テストお疲れさま会から数日後。
学校の教室で、ついに最後のテスト返却が終わった。
点数は……まあ、全体的に悪くなかった。
……というか、結構いい感じだった。
「おー……。卯実ちゃん、やっぱり全体的にいつもより点数がだいぶ高いね」
「……まあ、そうかも……でも」
ちなみに、最後に返ってきたのは古文。
苦手教科だけれど……その点数は、73点。
クラス内での平均点が65点とか言ってたし、やはり悪くない点数だ。
……チラリと横を見ると、紋華の点数が目に入る。
そこには、97点と書いてあった。
「紋華にテストの点数を褒められても、あまり褒められている感じがしない」
紋華は、いつも、すごくいい点を取る。
表面的には全然勉強をしているようには見えないのに……と、理不尽に思わなくもない。
……だけど、どうしてそれだけいい点数を取れるのかは知っているから、文句を付けられることではないとわかっている。
「まあ……うん。知ってるとは思うけど、私の場合、自分の異能を研究するのが趣味だからさ」
「うん。それは知ってるし……言いたいことも、わかってる」
紋華の異能を高いレベルで使いこなすには、あらゆる学問を修める必要がある。
例えば、現代文や古文は、異能によって創り上げる『オトモダチ』と自分との過去を創造する上で、他者の描いた物語を学ぶという点で役に立つ。
例えば、化学や物理、生物は言うまでもなく架空の生き物を創り出す上で必要不可欠になってくる知識。
他にも、外国の論文を読んだりするには外国語の知識が必要になるし、歴史や倫理なんかは……彼女の異能の中でどう役に立つのかよくわからないけど、ほかの教科に劣らないくらいの点数を取っている。
彼女にとって勉強は、私や奏蕾と違って直接的に趣味と結びついているから、その点において届かないのは仕方がない。
……能力の優劣とかそういう話ではなくて、単純なこと。
何事も、好んでやる場合と嫌々でやる場合とではそこから繋がる結果に大きな違いが生まれるものだ。
「……とりあえず、全教科で赤点は回避できてホッとした」
「赤点は、別になんだかんだ去年も全教科回避できてたでしょ?」
私の言葉に、紋華が返す。
確かに、なんだかんだこれまでも「赤点でも別にいいや」とは思いつつも、結構ギリギリのところで回避してきた。
……だけど、それはそれとして。
「それでも、ホッとしたものは、ホッとした」
これまでのテストと、今回のテストでは、やっぱり感覚が少し違っていた。
今回のテストは、終わった後にも、大丈夫だろうと思っていても中々不安が拭えなかった。
「……そっか。うん、それはよかった」
私の言葉に、紋華は優しい笑みを作った。
「それなら……さ、卯実ちゃん。夏休みとか、一緒に遊びに行かない? 例えば、花火とか。……奏蕾ちゃんも、一緒でいいから」
……紋華のその提案は、私にとっては心底意外なものだった。
てっきり……というかこれまで、そういう場所はあまり得意でないと言っていたと思うのだけれど。
「……まあ、別にいいけど」
意外なことではあるけれど、別に断る理由は特にない。
私は少しばかり戸惑いながらも、小さく首を縦に振った。
「……うーん。もしかして、意外って、思ってる?」
「うん」
続く、紋華の問い。
今度は、私は迷いなく首を縦に振った。
「いやあ……まあ、なんていうか? ……変なこと言うけど、今のまま放っておいたら、卯実ちゃんがどっか遠くに行っちゃいそうだなーって思って」
……遠く。
そうは言われても、別に、私は旅行や留学に行くような予定は特にない。
