時間が流れるのはあっという間で、気が付けば、とうとう期末テストの当日になってしまった。
奏蕾は昨日の夜になってギリギリで課題を終わらせることができていた。
私も、今日を迎えるまでに課題のほかに参考書での復習もやっておいたし、それにテストを迎えるに当たって、鈴実に怪異もどきが出現した時には代わりに出てもらえるよう頼んでもある。
個人的なことで申し訳ない気持ちはあるけれど、そう言ったら、人為的な怪異もどき発生の可能性について調査に協力している礼だと思って気にするな、と言ってくれた。
そして同時に、わざわざそんな風にものを頼むなんて珍しい、ということも言われた。
……たしかに、ここまでのことをしてテストを迎えるのは、初めてと言えるかも知れない。
期末テストが終わったら、夏休みが待っている。
テストの結果次第では、その夏休みが補習で潰れてしまうことになる。
……とは言え。これまでは、怪異もどきが出てしまったのなら仕方がないし、別にそれで夏休みが補習になっても構わないと思っていた。
だと言うのに……なんだか、不思議な話だ。
「今日はついに期末テストだね! 結果が返ってきたら、あとはもう、すぐ夏休みなんだっけ?」
「……うん。そう」
奏蕾の言葉に、私は頷く。
しかし、奏蕾は終わりそうになかった課題を終わらせるため、後半の方はこっそり私に隠れて解答の丸写しみたいなことをしていた気がするけれど……果たして本番は大丈夫なのだろうか。
「夏休みって、一ヶ月くらい学校が休みなんだよね? 前に言ってた本物のちゃんとした夏祭りとか、あとは……海とか! 行ってみたいかも!」
「……そうだね。お互いにちゃんと補習を回避できたら、色々と行ってみよう」
きっと、こうして楽しみだと思える未来が思い描けるようになったのは、奏蕾の影響なのだろう。
それがいい影響なのか、悪い影響なのかはわからない。
……というか、いいとか悪いとか、そういう言葉で表すようなものではないのだろう。
怪異もどきと戦い、世の中を守る魔法少女としてはあまりいいことではないのかも知れないけれど……少なくとも、個人的な感情としては、それほど悪い気持ちではない。
夏祭りに行くのなら、少し遠出して花火が有名なところに行ったっていいだろうし、せっかくなら、浴衣なんかをレンタルして着てみても悪くない。
海に行くのなら、水着が必要になるだろう。
砂浜で、スイカなんかを食べてみたりするのもいいかも知れない。
……なんて。
こんなこと、去年までは考えたことがなかった。
紋華はいたけれど、彼女は人混みが得意ではないし、夏にわざわざ陽射しのきつい浜辺に行くなんて、みたいなことを考えるタイプだ。
……私も、あまり興味を持つ機会がなかった。
今だって、もしも自分だけで行くとしたら、あまり気乗りしないことだろう。
「……なんにせよ、まずはテストを乗り越えてからだッチ。そろそろ時間だし、出発するッチよ」
はねたぬきに言われて時計を見ると、たしかに、そろそろ出発の時間だ。
食器は洗い終わっているし、それ以外も、二人とも準備が整っていることは確認済み。
「うん。……じゃあ、行こう」
「よーし、今日からテスト、頑張るぞー!」
電気を消して家の扉を閉め、それから学校へと向かう。
ここまで準備をしたのだから、きっと大丈夫だろう。
……と、思いつつも。
少し、そわそわする。今まではテストがある日は学校の時間が短くて楽だなぁくらいにしか思っていなかったのに、何かをしないと落ち着かない。
だから仕方なく、電車の席に座った私は、スマホではなく参考書を取り出して、開き始めた。
……うん。
この公式は覚えている。この定理も問題ない。
大丈夫。これも、これも、それからこれは……あ、いや、そうだ。あの式を使えばいいだけだ。
ふと窓から外の景色を見ると、見慣れた光景がそこに見える。
……そろそろ、学校の最寄駅に着きそうだ。
「卯実、次の駅で学校だよ」
「……うん。わかってる」
私は参考書をカバンにしまい、そのタイミングでちょうど電車が止まったので、立ち上がる。
「……二人とも」
緊張なのかなんなのか、わずかに手のひらが少し湿っている感覚から目を逸らしながら、電車から降りたタイミングで。
はねたぬきが、不意に声をかけてきた。
「テスト、頑張るッチ!」
別に、長い目で見れば、今回のテストでいい点数を取ったとしても、それで私の将来にとって大きな何かがあるというわけでもない。
これで直接的に入学できる大学が決まるとか、就職できる会社が決まるとか、別にそういうことは、特にない。
……けれど、それでも。
奏蕾にとって、初めての夏休み。
大体の学生が楽しみにしているというそれを、私のせいで台無しにするのは、なんとなく嫌だ。
「……うん。もちろん」
「頑張るぞー!」
気持ちを引き締め直し、そして、少し歩いて駅を後にする。
そうして足を踏み出した駅の外は、思っていたよりも陽射しが眩しくて、そして暑かった。
しかもおまけとばかりに、辺りからは、蝉の鳴き声も聞こえてくる。
……そんな中を、私は奏蕾と他愛のない話をしつつ、いつも通りに歩いて登校する。
歩いていると、これまたいつも通り、私たちと同じ学校の生徒らしき人の姿を、何度か見かけた。
みんな、陽射しの強さと今日からのテストに少し顔を顰めているようには見えるけれど……しかし同時に、迫る学期の終わりと夏休みの気配に、少しだけ浮ついているようにも見えた。
