草原の中、花久楽が下した判断は至ってシンプルなものだった。
それは、『可能な限り接敵を避け、草原の中を探索してみる』というもの。
私としては、ここまで来たらもういっそのこと『私や奏蕾で目に入るエネミーを全て狩り尽くしていく』とかでもよかったのだけど、どうやら、できる限り私たちの力には頼りたくないようだ。
一応、教える立場である側としては、そういう態度は好ましいものだと思う。
……ただ、この花久楽の判断については、言葉にすると単純だけど、実際にやるとなると結構難しいものだった。
草原は、とても見晴らしがいい。
それはエネミー側からも同じことで、そこから姿を隠すために花久楽が始めたのは……匍匐前進だった。
おもむろに地面に伏せ始めた花久楽を前に、無言で、一瞬固まってしまった私と奏蕾に、花久楽は、何やら慌てて「二人はこんなことしなくていい」みたいなことを言い出したけど……私たちは、黙って一緒に地面に伏せた。
しかしなんというか、懐かしいような気分だ。
敵に見つからないよう地面に伏せて行動するなんて、随分前にして以来。
今では、敵がいたら『とりあえず倒し続ければ本体が出てくるだろう』みたいなことばかり考えるようになってしまった。
……いや、まあ、あの頃から比べて今の私はそれが可能なだけの力を手に入れたと言えばそうだし、こういう工程を飛ばすことができているというのは、いいことであるとは思うのだけど。
しかしそれはそれとして、良い悪いを置いておいて、懐かしいという感情は湧いてくる。
敵に見つからないよう息を潜めて行動すること。
あるいは、それから……。
「とにかく逃げるっす! 洞窟……は、結構遠いし……あ! あそこ! あそこに突入してみるっす!」
結局敵に見つかって、さっさと足を動かして逃走することだって、そう。
鈴実と一緒に、どっちのせいで見つかった、みたいなことを言い合いながら敵から延々と逃げたりしたこともあったものだ。
花久楽と一緒に走りつつも、内心では少し余裕があり、過去を連想して懐かしんでいると……何やら、花久楽が遠くに見つけたようだ。
それは、草原にポツンと立つ……一軒の、お菓子でできた家だった。
なぜこれが今の今まで見つからなかったのか。
……それはおそらく、地面が平らではなく、微妙に弧を描いて湾曲しているからだ。
「了解! あ、エネミーとの距離あと10メートル切ったよ!」
「……うおお! ボクたちなら捕まる前に辿り着けるっす! あの家、お菓子っぽくて全然硬くなさそうっすけど、きっと中に籠ったら時間稼ぎくらい……くらい……? まあ……多分なんとかなるはずっす!」
しかし、今回は色々と泥臭く攻略を進めて来たけれど……まあ、万策尽きればこんなものか。
何とかなる! ……いや、なってくれ! みたいな、半ば賭けのようなこの状態。
傍から見ればギャグかなにかに見えるかも知れないけれど……本人側から言わせて貰えば、こっちは至って真面目なのだ。
「着いたっす! ……これで、どうっすか!」
追いつかれる寸前でどうにか間に合った花久楽は、板チョコでできた扉を開き、私たちもその後に続いた。
私たちが入った後、花久楽は開けていた扉をバタンと閉じる。
扉を閉めずとも、エネミーの身体の大きさなら侵入しては来られなかっただろうけれど……まあとにかく、ひとまずは何とかなった……ということだろうか。
お菓子でできている家、立て籠もる場所にしてはあまりにも頼りない。
……けれど意外なことに、エネミーは、諦めたように立ち去っていった。
私たちは、そっと顔を見合わせる。
「行った……っすね。こんな脆そうな家なのに……」
咄嗟のことだったとはいえ、判断を下した花久楽すらも、この状況には困惑の表情を浮かべていた。
