「お待たせしたッチ。シャワー浴びてきたッチよー」
ノートパソコンを使っての、ちょっとしたゲームが想像以上にあっさり終わった、そのあとのこと。
浴室から、はねたぬきがそう言いながら出てきたので、私は部屋のタンスから奏蕾の分の着替えを持ってきた。
……まあ、奏蕾の分とは言っても、これは元々タンスに入っていた私の服だから、サイズが合うかまでは知らないけど。
「……ん。じゃあ、私は後で入るから、奏蕾が先にお風呂に入っ……」
言いかけて、口を閉じる。
多分、奏蕾は風呂に入ったことなんてない。
だって、生まれたばかりらしいから。
視線を向けてみると、案の定というか、奏蕾は小さく首を傾げていた。
「えーっと、おふろって、なに?」
そうして放たれた言葉に、やっぱりそうか、と、ため息をつく。
……一応、ここは私が小さい頃、家族みんなで暮らしていた家。
だからというのもあって、浴室も浴槽も、それなりの大きさはある。
確実に窮屈な思いをすることにはなるだろうけど、それを我慢するのなら、二人で入浴することは不可能ではない。
「……説明する。今日は、一緒に入ろう」
私は、お風呂に入っている時間が好きだ。
ゆっくりできるし、肩の力を抜いてのんびりできる。
はねたぬきに先にシャワーを浴びさせているのも、そうすることで、後のことを気にすることなくゆっくりすることができるから。
……だけど、今日は。
二人で入るとなれば、そうもいかないことだろう。
かと言って、奏蕾を風呂に入れないのは論外。髪や体を洗うやり方を知らないままにしておくのもナシ。……だって、純粋に不潔だし。
ややゲンナリした気持ちを、どうにか表に出さないようにしながら、私は彼女を連れて浴室に向かう。
「……まずは、ここで服を脱ぐ」
言いながら、さっさと手早く服を脱ぎ、そしてふと奏蕾を見る。
……そういえば、今奏蕾が身に付けているのは、果たして服と言えるのだろうか。
私が、そんなことを考えていると。
目の前で、えい、と、彼女が声を出し。
ポン、という小気味良い音を立てて、ついさっきまで着ていたはずの服が消えた。
……考えてみると、ちょっと不思議な現象だ。
奏蕾の今の人間の姿は、魔法によって変身したもの。
そして今消えた服だって、同じく、魔法によって出現していたもの。
その二つの魔法が同一または延長線上にあるものであるなら、服だけ消えるというのは、果たしてどういう理屈なのか。
単純に、そのくらいの魔法の調整は容易いということなのだろうか。
というかそもそも、どちらも同じく魔法による産物であって、かつその境が明確でないのなら、むしろ服の上から洗うのが正解なのでは?
……いや、まあいい。
どうせこんなの、考えても、面倒なだけ。
今はひとまず、形だけちゃんとしていれば、それでいい。
そういうことにする。
「……尻尾、そういう風になってるんだ」
難しいことを考えるのをやめて、私は純粋に気になったところに目を向ける。
背中と腰の間くらいのところから伸びている尻尾が、なかなか興味深い。
「え? 気になる?」
私が見つめていると、彼女は、ゆらりと尻尾を揺らして見せた。
おお、動くとこんな風に、背中から腰にかけての筋肉が……じゃあなくて。
「……別に。それより、早く体を洗ってお風呂に入ろう」
気を取り直して、浴室の扉を開ける。
浴室の中は、まだほんの少し温かいお湯が、床の上を濡らしていた。
ただし、抜け毛の類は一切ない。
というのも、精霊は、毛が抜けたりすることはないのだそう。
「おー……ここが、おふろ?」
「ちょっと違う。お風呂はあれ」
浴槽を指差して、質問に答える。
フタをしたままだから、もしかしたらこのままではよくわからないかも知れないけれど。フタを開けるとお湯が冷めてしまうので、ちゃんと説明するのは後にする。
「……じゃあ、ここに座って」
浴室の中の椅子に奏蕾を座らせて、私はその後ろに立ってシャワーを手に持つ。
「あれ!? この人は……、ん……? うーん? あー! これ、反射してる?!」
「……それは鏡。……もういい?」
「はーい!」
すごい、とか、キレイに反射してる、とか。
そんな風に、鏡を見てはしゃぐ奏蕾だったけど。
一声かけると、意外と素直に返事をして、大人しくなった。
「ところで、それって何?」
鏡越しに、私の持っているものを指差して尋ねてきた。
「……これはシャワー。こうすると、お湯が出る」
「おー! ほんとにお湯だ! ……これも、魔法の力?」
言いながらお湯を出して、背中に軽く当ててみると。
彼女は感心したように声を上げて、さらに、追加で尋ねてきた。
「……ううん。これは電気とガスの力。あんまり詳しい仕組みまでは、知らないけど」
「へー! 電気と、ガス……? って、すごいんだね!」
改めて考えてみれば、水を出すだけなら、多分私自身の力だけで似たようなことはできると思う。だけど、それをお湯にするのは、難しい。
「……うん。すごい」
水で体を洗うと、寒い。
それは当然のことだけど、だからと言って、常に体を洗い清める時にお湯を使う動物は、きっと人間くらいしかいないだろう。
そうして考えてみると、普段何気なく使っている文明的なものというのは、とてもすごいものなんだと思う。
