住人たちに会って回り、どうにか私は村を回り終えた。
最初に出会った気難しいお爺さんと優しいお婆さんの他にも、何人かの村民の人たちと話した。
村と呼ぶにはどうやらかなり小さい集落のようで、住人はあまり多くはなかったけれど……だからこそみんなが支え合って生活しているのだという。
……あとは、それから。
掟を破った者は苦しんで命を落とすことになる、という話をしていた。
──安らかな終わりを迎えたいのなら、決して掟に逆らうことなかれ。
村の人たちは、まるで軽く脅すかのようにそう言ってきた。
空を見上げれば、空がまるで血に染まったように赤くなっている。
どこか、のっぺりしたような空。
紙をインクで染めたかのように一色だけで満たされており、そこにはまるで何もない。
私の知っている空には、もっといろいろなものがあったような気がするけれど……気のせいだろうか。
それに、まだ夕方になるには早いような気もする。
今日という1日が始まってから、そんなに時間は経っていないような……。
いや、そうでもないか。
ここは山奥だから、公共交通機関が通っていない。
だから必然的にここに来るまで私はしばらく歩いたということであり……それを加味して考えると、今がこんな時間なのは正しいと考えられる。
「──?──!」
……村を、歩く。
ほんの一瞬、傍らを、何か奇妙な生き物が浮かんでいるような気がした。
まるで羽が生えた動物のような……いや、何かの見間違いだろう。
さらに、一人で村を歩く。
……向かう先は、温泉だ。
掟に従うのなら、私はそこで身体を清めなければならない。
やや奇妙な言い回しと思わなくもないけれど……まあ、私は元々そのために来たはずなのだし、それに郷に入れば郷に従えという言葉もある。
変に疑念を抱くこともないだろう。
「……」
さらに少し歩いて、そこに辿り着いた。
……そこは、寂れた旅館のような建物だった。
中には誰もいない。
けれど、衛生的に問題があるような感じはない。
これなら、存分に一人でゆったりできそうだ。
「……?」
しかし、何というか妙に視線を感じる気がする。
……まるで、何者かがずっとこっちを見ていて、そして、私もそれを見ているのに、見たそばからそのことを忘れているかのような違和感。
そして、なんだかまるで常に認識が捻じ曲げられているような不快感。
……何かが、おかしいような気がする。
おかしいのは私か、この村か。
「……まあ、いいか」
しかし一旦、面倒なことは置いておこう。
……今は、楽しみにしていた温泉に浸かる時。
「……?」
脱衣所に入り、私は少し固まった。
……たった今気がついたのだけれど、どうやら私はかなり奇抜な格好をしていたらしい。
ひらひらとした、飾り気の多い服。
それはまるで、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎のような服で──。
……。
……?
……あれ?
私は今、何を考えていたんだったっけ。
ああ、いや、そうだ。
この服、いまいち、どうやって脱ぐのかがわからないなっていうことだ。
「……まあ、面倒だし足湯でいいか」
なんだか、自分のことながらここまで一瞬で温泉への興味が萎むあたり、まるで温泉を目的に来たとは思えないくらいだ。
……いや、あれ?
うーん、温泉に浸かるのは、掟があるから仕方なく……だったっけ。
それなら、面倒に思った途端に億劫になるのも仕方がない。
……そう。
私は、この村に観光に来た他所ものだ。
だからこそ、掟はちゃんと守らなければ。
……?
観光……?
ペタペタと音を鳴らし、裸足でお湯の方へと歩きながら考える。
……この村、何かわざわざ観光しようと思うようなものがあったっけ?
ああ、いや、そうだ。
……私は学生として、この村の噂を調査しに来たのだ。
なんでも、奇妙な掟があるとかで、それがどういった由来で生まれたものなのか、そのルーツを辿るために……。
そう、それなら。
まずはとにかく、その掟をきちんと守らなければ。
村の人たちから話を聞いたりするのなら、ちゃんとルールを守れる人間であることを示し、和を乱さない存在であると信頼してもらう必要がある。
だから……そう。
つい服の脱ぎ方がわからなくて足元だけ脱いできたわけだけれど、せめてこの足湯で、今から私は足だけでも清めなければいけないのだ。
周囲を見渡しても、温泉以外に身体を洗ったり清められそうな場所はない。
通常、温泉旅館なら先にシャワーとかで身体を洗うのがマナーだけれど……まあ、そういったものが一切見当たらないのだから、仕方がない。
腰のあたりにタオルを敷き、そこに座って、ゆっくりとお湯に足を浸ける。
……足先をつける直前、理由のわからない抵抗感のようなものがあったけれど、私は、理性でそれを抑えつけた。
そうして、足が湯の中に入った瞬間。
……一気に、力が抜けるような感覚がした。
それは、あまりにもいい湯で気が抜けるというような感じではない。
疲れが抜けるのではなく、その逆で……まるで、足をそこにつけていればつけているほど、体に力が入らなくなっていくかのようだ。
……足を湯から抜き、まるで逃げるように脱衣所まで戻り、そして足を拭く。
「……」
パステルカラーのストッキングを履きながら、私は今日の湯のことを考える。
とても、⬛︎⬛︎で、⬛︎⬛︎⬛︎な湯だった。
足先から、まるでごっそりと⬛︎⬛︎が抜け落ちるような──。