「……まあ、あいつがいなくなったことっすから、とりあえず中の探索でも……。……?」
なにやら言葉を言いかけながら、花久楽は小さく首を傾げた。
そして、扉についた、ドアノブ型のクッキー……いや、クッキー型のドアノブ……? を捻ろうとした。
しかし、それは、まるでぴくりとも動かない。
考えてみれば、形状を無視すればあれは板チョコにくっついたクッキーでしかない。……にも関わらず、それが回るものだと考えて疑いもしなかったのは、中々に不思議なものだ。
私たちの認識というのは、単なる見た目だけではなく、これまでに見てきたものなどを照らし合わせて、意味を紐付けることで作り出されているということなのだろう。
花久楽が、板チョコを肩で押す。
……しかし、それでもそれは動かない。
入る時は普通に扉を開けて入ってくることができたのに、不思議なものだ。
「開かないっす……! もしかしたら、閉じ込められちゃったかもっす……」
しばらく板チョコと押し合いで格闘した末に、花久楽は首を横に振ってそう言った。
……もちろん、爆発やら何やらを試せばまた色々と話は変わるかも知れない。
けれど、そういった強硬策は、ひとまず中を探索してからでいいだろう。
「とりあえず、中を見てみましょう。もしかしたら、地下に続く道とかでまた先に進めたりするかも知れないっすから……」
……ゲームとかだと、なんだか結構ありそうなギミックだ。
今更だけど、異界攻略とホラーゲームとでは案外似通った点がある。
もしかしたら、契約したての魔法少女には一種のチュートリアルとして、ホラーゲームを何作かプレイしてもらうというのもアリかも知れない。
「しかし、中までお菓子でできてるんすね……洞窟の光るキノコといい、ぬいぐるみのエネミーといい、なんていうか無駄にファンシーな異界っすね……」
花久楽と共に、私たちも家の中を探索する。
ひとまず、住民とかはいなさそうだ。
「ねえねえ、これ、齧ってみてもいいと思う?」
「えっと、さすがにやめておきましょう……。有毒かも知れないっすし……」
テーブルの形をしたお菓子を指差し、尋ねた奏蕾に花久楽はふるふると首を振った。
……異界の中にあるものは、たとえどんな見た目をしていても、大抵の場合、ろくなものではない。
食べない、というのは至極当然の判断だし、それを敢えて聞いた奏蕾も、教師役として正しい行動だと思う。
……いや、うん。
まさか、本気で食べていいかどうか聞いたわけではないだろう。
「あ、こんなところにぬいぐるみがあるっす。……これは、デカくはないんす……ね……?」
奏蕾が指差したテーブルの上にあったぬいぐるみに、花久楽が何の気なしに手を触れる。
……その瞬間、ぬいぐるみの頭がぐらりと揺れて、まるで、落ちるように傾いた。
それによって、まるで洞窟や草原で見たエネミーたちと同じように、首元にぱっくりと裂け目ができた。
そして、ぬいぐるみの頭が斜めに傾いた瞬間から、周囲の景色に異変が起こった。
「あれ、ボクたち、なんか小さくなっていってるっすか……?」
ぬいぐるみも、周囲の壁や天井、テーブルも。
どんどん、大きくなっていく。
……まるで、私たちが小人になってしまったかのような光景。
「ううん。私たちが小さくなってるわけじゃない。……全部が、大きくなってる」
私の魔法は、空間そのものに作用させることができる。
だから、周囲が大きくなっているのか私たちが小さくなっているのかは、見た目では判別できなくても、私にはわかる。
「……まあ、どっちでもあんまり変わらなさそうだけど」
奏蕾が呟くのと同時、巨大化したぬいぐるみの首元の裂け目から、にゅっと真っ黒な何かが飛び出してきた。
……それは、手だ。
まるで人間のような、二本の、手の形をしている。
裂け目をこじ開けるようにして現れた両手の後から、頭、身体、と、その姿が露わになっていく。
