。
というか、それは理解した上でせっかくだから一緒に行きたいっていうことなのかと思ったけれど……なるほど。
つまりあれは『まさか巻き込まないよね?』という意味のジェスチャーだったのだろうか。
だとしたら、意図を汲み違えてしまった。
「……そっか。ごめん、勘違いしちゃってたみたい。花久楽は、別にそういうつもりじゃなかったんだね」
間違えてしまったのなら、素直に謝る。
人とコミュニケーションを取る上で、それはとても大切なこと。
……少なくとも、私はそう思っている。
「……ごめんね。だけど、組織には行くって返信しちゃったし、そういうことなら……一旦ここで解散しよう」
本当なら、花久楽の稽古の時間はもっと確保するつもりだった。
だけど、つい、いつもの癖で反射的にボタンを押してしまった私が悪い。
ただ、行くと返しておいて、やっぱりナシと取り下げるわけにもいかないので、私は花久楽に、改めて謝罪をした。
しかし、まるで捨てられた子犬か何かのような目でこちらを見てくる花久楽の姿に、罪悪感が掻き立てられる。
「……じゃあ、行こうか。奏蕾」
今度、別の日に改めてちゃんと時間を取ることを心に決めつつ、私は、花久楽の視線から目を逸らして、逃げるように奏蕾に呼びかけた。
「えっ?! あー、うん。そうだね」
奏蕾は、なんとなく歯切れの悪い返事をし、そしてちらちらと、何度も振り返っては花久楽の方を見る。
……私は、申し訳ない気持ちから、彼女の顔を見ることができない。
スタスタと歩いて、そのまま一直線に廃工場から出ようとした。
「ちょ、ちょっと、待ってください! ……ぼ、ボクも……ボクも行くっす! 連れて行ってほしいっす!」
しかし、私が廃工場を後にしようとした、その時。
なぜか前言を撤回し、花久楽がやっぱり行きたいと言い出した。
「……本当に、ついて来るっていうつもり?」
あまりに唐突すぎて、もしかしたらまた勘違いかも知れないと思った私は、つい、おうむ返しにそのまま聞き返してしまった。
花久楽の足が一歩、無意識に後ずさりした。
「はい! ……ボクは、どんな時でも逃げたくはないっす」
花久楽は自分の意思で一歩を踏み出すと、力強くそう言い切った。
別に、ここでついて来なかったとしても、私は逃げたとかそういう風には思わない。……だけど、そういうプライドみたいなものがあること自体は、それほど悪いこととは思わない。
それに、今回の推定危険度は、それほど高いわけでもない。
ついて来るというのなら、それはそれでちょうどいいと思うのも確かである。
「……わかった。じゃあ、行こう」
改めて、私たちはその怪異もどきが出現したという場所に向かう。
……彼女は、強くなって配信することが目標であるというようなことを言った。
それはつまり、今彼女に必要な強さとは、怪異もどきを相手にした時の強さであるということ。
どうしたら怪異もどきを相手にした時にうまく戦えるかといえば、それは結局、実際に怪異もどきを相手に戦う経験を積むのが一番早い。
今回怪異もどきが近くに現れたというのは、タイミングがとても良かった。
そして、さらに、私の頭の中で一つアイデアが浮かんできた。
「……そうだ。せっかくだから、花久楽がメインで戦ってみて。今回私と奏蕾は、あまり手出しはしすぎないようにしようと思う」
うん。思い付きのアイデアだけど、悪くない。
怪異もどきを訓練相手として使うのならば、そうするのがきっと一番だろう。
……なぜかといえば、それはまず、怪異もどきを相手にする時に一番大切なのは判断力だから。
私の判断の後をついて来るだけでは、それでは真に怪異もどきへの対処能力を身に付けたとはとても言えない。
内心で、一人うんうんと頷く私に、花久楽は、ギョッとしたような視線を向けてきた。
「えっと、ちなみにっすけど、配信とかってする感じっすか……?」
「……ううん、しない予定。もしかして、したかった?」
……そういえば、花久楽は私の配信を観ていると言っていた。
そこに映りたかったという可能性は、十分にある。
「してほしいならするし、そっちがしたいなら……それでもいい」
私が言うと、花久楽はまた、凄い勢いで首を横に振り始めた。
……まあ、理解できる。