……えっと、疲れが抜け落ちるような、そんなお湯だった。
今日は足だったけれど、それは間違いだった。
明日は、全身をあのお湯で清めよう。
今日はもう、そろそろ夜が来てしまう。
さっき夕方になったばかりのような……いや、もうそろそろ夜になる。
夜になるから、私は借りている空き家の中に戻らなければいけない。
温泉で疲れを洗い落としたはずなのに、不思議と、ここに来る時よりも少し重い足取りで、私は空き家の方に歩いた。
「──! ────!!」
視界の端で、何かが私に呼びかけているような気がする。
私は、思わずそっちの方を見て──。
……えっと、さっきまで何を考えていたんだったっけ。
どうやら少しぼうっとしていたようで、気が付いたら空き家の玄関の前にいた。
……まあ、仕方がない。
この村に来るまで、私はあの山道を歩いてきたのだから、疲労を感じているのだろう。
ぼんやりと、道なんてどこにもない茂みの方を眺めながら、そう思う。
……えっと、なんだっけ。
座布団に腰掛け、私は小さくあくびをする。
そういえば、結局私はこの村に何をしに来たのだったか。
目的もなくこんなところに来るような性格でもないはずだし、目的があったら覚えているはず。
やっぱり、何かがおかしいような……ああ、そうそう。
私は、この村で行われるイケニエ祭りを見に来た観光客だ。
なんでも祭りとはいうものの、世間一般的なイメージのそれとはまるで違う、独特なもの。
私は高校生で、学校でその話を聞いて興味を持ったから、ここに来た。
……となれば、今日のところは早く寝てしまったほうがいいだろう。
この村のカミサマがヨソモノという名前のイケニエを食べて、村を豊かに大きく広げてくれる、そんな儀式。
それを見る時に、うっかり疲れて眠ってしまったら勿体ない。
畳に身体を横たえ、瞼を閉じる。
いつもなら、眠る前にもっと何かいろいろなことをしてから眠っていたような気がするけれど……気のせいか。
起きて、しばらくしたら湯で身体を清めて、眠る。
……それが生活の一サイクル。
決して、夜に外に出てはならない。
「──!! ────!!!!」
しかし、いざ眠ろうとしたところで、何かに激しく身体を揺さぶられた。
ぼんやりとした目で、それを探す。
すぐに、⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎がそこにいるのが目に入ったけれど……なんだったっけ。
気のせいかと思い、目を閉じようとするけれど……まだ、身体を何度も揺さぶられている感覚が続いている。
──これは、気のせいではない。
ハッとして、見るとそこには一人の少女がいた。
少女が、横になっている私の身体を揺さぶっている。
……彼女は、この村に一緒に来た友人だ。
私は一人でここに来たと思っていたはずだけれど……いや、二人でこの村を見て回っていた。
もしかして、寝付けないのだろうか。
「──目を覚ますッチ! ⬛︎⬛︎の中で眠るなんて正気じゃないッチ!」
そうそう、彼女は友人の中でも奇妙な語尾なのが特徴だ。
世間一般的に見て平均よりも背が低い私より、さらに小さいのも特徴か。
なにやら慌てているようだけれど、どうしたのだろう。
「……大丈夫。ちゃんと、目は覚めてる」
口から、言葉が勝手に出てきた気がした。
……そうじゃない、とでも言いたげな表情で私を見る⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎を見ながら、どうやら私は、寝ぼけていたせいで少しトゲトゲしい言い方をしてしまったようだということに思い至った。
しかし、せっかく眠ろうとしていたところに、無理矢理起こそうとする方もよくない。
「早くこの⬛︎⬛︎を何とかしないとだッチ! こんなところでのんびりしてる場合じゃないッチ!」
「……?」
何を、そんなに慌てているのだろう。
……そもそも、私は何か目的があってここにきたはず。
それは、待っていれば訪れるような何かではなくて……。
……この⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎の言葉は、私がそれを忘れかけているから、それを伝えようとしているのではないだろうか。
私は、この村のことを、もっと知らなければいけないと思っていたような気がする。
……わずかな、違和感。
そこを、どうにか針の穴に糸を通すかのように、思考をつなげる。
今日の日中、私が村を見て回って、村に住んでいた人を見て回っていたのは、どうしてだったか。
そうだ、私はこの村の中に⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎しまった⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎を探し出そうとしていたはず。
何かを探そうとしていた。
そして、破ってはならない掟。
……そうだ、私はこの村の掟を破った時にどうなるのか、それを見るためにここに来たんだ。
「……行こう」
何度目か、目的を『思い出した』私は、ゆらりと、立ち上がる。
「……⬛︎⬛︎? 行くのはいいけど……いや、ついて行くッチ」
空き家の扉を開けて、外に出る。
黒い墨を垂らしたかのような真っ黒な空の下。
そこには……村中に、黒い影のような人形の化け物が、何体もゆらゆらと蠢いていた。