だとすれば、心理的なものだろうか。
……そんなことを言われても、私は。
「……別に、どこかに行ったりする予定とかは、特にないけど」
友達を一人にするような、つもりはない。
……私は、これでも一応、一人にされることが辛いことだということは知っているつもりでいる。
少なくとも、軽々しく誰かにあんな思いをさせるほど、薄情な人間になるつもりはない。
「……そういうことじゃないんだけど……まあ、いっか」
紋華が、ギリギリ聞こえるか聞こえないか程度の声で小さくつぶやいた。
……だとすれば、どういうことなのか。
そこまでわざわざ踏み込むのも、なんか違うと思ったから、私は聞かなかったことにした。
……そして、それから。
授業が終わって終会も済み、ようやく放課後の時間を迎えた。
あと一週間ほどで、ついに夏休みが始まる。
そんな中、今は、私と紋華の二人でいた。
……奏蕾はというと、何やら放課後になった時、担任の葉月先生に奏蕾が呼ばれてしまった。
何を話しているのかはわからないけれど、それが終わるまで二人で待っているというわけだ。
もう、今学期の学校も終わりがすぐ目の前。
周りの生徒たちは、浮ついた様子で部活に励んだり、夏休みのことを話し合っていたりするが……私は、あまりそういう気分じゃなかった。
……なんとなく、嫌な予感がする。
というか、ほとんど確信に近いとさえ言えるかも知れない。
「もしかしてだけど、奏蕾ちゃん、今回のテスト……」
紋華が、私の思い描く嫌な予感を言語化しようとする。
私は……思わず、目を逸らした。
……赤点を危惧するべきは、私だけではなかったのだ。
いや、まだそうと決まったわけではないけど……でも、これはほとんど……。だけど、本人の口から聞いたわけでもないのにそういう風に決めつけるのも……。
考え込む私を、紋華がなんとも言えない目で見つめる。
そしてはねたぬきは、既に諦めきった表情で、元気を出せとばかりに私の肩をポンポンと叩いてくる。
……二人とも、それは少し薄情というものではないのだろうか。
こうなったら、私だけでも奏蕾を信じて──。
「卯実……。あと、紋華とはねたぬき……」
教室から、見るからに元気のない奏蕾が、肩を落としながら出てきた。
その瞬間、私も、悟った。
──そうだ、私がしていたのは、信頼などという聞こえのいいものではない。
「テスト……赤点だった……! しかも、6教科も……!」
……私は、目を逸らしていたのだ。私の、身勝手で自分勝手な過ちから。
だって、普通に考えたらわかること。
こんな短期間でクラスの授業に追いついて、テストを受けられるだなんて……あまりにも無茶な話ではないか。
それなのに、頑張ること、努力することを尊いことだと決めつけて、私が押し付けたから……こうなった。
もしかしたら、学校や組織に頼んだら、何かしらの特殊な措置をしてもらえたかも知れなかったにも関わらず。
あともう少しで周りに追いつけてしまいそうな勢いだから頑張って欲しいだなんて、そんな風に考えて、本人が望んでいないのに押し付けて、その結果が、これ。
……奏蕾は、何も悪くない。
むしろ、全部の教科が赤点だったというわけでなかっただけですごい方だと言っていい。
項垂れて肩を落とし、どこか申し訳なさそうに目を逸らす奏蕾の姿を見て、私は、申し訳なく思う気持ちと、何とも言えない悲しみのような気持ちが溢れてきた。
「……そっか。……奏蕾は、悪くない。……私が」
言いかけて、言葉に詰まる。
……私が、何だというのだろうか。
学校の生徒として、勉強することを押し付けてしまって申し訳なかった?