私も、花久楽の配信には出たくない。
だって、もし自分が出てしまったら、その配信アーカイブは私にとって、見たくないものの一つになってしまうだろう。
……なんて、言いつつ。もちろん、花久楽が私の配信に出たくないと言ったのがそれとは違う理由だろうことは、わかっている。
「……別に、うまくいかなさそうだったらフォローはする。無責任に危険地帯に一人放り込むなんてことは、しないつもり」
配信云々は、ともかくとして。
さっきの提案で、少し花久楽を身構えさせてしまったことは自覚している。
……必要以上に身構えられても、それはそれで、あまりよくないことだと思う。
だから私は、どうにか誤解を解くことを試みた。
「それは……はい。その点については、そんなに心配してないっす」
……しかし、どうやら花久楽は、そういうことを恐れているわけではなかったらしい。
「えっと、その。……ボクは、情けないところを見られるのが、怖いんすよ」
「……それなら、大丈夫。さっきも言ったけど、三人で行くって決めた時点で、今回は配信しないつもりだった」
不特定多数に醜態を晒す恐怖は、とてもよく理解できる。
私だって、少し前に現れた夏祭りの異界での配信のアーカイブを、未だに確認することができていない。
……いや、まあ、配信のアーカイブを確認しないのはもういつものことだけど。
「その、そういうことではなく……」
しかし、またも何か言葉の解釈に誤りがあったらしい。
となると……なるほど。
「……そっか。もしかして、私たちに見られるのが、怖かった?」
身近な人に情けない姿を見せるのが怖かった、ということか。
もしかしたら花久楽にとって、不特定多数にそういうところを見られるのは、私とは違って、案外平気なのかも知れない。その上で……身近な人は例外、ということだろう。
……実際、不特定多数は平気だけど家族には知られたくない、みたいなことは、インターネットに触れていればたまに聞く。
花久楽にとって、それはそういう感覚なのだろう。
「うー……ん。まあ、そう……っすね」
なんだか、少しばかり花久楽の返事の歯切れが悪い。
おそらく、正直なことを打ち明けることに気恥ずかしさや抵抗といったものがあるのだろう。
……しかし、なんだか花久楽にばかりこうやって聞くのも申し訳ない気がしてきた。
「……花久楽は、夏祭りの異界での私を、見た?」
ここはあえて、私も、触れられたくない話題に触れよう。
つい最近、私が無様にも怪異もどきにいいようにしてやられた時の話。
なぜ急にこんな話をし始めたのかといえば、それは、人の嫌がる話題に触れるのなら自分も嫌な話題に触れられる覚悟を持つべきだと思ったから。
それが、一種の誠意のようなものだと、私は、そう考えた。
「……? はい、見たっす。なんか、屋台で泥みたいなよくわからないもの渡されて、歩き回って……それから抜け道に行ってエネミーをボコボコにした後、本体の怪異もどきも怒涛の勢いで完封したやつっすよね?」
「……うん。……うん?」
さらりと答えた花久楽に、よくそんなに覚えてるなと思いながら頷いたものの……途中で、精神干渉で酷い目にあって醜態を晒したところがナチュラルにスルーされたことに疑問を抱いて、私は、小さく首を傾げた。
「あれ? なんか、違ったっすか? ……もしかして、二年前の十月の時のやつだったっすか?」
「……いや、そうじゃない」
「……??」
「……もしかして、よくわからなかったんじゃないッチか? 表面的に見れば、あれは確かに花久楽が今言った通りの流れだったッチ」
互いに首を傾げる私と花久楽の様子を見かねてか、はねたぬきが口を挟んできた。
……なるほど。
たしかに、そう言われてみたら、そうかも知れない。
考えてみれば、精神状態がどうなっていたかなんて、心が読めるとかでもなければわからないことだ。
「……」
「……?」
……私でも失敗くらいする、みたいな話をしようと思ったのに。
前提がズレていたせいで、どう話を繋げればいいのかわからなくなってしまった。
なんとなく、気まずい空気が流れていく。
……そうして。
しばらく、歩いていたら。
「……着いた。ここだね」
……とうとうそのまま、怪異もどきが発生したという場所に着いてしまった。