「ふー……。ようやく着いたね!」
校門を抜けて、奏蕾が言った。
「……うん。そうだね」
私も、わずかに疲れが滲んだような声で返事をする。
正直なところ、最初の方こそ周りを見て何かを考えたりする余裕はあったけれど、途中から、少しばかりうんざりしてきてしまっていた。
「……これで、冷房のついた屋内に入れる」
いつも通りの道といえども、別に、その慣れで道が短くなるわけではない。
夏の日差しの下を歩いていれば、どうしても暑いのは変わらないし、それだけで疲れてしまいそうにもなる。
途中何人か見かけたのだけど、私も片手で持てる扇風機みたいなやつを買ってみてもいいかも知れない。……あるいは、それよりも先に、この姿でも使える限界の量の水で身体を冷やすという手段の方がやりやすいだろうか。
まあ、なんにせよ今は学校に着いたのだから、これからの暑さ対策については、これからまた改めて考えればいいだろう。
……校庭を歩いて抜けて玄関まで足を踏み入れると、そこで一気に空気が変わった。
冷房のおかげだろう。
さっきまでよりも、断然過ごしやすい環境になっている。
「ふー……! 涼しいー……!」
ふと周りを見てみれば、奏蕾と同じように、登校してきたばかりで室内の気温に癒されている生徒の姿を結構見かける。
まあ、朝だというのに、外はもうあれだけ暑い。
みんながこうなるのも、仕方のないことだろう。
靴を履き替え、私たちは教室へと向かっていく。
「……お、おはよう。卯実ちゃん」
「うん。おはよう、紋華」
席に座り、隣の紋華に話しかけられた。
紋華は、一生懸命にノートに何かを書いている。
チラリと軽く見てみれば、どうやら、その内容はこれまでに紋華の異能で創り出した生物の、アップデート方法について研究しているノートのようだ。
……結論としては、大きくアップデートしたときにそれを同一の個体と自分が認識できないため不可能、ということらしい。
どこかで発表するわけでもないだろうに、わざわざ結論を先に書いて、後からその結論に至るまでの過程をそうやって書き記す必要なんてあるのだろうか。
まあ、おそらく単純にそういうのが好きなのだろう。
しかし……テスト直前だというのに、紋華は平常運転だ。
……対して、私はと言えば。
「ん? おー、もしかしてテスト直前の追い込み? へー……。なんていうか、珍しいね」
「まあ……そうだね。……うん、私もなんだか、らしくないかなって思ってる」
不安を紛らわせるために、私は参考書を開いて、覚えている知識の確認を再開していた。
「そうだね……。うーん、まあ、たしかにらしくないかなーとは思うけど……」
紋華は書きかけのノートを閉じて、言葉を続ける。
「夏休み、やりたいことができた……とか?」
「……うん。まあ、そんなとこ」
言い当てられて、なんだか少し気恥ずかしくなって目を逸らした。
……後ろからは、いつの間にか少し仲が良くなったらしい奏蕾と詩菜津が問題の出し合いをしているのが聞こえてくる。
奏蕾は、その問題に対して、あまり答えることができていなさそうだ。
「なるほど、ね。……うん、いいことだと思うよ、私は」
紋華の言葉に、私は思わず視線を戻した。
目が合った紋華は、大きく声のボリュームを下げてさらに言葉を続けていく。
「……そもそも、卯実だって生涯を魔法少女のまま終えるってつもりな訳ではないんでしょ? どこかで引退して、普通の人生に合流する。……それなら、それはきっと、人としてひとつ、成長したってことなんだよ」
「……そう、かな?」
紋華の声は少し嬉しそうで、同時に少し、なんだか寂しそうな感じがした。
……私は、そんな風に言われても、いまいちピンとこないし、あまりそのままには受け止められない。
だけど、その理屈自体は、まあ……理解できないこともない。
「まあ、それはどこかのタイミングでうっかり怪異もどきに殺されなければ、だけどね」
なんとなく、あえてそんなことを言うのは縁起でもないと思いつつも……つい、私はそんな分かりきっていることを付け足した。
「ま、それはそうだね。とりあえず、今は目の前のことに集中しよう。……お互い、テスト頑張ろうね」
「……うん、言われなくても、そのつもり」
会話をしていたら、ついに先生が来てしまった。
日直が号令し、朝礼が始まる。
……そしたら、あとはもう、あっという間にテストが始まる。
心臓が早鐘を打つ中、一日はみるみるうちに進んでいく。
……そして。
それどころか、約一週間ものテスト期間はあっという間に過ぎ去っていき──。
「いやー、テスト、お疲れさまー!」
……気が付いたら、本当にあっという間に、期末テストが終わっていた。
紋華と奏蕾、そして私の三人は、『テストお疲れさま会』と称して、テストの愚痴や感想を交わしつつ、近くのカフェの席に座っていた。
頼んだパンケーキが届き、口に運ぶ。
……まるで、糖分が疲れた脳に沁みるような感覚だ。
どうやらここ最近は、自分で自覚していた以上に、本当に張り詰めていたらしい。
私は久しぶりに、心置きなく、甘味を堪能した。
……あとは、結果が返ってくるのを待つだけ。
私にできることは、もう何もない。
強いてひとつ言えることがあるとするのなら……手応えはかなりいい感じだった、といったところだろうか。