……どんな言葉をかけるのが正解だろう。
そもそもどうして私は、ちゃんと本人の意思を確認しようとしなかったのだろう。
ぐるぐると、思考が巡る。
今更になって、もう遅い考えが頭の中で渦を巻く。
ひとつ確実なのは、結局、私のせいで奏蕾の初めての夏休みは台無しになってしまったということ。
それを避けるために自分は勉強していたつもりだったのに、これでは本末転倒というものだ。
……そもそも、私が悲しんでいるのは本当にそれだけのことだろうか。
心のどこかで私自身が夏休みを楽しみにしていて、それがこういう形になって、その残念な気持ちを、今私は奏蕾を言い訳にして……つまり、自分自身の気持ちを責任転嫁しているのではないだろうか。
「……」
……言葉が見つからず、私も何も言えずに目を逸らす。
たまたま向けた視線の先では、紋華とはねたぬきが何とも言えないような表情で、静かに顔を見合わせていた。
「……ねえ、卯実」
「……なに?」
互いに視線を逸らしながらの何とも言えない空気の中で、奏蕾が口を開いて切り出した。
「わたし、今回が初めてのテストだし、それを踏まえてみればそれほど悪い結果でもないからってことで……特別に、補習は無しにしてもいいって言われた」
「……そうなんだ。それなら……」
本人がそうしたいのなら、そうすればいいだろう。
結局、私は奏蕾の親でも何でもないのだし、彼女自身の意思を否定する理由なんてない。
「──でも、さ」
「……?」
奏蕾が、私の言いかけた言葉へと、挟み込むように口を挟んだ。
「それはそれとして、成績が悪かった人全員が対象で、来週、追試を受けることができるんだって」
追試。……なんとなく、聞いたことがあるような気がする。
一年生の最初の授業くらいのとき、たしか、点数が悪かったらそれを受けさせられると聞いたんだっけ。
あまり肯定的な話題ではなかった気がするのだけれど……どういうシステムだったか、あまりよく覚えていない。
「……そこで80点以上を取れたら……その教科の赤点は、無かったことになるみたい」
「……。それは……随分と、高いハードルだね」
とは言いつつも、一応、答えが既にわかっているなら……といったことだろうか。
解答をまるごと暗記して8割なら、現実的なラインだと言えなくもないように感じる。
「うん。……しかも、追試はテストとは別な問題が出されるみたい」
「……そうなんだ」
だとすれば……それは結構、厳しい条件だ。
「追試がダメだったら補習を受けて、それでまた同じ追試を受けて、そこでもダメだったらまた補習を受けて……って、感じみたい」
場合によっては、夏休みがまるまるなくなってしまいそうなルールだ。
……というか、その形式は、先生にとっても大変そうな気がしなくもない。
「たしかに、それなら逆に言えば、一回目の追試で全部終わらせられたら実質的に補習は無しってことになるね」
紋華が、横からそう言ってきた。
……明日からは、土日の休み。
それから一週間は午前で終わる短縮での授業があり……そして金曜日には、終業式ということになっている。
一回目の追試は、月曜日から始まってこの金曜日までの期間に行われるということらしいから……ここで全ての追試を合格できれば、実質的に、夏休みは守られると言えなくもない。
「……わたし、この追試を受けようと思う。今なら、先生にお願いすれば特別に補習なしにしてくれるかもしれないけど……卯実と一緒に夏休みをいっぱい遊びたいから、だから、それなら特別扱いじゃなくて、同じ条件がいいって、思う」
奏蕾は、真っ直ぐに私の方を見てそう言った。
……。
……同じ条件、同じ立場。
対等で、何か気兼ねするようなこともない。
私は……もしかしたら。
無意識のうちに、奏蕾にそれを求めていたのかも知れない。
「……実質的な猶予は、2日しかない。かなり難しそうだけど、大丈夫?」
「うん、任せて! わたし、次は本気出す!」
奏蕾が、力強く頷いた。
……元々、私には、奏蕾の意思に反するようなことをさせるつもりはない。
同時に、奏蕾自身が険しい方を望むのなら、それを否定するつもりもない。
「……わかった。それなら、応援する。だけど……わたしも、夏休みに行ってみたいところとか……何個かあるし。……あまり、待たせられても困るけど」
つい口をついて、また押し付けてしまうような、余計な一言が出てきてしまった。
そのことに、私は、自分でも戸惑って。
遅れて、言葉を取り消そうと思ったところで……。
奏蕾はむしろ嬉しそうな表情を浮かべて、そしてまた、さっきよりもさらに力強く頷いた。