そうしてそれは、私たちを覆うようにして、立った。
……足はない。
ぬいぐるみの首元の裂け目から、直接、影の胴体が伸びている。
「……さすがに、これが、本体っすよね」
「うん。……間違いない、と思う」
大きな影を前にした花久楽の呟きに、私が返事をする。
……まあ、見てわかること。
魔力の流れからして、あれこそが、この怪異もどきの本体だ。
「よし、そんなら最初っから全力っすよー!」
花久楽がそう言うと同時に、ようやく怪異もどきは完全体になったようで、唐突に、影の両手がぐわりとこちらに迫ってきた。
よく見ると、両手の手のひらにはぱっくりと裂け目がある。
そして裂け目には、黒い牙がズラリと並んでいた。
……しかし、速い。
単純に、大きくて速いというのは、それだけで脅威となる。
私は弓を構え、水の魚たちを周りに配置する。
……が、それだけ。反撃は、特にしない。
ついつい、危うく無意識的に反撃をしようとしてしまったけれど、それは堪えなければいけない。
だって、今日この怪異もどきと戦うのは……。
──思考の途中で、爆音が辺りに響き渡る。
視界は爆ぜ、白に染まり……そして、直後、そこはお菓子の家の一室ではなく、これでもかとネオンの光る近未来的な都市の夜景に変わっていた。
景色が花久楽の作り出したフィールドになり、建物群という比較対象が出てきたことで……より一層、怪異もどきが大きく感じるような気がする。
……と、そうだ。こんなことを考えている暇はない。
私の予想が正しければ、花久楽は、間違いなくアレでカタを付けるつもりだろう。
とても連携なんて考えていない、超がつくほどの大規模な高火力攻撃。
当然、何もせずに見ていたら、私と奏蕾も巻き添えだ。
「……奏蕾、こっちに」
「……? わかった!」
奏蕾は、このフィールドの奥の手を見たことがない。
……けれど、私の言葉にすぐに応じて、こっちの方へ寄ってきた。
「まずはデモンストレーションってやつっす! 行け、マジカルドローン軍団とマジカルロボット兵!」
私と奏蕾が二人で一ヶ所に固まると同時、花久楽は、怪異もどきにドローンとロボットたちを向かわせた。
怪異もどきの大きさからすれば、まるで小さい豆粒か何かのようだ。
鬱陶しそうに、怪異もどきの腕が無造作に振るわれ、それだけで、ドローンやロボットは破壊されて爆ぜていく。
……その、何度かの繰り返しを経て。
少しずつ、怪異もどきの攻撃をドローンやロボットたちが回避して懐に潜り込めるようになっていく。
「これがマジカルAI搭載の力っす! そんなワンパターンな攻撃、うちのマジカル軍団には通用しないっすよ!」
……そのドローンやロボットが、怪異もどきの様々な箇所に自爆攻撃を仕掛けていく。
全身が真っ黒いせいでわかりにくいけれど……しかし、その爆発攻撃は、あまり通用してはいなさそうだ。
ただ、連続する爆発は鬱陶しくはあるようで、怪異もどきの攻撃のターゲットはドローンとロボットにばかり向けられ、私や奏蕾どころか、花久楽にすら攻撃があまり向けられない。
……時間は、いい感じに稼げている。
この間に、私と奏蕾の周りに、圧縮した水の守りを何重にも施すことができた。
「さあ、そろそろ締めっす! ディープマリンさんとスカイスケイルさん、守りの準備を……」
「──大丈夫。もう、できてる」
「了解っす! じゃあ、とくと喰らいやがれっす! これが、ボクの最終奥義っす!」
どこからともなく、何かが落下してくる音が聞こえてくる。
次第にその音は大きくなり……やがて、ミサイルがひとつ、見えてきた。
「いっけー!」
花久楽が、叫ぶ。
ドローンやロボットと戯れる怪異もどきが、一瞬、花久楽の方を見た気がした。
──その直後。
轟音と閃光が、その全てを呑み込んだ。