「……じゃあ、まずは髪を洗う。この泡を使って洗うから、少し目を閉じて」
果たして、目に泡が入った時、奏蕾は人間のように痛い思いをするのかどうか。それはわからないけど、だからといって、意味もなくそんなことをするつもりはない。
……しかし、こうして見ると、奏蕾の髪は結構長い。
それでも、その長い毛先まで一切の傷も傷みもないものだから、軽く指を通してみても、全然引っかかることがない。
まだ生まれたばかりだからなのか、それとも、魔法によって変身した姿だからなのか。
興味深い疑問を頭の中で浮かべながら、泡立てたシャンプーで髪を洗っていく。
そうして、その後。
丁寧に、シャワーで角と髪を流していく。
「……終わり。次は、体」
目をパチパチとさせる奏蕾の顔を鏡の向こうに見ながら。
私は、大きく伸びをする。
「体は、そこにあるボディソープを使って自分で洗って」
髪の毛はまあともかくとして、体まで私が洗う義理はない。
ただ待つだけというのも退屈ではあるけれど、それ以上に、面倒になってきた。
……しかし、そんな私の内心など、彼女には知る由もなく。
「うん! わかった!」
無邪気に返事をすると、ゴシゴシと、すごい勢いで泡を立てて洗い始めた。
そんなに力を入れなくていい、と、言おうかとも思いかけたけど。
何も言わずに、黙って見ておくことにした。
多分、ドラゴンの皮膚は、きっと人間のものよりも丈夫だろうし。
「えっと、たしかこうしたらお湯が……おお、出た」
シャワーのお湯によって、彼女の体から、みるみるうちに泡が流されていく。
最初は、羽の付け根の辺りとか洗いにくそうかな、とか思っていたけど。かなりの柔軟性を発揮して、あっさりと、自分の手だけで全身をくまなく洗って見せたので、密かに、少しだけ感心した。
「……洗うのは、それで終わり。あとは、お風呂」
目の前で、浴槽の蓋を開いていく。
「ここにはお湯がためてある。飽きたら、出ていい」
「おおー! これが、お風呂」
目を輝かせながら浴槽に体をつける奏蕾の姿を眺めつつ。
次は、私が椅子に座る。
……説明するのは、とても疲れた。
今から体を洗えるのも、ようやく、といった気分。
お湯の熱さに驚くようなそぶりも見せず、躊躇なく入って、そのままゆったりとくつろぐ奏蕾を横目に、私はシャンプーを手のひらに出す。
……。
……そうして。
長かったお風呂タイムを終えた、私たちは。
揃って、浴室を後にした。
やっぱりと言うか、浴槽に二人で入るのは狭かったし無理があったけど。
奏蕾が一度ミニドラゴンの姿に戻ってくれたことによって、二人でゆっくりすることができた。
「いやー、気持ちよかったなあ……お風呂。これ、毎日入るの?」
すっかり気の抜けた、間延びした声に、私は首を縦に振る。
ただ、仮に次があるとしても、もちろん次からは、それぞれ別々で入ることにするつもり。
今日はあくまで、説明のために一緒に入っただけだから。
「……明日は、組織の本部に行く。向こうで、状況の共有と、これからについて相談をする」
ちょうどいい眠気を感じ、あとはもう寝るだけ、という雰囲気になってきたので。
今のうちに、明日の予定について軽く説明しておく。
「これからの相談?」
「……うん。こうなった以上は無責任に放り出すようなことはしないつもりだけど、さすがに、私だけの手でどうにかするのも限界があるから」
ドラゴンはともかくとして、魔法少女が、怪異もどきとの戦闘の際に、動物や身寄りのなくなった子供なんかを保護するのは、割とよくある話だったりする。
そういう時に、魔法少女本人の意向を反映しつつ、うまいこと何とかしてくれるのも、組織の仕事のひとつ。
昔は、私は今とは逆で保護された方の側だったから。
ちょっとだけ、感慨深いような気がしないでもない。
もっとも、今回の場合は、未確認生命体の保護という、前代未聞で異例の出来事ではあるけれど……まあ、なんとかいい感じにしてくれるはず。
「まあ、そうなるッチよね。ところで、明日からは連休終わるッチけど、学校にはちゃんと連絡しておいたッチ?」
「……あ」
あくびを噛み殺しながら、面倒ごともひとまずは後回しにできると安堵していたところで、はねたぬきが思いもしていなかった現実を突きつけてきた。
……そうだった。
休むこと自体は、どうせちょっと欠席日数が増えるだけだし別にいいけど……連絡できるのなら、面倒を避けるためにも、しておくに越したことはない。
ため息をつきながら、スマホを手に取り。
メッセージアプリを開いて、学校で唯一と言っていい友達へと、連絡する。
送った内容は、『体調が悪いから明日休む』。
数秒もしないうちに、顎に手を当てて訝しむような顔文字のスタンプが返ってきた。返信がきたので、これでよし。
これで明日は、彼女が先生にはいい感じに伝えてくれるはず。
「……よし。じゃあ、私はもう寝る」
「じゃあわたしもー!」
リビングを後にし、ついてくる奏蕾とともに、自室へ移動して。
床に奏蕾の布団を敷いてから、私は静かにベッドで横になった。
奏蕾が布団の中に入ったのを見てから、電気を消す。
「……じゃ、おやすみ」
「今日はお疲れ様だッチ。おやすみだッチ」
「うん! えーっと、おやすみー……?」
こうして……ようやく。
長くて混沌とした激動の一日が、終わりを迎えた。